2022年03月17日

湯を沸かすほどの熱い愛 邦画

湯を沸かすほどの熱い愛 邦画 2016年 動画配信サービス

 不満はいっぱいありますが、いい映画でした。杉咲花さん演じる主人公の娘である『安澄(あずみ)』さんには、がんばった。よくやったと声援を送ります。
 宮沢りえさんの演技がさわやかです。
 家族とは何か。家族とは、お互いに助け合うものというメッセージが伝わってきました。

 話は、宮沢りえさんを中心においた芝居で進行していきます。
 女性向けの映画でもあります。
 母親と中学生の娘、小学生の娘という固まりで、あれやこれやを表現します。

 ステージ4の癌で、余命二か月という短命な時期をすごされた女性のお話です。
 自分の人生で出会った先輩、同僚、上司、親族など、癌で無念の思いを抱いて人生の途中で亡くなっていった方たちの顔が浮かびます。早ければ二十代、遅くて五十代で、亡くなっていかれました。
 自分が五十代になったとき、これからは、いつ、自分も癌の宣告を受けてもおかしくない年齢になったと思いました。今は、暴飲暴食を謹んで、飲酒も控えて、静かに暮らす六十代を送っています。

 映画では、夫が1年前に失踪しています。
 妻と中学生の娘のふたり暮らしです。
 妻が余命二か月の癌宣告を受けたら、なんとしても夫を探さねばなりません。
 映画の演者も映画を観ているほうも、この世に天国があると思わないと、心が折れそうです。
 
 こどもが、いじめが原因で学校に行かないと、親は困ります。
 映画では、中学生の娘が学校で女子グループにいじめられています。
 娘の言葉として『(自分は)最下層の人間』
 人間に上下はありません。

 「旅行に行こう!」
 そうさ、おいしいものを食べて、遊んで、ぱーっとやるんだ!
 親子とか男女のスキンシップは大事です。

 伏線が「富士山」です。

 銭湯でのお葬式は二十代の頃に見たことがあります。
 もう今どきは、そういうことはやらないのでしょう。
 葬祭場で、家族葬なのでしょう。
 あの、昭和の時代は、もう終わったんだなあという感想をもちました。

 ここに書こうか、書くまいか、迷いましたが、つくり手の人へのメッセージとして、不満を並べてみることにします。
・家族で食べるごはんのおかずの数が少ない。
・ごはんの用意をみんなでしないのがおかしい。いっけん、主婦である宮沢りえさんだけがごはんの用意をしているかのように見えますが、実は、だれも用意をしていないように見えます。(スタッフがセットしたとわかります。スタッフがテーブル上のすべてをセットして、俳優陣が淡々と演技をしている映像に見えます。機械的なのです)
・しゃぶしゃぶ鍋のスープの温度が低そうに見えます。簡易コンロの火力に力がありません。
・見ていて、また、中学校でのいじめの映像かと嫌悪感をもちました。いじめの映像はつくりやすい。見ていて不快になります。ステージ4の癌で余命二か月の母親は、自分の死後のこと(いじめられている娘)が心配で、安心して天国へ旅立てません。見ていて、学校なんてなければいいのになとさえ思います。頭のおかしい女子がいっぱいいます。(いじめることで快感を得る女子たち。人の不幸がうれしいようです)どうして、加害者は責任を問われないのだろうか。おとなは、事なかれ主義の職員ばかりです。偉い人たちはみんなグルです。自分たちの利益を守ろうとする悪党団です。毎月決まった日に決まった給料がもらえれば、よそのこどもがどうなろうが、かまわないと思っているのでしょう。ちょっと腹が立ちました。
・宮沢りえさんのファストフード店店員役は、容貌(ようぼう。美人女優さんという立ち位置)からいって、似合わなかった。
・宮沢りえさんとオダギリジョーさんが、銭湯の経営者夫婦というのは似合わない。
・禁煙社会がこれだけ浸透しているというのに、日本映画では、タバコを吸う喫煙シーンが何度も出てきます。(スポンサーとか、映画製作助成金をもらうにあたって、どうしても喫煙シーンを入れなければならないとなっているのではないかと勘繰ります)映画を観ている人の健やかな(すこやかな)生活を願ってほしい。
・余命二か月の人は、車の運転はしないと思う。
・ちゃんとした親は、自分のこどもに『いつか(生活が安定したら施設に)迎えに来るからね』とは言わない。こどものほうから親を捨てた方がいい。もう来なくていいよって。

 この世ではありえないような『夢をみている状態の映画』という感想をもちました。

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