2021年06月14日
水を縫う 寺地はるな
水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社
第一章から第六章まであります。
第一章を読み終えて、ぼんやりと本のカバーをながめていました。
男子高校生が木製椅子のそばに立って横を向いています。
(そうか、裁縫好きの男子高校生が水を縫うという設定なのか。男子高校生の足もとには水たまりのようなものが広がっており、下のほうには針と糸の絵があります。糸は赤い糸ですから縁結びの糸でしょう。なお男子高校生はオカマではありません)
「第一章 みなも」
離婚母子家庭に母方祖母が同居する四人家族です。舞台は大阪、寝屋川市とか門真市(かどまし)とかの地名が出ます。
松岡清澄(まつおか・きよすみ):高校一年生 十六歳 祖母や離婚して出て行った父親の血筋なのか手芸が好きで得意。「女子力高すぎ男子」されどオカマにみられるらしく学校では孤独な雰囲気あり。家事は料理担当。一歳のときに両親が離婚。以降父親は、外で会う人となる。離婚原因は夫のだらしなかった生活にあるらしい。
松岡文枝:松岡清澄の祖母。家事は料理担当
松岡さつ子:松岡清澄の母親。市役所「子育て支援課」勤務。家事は掃除担当。おそらく四十代始め。
松岡水青(まつおか・みお。父親が二十二歳のときのこども。できちゃった婚):松岡清澄の姉。学習塾の職員。紺野という男性と結婚予定。家事は洗濯担当。四月にウェディングドレスの話が出て、結婚式は十月です。二十三歳
高梨全(たかなし・ぜん):松岡さつ子の別れた夫。こどもたちの父親。四十歳過ぎぐらい。家庭に難(なん。普通じゃない事情)があったらしい。金銭感覚がおかしい。
宮多雄大:松岡清澄のクラスメート。出席番号順が近いだけの関係だが、松岡清澄に積極的に声をかけてきた。小学校一年生の弟がいる。弟の名前が「颯斗(はやと)」
高杉くるみ:松岡清澄の幼なじみ。小学校・中学校がいっしょ。背が低い。「石」が好き。変わり者か。教室の中では孤独らしい。父親が中学校の先生
井上賢人(いのうえ・けんと):松岡清澄と同じクラス。寝屋川中学校出身。趣味は映画鑑賞
小野結実香(おの・ゆみか):松岡清澄と同じクラス。特技はバスケットボール
マキちゃん:祖母松岡文枝の中学の同級生。フラダンスを習っている。七十四歳(身近にフラダンスをするそういう人たちがいるのでリアルに感じました)
黒田:高梨全の雇用主であり、高梨全と同居している家主。親から受け継いだ株式会社黒田縫製の社長。未婚
アロエ:サボテンみたいな植物。薬にもなる。食べることができる。健康食品
パキラ:観葉植物。ビワの葉っぱみたい。
松岡清澄は、結婚式で姉が着るウェディングドレスを縫って手づくりしたい(素敵な話です)
高校生の進路としておおまかに三つの選択肢があります。
①とにかくすぐにお金がほしいから大学進学をせずに就職する。
②お金がないから奨学金やバイト収入をあてにして大学に進学する。
③とりあえず就職して、お金を貯めてから大学へ入学する。
半世紀ぐらいの昔は、④として夜間大学への進学がありましたが、今は少なくなっているような気がします。ほかには、今だと専門学校への進学もあるのでしょう。
うまくいかなかったけれど、服飾関係で仕事をしていたらしい父親と家族との微妙な気持ちのかけひきがあります。
ミントタブレット:ミント味の食べ物。リフレッシュ、さわやか味
パタンナー:デザイナーがデザインした洋服の型紙をつくる職業。
スタイリスト:衣装、髪型、小物などをコーディネート(調整)する職業
亡くなりましたが、ファッションデザイナーの山本寛斎(やまもと・かんさい)さんのイメージあり。
共布(ともぬの):洋服の端切れ(はぎれ)服の補修に使用する。
読みながらしみじみしてくる感覚があるのですが、歳をとってみると、あのときは言えなかったことが、今になって、言えるようになったということがあります。当時の本音を相手に話してみると、案外、相手やまわりのことを誤解していたり、錯覚だったりしたことが判明します。悩んでいたことの内容が勘違いであったことに気づくのです。
以前アフリカ大陸をひとり旅した女性の手記を読んだことがあります。ジャングルで迷子になってとても怖い思いをしたのですが、出会うアフリカの人たちはみな親切で、自分が勝手に相手は怖い人たちだと先入観で思い込んでいたとありました。そして、世界は、誤解と錯覚で成り立っているという考えを記述されていました。あわせて、アフリカの国境は先進国が勝手に線引きしたもので、そこに住んでいるアフリカの人たちには、国境線という線は、頭にはないと書いてあったと思います。
高杉晋作(たかすぎ・しんさく):1839年(天保10年)-1867年(慶応3年)27歳没 江戸時代末期の長州藩士(ちょうしゅうはんし。山口県)幕末の尊王攘夷(そんのうじょうい。天皇を尊び、外国を追い払う)を主張する武士。軍事担当。肺結核で死去
名文句として「学校以上に、個性を尊重すること、伸ばすことに向いていない場所はない」「磨かれたくない石もある」「(趣旨として)さびしさをごまかすために、好きでないことをするのは、もっとさびしい」
これはこうでないといけないという「標準化」を求める学校教育に背を向けたい。
「第二章 傘のしたで」
学習塾で事務職をしている長女松岡水青(まつおか・みお)の語りです。年齢は、二十一歳でしょう。
婚約者のことが書いてあります。コピー会社営業職の紺野さんです。
離婚して家を出て行った父親のことが書いてあります。父親を否定して、父親に会うことを避ける松岡水青(まつおか・みお)さんです。デザイナーくずれの父親からのプレゼント「水色のワンピース、小学六年生のときのクリスマスプレゼント」に強い拒否反応がありました。
手芸や裁縫が好きな弟松岡清澄(まつおか・きよすみ)くんの「女子力」が強い。
姉の松岡水青(まつおか・みお)さんは、人から「かわいい」と言われたくない。「女の子」という目で男性から見られたくない。それは、痴漢被害者体験やセクハラ対象にされるイヤな思いがつのったからでしょう。男から見て、性的魅力を感じられるような女子になりたくない。
痴漢行為やスカート切り、チンチン見せたがりなど、ヘンな性癖をもつ男たちがいます。
被害者女性のほうの服装や言動が良くなかったのではないかと、被害者のほうが悪く言われて責められる理不尽なこともあります。
おもねるような:人に気に入られるようにふるまう。
「第三章 愛の泉」
今度は、母親の松岡さつ子さんの事情です。
マスオさん状態で、できちゃった婚をしたけれど、デザイナーになりたかったけれどなれなかった服飾関係営業職の夫を家から追い出して離婚しています。元夫は家庭的には恵まれていなかったようです。理解のないご両親について書いてあります。
妊娠32週で結婚祝いをもらった:通常は、37週から41週で出産
あかちゃんの誤飲対応があります。誤飲の対応はたいへんです。事故死させるわけにはいきません。口から異物を取り出すために、生えてきた歯で指を強く噛まれて痛い思いをした自分の体験が思い出されました。
諒々と(じゅんじゅんと):よくわかるようにくりかえし教える。
いい文節として「あれが嫌だった。これが嫌だったという気持ちだけは、今なお鮮明だ。」読み手に気持ちがよく伝わってきます。
かまびすしい:うるさく、不快
家族から(元夫、長女、長男、母親)大事にしてもらえない女性の苦悩があります。
「第四章 プールサイドの犬」
七十四歳の祖母松岡文枝さんの事情です。松岡文枝さんのこどものころのお話は、自分にも類似体験があるのでなつかしい。
『世界は、男のものと女のものにわかれているのだと知った。』性差別の話を扱うことがこの小説の主題です。
リネン:植物である亜麻(あま)の繊維を原料とした布織物
鱧(はも):うなぎみたいな銀色に輝く魚
リッパ-:小型の裁縫道具。はさみの代わりに縫い目などを切る。
高校一年生手芸と裁縫が得意な松岡清澄くんは、おばあちゃんにも、だれにでも心優しい。
いい本です。今年読んで良かった一冊です。
「第五章 しずかな湖畔の」
第五章を今、読み終えたところです。たいしたものです。とてもこんなふうに上手には書けません。
離婚して出て行った松岡さつ子さんの元夫全さん(ぜんさん)の雇用主で親から引き継いだ株式会社黒田縫製で社長をしている黒田さんの語りです。服飾専門学校の同級生だった縁で、高梨全さんとふたりで暮らしています。黒田さんは未婚で四十代を迎えています。
一人称パターンのひとり語りで、語る人物を変えながら「章」をつないでいく手法です。角田光代さんとか乃南アサさん(のなみあささん)、窪美澄さん(くぼみすみさん)、町田そのこさん、柚月麻子さん(ゆづきあさこさん)とか、その他いろいろな人の書き方です。作者が登場人物にのりうつる手法です。読み手にとってはわかりやすい。
雰囲気としては、「線は僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社」作品と同じ空気感があり落ち着きます。たしか、線は僕を描くでは、同時に交通事故死したご両親のことで、青年が長い時間をかけて、自分の気持ちに折り合いをつける物語でした。
ナチュラル系:ファッション。ありのまま。着飾らない。派手ではない。
せわしない:落ち着きがない。忙しそう。
アオスジアゲハ:羽の黒い下地に海色(うみいろ)のブルーが縦に並んだ模様のアゲハチョウ
歪(いびつ):ゆがんでいて正しくない。
一介の(いっかいの):つまらない。取るに足らない。
黒田社長と元夫の高梨全さんは、漫才コンビのようです。
掠れる:かすれる。声がうまく出ない。
178ページにある『これぐらいしか、してやれない。……声はなぜか、ひどく掠れている(かすれている)』の部分は、胸にぐっときました。
ボディ:ファッション。マネキンの上半身の部分だけのものだろうと解釈しました。
読んでいて、ふと、親子関係をつなぐものって、なんだろうと考えました。
ジョーゼット:ちりめん(ちぢれた感じの織物)の織物。薄く、軽く、ゆるやか。
チュール:女性用のベール、帽子に使用する。絹、ナイロンでできた薄い編状に縫った布
ギャザー:ひだ。ひだを寄せる技法。布を縫って縮めたもの。
プリーツ:ひだ。折り目
トラペーズライン:裾(すそ)に向かうにつれて広がりをもつシルエット
シーチンク:もとは敷布用平織り生地。シーツ。衣服の仮縫い生地
ホワイトワーク:白い布に白い糸で刺繡を(ししゅうを)施す(ほどこす)。
サテン:ドレスでよく使われる生地。なめらか。上質。高級感あり。
ほっとする文章です。大阪らしい空気感があります。
「家族」とはなにかという話になっていきます。
毎日いっしょにごはんを食べて、お互いのことを心配しあいながら、これからもずっといっしょにやっていく人たちのこと。
十六歳高校一年生である松岡清澄くんの個性設定がいい。
『外にはお父さんがふたりおるような感じがしてた……』は、なかなか言える言葉ではありません。
「第六章 流れる水は淀まない」
淀む(よどむ):水が流れない状態。濁る(にごる)。汚れる。
最後は、松岡清澄くんの語りです。
ドレープ:布をたらしたときにできる、ゆったりとしたひだ
フリル:衣服の裾(すそ)、襟(えり)、袖口(そでぐち)にほどこされる装飾
こぎん刺し:青森県津軽に伝わる技法。青い麻布に白い糸を刺して模様を形成する。
ルーマニア:東南ヨーロッパ。黒海の西。バルカン半島諸国のひとつ。
心に沁みる(しみる)文脈が続きます。
『中学生までのぼくはいつもひとりだった(男のくせに、裁縫や手芸が好きだったことから)……』
(裁縫や手芸ができない)母親の言い分として『なにかに手間をかけることが愛情や真心のあかしだと思わないでほしい……』
こどもが何歳になっても、母親にとっては、こどもはこどもなのか。
『こどもの心配をするのが親の仕事や』
『ひと針目はちょっと勇気がいったけど、あとは勝手に手が動いた(考えなくても体が反応して導いてくれる)』
そして、「そうか」と意味がわかります。
『好きなことと仕事が結びついてないことは人生の失敗でもなんでもない……』松岡清澄くんの父親のことだろうか。
件(くだん):特定の事柄。この本では、「件(くだん)の直談判(じかだんぱん。母親が保育園の先生に抗議した件(けん))234ページ」
お母さんの肺炎の症状の記述が、もっと濃厚なほうが、病気の状態がよく伝わってきたと思います。
カスタードクリーム:卵、牛乳、砂糖、香料などからなるカスタードソースを使ってつくったクリーム。薄黄色でとろりとしていて甘い。
『刺繍(ししゅう)は、祈り』
第一章から第六章まであります。
第一章を読み終えて、ぼんやりと本のカバーをながめていました。
男子高校生が木製椅子のそばに立って横を向いています。
(そうか、裁縫好きの男子高校生が水を縫うという設定なのか。男子高校生の足もとには水たまりのようなものが広がっており、下のほうには針と糸の絵があります。糸は赤い糸ですから縁結びの糸でしょう。なお男子高校生はオカマではありません)
「第一章 みなも」
離婚母子家庭に母方祖母が同居する四人家族です。舞台は大阪、寝屋川市とか門真市(かどまし)とかの地名が出ます。
松岡清澄(まつおか・きよすみ):高校一年生 十六歳 祖母や離婚して出て行った父親の血筋なのか手芸が好きで得意。「女子力高すぎ男子」されどオカマにみられるらしく学校では孤独な雰囲気あり。家事は料理担当。一歳のときに両親が離婚。以降父親は、外で会う人となる。離婚原因は夫のだらしなかった生活にあるらしい。
松岡文枝:松岡清澄の祖母。家事は料理担当
松岡さつ子:松岡清澄の母親。市役所「子育て支援課」勤務。家事は掃除担当。おそらく四十代始め。
松岡水青(まつおか・みお。父親が二十二歳のときのこども。できちゃった婚):松岡清澄の姉。学習塾の職員。紺野という男性と結婚予定。家事は洗濯担当。四月にウェディングドレスの話が出て、結婚式は十月です。二十三歳
高梨全(たかなし・ぜん):松岡さつ子の別れた夫。こどもたちの父親。四十歳過ぎぐらい。家庭に難(なん。普通じゃない事情)があったらしい。金銭感覚がおかしい。
宮多雄大:松岡清澄のクラスメート。出席番号順が近いだけの関係だが、松岡清澄に積極的に声をかけてきた。小学校一年生の弟がいる。弟の名前が「颯斗(はやと)」
高杉くるみ:松岡清澄の幼なじみ。小学校・中学校がいっしょ。背が低い。「石」が好き。変わり者か。教室の中では孤独らしい。父親が中学校の先生
井上賢人(いのうえ・けんと):松岡清澄と同じクラス。寝屋川中学校出身。趣味は映画鑑賞
小野結実香(おの・ゆみか):松岡清澄と同じクラス。特技はバスケットボール
マキちゃん:祖母松岡文枝の中学の同級生。フラダンスを習っている。七十四歳(身近にフラダンスをするそういう人たちがいるのでリアルに感じました)
黒田:高梨全の雇用主であり、高梨全と同居している家主。親から受け継いだ株式会社黒田縫製の社長。未婚
アロエ:サボテンみたいな植物。薬にもなる。食べることができる。健康食品
パキラ:観葉植物。ビワの葉っぱみたい。
松岡清澄は、結婚式で姉が着るウェディングドレスを縫って手づくりしたい(素敵な話です)
高校生の進路としておおまかに三つの選択肢があります。
①とにかくすぐにお金がほしいから大学進学をせずに就職する。
②お金がないから奨学金やバイト収入をあてにして大学に進学する。
③とりあえず就職して、お金を貯めてから大学へ入学する。
半世紀ぐらいの昔は、④として夜間大学への進学がありましたが、今は少なくなっているような気がします。ほかには、今だと専門学校への進学もあるのでしょう。
うまくいかなかったけれど、服飾関係で仕事をしていたらしい父親と家族との微妙な気持ちのかけひきがあります。
ミントタブレット:ミント味の食べ物。リフレッシュ、さわやか味
パタンナー:デザイナーがデザインした洋服の型紙をつくる職業。
スタイリスト:衣装、髪型、小物などをコーディネート(調整)する職業
亡くなりましたが、ファッションデザイナーの山本寛斎(やまもと・かんさい)さんのイメージあり。
共布(ともぬの):洋服の端切れ(はぎれ)服の補修に使用する。
読みながらしみじみしてくる感覚があるのですが、歳をとってみると、あのときは言えなかったことが、今になって、言えるようになったということがあります。当時の本音を相手に話してみると、案外、相手やまわりのことを誤解していたり、錯覚だったりしたことが判明します。悩んでいたことの内容が勘違いであったことに気づくのです。
以前アフリカ大陸をひとり旅した女性の手記を読んだことがあります。ジャングルで迷子になってとても怖い思いをしたのですが、出会うアフリカの人たちはみな親切で、自分が勝手に相手は怖い人たちだと先入観で思い込んでいたとありました。そして、世界は、誤解と錯覚で成り立っているという考えを記述されていました。あわせて、アフリカの国境は先進国が勝手に線引きしたもので、そこに住んでいるアフリカの人たちには、国境線という線は、頭にはないと書いてあったと思います。
高杉晋作(たかすぎ・しんさく):1839年(天保10年)-1867年(慶応3年)27歳没 江戸時代末期の長州藩士(ちょうしゅうはんし。山口県)幕末の尊王攘夷(そんのうじょうい。天皇を尊び、外国を追い払う)を主張する武士。軍事担当。肺結核で死去
名文句として「学校以上に、個性を尊重すること、伸ばすことに向いていない場所はない」「磨かれたくない石もある」「(趣旨として)さびしさをごまかすために、好きでないことをするのは、もっとさびしい」
これはこうでないといけないという「標準化」を求める学校教育に背を向けたい。
「第二章 傘のしたで」
学習塾で事務職をしている長女松岡水青(まつおか・みお)の語りです。年齢は、二十一歳でしょう。
婚約者のことが書いてあります。コピー会社営業職の紺野さんです。
離婚して家を出て行った父親のことが書いてあります。父親を否定して、父親に会うことを避ける松岡水青(まつおか・みお)さんです。デザイナーくずれの父親からのプレゼント「水色のワンピース、小学六年生のときのクリスマスプレゼント」に強い拒否反応がありました。
手芸や裁縫が好きな弟松岡清澄(まつおか・きよすみ)くんの「女子力」が強い。
姉の松岡水青(まつおか・みお)さんは、人から「かわいい」と言われたくない。「女の子」という目で男性から見られたくない。それは、痴漢被害者体験やセクハラ対象にされるイヤな思いがつのったからでしょう。男から見て、性的魅力を感じられるような女子になりたくない。
痴漢行為やスカート切り、チンチン見せたがりなど、ヘンな性癖をもつ男たちがいます。
被害者女性のほうの服装や言動が良くなかったのではないかと、被害者のほうが悪く言われて責められる理不尽なこともあります。
おもねるような:人に気に入られるようにふるまう。
「第三章 愛の泉」
今度は、母親の松岡さつ子さんの事情です。
マスオさん状態で、できちゃった婚をしたけれど、デザイナーになりたかったけれどなれなかった服飾関係営業職の夫を家から追い出して離婚しています。元夫は家庭的には恵まれていなかったようです。理解のないご両親について書いてあります。
妊娠32週で結婚祝いをもらった:通常は、37週から41週で出産
あかちゃんの誤飲対応があります。誤飲の対応はたいへんです。事故死させるわけにはいきません。口から異物を取り出すために、生えてきた歯で指を強く噛まれて痛い思いをした自分の体験が思い出されました。
諒々と(じゅんじゅんと):よくわかるようにくりかえし教える。
いい文節として「あれが嫌だった。これが嫌だったという気持ちだけは、今なお鮮明だ。」読み手に気持ちがよく伝わってきます。
かまびすしい:うるさく、不快
家族から(元夫、長女、長男、母親)大事にしてもらえない女性の苦悩があります。
「第四章 プールサイドの犬」
七十四歳の祖母松岡文枝さんの事情です。松岡文枝さんのこどものころのお話は、自分にも類似体験があるのでなつかしい。
『世界は、男のものと女のものにわかれているのだと知った。』性差別の話を扱うことがこの小説の主題です。
リネン:植物である亜麻(あま)の繊維を原料とした布織物
鱧(はも):うなぎみたいな銀色に輝く魚
リッパ-:小型の裁縫道具。はさみの代わりに縫い目などを切る。
高校一年生手芸と裁縫が得意な松岡清澄くんは、おばあちゃんにも、だれにでも心優しい。
いい本です。今年読んで良かった一冊です。
「第五章 しずかな湖畔の」
第五章を今、読み終えたところです。たいしたものです。とてもこんなふうに上手には書けません。
離婚して出て行った松岡さつ子さんの元夫全さん(ぜんさん)の雇用主で親から引き継いだ株式会社黒田縫製で社長をしている黒田さんの語りです。服飾専門学校の同級生だった縁で、高梨全さんとふたりで暮らしています。黒田さんは未婚で四十代を迎えています。
一人称パターンのひとり語りで、語る人物を変えながら「章」をつないでいく手法です。角田光代さんとか乃南アサさん(のなみあささん)、窪美澄さん(くぼみすみさん)、町田そのこさん、柚月麻子さん(ゆづきあさこさん)とか、その他いろいろな人の書き方です。作者が登場人物にのりうつる手法です。読み手にとってはわかりやすい。
雰囲気としては、「線は僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社」作品と同じ空気感があり落ち着きます。たしか、線は僕を描くでは、同時に交通事故死したご両親のことで、青年が長い時間をかけて、自分の気持ちに折り合いをつける物語でした。
ナチュラル系:ファッション。ありのまま。着飾らない。派手ではない。
せわしない:落ち着きがない。忙しそう。
アオスジアゲハ:羽の黒い下地に海色(うみいろ)のブルーが縦に並んだ模様のアゲハチョウ
歪(いびつ):ゆがんでいて正しくない。
一介の(いっかいの):つまらない。取るに足らない。
黒田社長と元夫の高梨全さんは、漫才コンビのようです。
掠れる:かすれる。声がうまく出ない。
178ページにある『これぐらいしか、してやれない。……声はなぜか、ひどく掠れている(かすれている)』の部分は、胸にぐっときました。
ボディ:ファッション。マネキンの上半身の部分だけのものだろうと解釈しました。
読んでいて、ふと、親子関係をつなぐものって、なんだろうと考えました。
ジョーゼット:ちりめん(ちぢれた感じの織物)の織物。薄く、軽く、ゆるやか。
チュール:女性用のベール、帽子に使用する。絹、ナイロンでできた薄い編状に縫った布
ギャザー:ひだ。ひだを寄せる技法。布を縫って縮めたもの。
プリーツ:ひだ。折り目
トラペーズライン:裾(すそ)に向かうにつれて広がりをもつシルエット
シーチンク:もとは敷布用平織り生地。シーツ。衣服の仮縫い生地
ホワイトワーク:白い布に白い糸で刺繡を(ししゅうを)施す(ほどこす)。
サテン:ドレスでよく使われる生地。なめらか。上質。高級感あり。
ほっとする文章です。大阪らしい空気感があります。
「家族」とはなにかという話になっていきます。
毎日いっしょにごはんを食べて、お互いのことを心配しあいながら、これからもずっといっしょにやっていく人たちのこと。
十六歳高校一年生である松岡清澄くんの個性設定がいい。
『外にはお父さんがふたりおるような感じがしてた……』は、なかなか言える言葉ではありません。
「第六章 流れる水は淀まない」
淀む(よどむ):水が流れない状態。濁る(にごる)。汚れる。
最後は、松岡清澄くんの語りです。
ドレープ:布をたらしたときにできる、ゆったりとしたひだ
フリル:衣服の裾(すそ)、襟(えり)、袖口(そでぐち)にほどこされる装飾
こぎん刺し:青森県津軽に伝わる技法。青い麻布に白い糸を刺して模様を形成する。
ルーマニア:東南ヨーロッパ。黒海の西。バルカン半島諸国のひとつ。
心に沁みる(しみる)文脈が続きます。
『中学生までのぼくはいつもひとりだった(男のくせに、裁縫や手芸が好きだったことから)……』
(裁縫や手芸ができない)母親の言い分として『なにかに手間をかけることが愛情や真心のあかしだと思わないでほしい……』
こどもが何歳になっても、母親にとっては、こどもはこどもなのか。
『こどもの心配をするのが親の仕事や』
『ひと針目はちょっと勇気がいったけど、あとは勝手に手が動いた(考えなくても体が反応して導いてくれる)』
そして、「そうか」と意味がわかります。
『好きなことと仕事が結びついてないことは人生の失敗でもなんでもない……』松岡清澄くんの父親のことだろうか。
件(くだん):特定の事柄。この本では、「件(くだん)の直談判(じかだんぱん。母親が保育園の先生に抗議した件(けん))234ページ」
お母さんの肺炎の症状の記述が、もっと濃厚なほうが、病気の状態がよく伝わってきたと思います。
カスタードクリーム:卵、牛乳、砂糖、香料などからなるカスタードソースを使ってつくったクリーム。薄黄色でとろりとしていて甘い。
『刺繍(ししゅう)は、祈り』
2021年06月12日
出川哲朗の充電バイクの旅 長崎県九十九島からハウステンボス
出川哲朗の充電バイクの旅 2017年クリスマスイブの再編集 テレビ番組 長崎県九十九島からハウステンボス
ラストのハウステンボスのイルミネーションが良かった。
2017年(平成29年12月24日)当時はコロナウィルスの影響もなく、映像に出てくるみなさんも元気いっぱいです。
青い光と白い月光の配置が美しい。ハウステンボスは行ったことがあるので、イメージが湧きました。「ラブラブで―!」「はぁーい!!」
はるな愛さんは雨の中、全身ずぶ濡れになりながらがんばりました。12月24日の日付であり、寒かったことでしょう。
はるな愛さんのお顔が変化していきました。すごいなあ。
晴れていた時は海の色がきれいでした。
「五臓六腑(ごぞうろっぷ。人間の内臓全体)」という言葉を知らない出川さんはいろいろと国語力不足です。
三十七歳ヒゲがとても濃い男性漁師のようすがおもしろかった。
こどものころに、映像にあるような海近くの集落で暮らしたことがあるのでなつかしかった。
<スーパーミラクルあおば>というお店での「テクマクマヤコン」ひみつのアッコちゃん話もなつかしい。
とにかく、みんな元気がいい。コロナ禍がにくいです。
水族館の巨大魚「タマカイ」も迫力がありました。長生きしてね。
イルカ二頭によるボールくわえ投げがうまい。
結婚式おめでとう! その後の三年間でこどもさんがおふたり誕生されています。
来年の今ごろはコロナウィルスが下火になっているといいなー
ラストのハウステンボスのイルミネーションが良かった。
2017年(平成29年12月24日)当時はコロナウィルスの影響もなく、映像に出てくるみなさんも元気いっぱいです。
青い光と白い月光の配置が美しい。ハウステンボスは行ったことがあるので、イメージが湧きました。「ラブラブで―!」「はぁーい!!」
はるな愛さんは雨の中、全身ずぶ濡れになりながらがんばりました。12月24日の日付であり、寒かったことでしょう。
はるな愛さんのお顔が変化していきました。すごいなあ。
晴れていた時は海の色がきれいでした。
「五臓六腑(ごぞうろっぷ。人間の内臓全体)」という言葉を知らない出川さんはいろいろと国語力不足です。
三十七歳ヒゲがとても濃い男性漁師のようすがおもしろかった。
こどものころに、映像にあるような海近くの集落で暮らしたことがあるのでなつかしかった。
<スーパーミラクルあおば>というお店での「テクマクマヤコン」ひみつのアッコちゃん話もなつかしい。
とにかく、みんな元気がいい。コロナ禍がにくいです。
水族館の巨大魚「タマカイ」も迫力がありました。長生きしてね。
イルカ二頭によるボールくわえ投げがうまい。
結婚式おめでとう! その後の三年間でこどもさんがおふたり誕生されています。
来年の今ごろはコロナウィルスが下火になっているといいなー
2021年06月11日
はじめて読む科学者伝記 牧野富太郎 日本植物学の父
はじめて読む科学者伝記 牧野富太郎 日本植物学の父 文・清水洋美 絵・里見和彦 汐文社(ちょうぶんしゃ)
以前テレビ番組「出没!アド街ック天国」『大泉学園』でこの方のことが紹介されていました。出演者の方が熱っぽく、牧野富太郎さんの偉大さについて語っておられたことが印象的でした。
本のカバーには、優しそうな笑顔のおじいさんが描かれています。こんなふうになって老後を送りたい。
41ページまで読んだところです。読みながら感想をつぎたしていきます。
かなり大量な量の情報が、本に落とし込んであります。中身の濃さが伝わってきます。
いわゆる「オタク(ひとつのことに集中する)」の人の伝記という位置づけで読んでいる気分です。動物が好きという人はよく聞きますが、植物がものすごく好きという人は、自分の人生では一人しか知りません。製薬会社で働いていたことがある人でした。植物と薬は関係があるのでしょう。
さて、本のカバーをめくると、ご本人の白黒写真が出てきました。昆虫採集のようなかっこうをされていますが、昆虫採集ではなくて、植物採集のお姿です。肩から採集した植物を入れる鞄のような箱をぶらさげておられます。
絵を描く才能あり。小学校を二年で中退したけれど、東京大学に出入りしていた。いったいどういう人だろう。
研究のためにどしどしお金を使い、地元の名家として裕福だった実家の店(酒蔵と小間物屋「見附の岸屋(みつけのきしや)をつぶしてしまったあと、妻と六人のこどもたちは、借金取りに追われる貧乏暮らしをしたとあります。そこだけ読むとなんとひどい人だろうということになります。でも、偉人なのです。九十四年間の人生をまっとうされています。(ご長寿にあやかりたい(自分も同じようになりたい。うらやましい))
竹蔵:実家のお店の番頭さん
成太郎(せいたろう):牧野富太郎さんの小さい頃のお名前
浪子(なみこ)さん:牧野富太郎さんの祖母(江戸時代の生れ)おばあさんがすばらしい。牧野富太郎さんがねだった高価な『重訂本草綱目啓蒙(じゅうていほんぞうこうもくけいもう)小野蘭山(おのらんざん)著』という本を孫である牧野富太郎さんに買い与えておられます。
自分の体験として、二十年ぐらい前、電気屋さんで、たぶん孫であろう女子高生がおばあさんにノートパソコンを買ってほしいとねだっていたシーンを思い出しました。おばあさんはパソコンの値段を見て自分でアルバイトをして買ってくれと返答していました。予想以上に高価だったのでおばあさんはたじろいだのでしょうが、おばあさんはたぶんノートパソコンを買うぐらいの貯金はもっていただろうし、そのとき、おばあさんは、もっともっとたくさん貯金をもっていたと思います。たくさんお金があってもほいほいとお金を使えない世代です。もったいない精神が強い世代なので、しかたがないのでしょうが、買ってあげられるものなら買ってあげたほうが、お孫さんのためになるのにと残念な思いをしたことを思い出しました。もし買ってあげていれば、きっとお孫さんはおばあさんに一生感謝してくれたと思います。死んでから相続でお金を渡すよりも生きているうちに渡したほうがいい。へんなことを思い出してしまいました。
もうひとつは「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子作品では、長女に孫の教育資金をねだられたおばあさんがそのお願いを断ります。ところが、おばあさんは、長男のなりすましでオレオレ詐欺の電話がかかってくると大金をオレオレ詐欺に渡してしまいます。たしか250万円ぐらいでした。長女は、本物の娘には頼んでもお金の援助をしてくれないくせに、他人のオレオレ詐欺には大金を渡すのかと激しく怒ります。あわせて、お金を、長女には出さないのに長男には出すのかと怒ります。いろいろあります。それもまた年寄りの生き方でもあります。
たくさんの植物の本が次々と出てきます。
牧野富太郎さんの略歴
1862年(江戸時代 文久ぶんきゅう2年)土佐(のちの四国高知県)の佐川村(高知市の西。現在は佐川町)で誕生。1868年が明治元年。
坂本龍馬:1836年(天保6年)-1867年(慶応3年)。1868年が明治元年。土佐藩士。幕末から明治にかけての国づくりに貢献した。
自分が明治時代のことを頭のなかで思い描くときは、夏目漱石さんの年齢が、明治の年数と一致するので参考にしてイメージをつくっています。
六歳までに両親と祖父を病気で亡くされています。少年牧野富太郎さんのお顔は、バッタに似ていたそうです。「西洋のハタットウ(バッタ)」と呼ばれていたそうです。
十歳になる頃から「寺子屋」で文字を習う。その後「名教館(めいこうかん)」という塾で学ぶ。本から知識を得ておられます。
堀見:牧野富太郎さんの親友
十七歳:高知市内の「五松学舎(ごしょうがくしゃ)」で学ぶ。
永沼小一郎:高知の中学の先生。牧野富太郎の恩師。このころの中学は、12歳から5年制です。その上に補習科1年制がありました。
ラテン語:イタリア半島の古代ラテン人が使っていた言葉で、ヨーロッパ、アフリカ大陸北部地域に広まった。
明治14年(1881年):19歳になった牧野富太郎さんは、高知から蒸気船で神戸へ行き(当時は海上交通が発達していたのでしょう)、神戸から蒸気機関車で京都まで行き(明治十年(1877年)に神戸-京都開通)東京をめざしたのです。
京都から三重県四日市までは歩いて行き、四日市から神奈川県横浜までは蒸気船に乗り、横浜から東京新橋までが蒸気機関車でした。
牧野富太郎さんは商家のあととりお坊ちゃまだったので、付き添いとして、番頭の竹蔵の息子熊吉と会計係としてもうひとりが付いたそうです。19歳の息子への体験投資です。海外研修旅行のようなものですな。
帰路は、横浜から東海道を、植物を集めながら京都まで歩いています。無限の資料となる草木が生えていたことでしょう。
明治時代に歩けたということは、現代でも歩いて行けるということです。以前、原付バイクで、何日もかけて東海道を往復をしたという女性がいたという話を聞いたことがあります。そういえば、充電バイクの旅の旅で、出川哲朗さんがかなりの距離を充電バイクで移動されています。
シーボルト:1796年(寛政8年)-1866年(慶応2年) 70歳没 ドイツの医師、博物学者 1823年(文政6年)に来日1828年(文政11年)に帰国。1859年(安政6年)再来日。1862年(文久2年)帰国
マキシモヴィッチ:1827年(文政10年)-1891年(明治24年) 63歳没 ロシアの植物学者 1860年来日。1864年離日。長崎でシーボルトと会う。
1881年(明治14年)に東京上野で、第二回内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)開催。入場者数約100万人
岩崎弥太郎(いわさき・やたろう):1835年(天保5年)-1885年(明治18年) 50歳没 高知県出身 三菱財閥の創業者
いごっそう(土佐の人の気質):大胆不敵で豪快で、……まっしぐらに進む。やりたことをやり、やりたくないことはやらない。(なんだかわがまま勝手に思えます。やりたいことをやりたいようにやれたら人生に苦労はありません)
牧野富太郎さんが二十歳のときにつくった自分への15の約束があります。読み手として簡略に書くと①忍耐 ②精密 ③草木の博覧(観察) ④書籍の博覧(読書) ⑤「植物学」を中心においた周辺学問の学び行為 ⑥洋書から学ぶ ⑦画図を描く ⑧師に教えを乞う ⑨ケチであってはいけない ⑩足を運ぶことをいやがってはいけない(「めんどくさい」という言葉は禁句。手間をおしんではいけない) ⑪植物園をつくる ⑫仲間をもつ ⑬人の声に耳を貸す ⑭書に書いてあることをうのみにしない ⑮生き物を創造したという者の存在を信じてはいけない(科学的であれ)
大きなお店の後継ぎとして生まれてきたのですが、高知県から東京へ出て植物の研究をしたい牧野富太郎です。後継ぎの苦悩があります。
祖母はここでも牧野富太郎さんのよき理解者でした。明治十七年(1884年)二十二歳の牧野富太郎さんを東京へ見送っています。
東京大学の学生でもない牧野富太郎さんが、先生の好意で、植物学研究所のメンバーに加えてもらっています。不思議でした。明治時代という自由を尊重する変化の時期だったからできたのだろうかと推測しました。「植物学研究所」には、いつも草木の標本の束(たば)が積み上げられていたそうです。光景が目に浮かびます。教室の別名が「青長屋」だったそうです。(ただやはり、部外者ゆえにトラブルとなって、75ページで、牧野富太郎さんは植物学研究所への出入りを止められています。組織にはルールと秩序があります。部外者は好まれません。失望した牧野富太郎さんは知り合いのロシア人植物学者マキシモヴィッチさんを頼ってロシアへ渡ろうとしますがご本人が病死されてそれもかないません。そのときに関係した東京にあるニコライ堂というロシア正教会を自分も観光で訪ねたことがあるので牧野富太郎さんの存在を身近に感じられました)
この物語は、学者さんのお話です。
牧野富太郎さんが二十五歳のときに、彼の世話をしてくれた祖母が亡くなっています。
もともと名前がない植物に名前を付けて、整理整とんの記録を付けていく。なんでもそうだったのでしょう。昔、南米ブラジルに移住した日本人は、移住先の滝に名前がなかったので、自分で太郎滝というような名前を付けたと本で読んだことがあります。
北海道開拓民もそうなのでしょう。昔はそういった何もないところに何かをつくっていく楽しみがあったと考えるのです。牧野富太郎さんの目標は植物図鑑をつくることだったと思います。
本の出版の話が出てきます。
結婚話が出てきます。牧野富太郎さんはお酒が飲めない体質で、お菓子が好きだったそうです。お菓子屋の娘さん「壽衛(すえ)さん」と結婚されています。牧野富太郎さんが「明治二十一年(1888年)二十六歳でした。
根岸:東京都台東区鶯谷(うぐいすだに)駅あたり。上野の北
江戸川の土手で植物に関する新しい発見があります。遠くまで行かなくて、案外身近なところに大きな発見があるものです。
72ページと73ページにある見開きの図は、緻密(ちみつ)で丁寧(ていねい)です。愛情がこもっています。
人脈が必要です。
植物研究しかできなかった人ということはあります。一芸に秀でる(ひいでる)人は、一芸はできるけれど、そのほかのことはできないということもあります。まずもって、学者生活はできるけれど、利潤を追求するための企業戦士であるサラリーマンには向かない性格・性質というのはあります。
家業を継ぐのはむずかしい。
やはり跡取りとしての役割を果たすことができず、自営の事業を閉じておられます。
頼る基本は血縁・地縁です。
借金をする人は多い。そして、返済をしない人もある程度おられます。それも世の中であります。もう返済してもらわなくてもいいとあきらめる人もいます。世の中いろいろです。
なんというか激しい人生です。借金があるのに、子どもを十三人もつくって、そのうち病気で七人が亡くなり、六人が残り、奥さんも亡くなっています。四十八歳のときに大学助手は解雇されています。こどもが多いということは成長したこどもが稼いでくれるということですが育てる手間ひまがかかります。明治・大正の時代ですから、いまよりも男尊女卑の傾向が強かったと思います。奥さんはご苦労されました。奥さんの決断と決定があって、牧野富太郎さんは奥さんに支えられました。700坪(約2310㎡)の土地を東京武蔵野の大泉村で手に入れておられます。牧野富太郎さん64歳、奥さんの壽衛(すえさん)52歳だったそうです。そこが、この文章の冒頭に書いたアド街ック天国の番組につながりました。奥さんはそれから2年後の昭和3年に54歳ぐらいで亡くなっています。
牧野富太郎さんについて、自分はこの本を読んでいて、はた(一歩距離をおいて)で見ていてつき合うのには楽しくていい人ですが、一緒に仕事をしたいというタイプではありません。かなり負担をかけられそうです。
敵が半分、味方が半分、それでよしという生き方があります。そんな生き方をされた人です。
スポンサー(金銭的支援者)が必要です。
いい文章があります。趣旨として、草木は美しい。花も美しい。美しいものを見れば、心がゆたかになる。
明治42年(1909年)47歳 植物採集会を開催。横浜、東京が舞台です。
植物に関して博学な方ですが、その活動から、地理にも相当詳しかったと思われます。
読んでいると魚類学者、タレント、イラストレーターの「さかなクン」を思い出します。牧野富太郎さんとタイプが似ています。
「出版」へのこだわりがあります。本をつくることの意義として、広く知識を広めること。成果を次世代のために財産として遺す(のこす)ことがあります。
大正五年(1916年)54歳 「植物研究雑誌」が誕生
大正十二年(1923年)関東大震災 61歳
135ページの写真にある牧野富太郎のうしろにはものすごい数の植物標本が積み上げられています。驚きました。やはり何事も観るものを圧倒させる物量の迫力が説得力として力を発揮します。
昭和14年(1939年) 77歳で東京大学の講師を退官。日本が第二次世界大戦に参戦するのが昭和16年(1941年)です。79歳の牧野富太郎さんは中国大陸満州へサクラの調査へ行かれています。すごい。常人にはできません。
医師が「ご臨終です(ごりんじゅうです。お亡くなりになりました)」と告げたあとに、牧野富太郎さんは息を吹き返しています。なんだかすごい87歳です。スーパーマンです。
生命の限界がわからないと言われていましたが、94歳のときにお亡くなりになりました。昭和32年(1957年)でした。
高知県出身の方ですが、たまたまテレビ番組の「出川哲朗の充電バイクの旅」を見ていたら坂本龍馬の話とバイク旅のようすが放映されました。
牧野富太郎さんも高知県出身の方なので興味をもって番組を観ることができました。本には、大河ドラマの主人公渋沢栄一さんとは考え方が合わなかったという岩崎弥太郎さんのご親族のことも出ています。岩崎弥太郎さんの弟さん弥之助さんが牧野富太郎さんを金銭面で援助されています。岩崎弥太郎さんは、三菱財閥の創始者ですが、この時代の若い人たちというのは新しい日本のために生き生きとしながら輝いていたことが伝わってきます。
18ページの花の部分名称を記した絵を見て、自分が小学生のときに理科で習ったことを思い出しました。23ページにある「界-門-網-目-科-属-種」もたぶん高校生のときの学科「生物」で習ったような気がします。
バイカオウレン:春を知らせる白い花
以前テレビ番組「出没!アド街ック天国」『大泉学園』でこの方のことが紹介されていました。出演者の方が熱っぽく、牧野富太郎さんの偉大さについて語っておられたことが印象的でした。
本のカバーには、優しそうな笑顔のおじいさんが描かれています。こんなふうになって老後を送りたい。
41ページまで読んだところです。読みながら感想をつぎたしていきます。
かなり大量な量の情報が、本に落とし込んであります。中身の濃さが伝わってきます。
いわゆる「オタク(ひとつのことに集中する)」の人の伝記という位置づけで読んでいる気分です。動物が好きという人はよく聞きますが、植物がものすごく好きという人は、自分の人生では一人しか知りません。製薬会社で働いていたことがある人でした。植物と薬は関係があるのでしょう。
さて、本のカバーをめくると、ご本人の白黒写真が出てきました。昆虫採集のようなかっこうをされていますが、昆虫採集ではなくて、植物採集のお姿です。肩から採集した植物を入れる鞄のような箱をぶらさげておられます。
絵を描く才能あり。小学校を二年で中退したけれど、東京大学に出入りしていた。いったいどういう人だろう。
研究のためにどしどしお金を使い、地元の名家として裕福だった実家の店(酒蔵と小間物屋「見附の岸屋(みつけのきしや)をつぶしてしまったあと、妻と六人のこどもたちは、借金取りに追われる貧乏暮らしをしたとあります。そこだけ読むとなんとひどい人だろうということになります。でも、偉人なのです。九十四年間の人生をまっとうされています。(ご長寿にあやかりたい(自分も同じようになりたい。うらやましい))
竹蔵:実家のお店の番頭さん
成太郎(せいたろう):牧野富太郎さんの小さい頃のお名前
浪子(なみこ)さん:牧野富太郎さんの祖母(江戸時代の生れ)おばあさんがすばらしい。牧野富太郎さんがねだった高価な『重訂本草綱目啓蒙(じゅうていほんぞうこうもくけいもう)小野蘭山(おのらんざん)著』という本を孫である牧野富太郎さんに買い与えておられます。
自分の体験として、二十年ぐらい前、電気屋さんで、たぶん孫であろう女子高生がおばあさんにノートパソコンを買ってほしいとねだっていたシーンを思い出しました。おばあさんはパソコンの値段を見て自分でアルバイトをして買ってくれと返答していました。予想以上に高価だったのでおばあさんはたじろいだのでしょうが、おばあさんはたぶんノートパソコンを買うぐらいの貯金はもっていただろうし、そのとき、おばあさんは、もっともっとたくさん貯金をもっていたと思います。たくさんお金があってもほいほいとお金を使えない世代です。もったいない精神が強い世代なので、しかたがないのでしょうが、買ってあげられるものなら買ってあげたほうが、お孫さんのためになるのにと残念な思いをしたことを思い出しました。もし買ってあげていれば、きっとお孫さんはおばあさんに一生感謝してくれたと思います。死んでから相続でお金を渡すよりも生きているうちに渡したほうがいい。へんなことを思い出してしまいました。
もうひとつは「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子作品では、長女に孫の教育資金をねだられたおばあさんがそのお願いを断ります。ところが、おばあさんは、長男のなりすましでオレオレ詐欺の電話がかかってくると大金をオレオレ詐欺に渡してしまいます。たしか250万円ぐらいでした。長女は、本物の娘には頼んでもお金の援助をしてくれないくせに、他人のオレオレ詐欺には大金を渡すのかと激しく怒ります。あわせて、お金を、長女には出さないのに長男には出すのかと怒ります。いろいろあります。それもまた年寄りの生き方でもあります。
たくさんの植物の本が次々と出てきます。
牧野富太郎さんの略歴
1862年(江戸時代 文久ぶんきゅう2年)土佐(のちの四国高知県)の佐川村(高知市の西。現在は佐川町)で誕生。1868年が明治元年。
坂本龍馬:1836年(天保6年)-1867年(慶応3年)。1868年が明治元年。土佐藩士。幕末から明治にかけての国づくりに貢献した。
自分が明治時代のことを頭のなかで思い描くときは、夏目漱石さんの年齢が、明治の年数と一致するので参考にしてイメージをつくっています。
六歳までに両親と祖父を病気で亡くされています。少年牧野富太郎さんのお顔は、バッタに似ていたそうです。「西洋のハタットウ(バッタ)」と呼ばれていたそうです。
十歳になる頃から「寺子屋」で文字を習う。その後「名教館(めいこうかん)」という塾で学ぶ。本から知識を得ておられます。
堀見:牧野富太郎さんの親友
十七歳:高知市内の「五松学舎(ごしょうがくしゃ)」で学ぶ。
永沼小一郎:高知の中学の先生。牧野富太郎の恩師。このころの中学は、12歳から5年制です。その上に補習科1年制がありました。
ラテン語:イタリア半島の古代ラテン人が使っていた言葉で、ヨーロッパ、アフリカ大陸北部地域に広まった。
明治14年(1881年):19歳になった牧野富太郎さんは、高知から蒸気船で神戸へ行き(当時は海上交通が発達していたのでしょう)、神戸から蒸気機関車で京都まで行き(明治十年(1877年)に神戸-京都開通)東京をめざしたのです。
京都から三重県四日市までは歩いて行き、四日市から神奈川県横浜までは蒸気船に乗り、横浜から東京新橋までが蒸気機関車でした。
牧野富太郎さんは商家のあととりお坊ちゃまだったので、付き添いとして、番頭の竹蔵の息子熊吉と会計係としてもうひとりが付いたそうです。19歳の息子への体験投資です。海外研修旅行のようなものですな。
帰路は、横浜から東海道を、植物を集めながら京都まで歩いています。無限の資料となる草木が生えていたことでしょう。
明治時代に歩けたということは、現代でも歩いて行けるということです。以前、原付バイクで、何日もかけて東海道を往復をしたという女性がいたという話を聞いたことがあります。そういえば、充電バイクの旅の旅で、出川哲朗さんがかなりの距離を充電バイクで移動されています。
シーボルト:1796年(寛政8年)-1866年(慶応2年) 70歳没 ドイツの医師、博物学者 1823年(文政6年)に来日1828年(文政11年)に帰国。1859年(安政6年)再来日。1862年(文久2年)帰国
マキシモヴィッチ:1827年(文政10年)-1891年(明治24年) 63歳没 ロシアの植物学者 1860年来日。1864年離日。長崎でシーボルトと会う。
1881年(明治14年)に東京上野で、第二回内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)開催。入場者数約100万人
岩崎弥太郎(いわさき・やたろう):1835年(天保5年)-1885年(明治18年) 50歳没 高知県出身 三菱財閥の創業者
いごっそう(土佐の人の気質):大胆不敵で豪快で、……まっしぐらに進む。やりたことをやり、やりたくないことはやらない。(なんだかわがまま勝手に思えます。やりたいことをやりたいようにやれたら人生に苦労はありません)
牧野富太郎さんが二十歳のときにつくった自分への15の約束があります。読み手として簡略に書くと①忍耐 ②精密 ③草木の博覧(観察) ④書籍の博覧(読書) ⑤「植物学」を中心においた周辺学問の学び行為 ⑥洋書から学ぶ ⑦画図を描く ⑧師に教えを乞う ⑨ケチであってはいけない ⑩足を運ぶことをいやがってはいけない(「めんどくさい」という言葉は禁句。手間をおしんではいけない) ⑪植物園をつくる ⑫仲間をもつ ⑬人の声に耳を貸す ⑭書に書いてあることをうのみにしない ⑮生き物を創造したという者の存在を信じてはいけない(科学的であれ)
大きなお店の後継ぎとして生まれてきたのですが、高知県から東京へ出て植物の研究をしたい牧野富太郎です。後継ぎの苦悩があります。
祖母はここでも牧野富太郎さんのよき理解者でした。明治十七年(1884年)二十二歳の牧野富太郎さんを東京へ見送っています。
東京大学の学生でもない牧野富太郎さんが、先生の好意で、植物学研究所のメンバーに加えてもらっています。不思議でした。明治時代という自由を尊重する変化の時期だったからできたのだろうかと推測しました。「植物学研究所」には、いつも草木の標本の束(たば)が積み上げられていたそうです。光景が目に浮かびます。教室の別名が「青長屋」だったそうです。(ただやはり、部外者ゆえにトラブルとなって、75ページで、牧野富太郎さんは植物学研究所への出入りを止められています。組織にはルールと秩序があります。部外者は好まれません。失望した牧野富太郎さんは知り合いのロシア人植物学者マキシモヴィッチさんを頼ってロシアへ渡ろうとしますがご本人が病死されてそれもかないません。そのときに関係した東京にあるニコライ堂というロシア正教会を自分も観光で訪ねたことがあるので牧野富太郎さんの存在を身近に感じられました)
この物語は、学者さんのお話です。
牧野富太郎さんが二十五歳のときに、彼の世話をしてくれた祖母が亡くなっています。
もともと名前がない植物に名前を付けて、整理整とんの記録を付けていく。なんでもそうだったのでしょう。昔、南米ブラジルに移住した日本人は、移住先の滝に名前がなかったので、自分で太郎滝というような名前を付けたと本で読んだことがあります。
北海道開拓民もそうなのでしょう。昔はそういった何もないところに何かをつくっていく楽しみがあったと考えるのです。牧野富太郎さんの目標は植物図鑑をつくることだったと思います。
本の出版の話が出てきます。
結婚話が出てきます。牧野富太郎さんはお酒が飲めない体質で、お菓子が好きだったそうです。お菓子屋の娘さん「壽衛(すえ)さん」と結婚されています。牧野富太郎さんが「明治二十一年(1888年)二十六歳でした。
根岸:東京都台東区鶯谷(うぐいすだに)駅あたり。上野の北
江戸川の土手で植物に関する新しい発見があります。遠くまで行かなくて、案外身近なところに大きな発見があるものです。
72ページと73ページにある見開きの図は、緻密(ちみつ)で丁寧(ていねい)です。愛情がこもっています。
人脈が必要です。
植物研究しかできなかった人ということはあります。一芸に秀でる(ひいでる)人は、一芸はできるけれど、そのほかのことはできないということもあります。まずもって、学者生活はできるけれど、利潤を追求するための企業戦士であるサラリーマンには向かない性格・性質というのはあります。
家業を継ぐのはむずかしい。
やはり跡取りとしての役割を果たすことができず、自営の事業を閉じておられます。
頼る基本は血縁・地縁です。
借金をする人は多い。そして、返済をしない人もある程度おられます。それも世の中であります。もう返済してもらわなくてもいいとあきらめる人もいます。世の中いろいろです。
なんというか激しい人生です。借金があるのに、子どもを十三人もつくって、そのうち病気で七人が亡くなり、六人が残り、奥さんも亡くなっています。四十八歳のときに大学助手は解雇されています。こどもが多いということは成長したこどもが稼いでくれるということですが育てる手間ひまがかかります。明治・大正の時代ですから、いまよりも男尊女卑の傾向が強かったと思います。奥さんはご苦労されました。奥さんの決断と決定があって、牧野富太郎さんは奥さんに支えられました。700坪(約2310㎡)の土地を東京武蔵野の大泉村で手に入れておられます。牧野富太郎さん64歳、奥さんの壽衛(すえさん)52歳だったそうです。そこが、この文章の冒頭に書いたアド街ック天国の番組につながりました。奥さんはそれから2年後の昭和3年に54歳ぐらいで亡くなっています。
牧野富太郎さんについて、自分はこの本を読んでいて、はた(一歩距離をおいて)で見ていてつき合うのには楽しくていい人ですが、一緒に仕事をしたいというタイプではありません。かなり負担をかけられそうです。
敵が半分、味方が半分、それでよしという生き方があります。そんな生き方をされた人です。
スポンサー(金銭的支援者)が必要です。
いい文章があります。趣旨として、草木は美しい。花も美しい。美しいものを見れば、心がゆたかになる。
明治42年(1909年)47歳 植物採集会を開催。横浜、東京が舞台です。
植物に関して博学な方ですが、その活動から、地理にも相当詳しかったと思われます。
読んでいると魚類学者、タレント、イラストレーターの「さかなクン」を思い出します。牧野富太郎さんとタイプが似ています。
「出版」へのこだわりがあります。本をつくることの意義として、広く知識を広めること。成果を次世代のために財産として遺す(のこす)ことがあります。
大正五年(1916年)54歳 「植物研究雑誌」が誕生
大正十二年(1923年)関東大震災 61歳
135ページの写真にある牧野富太郎のうしろにはものすごい数の植物標本が積み上げられています。驚きました。やはり何事も観るものを圧倒させる物量の迫力が説得力として力を発揮します。
昭和14年(1939年) 77歳で東京大学の講師を退官。日本が第二次世界大戦に参戦するのが昭和16年(1941年)です。79歳の牧野富太郎さんは中国大陸満州へサクラの調査へ行かれています。すごい。常人にはできません。
医師が「ご臨終です(ごりんじゅうです。お亡くなりになりました)」と告げたあとに、牧野富太郎さんは息を吹き返しています。なんだかすごい87歳です。スーパーマンです。
生命の限界がわからないと言われていましたが、94歳のときにお亡くなりになりました。昭和32年(1957年)でした。
高知県出身の方ですが、たまたまテレビ番組の「出川哲朗の充電バイクの旅」を見ていたら坂本龍馬の話とバイク旅のようすが放映されました。
牧野富太郎さんも高知県出身の方なので興味をもって番組を観ることができました。本には、大河ドラマの主人公渋沢栄一さんとは考え方が合わなかったという岩崎弥太郎さんのご親族のことも出ています。岩崎弥太郎さんの弟さん弥之助さんが牧野富太郎さんを金銭面で援助されています。岩崎弥太郎さんは、三菱財閥の創始者ですが、この時代の若い人たちというのは新しい日本のために生き生きとしながら輝いていたことが伝わってきます。
18ページの花の部分名称を記した絵を見て、自分が小学生のときに理科で習ったことを思い出しました。23ページにある「界-門-網-目-科-属-種」もたぶん高校生のときの学科「生物」で習ったような気がします。
バイカオウレン:春を知らせる白い花
2021年06月10日
罪の声 邦画DVD
罪の声 邦画DVD 2020年公開
もうずいぶん前にこのタイトルの小説を読みました。
話題性があるので、いずれ映像化される作品だろうと思いました。
予想どおり映画になったので観てみました。
1984年に実際にあった事件が素材です。
ほかのかたたちの映画鑑賞後の感想を読んで、高評価が多くて、書きにくいのですが、自分は、観終えて、うーむという心境になりました。
少数派の感想になるのでしょうが、観ながら感じたことをそのまま落としてみます。
犯行に使用したこどもの声が録音されているカセットテープは、ふつうは、犯行後、証拠隠滅のために内容を消去するか、破壊して廃棄するのでしょう。(ゆえに、この話は永遠にスタートしないのです)
現実の事件で、犯行に使用されたこどもの声は、もっと生々しい声だったような記憶です。リアルにその事件が発生した時、自分は二十代でした。
ヒューマンストーリーに仕上げてあります。人間らしさを描いたドラマです。映画だからなあという気分で映像に寄り添ってみました。
「いつか必ず迎えにくるし」の関西弁が心に響きました。
映像は、あまりにも不幸な流れで、観ておれません。まあ映像とセリフは、意図的に加工してあるのですが、顔をそむけました。
中学生少女の交通事故死は、現実だったら、ただではすみません。ここでもう事件の全体像が発覚してしまいます。
犯罪グループ内のごたごたの描き方は、陳腐(ちんぷ。古臭い。ありふれていてつまらない)で質が悪い印象を受けました。
『こどもたちにはなにも責任がありません』法律上も厳しい断罪をうけるような立場ではありません。こども三人は全員無罪です。
何だろう。過去の掘り起こしというのは、「希望」がありません。
もう「過去」を変えることはできないからです。
梶芽衣子さん演じるお母さんを責めてはいけません。
イギリスの映像が不可解でした。なんであんな背景のところを歩かなければならないのだろう。観光ガイドシーンを観ているようでした。
自殺企図の動機が弱くて、それでは死ねない。
なんだかちがうんじゃないかなあという気分で観終わりました。
「レオポン」がなつかしかった。ライオンとヒョウの間に生まれたこどもです。
(2016年9月の読書メモから)
罪の声 塩田武士 講談社
31年前のグリコ・森永事件をヒントにした物語と広告を見て読み始めました。まだ、19ページ(全体で409ページ)ですが、感想を書き始めます。なお事件は、2000年2月に時効です。
当時、テレビで、子どもの声で、脅迫めいたメッセージがなんども流されました。その声の主が冒頭で、自分のその声が録音されたカセットテープを父亡き実家で偶然見つけます。いまさら感がありますが、なかなか、スリリング(はらはらどきどき)な始まりです。現実にありえます。
登場人物です。
曽根俊也 30歳 スーツを売る店の店主。妻亜美、2歳詩織あり。京都在住
曽根光雄 俊也の父。すでに亡くなっている。33年前、「テーラー曽根」の店主だった。俊也の母は、胃潰瘍で入院している。
阿久津英士 全国紙大日新聞文化部記者
舞台は、京都、大阪、奈良、滋賀が中心で、あとイギリス国内と東京です。
気に入った表現です。「振り子のリズムで時を刻んだ」、「前時代的な自分に酔うタイプ」、「警察官は、組織内の水のなかでしか生きていけない」、「殺人は後戻りができない犯罪」、「七・八割で手を引いて、次の機会を窺う(うかがう)のが一番賢いやり方だが、一方、ヤクザは骨の髄までしゃぶりつくすのがやり方」
漢字等の勉強です。「安堵:あんど。安心」、「厳めしい:いかめしい。近寄りにくい威厳」、「ソーホーのパブ:ロンドンにあるソーホーという場所、「ユニオンジャック:イギリスの国旗」、「シェフィールド:イギリス中部の工業都市」、「SUSPENDED:地下鉄が電気故障により一時的に動いていない」、「臍を噛むおもい:ほぞをかむ。残念でいらいらする。自分の口で自分のへそをかもうとするがかめない」、「パグのようなしわ:ぶさいくだけれどかわいいブルドック」、「敵わんな:かなわんな。勝てない」、「アングラ:アンダーグラウンド。地下。商業性無視の独自な世界」、「城南宮(京都伏見にある神社)」、「仕手筋、仕手本尊:してすじ。意図的に特定株を買いその株価をつり上げるグループ。短期間に大幅な利益を得る。してほんぞん、複数の仕手筋グループの中心となるグループ」、「敷鑑しきかん:犯罪隠語。住居と関係がある」、「件くだん:前に述べたこと、例の」、「ハブ:つなぎ役。連結の中心位置。企業と総会屋の仲介役」、「拝金主義者:金銭を無上(むじょう。最も優れている)のものとして崇拝する」、「喚きちらす:わめきちらす」
(つづく)
185ページまできましたが、ここで、自分自身が理解するために整理をします。
ネタバレになってしまいますので、読みたくない方は、これ以降は読まないでください。
なにしろ昔のことで、今の時点に立って、当時を思い出しながら読むことに苦痛が伴います。いまさら感が強い。
犯人は7人。7人だが、2グループの合体ではなかろうかというところまできました。
犯行動機は、株価の操作を目的とした金儲け。そして、親族がらみの仇討とか警察組織への仕返しです。
犯人の一部はイギリスへ逃亡した。
犯人の一部は外国籍。本拠地は関西。滋賀県を含む。
1人目:曽根達夫。弟の息子が曽根俊也、彼がこどもの声が自分の声だと気づく。イギリスソーホーの中華街にいた中国人かも。父親が製菓会社の社員だったが、誤認による不名誉な事故死をして会社に捨てられた。製菓会社を怨んでいた。左翼の過激派に属していた。
2人目:生島秀樹。事件当時、中3の娘と小2の息子がいた。滋賀県警を退職させられた。滋賀県警に怨みあり。84年11月14日一家消息不明となる。当日は、現金奪取未遂の日だった。
3人目:?
4人目:金田哲司(在日、金光哲キムグァンチョル)すでに死去しているだろう。小柄で猫背、髪が薄い。大阪堺「し乃」のおかみさんとできていた。トラック運転手。兵庫県川西市。昭和15年6月9日生。無線知識あり。自動車盗
5人目:金田貴志(金貴成キムクイソン偽名の疑いあり)。キツネ目の男。金田哲司の仕事仲間
6人目:?
7人目:?
堀田信二 アンティーク店主(古美術・骨董品)、曽根光雄の親友
曽根俊也にキツネ目の肩幅の広い男をつけた記憶あり。彼は、小さな建物に入っていった。
キツネ目は35歳~45歳。身長175cm~178cm。目つき鋭く、がっちりとした体格で威圧感あり。
1983年11月(昭和58年) オランダアムステルダムで、ハイネケン経営者誘拐解放事件発生。身代金20億円の支払いあり。翌年犯人全員逮捕された。日本の事件の犯人はこれをまねた。
記述内容に、平成時代から見た昭和時代への回顧あり。(なつかしむ)
1984年3月18日(昭和59年)夜9時頃、製菓会社社長誘拐事件発生、現金10億、金塊100kgを要求。同月21日午後2時過、誘拐されていた社長が監禁場所を脱出し、国鉄大阪駅貨物ターミナル駅で発見された。
85年8月12日犯人グループが終結宣言。脅迫された食品会社等は6社。店頭に毒入り食品を置くという強迫内容で金銭を要求
84年(昭和59年)11月4日 交信記録
牛若丸<標準語>20代から30代の声 株関係
テン丸<関西弁>金田哲司 40歳以上の声 自動車盗
同月14日 現金受け渡し日
85年(昭和60年)1月10日 キツネ目の男の似顔絵公開
(つづく)
読み終えました。
暗い内容の経過が続き、気持ちがふさぎました。
以前の記事は、中途半端なまま残して置きますが、以降、だいぶ変化します。
県警同士のうまくいかないコミュニケーションがあります。警察に限らず、法人組織にはありがちなことです。過去、現在も変わりありません。人が入れ替わるだけです。改善はされるでしょうが、完ぺきには至れません。
昭和の昔と違うのは、一匹狼サムライタイプの豪傑がいなくなりました。上の指令に従わないが、とある一部分での実績はあげていくタイプです。(その後の追記:水谷豊さんの「相棒」がありました)
卑劣な犯行でした。逮捕されなかったとしても、実行者に天罰はくだったでしょう。
小説と現実は別物という前提で読みたい。
犯人グループにツキがあった。捜査グループに協力関係・信頼関係がなかった。そういう印象を受けました。
他の書評を読みました。大半の人は好感をもって迎えていましたが、少数派の人は否定していました。わたしも否定派です。風景描写がわずらわしかった。後半の種明かしは、ふたりの人物の連続した会話で進行でしたが単調でした。小説を多読してきた人にとっては物足りなかったのでしょう。「永遠の0(ゼロ)」とか「砂の器(うつわ)」パターンで展開していますが、熟成された成功度が不十分に感じました。
もうずいぶん前にこのタイトルの小説を読みました。
話題性があるので、いずれ映像化される作品だろうと思いました。
予想どおり映画になったので観てみました。
1984年に実際にあった事件が素材です。
ほかのかたたちの映画鑑賞後の感想を読んで、高評価が多くて、書きにくいのですが、自分は、観終えて、うーむという心境になりました。
少数派の感想になるのでしょうが、観ながら感じたことをそのまま落としてみます。
犯行に使用したこどもの声が録音されているカセットテープは、ふつうは、犯行後、証拠隠滅のために内容を消去するか、破壊して廃棄するのでしょう。(ゆえに、この話は永遠にスタートしないのです)
現実の事件で、犯行に使用されたこどもの声は、もっと生々しい声だったような記憶です。リアルにその事件が発生した時、自分は二十代でした。
ヒューマンストーリーに仕上げてあります。人間らしさを描いたドラマです。映画だからなあという気分で映像に寄り添ってみました。
「いつか必ず迎えにくるし」の関西弁が心に響きました。
映像は、あまりにも不幸な流れで、観ておれません。まあ映像とセリフは、意図的に加工してあるのですが、顔をそむけました。
中学生少女の交通事故死は、現実だったら、ただではすみません。ここでもう事件の全体像が発覚してしまいます。
犯罪グループ内のごたごたの描き方は、陳腐(ちんぷ。古臭い。ありふれていてつまらない)で質が悪い印象を受けました。
『こどもたちにはなにも責任がありません』法律上も厳しい断罪をうけるような立場ではありません。こども三人は全員無罪です。
何だろう。過去の掘り起こしというのは、「希望」がありません。
もう「過去」を変えることはできないからです。
梶芽衣子さん演じるお母さんを責めてはいけません。
イギリスの映像が不可解でした。なんであんな背景のところを歩かなければならないのだろう。観光ガイドシーンを観ているようでした。
自殺企図の動機が弱くて、それでは死ねない。
なんだかちがうんじゃないかなあという気分で観終わりました。
「レオポン」がなつかしかった。ライオンとヒョウの間に生まれたこどもです。
(2016年9月の読書メモから)
罪の声 塩田武士 講談社
31年前のグリコ・森永事件をヒントにした物語と広告を見て読み始めました。まだ、19ページ(全体で409ページ)ですが、感想を書き始めます。なお事件は、2000年2月に時効です。
当時、テレビで、子どもの声で、脅迫めいたメッセージがなんども流されました。その声の主が冒頭で、自分のその声が録音されたカセットテープを父亡き実家で偶然見つけます。いまさら感がありますが、なかなか、スリリング(はらはらどきどき)な始まりです。現実にありえます。
登場人物です。
曽根俊也 30歳 スーツを売る店の店主。妻亜美、2歳詩織あり。京都在住
曽根光雄 俊也の父。すでに亡くなっている。33年前、「テーラー曽根」の店主だった。俊也の母は、胃潰瘍で入院している。
阿久津英士 全国紙大日新聞文化部記者
舞台は、京都、大阪、奈良、滋賀が中心で、あとイギリス国内と東京です。
気に入った表現です。「振り子のリズムで時を刻んだ」、「前時代的な自分に酔うタイプ」、「警察官は、組織内の水のなかでしか生きていけない」、「殺人は後戻りができない犯罪」、「七・八割で手を引いて、次の機会を窺う(うかがう)のが一番賢いやり方だが、一方、ヤクザは骨の髄までしゃぶりつくすのがやり方」
漢字等の勉強です。「安堵:あんど。安心」、「厳めしい:いかめしい。近寄りにくい威厳」、「ソーホーのパブ:ロンドンにあるソーホーという場所、「ユニオンジャック:イギリスの国旗」、「シェフィールド:イギリス中部の工業都市」、「SUSPENDED:地下鉄が電気故障により一時的に動いていない」、「臍を噛むおもい:ほぞをかむ。残念でいらいらする。自分の口で自分のへそをかもうとするがかめない」、「パグのようなしわ:ぶさいくだけれどかわいいブルドック」、「敵わんな:かなわんな。勝てない」、「アングラ:アンダーグラウンド。地下。商業性無視の独自な世界」、「城南宮(京都伏見にある神社)」、「仕手筋、仕手本尊:してすじ。意図的に特定株を買いその株価をつり上げるグループ。短期間に大幅な利益を得る。してほんぞん、複数の仕手筋グループの中心となるグループ」、「敷鑑しきかん:犯罪隠語。住居と関係がある」、「件くだん:前に述べたこと、例の」、「ハブ:つなぎ役。連結の中心位置。企業と総会屋の仲介役」、「拝金主義者:金銭を無上(むじょう。最も優れている)のものとして崇拝する」、「喚きちらす:わめきちらす」
(つづく)
185ページまできましたが、ここで、自分自身が理解するために整理をします。
ネタバレになってしまいますので、読みたくない方は、これ以降は読まないでください。
なにしろ昔のことで、今の時点に立って、当時を思い出しながら読むことに苦痛が伴います。いまさら感が強い。
犯人は7人。7人だが、2グループの合体ではなかろうかというところまできました。
犯行動機は、株価の操作を目的とした金儲け。そして、親族がらみの仇討とか警察組織への仕返しです。
犯人の一部はイギリスへ逃亡した。
犯人の一部は外国籍。本拠地は関西。滋賀県を含む。
1人目:曽根達夫。弟の息子が曽根俊也、彼がこどもの声が自分の声だと気づく。イギリスソーホーの中華街にいた中国人かも。父親が製菓会社の社員だったが、誤認による不名誉な事故死をして会社に捨てられた。製菓会社を怨んでいた。左翼の過激派に属していた。
2人目:生島秀樹。事件当時、中3の娘と小2の息子がいた。滋賀県警を退職させられた。滋賀県警に怨みあり。84年11月14日一家消息不明となる。当日は、現金奪取未遂の日だった。
3人目:?
4人目:金田哲司(在日、金光哲キムグァンチョル)すでに死去しているだろう。小柄で猫背、髪が薄い。大阪堺「し乃」のおかみさんとできていた。トラック運転手。兵庫県川西市。昭和15年6月9日生。無線知識あり。自動車盗
5人目:金田貴志(金貴成キムクイソン偽名の疑いあり)。キツネ目の男。金田哲司の仕事仲間
6人目:?
7人目:?
堀田信二 アンティーク店主(古美術・骨董品)、曽根光雄の親友
曽根俊也にキツネ目の肩幅の広い男をつけた記憶あり。彼は、小さな建物に入っていった。
キツネ目は35歳~45歳。身長175cm~178cm。目つき鋭く、がっちりとした体格で威圧感あり。
1983年11月(昭和58年) オランダアムステルダムで、ハイネケン経営者誘拐解放事件発生。身代金20億円の支払いあり。翌年犯人全員逮捕された。日本の事件の犯人はこれをまねた。
記述内容に、平成時代から見た昭和時代への回顧あり。(なつかしむ)
1984年3月18日(昭和59年)夜9時頃、製菓会社社長誘拐事件発生、現金10億、金塊100kgを要求。同月21日午後2時過、誘拐されていた社長が監禁場所を脱出し、国鉄大阪駅貨物ターミナル駅で発見された。
85年8月12日犯人グループが終結宣言。脅迫された食品会社等は6社。店頭に毒入り食品を置くという強迫内容で金銭を要求
84年(昭和59年)11月4日 交信記録
牛若丸<標準語>20代から30代の声 株関係
テン丸<関西弁>金田哲司 40歳以上の声 自動車盗
同月14日 現金受け渡し日
85年(昭和60年)1月10日 キツネ目の男の似顔絵公開
(つづく)
読み終えました。
暗い内容の経過が続き、気持ちがふさぎました。
以前の記事は、中途半端なまま残して置きますが、以降、だいぶ変化します。
県警同士のうまくいかないコミュニケーションがあります。警察に限らず、法人組織にはありがちなことです。過去、現在も変わりありません。人が入れ替わるだけです。改善はされるでしょうが、完ぺきには至れません。
昭和の昔と違うのは、一匹狼サムライタイプの豪傑がいなくなりました。上の指令に従わないが、とある一部分での実績はあげていくタイプです。(その後の追記:水谷豊さんの「相棒」がありました)
卑劣な犯行でした。逮捕されなかったとしても、実行者に天罰はくだったでしょう。
小説と現実は別物という前提で読みたい。
犯人グループにツキがあった。捜査グループに協力関係・信頼関係がなかった。そういう印象を受けました。
他の書評を読みました。大半の人は好感をもって迎えていましたが、少数派の人は否定していました。わたしも否定派です。風景描写がわずらわしかった。後半の種明かしは、ふたりの人物の連続した会話で進行でしたが単調でした。小説を多読してきた人にとっては物足りなかったのでしょう。「永遠の0(ゼロ)」とか「砂の器(うつわ)」パターンで展開していますが、熟成された成功度が不十分に感じました。
2021年06月09日
アーニャは、きっと来る マイケル・モーパーゴ
アーニャは、きっと来る マイケル・モーパーゴ作 佐藤見果夢(さとう・みかむ)訳 評論社
全体で9章あるうちの1章を読み終えたところで、本の表紙の絵を見ました。
ベレー帽をかぶって、つえをもって、肩から鞄を斜めに下げているのが、ジョー・ラランデという羊飼いの少年であることがわかります。
彼の左隣にいる犬が、牧羊犬のロウフで、話の内容から察すると歳をとっている犬です。
ふたりの背景にある場所は、フランス国の山間部レスキュンというところです。スペイン国との国境に近いというような情報があります。グーグルマップで調べたらやはりそうでした。かなり山深い。南側がスペイン国です。地図を見ていたら、コロナウィルスが終息したらいつかフランスに行ってみたいと思いました。
それから、本のタイトルを見て、「アーニャ」って、だれだろうと思いました。
第2章を読み終えて、「アーニャ」がだれなのかがわかりました。
それとは、別の情報で(本のカバーの裏に書いてありました)「ユダヤ人の子ども12人の亡命に手を貸した村人たち」のようなことが書いてあります。
第二次世界大戦:1939年-1945年。連合国対日本・ドイツ・イタリア。連合国軍の勝利。この本では、戦争が始まってから2年ぐらいが経過したところと説明がありました。現地のフランス人村人たちは、まだ、ドイツ兵を見たことはないそうです。
亡命:他国に逃げる。
ユダヤ人差別:ドイツ軍による大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ。ホロコースト)ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰する人々で、ユダヤ教は一神教(いっしんきょう)といって、ユダヤ教以外を宗教として認めません。この世に登場した最初の宗教がユダヤ教で、ユダヤ教からキリスト教が生まれて、ユダヤ教とキリスト教からイスラム教が生まれています。イエス・キリストが十字架にかけられたことで、キリスト教徒がユダヤ教徒を許せない心情があります。シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)
読みながら感想メモをつくっていきます。
ジョー・ラランデ:12歳。母親リズと祖父アンリ・ラランデとヒツジの群れを飼育する農業を営んでいる。父は戦争に行ってドイツ軍に捕まって捕虜になっているそうです。
クリスチナ・ラランデ:ジョー・ラランデの妹。
ムッシュ・サートル:レスキュン村の村長
ユベール・サートル:村長の息子。村一番の大男。知的障害がある。この物語において、この息子さんの存在が大きい。この息子さんがこの物語を太く強く支えていきます。
牧羊犬ロウフ:白いグレートピレニーズ(大型犬。原産地フランス)年寄り。ブタが大嫌いだそうです。
ジャン・マーティ:ジョー・ラランデの従兄(いとこ)
ラサール神父
アルマン・ジョレ:食料品店の店主(野生のクマを仕留めた(しとめた。鉄砲で撃って倒した))
オルカーダばあさん(アリス):農場経営。村人からは好かれていない。あだなが「クロゴケグモ(メスはたてよこ4cm×6cmぐらい、おなかの大きな黒いクモ。オスのほうが小さい。」ただし、ジョー・ラランデのおじいさんはオルカーダ―ばあさんをかばう。おじいさんとおばあさんは昔、恋人同士だったそうです。祖父アンリの娘(ジョー・ラランデの母親)は、オルカーダばあさんを嫌っている。まあいろいろあります。
謎の男(第1章で)ベンジャミン:オルカーダばあさんの娘婿(むすめむこ。赤いひげの男)娘のフローレンスはお産がうまくいかなくて亡くなった。第2章で名前が判明する。彼は、ユダヤ人です。
アーニャ:ベンジャミンとフローレンスのこども。オルカーダばあさんの孫娘。赤い髪の女の子。6歳ぐらいのイメージです。
ローラン:ジョー・ラランデの親友
リア:ポーランドから逃亡中の少女。兄弟姉妹が8人いた。ユダヤ人
オーダ先生:学校の先生
ローラン(男子):知的障害があるらしきユベールのものまねをするこども。
アルマン・ジョレ:学校の児童
ヴァイスマン中尉:ドイツ軍司令官。中尉(ちゅうい):将校。大尉の下、少尉に上。
ドイツ陸軍の伍長(ごちょう):ドイツのバイエルンに妻と娘が三人いる。長女はベルリンの電話会社で働いている。伍長は、現地では、林業を営んでいる。
マダム・スーレー:パン屋で働いている。
マダム・ローベ
ジョー・ラランデの父親。戦地で結核になって帰郷
ミッシェル・モローワ:ジョー・ラランデの父親の同郷の戦友。こちらも結核で帰郷
良かったセリフとして、オルカーダばあさんの
「ここの人たちは田舎者(いなかもの)だけど、愚か者(おろかもの)じゃないんだ」
不思議だったセリフとして、ベンジャミンの
「どっちの神さまに?」(ユダヤ教の神さまかキリスト教の神さまかという選択だろうか)
娘婿と義理の母親との関係の強さに違和感をもちましたが、娘であり、孫娘である「アーニャ」の存在がふたりをつないでいることがわかり納得できました。
戦乱期の情報収集がラジオです。ラジオロンドンからの放送を頼りにしています。現代だとSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の利用なのでしょう。
ペタン:フランスの軍人、政治家
ドゴール:イギリスロンドンのいる将軍。シャルルドゴール。フランス大統領
35ページの「おれだよ」がおもしろかった。笑いました。
ポワチエ:フランス西部にある都市。人口約26万人
アーニャ―はいないのです。だから、アーニャがくるのを待っているのです。ゆえに本のタイトルが「アーニャは、きっと来る」であることがわかりました。
レスキュン村にドイツ軍人たち22人がやってきました。
フランスから国境を越えてスペインに逃げようとするユダヤ人を捕まえるための派遣です。
逃亡に協力するフランス人もドイツ軍に捕まえられてしまいます。
ノスリ:鳥。鷹(たか)
「ジェンクゥーヤ」(ポーランド語で、ありがとう)
夜間外出禁止令が出ました。午後9時30分以降の外出は禁止です。破ると逮捕されます。
豊臣秀吉の刀狩り(1588年)のように、鉄砲狩りも始まりました。鉄砲はドイツ軍に差し出さなければなりません。
今は5人。
第一次世界大戦ベルダンの戦い:1914年(大正3年)-1918年(大正7年)ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア対連合国。連合国の勝利。ベルダンの戦いは、1916年にフランスの都市ベルダン(ベルギー、ルクセンブルク、ドイツの国境に近い)であった戦い。
26万人ぐらいの死者、行方不明者が出た。
将校 伍長:将校は少尉以上の軍人もしくは、部隊の指揮官。伍長は、最下級の指揮官。5人程度の集まりの長。
よかった表現として「ユーベル(障害者)を幸せにする者は、村人たちに受け入れられる」
子どもが8人。納屋に隠れている。
バイエルン:ドイツの州。チェコ、オーストリア、リヒテンシュタインとの国境。州都がミュンヘン
ドイツ軍の中尉も伍長も人間味があって優しい。だけど、軍の上層部からの命令もあって、ユダヤ人には厳しいのでしょう。
納屋にいる子どもの数が10人になっています。
12人までいくのでしょうが、ふと、戦争を扱った日本の児童文学作品である壷井榮さんの名作「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」を思い出しました。12人のこどもたちの瞳の合計が二十四です。そのうちのひとり岡田磯吉くん(ソンキ、とうふやの息子)は戦争に行って戦闘で眼球を失って失明してしまいました。それでも彼は、自分たちが小学一年生のときの白黒集合写真を指さしながら自分にはみんなの顔が見えると同級生や担任だった大石先生に語るのです。
ついに12人になりました。
下ばえ:木の下に生えている草
洞穴:ほらあな
ユダヤ人のこどもたち12人のうち、少なくとも女の子が3人。女の子のうちのひとりは「リア」、チェスがうまい小さな男の子が「マイケル」6歳ぐらいに見えます。(あとでわかるのですが、本当は15歳です。飢餓状態で育ったので発育がうまくいっていないのです。彼がジョーに伏線になるチェスの「白の女王」のコマをもたせてくれます。彼は、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、英語を話すことができます。賢い少年です)
ユダヤ人は戦時中、いつでもどこでもドイツ軍に見つからないように隠れて暮らしています。小説でも映画でも暗くて狭い場所にたくさんで隠れています。気の毒です。
生き延びるための国境越えです。フランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃げます。スペインに手助けをしてくれる人たちがいます。
ただ、病気やけがで動けない人もいます。それでもドイツ兵は迫ってきます。GO!(ゴー)かSTOP(ストップ)か。迷います。
ドイツ軍の伍長(ごちょう。五人ぐらいのグループの班長ポスト)は金曜日のたびに休みをもらって双眼鏡でワシを見るために山に登ります。
伍長は、戦争の加害者であるとともに、被害者でもあります。三人の娘さんのうちのひとりをドイツベルリンの空襲で亡くします。
彼の言葉です。「戦争をするなら、兵隊同士で戦うべきだ。(自分の娘が空爆で死んでから悩んでいるという話が続きます)」
後半は、ドイツ軍人である伍長とフランス人12歳のジョー・ラランデとの強い友情が表現されていきます。伍長はドイツ軍ヴァイスマン中尉から見ると反逆者です。昨年読んだ同作者であるマイケル・モーパーゴ作品「フラミンゴボーイ」でもドイツ軍伍長はいい人でした。庶民同士は仲良くなれるのに、国家同士は対立しようとする。いけないことです。
こちらの物語の伍長もジョー・ラランデも秘密をかかえて生きていくことになります。人間はむずかしい生き物です。昔は「(秘密を)墓場までもっていく」と表現しました。最近はどういうわけかバレバレです。SNSの発達が明白をサポートしているかのようにみえます。
マーモット:リス科の小動物。ねずみのようにも見える。ワシの獲物(えもの)
だんだんピンチが迫ってきます。
戦地で捕虜になっていたジョー・ラランデの父親が結核という肺の病気で帰還してきますが、戦争で精神状態がよくない方向へと変わっています。無事に帰って来てもアル中状態です。家族は嬉しくありません。
ちょっと不思議なのは、結核は人に感染する肺の病気なので通常は専用の療養所に隔離されるような気がします。
逃亡のアイデアは素敵です。昔から伝わるお話(物語とか民話)には、役立つヒントがあります。
一蓮托生(いちれんたくしょう):複数のひとたちが最後まで運命をともにすること。
ヨハン・セバスティアン・バッハ:1685年-1750年。65歳没。ドイツ人作曲家
ベンジャミンの良かったセリフとして「……希望が見えなくなっていたとき…… ただ、待って、祈ろう……」
ホエー:チーズをつくるときに出る透明な液体。糖分とタンパク質
ハフリンガー:馬の種類。ドイツ、イタリア、オーストリアが原産地。体高130cmぐらい。ポニー
最後を迎えて、物語は最初に戻ります。
大きな伏線(後半で大きな感動を呼ぶために前半に置くネタ、情報)が仕掛けてありました。
良かったセリフとして、「(ドイツ軍の)伍長は善良で親切な人だ……それでもやはり敵側の人間だ……」
たしか、洋画「戦場のピアニスト」でユダヤ人ピアニストを救ったドイツ人兵士は戦後収容所で早くに亡くなりました。
死ななくてもいい人たちがたくさん死んでいったのが「戦争」です。
村人たちがフランス国家「ラ・マルセイエーズ」を合唱するシーンが本に出てきますが、たしか洋画「カサブランカ」にもそういうシーンがありました。歌は国を象徴します。洋画「サウンドオブミュージック」では、エーデルワイスがオーストリア国家を意味していました。
良かったセリフとして、おじいちゃんの「また、やりなおすために」
最後の一行を読んで、胸にずんとくるものがありました。
(訳者あとがきから)
原語の作品は、1990年に出版されているそうですから、かれこれ31年前の作品です。
全体で9章あるうちの1章を読み終えたところで、本の表紙の絵を見ました。
ベレー帽をかぶって、つえをもって、肩から鞄を斜めに下げているのが、ジョー・ラランデという羊飼いの少年であることがわかります。
彼の左隣にいる犬が、牧羊犬のロウフで、話の内容から察すると歳をとっている犬です。
ふたりの背景にある場所は、フランス国の山間部レスキュンというところです。スペイン国との国境に近いというような情報があります。グーグルマップで調べたらやはりそうでした。かなり山深い。南側がスペイン国です。地図を見ていたら、コロナウィルスが終息したらいつかフランスに行ってみたいと思いました。
それから、本のタイトルを見て、「アーニャ」って、だれだろうと思いました。
第2章を読み終えて、「アーニャ」がだれなのかがわかりました。
それとは、別の情報で(本のカバーの裏に書いてありました)「ユダヤ人の子ども12人の亡命に手を貸した村人たち」のようなことが書いてあります。
第二次世界大戦:1939年-1945年。連合国対日本・ドイツ・イタリア。連合国軍の勝利。この本では、戦争が始まってから2年ぐらいが経過したところと説明がありました。現地のフランス人村人たちは、まだ、ドイツ兵を見たことはないそうです。
亡命:他国に逃げる。
ユダヤ人差別:ドイツ軍による大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ。ホロコースト)ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰する人々で、ユダヤ教は一神教(いっしんきょう)といって、ユダヤ教以外を宗教として認めません。この世に登場した最初の宗教がユダヤ教で、ユダヤ教からキリスト教が生まれて、ユダヤ教とキリスト教からイスラム教が生まれています。イエス・キリストが十字架にかけられたことで、キリスト教徒がユダヤ教徒を許せない心情があります。シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)
読みながら感想メモをつくっていきます。
ジョー・ラランデ:12歳。母親リズと祖父アンリ・ラランデとヒツジの群れを飼育する農業を営んでいる。父は戦争に行ってドイツ軍に捕まって捕虜になっているそうです。
クリスチナ・ラランデ:ジョー・ラランデの妹。
ムッシュ・サートル:レスキュン村の村長
ユベール・サートル:村長の息子。村一番の大男。知的障害がある。この物語において、この息子さんの存在が大きい。この息子さんがこの物語を太く強く支えていきます。
牧羊犬ロウフ:白いグレートピレニーズ(大型犬。原産地フランス)年寄り。ブタが大嫌いだそうです。
ジャン・マーティ:ジョー・ラランデの従兄(いとこ)
ラサール神父
アルマン・ジョレ:食料品店の店主(野生のクマを仕留めた(しとめた。鉄砲で撃って倒した))
オルカーダばあさん(アリス):農場経営。村人からは好かれていない。あだなが「クロゴケグモ(メスはたてよこ4cm×6cmぐらい、おなかの大きな黒いクモ。オスのほうが小さい。」ただし、ジョー・ラランデのおじいさんはオルカーダ―ばあさんをかばう。おじいさんとおばあさんは昔、恋人同士だったそうです。祖父アンリの娘(ジョー・ラランデの母親)は、オルカーダばあさんを嫌っている。まあいろいろあります。
謎の男(第1章で)ベンジャミン:オルカーダばあさんの娘婿(むすめむこ。赤いひげの男)娘のフローレンスはお産がうまくいかなくて亡くなった。第2章で名前が判明する。彼は、ユダヤ人です。
アーニャ:ベンジャミンとフローレンスのこども。オルカーダばあさんの孫娘。赤い髪の女の子。6歳ぐらいのイメージです。
ローラン:ジョー・ラランデの親友
リア:ポーランドから逃亡中の少女。兄弟姉妹が8人いた。ユダヤ人
オーダ先生:学校の先生
ローラン(男子):知的障害があるらしきユベールのものまねをするこども。
アルマン・ジョレ:学校の児童
ヴァイスマン中尉:ドイツ軍司令官。中尉(ちゅうい):将校。大尉の下、少尉に上。
ドイツ陸軍の伍長(ごちょう):ドイツのバイエルンに妻と娘が三人いる。長女はベルリンの電話会社で働いている。伍長は、現地では、林業を営んでいる。
マダム・スーレー:パン屋で働いている。
マダム・ローベ
ジョー・ラランデの父親。戦地で結核になって帰郷
ミッシェル・モローワ:ジョー・ラランデの父親の同郷の戦友。こちらも結核で帰郷
良かったセリフとして、オルカーダばあさんの
「ここの人たちは田舎者(いなかもの)だけど、愚か者(おろかもの)じゃないんだ」
不思議だったセリフとして、ベンジャミンの
「どっちの神さまに?」(ユダヤ教の神さまかキリスト教の神さまかという選択だろうか)
娘婿と義理の母親との関係の強さに違和感をもちましたが、娘であり、孫娘である「アーニャ」の存在がふたりをつないでいることがわかり納得できました。
戦乱期の情報収集がラジオです。ラジオロンドンからの放送を頼りにしています。現代だとSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の利用なのでしょう。
ペタン:フランスの軍人、政治家
ドゴール:イギリスロンドンのいる将軍。シャルルドゴール。フランス大統領
35ページの「おれだよ」がおもしろかった。笑いました。
ポワチエ:フランス西部にある都市。人口約26万人
アーニャ―はいないのです。だから、アーニャがくるのを待っているのです。ゆえに本のタイトルが「アーニャは、きっと来る」であることがわかりました。
レスキュン村にドイツ軍人たち22人がやってきました。
フランスから国境を越えてスペインに逃げようとするユダヤ人を捕まえるための派遣です。
逃亡に協力するフランス人もドイツ軍に捕まえられてしまいます。
ノスリ:鳥。鷹(たか)
「ジェンクゥーヤ」(ポーランド語で、ありがとう)
夜間外出禁止令が出ました。午後9時30分以降の外出は禁止です。破ると逮捕されます。
豊臣秀吉の刀狩り(1588年)のように、鉄砲狩りも始まりました。鉄砲はドイツ軍に差し出さなければなりません。
今は5人。
第一次世界大戦ベルダンの戦い:1914年(大正3年)-1918年(大正7年)ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア対連合国。連合国の勝利。ベルダンの戦いは、1916年にフランスの都市ベルダン(ベルギー、ルクセンブルク、ドイツの国境に近い)であった戦い。
26万人ぐらいの死者、行方不明者が出た。
将校 伍長:将校は少尉以上の軍人もしくは、部隊の指揮官。伍長は、最下級の指揮官。5人程度の集まりの長。
よかった表現として「ユーベル(障害者)を幸せにする者は、村人たちに受け入れられる」
子どもが8人。納屋に隠れている。
バイエルン:ドイツの州。チェコ、オーストリア、リヒテンシュタインとの国境。州都がミュンヘン
ドイツ軍の中尉も伍長も人間味があって優しい。だけど、軍の上層部からの命令もあって、ユダヤ人には厳しいのでしょう。
納屋にいる子どもの数が10人になっています。
12人までいくのでしょうが、ふと、戦争を扱った日本の児童文学作品である壷井榮さんの名作「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」を思い出しました。12人のこどもたちの瞳の合計が二十四です。そのうちのひとり岡田磯吉くん(ソンキ、とうふやの息子)は戦争に行って戦闘で眼球を失って失明してしまいました。それでも彼は、自分たちが小学一年生のときの白黒集合写真を指さしながら自分にはみんなの顔が見えると同級生や担任だった大石先生に語るのです。
ついに12人になりました。
下ばえ:木の下に生えている草
洞穴:ほらあな
ユダヤ人のこどもたち12人のうち、少なくとも女の子が3人。女の子のうちのひとりは「リア」、チェスがうまい小さな男の子が「マイケル」6歳ぐらいに見えます。(あとでわかるのですが、本当は15歳です。飢餓状態で育ったので発育がうまくいっていないのです。彼がジョーに伏線になるチェスの「白の女王」のコマをもたせてくれます。彼は、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、英語を話すことができます。賢い少年です)
ユダヤ人は戦時中、いつでもどこでもドイツ軍に見つからないように隠れて暮らしています。小説でも映画でも暗くて狭い場所にたくさんで隠れています。気の毒です。
生き延びるための国境越えです。フランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃げます。スペインに手助けをしてくれる人たちがいます。
ただ、病気やけがで動けない人もいます。それでもドイツ兵は迫ってきます。GO!(ゴー)かSTOP(ストップ)か。迷います。
ドイツ軍の伍長(ごちょう。五人ぐらいのグループの班長ポスト)は金曜日のたびに休みをもらって双眼鏡でワシを見るために山に登ります。
伍長は、戦争の加害者であるとともに、被害者でもあります。三人の娘さんのうちのひとりをドイツベルリンの空襲で亡くします。
彼の言葉です。「戦争をするなら、兵隊同士で戦うべきだ。(自分の娘が空爆で死んでから悩んでいるという話が続きます)」
後半は、ドイツ軍人である伍長とフランス人12歳のジョー・ラランデとの強い友情が表現されていきます。伍長はドイツ軍ヴァイスマン中尉から見ると反逆者です。昨年読んだ同作者であるマイケル・モーパーゴ作品「フラミンゴボーイ」でもドイツ軍伍長はいい人でした。庶民同士は仲良くなれるのに、国家同士は対立しようとする。いけないことです。
こちらの物語の伍長もジョー・ラランデも秘密をかかえて生きていくことになります。人間はむずかしい生き物です。昔は「(秘密を)墓場までもっていく」と表現しました。最近はどういうわけかバレバレです。SNSの発達が明白をサポートしているかのようにみえます。
マーモット:リス科の小動物。ねずみのようにも見える。ワシの獲物(えもの)
だんだんピンチが迫ってきます。
戦地で捕虜になっていたジョー・ラランデの父親が結核という肺の病気で帰還してきますが、戦争で精神状態がよくない方向へと変わっています。無事に帰って来てもアル中状態です。家族は嬉しくありません。
ちょっと不思議なのは、結核は人に感染する肺の病気なので通常は専用の療養所に隔離されるような気がします。
逃亡のアイデアは素敵です。昔から伝わるお話(物語とか民話)には、役立つヒントがあります。
一蓮托生(いちれんたくしょう):複数のひとたちが最後まで運命をともにすること。
ヨハン・セバスティアン・バッハ:1685年-1750年。65歳没。ドイツ人作曲家
ベンジャミンの良かったセリフとして「……希望が見えなくなっていたとき…… ただ、待って、祈ろう……」
ホエー:チーズをつくるときに出る透明な液体。糖分とタンパク質
ハフリンガー:馬の種類。ドイツ、イタリア、オーストリアが原産地。体高130cmぐらい。ポニー
最後を迎えて、物語は最初に戻ります。
大きな伏線(後半で大きな感動を呼ぶために前半に置くネタ、情報)が仕掛けてありました。
良かったセリフとして、「(ドイツ軍の)伍長は善良で親切な人だ……それでもやはり敵側の人間だ……」
たしか、洋画「戦場のピアニスト」でユダヤ人ピアニストを救ったドイツ人兵士は戦後収容所で早くに亡くなりました。
死ななくてもいい人たちがたくさん死んでいったのが「戦争」です。
村人たちがフランス国家「ラ・マルセイエーズ」を合唱するシーンが本に出てきますが、たしか洋画「カサブランカ」にもそういうシーンがありました。歌は国を象徴します。洋画「サウンドオブミュージック」では、エーデルワイスがオーストリア国家を意味していました。
良かったセリフとして、おじいちゃんの「また、やりなおすために」
最後の一行を読んで、胸にずんとくるものがありました。
(訳者あとがきから)
原語の作品は、1990年に出版されているそうですから、かれこれ31年前の作品です。
2021年06月08日
サイレント・トーキョー 邦画DVD
サイレント・トーキョー 邦画DVD 2020公開
東京でクリスマスイブに起きる連続爆破テロ事件です。
犯罪サスペンス映画でした。
最初の仕掛けがちゃっちいような。(貧弱)
力づく過ぎる導入部です。
人は、この程度のことで犯人に誘導されません。人は、もっと図太く、無神経で、動きません。
そこからいっきに引っ張っていくやり方かと推測しましたが、まったりとした時間帯も長く、ときおり眠かった。
液体窒素使用の理屈が自分にはわかりませんでした。(時限爆弾を冷却処理するようです)
なにがなんでも喫煙シーンを入れる日本映画の悪い癖があります。
総理大臣は、あのような発言はしません。
暗示をかける映画です。かかる人とかからない人がいます。
須永基樹という若い男性ですが、女子が惚れるような男子には見えませんでした。
警察が、須永基樹の受け答えの態度と嘘だけで、犯人扱いをしたのは説得力が弱いような。
爆破予告地である渋谷の人混みはあり得ません。立ち入り禁止の規制が入ります。
犯人の要求がわかりませんでした。太い線が見えない。昭和四十年代にあった大企業をターゲットとした赤軍派の連続爆破テロ事件のイメージで観ていました。
緊張感を自分の気持ちの中につくれない。
フランス映画であった公園爆破テロのドラマを思い出しました。遺された(のこされた)若い叔父(おじ)と小学生の姪(めい)がお互いに対立しながらも共存していく人間ドラマでした。それから、爆破シーンは、昔観た高校生ジャズバンドのメンバーが、たしか山へマツタケ狩りに行ったときに、大きなイノシシに追いかけられたときのシーンを思い出しました。
最後のほうの「とんでもない思い違い」というセリフはないほうがよかった。観ている者に、どんでん返しの予感とヒントを与えてしまいました。
なんだか愚痴ばかりになってしまいました。
東京でクリスマスイブに起きる連続爆破テロ事件です。
犯罪サスペンス映画でした。
最初の仕掛けがちゃっちいような。(貧弱)
力づく過ぎる導入部です。
人は、この程度のことで犯人に誘導されません。人は、もっと図太く、無神経で、動きません。
そこからいっきに引っ張っていくやり方かと推測しましたが、まったりとした時間帯も長く、ときおり眠かった。
液体窒素使用の理屈が自分にはわかりませんでした。(時限爆弾を冷却処理するようです)
なにがなんでも喫煙シーンを入れる日本映画の悪い癖があります。
総理大臣は、あのような発言はしません。
暗示をかける映画です。かかる人とかからない人がいます。
須永基樹という若い男性ですが、女子が惚れるような男子には見えませんでした。
警察が、須永基樹の受け答えの態度と嘘だけで、犯人扱いをしたのは説得力が弱いような。
爆破予告地である渋谷の人混みはあり得ません。立ち入り禁止の規制が入ります。
犯人の要求がわかりませんでした。太い線が見えない。昭和四十年代にあった大企業をターゲットとした赤軍派の連続爆破テロ事件のイメージで観ていました。
緊張感を自分の気持ちの中につくれない。
フランス映画であった公園爆破テロのドラマを思い出しました。遺された(のこされた)若い叔父(おじ)と小学生の姪(めい)がお互いに対立しながらも共存していく人間ドラマでした。それから、爆破シーンは、昔観た高校生ジャズバンドのメンバーが、たしか山へマツタケ狩りに行ったときに、大きなイノシシに追いかけられたときのシーンを思い出しました。
最後のほうの「とんでもない思い違い」というセリフはないほうがよかった。観ている者に、どんでん返しの予感とヒントを与えてしまいました。
なんだか愚痴ばかりになってしまいました。