2021年06月14日

水を縫う 寺地はるな

水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社

 第一章から第六章まであります。
 第一章を読み終えて、ぼんやりと本のカバーをながめていました。
 男子高校生が木製椅子のそばに立って横を向いています。
 (そうか、裁縫好きの男子高校生が水を縫うという設定なのか。男子高校生の足もとには水たまりのようなものが広がっており、下のほうには針と糸の絵があります。糸は赤い糸ですから縁結びの糸でしょう。なお男子高校生はオカマではありません)

「第一章 みなも」
 離婚母子家庭に母方祖母が同居する四人家族です。舞台は大阪、寝屋川市とか門真市(かどまし)とかの地名が出ます。
 松岡清澄(まつおか・きよすみ):高校一年生 十六歳 祖母や離婚して出て行った父親の血筋なのか手芸が好きで得意。「女子力高すぎ男子」されどオカマにみられるらしく学校では孤独な雰囲気あり。家事は料理担当。一歳のときに両親が離婚。以降父親は、外で会う人となる。離婚原因は夫のだらしなかった生活にあるらしい。
 松岡文枝:松岡清澄の祖母。家事は料理担当
 松岡さつ子:松岡清澄の母親。市役所「子育て支援課」勤務。家事は掃除担当。おそらく四十代始め。
 松岡水青(まつおか・みお。父親が二十二歳のときのこども。できちゃった婚):松岡清澄の姉。学習塾の職員。紺野という男性と結婚予定。家事は洗濯担当。四月にウェディングドレスの話が出て、結婚式は十月です。二十三歳
 高梨全(たかなし・ぜん):松岡さつ子の別れた夫。こどもたちの父親。四十歳過ぎぐらい。家庭に難(なん。普通じゃない事情)があったらしい。金銭感覚がおかしい。
 宮多雄大:松岡清澄のクラスメート。出席番号順が近いだけの関係だが、松岡清澄に積極的に声をかけてきた。小学校一年生の弟がいる。弟の名前が「颯斗(はやと)」
 高杉くるみ:松岡清澄の幼なじみ。小学校・中学校がいっしょ。背が低い。「石」が好き。変わり者か。教室の中では孤独らしい。父親が中学校の先生
 井上賢人(いのうえ・けんと):松岡清澄と同じクラス。寝屋川中学校出身。趣味は映画鑑賞
 小野結実香(おの・ゆみか):松岡清澄と同じクラス。特技はバスケットボール
 マキちゃん:祖母松岡文枝の中学の同級生。フラダンスを習っている。七十四歳(身近にフラダンスをするそういう人たちがいるのでリアルに感じました)
 黒田:高梨全の雇用主であり、高梨全と同居している家主。親から受け継いだ株式会社黒田縫製の社長。未婚

 アロエ:サボテンみたいな植物。薬にもなる。食べることができる。健康食品
 パキラ:観葉植物。ビワの葉っぱみたい。

 松岡清澄は、結婚式で姉が着るウェディングドレスを縫って手づくりしたい(素敵な話です)
 
 高校生の進路としておおまかに三つの選択肢があります。
 ①とにかくすぐにお金がほしいから大学進学をせずに就職する。
 ②お金がないから奨学金やバイト収入をあてにして大学に進学する。
 ③とりあえず就職して、お金を貯めてから大学へ入学する。
 半世紀ぐらいの昔は、④として夜間大学への進学がありましたが、今は少なくなっているような気がします。ほかには、今だと専門学校への進学もあるのでしょう。

 うまくいかなかったけれど、服飾関係で仕事をしていたらしい父親と家族との微妙な気持ちのかけひきがあります。

 ミントタブレット:ミント味の食べ物。リフレッシュ、さわやか味
 パタンナー:デザイナーがデザインした洋服の型紙をつくる職業。
 スタイリスト:衣装、髪型、小物などをコーディネート(調整)する職業

 亡くなりましたが、ファッションデザイナーの山本寛斎(やまもと・かんさい)さんのイメージあり。

 共布(ともぬの):洋服の端切れ(はぎれ)服の補修に使用する。

 読みながらしみじみしてくる感覚があるのですが、歳をとってみると、あのときは言えなかったことが、今になって、言えるようになったということがあります。当時の本音を相手に話してみると、案外、相手やまわりのことを誤解していたり、錯覚だったりしたことが判明します。悩んでいたことの内容が勘違いであったことに気づくのです。
 以前アフリカ大陸をひとり旅した女性の手記を読んだことがあります。ジャングルで迷子になってとても怖い思いをしたのですが、出会うアフリカの人たちはみな親切で、自分が勝手に相手は怖い人たちだと先入観で思い込んでいたとありました。そして、世界は、誤解と錯覚で成り立っているという考えを記述されていました。あわせて、アフリカの国境は先進国が勝手に線引きしたもので、そこに住んでいるアフリカの人たちには、国境線という線は、頭にはないと書いてあったと思います。

 高杉晋作(たかすぎ・しんさく):1839年(天保10年)-1867年(慶応3年)27歳没 江戸時代末期の長州藩士(ちょうしゅうはんし。山口県)幕末の尊王攘夷(そんのうじょうい。天皇を尊び、外国を追い払う)を主張する武士。軍事担当。肺結核で死去

 名文句として「学校以上に、個性を尊重すること、伸ばすことに向いていない場所はない」「磨かれたくない石もある」「(趣旨として)さびしさをごまかすために、好きでないことをするのは、もっとさびしい」
 これはこうでないといけないという「標準化」を求める学校教育に背を向けたい。

「第二章 傘のしたで」
 学習塾で事務職をしている長女松岡水青(まつおか・みお)の語りです。年齢は、二十一歳でしょう。
 婚約者のことが書いてあります。コピー会社営業職の紺野さんです。
 離婚して家を出て行った父親のことが書いてあります。父親を否定して、父親に会うことを避ける松岡水青(まつおか・みお)さんです。デザイナーくずれの父親からのプレゼント「水色のワンピース、小学六年生のときのクリスマスプレゼント」に強い拒否反応がありました。
 手芸や裁縫が好きな弟松岡清澄(まつおか・きよすみ)くんの「女子力」が強い。
 姉の松岡水青(まつおか・みお)さんは、人から「かわいい」と言われたくない。「女の子」という目で男性から見られたくない。それは、痴漢被害者体験やセクハラ対象にされるイヤな思いがつのったからでしょう。男から見て、性的魅力を感じられるような女子になりたくない。
 痴漢行為やスカート切り、チンチン見せたがりなど、ヘンな性癖をもつ男たちがいます。
 被害者女性のほうの服装や言動が良くなかったのではないかと、被害者のほうが悪く言われて責められる理不尽なこともあります。
 
 おもねるような:人に気に入られるようにふるまう。

「第三章 愛の泉」
 今度は、母親の松岡さつ子さんの事情です。
 マスオさん状態で、できちゃった婚をしたけれど、デザイナーになりたかったけれどなれなかった服飾関係営業職の夫を家から追い出して離婚しています。元夫は家庭的には恵まれていなかったようです。理解のないご両親について書いてあります。

 妊娠32週で結婚祝いをもらった:通常は、37週から41週で出産

 あかちゃんの誤飲対応があります。誤飲の対応はたいへんです。事故死させるわけにはいきません。口から異物を取り出すために、生えてきた歯で指を強く噛まれて痛い思いをした自分の体験が思い出されました。

 諒々と(じゅんじゅんと):よくわかるようにくりかえし教える。

 いい文節として「あれが嫌だった。これが嫌だったという気持ちだけは、今なお鮮明だ。」読み手に気持ちがよく伝わってきます。

 かまびすしい:うるさく、不快

 家族から(元夫、長女、長男、母親)大事にしてもらえない女性の苦悩があります。

「第四章 プールサイドの犬」
 七十四歳の祖母松岡文枝さんの事情です。松岡文枝さんのこどものころのお話は、自分にも類似体験があるのでなつかしい。
 『世界は、男のものと女のものにわかれているのだと知った。』性差別の話を扱うことがこの小説の主題です。
 リネン:植物である亜麻(あま)の繊維を原料とした布織物
 鱧(はも):うなぎみたいな銀色に輝く魚
 リッパ-:小型の裁縫道具。はさみの代わりに縫い目などを切る。
 
 高校一年生手芸と裁縫が得意な松岡清澄くんは、おばあちゃんにも、だれにでも心優しい。
 
 いい本です。今年読んで良かった一冊です。

「第五章 しずかな湖畔の」
 第五章を今、読み終えたところです。たいしたものです。とてもこんなふうに上手には書けません。
 離婚して出て行った松岡さつ子さんの元夫全さん(ぜんさん)の雇用主で親から引き継いだ株式会社黒田縫製で社長をしている黒田さんの語りです。服飾専門学校の同級生だった縁で、高梨全さんとふたりで暮らしています。黒田さんは未婚で四十代を迎えています。
 
 一人称パターンのひとり語りで、語る人物を変えながら「章」をつないでいく手法です。角田光代さんとか乃南アサさん(のなみあささん)、窪美澄さん(くぼみすみさん)、町田そのこさん、柚月麻子さん(ゆづきあさこさん)とか、その他いろいろな人の書き方です。作者が登場人物にのりうつる手法です。読み手にとってはわかりやすい。
 雰囲気としては、「線は僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社」作品と同じ空気感があり落ち着きます。たしか、線は僕を描くでは、同時に交通事故死したご両親のことで、青年が長い時間をかけて、自分の気持ちに折り合いをつける物語でした。

 ナチュラル系:ファッション。ありのまま。着飾らない。派手ではない。
 せわしない:落ち着きがない。忙しそう。
 アオスジアゲハ:羽の黒い下地に海色(うみいろ)のブルーが縦に並んだ模様のアゲハチョウ
 歪(いびつ):ゆがんでいて正しくない。
 一介の(いっかいの):つまらない。取るに足らない。
 
 黒田社長と元夫の高梨全さんは、漫才コンビのようです。
 掠れる:かすれる。声がうまく出ない。

 178ページにある『これぐらいしか、してやれない。……声はなぜか、ひどく掠れている(かすれている)』の部分は、胸にぐっときました。

 ボディ:ファッション。マネキンの上半身の部分だけのものだろうと解釈しました。

 読んでいて、ふと、親子関係をつなぐものって、なんだろうと考えました。

 ジョーゼット:ちりめん(ちぢれた感じの織物)の織物。薄く、軽く、ゆるやか。
 チュール:女性用のベール、帽子に使用する。絹、ナイロンでできた薄い編状に縫った布
 ギャザー:ひだ。ひだを寄せる技法。布を縫って縮めたもの。
 プリーツ:ひだ。折り目
 トラペーズライン:裾(すそ)に向かうにつれて広がりをもつシルエット
 シーチンク:もとは敷布用平織り生地。シーツ。衣服の仮縫い生地
 ホワイトワーク:白い布に白い糸で刺繡を(ししゅうを)施す(ほどこす)。
 サテン:ドレスでよく使われる生地。なめらか。上質。高級感あり。
 
 ほっとする文章です。大阪らしい空気感があります。

 「家族」とはなにかという話になっていきます。
 毎日いっしょにごはんを食べて、お互いのことを心配しあいながら、これからもずっといっしょにやっていく人たちのこと。

 十六歳高校一年生である松岡清澄くんの個性設定がいい。
 『外にはお父さんがふたりおるような感じがしてた……』は、なかなか言える言葉ではありません。

「第六章 流れる水は淀まない」
 淀む(よどむ):水が流れない状態。濁る(にごる)。汚れる。

 最後は、松岡清澄くんの語りです。
 
 ドレープ:布をたらしたときにできる、ゆったりとしたひだ
 フリル:衣服の裾(すそ)、襟(えり)、袖口(そでぐち)にほどこされる装飾
 こぎん刺し:青森県津軽に伝わる技法。青い麻布に白い糸を刺して模様を形成する。
 ルーマニア:東南ヨーロッパ。黒海の西。バルカン半島諸国のひとつ。
 
 心に沁みる(しみる)文脈が続きます。
 『中学生までのぼくはいつもひとりだった(男のくせに、裁縫や手芸が好きだったことから)……』
 (裁縫や手芸ができない)母親の言い分として『なにかに手間をかけることが愛情や真心のあかしだと思わないでほしい……』
 こどもが何歳になっても、母親にとっては、こどもはこどもなのか。
 『こどもの心配をするのが親の仕事や』
 『ひと針目はちょっと勇気がいったけど、あとは勝手に手が動いた(考えなくても体が反応して導いてくれる)』

 そして、「そうか」と意味がわかります。

 『好きなことと仕事が結びついてないことは人生の失敗でもなんでもない……』松岡清澄くんの父親のことだろうか。

 件(くだん):特定の事柄。この本では、「件(くだん)の直談判(じかだんぱん。母親が保育園の先生に抗議した件(けん))234ページ」

 お母さんの肺炎の症状の記述が、もっと濃厚なほうが、病気の状態がよく伝わってきたと思います。

 カスタードクリーム:卵、牛乳、砂糖、香料などからなるカスタードソースを使ってつくったクリーム。薄黄色でとろりとしていて甘い。

 『刺繍(ししゅう)は、祈り』

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