2022年02月21日

ひとまねこざる H.A.レイ 文・絵 光吉夏弥・訳

ひとまねこざる H.A.レイ 文・絵 光吉夏弥(みつよし・なつや)訳 岩波書店

 アニメ『おさるのジョージ』のもとになった本のようです。
 自分はよくは知りません。
 今回初めて読みました。
 おもしろくて楽しい。
 けっこう長文で、濃密な展開の児童文学です。
 今年読んで良かった一冊です。
 ちびっこへのプレゼントにする一冊にします。

 絵がきれいです。
 1947年(昭和22年)の本と英語で書いてあります。
 こういう絵本があることを、今ごろ知りました。

 じょーじは、動物園に住んでいます。
 読んでいて、愛知県犬山市のモンキーパークに行ったときのことを思い出しました。
 かれこれ、三十年ぐらい前になります。おさるさんがたくさんいました。
 絵は、実際にあるような動物園の園庭の絵です。
 
 こざるのじょーじが、ちっちゃくてかわいい。
 大きなゾウの大きな耳の下に隠れて(かくれて)寝るじょーじです。なかなかいい。
 忘れてしまった昭和時代の温かみがあります。(外国のお話ですが)
 文章と絵が脳に与える感触がいい。
 (突然ですが、児童虐待反対をテーマにした絵本を思い出しました。『うまれてきたんだよ』内田麟太郎作品でした。言うことを聞かないからといって、ちびっこにつらく当たるのはやめましょう)
 
 不可解なこととして、アフリカからじょーじを連れて来た黄色い帽子のおじさんを慕っているじょーじです。よく考えれば、おじさんは、じょーじをアフリカで捕まえてきて、売買した商人です。ジョージは、おじさんを友だちだと思っていてはいけません。むしろ敵なのです。(その点で、この本は人間中心の本です)

 きれいな、おそらくニューヨーク市街地の絵です。カラーです。
 もしかしたら、擬人法で、作者とじょーじを重ねてあるのではないか。
 じょーじは、バスの屋根の上にのって、都会見物をしています。
 じょーじは、冒険が好きです。
 こどもは、未知の世界を知りたい。
 
 高層ビルの絵があります。
 迫力がある絵です。
 建物は、黄色い壁に、水色の屋根です。
 なかなかいい感じです。

 26ページにある、部屋の中に絵を描いて、部屋をきれいにしたじょーじの腕前に、拍手を送りたい。

 読みながら、さらに思い出したことがあります。
 横浜市にあるランドマークタワー(高層ビルディング)の展望室で、猿回しの芸を見たことがあります。
 もうひとつは、愛知県足助町(あすけ町。現在は豊田市に合併)にある観光施設でも猿回しの芸を見学しました。

 壮大なほら話でもあります。
 うそだからといって、悪意はありません。娯楽です。(気晴らしの楽しみ)
 
 『じょーじは、とてもしりたがりやだったのです』で、終わります。
 動物園のチンパンジーを思い出しました。  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月19日

発達障害のある人の「ものの見方・考え方」 高岡佑壮

発達障害のある人の「ものの見方・考え方」 高岡佑壮(たかおか・ゆうしょう) ミネルヴァ書房

 副題として「コミュニケーション」「感情の理解」「勉強」「仕事」に役立つヒントとあります。

 ネットで『これから出る本』の新着情報をチェックしていたときに見かけて、この本を読むことにしました。

 先日、匿名(とくめい。名を伏せる)の女性が書いたごみ屋敷に関する文章を読みました。
 夫の実家がごみ屋敷だったというものでした。
 恋愛結婚ですが、両家の親の顔合わせは、夫の実家以外の親族宅で行ったそうです。結納(ゆいのう。婚約式)は、相手方が、やるやるといいながらも結局やらずじまいだった。
 自分の両親が相手の両親に頼んでも、どういうわけか、夫となる人の実家である家に招待してもらえなかった。
 夫の実家を訪問したいと申し出ても、のらりくらりとかわされた。
 不信感と不安感をもちながら結婚してみたら、夫の実家はごみ屋敷だった。
 夫の両親は発達障害だった。
 夫も発達障害ではなかろうか。

 『共存』していくことが、人間社会の平和を維持していくための基礎であり秘訣です。(ひけつ:最善策に準じるような良き方法)

(1回目の本読み)
 自分には、特有の実用書の読み方があります。
 最初に1ページずつゆっくりめくりながら全ページをめくります。
 めくりおえたとき、全ページを読んだような感覚になれます。
 次に二回目の読みがあり、三回目の読みでポイント部分を読みます。

 思うに『普通じゃないとき』は、よく調べたほうがいい。
 冠婚葬祭とか、歳時記(一年の行事)が簡略化される今の世の中です。
 自分は、人生における節目となる儀式は、最低限のやり方でもいいから必要だと考えています。
 気持ちを引き締める。気持ちを切り替える。人生の区切り目という思い出を残す。
 儀式をないがしろにするような人は、不穏ななにかがあると考えたほうがいい。(ふおん:穏やかでない。危機や危険が隠されている)
 のちのちの悲劇を避けるために、よく考えたほうがいい。
 はまってしまったときは、『運命』とあきらめて『共存の道』を探し始めます。

 人のアドバイスに従わない人(マイペースな人)、人のアドバイスをなんとも思わない人(鈍感な人)は、発達障害に該当するのではなかろうか。
 片付け・整理整とんができない。時刻・時間を守れない。いつも同じ服を着ている。人に質問ばかりする。自分で調べようとしない。判断しない。決断しない。いろいろあります。

 発達障害の人と、そのまわりにいる人と、どちらが被害者なのかわからない世の中です。責任の所在とか負担の基準がありません。本の趣旨には少し反発するような感想になるかもしれません。

 気が向くことは積極的に取り組んでやる。気が向かないことはやらない。いますぐやれば15分ぐらいで終わることを、半年たっても、1年経っても、やらない。毎回、先送りする。
 お金や物を借りても返さない。借りたものは返すのだという規則的な行為が、脳にプログラムされていない。
 ひとつ、つまずくと、次へいけない。つまずいた事柄をパス(とばす)することができない。
 物事の幹(みき。本体。大事な柱の部分)ではなく、枝葉(枝葉末節 しようまっせつ)の部分にこだわる。(本書の後半部にそのことに関する記述が出てきます)変われない。変化に順応しようという意欲がない。
 そんなふうだけれど、優れている(すぐれている)部分ももっている。人当たりはよく(印象がいい)、人柄はいい人が多い。まわりにいる人間が世話をしてあげればいいのですが、負担が重くなると耐えきれません。
 
 10ページ『情報の同時処理は難しい』
 自分が働いていた時は、朝、早めに出勤して、これから一日、自分がやることをメモに書きだして、複数の案件について、並列同時進行で仕事を進めていって、夕方すべての仕事が、同時期に終わるように仕事の進行管理をしていました。
 リタイアして、加齢による能力低下で、同時に複数のことをするということができなくなりました。ひとつのことをやっていると、ほかのことを忘れてしまいます。今は、ひとつずつ順番にゆっくりやることにしています。
 年寄りが、あれもこれもいっぺんにできないのは、発達障害の人と同じです。

 14ページ『第2節 「言葉にしなくてもわかってくれる」とは限らない』
 人は見た目だけではわかりません。顔やスタイルの見た目がいいのは、誤解のもとです。
 いっけんおとなしそうで、まじめそうな人が、凶暴で神経が切れる乱暴者だったりもします。
 いかつくてこわそうな人が、案外、心優しい人だったりもします。
 人間同士は、お互いに言葉をかわさないと、相手の脳みその中にあることを理解することができません。

 28ページ『解説 「映像で考える傾向」が強い人のために』
 自分は五十代後半の時に、脳に血がたまる病気をしてから、物事を図で考えることができるようになりました。(病気のときに幻視でいろいろなものが見えました)
 脳内で、言葉を四角や丸、矢印に変換して、なおかつ、大きさを大小に変化させたり、色付けをしたりして、さらに、時間の経過にのせて図式化して、課題の答を導き出すのです。
 けっこう生活に役立ちます。感情にひきずられずに、理論的に考えることができるようになりました。(この本では、このあと、発達障害の人は、考えが映像で浮かぶという内容で説明があります。自覚がありませんが、自分は、発達障害なのだろうか。思うに、だれしも大なり小なり、発達障害の部分をもっているのに違いありません)

 本のページをめくりつづけています。
 読みやすくて、わかりやすそうな文章です。
 なかなか雰囲気がいい本のようです。
 挿絵(さしえ)が内容に合っています。
 200ページちょっとある本です。
 
 『ペーパーテストが満点に近い人=(イコール)仕事が一定の高い水準でできる人』ではありません。
 むしろ自分は、ずば抜けた能力は、なにかが隠されているのではないか(発達障害)と考えるのです。

 この本では、発達障害の人の支援が大きなテーマになっているそうです。

(2回目の本読み)
 読み続けながら考えていることです。
 就職して、社会人になったときに、驚いたことがありました。
 社会には、五体満足で、口が達者でも、働けない人がいる。言っていることは立派でも、履歴(過去)を振り返ってみると、なにかを成し遂(と)げたという、成果としての実績がない人がいる。だけど本人は、自分はできる人間だといばっている。
 そして、そのことは、どうすることもできない。本人は変われない。

 いっぽう、読み書き計算がもともとできない人もいます。以前読んでショックを受けた本があります。『ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治(みやぐち・こうじ) 新潮新書』教育してもだめなのです。できないのです。そのような脳みそなのです。

 次に頭に浮かんだのが、夫や妻の役割を果たせない。父親や母親の役割を果たせない人がいる。そのような家族があったら、健全な配偶者やこどもは不幸です。
 ときおりニュースになる事例があります。親子心中事件とか虐待死です。同居する配偶者やこどもが、もういっぽうの配偶者や親や同居人に、命まで奪われたらたまりません。
 複合的なもの、二次的なものがあると思います。
 発達障害だけでは、危険な状態ではない。
 発達障害の人を否定したり、攻撃したりすると、その人は、心が傷ついて病気になりそうです。本人もまわりにいる人も、生きるか死ぬかのような、おおごとにならないように、発達障害の人を温かく包み込むおおらかな対応が必要です。

 本に戻ります。
 発達障害のある当事者が読んで納得できるように工夫されているそうです。
 そこがセールスポイントだそうです。(おすすめ。長所。いいところ)
 ASD:自閉症スペクトラム障害(コミュニケーションがにがて。こだわりが強い)
 ADHD:注意欠如・多動性障害

 第一章:コミュニケーション
 第二章:感情の理解
 第三章:勉強の仕方
 第四章:仕事の仕方
 テーマに沿って読んでみます。

 いわゆる『空気が読めない』ということが書いてあります。
 本では『暗黙の了解』と表現されていて、発達障害の人は、その期待に応えられない(こたえられない)。

 昔は一般的によくあった『師弟関係』について書いてあります。就職するとたいてい師匠役の先輩がいました。じゅんぐりに教え合っていました。
 職場には『番頭さん役』の人がいました。私生活までめんどうをみてくれるのです。職場のメンバーが家族のようでした。古き昭和時代のシステムです。
 今では、みんなが、ひとりになりたい時代に変化してしまいました。
 言葉のコミュニケーションから、スマホやタブレット画面上の短い文字のやりとりになりました。
 これでいいのだろうか……
 今、26ページ付近を旅するように読んでいます。

 『認知機能』ものの見方・考え方のこと。
 発達障害の状態の原因を推測して対策を立てて実行する。

 言葉によるコミュニケーションのテクニック紹介があります。
 言葉を話すためには、読み書きができるようになったほうがいい。
 健やかな(すこやかな)成長のために絵本、童話、児童文学の読み聞かせは大切です。

 村田紗耶香(むらた・さやか)さんの芥川賞受賞作品『コンビニ人間』のようです。
 主人公は自分で発案したらしきマニュアル(手引き)に沿って、自分がコンビニ勤務で必要とする人格を形成するのです。
 接客や電話の応対は上手にできるのに、まわりにいる同僚や上司、後輩たちと雑談ができない人がいます。不思議です。マニュアル人間(手引きに従う人間)、AI(エーアイ 人工知能)、アンドロイド(ロボット)のようです。

 雑談はこういうものだと思っています。思いつくまま、ぽつぽつと単語を並べる。主語がないときもある。動詞だけのときもある。時間つぶしの交流の時間帯だから、あいづちを打ちながら雰囲気を楽しむ。
 なるべく否定はしない。同じ話の繰り返しの軽いくどさはOK。真剣にならない。リラックスする。がんばりすぎない。こと細かく話さなくてもいい。手を抜く。相手は、自分の言いたいことは言うが、人が話していることは聞いていない。聞き上手のほうがありがたがられる。
 とくに年寄りは、自分の話を聞いて欲しい。人の話は聞きたくない。ストレスのはけ口になってくれる人を求めています。人は、だれかにしゃべることで、楽になれるということはあります。
 自分が歳をとってみてわかったのですが、相手が口を動かしながら何かをしゃべっているのはわかりますが、何をしゃべっているのかがわからないときがあります。
 なにを話していいのか思いつかないときは、相手が言ったことをくりかえす。リズムが生まれていい感じになります。

 次に、まじめな説明のしかたです。自分は、まず結論を言ってから、少しずつ理由や経過を話していました。主語は明確にする。いつどこでだれがなにをどのようにどうしてときちんと話す。
 大きな骨格から細かな話にもっていく。人によっては、『理由』から『結論』という、逆の順番で話を運ぶことが好きな人もいました。
 雑談も説明も会話のキャッチボールを楽しみます。一方的に話さない。一方的に話させない。いいにくいことでも言うべき時はなるべくやわらかめに言う。
 心構えとしては、相手は、あまりこちらの話は聞いていない。こちらの話し方とか、表情を見ている。誠実な態度は大切です。
 悪口ばかりのオンパレードになるのは避けたい。(ずらりと並ぶ。総出演)
 
 グループでひとりぼっちにならないためのコツです。
 自分のまわりにいる全員の人と仲良しにならなくてもいい。
 とりあえずひとりふたり程度の仲良しがいればいい。
 あいさつをして、お天気の話をして、年寄りだと体調の話をして、そのほか衣食住や生活、趣味などで、共通の話題を見つけて、あとは、相手が話したいであろうことを聞いて、聞き上手になる。気配りは必要です。

 本を読んでいて、記憶に残ったフレーズとして『ズルも責めすぎてはいけない』(このページ付近以降のことも含めて記憶に残ったフレーズとして)『仕事では、状況に応じて、落としどころを探る(さぐる)』『仕事に求められるのは、「ほどほど」』『そもそも目標が高すぎないか』『仕事の量が増えれば、ミスをしやすくなる』『その人らしさ』

 この本のアドバイスの内容は、凡人にとって、行うのには、かなりレベルが高いです(水準)。
 マニュアルに沿いながら自分の言動をコントロールします。やれたら、博士になれそうです。
 感情のコントロールです。
 
 『期限』を守ることについてアドバイスがあります。
 本での話題は、小学生の夏休みの自由研究です。
 自分の場合は、期限というものに関して、いつから始まるという始期を考えていませんでした。
 仕事をしているときは、いつも一年後のことを考えながら準備を始めていました。
 期限を過ぎて、事が始まってからでも、やりながら準備を進めているという実感もありました。
 いついつまでに、なになにを、これぐらいの内容で仕上げなければという強迫観念は常にありました。だから、早めに準備をしていたという動機はあります。
 リタイアした今は、すべての期限は、自分が死ぬ時だと設定しています。
 
 この本には、納得できる基本的なことが書いてあります。
 規則正しい生活を送る。
 きちんとした内容の食事をとる。
 適度な運動、十分な睡眠をとる。
 それができてからスタートです。

 努力、忍耐、根性にも限度があります。
 アドバイスとして、『休憩する』とあります。
 無理をしない。
 やらなくてもいいことはやらないというアドバイスもあります。
 案外、人は、癖とか習慣で、やらなくてもすむことを、やることにこだわっているときがあります。

 まわりに助けを求めることは、職場ではむずかしいときもあります。
 基本的に割り当てられた仕事は、割り当てられた人が処理しなければなりません。
 職場で一番嫌われる人は、仕事をしない人です。
 しなかった仕事は、ほかの人がしなければならなくなります。ほかの人にとっては、『負担』となります。人の仕事をやってあげても、給料に反映されないこともあります。たいへん迷惑です。
 ギブアンドテイク、助け合い、もちつもたれつといいますが、たいていは、頼まれるほうはいつも頼まれるし、頼むほうはいつも頼み続けるのが一般的な図式です。
 
(つづく)

 154ページ第3章まで読みました。
 なにかしら、教科のテキストを読んでいるようです。物語性はありません。(その後、第4章 『仕事の仕方』から、物語が流れ始めました)

 自分が、『発達障害』という言葉を世の中で聞くようになったのは、それほど昔からではありません。
 西暦2000年以前と仮定してふりかえってみると、自分は『発達障害』という言葉を耳にしたことがありません。
 昔は、『変わった人』ということで済まされていたと思います。
 どうして、社会で発達障害が浮き彫りになったのかと考えてみました。
 1995年にウィンドウズ95が出て、パソコン操作が容易になって、一般家庭でのパソコン使用が浸透し出して、それまでは、仕事場で手作業だったものが、パソコンで処理するようになって、電算化に伴って、人員が削減されて、人間が働く雇用のポスト(定数)が削減されました。
 それまでは、すき間仕事みたいな仕事があって、発達障害の状態があるような人でも、探せば、仕事が見つかりました。
 人員配置にも余剰(よじょう。よぶん)がありました。(急に病気や冠婚葬祭でやむを得ず休みが入ったときに備えて、つまり、いざというときに備えて、余分に人員を配置していた)
 人間の代わりに機械が仕事をするようになって、無駄が排除されて、効率が最優先になってから、職にありつけない人が浮かび上がってきたと考えました。
 集団の中で、集団の力の一員としての存在が望まれなくなってしまった。
 IT化(インフォメーションテクノロジー コンピューターによる情報処理)とバブル経済崩壊後のリストラで、無駄を徹底的に省く世の中の構成ができて、それまで集団の中で順応できていた発達障害の人があぶれるようになったと考えました。(発達障害があっても、一部のずば抜けた能力をもつ人を除いて)

 優れた能力をもっているけれど発達障害の傾向が強い人は、個性を生かして、自営業のような仕事を柱に考えたほうがいいのかもしれません。
 柱のまわりに支えてくれるメンバーを集めて起業するというパターンもあります。

 世の中はアナログ(手作業。職人的仕事)の仕事が減って、デジタル(機械や機器が人間の代わり。ロボット)になりました。
 便利な社会システムは、案外、人間にとっては、不幸な時代なのではないか。
 ひとにぎりの特定の人だけにとって、お得な社会システムなのではないか。(一部の大富豪)
 いつの世も大衆は奴隷扱いです。(一部の富豪のために、低賃金で人生を拘束される)

 124ページ付近を読んでいます。本の内容は、学校の中だけの世界という人生の狭い空間のお話です。
 学校というところは、卒業して縁が切れてしまえば、もう関係のない世界です。学校でなにがあろうが、社会に出たら関係ありません。学校で嫌なことがあっても気にすることもありません。
 卒業するまでがまんです。のらりくらりとやって、とにかく卒業できたらそれでいい。生きていることが大事です。
 中途で退学は避けたほうがいい。なんとしても卒業証書は手にしてほしい。

 別の話を書きます。
 『すきなようにしていいよ』と声をかけると、『どっちでもいいよ』と返事が返ってきます。
 一見、親切そうな答えに見えますが、実際は違います。
 『どっちでもいいよ』はたいへん失礼な答え方です。判断と責任を相手にぶつけています。
 本では、自分で考えをまとめる力について書いてあります。
 命令や指示をされないと、何もできない人がいます。
 
(つづく)

第4章 「仕事の仕方」の背景にある「ものの見方・考え方」
 本では、学校の勉強と会社組織の仕事はだいぶ違うと解説があります。仕事には、明確な正解がないのです。仕事の目的は、たいていは、利潤の追求です。テストで点を取ることと、仕事でお金を得ることは、似ているようでずいぶん違います。そんな話が書いてあります。

 社会活動には、いわゆるグレーゾーンがあります。黒と白色の間の色、灰色です。
 法令の解釈でも、権限の範囲でも、グレーゾーンがあります。
 案外、ぎりぎりの部分や位置で勝負をすることがなきにしもあらずです。(法令違反すれすれ。もっとも、超えてはいけないラインは超えてはいけません。あとから自分が損をします)

 いい本です。今年読んで良かった一冊でした。心を守るための本です。
 とくに、後半部を読んでいて、こういう人っているなあと共感しました。
 人事・労務管理の職にある人が読むのに適した本です。
 あわせて、夫婦関係の調整でも役立ちそうです。
 
 『プランA』『プランB』という表現は、今テレビでやっている冬季オリンピックのカーリングみたいです。AがだめならBがあります。これしかない。これしか認めないというようにこだわらない。

 当初、『物の見方・考え方』という表現がピンとこなかったのですが、最後まで読んで、ピンとくるようになりました。  

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2022年02月18日

はなのすきなうし 岩波書店

はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店

 1954年(昭和29年)発行の絵本です。(お話自体は、1936年(昭和11年)のもののようです)
 厚い表紙をめくって出てくるのは、闘牛の牛に思えます。牛の絵は怖そうです(こわそう)。
 荒々しい闘牛をする牛のイメージがあるのですが、どういうわけか、お花を手に(前足に)もっています。

 やはり『むかし―― すぺいんに、』から始まりました。
 孤独な牛? ひとりぼっちな牛? 思索が好きな牛? (思索(しさく):理屈で深く考える)
 『ふぇるじなんど』が牛の名前です。

 ひとりで、はなのにおいをかいで、一日を過ごす雄牛(おうし)は、LGBTの牛だろうか。(体と性が一致していない)
 ページをめくり続けています。(ふむ。この雄牛は、女子だ)
 
 ふぇるじなんどのお母さん牛がいい。母心があります。
 人間のモデルがいるのではないか。モデルは母子です。
 息子を責めない、いいお母さんです。
 
 ふぇるじなんどは、大きな体格の牛に成長していきます。
 『柱の傷は、おととしの、五月五日の背比べ……』という歌を思い出しました。
 樹木に牛の背丈を示す傷が付けられています。

 『まどりーど』という都市名が出てきました。
 『闘牛』という文字も出てきました。

 闘牛ができるような性格のふぇるじなんどではありません。
 されど、起承転結の転で、『運命』が訪れます。
 ふぇるじなんどは、闘牛場へ向かうことになってしまいました。
 ユーモアがあります。

 ふと思う。
 牛の肩口から牛の心臓を剣でぶっ刺して、牛を血祭りにあげて痛めつけるスペインの人たちは野蛮ではないのか。(野蛮(やばん):粗暴、乱暴者)
 
 結果がどうなるのか。不安でしたが、ふぇるじなんどは、だいじょうぶでした。

 いいなあ。のんびりしていて。
 マイペースは大事です。
 バス旅のえびすよしかずさんみたいな牛でした。

 余分なことですが、長続きする結婚相手を選ぶときのポイントです。
 心が穏やか(おだやか)な人。がんこじゃない人。まじめで心が優しい人。お金よりも愛情を大切にする人。
 ふぇるじなんどと、ふぇるじなんどのお母さんは、そういう人(牛)でした。

 牛のふぇるじなんどのように、人にもそれぞれ個性があります。
 人と違っていても、許してね……
 怒らないでね(おこらないでね)……
 あきらめてね……
 お願いね……

 がんばろうというお話が多い中で、がんばらないという勧め(すすめ。そうするように誘う(さそう))がおもしろかった。

(その後)
 都会の生活になじめなかったアルプスの少女ハイジを思い出しました。  

Posted by 熊太郎 at 06:42Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月17日

いちにち ひろたあきら

いちにち ひろたあきら 角川書店

 巻末の作者紹介を読むと、作者は、吉本興業のお笑い芸人さんだそうです。
 劇団ひとりさんとか又吉直樹さんタイプなのでしょう。

 絵本です。
 なかなか良かった。
 以前読んだ同作者の『むれ』もいい出来でした。
 感心しました。
 親族のちびっこにプレゼントする一冊にします。

 金魚鉢の中にある水に青色をした金魚みたいなお魚がいます。
 ページをめくるとびっくり。
 魚なのに、魚がふつうは食べない食べ物が魚の食べ物です。(どこからこんな発想が湧いてくるのだろうか?)おもしろい。
 あかちゃんか、低年齢幼児みたいな思考です。

 さらにおもしろい。
 今年読んで良かった一冊です。
 ページをめくるたびにおもしろさが、ふくらんでいきます。
 
 なるほど。
 ちびっこって〇〇〇ゲームが好きです(なにゲームかは、ここには書きたくありませぬ)
 
 ワンクッションおくのもいい。
 これって、だれかのことじゃないかなあ。
 たとえ話(たとえばなし)ですな。

 もし、読み聞かせをしていたなら、ちびっこたちの『えーっ!!』という声が聞こえてきます。

 この先、どうなるのだろう?(次のページ)

 未知の空間がとても広い。

 なあるほど。うまい!

 AI(エーアイ)、人工知能みたいなものですな。

 ありゃりゃ。

 なんて賢い頭脳なのでしょう。

 冒険ですな。
 少年少女よ、旅に出よう!

 なかなか良かった。

(追記)
 その後、何度か読み直しています。
 理論的にできていることに気づきました。
 時間移動があります。
 さかなの一日が始まる→新生児・幼児の記憶の開始があります→新しいものの名前を記憶して、発語して、外に向けて表現する→絵の色と形で、空間とか形状を認識します→文字の存在に気づかせます。自分がいて(第一者)、相手がいて(第二者)がいます。他人(第三者)はまだ出てきません→自分が『人間』という生き物であることを理解させます→『移動の自由』を理解します→知らないところを知る欲求を冒険でかなえます→地図とルート(経路)というものを知識として習得します→『休息』を学びます。集団の中に自分が存在することを認識します→俯瞰(ふかん。鳥の目で地上を見渡す空間認識を学びます→『宇宙』という存在を知ります→脳内の活動を学びます→自分を取り囲む空間を知ります→束縛(そくばく。閉じ込められている)からの解放があります→芸術の世界で生きていくのだという決心が感じられる終わり方です。  

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2022年02月16日

太川&えびすの路線バス乗り継ぎ旅 堺市から鳥羽市 再放送

太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 紀伊半島ぐるり 大阪府堺市から三重県鳥羽市 2015年9月12日分再放送 BSテレ東

 結果は失敗に終わっていますが、経過は立派なものでした。
 たいしたものです。
 紀伊半島南部は、陸の孤島のイメージがあります。
 電車で行くにしても時間がかかります。東海道を東西に移動するよりもずいぶんと時間がかかります。半島内の移動は、乗用車利用が多いと思います。そこを路線バスで行くという発想はすごい。

 ゲストは、女優の高橋ひとみさんでした。
 えびすよしかずさんと高橋ひとみさんのだんなさんが親しいそうで、番組が始まって間もなく、いつものように、えびすよしかずさんが失礼なことを言います。『(高橋ひとみさんのだんなさんは)たいした男じゃないよ』
 えびすよしかずさんは、ほかの番組では、バス旅は飽きたと言い、太川陽介さんに対しては、死ぬまで(バス旅を)やると言い、テキトー男です。見ていて、それでいいなら、自分も世間を渡っていけるという自信をもらえます。気楽なところがいい。

 高橋ひとみさんの口から出た昔マンガとか映画であった『愛と誠』はなつかしい。映画で愛を演じた早乙女愛さん(さおとめ・あいさん 2010年51歳没)も、太賀誠(たいが・まこと)を演じた西城秀樹さん(2018年63歳没)も、ご病気で亡くなってしまいました。しみじみします。
 
 バスの車窓から見えた和歌山城が立派な姿でした。

 『(バスルートを見つけ出すことが)今回は、今までで一番難しい』と太川陽介さんが言います。なかなか距離をかせげない路線バスでの移動です。

 路線バスがない部分での真夏の徒歩は死ぬ思いです。
 三人の流れる汗で、ご苦労が伝わってきます。
 太川陽介さん『(どうしていいのかわからなくなって)これは…… これは…… アイスでも食べるか』そうです。ゆきづまったら、甘いものを食べると元気になれます。

 なかなか見つからないバスルートがようやく見つかって、高橋ひとみさんが『死に物狂いで探したら、あるんですね』
 
 山道にある簡素なバス停でバスを迎える三人さんです。なかなか風情があっていい。

 えびすよしかずさんは、出会った外国人旅行者とカタコト英語で会話をするのが大好きな人です。以前、馬籠の宿(木曽路まごめのしゅく)へ向かうバスの中でフランス人男性グループと会話した時がおもしろかった。
 今回は、カナダ人ご夫婦とバス車内の座席に座って会話がはずみます。おふたりの似顔絵も描きました。

 山奥を流れる河川の深緑色をした川の水がきれいです。
 湯の峰温泉と表示がありました。

 海岸に出ると漁港、漁船、海、海に迫る山並みと、演歌の世界があります。
 熊野灘(くまのなだ)の風景です。

 えびすよしかずさんの言葉として、『(三泊のうちの)1回ぐらいホテルに泊まりたい。旅館の共同トイレに夜行くのは怖いから恐ろしい。いやなのよ』

 夕暮れ時の潮岬(しおのみさき)に白い灯台がある景色がきれいでした。絵葉書の写真みたいでした。
 映像で、岩にぶつかってできる白い波しぶきを見ていたら、中学生のときに住んでいた熊本県にある半農半漁の集落を思い出しました。

 三重県松阪市方向を目指しての徒歩は過酷です。
 徒歩の苦労は、乗るはずだったバスが、最終で終わっていて報われませんでした。(むくわれませんでした)
 えびすよしかずさんが『歩き賃(あるきちん)を返して!』
 失敗だったけれど、見ているほうは十分楽しめました。
 この世はうまくいかないことばかりです。
 自分では、希望というものは、10個のうちの6個がかなえばよしと思っています。
 人生は、60点で十分生きていけます。  

2022年02月15日

もりのなか マリー・ホール・エッツ

もりのなか マリー・ホール・エッツ ぶん/え まさきるりこ/やく 福音館書店

 本のカバーにある絵は、ブレーメンの音楽隊のようです。(グリム童話:ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)
 こちらの行列は、ラッパを吹く少年、ウサギ、ライオン、ゾウ二頭、クマ二頭、カンガルー二頭、コウノトリ、おさる二匹です。
 
 はじまりはじまりー
 紙でつくられた帽子をかぶった少年が、ラッパを鳴らします。
 少年は森の中に入って行って、動物たちに声をかけ始めます。
 『ぼくの散歩についてきて!』
 
 読み聞かせの時、こどもさんは、動物が出てくるたびに、なんだかんだとしゃべるのでしょう。

 クマたちは、くいしんぼうです。
 ピーナッツとジャムとスプーンを手からはなしません。
 
 カンガルーのおなかにある袋には、あかちゃんカンガルーもいます。

 だんだん行列の仲間が増えていきます。

 うろ:木の幹にある穴。空洞になっているところ。

 民話『桃太郎』も思い出します。イヌ、サル、キジです。外国でも日本でも同じ人類ゆえに、同じパターンで発想があるのでしょう。

 木版画のように、白と黒の絵です。
 作品は、1963年(昭和38年)のものです。

 一行(いっこう)は目的地に到着したらしく、食事をして、ハンカチおとしという遊びを始めました。
 動物たちの絵を見ていて、思いついたことがあります。
 動物たちは、本当は、みんな人間なのです。
 それぞれは、個性をもった人間たちなのです。

 遊びは内容を変えながら続きます。

 そして、動物たちはいなくなってしまいました。
 いつのまにか、そこに、少年の父親が、ひとりで立っているのです。

 後半部のオチ(話の決着)は、幻想的です。
 考え方はいろいろあります。
①動物たちは、人間(少年の父親)が来たから森の中に隠れた。
②じつは、森に住む妖精たちが動物に化身していた。
③すべては、少年の幻覚だった。
④子どもだけがわかる世界だった。(おとなには体験できない世界だった)

 とにもかくにも、不思議な最終部分でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:39Comments(0)TrackBack(0)読書感想文