2022年02月14日

ナナメの夕暮れ 若林正恭

ナナメの夕暮れ 若林正恭 文春文庫

 『自分探し』から始まります。
 自分には、理解できない言葉です。
 自分は、ここにいます。
 (本では、本の最後にまた『自分探し』という言葉が登場します)

 学ラン(つめえり学生服)の第一ボタンが、体に当たって痛い思いをした学生時代があったそうです。
 学生服は、日本軍隊の名残でしょう。学校は、軍人タイプの人間の養成所です。
 資本主義国家になっても、組織や会社に、隷属(れいぞく。どれいのように服従する)する人間を育てる場所なのです。あるいは、マシーン(機械)をつくる場所とも言い替えることができます。
 それでも、人には選択肢があります。言うことを聞いているふりをして、卒業後、自由になる時を待つということはできます。

 タイトルは、社会を斜めから見る思考状態を示すものなのでしょう。
 エッセイ集です。(思うがままに書き記した短い文章)
 2015年から2018年のものです。

 まえがき部分を読んで、自分のことは自分にしかわからない。
 だから、自分で自分を大事にしようという気持ちになりました。

 この本は、不思議な構成です。第一章と第二章があります。ふつうは、起承転結の四章建てか、序破急の三章建てです。(あとでわかりました。第一章が、2015年から2018年の雑誌への掲載エッセイ。第二章が2018年発行単行本製作時の書下ろしでした)
 さて、読み始めます。

第一章
 先日お笑い芸人タレントの山里亮太さんの本を読みました。
 山里亮太さんと若林正恭さんは、仕事で一緒になることがあるそうです。
 おふたりとも人見知りで、飲み会嫌いです。
 酒を飲む時間は、お笑いのネタを考える時間に当てたいふたりです。
 テレビでは披露できないお笑い話を舞台でするそうです。
 あわせて、ふたりとも「おひとりさまタイプ」です。
 ひとりで出かける。
 ひとりで行動する。
 ひとりでいて、何が悪いんだ、ということはあります。
 何も悪くはありません。
 著者が、ひとりで、ゴルフ場で、ゴルフコースを回ろうとしたら、二人以上じゃないと受付できないと断られたそうです。(ひとりでゴルフコースを回る人なんて、聞いたことがありません)

 著者は、幼稚園のころから『(相手がよろこぶようにうその言動をする)ふり』をしていたそうです。バスの運転手になりたかったけれど、親を喜ばせるために、科学者になりたいと言っていたそうです。うけねらいです。小さい子にはよくあることです。

 持て囃す:もてはやす。(漢字を読めませんでした)

 芸人さんたちに共通する下積み時の思い出として『その時受けた仕打ちを思い出して、腹が立ってきてしょうがない』

 文章を読み続けています。
 屈折しているけれど、普通の人としての常識があります。
 子どもと大人の中間にいる人という雰囲気があります。

 著者の文章を読みながら思うことです。人は外では、自分の素(す)ではない人を演じることで、周囲にいる人間に、自分はみんなと協調していると見せかけている。
 テレビに出る人は、とくに、仕事で求められている『個性(キャラクター)』を演じている。
 
 2015年当時に、2009年ころのことをふりかえって文章がつくられています。
 短いエッセイの内容に、読み手である今の自分の気持ちに合う内容と合わない内容があります。
 著者は、感情が繊細(せんさい)です。人間不信があります。人を信用できない人です。割り切れない人でもあります。こだわる人でもあります。案外、こだわらなくてもいいことにこだわり続けます。

 エッセイ『キューバへ』の部分です。
 著者の作品『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は読みました。キューバ旅行記が収められていました。若くして亡くなったお父さんが行きたかった国へ息子である著者が訪れています。
 このエッセイのいい文節として『至る所からキューバの陽気な音楽が聞こえてくる』
 (このあと126ページで、同作品におさめられているモンゴル訪問記のことが出てきます。143ページで、アイスランドに行ったことが出てきます)

 胡桃(くるみ)2個を手のひらの中でこする行為について書いてあります。昔の映画で見たそうです。自分は時代劇連続ドラマで観た記憶が残っています。たしか『素浪人(すろうにん) 月影兵庫(つきかげ・ひょうご。主役の浪人侍(ろうにんざむらい)の名前)』でした。

 『自分の気持ちを優先するか。相手の気持ちを探るか(さぐるか。相手に合わせるか)』が人生の分かれ道となるであろうという文脈があります。一般的に、自分の気持ちを優先すると、『結婚』は遠のくかもしれませんが、仕事としての成果は残せそうです。

 わかりやすかったお話として、日本において一番大事だったものは、第二次世界大戦の終戦までは『国家』、終戦後は『企業』、1990年代初めに起きたバブル経済崩壊後は『個人』という部分がありました。時代の経過とともに、濃密だった人間関係がバラバラになりました。

 資本主義は、競争をして強い者が利益を得る社会システムですから、たいていの人は、敵が半分、味方が半分、それでよしという生き方をしています。
 あわせて、民主主義は対立社会ですから、『自分たち』と『あいつら』とで闘いが続きます。
 今、資本主義国家の欧米も社会主義国家の中国・ロシアも、自然が破壊されていく地球上で、国家を統治する方法について、ゆきづまりの時期を迎えつつあります。

 この本の記事にあるゴルフの心得が良かった。『力を抜いて、欲を捨て。結果を意識せず、今ここに集中する』なにごとにでも使えそうなフレーズ(文節)です。

 男はつらいよフーテンの寅さん、昭和時代が好きな著者がいます。
 もっと早く生まれてくれば良かったのに。
 一般人のおばちゃんに背中をバンと叩かれて励まされて涙する著者がいます。

 人の真似をする時期はあるけれど、最後は、自分しかもっていない特性で勝負です。

 良かった文節として『ひとりで自分の内面ばかり見ていないで』

 テレビ番組でタレントが政治的・社会的コメントを述べることについて書いてあります。
 自分は仕事優先の生活で20年間ぐらいテレビを見ていなくて、リタイア後、テレビで、芸能界の人たちが、正義のジャッジをするような番組を見て驚きました。
 どういう立場でコメントしているのか理解できませんでした。報道だけではほんとうの事情や真実はわからないし、テレビ局側の話だけを聞いているタレントは、その出来事に関して、当事者でも関係者でもありません。
 そのうちようやく、これはバラエティ(娯楽。気分転換。楽しみ。遊び。息抜き)であり、おもしろおかしければいいということがわかりました。テレビ局や事務所やタレントは、スポンサーから、ギャラが入ればいいのです。

 良かった文節として『こんなことが許される国があるんだ(アイスランドで花火祭りを見学して、参加して)』

 この本を読みつつ思ったことです。
 すべては、仕事です。人は、お金を得て、生活していくために働きます。
 仕事をしていて、いい気持になるときもあるし、嫌な気持ちになることもあります。
 いろいろトラブルがあったとしても、仕事だからと割り切るのです。

 『凍える手(こごえるて)』というエッセイのタイトルを見て、乃南アサ(のなみあさ)作品『凍える牙(こごえるきば)』を思い出しました。なんと犯人は犬なのです。名作です。自分は、オオカミ犬ハヤテのファンになりました。

(ここから第二章の感想です)
 文体が変わりました。文章が長くなりました。
 内容は退屈になりました。(214ページのあとがきにもこの部分の出来栄えがよくないというような記述があります)
 自分の内面凝視(ないめんぎょうし。内向き)の内容です。

 会話が否定から始まる人は、人から嫌われます。
 他者が話すことを次から次へと否定して、自分はそうじゃないと言って、自分を高く見せる話法です。否定が続く連続的な会話をしているうちに、だんだん相手が怒りだします。
 著者は逆です。ちょっと変わっていて、否定されると、反発して怒るのではなく、素直に受け止めて、気持ちがへこむそうです。かなりへこむそうです。

 仕事が忙しくて、女性と交際する機会とチャンスがありません。(深夜にしか自由時間をとれない。それでも著者はその後、結婚されています)
 女性の芸能人も同じだろうなあと察します。結婚のチャンスが遠ざかっていきます。出産・育児も同じく。
 夜が仕事の時間帯ということもあります。サービス業です。人が休んでいるときに働くのが労働時間帯の芸能人です。
 頭の中が変になりそうな仕事です。

 小説家の西加奈子さんと加藤千恵さんとお酒を飲まれています。
 西加奈子さんの本は何冊も読みました。
 おそれながら、加藤千恵さんという方は知りません。歌人の方のようです。こんど本を読んでみます。

 他人の顔色を気にして頭痛になる著者です。
 
 読み手である自分と同じような部分があることを書いておられます。
 『小説を読んでいるときに……(頭の中で、別のことを考えているうちにページが進んでしまって内容がわからなくなる)』ゆえに何度も読み返すことになります。ふせんをはるし、メモをとることもあります。

 ゲーム依存でストレスを解消する。
 アルコール依存ぐらいの中毒性があるようです。

 成功する人はメモ魔が多い。それから、日記とか日誌を継続的につけている。(記録を残しておいて、未来で過去をふりかえって、解決策を見つけるヒントにする)

(あとがき部分の感想)
 テレビ番組『アメトーク』での読書芸人。見て、参考にさせてもらいました。

 2016年に病気で亡くなったお父さんに強いこだわりをもっておられる著者です。(進路を含めていつも協力者であり続けてくれたことに感謝されています)
 自分も子育てをしてきて思うのですが、こどもがああしたい、こうしたいと言ってきたときは、そうさせてあげるのが、お互いの未来のためです。
 親がこうしなさいと親の考える枠の中にこどもを無理やりあてはめると、未来で不幸なことが起きやすくなります。進学とか、就職とか、結婚のときなどです。

(文庫本のためのあとがき)
 銀座のタリーズ:コーヒーショップ
 
 過去のことをひきずるのが著者の特徴です。
 
 デフォルト:初期設定

 東京にある勝鬨橋(かちどきばし)の風景描写文章があります。
 小学生の時の修学旅行で観たことを思い出しました。
 たしか、遊覧船で川下りをしました。
 なつかしい。

(解説 朝井リョウ)
 なかなか心憎い(憎らしいぐらい優れている(すぐれている))書き方をしてあります。
 最初の部分は、読みながら、公式にのっとった定型的な文章が書いてあるなと思いながら読んでいました。
 途中で、ひっくりかえされます。
 『――とここまでは、“文庫解説”の形式に則る(のっとる)形で書いてみた……』
 凄み(すごみ。怖い(こわい)ぐらいの迫力)があります。
 『私は基本的に、他者の幸福を願えない。……全員引きずり落とされればいいと思ってしまう…… 私なりの世界の肯定が拡張されていくのだと思う。』
 自分は、小説家は、善人なだけではなれない。世間の考えとは、いくぶんずれているという、心に屈折した部分がないと、小説家には向かないと思うのです。この本のタイトル『ナナメの夕暮れ』の意味に通じることです。  

Posted by 熊太郎 at 07:10Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月12日

百年の家 講談社

百年の家 絵/ロベルト・インノチェンティ 作/J.パトリック・ルイス 訳/長田弘(おさだ・ひろし) 講談社

 家がしゃべります。
 擬人法です。(ぎじんほう:人間以外のものを人間に見立てる)
 建ってから100年経つ家です。
 わたしは、自分たち夫婦が建てた家は70年間ぐらいもってほしいと思っています。孫の代に建て替えを考えています。(そのころ自分はもうこの世にはいないと思いますが)
 25年から30年ぐらいが、木造家屋の建て替えの時期だと聞くと、そんなばかなという気持ちになります。お金がかかるので、なるべく長く同じ家に住みたい。

 この本に出てくる家は、2009年のこととして、今を語り始めました。
 ペストが大流行した年に建ったとあります。1656年です。2009年を起点にしてさかのぼりの計算をすると、353年前です。(1656年:日本では、江戸時代です。関ケ原の合戦が、1600年です)

 絵本のタイトルには百年の家とありますが、絵本に出てくる石造りの家は、建ってから353年が経過した家ということになっています。
 この外国絵本のオリジナルタイトルは、『The House(その家)』です。
 ペストという流行病の話から始まります。
 今は、新型コロナウィルスの大流行です。
 周期的に同じようなことが繰り返されることが、地球及び人類の歴史です。

 絵本の絵を見ています。
 トイレは、どっぽん便所に違いない。
 テレビの旅番組を見ていると、山奥の田舎にある家は、今でも汲み取り式だろうと推察します。

 絵本の中は、1900年になりました。日本だと明治33年です。
 きのこ狩りをする女子たちやこどもたちがいます。
 この年に、廃屋となっていた家(自分)を人が発見してくれたと家が語ります。(ここから100年か)
 石でできた洋風の建物です。
 絵本の下地となる色彩は緑色です。
 1656年から1901年までのこれまでの長い歳月での家の苦労がしのばれます。(しみじみと思い出す)
 
 働く。住まう。生活する。
 絵を見ながら、イメージを脳内に湧かせる(わかせる)作業をする絵本読書です。
 
 1905年(明治38年)長い食卓を囲んだたくさんの人たちが食事をしています。
 老若男女がいます。
 このころも、人と人との対立があったのだろうか。

 1915年(大正4年)に、結婚式がありました。レンガ職人の男性と女性のカップルです。
 翌年、お子さんが誕生されています。
 ガチョウがいて、ネコがいて、ツバメが飛んでいて、ニワトリとヒヨコがいます。自然があります。
 でも、夫は、第一次世界大戦の戦場へ向かいました。

 1918年(大正7年)夫は、第一次世界大戦で、戦死しました。
 お子さんは生まれたものの、夫婦にとっては、短い結婚生活でした。

 1929年(昭和4年)家が古くなってきました。世の中では、アメリカ合衆国のウォール街で株が大暴落して世界大恐慌が起こりました。
 絵本の色調は暗い。人間の姿は人形のように見えます。
 
 1936年(昭和11年)家族は、農業で生計を立てて暮らしています。自給自足に近い生活でしょう。
 
 1942年(昭和17年)第二次世界大戦中です。家が避難所として利用されています。
 1944年(昭和19年)ぐっとくる文節として『だれの戦争なのだろう?』
 
 1958年(昭和33年)歳時記があります。(一年間の出来事)
 人の生活は、『食べる』が基本です。
 こどもが成長して、家から巣立っていきます。
 悲しみがありますが、喜びもあります。

 1967年(昭和42年)お葬式です。奥さんがお亡くなりになりました。絵本の最初のほうでは若かった奥さんは、絵本の後半では、髪が真っ白になり、見た目はおばあさんになりました。
 人生における儀式は大事です。人生の節目ごとに気持ちの整理をつけます。
 この家の所有者がいなくなってしまいました。
 家は、自分の旅(人生)は、まもなく終わると語ります。
 家にも人生があります。新しい世代に道を譲ると言います。

 春が来ました。若い人たちが歌う歌があります。
 家は屋根が抜けて、壁も崩れて(くずれて)、廃屋状態です。

 1993年(平成5年)家がさらに崩れます。以前読んだ小説を思い出しました。桜木紫乃作品『ホテルローヤル』廃屋になっている北海道にあるラブホテルの歴史です。良かった時代もあったのです。

 1999年(平成11年)もう主役の家はありません。地面の上をブルドーザーが動いています。
 そういえば最近は、ご近所では、家屋やビルの解体作業がひんぱんに行われています。もうおたくらの世代の時代は終りだと、宣告されているような気分があります。

 絵本の中では、古い家があった場所は、さら地になって、新しい家が建てられて、住む人が変わりました。
 絵の色調も明るくなったように感じられます。

 この絵本では、人間の営みについて描いてありました。
 そしてまた同じように100年が経過していきます。
 常に、『今』は『過去』になり続けます。
 繰り返されて、何千年も人類はこの地球上で生き続けられるのだろうか。
 もうそのころには、自分はこの世にはいません。  

Posted by 熊太郎 at 07:08Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月11日

たぬき いせひでこ 

たぬき いせひでこ 平凡社

 早朝の散歩をしていると、時おり、たぬきのたぶん兄弟姉妹たちであろうグループを見かけます。
 七匹ぐらいいるこの本のカバーの絵が、そのときのようすにそっくりです。
 そんなことがきっかけで読み始めた絵本です。

 読み始めて知ったのですが、2011年(平成23年3月11日)に発生した東日本大震災の地震津波のころに作者が体験したことを絵本にして描いてあります。
 観察日記のように、文章が添えられています。一年間の出来事です。

 豆だぬきはとってもかわいい。ころころとよく動きます。
 わたしが見た豆だぬきの体は、両手で、もてるぐらいの大きさです。(野生なので触れることはできませんが)
 豆だぬきは春先に見ることができます。
 絵本の7ページに、たぬきの親子、たぶんママとちびっこの絵でしょう。
 観察日記は緻密(ちみつ)です。
 小学生が学校で教わる理科の教科書みたい。

 たぬきたちは、夜行性のようで夜行性ではない。
 14ページから15ページ、昼間でも動き回るたぬきたちです。
 たぬきのいるところには、たいてい、カラスがいます。
 カラスも複数います。なにせ、どこも家族もちです。
 
 幻燈(げんとう):ランプとレンズで、影絵のように映像を映し出す。スライド。

 地震の年に起こった歳時記です。(一年間に起きた身の回りの出来事の記録。自然や人との関わりの記録)

 タヌキの兄弟姉妹は両親と別れ、作者と別れました。
 『一期一会 いちごいちえ』 人生は、どこにいても、一時的滞在地です。




 
 4匹ともあっちのほうを向いています。何があるのかな?
 とある朝の光景でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:04Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月10日

天才はあきらめた 山里亮太

天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫

 山里亮太さんは、自分で自分のことを『天才』だとして、自分はあきらめたという趣旨でこのタイトルを選んだのだろうかと、首を傾けて(かたむけて)、疑問をもちながら本を手に取りました。
 自分で自分のことを『天才』だという人は天才ではないと思っています。本当の天才は自分のことを天才とは思っていないでしょう。たぶん。自分が天才であることの自覚がないから天才なのです。(最後の解説では、オードリーの若林正恭さんが、山里亮太さんは天才だと表現されていますが、素直にそう思っているのではなく、裏表があってそう表現しておられます)

 一芸(いちげい)に秀でた(ひいでた)人は、また、一芸にしか秀でていないということはあります。一芸以外のことは人並みにできなかったりもします。
 自分が思う天才です。ひととおりのことが、100点満点で、90点ぐらいの高いレベルでできる人です。標準的な力の水準が高い人は総合力の面での天才です。
 肉体労働ができて、頭脳労働もできる。車の運転から、企画の立案まで自由自在にこなす。健康管理ができて、組織管理ができて、人間関係の管理ができる。だれにでも親切で心も優しい人は、どこにいても、果たす役割は大きい。

 第2章が終わる70ページまで読みました。
 山里亮太さんの自叙伝です。
 2006年に出版した『天才になりたい』を改題して、大幅に加筆・修正してあるそうです。2018年が初版となっています。
 文脈の雰囲気は、昔読んだ『東京タワー』リリー・フランキー著に似ています。時代の雰囲気、そして、優しいお母さんの存在があります。

 自分は山里亮太さんという人をあまり知らずにこの本を読み続けています。
 小さい頃から、お笑い芸人になりたかった。女子にモテたかった。(風貌(ふうぼう)からは、そんなふうには見えません)
 『南海キャンディーズ』というお笑いコンビで爆笑をとった。
 その後、相方のしずちゃん(山崎静代さん)と不仲になった。(のちに改善されています)
 70ページまで読んで、まだ、しずちゃんは出てきていませんが、原因は、山里亮太さんの陰湿な人格にあるのだろうと予想しています。(これもまた、その後、改善されていると思いたい)

 山里亮太さんは、最初にコンビを組んだ相方の男性に人生の流れをゆがめるほどの相当ひどい仕打ちをしました。いわゆる虐待とも思われるいじめの加害者が山里亮太さんです。ご自分で深く反省されています。元相方さんには償い(つぐない)が必要です。
 自己中心的な考えが強い若い時代です。まわりの人が、自分にとって役立つ道具扱いになっています。
 そんな状態が今も続いていたのなら、しずちゃんが、女優さんを山里亮太さんの交際相手に紹介などしなかったでしょう。
 山里亮太さんは改心したのです。

 きつい体験として、『書いたばかりのサインを「お前は売れない」と目の前で破られた』

 2005年のM-1グランプリ決勝で最下位。優勝がブラックマヨネーズ。ほかに笑い飯、麒麟、品川庄司、チュートリアル、千鳥など。
 
 話し言葉優先の日々を送っておられることもあって、文章に勢いがあります。リズミカルです。
 難を言えば、文字数が多いわりに内容が濃くはないので、流し読みのペースで読み進めています。

 ボケ:観客の笑いを誘うことが役割。わざと間違いの言動をする。冗談を言う。
 ツッコミ:ボケの間違いを指摘する。観客に笑いのツボを指摘する。

 著者が体験した新人歓迎時の荒っぽい大学寮の様子は想像がつきます。高校生活でも同類のことがありました。先輩後輩の上下関係は厳しい。
 思うに、戦後日本の昭和時代における教育のベース(基礎とか下地)は、第二次世界大戦軍国主義時代にあった教育の名残です。
 軍隊から帰還した兵隊経験者が教職についた流れがあると思います。半世紀ぐらい前までは、学校における体罰(たいばつ)は当然の罰でした。親も容認していました。今の若年層(じゃくねんそう)だと脱落者だらけになるでしょう。
 思うに、戦時中の日本は、全体主義国家だったのです。(個人のことより、国家の利益が優先)

 41ページにドラえもんの話が出てきます。最近ドラえもんのコミックの全巻を読み終えました。やはり、ドラえもんは漫才の台本として、お笑いのネタに使えるのです。

 キングコング:梶原雄太。西野亮廣(にしのあきひろ)。1999年結成のお笑いコンビ
 爆笑問題:太田光(おおたひかる)。田中裕二。1988年結成のお笑いコンビ
 
 若い頃の山里亮太さんの性格は屈折していますが、耐性はあります。(困難な状況に耐えて、自分のまわりを包む環境の中で存在していく力はある)

 コンビ名:『侍パンチ』→『足軽エンペラー』→『南海キャンディーズ』

 以前テレビで、相方のしずちゃんが、山里亮太さんのことを人間のクズのように言っていたことを思い出しました。ひどいことを言うのだなあとそのときは思いました。でも、この本を読んだら、そのとおりだと共感しました。
 ご自分でも書いておられます。72ページから73ページにかけて『僕は……クズなんです。』さらに、74ページから75ページに『僕は最低の人間だった……。』そのとおりです。

 まだ売れる前とか、売れてきた頃の有名人として、『友近』『笑い飯』『千鳥』『フットボールアワー』『ブラックマヨネーズ』『キングコング』

 お笑いコンビのあり方について考えさせられます。
 台本をつくる人がいて、台本はつくらずに演じるだけの人がいる。
 ふつうじゃない言動をする。ふつうじゃない言動を求められる。
 『笑う』ことで、見ている人は幸福になる。演じているほうは、生活費を稼ぐために仕事として演じる。

 提供した笑いが受けないときは、客のせいにして気持ちの落ち込みをしのぐ。
 演じ手側には、悪人がいっぱいいそうな世界に見えます。
 オーディションによる選択は、どこまでが真実(まじめな内容であること)なのか。偏見がありそうです。(片寄った考え方、選択手法)
 この本は、コンビの片方側だけの語りです。相方の気持ちは書かれていません。

 制作側スタッフは、資本家の立場であり、お笑いコンビは『商品』です。
 企画者は、商品に価値があるのかないのかを見極めます。

 有名税:有名になると苦痛や出費がいる。苦痛を税金にたとえてある。目立つので、注目される。プライバシー(私生活)が乱される。

 母親はいつも息子の心身の健康のことだけを考えて祈っていた。
 売れるか売れないかは関係なかった。

 著者は、文字を書くことが好きな人です。(ネタづくりをしているからもあります)文字を書くという行為が好きな人でもあります。

 山里亮太さんは相方に対して、パワハラ上司のような存在でした。
 よくいえば一生懸命、悪く言えば、人のせいにするタイプです。
 
 バッファロー吾郎:自分は知らない方です。お笑いコンビ。バッファロー吾郎A 竹若元博
 
 記憶に残った言葉などとして『客席にもうひとりの自分を置く(自分が笑えるものを演じる)』『仕事はほとんどなかった』『路上でネタをやろう』『あいかわらず、テレビも舞台もないままの毎日だった』(売れるという出番の『時』が来るのを待ちながら、修練を積んでいきます。修練:心身を厳しく鍛える(きたえる))『あのせいで駄目(だめ)なんだではなく、あのおかげで得をしたと考える』『失うものなんか何もない』『「鳴らずの携帯」という異名をもった僕の電話』『(2004年M1グランプリで準優勝後、お母さんの言葉として)どうもスターを産んだ母親です』『(山里亮太さんから失礼な要求をされたときに、しずちゃんの言葉として)私、普通の人間なんやけど』『一番大事なものは「自信」』

 コンビを解消して、ひとりになって、自分が決めた自分の芸名が『イタリア人』

 順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいかない芸人生活です。されど、芸人を辞めるとはどこにも書いてありません。自分は、芸人しかできないということは、ひしひしと伝わってきます。

 山里亮太タイプとして『自分が生み出すよりも誰かに生み出されたものに乗っかる』

 ファンともいえる人のサポート(支援)があります。のちに書いてありますが、山里亮太さんは、いい人に巡り合う『運』があります。運命の出会いがけっこうあります。一生続く『人との出会い運』を生まれながらにもっておられます。

 ネゴシックス:ピン芸人(ひとりで活動する)先日観た、島根県を訪問するテレビ番組『旅猿』で、電話で出演されていたのを思い出しました。

 読んでいて、人をいじめないほうがいいという気持ちになります。
 ここしばらく、各種職業、職種の体験記録の本を何冊か読みました。
 たいていの本に共通するのが、上司や顧客、組織や関係者に対する恨みつらみ(うらみつらみ)です。ひどいことをする人がいっぱいいます。いじめられたほうは、いじめたほうを一生うらみ続けます。人をばかにすると仕返しが待ち受けています。いじめたほうは、歳をとってから、怖い目にあうかもしれません。お互いに権利義務関係がなくなって、偶然出会うことがあれば、いじめられたほうは、精神が切れて、いじめたほうに発作的に、どんな状況であろうが、罵声(ばせい)を浴びせるかもしれません。
 この世は、うらむ者とうらまれる者とでできている。
 うらみをかって(人からひどくうらまれて)、成功者になるってどういうことだろう。成功者になることで、得るものと失うものがありそうです。
 片方側からの意見や感想が書いてある本です。
 もういっぽうの、人からうらまれるようなことをした人たちの頭の中にあった世界は、どんな世界だったのだろうかと、読み手である自分は思いをはせるのです。(めぐらせる)
 出てきた答は、『儲かればいい(もうかればいい)』という言葉だけでした。『育てる』という言葉は出てきませんでした。使う側の人にとっての『消耗品(しょうもうひん)』という言葉は出てきました。使う側の各自の体験(成育歴)からくるものなのでしょう。

 コツコツ積み上げる。ノートをとる。メモをする。積み重ねです。

 2004年M1グランプリで準優勝になるあたりまでのくだりは涙なくしては読めません。苦労が報われます。(むくわれます)
 どちらかといえば、テレビを作っていた人たちと対立する意識をもっていた著者が、テレビを作っている人たちに救われます。
 
 されど、道は険しい(けわしい)。順調に前進とはいきません。
 人と話すことが怖くなる。心が壊れていく。
 
 山里亮太さんが壁にぶつかってお笑い芸人を辞めることにしました。204ページ付近です。千鳥の大吾さんと、ネゴシックスと、とろサーモンの久保田さんが山里亮太さんの芸能界引退をストップさせています。

 自分が良くない(自分のせい)と思わないのが山里亮太さんの思考形態(パターン)です。うまくいかないのは、コンビの相方(あいかた)が良くないと考えるのです。この場合、しずちゃん(山崎静代さん)が悪いのです。
 南海キャンディーズの暗黒期があります。
 山里亮太さんは、しずちゃんにずいぶんひどいことをしています。
 邦画『フラガール』へのしずちゃんの出演を断るようにマネージャーに告げています。(それでもしずちゃんは、映画に出演されました。自分は、映画は観ました。炭鉱が閉山して、さびれゆく街の産業を復興させるために炭鉱労働者の娘さんたちがフラダンスショーを始めるお話でした。常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの存在は、自分は小学生の頃から知っていました)相方(あいかた)の出世を喜ばない山里亮太さんは、自分でも書いておられますが、本当に人間のクズです。

 山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。

 その後、いろいろあって、山里亮太さんは改心されています。
 人間は、言動のパターンを変更することができる部分もあります。
 南海キャンディーズ初単独ライブ『他力本願』というタイトルを見て、先日まで読んでいたコミックドラえもんののび太を思い出しました。のび太こそ、他力本願な男です。(巻末に出てくるお笑いコンビオードリーの若林正恭さんのコメントの中にものび太が出てきます)
 
 本人が書いた部分の全体を読み終えました。
 お笑い芸人で直木賞作家又吉直樹作品『火花』を思い出しました。

(解説 若林正恭)
 ちゃんと本文を読んで解説を書いてあることがわかります。(そうじゃないと思われるキャッチフレーズ、とくに本の帯の文句、推薦文などがあると自分は思っています。出版社などに書かされている。名前だけ貸している)

 マッチョイムズ:男らしさ、たくましさ。強いものが正義という考え方。

 良かった表現として『慕われていないとなると、よほど人望がないのだろう(山里亮太さんのこと)』

 どきどきキャンプの佐藤満春(サトミツ):お笑いコンビ。相方の岸学さんという人は以前テレビ番組『旅猿』で見たことがあります。

 天才は努力の人です。エジソンの言葉『天才は、1%のひらめきと99%の努力』エジソンは一日中発明のことを考えていたと思います。
 日本人の勤労者の中にも、一日中仕事のことを考えている人はたくさんいます。
 『山ちゃんは、どれをとっても破格の熱量だった』そうです。
 『山ちゃんは、99%の成功があったとしても、1%のミスに注目する』ちょっと度が過ぎています。
 なにかにとりつかれている。
 脳に異常な発達があるのではないか。ゆえに、天才なのではないかというつながりです。
 
 『傷を隠さない生き様(いきざま)』があるそうです。

 しばらくしたら若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』文春文庫を読んでみます。

(『天才はあきらめた』の出版時期)
 2018年7月30日
 2019年6月5日入籍発表(同月3日入籍)


(その後)
 読み終えて、しばらく、いろいろ考えています。
 ひとつは、『箱』のこと。
 芸能界・テレビ界はひとつの『箱』です。(まあ、すべての業界に共通することです)
 芸能人は、箱の中で働きます。
 箱の中には、理想と現実があって、矛盾(むじゅん。正しいことが通らない)があります。
 『箱』の中でなんとか食べていくことが最優先です。
 次に考えることが、ギャラです。
 以前、著者とは別のお笑いコンビの人が、月15万円から18万円の手取り収入では、働く気になれないと言ったのを聞いたことがあります。その人の年収は5000万円ぐらいでした。否定も肯定もできません。人それぞれの働き方に対する考えがあります。いずれの働き方にも私生活の過ごし方も含めて、メリットもデメリットもあります。  

Posted by 熊太郎 at 07:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月09日

ルリユールおじさん いせひでこ

ルリユールおじさん いせひでこ 講談社

 先日読んだ同作者の『チェロの木』と筋立ては同じパターンです。
 こちらの本では、おじいさんがいて少女がいて、ストーリーが流れていきます。チェロの木のほうは、おじいさんと少年からの始まりでした。

 ルリユールというのは、フランスパリにいる本をつくる人という職業のことです。製本です。手づくり本です。

 絵本は、パリの風景から始まります。洋風の建物風景です。
 『パリの街に朝がきた。』から始まります。
 いつかパリに行ってみたい。
 コロナ禍がおさまるのを待ちます。
 それまでは、健康に気をつけて暮らします。

 少女が持つ大きくて立派なたぶん植物図鑑(おもに樹木の紹介)が、バラバラに壊れてしまいました。
 
 絵本の絵は、絵画です。
 マンガではありませんが、ながめていると、動画に見えます。映画のシーンのようでもあります。静止画なのに、絵に動きがあるのです。

 本をつくる職人が『ルリユール』
 ルリユールは、本の修繕(しゅうぜん)もしてくれる。
 老人とこどもの組み合わせは、イタリア映画『ニュー・シネマパラダイス』を思い出させてくれました。映写技師と少年の心のふれあいです。少年は成長して島を出て、映画監督になりました。

 カルトン:ボール紙

 電子書籍だと、この紙でできた絵本の感触の良さが伝わってこないでしょう。

 ふと調べたら、自分は、2014年の1月に『ルリユール』というタイトルの本を読んでいました。
 ルリユール 村山早紀(むらやま・さき) ポプラ社
 もう内容を覚えていませんが、読書メモを見ると、舞台は沖縄で、親子関係がうまくいっていない母親と13歳中学生娘の話とありました。
 娘の祖父は米兵で米国に帰国済み。娘は本土に住む未婚の母だった祖母にひとり旅で会いに行きます。
 読書メモとして記録が残っています。
 心情に残ったこととして『本を読む人には、本を読まねばならない事情があるのです』

 ルリユールには、世襲もあるのだろう。(親の仕事を子が継ぐ(つぐ))
 
 先日読んだ『チェロの木』と同じく、木の話が出ます。
 作者は、樹木が好きです。
 アカシアの木:春から秋にかけて、ふわふわでぽんぽんとした球体の黄色い花を咲かせる。

 少女の名前は『ソフィー』

 本をつくる職人仕事について、絵でていねいに描いてあります。
 
(2回目の本読みとして)

 本を愛する人の絵本です。
 ルリユール(製本職人)の仕事ぶりを絵本で観ていて思うことは、効率優先の資本主義システムに背をむけて、人間らしい生活をしようということ。
 時間がかかってもいいじゃないか。手間がかかってもいいじゃないか。ムダがあってもいいじゃないか。
 
 紙しばいの絵を見るようです。
 絵の中にいる少女が、実際にしゃべっているように見える絵です。
 おじいさんと少女が、同じ作業(本づくり)をしています。
 まず、気持ちがあって、絵があって、物語が始まって、お話が流れていく。
 絵の具の色合いは明るい。
 
 修繕した本は壊れなかった。
 本に『壊れる』という発想はありませんでした。

 精神的に、商業的ではない『本』があります。  

Posted by 熊太郎 at 06:34Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年02月08日

ティラノ部長 原作・鈴木おさむ 作画・したら領

ティラノ部長 原作・鈴木おさむ 作画・したら領(したら・りょう) マガジンハウス

 『ティラノ』は、カバーの絵から察するに、大昔の地球上にいた恐竜『ティラノザウルス』のことでしょう。威圧感があって、肉食で、活発に活動するイメージです。両手が短くて、しっぽが長くて、強そうな見た目です。二本足で、ピョンピョン飛ぶようにスピーディに駆けながら(かけながら)獲物(えもの)を追いかけます。
 26ページまで読んだところですが、かなりおもしろい。マンガです。先日まで、ドラえもんを読んでいたので、脳内にマンガ連続のイメージがあります。
 職場で古いタイプの上司を『ティラノ部長』とし、彼の言動が時代遅れという扱いです。そのとおりだなと納得しつつ、心の中で笑いながら、目をとおしています。
 原作の鈴木おさむさんという方は、お笑い芸人である森三中の大島美幸さんのご主人です。放送作家の方です。

 ティラノ部長のモデルがいるような気がします。54歳の部長職です。大卒後、勤務年数32年です。ティラノ部長が若手のときは、当然、鬼のように働きました。
 パワハラ、セクハラ、なんとかハラにめげずに、サービス残業はもちろんのこと、上司や同僚の私的なサポートも含めて、力の限りを尽くして働いてきたことでしょう。
 読んでいて、主人公が愛おしくなる(いとおしくなる)ときがあります。

 『プテラ課長』という37歳の人物が出てきます。このマンガでは、上司がみんな恐竜の姿で、部下は人間の姿をしています。
 プテラ課長の由来は、鳥恐竜プテラノドンでしょう。
 巨大なコウモリのようにも見える空を飛ぶ恐竜です。体重は軽そうです。人間関係の調整において、小回りがいい印象があります。

 本は、第25話まであります。
 2021年10月の初版です。

 コロナ禍におけるサラリーマン物語でもあります。
 飲み会をやろうとしても、若手はアルコールを飲みません。居酒屋では、お茶やジュース類の注文ばかりです。
 ペリエとは何? 炭酸水。水、ミネラルウォーターでした。知りませんでした。注文してお金を払って水を飲むのです。年配の世代にはなかなか理解できません。
 
 もうリタイヤした身なので、ZOOM(ズーム)というものを自分は知りません。ズーム。マンガでは、リモート会議で使用します。
 『デロリアン』というのは、アメリカ映画『バックトゥザフューチャー』に出ていたタイムマシン式の機能をもつかっこいいスポーツカーのことでしょう。デロリアンに乗って、過去に戻ることを願うティラノ部長です。

 ティラノ部長が手に持つ携帯電話のガラケーは、最近は、見かけなくなりました。ガラケーは、職場では、恥ずかしい存在だそうです。みなさん、スマホです。

 ティラノ部長には離婚歴があるそうです。
 マンガの絵を見ていて、哀しい(かなしい)気分になりました。

 リゲイン:疲労回復のためのドリンク剤

(つづく)

 読んでいると、たまに虚しく(むなしく)もなります。(嫌なことから逃れたくて(のがれたくて)何も考えたくないというからっぽな気持ち)

 LINE Pay(ラインペイ)とは何? 電子決済サービス
 さしあたって、自分には必要がありません。

 こどもさんができない夫婦のつらさがあります。(不妊のことです)

 読んでいると、いろいろと、つらくて、さみしい。
 
 心の機微があります。機微(きび):かすかな動き。表面にはでない雰囲気。心の動き。心の変化。
 言いたくても言えないことがあります。

 インスタグラム:自分には何のことかわかりませんが、みんながやるからやるみたいです。
 
 奥さんと別れた時の奥さんの言葉(離婚)『(あなたには、あるいは、わたしたちには)情(じょう)はあるけれど愛がないの』
 仕事人間だったから、目は仕事を向いていて、目は妻を見ていなかった。
 あわせて『愛を持続するには努力がいる』

(つづく)

 読み続けています。
 お笑い芸を見ているようです。
 絵もきれいです。

 マシーン(機械のように)になって働く労働者の哀愁と涙の人生があります。

 なんというか、自分の人生は何だったのだろうかと後悔する内容で救いがありません。
 ここまで、おもしろかったのですが、だんだん悲劇を見ている気分になってきました。

 残念ですが、95ページにある奈良の大仏は、鎌倉の大仏の絵になっています。

 老いた親の介護は、たいていの場合、だれにもついてくる難題です。

 胸に響いた言葉として『結局私は会社員』

 教訓として、サラリーマンは、奥さんを大事にしないと孤独になります。

 なんだかすごいラストシーンでした。
 人間ドラマがありました。

 そうか。第2巻が出るのか。楽しみにしています。  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文