2022年04月29日

111本の木 リナ・シン

111本の木 リナ・シン文 マリアンヌ・フェラー絵 こだまともこ訳 光村教育図書(みつむらきょういくとしょ)

 インド人作家の方の絵本です。
 思うに、インド人のほうが、日本人よりも脳みそのつくりが(知能が)高いのではないか。
 とくに数学の分野では、日本人はかなわないような気がします。
 コンピューター技術能力が高そうです。計算能力が高い。
 あわせて、人柄が良さそうです。心が優しい。
 旅番組で、インド人の方が経営されているカレー店などへの飛び込み取材を見ると(出川哲朗さんの充電バイクとか、太川陽介さんの路線バスの旅とか)インド人オーナーはみなさんとても優しい。日本人のようなぎすぎすした緊迫感と銭儲け最優先(ぜにもうけさいゆうせん)の雰囲気がありません。

 さて、読み始めます。
 原題は『111 Tree: How One Village Celebrates Birth of Every Girl』
 日本語だと『111本の木:どのようにしてその村は、すべての女の子たちの誕生を祝福したか』でいいと思います。

 インドで本当にあったことを絵本にしてあるそうです。
 女の子が生まれると、111本の木を地域に植えるそうです。ピンときません(なぜ植えるの? なぜ、111本なの? ずいぶんたくさんの数を植えるのですね。1本でいいのじゃないの?)

 インドといえば、ヒンドゥー教におけるカーストと呼ばれる身分制度が思い浮かびます。
 日本における江戸幕府の「士農工商」のようなものです。
 絵本を読むと、女性差別もあるようです。男尊女卑です。(だんそんじょひ。男子は偉くて、女子は偉くない)

 以前、江戸時代に日本を訪れた外国人の日記とか業務日誌などを読んだことがあります。
 日本には、「士農工商」という身分制度があるけれど、末端の住民たちは、江戸幕府が決めた身分制度にはこだわらずに、身分を気にせずに、お互いによくしゃべり、仲良く暮らしていると書いてあった記憶です。日本人の庶民的な気質が表れていて、とてもうれしい。
 「きまり」は、つくっても、守る人がいなければ、ないのといっしょだと、自分は思っています。

 絵本では、お母さんとぼくちゃんが、遠くの井戸まで水をくみに行きます。
 日本も昔は井戸で水をくんだり、山で湧き出る水をくみに行っりしていました。清水(しみず)をくみに山へ行ってくると言っていました。
 自分も小学校低学年のころには、山に水をくみにいっていました。
 自宅の台所に水をためておくコンクリートの入れ物がありました。
 今の日本でも、いなかへいけば、井戸水を使っていたり、山の沢からパイプで水を家まで引っ張っていたりする家はあると思います。

 ぼくちゃんは、料理に使う『たきぎ』を集めます。
 たきぎだから、エネルギーの話が出てくるのだろうか。
 自分も中学生のころは、日曜日になると、家で、祖父母に頼まれて、薪割りを(まきわり)をしていました。

 ぼくちゃんの家族は11人もいるそうです。
 戦時中の日本のようです。
 日本では、戦争社会に貢献してくれる若い人たちを育成するために、子だくさんの政策を進めました。
 『産めよ増やせよ』の国による人口政策がありました。
 ひとりの女子が、5人以上の子どもを産むように国から指示がありました。
 今では考えられません。

 絵本では、主人公のぼくちゃんのお母さんが、びんぼうな暮らしの中で、毒ヘビにかまれて亡くなってしまいました。
 日本だと、マムシとか、沖縄にいるハブにかまれて亡くなるようなものです。

 この絵本は、母親と息子の愛情物語だろうか。
 主人公のぼくちゃんのお名前は『シャム・スンダル・パリワル』で、以降、スンダルさんと表記されます。
 スンダルさんは、おとなになって結婚して、娘がふたり、息子がひとり生まれます。(その後、上の娘さんは亡くなってしまいます)
 スンダルさんは、現在と未来のために、こどもたちに自然を大切にすることを教えます。

 スンダルさんが住む村には、大理石工場があります。
 大理石の掘削は、緑の自然を壊します。
 スンダルさんは、掘削後の荒れ地に木を植えることを会社に提案しましたが、受け入れてもらえなかったので、工場を辞めてしまいました。

 お金もうけを優先するのは、人間の欲望が生み出す人間の性(さが。生まれつきの性質、本質、特質、本能)です。
 欲望のかたまりにならないように、自分やまわりをコントロールするために必要になるのが『教育』です。自分で自分の心を管理します。
 スンダルさんの希望は、自然を大切にして、みんなが経済的にも心理的にも豊かに暮らせるようになることです。
 スンダルさんは、選挙で当選して『村長』になりました。

 そういえば、日本で、女性が選挙のときに投票ができるようになったのは、第二次世界大戦が終わってからです。それまで女性は、選挙が行われても、立候補することも投票することもできませんでした。
 ようやく、女性が全国的に立候補も投票もできるようになったのは、昭和21年4月10日(1946年)の衆議院選挙からでした。
 第二次世界大戦で日本が敗戦して、アメリカ合衆国の政治に対する関与が始まってからです。
 それからまだ100年たっていません。まだ、このあいだのことなのです。超高齢者の方々は戦争体験者です。

 人は、花に願いを託すことがあります。(たくす。願かけ(がんかけ))
 人が生きていくことで、祈ることは大切な行為です。
 人は、樹木に神の存在を感じることがあります。大木信仰。
 スンダルさんは、自分の長女を病気で亡くして、その悲しみを忘れるために、1本の木を土に埋めました。木が、亡くなった娘さんの代わりなのです。

 なぜ、111本の木を埋めるのか。
 なぜ、1本ではだめなのか。

 男が生まれたらお祝いをして、女が生まれたら悲しむという変なインドの風習に立ち向かうことを決心したスンダルさんでした。
 この絵本は、インドの歴史物語です。
 男女が平等に扱われる。
 水と電気がある生活を送る。
 女性は、18歳までに結婚させるという決め事があったそうです。
 女性は『商品』か『物』扱いです。
 スンダルさんは、インドの風習や慣例に大反対します。
 111本の木がスンダルさんの希望を実現してくれます。
 女児の誕生をきっかけにして、木をたくさん植えて、村に豊かな自然を導いて、木がお金を産む。林業です。水を確保する。シロアリ退治のためにアロエベラという植物を育てる。
 
 時間はかかったようですが、村の生活に変化がありました。
 木のおかげで、生活が楽になりました。
 『採取』よりも『養殖』という考え方があります。
 取りつくしたらなくなってしまいます。
 なくなったら、生活していけなくなります。
 いろいろな木を植えました。
 マンゴー、パパイヤ、シッソノキ(インド原産の落葉高木)、アミアの木。
 アロエベラは、白アリ退治の商品として売れたそうです。
 
 中村哲さん(なかむらてつさん)を思い出しました。
 アフガニスタンの貧しい人たちのために働いた人です。
 銃撃されてお亡くなりになりました。
 残念です。

 絵本は31ページまでで終わります。
 32ページから、説明文と写真が出てきます。
 村長のスンダルさんご本人登場の写真もあります。おひげをはやしたおじさんです。
 ピプラントリ村があるというラジャスタン州をグーグルマップで見てみました。
 インドとパキスタンの境界付近にありました。インドの北西に位置する州です。

 『111』の意味です。最初の「1」が娘さんたち。次の「1」が水、最後の「1」が木を意味するそうです。インドと日本で国が違うので、人間として感じる感覚が違います。
 日本人のわたしにはピンとくるものがありません。
 スンダルさんにとっては、「1」が縦棒「|」に見えるそうです。そして、三本の縦棒がさきほどの意味にとれるそうです。
 
 ジェンダー:男女の差。社会的、文化的に長い歴史のうちにつくられた差別。不平等。この本の場合の事例として、女子は教育を受けることができない。女子は、18歳になるまでに結婚しなければならない。女子は結婚するときに多額の持参金を男子の家に提供しなければならない。負担するのは女子の親でしょう。
 胎児が女子だとわかると中絶(ちゅうぜつ。あかちゃんの命を産まれる前に奪ってしまう)することもあるそうです。こわい。悲しい。
 男子の誕生は、農業の働き手の誕生だからお祝いをするけれど、女子の誕生は不幸なこととされるそうです。そうだろうか。男性よりも女性のほうが働き者のような気がします。
 スンダルさんは、女子の将来のために、寄付金(村人から約3万円。女子の両親から約1万5000円)を預かり、満期20年の定期預金に入れる。そのお金は、将来、その女子の教育資金・結婚資金に使うというシステムをつくりました。
 村に産業を誘致する。アロエベラを使って商売をする。アロエベラは、保湿剤や健康食品になるそうです。
 
 エコフェミニスト:人間と自然の共存、男性と女性の協調をめざして、社会的、経済的な活動をする人と受け止めました。

 あなたは、エコフェミニストですか? という問いが最後にあります。
 自分ではよくわかりませんが、最近、朝の散歩道で、花や樹木の季節ごとの移り変わりが目に入るようになりました。
 現役をリタイヤして、利潤や成果を追いかけるような生活から離れて、気持ちに余裕ができたのでしょう。歳をとったからわかる自然の風景があります。  

Posted by 熊太郎 at 06:50Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年04月28日

ばあばにえがおをとどけてあげる コーリン・アーヴェリス

ばあばにえがおをとどけてあげる コーリン・アーヴェリス・ぶん イザベル・フォラス・え まつかわまゆみ・やく 評論社

 ひとおとり読みましたが、うーむとなりました。
 自分には合わない内容です。

 おばあさんを大事にする物語です。
 高齢者を大切にしましょうというメッセージはわかります。
 わからないのは、孫がおばあさんを慕う理由です。(したうりゆう:まごむすめはなぜ、おばあさんが好きなのか)
 孫娘のファーンは、ばあばがだいすきだと書いてありますが、ばあばのどういうところが好きなのかが書いてないので、ファーンがばあばに対してもつ愛情のなかみが見えてこないのです。

 孫というものは、簡単に祖父母を好きになってはくれません。
 自分を好きになってもらうためには、祖父母は孫に対して、それなりの投資が必要です。
 おいしい食べ物をあげるとなついてくれます。
 おもちゃなど、欲しがるものを買ってあげると、かなりなついてくれます。
 おこずかいもあげると大喜びしてくれます。
 いっしょに遊んで、絵本も読んであげて、時間と労力をそそがねばなりません。
 良き相談相手となって、なるべく否定せず、うんうんとうなずいてあげねばなりません。
 そういった活動記録が、この絵本のばあばにはいっさいないのです。
 孫娘が一方的に、ばあばのために尽くすのです。(つくすのです)
 親孝行、祖父母孝行の義務を押し付ける教本に思えたのです。
 発想の自由度が狭い。

 おばあさんは、おばあさんというだけでは、孫には、愛されません。
 母親は、こどもを産んだからといって、母親の役割を果たせるわけではありません。
 父親は、生まれてきた自分の赤ちゃんを見ただけで、父親の役割を果たせるわけではありません。
 それぞれ、祖母になる努力、母親になる努力、父親になる努力をしないと、おばあさんにもママにもパパにもなりきれません。

 絵本ですから絵の話です。
 色の選択がきれいな絵本です。
 調和がとれています。
 
 原題は『JOY(ジョイ。喜び)』で、副題が『We‘re going on a JOY hunt!』
 ばあばの「ワァーイ」をさがしにいこう!と書いてあります。

 ファーン:主人公の少女。6歳ぐらい。日本でいうところの小学校一年生か二年生ぐらい。
 おばあさん:60代ぐらいに見えます。わりと細くて上品でお金持ちっぽい。大きな家に住んでいるように見えます。
 スノーボール:ばあばがペットにしているネコの名前。スノーボールは雪合戦の時の雪の玉だと思うのですが、ほかにもいろいろと意味が異なる使い方があるようです。

 『ばあばが、笑わない。』から始まります。以前は笑っていたけれど、今は笑わなくなったのです。
 理由は書いてありません。
 病気なのかもとあります。
 病気なら、うつ病とか、老齢期を迎えての気分低下などが考えられます。物忘れの認知症かもしれません。
 暗い話なので、絵の色合いも無彩色(むさいしょく。白と黒)が基調になっています。
 絵は、人間が人形のようでもありますが、悪くはありません。
 ママが、「ばあばの人生から喜びが消えたみたい」と言います。
 喜びが消えるのは、配偶者や親しい友人・知人などを失ったときか、親族間のトラブルがあるときとか、生活費のやりくりに心配があるときなどが考えられます。
 
 孫娘のファーンは、心が優しい。
 元気のないばあばをなんとか元気にしたい。
 
 公園にいる子犬の絵がかわいい。
 子犬のお鼻がブタみたいだけれど、それはそれでかわいい。
 少女は子犬に「ピョン」と名付けたようです。
 ピョンピョンと飛び跳ねるから「ピョン」です。
 
 アヒルがいる池の水の色がきれいです。
 透きとおったブルーです。
 
 孫娘のファーンは、カウンセラーのようです。
 気持ちが沈んでいるばあばにお話をたくさんして、ばあばの落ち込んだ気持ちを軽くしてくれました。(うーむ。現実的には、話をしてあげるよりも、話を聴いてくれたほうが、お年寄りは喜びます)
 児童文学というよりも社会福祉の本を読んだような読後感がありました。

 人が生きていくのに必要なものは、空気と水、食べ物、そして、コミュニケーション(まわりの人との交流)です。

 だれかを助けたいときは、その人といっしょにいる『時間』をもちます。
 
 バタフライケーキ:イギリスでつくられている春を告げるケーキ。作家さんは、イギリス人です。チョウの形に、みたてたケーキです。
 ただ、絵本では、どれが、バタフライケーキなのかわかりませんでした。  

Posted by 熊太郎 at 06:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年04月26日

ヒカルの碁 第1巻から第23巻

ヒカルの碁 原作・ほったゆみ 漫画・小畑健 監修・梅澤由香里二段 ジャンプコミックス第1巻から第23巻

第1巻から
 幼稚園と小学校低学年の孫たちが囲碁将棋とかチェスに夢中です。
 ヒカルの碁という言葉がかれらの口から出てくるようになりました。
 自分は自分のこどもたちが二十年ぐらい前にテレビで見ていたのを横目でちらりと見たぐらいの知識しかありません。
 第1巻の発行日が、1999年5月5日(平成11年)です。自分は仕事に没頭していました。
 2020年に第36刷まで増刷されています。

 記憶にあるのは、平安時代の貴族の職員みたいな『サイ』という囲碁うちの名人が、幽霊みたいになって現代に現れて、主人公の少年進藤ヒカルという子といっしょに囲碁を打つというものです。
 進藤ヒカルのライバルの男の子の名前は思い出せません。親父さんが立派なプロの囲碁棋士でした。

 自分は囲碁も将棋もよくは知りません。駒の置き方、石の置き方、動きぐらいしか知りません。
 最初は孫たちに勝てていましたが、孫たちが囲碁将棋を習いに行きはじめてからまったく勝てなくなりました。勝てませんが、むしろ喜ばれています。そりゃあ勝ちたいでしょうから。
 せめて、このマンガの内容についてのディスカッションぐらいはできるじいちゃんでいたい。

 進藤ヒカル:小学六年生の主人公として始まります。第2巻を読んでいるところでは、囲碁はどしろうとですが、藤原佐為が言うには、進藤ヒカルには囲碁のものすごい才能があるのです。
 
 進藤ヒカルのじいちゃん:囲碁ができる。自分は囲碁が強いと自慢する。孫の進藤ヒカルと囲碁で勝負して負けてしまい、約束したとおり、よつ足つきの立派な五万円の囲碁盤を買ってあげました。いさぎよい、いいじいちゃんです。(じいちゃんの目には見えない藤原佐為(ふじわらのさい)が進藤ヒカルのうしろで、碁石を置くところを指示しました)

 藤原佐為(ふじわらのさい):わたしは平安時代(794年-1185年/1192年ころ。約390年間)の人間だと思っていましたが違いました。江戸時代後期の人でした。平安の都(京都)で、天皇に囲碁を教えていたそうです。勝負ではめられて、負けて、自死したそうです。この世に思いが残って成仏できないのです。(自分の思いがかなうまで天国にいけない)思いとは、神の一手(いって)を打つことです。

 天保の改革:1841年-1843年。天保の大飢饉が1833年-1839年です。1837年大塩平八郎の乱。老中水野忠邦。財政引き締め。物価抑制。江戸に来た農民の一部を農村に帰した(かえした)。藤原佐為が生きていた時代だそうです。マンガの中では、藤原佐為は、140年前の棋士の霊魂(れいこん。魂(たましい))です。
 アメリカ合衆国のペリーが神奈川県の浦賀に来たのが、1853年。鎖国をしていた江戸幕府に開国の要求がありました。
 明治維新が、1868年です。

 藤原佐為は、クソまじめそうですが、そうでもありません。コミカル(笑いを誘う)でかわいいときもあります。彼は囲碁を打つことが大好きです。ときに、少女のようにもなります。セリフの語尾にハートマーク♡がついたりもします。

 藤崎あかり:1986年生まれ。進藤ヒカルの同級生女子。小学六年生。ドラえもんの「のび太」にとっての源静香ちゃんのポジション。

 加賀鉄男:中学三年生。囲碁をあきらめた将棋棋士。

 筒井公宏(つつい・きみひろ):中学校の三年生で囲碁部長。まじめそうなメガネ君。囲碁部を立ち上げてくれた。マンガ『スラムダンク』におけるメガネ先輩(小暮公延(こぐれ・きみのぶ))のようなポジション。

 金子正子:進藤ヒカルの中学同級生。バレーボール部員だが、囲碁部の活動にも参加する。肝っ玉かあさんの雰囲気で、おとなと賭け碁をしていたやんちゃな三谷祐輝とやりあうところがおもしろい。男子に、負けていません。

 本因坊秀策(ほんいんぼう・しゅうさく):江戸時代の囲碁棋士。囲碁の歴史上一番強いとされる棋士。

 塔矢アキラ(とうや・あきら):進藤ヒカルの同級生。プロ棋士塔矢の息子。彼の言動を読んでいて、性格とか心もちは、自分と共通すると感じました。

 塔矢名人:塔矢アキラのおとうさん。プロ棋士。囲碁の名人。厳格な性格の人に見えます。

 「シチョウ」という戦法を思い出しました。
 先日孫との対局でまんまと自分がはまりました。孫たちは爆笑していました。それは、それでいいのです。わざと負けて喜ばれていましたが、どうにもこうにも勝てなくなりました。喜んでもらえばいい。

 ダメ人間だった主人公が、実は隠れた才能をもつ人間であることがわかって、本人の努力と周囲の助けで立派な人間に成長していくという成長物語です。
 漫画のストーリーをつくるときの効果的なパターンのひとつです。
 すぐに思いつく別のマンガとしてバスケットボール素材にした『スラムダンク』の桜木花道があります。
 読者は、読んでいる自分も才能があるごとく、主人公の行動に引き付けられていって、まるで、自分が主人公であるように思い込んで、感動する気持ちが自分の胸に満ちるのです。

 まあ、囲碁も将棋もゴルフも、なんでも賭け事にできます。
 三谷祐輝(みたにゆうき):碁会所で賭け碁をしていた中学三年生。囲碁部に入る。
 
 インターネットの囲碁のサイトで、世界中の囲碁好きの人と囲碁を打つ。
 そういうシーンをテレビマンガでちらりと見た記憶がよみがえりました。
 亡霊のサイのいうとおりに進藤ヒカルがネットで囲碁をするのです。当然強い。向かうところ、敵なしです。

 押したり引いたりの展開がいい。
 じょうずにつくってある原作です。マンガの絵も見やすい。
 藤原佐為をバックにして、進藤ヒカルがカリスマ化していきます。(カリスマ:神格化。生き神さま。超人的な囲碁で勝つ力をもつ人)
 ライバルが、塔矢アキラで、進藤ヒカルを輝かせてくれます。太陽と月の関係が必要ですが、今はまだ塔矢アキラが太陽の立場です。本当の太陽は、進藤ヒカルです。
 昔読んだ『ガラスの仮面』での、北島マヤと姫川亜弓の関係です。昔、北島マヤと女優の大竹しのぶさんがかぶる印象が自分にはありました。

 和谷義高(わや・よしたか):囲碁を打つ中学生。院生。プロ棋士試験の受験生。院生:プロ囲碁棋士養成所。青少年少女が属する。

 第5巻の最初のほうに出てきたアップルのデスクトップパソコンの形状がなつかしい。iMacアイマックというファッション性が高いスタイルで、ブルーの色が輝いていました。ほかにもガラスのような感じで半透明のカラーがありました。1998年ころでした。
 ああ、そのころ、ヒカルの碁を楽しんだ世代は、いまは、三十代ぐらいのママやパパになっているのでしょう。

 中学生のクラブ活動っていいなあ。
 家にいても楽しいことなんて、なんにもなかった。
 今思い出すと、朝練(あされん)というのがあって、たとえば、吹奏楽部でも、始業前に校舎の敷地で、楽器の演奏をしている女子生徒がたくさんいました。
 当然、野球部を始めとした運動部員も、朝早く登校して、授業が始まる前から体を動かしていました。
 だから、強かったということはあります。練習量の多さが勝利につながります。

 第5巻で、なんとなくただよっているのですが、藤原佐為は、江戸時代の人間ではあるけれど、どうも、やはり、平安時代からこの世にいたようです。
 140年前の江戸時代は、のちに本因坊秀策となる虎次郎の先生であり、その1000年前には、平安時代の京都で囲碁を打っていたようです。

 進藤ヒカルのやんちゃなところがおもしろい。

 フク:院生。ふっくらしている。おだやかで、のんびりタイプ。

 勝負の世界は厳しい。

 越智(おち):院生。小学6年生。

 伊角慎一郎(いすみ・しんいちろう):院生。18歳。院生の上限年齢。プロ試験は30歳まで受験可能とまんがのセリフにあります。

 藤原佐為は、本能寺の変のときも存在していたそうです。(その後、この部分は、しゃれであることがわかりました。その場の雰囲気を盛り上げるためのショートコントみたいなもの)
 1582年6月1日とあります。織田信長さんが、明智光秀さんにやられています。
 このマンガでの本能寺での信長の囲碁シーンは、ちょっとうさんくさい。(かなり疑わしい。信用できない。油断しちゃだめ)

 尾方九段(おがたくだん):プロ棋士。進藤ヒカルに目をかけてくれている(気にしてくれている。才能を認めている。関心をもってくれている)

 白川七段:プロ棋士

 夏目:進藤ヒカルの中学同級生。囲碁部員。

 津田久美子:進藤ヒカルの中学同級生。囲碁部員。

 漫画ですから、理論よりも気持ちが大事な世界です。いやいや、現実社会でも『気持ち』は大事です。信頼関係を裏切らない相手なら気持ちが通じると嬉しくなれます。

 小池:中学1年生男子。進藤ヒカルの学年より一年下。囲碁部員

 バレーボール部員で囲碁部を助けてくれる金子正子さんが優しい。こういう人の存在が大切です。

 真柴(ましば):いやみなプロ棋士男性。最年長院生の伊角をからかう。

 第7巻まで読みました。
 化け物のような強大な力を秘めている(ひめている)進藤ヒカルに、読者はあこがれます。
 自分が、まるで、進藤ヒカルになれたような気持ちになって、まっすぐ立てます。

 門脇:大学生のときに囲碁でいい成績だったが、就職した。しかし、再び囲碁界に復帰をしようとしている。
 久しぶりに藤原佐為が(門脇と)囲碁を打ったのですかっとしました。

 邦画『椿三十郎(主演 三船敏郎)』がらみのような、ひげもじゃの椿さんが出てきます。

 第9巻まできて、なんだかつまらなくなってきたのは、なぜだろうか。
 進藤ヒカルが強くなりすぎてしまいました。
 バスケットマンガ『スラムダンク』も、桜木花道(さくらぎ・はなみち)がへたくそだったころが、一番笑えておもしろかった。
 ここ最近の進藤ヒカルは、いつも強い。

 持碁(じご):引き分け。こちらのマンガでは、わざと持碁になるように打ちます。

 囲碁界の組織とか労働条件とかのような話も出ます。
 資金力があるようには思えません。
 ボランティア的なサポートで成り立っているような気がします。
 
 韓国人の棋士が出てきました。

 藤原佐為(ふじわらのさい)が打つ碁を見てみたい。(第10巻まできました)
 越智君と塔矢アキラがからんできて、緊張感が増します。
 プロになるための試験の合格争いです。
 「第87局 この黒は誰?」が良かった。この黒は、藤原佐為です。
 越智19勝1敗 和谷(わや)18勝2敗 進藤ヒカル17勝3敗 伊角(いすみ)17勝3敗
 どうなるのだろう。

 少し前に読んだ巻では、初期の頃の携帯電話の絵がありました。
 折り畳み式のガラケーが出るもっとずいぶん前です。
 小さくて軽くて薄くて、液晶画面は白黒でした。
 第11巻では、ぶあつくて重たいデスクトップパソコンの絵を見ました。
 ふたをあけて、分解して、ショップで買ってきた部品と交換したりして、たいへん長い時間を費やしたことを思い出しました。
 仕事が休みの平日に自主的に自費でタイピングのしかたを習いにもいきました。
 あの時期があったから、その後の時代の変化になんとかついていけました。
 そんなことを思い出しながら、このマンガを読んでいます。

 進藤ヒカルが、囲碁が上達するにつれて、囲碁を教える立場である藤原佐為(ふじわらのさい)と進藤ヒカルとのお別れが近づいているようです。
 藤原佐為(ふじわらのさい)がマンガからいなくなるとさみしくなります。
 出会いがあれば、別れがあるのが、この世のありようです。永久に同じ状態を保つことは無理なことです。

 師弟関係を思い出します。
 自分の親や祖父母世代は、たいていは、義務教育の中学を卒業すると、家を出て働いて、住み込みだったり、独身寮だったりで、仕事場では、先生役の人がついて、仕事を教えてもらって、同じ仕事を何十年間も続けて生計を維持していくというパターンで、歳をとっていきました。
 師弟で、じゅんぐりに、収入を得るためのポスト(立場)をつないでいきました。
 いろいろと便利になって、形はずいぶん変わりましたが、今も、たいていの基本は、そのパターンだと思います。
 この囲碁マンガでは、師弟関係のことがけっこう強めに書いてあります。
 囲碁界に学歴はいりません。囲碁を打つための実力はいります。師匠もいります。同時期に落語家さんの立川談春さんが書いたエッセイ集「赤めだか」を読んでいたのですが、囲碁界と落語会も似通った部分がありそうです。赤めだか:いくら餌をあげても成長しない金魚。いくらけいこを積んでも上達できない落語家にたとえてあります。

 桑原本因坊:おじいちゃんです。

 タバコの喫煙シーンが多いのが気になります。
 喫煙がいやいやながらも許容されていた二十年以上前の絵です。
 
 藤原佐為(ふじわらのさい)に囲碁を打たせてやりたい。
 されど、進藤ヒカルの腕が上達してしまったので、藤原佐為(ふじわらのさい)が囲碁を打つ機会がないし、読者も見ることができません。いらいらがつのります。
 ふと、気づきました。進藤ヒカルとの別れのあと、藤原佐為(ふじわらのさい)は、また、現世に復活して、だれかにとりつけばいい。50ページなかばすぎ出てきます。
 そう思いながら読んでいると、そのような解釈をするシーンが出てきました。
 藤原佐為(ふじわらのさい)は、神の一手を極めるために、塔矢アキラのお父上であら塔矢行洋名人と囲碁を打ちたい。
 藤原佐為(ふじわらのさい)と塔矢行洋名人との対戦が上手に組まれています。ネットも活用してあります。よく、考えられた手法です。
 93ページは、白熱の一戦です。迫力があります。これを待っていました。
 
 第12巻の142ページにある『御器曽(ごきそ)』は、地名の『御器所(ごきそ)』が由来のような気がします。
 熱田神宮におさめる土器(どき。うつわ)をつくっていたところの地名が『御器所(ごきそ)』でした。
 
 第12巻を読み終えました。おもしろかった。

(つづく)

 第14巻まできました。
 わかる人だけにはわかる『藤原佐為(ふじわらのさい)VS塔矢行洋名人』の囲碁戦です。
 なかなか見ごたえがあります。
 ところが、上には上がいました。
 藤原佐為(ふじわらのさい)よりも、塔矢行洋名人よりも、進藤ヒカルが有能なのです。

 塔矢行洋名人がプロ棋士を引退するという大きな出来事が起こりました。
 引退しても囲碁は打てるという言葉に救われます。
 藤原佐為(ふじわらのさい)が現世からいなくなっても、彼はまたどこかでだれかに出会う可能性があります。
 そういった、そのあたりの考え方(思考)へのもっていきかたがいい。
 「生きていればいい」のです。「生きていること」が大事なのです。
 『時間』に対する考察が深まります。
 
 第15巻まできました。
 今ごろになって、ふと思う。
 塔矢アキラは、なぜおかっぱ頭なのだろうか。
 特徴を出して個性を強調するためなのでしょう。
 たぶん塔矢アキラも進藤ヒカルも今は中学3年生ぐらいでしょう。
 老齢者の自分が思うに、自分が中学生だった頃は、男子中学生は全員が強制的に丸坊主でした。長髪頭の男子中学生はほとんど見かけない日本社会でした。

 進藤ヒカルの囲碁の実力が高くなってきたので、進藤ヒカルと藤原佐為(ふじわらのさい)の別れが近づいてきました。
 ふたりの会話がかみ合わなくなってきました。
 読んでいて、藤原佐為(ふじわらのさい)が消えてほしくないので、進藤ヒカルの藤原佐為(ふじわらのさい)に対する反抗的な態度が、歯がゆく思えます。(思うようにならずもどかしい)

 藤原佐為(ふじわらのさい)がこの世から消えてしまいました。
 さみしくなりました。
 藤原佐為(ふじわらのさい)が、いなくなりました。

 もういちど、藤原佐為(ふじわらのさい)に会いたいなあ。

 進藤ヒカルは、藤原佐為(ふじわらのさい)に会うために、本因坊秀策の生まれ故郷である広島県因島(いんのしま)へ行きます。
 その後、本因坊秀策のお墓があるという東京の巣鴨へもいきます。
 因島は行ったことはありませんが、近くの尾道には行ったことがあります。また、巣鴨の商店街にも行ったことがあるので、そのときのことを思い出しながら本を読みました。

 進藤ヒカルは、藤原佐為(ふじわらのさい)に対する自分の冷たい態度を強く反省します。
 もう囲碁はやめると心を決めてしまいました。
 しばらくは、心の放浪が続きそうです。
 進藤ヒカルには、自分を責めないでとアドバイスを送りたい。藤原佐為(ふじわらのさい)は、なにも後悔はしていないと思います。

 北京の中国棋院で囲碁修行をする伊角慎一郎(いすみ・しんいちろう)です。
 進藤ヒカルとの対戦で反則負けをした過去があります。プロ試験で落選しました。
 北京は行ったことがあるので、これもまた、思い出しながら読みました。
 飛行機で行けば近い距離なのに、政治的には日本とは遠い距離があります。
 
 藤原佐為(ふじわらのさい)に会えない進藤ヒカルは、囲碁を打つことをやめてしまいました。
 囲碁を打たない進藤ヒカルには魅力はありません。
 進藤ヒカルを囲碁界に復帰させるためには、まわりの人たちの力がいります。
 三谷祐輝くん、椿さん、河合さん(碁会所の常連客)などが、イライラします。

 体が覚えています。
 心でイヤだと思っていても、体が自然と向かっていくということはあります。
 そして、伊角慎一郎さんが登場します。進藤ヒカルに反則負けをした人です。正直に自分が反則をしたことを申告した誠実な人です。
 ここは、この物語のキモ(重要なポイント)です。
 伊角慎一郎さんの名言があります。『プロ試験は目標だけれどゴールじゃない』
 進藤ヒカルが囲碁から遠ざかっていたブランク(空白期間)は、実力が落ちる原因です。毎日やらなければ、力は低下します。
 ようやく、進藤ヒカルが復活しました。
 藤原佐為(ふじわらのさい)は、進藤ヒカルの体の中にいることが、進藤ヒカルに自覚できたのです。

 桑原本因坊は、心がでかい人です。

 藤原佐為(ふじわらのさい)と進藤ヒカルの囲碁打ち技術が重なる進藤ヒカルは、塔矢アキラからみれば、二重人格です。
 塔矢アキラが知らないことを、読者は知っています。
 進藤ヒカルにとっての藤原佐為(ふじわらのさい)は、のび太にとってのドラえもんのようなものなのだなあ。

 第18巻 番外編 この巻の内容は異質でした。藤原佐為(ふじわらのさい)が姿を消したので、物語の節目にしたのでしょう。
 ひと息ついて、塔矢アキラの昔話。小学生のころの塔矢アキラのことでした。
 あとは、まあ、囲碁、将棋、麻雀とギャンブル(賭け事)扱いですな。まあ、いいけど。
 タバコの煙むんむん、薄暗いところで、おじさんたちがお札をつまんで金のやりとりをしています。劇画のようです。小学生の読者には読ませづらいけれど、こういう世界もあるということを表してもいい。きれいごとばかりを教えていたらこどもの心は壊れてしまいます。
 倉田厚プロに似ている知り合いがいます。太っていて、ギャンブルに強くて、絵がよく似ています。
 競馬も出てきました。

 第19巻まできました。
 『神の一手(いって)』の定義がわかりませんが、言葉はかっこいい。人間にはなかなか気づけない逆転の一手なのでしょう。実力による階級社会があります。
 お話は、囲碁の戦い、物語はこれから、日本、中国、韓国の棋士たちの戦いの世界へと続いていくようです。
 対立していた進藤ヒカルと塔矢アキラは仲間の関係に変化します。
 もうふたりの緊張感のある関係は終わりました。
 進藤ヒカルと藤原佐為(ふじわらのさい)の幻想的な関係もなくなってしまいました。
 もう、読むのはやめようかという気持ちになります。

 進藤ヒカルと塔矢アキラは、囲碁キチガイのようになります。
 働く人にみられる仕事キチガイみたいな人間像です。
 
 勝ったり負けたりが『勝負』ですが、進藤ヒカルも塔矢アキラも全戦全勝のような勢いになります。それはそれで、スカッともしますが、退屈でつまらないことでもあります。
 押したり引いたりがないと、感動が生まれません。

 学歴の話が出ます。高校へは行かない進藤ヒカルと塔矢アキラです。
 学歴は、資格です。資格が必要な職業に就くつもりの人が進学すればいいのです。

 第20巻の71ページ『第160局 一瞬の気後れ』の部分は、カラーページが続きます。
 とてもきれいです。見やすい。カラーになったので、びっくりしました。
 
 緒方先生はタバコばっかり吸っています。
 進藤ヒカルの中学校卒業式風景が出てきてました。
 藤原佐為(ふじわらのさい)がいなくなって、おもしろみが薄れてきたので、第23巻まで流し読みをしようかと思っていた矢先に、強く気持ちを引っぱられる部分にぶち当たりました。
 
 第165局『2手目天元』の部分です。
 囲碁のことはわかりませんが、迫力があります。
 相手が初手で(しょてで。初めて打つ位置)、「5の五」という点に黒石を打ちました。異例なことだそうです。これに対して、進藤ヒカルが、囲碁盤のどまんなかの点(天元(てんげん))に打ち返しました。これからさき、どうなるのだろう。

 第20巻を読みながら感じたことです。
 登場人物のキャラクターを大切にされていることが伝わってきました。
 越智康介(おち・こうすけ)くんのところでそう思いました。

 第21巻です。
 読み手が興奮するようにじょうずに話を組み上げてあります。
 ストーリー作成のうえで、討論・議論があったのでしょう。
 スーパーマンみたいな棋士がいっぱいいます。
 日本、中国、韓国の年齢的には中学・高校生たちのチーム対抗戦です。
 台湾チームはいないのか。
 54ページに別の枠で台湾の話が出てきました。

 塔矢行洋名人が、藤原佐為(ふじわらのさい)と対面しているようなシーンがありますが、深くは触れられていません。

 韓国チームの選手が、本因坊秀策をみくだすような発言をしますが、その部分の表現はちょっとまずいんじゃなかろうか。韓国の人が見たら、腹を立てるような気がします。(次の第22巻で、ややこしい表現で打ち消してありますが、言い訳のしかたが、失敗しているのではなかろうか)

(つづく)

 最終巻(第23巻)まで読み終わりました。
 何か力が抜けたような終わり方になってしまいました。
 もっとも、藤原佐為(ふじわらのさい)がいなくなった時点で、自分の気持ちの中では、物語は終わってしまいました。  

Posted by 熊太郎 at 07:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年04月25日

おすしやさんにいらっしゃい! 生きものが食べものになるまで

おすしやさんにいらっしゃい! 生きものが食べものになるまで おかだだいすけ・文 遠藤宏・写真 岩崎書店

 いわゆる写真絵本の形式です。
 表紙に『キンメダイ』がいます。
 キンメダイではありませんが、昔、自分のこどもたちに、かみさんが、アカウオの料理を出したら、色がグロテスクで気持ち悪くて食べにくいと言ったことを思い出しました。
 自分は、おなかがすいていたら、見た目など関係なくかぶりついていた子ども時代だったので、食べ物の見た目が気になるのかと不思議でした。
 
 写真がきれいです。こどもさんたちを中心にして、人物が生き生きとしています。
 裏表紙のお魚などの絵は、タレントのさかなクンが描いたような筆致(ひっち。筆さばき)で、いい絵です。写真に出ているこどもさんが描いた絵だろうかと最初は思いましたが、そうではないのでしょう。プロの方が描かれたのでしょう。

 「ローカル路線バス乗り継ぎ人情旅」のえびすよしかずさんを思い出しました。
 熊本県の島で生れて、長崎県で育った方なのに、食事では、魚介類がにがてです。(世の中では、けっこう、生ものがにがてな人は多い)
 えびすよしかずさんは、魚料理を、『魚の死体』と表現します。
 それでは、おいしく味わえません。

 本に登場するのは、三種類の食材です。
 『キンメダイ』『アナゴ』『イカ』
 けっこう、高級魚ばかりです。
 自分がこどものころに食べていたのは、イワシ、アジ、サバばかりでした。カワハギも食べていました。
 自分が小学一年生の時は、乾燥させたカワハギの皮で、鉛筆の芯をといでいました。もちろん肥後守(ひごのかみ)という小刀(こがたな)で鉛筆を削っていました。
 思い出すに、自分がマグロを食べたのは、就職して自分で給料をもらうようになってからでした。牛肉も就職して、初めて食べました。いつも、『かしわ』という鳥肉を食べていました。
 祖母がつくってくれる誕生日のお祝いがとんかつで、豚肉でした。
 学校給食のカレーの肉は、牛肉ではなかったと思います。

 メガネをかけた賢そうな(かしこそうな)男の子がふたりいます。

 写真では、キンメダイの目が金色に輝きます。
 ほーっ。知らなかった。目が金色になるんだ。
 キンメダイの顔を正面から見ます。
 おもしろい。口を広げて歯を見ます。
 せびれ、あご、うろこ、えら、いろいろ見ます。

 人間の食べ物になってくれる生き物に感謝しようという気持ちになります。

 キンメダイのメスは、おなかの中に、オレンジ色のたまごがある。
 キンメダイのオスは、おなかの中に、白いしらこがある。(しらこ:精巣(せいそう)。精子というこどもの種をつくるところ)

 小学校で習う理科での、フナの解剖をしているようです。
 食物連鎖があります。(しょくもつれんさ:生き物は順番に相手を食べている)
 キンメダイの胃袋には、小魚とか、小さなエビとか、ダンゴムシみたいなものが入っていました。
 
 キンメダイの三枚おろしのシーンが出てきました。
 からだをお肉とお肉とぺったんこの骨の部分に分けます。片身二枚と中骨部分です。
 骨抜きという作業は、たいへん細かくていねいにしなければならない仕事です。

 次の登場が『アナゴ』です。
 うなぎみたいです。
 写真を見て意外でした。
 もっと鋭くて(するどくて)凶暴な(きょうぼうな)歯をもっている魚だと思っていました。
 ああ、わかりました。『ウツボ』と勘違い(かんちがい)をしていました。

 お寿司屋のさんのお話ですから、お寿司用の酢飯(すめし)の写真が出てきます。
 先日テレビで見た『出没!アド街ック天国』で紹介された銀座の隣にある「新富町(しんとみちょう)」というところのお寿司屋さんのお寿司のごはんつぶが茶色をしていて、しょうゆでもしみこませてあるのだろうかと家族と話をしながら画面を見ていたことを思い出しました。
 この本の26ページに『黒米(くろまい)』と紹介があります。黒米というお米を混ぜてつくったすめしの色です。すめし:お寿司用のごはんつぶ。酢、塩、砂糖などが使われている。

 最後が『イカ』です。
 この写真絵本は、おもしろい。
 親子で読み聞かせをしながら読むと、話がはずみそうです。
 世の中は利潤の追求ばかりをする理屈優先の考え方で回っています。
 人間本来がもっている生き方は『気持ちが優先』です。
 せめて、本読みのなかだけでも、人間本来の性質を維持していたい。

 自分がこどものころは、タコの足は8本、イカの足は10本と言っていました。
 本の写真を見ると、イカの足10本のうちの2本だけがとくに長い。知りませんでした。
 写真のお寿司屋さんは、イカの足のことを足とは言わずに『うで』と呼んでいます。そうなのか。
 長い2本のうでで、魚の体を巻き付けて、うでの根っこにある口まで運ぶそうです。知りませんでした。
 60年以上の長いこと人間をやってきましたが、まだまだ知らないことがいっぱいありそうです。

 イカスミの解説があります。
 いろんな食材に黒色を強調するために使われています。
 黒いからちょっと警戒しますが、食べてもだいじょうぶです。
 人体には、無害です。

 『いただきます』と『ごちそうさまでした』はだいじです。
 食べ物に感謝するのです。

(その後)
 この本を読んだ翌日、いつも行くスーパーマーケットのお魚コーナーで、キンメダイの切り身がパックに入れられて売られていました。消費税別で、698円でした。
 角度を変えながら、キンメダイの大きな目を見ていたら、この本に書いてあったとおり、目玉が金色に光って見えました。

(さらにその後)
 スーパーマーケットに行ったらキンメダイではありませんがキンメダイの色に似たアカウオが『土日特売』で、消費税別378円で売られていました。そのそばに、さらに安い消費税別298円が置いてありました。
 かみさんが、きょうの晩ごはんのおかずは、アカウオだけど、こないだ買ったものが冷蔵庫にあるから、それを食べると言いました。値段を聞いたら298円でした。夕食のときに焼き魚で食べました。身がぶあつくて、油がのっていておいしかったです。

(またその後)
 小学校低学年の孫に、うちのかみさんが、夜寝るときに読み聞かせをしたところ、この本の内容にかなり強い興味をもっていました。こどもにとって、関心が高い分野の世界です。

(またまたその後)
 番組『チコちゃんに叱られる!』をみていたところ、「ネコの目は夜暗い中でなぜ光るのか?」という質問に、目の中にタペタムという反射板があるからと回答がなされていました。
 もしやと思い立ち調べたところ、やはり、キンメダイの目にも、タペタム(反射板)がありました。光る眼の理由に納得しました。  

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2022年04月23日

六人の嘘つきな大学生 浅倉秋成

六人の嘘つきな大学生 浅倉秋成(あさくら・あきなり) 角川書店

 本屋大賞がらみの番組で紹介されていました。
 別の作品が大賞に選ばれたようです。
 以前自分も本屋大賞の候補作を全部読んでいた時期があります。
 自分がいいと思った作品が大賞に選ばれたことはありませんでした。
 選考者は、すべての本を読んでいなのではないかという疑問を今ももち続けています。

 さて本作品です。
 2011年の出来事です。東日本大震災が起こったあとの時期になっています。
 35ページまで読んだところで、感想を書き始めます。
 かなりの文章量です。299ページあります。

 6人の大学生ですから、6人を紹介します。
 受ける会社が渋谷駅前21階にあるという2009年設立『スピラリンクス』SNSの会社。
 初任給50万円だそうですが、それはちょっと怪しい(あやしい)会社です。
 一か月後の4月27日に、チームディスカッションで採用を決定するそうな。
 6人全員採用ということもあるそうな。(おかしな会社です)

①波多野祥吾:この物語の進行役。これから思い出を語るというところから始まります。就職活動をしている大学生たちのお話です。立教大学。

②嶌衣織(しま・いおり):早稲田大学社会学部。美人。清純派女優タイプ。(全体を通して読みにくかったこととして、この人のみょうじがあります。嶌(しま)さんなのですが、無意識に、蔦さん(つた)さんと読み違えてしまうのです。普通の漢字にしてほしかった「島」)

③九賀蒼太(くが・そうた):慶応大学総合政策学部。上野にレンタルオフィスがあることをみんなに紹介した。好きな言葉が『フェア』

④袴田亮(はかまだ・あきら):明治大学。187cm。人間を分類する。『リーダ部門(九賀蒼太』『参謀部門(波多野祥吾)』『最優秀選手部門(袴田亮)』『データ収集部門(森久保公彦)』『グローバル部門&人脈部門(矢代つばさ)』

⑤矢代つばさ:美人。ファッションモデルタイプ。ファミレスでバイトをしている。お茶の水女子大学。海外のSNS事情を調べた。

⑥森久保公彦(もりくぼ・きみひこ):一橋大学。スピラに関する資料を大量に収集していた。

 これから就職する人たちの話です。
 なんというか、就職してからのほうが、困難が長い。
 作者の実体験が下地なのだろうか。
 仕事というものは、採用されてからが「本番」です。

 文章から考えると、会社の利潤を追い求めるための優秀な人工知能ロボットになってくれる人材を選考する試験に思えます。
 サラリーマンというものは、一般的には、低賃金で、とても長く、一生を縛られます。途中、住宅ローンを背負ったりもします。仕事を辞めたくてもやめられない奴隷のような拘束された立場になります。見返りは、年金や、医療、介護などの保険の充実です。社会保障の権利を取得できます。

 人事部長が、鴻上さん。(こうがみさん)

 みなさん、素晴らしき学歴ですが、世の中には、ウソの学歴を言う人がいます。
 そういう人をこれまでに何人か見たことがあります。
 ウソの学歴を言う人は、ほかのことでもウソをつきます。

 メンバーたちに、「生活臭」がありません。

 クラッシャー:就活試験のグループディスカッションで、実力もないのに、全体を仕切ろうとする人間のこと。無駄な時間となる。

 ES:エントリーシート。就職活動における会社への応募書類。

 相楽ハルキ(さがら・はるき):歌手。薬物使用で逮捕された。

 『東日本大震災の発災により、採用人員数を一名とする。』
 2時間30分かけるグループディスカッションの議題を『6人の中で誰が最も内定にふさわしいか』に変更するそうです。議論の結果を尊重して、選ばれた人を内定するそうです。
 考えられません。あり得ません。いい加減な会社です。さっさと見切りをつけたほうがいい。採用の判断をするのは会社側の人間であって、申し込みをした人間ではありません。
 (もしかしたら、この設定に納得がいかず、この時点で、読書を打ち切る人がいるかもしれません)

 このまま話が続くことに幼さを感じます。いまどきの若者のはっきりしない態度があります。おおぜいで、イルカのようにつるむ。同調する。自分の意思はもたない。つまらなくなりました。

 時間は突然飛んで、2019年になりました。
 ふりかえりの記述になります。

 ディスカッションでトラブルがあったらしい。
 人が死んでいるらしい。

 だれが内定者にふさわしいかという投票を30分ごとに手を上げて6回行う。
 自分に投票することはできない。

 64ページにあるような新聞記事は、現実には新聞には出ません。
 プライバシーの侵害です。
 社会的に大きな問題になります。

 まるでロシアみたい。あった事実をなかったと表現します。
 「フェイク」→「デマ(虚偽の情報)」

 登場人物たちは口が達者です。理論づけた長時間のおしゃべりが上手です。
 人間はこんなふうには会話をしません。
 頭の中ではいろいろ考えが渦巻いていても、無口で無言の時間帯が多い。

 人間の悪い面をあぶりだします。
 この世は誤解と錯覚で成り立っています。
 上手に詐欺的行為(さぎてきこうい)をなしとげた者に富が集まります。
 利益獲得のために、関係者に暗示をかけるのです。

 水天宮前駅(すいてんぐうまええき):東京都中央区日本橋にある駅。東京地下鉄半蔵門線の駅。(東京メトロ)

 キチガイみたいな人がいっぱいいます。

 どんなウソが列挙されるのだろうかということが、興味のポイントになりました。

 いっぺんに全部の封筒を開ければいいのに、ある意味、みんな仲間です。悪の一味(いちみ。悪い意味で同類の仲間)なのです。

 推理小説です。

 良かったセリフとして『最悪だよ、最悪だ!』

 SNSで特定個人の悪事を集めるわけか。

 132ページあたりからおもしろくなってきました。
 隠れていた秘密が明るみに出てきます。

 この本はだれが読むのだろう。読者層はどのあたりだろう。
 すでに働いている一般人は読まないと思います。
 これから就職する大学生が読むのでしょう。

 唆かす:そそのかす。読めませんでした。その気にさせて悪いほうへしむける。

 『嘘つき学生と、嘘つき企業の、意味のない情報交換-それが就活』
 ふだんの仕事でも、時間つぶしの、自己満足の仕事というのもあります。仕事をしているふりが仕事ということもあります。

 波多野芳恵(よしえ):波多野祥吾の妹。

 鈴江真希(すずえまき):嶌衣織(しま・いおり)の職場での後輩。部下のような存在。

 朝霞台(あさかだい):埼玉県朝霞市(あさかし)にある地名。

 悪性リンパ腫:白血球の中のリンパ球ががん化したもの。

 200ページ付近を読んでいます。全体で299ページあります。
 もう終わったことです。しかも10年も前のことです。
 蒸し返しても過去は変わりません。(いったん結末を迎えたものを再調査する)

 スミノフ:ウォカのブランド(酒)

 射幸心(しゃこうしん):まぐれ当たりを期待する気持ち。偶然の利益を期待する。

 川島和哉(かわしま・かずや):久賀蒼太の尊敬する同級生。能力が高い。

 スティーブ・ジョブズ:1955年(日本だと昭和30年)-2011年(平成23年) 56歳病死 アメリカ合衆国の実業家 アップルの共同創業者のひとり。

 デキャンタ:ワインなどを入れる容器。ガラス製容器。

 スペインバル:スペイン語で、居酒屋、酒場、軽食喫茶店

 失敗はだれにでもあります。

 インセンティブ:成果報酬。報奨金。上乗せ支給される金銭、賃金。

 採用面接の考査項目として、『アティチュード(態度、心構え)』『インテリジェンス(知性、知能、理解力)』『オネスティ(正直、誠実、率直)』『エア(自分には意味不明です。空気を読めるかということだろうか)』『フレキシビリティ(柔軟性、融通性)』

 PDCA:プラン(計画)、ドゥー(実行)、チェック(点検、評価)、アクション(改善)のことでしょう。

 面接採用試験の選考方法に、いろいろ苦言があるようですが、面接時の感覚を数値化して、比較するしかありません。

 なにをするにしても『運』はつきものです。だから、運命という言葉があるのでしょう。
 合格したから良かったというのは、その瞬間だけのことで、明るい未来が保障されたわけでもありません。運が良くなるように、日々、コツコツと努力して積み上げていくのです。
 
 ショッキングな結末付近です。
 書き手としては、『恐怖』の状態をつくる最後半部です。
 いくつかの伏線が回収されていきます。
 
 全体的にくどくて(濃密な筆致)、文章の文字数が多かったことが、読書の苦痛でした。
 文字数を減らしても、推理の楽しさは伝わってきたと思います。
 260ページ付近、お見事なつくり(みごと。価値のある)と、展開とゴールでした。
 犯行理由はあっけなく拍子抜けしました。
 犯人は、こどもの世界にいたのです。
 おとなは、グレーゾーンで生きています。
 いつまでもこどもの世界にいたいピーターパンを思い出しました。おとなになりたくない。
 いいところもあるし、そうでないところもある。全体の幸せを夢みて、気持ちに折り合いをつけて、相手や物事を受け入れるのが、おとなの世界です。

 最後の最後の部分は(だめおしのような)ないほうが、さわやかな終わり方でよかった。
 282ページ付近までいくと、どうなのかなあという疑問が生まれます。
 『悪』を擁護(ようご。かばう)ところにまで至ってしまいます。

 290ページ付近では、洋画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンが、なぜが脳裏に浮かびました。過去のことを延々と回想して悲しみと喜びにひたるのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:04Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年04月22日

変な家 雨穴(うけつ)

変な家 雨穴(うけつ) 飛鳥新社

 少し前に話題になった本です。
 映画化もされるようです。
 テレビの「家、ついて行ってイイですか?」という番組を観ていたら、訪問した家の本棚にこの本が置いてあるのが映像の中に見えて、自分も読んでみようと思いました。

 表紙をめくって数ページのところに二階建て家屋の見取り図があります。平面図です。
 変な間取りの家です。
 二階の配置がとくにおかしい。
 子どもの虐待をしているのではないかという疑いがあります。(読み始めた最初のほうのページにその件の話が出てきました)
 こどもを閉じ込めておくための子ども部屋と思われてもしかたがない間取りです。

 『ルーム』という洋画を思い出しました。
 五歳の男児とともに監禁された母子のストーリーでした。
 逃げられない恐怖がありました。

 筆者:氏名不詳の登場人物主人公のひとり語りという形式で謎解きが進行していきます。筆者は、オカルト専門のフリーライターだそうです。

 柳岡さん:筆者の知人。編集プロダクションの営業マン。一軒家購入の希望あり。
 柳岡さんが購入を希望する戸建ての間取りに不可解な空間があります。
 不必要な密封、あるいは、密閉となる空間があります。
 窓がない部屋あります。
 
 栗原さん:筆者の知人。設計士。東京都世田谷区でアパート住まい。

 間取りの提示がある家の前の住人は、夫婦と小さな子供という三人家族だそうです。

 徐々に疑問点に関する考察が進んで、今まで見えなかったものが見えるようになってきました。
 しかし、それが、正確な事実を示しているというまでの確証は、読み手の自分には、ありません。

 こうなると、最後は、「恐怖」を通り過ぎて、「お笑い」で締めるのが、物語の構成の公式ではなかろうか。(そうはなりませんでした)

 『殺し屋』
 
 34ページまできて思うのは、子供なんて、最初からいなかったんじゃないか。(読み終えて、あてがはずれました)
 
 宮江柚希(みやえ・ゆずき):二十代半ばの事務職会社員女性らしい。埼玉県のマンションでひとり暮らし中。
 第一の家の住人によって、夫(宮江恭一きょういち。2016年から行方不明)が殺されたかもしれないという話があります。

 第二の家が登場します。
 
 平面図だけではなく、家の立面図も見てみたい。

 子供がおとなを殺害することは、体の大きさ、体格、腕力、殺すという意思の強さ・心もちからいってむずかしい。

 片淵(かたぶち):第一の家の住人だった人。

 第一の家:東京都内の物件。一年ちょい前にできた新築の家。前の住人は一年で手離して、現在は空き家になっている。
 その家の近くの雑木林で、バラバラ死体が埋められていたのが発見された。(死体で、左手首の部分だけが見つからない)

 第二の家:埼玉県内の物件。2016年築。
 2018年3月に中古物件として、売り出されている。

 『育児』と『殺人』の両立。
 家がもつ光と闇。

 (読みながら思うのは、もしかしたら、「筆者」が犯人かもしれない(違っていました))

 片淵綾乃:夫がいる。

 祖父:片淵重治(かたぶち・しげはる)
 祖母:片淵文乃(かたぶち・ふみの)
 叔母:片淵美咲

 部屋に窓がない。

 (織田信長が命を落とした本能寺にあったという、逃げ道としての地下道の話を思い出しました)

 日本史では、大和朝廷の時代から、親族間の権力闘争で、いくつもの争いが発生してきました。
 親族仲良くというのは、絵空事なのです。
 利害関係が交錯すれば、親子、兄弟姉妹、叔父叔母、甥姪を巻き込んで闘争が始まるのです。
 相続での争いがあります。正妻の子。愛人の子がいます。

 洗脳:心の動きをコントロールされる。

 片淵柚希の母親:片淵喜江(かたぶち・よしえ。旧姓松岡)

 左手供養なるもの。

 途中の文章は、人と人との会話をとおしたドラマ進行ではなく、「説明」になっています。

 謎の呪術師『蘭鏡(らんきょう)』

 左手がない子供。
 どうなのだろう。障害がらみで、問題視されそうな作品に見えます。

 片淵弥生:片淵喜江の祖母

 そういうことか。
 悲劇があります。

 読み終えて、爽快な気分にはなりがたい。
 イヤミスです。(読後、イヤな気持ちになるミステリー)
 かなり複雑でした。なんどもメモをしながら、理解しました。
 読み終えて時間が経ちましたが、いまだに腹に落ちていないこともあります。
 (心から納得がいくまでに至れない)  

Posted by 熊太郎 at 07:16Comments(0)TrackBack(0)読書感想文