2021年06月18日

科学者になりたい君へ 佐藤勝彦

科学者になりたい君へ 佐藤勝彦 河出書房新社

 伝記、自分史のようです。
 「はじめに」の部分を読んだところです。
 33歳で生まれて初めて飛行機に乗ったのが、1979年(昭和54年)のことで、遅い飛行機デビューだと思いました。研究のためにデンマークのコペンハーゲンへ行かれています。現地は日没22時で白夜です。
 筆者は『北欧理論物理学研究所(NORDITA ノルデイタ)』で臨時的雇用非常勤教授として一年間研究をされています。京都大学理学部で助手をされていたそうです。
 
 ご家族がおられるようですが、研究職というのは、家族と一緒に暮らせないイメージがあります。フィールドワーク(現地調査活動)が多い研究もあります。長期出張状態、単身赴任状態になるパターンが考えられます。

 「学者さん」は、その分野における知識や体験は詳しいけれど、その分野以外のことはあまり知らず、その分野以外の話をしても楽しくはないというイメージもあります。
 勉強することが仕事です。深く極める。オタクです。(一点集中で強い興味をもつ)

 宇宙の研究をされている方です。
 本のカバーを見ると、似顔絵が書いてあって、「Stephen Hawking(スティーヴン・ホーキングさん)」の名前が下に書いてあります。
 わたしの部屋に置いてあるこれから読む本が入れられたダンボール箱の中に「宇宙への秘密の鍵」作・ルーシー&スティーヴン・ホーキング 訳・さくまゆみこ 岩崎書店があるのを見つけました。この「科学者になりたい君へ」を読んだら、次に「宇宙への秘密の鍵」を読んでみます。その内容は小学生高学年向きのようです。

 宇宙の始まりの話があります。わたしは、自分なりに、宇宙は146億年前にできて、地球は46億年前にできたと学習して記憶しています。
 14ページに著者の研究では重点的に「宇宙のはじまり」について研究されているそうです。宇宙は約138億年前にできたそうです。自分の頭の中にあるデータを146億年前から138億年前に塗り替えておきます。

 ここに記録しておくとおもしろそうで、わかりやすそうです。宇宙のできかたです。
 約138億年前に、超高温の小さな火の玉が生まれた。
 小さな火の玉は、激しくて急激な膨張(インフレーション理論とビッグバン宇宙論)を続けながら、温度を下げていった。(ふーむ。そうなのか)
 科学では、「結果」が生じた時に、その「原因」を考える。このあたりの文章を読んでいると映画映像を観ているような感じになります。
 『パラダイムシフト』物の見方の判断において、多数派が少数派に負ける。
 『ビッグバン宇宙論』ビッグバンという大爆発で宇宙が誕生した。

 科学者になりたいこどもさんたちへのアドバイスがあります。四国で生まれて、ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹さん(1907年(明治40年)-1981年(昭和56年)74歳没 理論物理学者 1949年(昭和24年)ノーベル物理学賞受賞)にあこがれて、京都大学に進学し、湯川先生の弟子の先生と師弟関係を結び、研究者になられています。
 日本の科学者の数は、だいたい87万人だそうです。1億2600万人ぐらいのうちの87万人ですから多いとはいえません。狭き門です。日本の医師の数が32万人ぐらいですから、それよりは多い。いずれもやはり狭き門です。
 
 ノーベル賞を取れるような科学者になれるかな? という文がありますが、ノーベル賞は、社会貢献を讃える(たたえる。ほめること)もので、狙うようなものではないと考えました。
 以前、ノーベル賞を受賞された方たちのお話を集めたこどもさん向けの本を読んだことがあります。「ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ?なに? ベッティー・シュティーケル・著 畔上司・訳 主婦の友社」でした。受賞者の方々は、シャイ(恥ずかしがり屋)で人前に出るのが好きではない人がわりと多かったことが意外でした。ふつうの人たちでした。
 強い印象が残っているのは、最後のほうのページにあった数学者の方のお話にはしみじみとしました。娘さんは障害者で、耳が不自由で、精神的にも遅れていると告白されています。でも彼は、娘はすばらしい人間ですと結んでいます。

 「はじめに」の結びの部分に審議会のことが書いてあります。余計なことなのかもしれませんが、審議会という名のもとに学者が集められて、学者が、行政や政治に都合のいいように利用されているような気がしてなりません。昨今の社会情勢をみてそう思えるのです。その見返りが報酬なのでしょうが、そこは大人の世界の話になってきます。大人の世界とは、不条理なこと(あるべき姿に反していること)、理不尽なこと(避けることが無理な圧力に屈すること)、不合理なこと(理屈にあわないこと)に折り合いをつけて生きていくのが大人の世界です。

 さて、読み始めましょう。
「第1章 「ふしぎだな」「おもしろいな」が科学の原点」
 たぶん、同世代の少年たちのなかにも著者と同様の体験をした人も多いことでしょう。でも科学者になれた人は少なかった。
 ゲルマニウムラジオの製作とか、ハム(アマチュア無線)、真空管テレビづくり、科学に関する雑誌の読書(わたしは、「子どもの科学」を読んでいました)
 田舎ゆえに、満天の星空があった。だから、宇宙に興味をもった。
 身近な自然が豊かだったので、動植物に興味をもった少年少女もいたことでしょう。
 この本は、こどもさんというよりも、親御さん(おやごさん)とか祖父母の方たちに読んでほしい本です。著者の場合、親御さんがこどもさんに教育資金を投資されています。こどもの著者がほしい電子部品はほとんどお父さんが買ってくれています。
 学校の先生に質問をする。こどもの質問に答えることが先生の仕事です。(されど、質問をする行為のための質問を続けると相手はイヤな気分になるのでやめましょう)
 「常識を疑う」とあります。過去の偉人たちが、当時の常識をくつがえしてきた歴史があります。
 
 こどものころの本との出会いは大切です。
 ジャンルは無関係です。
 興味をもった世界の本を読んで自分で自分の心を育てます。

 湯川秀樹博士の物理の話が出ます。
 人間の体内にも電気的な物質があるのだろうか。
 本の文章を読んでいると、どうもありそうです。
 『原子核(プラスの電気をもつ「陽子」と電気をもたない「中性子」が集まっている。湯川博士は、その両者をつなぐ役目を果たす中間子の存在を発見した)』のまわりを『電子』が回っている。
 中間子によく似た新粒子(ミューオン)が、宇宙から地球に降り注ぐ『宇宙線』の中に見つかった。
 当時の貧しい国、日本からでもノーベル賞受賞者が出る。湯川秀樹博士は、紙と鉛筆と自分の頭脳だけで中間子論をつくりあげたと記述があります。

 日本人のスポーツ選手が体格や運動能力的になかなか生まれないという考察がありますが、現在はだいぶ変化してきました。見た目は外国人でも日本国籍の人が増えてきました。いいことだと思います。
 若い頃、もし戦争が起こった時のために国籍は厳格に指定しなければならないとなにかで教わった記憶があります(国籍は父系主義)。日本とどこかの国で戦争になったとき、そこの国と二重国籍だったときに敵味方の区分けができなくなるというふうに説明を受けた記憶があります。今となっては、戦争にならないために、一人の人間が多国籍であったほうが平和につながる気がします。
 
 工学部と理学部の違いが書いてあります。
 『基礎物理学研究所』の説明があります。

 英語学習が必要です。
 自分がおとなになってからわかったのですが、なにもネイティブのベラベラ英語を話さなくてもいいのです。文法に従って、カタカナ英語でも、母語(ぼご)が英語ではない人が話す英語とは意味が通じるのです。記号のようなものです。合わせて、中国語ができると役に立つと思います。世界中のなかでいちばん多いのが中国語を話す人たちだと思います。世界の5人にひとりは中国人のような気がします。

 科学者である著者は、「国語」がにがてだそうです。特に漢字を覚えて書くことがにがてだそうです。意外ですが、そういうことってあるのでしょう。

 最後はやはり健康維持について助言を書かれています。
 大量の飲酒とか喫煙はやめましょう。

 この本に書いてあって、ほかの本でも読んだことですが、社会が必要としているのは、「問題を解く能力」ではなく「問題を作成する能力」です。もちろん作成した問題の答も自分で見つけなければなりません。以前社会人になってもすぐ仕事を辞めてしまう大卒生の意見として、ちゃんと教えてもらえなかったという文章を読んだことがあります。答は人に聞くのではなく、自分で苦しんで見つけるものです。
 自分は、お坊ちゃま、お嬢さま世代と呼んでいますが、甘やかされて常にサービスを提供される側にいたせいなのか、いつでもどこでもだれかが自分のことをタダで助けてくれると勘違いしている人たちが増えました。世の中は厳しいのです。短時間の対応なら親切にしてくれますが、長期間の付き合いとなると、人間は冷たい面をもっています。気に入らないと無視するのです。知らん顔をする人は昔からいます。お金を稼ぐためには、そういう人たちともなんとかやっていかねばならないのです。

 ずーっとここまで読んできて、「肩書き」がないと生きていけない人にはなりたくないという気持ちになりました。お互いに相手を先生と呼び合う世界です。

「第2章 大学・大学院で何を身につけるか」
 大学生時代を振り返っておられます。恩師の方たちに謝意を述べることでかなり気を使っておられることが伝わってきました。
 湯川秀樹博士の講義は、ひとり語りだった。学生との対立もあったそうです。昭和40年代は、大学紛争の時代でした。わたしはテレビで大学生たちが暴れまわるのを見ていた下の世代です。白黒テレビの映像を家族で見ながら、あんなふうにはなりたくないと思いました。
 
 「宇宙の始まり」について研究する。
 光:電波。宇宙背景放射。
 宇宙が生まれて約38万年たったころ、宇宙の温度は約3000度だった。
 光の波長が短く、電波の波長が長い。
 サーベイ:調査、測定
 パルサー:中性子星
 太陽より重たい星は、最後に「超新星(爆発)」を起こす。
 読んでいると、宇宙が生き物のように思えてきます。スピード(速度)がものすごく速い。そういうことがあるのかと驚きました。
 ニュートリノ:粒子(りゅうし) 電気をもたない電子
 パンチカード:そういえば、キーパンチャーという職がありました。コンピューターへのデータ入力の方法です。書類をまとめて渡すなんとか式と、キーパンチャーを頼らず、自分で入力するなんとか式というふうに当時は区別がありましたが、もうそのときの言葉を思い出せません。昭和50年代ぐらいのころです。「バッチ処理」だったかなあ。ちょっとわかりません。

 人間の体は、炭素や窒素、酸素などからできている。星の内部の核融合でできたもの。人間の体は星のかけらでできている。そして、体の中には電気が流れていると考えると、人間の体は奇跡であると感じるのです。

 研究者になるためのお話があります。
 基本をしっかりと学ぶ。
 モチベーション(動機)をきちんと保つ。
 「問題発見能力」と「問題解決能力」を身につける。

 友人のお話があります。共感しました。
 まだ、二十代のしたっぱのペーペーのころに、いっしょに泊まりの旅行をしていた仲間たちとは、歳をとってからも付き合いがあります。
 利害関係がからむような立場の相手とは長続きがしません。

 ハワイ・マウナケア山頂の「すばる望遠鏡」
 
 ポスドク:任期付きの研究職ポスト。博士研究員

 学者の世界が「混沌(こんとん。混じり合った状態)」で、官僚(中央省庁に勤務する国家公務員)の世界が「秩序(ちつじょ。決められたやりかたでできた世界)」

「第3章 研究はどのように行うのか」
 無給で研究を続けるポストがあるそうです。家が資産家か、金銭援助をしてくれるスポンサーがいないとやっていけません。芸術家かスポーツ選手のようでもあります。サラリーマンのようで個人事業主です。
 著者の場合、数学教師の奥さんに助けられています。なんていい奥さんなのでしょう。
 無給なので、共働きとは言えませんが、子育ては男子も体験しておいたほうがいい。娘さんを保育園に連れて行くのが著者の役割だったそうです。
 
 研究者のあるべき姿勢が提示されています。
①おもしろいと思ったら徹底的に研究する。
②プロとしての自覚をもつ。(わたしは「プロ」という言葉は嫌いです。「それでもプロか!」と相手を責めるときに使う言葉です。ひとつのことを極める職業につける人はごくわずかです。社会では、浅く広くひととおりたいていのことが7割程度できれば働いていけます。業務内容がある程度把握できることと同時に、面談・電話の応対、車の運転、段取りのプランづくり、期限までに仕上げる計画力ときちょうめんな実行力、金勘定の金銭管理、日誌のような記録をつける、関係機関や人との連絡調整、危機管理、力仕事など、ひとりである程度のことは、なんでもやらなければなりません。チームワークが必要な組織の中では、案外、満点ではなくても合格点に達する能力をもっているオールラウンドプレーヤーが重宝されているのです)お互いの足りない部分を補い合って、能力を統合して仕事をしていくのが組織です。
③苦しみぬく。
④オリジナルの論文を最初に書く(このあとも研究者にとっての「論文」の重要さを力説されています)

 アイデアを生み出すときには、「はやり」から離れることがコツだそうです。「はやり」は現在ですから未来がありません。これから「未来」になるものを探さなければなりません。
 あまり情報交換をしすぎるとアイデアを盗まれそうな怖さがあります。「お金にならない分野(宇宙・天文学」なら大丈夫だそうです。

 読んでいてふと「原子(げんし)」と「細胞」の違いは何だろうという疑問が生じました。
 原子:物質を構成している最小単位。人間の体は、炭素・酸素・水素・窒素・カルシウム・リン・カリユウムなどで構成されている。
 細胞:細胞は原子からできている。(で、たぶんいいのでしょう)

 「力(ちから)」の説明があります。宇宙ができるための力です。ちょっとむずかしい。イメージする力が必要です。
 
 40年ぐらい前の著者が若かったころのお話が続きます。これから研究者を目指す若い人たち向けに書かれている本です。
 洋画「スターウォーズ」とか、「スター・トレック(耳がとんがった人が出てくる。たしかスポックという宇宙人。宇宙大作戦とかいう日本語タイトル。中学生のときにクラスメートの家で夏休みにいっしょにテレビで見ていました)」読みながら、そのほかの漫画などを思い出しました。

 論文がらみで、あまりいい話ではありませんが、むかしスタップ細胞という細胞のことで世間が騒いだことが思い出されました。マスコミの過剰すぎる攻撃にはマスコミ自身も気をつけたほうがいい。人間は間違えることもあります。命を落とすところまで人を追い込んではいけません。

「第4章 科学者をどう育てるか」
 PI:研究主宰者、研究室代表者。Principal Investigator
 大学教員の仕事:①研究 ②教育 ③学務(事務。説明。企画。実施)そのほか講演会、学校への出張授業とあります。なかなか忙しそうです。

 あとから間違いがわかった研究にノーベル賞が授与されたこともあるそうです。驚きつつ、納得する気持ちにもなりました。なんでも与えられた情報を信じて丸のみにすることは危ないことだと考えました。

 アメリカの人口衛星「COBE:コービー」
 宇宙背景放射:宇宙の果てからやってくる電波
 読んでいても専門的なことは理解できませんが、ロマン(夢や冒険へのあこがれ)を感じることはできます。
 
 お金の話が出ます。研究費とか人件費とか。仕事をしていくうえで、お金の話は身近で切ろうとしても切れません。

 スティーヴン・ホーキング:1942年(昭和17年)-2018年(平成30年)76歳没 イギリスの理論物理学者 ブラックホールの研究 車いすの物理学者 学生時代に筋萎縮性側索硬化症:きんいしゅくせいそくさくこうかしょう(ALS)を発症したとされる。
 本では、関連記事として、「無境界仮設」というものについて記述がしてあります。宇宙の始まりは「1点」ではなく、「半球面体の全体」で表されるようなものだそうです。「虚数の時間」という言葉も出てきます。なんだか、星新一さんのショート・ショートを思い出す科学的文学作品の世界があります。
 ご本人と面談されて交友を深められた著者は、ホーキング氏を自己主張の強い人だと感じられたそうです。病気ゆえにしっかりアピールしないとご自分の話を相手に聞いてもらえないと思われていたのではないかと察しました。
 今、手元にホーキング氏の本「宇宙への秘密の鍵」があるのですが、よく見ると、監修のところに著者の佐藤勝彦さんのお名前があります。こどもさん向けの本です。

 学会の変化について書いてあります。
 時代が変化してきています。コロナ禍のことを考えながら読んでいたら、コロナに関する記述も出てきました。
 コロナが終息したとしても、元に戻るものともう元には戻らないものとがあるでしょう。戻らないけれど、新しいやりかたの世界へと進んで行くのでしょう。

「第5章 21世紀の科学者のために」
 この章の部分を読んでいて、著者は「仕事人間」だと感じました。

 URA:リサーチ・アドミニストレータ―。アドミニストレータ:管理者。この本では「軍師」と説明があります。University Research Adominisutoreator

 この章は、「COLUMN5 科学者と「倫理」」以外の部分は、読んでいてもあまり楽しい気分にはなれませんでした。読んでいてもわからないことが多かった。素人にとっては、記述がなくてもよかったような気がしました。
 
 「研究」の不正について書いてあります。捏造(ねつぞう。うそ)、改ざん(これもうそ)、盗用とあります。グレーゾーンもあります。疑わしい場合です。
 人間は「欲(よく)」の固まりですから、不正が起こります。お金がからむとうそが顔を出してきます。
 お金はいらない。お金をあきらめると本物が顔を出します。

 科学が戦争に利用されることに対する抗議があります。『戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明』があります。
 深く考えてみました。「科学者」は、善人なのか。それとも悪魔なのか。原子爆弾や水素爆弾を発明したのは科学者です。科学者は、地球を滅ぼすことができる武器をつくることができるのです。オウム真理教の毒ガスサリン事件を思い出しました。ウィルス感染、細菌感染も同類ではないのか。
 記述を読んでいて、人類の一部の相当発達した知能をもつ人たちの手に地球の生命の未来が握られているのは恐ろしいことです。地球上の大部分の人たちは平和な暮らしを望む凡人です。
 科学ってなんだろう。現状維持、今のままで不便な生活でもかまわないというところまで考えが届きました。あるいは、半世紀ぐらい前の、大半の日本人が自然と共存していたころの生活に戻ってもいいのではないかと思えたのです。ただ、もう失われた自然環境は、完ぺきな状態で、元どおりに回復させることはできそうにありません。

(その後)
 テレビ番組で「出川哲朗の充電バイクの旅」能登半島縦断を見ていたら、石川県羽咋市(はくいし)にあるロケット博物館みたいなところ(宇宙科学博物館コスモアイル羽咋)が出てきて、興味をもったのでその施設のホームページを読んでいて突然に、気づいたことがあります。
 いまさらなのですが、わたしは、人類が月に立ったのは、1969年7月のアポロ11号のときのアメリカ人ふたりの宇宙飛行士だけだと思い込んでいました。調べたら、その後、アポロ12号、14号、15号、16号、17号と立て続けに、1972年(昭和47年)までにけっこうたくさんの人数(宇宙飛行士12人)が月面に立ったことがわかりました。最初は珍しくてもだんだんふつうになってくると興味が薄れるものです。自分は忙しい中学生だったのでアポロの記憶が最初のものしか残っていません。  

Posted by 熊太郎 at 07:15Comments(0)TrackBack(0)読書感想文