2022年03月31日

映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争

映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 リトルスターウォーズ2021 映画館

 孫のちびっこたちといっしょに映画館へ観に行ってきました。
 筋立てはむずかしく、こどもにもおとなにもわかりにくいものでしたが、Aが理不尽(りふじん。理屈に合わない)にBを攻撃して、ドラえもんチームが、Bを助けるという骨格でした。
 ドラえもんチームがじんわり、負けていくのですが、どたんばで一発逆転という展開は、大昔から引き継がれている感動を生む筋立てで、爽快感がありました。
 とくに、しずかちゃんとスネ夫くんががんばってくれました。
 孫たちの内(うち)のひとりは、かなり興奮して、座席の上で体をがんがんジャンプさせて喜んでいました。途中で、大笑いするときもあり、見せに連れて行って良かったと安どしました。

 もう半世紀以上昔のことですが、自分が初めて映画を観たのも、この子たちと同じような年齢のころでした。
 ただし、自分が観た時は、快適な映画館ではなく、小学校が夏休み中に、近所の広っぱで、夕方暗くなってから、白布が張られたスクリーンに外国映画が流されました。野外上映です。
 たしか、赤い風船というようなタイトルで、小学生ぐらいの少年が、ひたすら空中を飛ぶ赤い風船を追いかけながら、旅をするようにヨーロッパ国内を移動していく内容だったという記憶がかすかに残っています。
 言葉は、外国語で、何を言っているのは理解できませんでした。日本語字幕はあったかどう覚えていませんが、自分としては、なかったような記憶です。まあ、不確かな記憶です。

 ドラえもんのこの映画では、いきなり戦争シーンから始まります。
 兵器である戦車とかミサイルが出てきて、爆発とか爆破シーンがあります。
 時節柄、複雑な心境で観始めました。ウクライナとロシアのごたごたです。
 もうお互いに停戦してほしい。
 お互いに、もうこれ以上の死者を出さないようにしてほしい。
 先日観たテレビの番組では、ウクライナに住んでいる人が『(このことを)絶対に忘れない』『(相手を)絶対に許さない』と強い憎しみを表現されていました。無理もありません。
 されど、ロシアの若い兵士たちもたくさん亡くなっているはずです。若い息子が死んだら、親は泣きます。
 乱暴で不誠実で、結果に対する深い考えがない行動をするロシアの大統領をだれも止めることができません。
 事なかれ主義が原因なのだろうかと考えています。(無言を貫いて、おとなしくして、自分に被害が及ばないようにする)

 この冬の期間にドラえもんのコミック全巻第0巻から45巻までを読みました。
 コミックマンガと映画の雰囲気はかなり違います。
 映画は大迫力です。
 バックグラウンドミュージックの音がでかすぎて、ときおりいやになりましたが、こどもたちにとっては快感があるのかもしれません。とくに、ドラムの音に迫力がありました。

 途中で、もうおじいちゃんになってしまったコーラスグループのビリーバンバンの歌が流れてきたときにはびっくりしました。そういえば、この間、テレビ番組『徹子の部屋』で、おふたりをお見かけしました。きれいで、胸にじんとくる心地よい歌声です。

 へっぽこメンバーたちが、がんばりました。
 良かったセリフとして、味方をしてあげた宇宙人がドラえもんたちに『また、会いましょう』と言ってくれたこと。

 『進撃の巨人』とか『ガリバー旅行記』が頭に浮かびました。
 なるほど、という納得できる勝利がありました。  

2022年03月30日

グッド・ウィル・ハンティング アメリカ映画

グッド・ウィル・ハンティング 1997年アメリカ映画 R15+ 2時間6分 動画配信サービス

 いい映画でした。初めて見ました。今年観て良かった一本です。
 映画が公開された1997年当時の自分は、必死で働いていたので(確か土日勤務の平日休み)、映画館には行けていませんでした。

 タイトルの意味です。自分なりの解釈です。
 ウィル・ハンティングが、主人公の氏名です。そこにグッドを付けて、鑑賞後の感想からいくと、(君は何も悪くない。なあ、ウィル・ハンティング君)となります。

 もうすぐ21歳の誕生日を迎える数学の天才がいます。(ウィル・ハンティング)
 ただし、彼は、親に捨てられて、里親に虐待されてこき使われて、今は清掃会社で大学構内の清掃仕事をしています。いろいろ暴力がらみの事件を起こして、今は、仮釈放中のような身分です。彼の素行や心もちはすさんでいます。

 たまたま、彼の抜群な数学的能力が発見されます。
 発見したのが、数学の大学教授ジェラルド・ランボー
 ウィル・ハンティングの更生(こうせい。人の道を教えて導く)にあたるのが、大学心理学の先生であるショーン・マグワイアです。
 そして、ウィル・ハンティングの恋人になるのが、ハーバード大学の大学生であるスカイラーです。

 素行の良くない若い男たちが群れています。
 当然、暴力が日常の出来事です。相手のあごと、みぞおちと、後頭部にパンチの荒らしです
 下ネタも続きます。
 天才ウィル・ハンティングは、荒れた生活を悪い仲間と送っています。
 彼はスラムが好きです。(貧困街)
 
 じょうずにできた脚本です。
 爽快感があります。

 ウィル・ハンティング、君は何者なんだ。
 彼の言葉です。『(自分は)自分で物を考えている。(あなたは、他人が考えて文章にしたことを盗用している)』
 
 夜、雨に濡れている路上のリアルな雰囲気がただよっているシーンがいい。
 カメラ撮影のしかたが優れています。
 撮影場所の選び方が上手です。

 昔観た『レインマン』を思い出しました。ダスティン・ホフマンが、脳に障害をもちながらも、天才的な記憶力をもつ施設長期入所者を演じます。

 人間と人間が、強く、激しくぶつかり合う映画です。
 師匠と弟子、恋人同士、悪友の尊い友情
 だれもが、心に傷をもっています。愛する妻を病気で早くに亡くした心理学の先生、自分の能力に限界を感じている数学の先生、父親が遺(のこ)してくれた多額の遺産はあるけれど、13歳のときに父と死に別れ、父のことが忘れられない娘。お金はいらない。父親に会いたいという懇願があります。
 生い立ちに恵まれず、自分は学力不足、家庭にも恵まれず、鳴かず飛ばず(たいしたことない)の人生しか送れないと、自分の人生をあきらめている友人。
 心がつらいのは、親に捨てられて、里親に性的虐待をされたウィル・ハンティングだけじゃないというメッセージがあります。

 思うに、人間というのは、それぞれ、なんらかの役割を与えられて、この世に生まれてきているような気がします。
 だから、生まれたとたん、いろんなものが各自にくっついています。たいていは、苦労が伴う境遇です。お金持ちのところに生まれたからといって、楽ができるわけではありません。貧乏な家に生まれてきたからといって、一生貧乏が決定されたわけでもありません。
 自分が生れてきた役割を悟り(さとり)、がまんと努力をして、自分の役割を果たしていく。人生の指針(ししん。めざすべきよりどころと目標)があります。

 映像の中では、骨董品のようなぶ厚い規格の古いタイプであるデスクトップパソコンが机の上に載せられています。なつかしい。

 ウィル・ハンティング青年は、勉強はできても、人間ができていませんでした。
 ウィル・ハンティング青年は、攻撃はできても、守備はできていない。劇中にもありますが、彼は、とにかく相手にまずしゃべらせて、相手がしゃべったことを否定し続ける話法です。ああ言えば、こう言うだけの人間性しかありません。

 タバコばっかりのシーンには嫌気がさしました。
 下ネタも多い。だから、R+15なのね。

 前半は、女優さんとのからみが少なかったのですが、だんだん濃密になっていきます。
 恋愛映画だったのか。
 ウィル・ハンティング青年は、天才だけれど、ダメ人間です。
 女優さんが力いっぱいの演技をします。たいしたものです。

 親友の言葉も重くて熱い。『才能をムダにする人間は許せない(自分も才能が欲しい。だけど、自分には才能がない)』

 ウィル・ハンティングの言葉『おれを許して』

 男同士友情のハグをしているときに先生が『尻をなでるなよ』笑いました。

 旅に出て、何かを書く。
 ウィル・ハンティングは、ようやく旅立てたか。それまでは、意気がるばかりで、自立心の低い男でした。(自分は立派な人間だといいふらす人間)  

2022年03月28日

そして旅にいる 加藤千恵 

そして旅にいる 加藤千恵 幻冬舎

 お笑いコンビオードリーの若林正恭さんの本を読んだ時に書いてあったお名前です。若林正恭さんは、西加奈子さんと加藤千恵さんとお酒を飲むことがあるそうです。読んだ本の書名は『ナナメの夕暮れ』文春文庫です。
 西加奈子さんの本は何冊か読みました。加藤千恵さんという方は知らないので、この本を読み始めました。

 旅行記、エッセイ(随筆)だと思っていました。
 行き先が、ハワイ(自分は行ったことがない。いつかは行きたい)、千葉市にある動物公園(用事があって何度も行きました)、香港(行ったことはありませんが、もう1990年代までの香港を見ることは無理なようです。1997年に英国から中国に返還)、北海道(二度行ったことがあります)、大阪(行ったことはありますがあまり縁がありません)、伊豆(何度か行きました)、ニュージーランド(行ったことはありません。たぶん行くことはないでしょう)、ミヤンマー(軍事政権が民主政治に圧力をかけて、たいへんなことになっています)

 自分が知っている場所の記事が出てきたらと楽しみに読み始めましたが、なんだか、ようすがおかしいのです。
 だいぶ読んでからわかりました。この本は、旅行ガイドブックではないのです。
 小説、とくに、男女の恋愛小説です。
 短編が8本おさめられているわけです。
 2019年初版の単行本です。

第1話 約束のまだ途中 ハワイ
 まだ若かったころの自分が『ハワイ貯金』という貯金をしていたことを思い出しました。
 貧困生活だったため新婚旅行でハワイに行けなかったことが後悔としてあって、少しずつ貯金をして、結婚10周年記念で家族そろってハワイ旅行に行こうと決心しました。
 毎週1000円ずつ、郵便局へ行って、ATMで通帳に入金を続けました。ボーナスのときは、多めに入金しました。かなり長い年数、そうやって貯金を続けました。
 二人目のこどもが生まれた時に、育児休業制度が始まりました。共働きをしていた妻が、1年間育児休業を取得することにしました。制度ができた当時は、休みはとれても、給料は無給でした。それまで貯めていた『ハワイ貯金』を全部生活費で消費しました。以来、いまだにハワイの土地を踏んだことがありません。
 そんなことを思い出してから、この短編を読み始めました。

 出だしはこの記述で始まります。
 『長年のあこがれだったハワイは、行くと決めてしまえば、さほどたいへんな道のりではなかった。』羽田→ホノルル便です。
 主人公の旅の目的は、主人公の友だちである弥生さんの結婚式への参加です。
 小学生のときの約束があるのです。
 親しい女子ふたりで、おとなになったら、ハワイに行こう!
 弥生:主人公の小学校同級生。夫になる男性は、28歳。
 本編の主人公女子:南 25歳。人見知り。
 弥生と南の共通の友だちらしき女子ふたり:どういうわけか、名前の表記が出てきません。

 読んでいると、場面が急に、ハワイになったりします。
 逆に、場面が突如、区立図書館になったりもします。

 隠れた情報として、弥生の夫になる人のおばあちゃんが癌で入院している。

 ほろ苦い(にがい)高校時代の思い出話があります。
 芝原くんが登場しますが、詳細は、ここには書きません。

 短編の内容は、自分の娘よりも若い世代のことがらだと感じながら読んでいます。
 平和です。
 女友だち同士の友情が美しく描かれていました。
 さわやかです。

第2話 冬の動物公園で
 天貝倫太(あまがい・りんた):主人公の男友だち。
 わたし(吉村):主人公女性。天貝倫太とは、高校一年生から5年間の付き合いがありますが、恋人同士ではありません。
 コツメカワウソ(千葉市動物公園にいたか、記憶がありません。有名な動物で思い出すのは、レッサーパンダ、ライオン、フクロテナガザル、キリンなどです)
 
 天貝倫太から吉村に対する突拍子(とっぴょうし。とんでもなく、その場の雰囲気を読まない言動)もない言葉があります。
 恥ずかしくて、ここには書けません。まあ、エロいことです。
 吉村さんは、天貝倫太のどこがいいのだろう。

 コツメカワウソの存在はなんなのだろう。

 片思いのさびしさ、つらさが伝わってきました。

第3話 見えないものを受け取って 香港
 羽田空港、キャセイパシフィック航空、ラウンジで食べたタンタンメン。豪華なビジネスクラスの航空機席。入社4年目、7月上旬の旅です。
 理佐:加賀の女友だち。
 加賀(わたし):女性。
 史嗣(ふみつぐ):わたしの元カレ。別れた。飛行機嫌い。
 
 なにかしら、上品な世界です。
 男女のことも、ふわふわとした空想の世界のような感じがします。
 異性に関する考えが絵空事のような。(えそらごと。美化や誇張で現実的ではない)
 男が女に優しすぎる。いまどきは、こんな男ばかりなのだろうか。

 失恋をなぐさめるための旅行だったわけか。

第4話 冬には冬の 北海道
 11ページの短い作品です。
 
 姉:妹よりも4歳年上。
 妹:主人公。

 姉と妹の北海道旅行です。
 羽田空港→旭川空港。旭山動物園。旭川駅。札幌。

 ラム肉。

 姉妹という女子の世界です。
 姉は、婚約者と北海道に来るつもりだったそうです。されど、男は浮気をしておりました。それも何人もと。

 読み終えて、人は、なんのために旅行をするのだろうかと考えました。
 ストレス解消。
 好奇心(知らない世界を知りたい)
 現実逃避(現実から離れて、非日常の別世界を体験する)
 おいしいものを食べる。
 交流を深める。
 思い出づくり

第5話 神様に会いに行く 大阪
 オードリーの若林正恭さんとの意識の共通点が見られます。
 神様とは、芸術家岡本太郎作品、大阪万博のときの『太陽の塔』です。
 若林正恭さんは、太陽の塔をイメージして、オードリー春日さんのイメージをつくったと彼の本で読んだことがあります。

 さて、こちらの短編です。東京から藤崎さんが、りょうさんに会いに行きます。
 藤崎さん:りょうさんの友人。男性。
 りょうさん:正体不明の長髪の男。出だしでは東京居住。靴のかかとを踏んづけて歩く。彼女あり。彼女は藤崎さんのことを「康ちゃん(こうちゃん)」と呼ぶ。本名は、両部康希(りょうべ・こうき)
 水野絵美香に対するひとつひとつの受け答えをまともにしてくれないという個性あり。音楽バンド活動をしている。仕事はデザイン会社で働いている。
 水野絵美香:主人公。服飾ブランドのアトリエで働くインターンとして、藤崎さんに世話になった。りょうさんとは、3年前女子大生の三年生の時に出会った。
 
 太陽の塔から「お告げ(おつげ。アドバイス)」があるのです。
 太陽の塔には、気持ちが挫折(ざせつ。くじける)したときの救いがあるのです。

 過去と現在がいつの間にか交錯(こうさく。入り混じる)しながら進行することが、この短編集の特徴です。

 ちょっと書きにくいことを書いてみます。(このあと本の最後まで読み続けて気づいたのは、自分が男性だから以下、感じたことなのだろうという推定です)
 人心の把握が浅いような感じがします。
 自分だけの世界を文章で表現してあります。
 おっさんに恋をしたらしき主人公の女子大生だったころから社会人になった現在です。おっさんは、彼女が、気楽に話ができる相手です。
 だけど、ものすごく好きなわけではない。
 なんだろう。
 人間がしゃべっているように見えません。
 進行のしかたとして、「柱(はしら。項目)」がしゃべっているような感覚をもちました。

第6話 パノラマパーク パノラマガール 伊豆
 複数の登場人物が、順番に、自分の気持ちを語る形式文章です。語る人物が、いったり、きたりはあります。
 佐田麻友香:主人公女子。彼氏は大塚くん。
 児玉里瀬(・りせ):表情が変わらないタイプ。身長170cm。ショートカット。第一印象は怖い。猫のようにつりあがった目。唇は上下とも薄い。彼氏はいない。今回の旅行先静岡伊豆を提案した。
 高校の卒業旅行として、伊豆半島を旅する女子ふたりです。
 いずっぱこ:伊豆箱根鉄道。ふたりは、静岡県の三島からスタートします。伊豆パノラマパークという所へ自分は行ったことがないと思って読み始めましたが、ロープウェイがあるということで、乗った記憶がよみがえり、たぶんずいぶん若い頃に短時間だけ立ち寄ったことがあると思い出しました。
 
 ジオラマボーイ パノラマガール:マンガ。岡崎京子作品

 わたしは、たぶん、児玉里瀬が、大塚君と過去に付き合っていたという秘密が隠されているとして読んでいましたが、意表をつかれました。(予想外の展開に驚かされました)

 そうか。びっくりしました。
 そうか。そういうこともあるわいな。
 
 『どうしよう。どうしようどうしょう。』
 佐田麻友香は、とても迷います。

 うーむ。
 結論になっているような、なっていないような。
 なっていないようなグレーゾーンです。
 女子高でならよくある一時的な現象だと、何かで耳にしたことがあります。心配ないと。

第7話 さかさまの星 ニュージーランド
 自分が読んでいて感じる違和感は、自分が男性だからだろうということが、ここまで読んできてわかりました。
 女性の心の中はなかなか複雑なのです。どっちつかずなのです。
 この本は、女性向けの恋愛短編集です。
 おしゃれ、おいしい食事、スイーツとか、旅行、恋、女同士の関係、そして結婚前の状態など。

 紘美(ひろみ)+佑一(背が高くて180cm以上ぐらいでモデル体型。目は二重でくっきりしている)が、カップル
 (主人公わたし)朋乃(ともの)フリーライター27歳+和春(かずはる)が、カップル
 調和がとれたように見える四角関係が維持されています。

 テカポ:ニュージーランドにある夜空の星が美しいところだそうです。ニュージーランド南島にテカポ湖があります。(いらぬことですが、自分の体験だと、灯りが少ない日本の田舎に行けば、夜はどこも満点の星が輝いているのが見えます)

 なにかしら、かしこまっていて、行儀のいい交際です。
 結婚前の(あるいは、まだ結婚を約束していない男女の)ふたつのカップルがニュージーランド旅行をしています。自由な恋愛観があります。
 年配になった自分の世代が若かったころには考えられない行動です。そんなことをしたら、親族一同から責任を求める批判を集中砲火のように浴びせられたことでしょう。

 表向きは、健全に見える人間関係があります。
 本当は、心のうちに、相手の不幸を祈る自分の欲求を抑えている状態があるのです。

第8話 優しい国 ミヤンマー
 この本の中で、一番好きな短編になりました。
 自分の生活とも重なる部分があるからでしょう。
 『三月のはじめに父が逝った。六十歳だった。』から始まります。半年という短い余命宣告を受けた癌でした。
 人生はお金じゃありません。人生は時間です。生きていなきゃ、お金はあっても使えません。
 
 文章表現のしかたとして、事象から、一歩距離をおいた書き方をすることが、この作家さんの特徴です。
 
 オードリー若林正恭さんのキューバ行きの話しと重なります。若くして、病気で亡くなったお父さんは、キューバへ旅に行くことを希望されていました。
 本編の場合は、癌で亡くなったお父さんは、ミヤンマーへ行きたかった。娘がその夢を果たします。

 月と六ペンス:サマセット・モーム作品。

 父は小説家を目指していたが、電機メーカーで経理の仕事をしていた。(たぶん小説家になる活動をしようとして、早期退職をしたのだけれど、思いがけず癌があることが判明してしまい、命を落とすところにまで至ってしまった)

 火葬後の遺骨拾いのお話が出ます。
 のどのあたりにある仏さまに似た骨が紹介されます。
 自分は去年二回斎場での骨拾いを体験しました。
 まだあと、何回か体験して、最後は自分が焼かれたあと拾ってもらう立場になるのでしょう。
 読み終えてやはり、この作品が一番良かった。  

Posted by 熊太郎 at 06:28Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年03月26日

トイストーリー3 動画配信サービス

トイストーリー3 2010年(平成22年) 1時間43分 動画配信サービス

 こどもさん向けのアニメです。
 このシリーズのなかで、この回の評判が一番良かったので観てみました。
 内容に関する詳しい前知識は、ありませんでした。
 観終わって、さわやかな気分になれました。
 感動があります。
 今年観て良かった一本です。

 以下、鑑賞の経過です。
 映像がきれいです。
 たくさんあるおもちゃの持ち主が、アンディで17歳。成長したので、大学へ進学します。
 アメリカ合衆国ですから、新学期の開始は秋です。

 ウッディ:カウボーイ
 バズ:宇宙飛行士

 もうおとなへの道を歩き出したアンディに、おもちゃたちは、遊び相手ではありません。
 おもちゃは、保管のために、ダンボール箱に入れられて、屋根裏部屋行きです。
 将来、アンディにこどもができたら、そのこどもとおもちゃたちが遊べるかもしれません。
 されど、手違いがあって、屋根裏で、保管されるべきおもちゃたちは、ごみ扱いにされてしまいました。
 そこから、どたばた騒ぎが始まります。

 演劇みたい。
 おもちゃたちは、人間がいる時といない時で、舞台ががらりと変わります。
 
 使わなくなったおもちゃ=(イコール)おじいちゃんとか、おばあちゃんの存在みたいなものと考えられます。(捨てないで!)

 ああ、手違いで、ごみ扱いだ。
 がんばれウッディ!

 おもちゃたちが、保育園に行けば幸せになれると思っていたら、乱暴におもちゃを扱うこどもたちがいっぱいいます。さらに、悪党、悪人のおもちゃが待ち受けていました。闘いの始まりです。
 どういうふうにこのさき、話を運ぶのだろう。

 あかちゃんの人形がかわいい(と思っていたら、悪人の一味でした(いちみ。仲間))

 アンディ対バズの対立があります。内輪もめです。
 仲良くしたいのに、対立します。

 アンディの動きがリアルでおもしろい。
 バズの曲芸のような動きが、かっこいい!
 画期的な新しい発想の映画です。

 だんだん、おとなの映画になってきました。
 バズは、洗脳されたロシア国民のようです。(時節柄、変な感想が始まります)
 
 人間もおもちゃも信じていた人に裏切られると、不信感の固まりになって心がすさみます。

 女性というのは、男をたぶらかす武器になるし、戦力になります。されど、それにとどまらず、愛情でまとめたので驚きました。

 上手な特殊撮影が、成功しています。

 悪党一味のボスが悪党である味方に攻撃されました。クーデター(反乱)です。
 ロシアは、反乱待ちの時間帯に入りました。

 なかなか複雑な心の動きを表現してあって、最終的に良い方向へと導いていることに感心しました。
 憎悪が変化して、幸福感に達するのです。たいしたストーリーづくりです。

 みんないっしょだ。がんばるんだ、の協力があります。
 敵を助けるのです。

 ピンチ、ピンチ、大ピンチの発生です。スリルがありました。
 どうするのどうするので、次のシーンを迎えます。
 何が起きたのか?
 神さまがいました。
 細かく丁寧につくってあります。
 文章ではわかりにくいかもしれませんが、おもちゃの片目がアンディ宅にあって、家の中の様子をみんなで見ることができます。

 児童の健全育成をめざす映画でした。
 こどもが成長して、大人の世界に入っていくということも表現してありました。  

2022年03月25日

太川&えびす路線バス旅 福島県から秋田県 再放送

太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東

 最後の回になりました。ロケは、2016年(平成28年)12月です。
 自分がこの回の番組を観たのは、今回が初めてです。
 残念ながら失敗に終わっています。
 とにかくバスがない。あっても、待ち時間が長い。待つか、歩くかでいつも迷う。体力・気力があれば歩きます。
 頼りはコミュニティバスです。
 今回も歩きが長い。つらい。
 吹雪みたいな景色の中を歩くことが続きます。
 自分もいっしょに歩いているような気分で映像を見ていました。
 福島県から宮城県、山形県から秋田県をめざします。
 雪降る寒い一日だから、地元の人たちが提供してくれる暖かい部屋がありがたい。
 
 ゲストの新田恵利さんは、芸能人らしくない気さくな方でした。さっぱりとしていて、親しみやすい。
 えびすさんは、番組がなくなるのに、最終回が嬉しそうです。根が正直です。
 この番組を観たころにえびすよしかずさんの本を読んでいました。
 認知症になる前に発行された本で『死にたくない 一億総終活時代の人生観』2019年発行です。今回の番組のなかでもご本人から発言があるのですが、長崎県にいた高校生時代にアルバイトとして、路線バス車内で車掌をしていたそうです。本には『はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスにのっているのだから、なんだか不思議な感じがします。』と書いてありました。
 自分も熊本県にいた小学校一年生のころを思い出すと、確かに路線バスに車掌さんがいました。一度、母親と弟と三人で出かけた帰りに、勘違いをして、バスの乗車口位置を間違えてしまい、バスの乗車口の反対側に行って乗ろうとしたら扉がなくておろおろしてしまい、バスが発車してしまったことがあります。
 今から半世紀以上昔のいなかであったがゆえに、今のように一般車両の往来はなく、道も舗装されていなかった覚えがあります。バスが遠ざかりつつ、道のまんなかに置き去りにされそうになった自分は、必死に手を振って、泣きながら走ってバスを追いかけました。
 しばらくして、バスは止まってくれました。バスに乗りこんだら、みんながどうしたんだと笑っていました。たぶん、車掌と母親が運転手に向かって止めてくれ!と叫んでいたのでしょう。

 太川陽介さんは、バス案内所で問い合わせをするのですが、加齢による老化なのか、耳が遠くなってきているようで、同じことを何度も聞き返します。本人は自覚が薄いのでしょう。

 福島県郡山(こおりやま)から乗車したあとに、バスの車窓から見えた紅色の(くれないいろの)朝焼けがきれいでした。

 途中で道案内相談のために町役場に立ち寄ります。
 始業時の朝礼の最中(さいちゅう)でした。
 朝礼は大事です。今日一日のお互いの予定の確認、チームワークで取り組むための声かけをします。連絡不足でミスが起きないようにします。
 町役場の職員さんたちは頭脳集団です。太川陽介さんたちは、バスの詳しい乗りかえルートを教えてもらいました。
 ありがたい。

 その後の、バスの車窓から見えた、蔵王連峰の雪山がきれいでした。

 温泉に浸(つ)かって、そのあとのバスの中では、当然眠ります。

 雪中行軍(せっちゅうこうぐん)のようすを見ていると気の毒になってきます。もっと若い人たちにチャレンジしてもらったほうがいいのではないかと。
 2時間ぐらいの歩きが続きます。
 人見知りなのか、まわりにいる一般人の人たちのなかには、撮影ロケのそばにいても、知らんふりをする人たちがいます。
 どうしてみんな知らんふりをするのだろう。関係ないというそぶりです。ちょっとさみしい。

 まわりの乗客に迷惑をかけないためなのか、撮影がやりやすいためなのか、ロケが土日の設定というのが厳しい(土日は通勤・通学の乗客がいないようで、土日運休の路線があります)

 歩いてばかりでした。
 よくがんばった。
 三人は、残念でしたと、暗く終わりました。最終回なのに、かわいそう。

 これでいったんBS放送でのこのシリーズの再放送は終りとなりました。
 2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の放映まで続いた番組でした。
 今回、再放送がされていることに気づいたのが遅かったので、初めのほうで放送された番組を見落としました。観たことがない回がまだあります。
 また、最初から再放送していただけると助かります。また観ます。  

2022年03月24日

怒りの葡萄(いかりのぶどう) 上・下 スタインベック

怒りの葡萄(いかりのぶどう) 上・下 スタインベック 新潮文庫

 ユートピア小説の反対に位置するディストピア小説です。救われません。たぶん。
 これから読み始めますが、タイトルにある葡萄(ぶどう)は、オクラホマ州からカリフォルニア州に移動する移民ファミリーのことだろうとして読みました。
 先日、同作者の作品「ハツカネズミと人間」を読んだのが、こちらの小説を読むきっかけになりました。
 こちらの小説は、1939年初版。昭和14年の作品です。小説の舞台設定は、1930年代末(昭和15年以前)です。
 もう古い小説です。小説のモデルとなるような人たちがいたとしても、その人たちはとっくの昔に亡くなっています。書いた人も亡くなっています。(1968年(昭和43年)66歳没)
 それでも、本は永遠の命を与えられて、読まれ続けます。

(つづく)
 とりあえず123ページまで読みました。
 上下巻両方で1000ページぐらいあります。(上巻497ページ 下巻466ページ)
 ページ数は多いけれど、文庫の文字は大きくて読みやすいです。
 情景描写が細かい。路上で拾われたカメが出てくるのですが、もしかしたら、カメと主人公男性が重ねてあるかもしれません。宗教的な神さまの話も出てきます。女性を抱く話も出てきますが、話の中身は暗い。
 農業を営む小作人(こさくにん。土地を借りて収穫を得る。地代を地主に払う義務、税金を国に治める義務あり。ほかに、銀行に借金がある人もいる)
 農民と資本家の関係を書いてある小説に思えます。
 アメリカ合衆国オクラホマ州です。アメリカ合衆国南部、国のまんなかあたりです。
 時期は6月過ぎです。トウモロコシ、ニワトリなどが出てきます。
 男たち、女たちが、これからどうするの? わからない、と話をしています。

 トム・ジョード 主人公男性 州刑務所にいた。ケンカして刺されて、相手にやりかえして、殺人をおかして、懲役7年のうちの4年で仮釈放された。
 刑務所から運搬中のトラックを利用したヒッチハイクで、実家に戻ります。邦画『幸せの黄色いハンカチ』を思い出しました。高倉健さんが網走刑務所を出所したあと、武田鉄矢さんと桃井かおりさんの乗るマツダファミリアで、故郷の炭鉱町夕張(ゆうばり)をめざします。
 
 ジム・ケイシー キリスト教元伝道師 トム・ジョードの故郷にいる。

 トム・ジョードは、実家に着きましたが、実家は廃屋になっています。
 祖父や、父親、母親、親族の姿はありません。

 トラクターという機械化による小作人排除の動きがみられます。
 現代でも、事務のコンピューター化は、人員削減を意味します。

 土地を転々とする人は貧しい。生活能力、金銭管理能力がないと土地を転々とすることになります。たけのこ生活です。(皮(財産)を向きながら暮らしていく)

 ドラマ『北の国から』を観るようでもある文章です。

(つづく)

 主人公のトム・ジョードが、自宅で家族と再会します。
 
 ゴーファーヘビ:ヘビの種類

 フラッシュ:トム・ジョードの家の飼い犬

 これは、ギャングの時代だろうか。
 義賊(ぎぞく。金持ちからは犯罪者扱い。盗んだ富を民衆にばらまくことから、大衆には支持される)フロイドという人物の名前が出ます。
 中学生・高校生のころに観た洋画『俺たちに明日はない(1930年代。世界大恐慌のころ。ボニーとクライド)』とか『デリンジャー(1930年代に実在したギャングの名前)』を思い出しました。

 オクラホマ州にあるサリソーというところから、カリフォルニア州(ロスアンゼルスとかサンフランシスコがある)への親族大移動が始まりそうです。
 農業従事者ですから、カリフォルニア州でも農業を営む予定です。今の時代とは違います。
 1776年7月4日がアメリカ合衆国の独立宣言の日です。(日本では、1774年に杉田玄白が、解体新書ターヘルアナトミアを記しています)
 新天地をめざしての親族移動の内容を読んでいて、石川達三作品『蒼氓(そうぼう。日本からのブラジル移民(農民)のお話。そうぼうの意味は人民)』を思い出しました。1935年芥川賞受賞作です。

(つづく)

 トラックに一族が乗って、オクラホマ州からカリフォルニア州へ移動します。
 読解力不足なので、自信がないのですが、全員で13人と飼い犬2匹の移動に思えます。ジョード家とヘイズレット家です。
 主人公のトム・ジョードから見て、じいちゃん、父、母、兄ノア(ちょっと知的障害があるみたいです)、弟アル(女好き。トラックの運転役、運転は主人公兄のトムと交代ばんこ。トラックがトレーラー(客車)をけん引しているイメージです)、ジョンおじさん(父の兄)、コニーとシャロンの薔薇(ばら)と呼ばれているコニーの妻ロザ・シャーン、ルーシー12歳男児、ウィンフィールド10歳男児、ダニー(こども、ちびすけ)、ジム・ケイシー元伝道師です。トム・ジョードは、仮釈放中ですから、ほんとうは、州境を越えてはいけません。ところが、州を越える受刑者がたくさんいてめだたないそうです。

 小作人の頭の中にあることです。
 お金のこと。酒、女遊び、神さまのこと、家財という財産、食器、トレイラー(運搬車。車に引かれる)、銃のこと、そして、将来への不安があります。
 銃社会は、他人を信用できない社会です。

 心に響く言葉として、『お母がいった。「トム、カリフォルニアでなにもかもうまくいくといいね」』

 おそらく、この小説のモデルになったファミリーがいたことでしょう。

 出発前に、家で飼っていたブタをさばいてみんなで食べます。

 じいちゃんは、おれは行かないと言い出します。
 でも、鎮静剤シロップをこっそり飲まされて、眠ったままトラックに乗せられました。

 233ページ、旅立ちの時が来ました。
 トラックが出発しました。
 国道66号線を走ります。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んで(むすんで)いるそうです。
 
 タペット:車のエンジンにある部品。駆動に関する。
 ケーシング:機械装置の枠。囲い。
 トラックが故障して動けなくなったら大問題です。
 トイレや水、ガソリンの給油も必要です。
 1ガロン:約3.785リットル
 1バレル:約42ガロン。約158.9リットル
 
 飼い犬のうちの1匹が車にひかれて死んでしまいました。
 悪いことの予兆(よちょう。きざし)のようです。

(つづく)

 フェートン:車種。クラシックカーのスタイルです。
 
 じいちゃん(ウィリアム・ジェイムズ・ジョード)が、脳卒中で亡くなってしまいました。
 形式的な葬儀をして、「ハッレル~ヤー」とお祈りをして、土葬しました。(ほんとうは、その場に土葬しては、いけないらしい。法律通りにやれば、役人が引き取りにくるそうです。埋葬には40ドル役人にとられる。お金がないそうです)

 うちを出てから3週間もたちました。
 10日以内にカリフォルニア州に着く予定でした。
 
 頬髯(ほおひげ):読めませんでした。ほほひげ。

 道程の途中で、新しい出会いがあります。
 アイヴィー・ウィルソン一家です。妻がセイリー。アイヴィー・ウィルソンのきょうだいとして、ウィルがいます。
 おどろくのは、アイヴィー・ウィルソンきょうだいはふたりとも車の免許というものを持っていません。自分で練習して運転するのだそうです。(1930年ころのアメリカ合衆国では、それで通ったのかもしれません)
 トム・ジョードたちとアイヴィー・ウィルソンたちは合流して、いっしょにカリフォルニア州を目指すことになりました。

 お金がありません。
 食事も節約です。
 商売をしている道路横にあるお店の店員にもお金がないようです。
 店員には、トラック運転手がお金に見えます。
 
 トラックは財産であり、移動のための命綱です。
 トラックも含めて、車へのこだわりがあるトム・ジョード兄弟です。
 どうしてこんなに国内移動に苦労が伴うのだろうか。脚色(おおげさな)があるのかもしれません。
 野宿は法律に触れて(ふれて)、罰金50セントだそうです。
 野宿はだめなのか。いまの、車中泊は認められないんだ。

 野営地で、20家族、トラック20台が一夜を過ごします。
 いろいろなところから人が集まってきます。太川&えびすのバス旅のようでもあります。
 彼らがめざすカリフォルニア州は、楽園なのか。そんなことはないはずです。
 逆行して、カリフォルニア州から出てきた人物たちと出会います。
 彼が、カリフォルニア州に行ってもいいことはない。やめておけと忠告してくれます。とくにオクラホマ州の人間は『オーキー』と呼ばれて、ひどく差別されるそうです。よそ者に生きる権利はないような話です。
 資本主義社会です。ごく少数の金持ちが、労働者を低賃金でこきつかいます。
 アーカンソー州:オクラホマ州の東。南部の州。
 国境警備隊員がいます。
 1エーカー:約4,046㎡
 
 トム・ジョードの兄ノアが、カリフォルニア州行きの集団から抜けました。
 川を下って、ひとりで生きていくそうです。
 カリフォルニア州での話を聞いて、自分のような能力の低い人間はやっていけないと悟ったというのです。トム・ジョードは止めることができませんでした。

 次に、おばあさんが亡くなってしまいました。
 老人でしたから、過酷な移動で体調をくずしたのでしょう。

 カリフォルニア州に入りました。
 みんなの目の前には、豊かな果実が実った広大な農園が広がります。
 みんなは目を見張ります。驚きと喜びがあります。

 カリフォルニア州は昔、メキシコ人のものだった。(知りませんでした)
 土地の取り合いの歴史があります。
 なにゆえに銃社会になったのかがわかります。

(上巻終わり)

(下巻始まり)
 フーヴァーヴィル:1930年代恐慌時代にホームレスの小屋が並んだスラム街。移動中のトム・ジョードファミリーが立ち寄ります。フーヴァーヴィルには、おまわりへの密告者がいる。

 サリナス:カリフォルニア州サリナス市
 サンタクララ・バレー:カリフォルニア州の都市

 フロイド・ノーズ:トム・ジョードファミリーが、野営地で知り合った男性。

 シボレークーペには、農作業仕事の請負師と保安官助手ともうひとりの男性が乗車している。

 アカ:社会主義者、共産主義者。共産党をさす隠語(仲間内で意味が通じる言葉)

 冤罪をつくる警察組織があります。(えんざい。無実の罪)組織を守るために権力を行使して、無罪の人を、罪をしでかしたから捕まえるという手法も使います。

 ひとりふたりとトム・ジョードファミリー移動集団から姿を消していこうとします。(ジム・ケイシー元伝道師、ジョン叔父さん)

 トム・ジョードの言葉として『おれたちはずっと打たれどおしだ。』

(つづく)
 
 トム・ジョードは、野営所の清掃の仕事にありつけそうです。
 野営所には、5個の衛生団があるそうです。
 委員会があって機能している。中央委員会がある。委員長が、エズラ・ヒューストン。
 新しい登場人物として、ティモンシー・ウォーレスと彼の息子でウィルキー。
 トーマスが農場の雇い主。ここでは、農作業の仕事につけそうです。
 リズベス・サンドリー:野営地にいる女性
 ローリー:小柄な管理官

(つづく)

 ジェロニモ:インディアン部族アパッチ族の酋長(しゅうちょう)
 インジャン:インディアン
 フィドル:楽器。ヴァイオリン
 メアリーズヴィル:オハイオ州中央部にある都市
 ハッピー・フーリガン:愉快な悪漢(ゆかいなあっかん)
 
 カリフォルニア州は、自然が美しく、作物の実りがまぶしい。ブドウ、サクランボ、ピーチ(桃)などの農園が続く。子どもも労働者として雇用される。

 ケイシ―元伝道師との再会があります。
 
 ジョード一家は、住宅代わりの貨車で暮らします。6両ずつの2列で、1両当たり2家族が住む。
 24家族が住めるそうです。窓はないけれど、雨風はしのげます。
 賃金の話が続きます。賃金が高くなるというよりも安くなるという話ばかりです。
 
 シャロンの薔薇(ばら)の出産が近づきました。
 喜びの誕生のはずが、死産です。
 『新聞紙の上に、しなびた小さな青いミイラのようなものが横たわっていた』『息もしなかった』
 さらに屋外は、洪水が押し寄せてきています。水害の発生です。1フィート約30センチで、3フィートから4フィート水が上昇してくる。貨車の中にいればだいじょうぶのようです。
 この小説は、アン・ハッピイ小説です。不幸があります。
 飢え死にしそうな人がいます。
 戦争とはまた違う悲惨さがあります。
 一族から離れていく人間がいます。
 頭がおかしくなっていく人間がいます。  

Posted by 熊太郎 at 07:01Comments(0)TrackBack(0)読書感想文