2021年06月07日
ウィズ・ユー with you 濱野京子
ウィズ・ユー with you 濱野京子 くもん出版
「with you」は、「あなたとともに」と理解して読み始めます。
本の帯に今年耳にした新しい言葉が書いてありました。「ヤングケアラー」たしか、介護が必要な祖父母のめんどうをみる孫のことでした。
これを書き始めた朝、たまたま新聞に特集記事がありました。お年寄りのめんどうをみるだけだと思っていたらさらに範囲が広がりました。弟や妹、障害者の家族、アル中の親のめんどうや精神病の親のめんどうまでみるそうです。
最初は、たいへんだなあという気分で読んでいましたが、むかしをふりかえってみると、どこの家でもこういうことってあったなあと思い出したのです。メンバー全員が心身ともに健康で仲良し家族というのは珍しいのです。たいていはなんやかんやいろいろあるのです。昔はプライバシーがない生活でしたからあからさまに見えていましたが、現代は、壁の中に隠されている生活です。どちらがいいのかはわかりません。ただ、むかしはいやなこともありましたが、ご近所同士の助け合いもありました。
さて、37ページまで読んだところで、要点をまとめておきます。
柏木悠人(かしわぎ・ゆうと):緑中学校三年生 志望校は東高校 緑町(みどりちょう)にある5階建てエレベーターなし、間取り3DKの団地で暮らしている。 陸上部 制服はブレザー 坂和公園(さかわこうえん)あたりをジョギングするのが日課 週二回塾通い
柏木直人(かしわぎ・なおと):柏木悠人の兄 高校二年生 第一高校 成績優秀 中学時代は卓球部でベスト8
柏木陽子:柏木兄弟の母親。元公務員。現在は、市役所の非常勤公務員(アルバイト? 嘱託?)夫の要請で正規公務員を退職したことを悔いている。両親は秋田県で兄夫婦と同居している。
柏木健一:柏木兄弟の父親だが母子とは別居している。家を出てから半年以上が経つ。母子の生活費だけ入れてくれる。夫婦仲は良くない。柏木悠人は父親には半年以上会っていない。父は、元映像プロダクション勤務。父方祖母は岡山県でひとり暮らしをしている。祖父は亡くなっているようす。
富沢朱音(とみざわ・あかね):坂和中学(さかわちゅうがく)二年生 いまのところ謎の女子生徒。 ショートヘア 細い体格 友だちは、小柄でボブカット(ふわっと丸めな短い髪型)をしていて、メガネをかけている「横山ひより」と、背が高くて、少しくせのあるショートカットをしている「久松桃子」。富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親は、橘花学院大学(きっかがくいんだいがく)という優秀で有名な大学を卒業している。分譲マンション「坂和ヒルズ」に住んでいる。(その後の情報:一年の途中までテニス部。小学二年生の妹「富沢和花(とみざわ・のどか)」がいる。中学二年生の春に、坂和中学校へ転校してきた。父親は名古屋に単身赴任中
大久保博貴(おおくぼ・ひろき):坂和中学校三年生。柏木悠人の塾友。妹が中学二年生で、大久保美里(おおくぼ・みさと)成績優秀。塾に来ている。第一高校を目指している。
新川渉(にいかわ・しょう):緑中学校で、柏木悠人と同じクラス。ひとりっこ。脳梗塞発症後の祖母と亡くなるまで同居していた体験あり。祖母は認知症だった。
中井哲也:中学校で、柏木悠人の前の席に座っている。テニス部だった。テニス部の後輩の女子と付き合っている。両親は共働き。父親は有名企業。母親は教師。四歳年下の小学四年生の弟がいる。
入船:柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)の担任教師
いい出だしです。『ただ、家にいたくない、と思ってしまう』柏木悠人の声です。優秀な兄と比較されての居心地の悪さが家庭内にあります。(気にすることないのに。兄弟姉妹というものは、それぞれがそれぞれの世界をもって生活していきます)
酔狂な輩(すいきょうなやから):もの好きな人間
えんじ色:濃い紅色。あずき色
カシオペア座:北天にある星座。五個の星がWの形に並ぶ。
28ページにある柏木悠人のセリフ『夜、出歩くなって、いったろ!』は不自然に感じました。違和感があります。(違和感:いごこちが悪い)
「あのころは、まだ親は不仲ではなかった……」というセリフからは、離婚率が高い今の世の中を感じます。夫婦はお互いにがんこになりました。譲るということをしない男女カップルが多くなりました。子どもも被害者ですが、親が離婚すると子どもも将来離婚しやすくなります。離婚にストップをかける立場の者がいません。
オーラ:独特な雰囲気。エネルギーが満ちているとか、輝いているとか、存在がきわだつ感覚
富沢朱音(とみざわ・あかね)の妹が障害者なのかと思いましたが違いました。どうも母親が病気らしい。母親はいつも寝ている様子なので、メンタルの病気の気配があります。とすれば、富沢朱音(とみざわ・あかね)は、幼い妹と病気の母親のめんどうをみていることになります。中学二年生で親代わりと主婦をしていることになります。
かっこいい兄のことで、女子たちに兄の情報を聞かれる弟の立場は苦しく悲しい。
児童文学のなかにある世界では、こどもたちは星や月が好きです。この本の中では、星は好きだけど輝く月は星の存在を消すから好きでないというようなことが書いてあります。
柏木悠人の誕生日は6月10日だそうです。偶然ですが、うちのおやじの命日です。自分がこどものときに病死しました。6月10日は「時の記念日」と書いてあります。そうか、たしかに時の記念日でした。もう忘れていました。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の誕生日は、3月3日だそうです。ひな祭りです。
恋バナ:恋に関するお話。今の相手、過去の相手。いろいろ。
経済的に苦しいから私立高校よりも公立高校を選択するというのは、現在では過去の話になっているような気がします。私学助成が進んで、私立高校でも学費は実質無償化されていると思います。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の身上調査のようになってきました。
彼女のセリフとして「……わたしは、いなくなんて、なれないんだ。わたしがいなかったら、うちが、こわれちゃうから」まじめです。(だけど、彼女は疲れています。このさきが心配です)
「単身赴任」という文字を見て、昔は聞かない言葉だったけれど、昔は「出稼ぎ(でかせぎ)」という言葉はあったなあと思い出しました。農閑期(のうかんき。農業をやらない冬場)に地方の農家の従事者が都会の建築番場で肉体労働をすることです。
また、テレビを見ることができないのを嘆いていますが、昔は、テレビを買えない家もありました。テレビがある友だちの家で見せてもらっていたことがあります。家にテレビがないから学校の図書室で借りてきた本を読んでいたということはあります。
最近の若い人たちはテレビをあまり観なくなったようです。ソーシャルネットワークの世界をみているようです。
塾弁(じゅくべん):塾の施設内で食べるために家庭から持ち込む弁当
内申点(ないしんてん):九教科の評価を五段階で評価したもの。45点満点。英語、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術・家庭。ほかに、生徒会、部活動、各種検定取得、学校行事への参加など。
別居している父親からの送金額を心配しているシーンがあります。うーむ。お金がなければ稼げばいいのに。(かせげばいいのに。もらうお金をあてにしていてもしょうがありません)わたしは、中学生でも高校生でもお金が必要であればアルバイトをすればいいと思う人間です。自分もそうでしたから。もし、学校に文句を言われたら、だったらお金をくれと学校に言います。
ひとりっこは比べられないからいい(他の兄弟姉妹との比較)これに対して、ひとりっこは、ひとりで全部背負わなければならない苦労がある(親の世話)
同級生の新川渉(にいかわ・しょう)が、 柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)に、認知症の母方祖母を預かった時の大変だった話をします。
「なんで、おれがばあちゃんの面倒みなきゃいけないんだよ……」というセリフが出てきます。
祖父母との交流をもたずに社会に出てくる若者が増えました。
ところが、日本の社会は高齢化社会です。仕事をしていくうえで、お客さんが高齢者ということが多い昨今です。
高齢者ですがお金はもっています。長時間労働と節約で貯めてきた大切なお金です。
お金を貯めるのに「学歴」は必要ありません。無職の期間をできるだけ短くして長期間働き続けることがお金を貯めるコツです。
お年寄りがこれまで生きてきたそういうことを知らない若者は、お年寄り相手の接客がにがてです。ゆきづまってしまうこともあります。
お年寄りの発想は自由自在です。法令だけにはしばられません。また、マニュアル(手引き)にもしばられません。だからお年寄りからは、マニュアルどおりの答は、たいてい返ってきません。
そして組織の上層部は高齢者である顧客とのトラブルは望んでいません。矛盾が発生します。(理屈とつじつまが合わない状況)そんなこんなで仕事が続かないといういまの若い世代があります。
いっぽう、高齢者の相手が上手にできる人はいろいろな面で有利です。そんなちょっとしたアドバイスをここに落としておきます。
体が元気でなんでも自分でできる人は、だれかが自分に負担をかぶせてくることをきらいます。自分のことは自分でやってくれという気持ちが湧きます。ところが、体が元気な人は永遠に体が元気なわけではありません。やがて元気でなくなるときが必ずきます。負担をかけるほうの立場に変化します。明日は我が身なのです。
よこしまな感情:人の道にはずれたよくない感情
老老介護:年寄りが年寄りの介護をする。夫婦であったり、親子であったり。未婚母子家庭、離婚したこどもとその親の組み合わせなどで世帯が高齢化している家庭
ヤングケアラー:学校に通学したり、仕事をしながら同居の家族の介護や家事をしたりしている十八歳未満のこども。
『ものみないこえるしじまの中に』『もの皆憩える』この文節が伏線になるのだろうか。(伏線:感動を生むための後半への仕掛け)(読み終えてみて伏線ではなかったようです)
反実仮想(はんじつかそう):事実と反対のことを想定する。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親は、去年の夏から仕事を再開して、くも膜下出血で倒れたそうです。(メンタルの病気ではなくて、脳内出血による後遺症でした。富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親の症状がわからないのですがうつ的になっているようです)
家族のめんどうをみていることをクラスメートに話しても、同様の体験がないクラスメートには、めんどうをみている者の気持ちが伝わりません。
男子中学生と女子中学生の会話、男子中学生とその父親の会話のシーンを読んでいて、現実にはこういう会話のやりとりはないと思いますが、小説ですからありです。ただ、ぎこちない。(自然ではない)
子どもの権利条約:1989年に国連総会で採択。日本は、1994に批准(拘束(こうそく)されることに同意)①生きる権利②育つ権利③守られる権利④参加する権利
歴史をふりかえってみれば、子どもと女子は人間扱いされていなかった過去があります。子どもは労働力として家畜同然に扱われていたと学んだことがあります。
リア充(りあじゅう):現実の生活が充実している。
富沢朱音(とみざわ・あかね)は学校での人間関係では演技をしている。本当は暗いのに、明るい人間のふりをしている。苦しいだろうなあ。(最近のニュースだと有名な女子テニスプレーヤーの方の事情のようです)
男女の軽い恋愛感情が表現されます。
「ヤングケアラー」の話はあまり出ません。踏み込めていないのではないか。
富沢朱音(とみざわ・あかね)に言わせると、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)が富沢朱音(とみざわ・あかね)に優しくするのは、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)の都合だそうです。
富沢朱音(とみざわ・あかね)が、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)に会うことを拒否しました。
兄弟間比較をいやがる弟の柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)ですが、兄から言わせると「……次男坊は気楽でいいなあ」
兄の言うとおり、知らないから、あっちのほうがいいなと思うだけです。
弟の柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)は、兄に対して優秀な兄貴のことで自分は迷惑していると主張します。
父親が妻の母親に、孫へのスマホプレゼントの依頼をしているのですが、違和感がありました。父親にとって自分の親ではないからです。ましてや父親は、別居している自分の娘のだんなさんという立場です。
中学生向きというよりもおとな向きの小説のような雰囲気がすると感じながら読み続けましたが、最後まで読んで、やはり中学生向きだと判断しました。
ヤングケアラーについては、つっこんだところまで書けないという事情があるのでしょう。
公民(こうみん):社会科の内容。政治、経済、現代社会
招じる(しょうじる):招き入れる(まねきいれる)
反芻する(はんすうする):くりかえして、よく考えたり、味わったりすること。
良かったセリフとして、
「直人(兄)は、悠人(弟)が好きなもの、わかってんだな。昔から」(兄は弟に気を配って譲っていた。弟は兄のことを誤解している)
なんというか、受験というものは、試験日ぎりぎりになってがんばっても手遅れであり、そのずっと前に結果が見えているものなのです。
スクール・ソーシャル・ワーカー:こどもの問題を解決する役割を果たす職。生活支援、教育や福祉制度の活用を担当する。(環境面からのサポート)
スクール・カウンセラー(心理面のサポート)とは異なる。
NPO(エヌ・ピー・オー):NPO法人。ノンプロフィット・オーガニゼーション。非営利団体。市民団体。社会貢献活動や慈善活動(弱者援助)を行う。(付け加えると、自分は、NPOだからNPOは必ず正義の味方だとは思っていません)
「with you」は、「あなたとともに」と理解して読み始めます。
本の帯に今年耳にした新しい言葉が書いてありました。「ヤングケアラー」たしか、介護が必要な祖父母のめんどうをみる孫のことでした。
これを書き始めた朝、たまたま新聞に特集記事がありました。お年寄りのめんどうをみるだけだと思っていたらさらに範囲が広がりました。弟や妹、障害者の家族、アル中の親のめんどうや精神病の親のめんどうまでみるそうです。
最初は、たいへんだなあという気分で読んでいましたが、むかしをふりかえってみると、どこの家でもこういうことってあったなあと思い出したのです。メンバー全員が心身ともに健康で仲良し家族というのは珍しいのです。たいていはなんやかんやいろいろあるのです。昔はプライバシーがない生活でしたからあからさまに見えていましたが、現代は、壁の中に隠されている生活です。どちらがいいのかはわかりません。ただ、むかしはいやなこともありましたが、ご近所同士の助け合いもありました。
さて、37ページまで読んだところで、要点をまとめておきます。
柏木悠人(かしわぎ・ゆうと):緑中学校三年生 志望校は東高校 緑町(みどりちょう)にある5階建てエレベーターなし、間取り3DKの団地で暮らしている。 陸上部 制服はブレザー 坂和公園(さかわこうえん)あたりをジョギングするのが日課 週二回塾通い
柏木直人(かしわぎ・なおと):柏木悠人の兄 高校二年生 第一高校 成績優秀 中学時代は卓球部でベスト8
柏木陽子:柏木兄弟の母親。元公務員。現在は、市役所の非常勤公務員(アルバイト? 嘱託?)夫の要請で正規公務員を退職したことを悔いている。両親は秋田県で兄夫婦と同居している。
柏木健一:柏木兄弟の父親だが母子とは別居している。家を出てから半年以上が経つ。母子の生活費だけ入れてくれる。夫婦仲は良くない。柏木悠人は父親には半年以上会っていない。父は、元映像プロダクション勤務。父方祖母は岡山県でひとり暮らしをしている。祖父は亡くなっているようす。
富沢朱音(とみざわ・あかね):坂和中学(さかわちゅうがく)二年生 いまのところ謎の女子生徒。 ショートヘア 細い体格 友だちは、小柄でボブカット(ふわっと丸めな短い髪型)をしていて、メガネをかけている「横山ひより」と、背が高くて、少しくせのあるショートカットをしている「久松桃子」。富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親は、橘花学院大学(きっかがくいんだいがく)という優秀で有名な大学を卒業している。分譲マンション「坂和ヒルズ」に住んでいる。(その後の情報:一年の途中までテニス部。小学二年生の妹「富沢和花(とみざわ・のどか)」がいる。中学二年生の春に、坂和中学校へ転校してきた。父親は名古屋に単身赴任中
大久保博貴(おおくぼ・ひろき):坂和中学校三年生。柏木悠人の塾友。妹が中学二年生で、大久保美里(おおくぼ・みさと)成績優秀。塾に来ている。第一高校を目指している。
新川渉(にいかわ・しょう):緑中学校で、柏木悠人と同じクラス。ひとりっこ。脳梗塞発症後の祖母と亡くなるまで同居していた体験あり。祖母は認知症だった。
中井哲也:中学校で、柏木悠人の前の席に座っている。テニス部だった。テニス部の後輩の女子と付き合っている。両親は共働き。父親は有名企業。母親は教師。四歳年下の小学四年生の弟がいる。
入船:柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)の担任教師
いい出だしです。『ただ、家にいたくない、と思ってしまう』柏木悠人の声です。優秀な兄と比較されての居心地の悪さが家庭内にあります。(気にすることないのに。兄弟姉妹というものは、それぞれがそれぞれの世界をもって生活していきます)
酔狂な輩(すいきょうなやから):もの好きな人間
えんじ色:濃い紅色。あずき色
カシオペア座:北天にある星座。五個の星がWの形に並ぶ。
28ページにある柏木悠人のセリフ『夜、出歩くなって、いったろ!』は不自然に感じました。違和感があります。(違和感:いごこちが悪い)
「あのころは、まだ親は不仲ではなかった……」というセリフからは、離婚率が高い今の世の中を感じます。夫婦はお互いにがんこになりました。譲るということをしない男女カップルが多くなりました。子どもも被害者ですが、親が離婚すると子どもも将来離婚しやすくなります。離婚にストップをかける立場の者がいません。
オーラ:独特な雰囲気。エネルギーが満ちているとか、輝いているとか、存在がきわだつ感覚
富沢朱音(とみざわ・あかね)の妹が障害者なのかと思いましたが違いました。どうも母親が病気らしい。母親はいつも寝ている様子なので、メンタルの病気の気配があります。とすれば、富沢朱音(とみざわ・あかね)は、幼い妹と病気の母親のめんどうをみていることになります。中学二年生で親代わりと主婦をしていることになります。
かっこいい兄のことで、女子たちに兄の情報を聞かれる弟の立場は苦しく悲しい。
児童文学のなかにある世界では、こどもたちは星や月が好きです。この本の中では、星は好きだけど輝く月は星の存在を消すから好きでないというようなことが書いてあります。
柏木悠人の誕生日は6月10日だそうです。偶然ですが、うちのおやじの命日です。自分がこどものときに病死しました。6月10日は「時の記念日」と書いてあります。そうか、たしかに時の記念日でした。もう忘れていました。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の誕生日は、3月3日だそうです。ひな祭りです。
恋バナ:恋に関するお話。今の相手、過去の相手。いろいろ。
経済的に苦しいから私立高校よりも公立高校を選択するというのは、現在では過去の話になっているような気がします。私学助成が進んで、私立高校でも学費は実質無償化されていると思います。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の身上調査のようになってきました。
彼女のセリフとして「……わたしは、いなくなんて、なれないんだ。わたしがいなかったら、うちが、こわれちゃうから」まじめです。(だけど、彼女は疲れています。このさきが心配です)
「単身赴任」という文字を見て、昔は聞かない言葉だったけれど、昔は「出稼ぎ(でかせぎ)」という言葉はあったなあと思い出しました。農閑期(のうかんき。農業をやらない冬場)に地方の農家の従事者が都会の建築番場で肉体労働をすることです。
また、テレビを見ることができないのを嘆いていますが、昔は、テレビを買えない家もありました。テレビがある友だちの家で見せてもらっていたことがあります。家にテレビがないから学校の図書室で借りてきた本を読んでいたということはあります。
最近の若い人たちはテレビをあまり観なくなったようです。ソーシャルネットワークの世界をみているようです。
塾弁(じゅくべん):塾の施設内で食べるために家庭から持ち込む弁当
内申点(ないしんてん):九教科の評価を五段階で評価したもの。45点満点。英語、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術・家庭。ほかに、生徒会、部活動、各種検定取得、学校行事への参加など。
別居している父親からの送金額を心配しているシーンがあります。うーむ。お金がなければ稼げばいいのに。(かせげばいいのに。もらうお金をあてにしていてもしょうがありません)わたしは、中学生でも高校生でもお金が必要であればアルバイトをすればいいと思う人間です。自分もそうでしたから。もし、学校に文句を言われたら、だったらお金をくれと学校に言います。
ひとりっこは比べられないからいい(他の兄弟姉妹との比較)これに対して、ひとりっこは、ひとりで全部背負わなければならない苦労がある(親の世話)
同級生の新川渉(にいかわ・しょう)が、 柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)に、認知症の母方祖母を預かった時の大変だった話をします。
「なんで、おれがばあちゃんの面倒みなきゃいけないんだよ……」というセリフが出てきます。
祖父母との交流をもたずに社会に出てくる若者が増えました。
ところが、日本の社会は高齢化社会です。仕事をしていくうえで、お客さんが高齢者ということが多い昨今です。
高齢者ですがお金はもっています。長時間労働と節約で貯めてきた大切なお金です。
お金を貯めるのに「学歴」は必要ありません。無職の期間をできるだけ短くして長期間働き続けることがお金を貯めるコツです。
お年寄りがこれまで生きてきたそういうことを知らない若者は、お年寄り相手の接客がにがてです。ゆきづまってしまうこともあります。
お年寄りの発想は自由自在です。法令だけにはしばられません。また、マニュアル(手引き)にもしばられません。だからお年寄りからは、マニュアルどおりの答は、たいてい返ってきません。
そして組織の上層部は高齢者である顧客とのトラブルは望んでいません。矛盾が発生します。(理屈とつじつまが合わない状況)そんなこんなで仕事が続かないといういまの若い世代があります。
いっぽう、高齢者の相手が上手にできる人はいろいろな面で有利です。そんなちょっとしたアドバイスをここに落としておきます。
体が元気でなんでも自分でできる人は、だれかが自分に負担をかぶせてくることをきらいます。自分のことは自分でやってくれという気持ちが湧きます。ところが、体が元気な人は永遠に体が元気なわけではありません。やがて元気でなくなるときが必ずきます。負担をかけるほうの立場に変化します。明日は我が身なのです。
よこしまな感情:人の道にはずれたよくない感情
老老介護:年寄りが年寄りの介護をする。夫婦であったり、親子であったり。未婚母子家庭、離婚したこどもとその親の組み合わせなどで世帯が高齢化している家庭
ヤングケアラー:学校に通学したり、仕事をしながら同居の家族の介護や家事をしたりしている十八歳未満のこども。
『ものみないこえるしじまの中に』『もの皆憩える』この文節が伏線になるのだろうか。(伏線:感動を生むための後半への仕掛け)(読み終えてみて伏線ではなかったようです)
反実仮想(はんじつかそう):事実と反対のことを想定する。
富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親は、去年の夏から仕事を再開して、くも膜下出血で倒れたそうです。(メンタルの病気ではなくて、脳内出血による後遺症でした。富沢朱音(とみざわ・あかね)の母親の症状がわからないのですがうつ的になっているようです)
家族のめんどうをみていることをクラスメートに話しても、同様の体験がないクラスメートには、めんどうをみている者の気持ちが伝わりません。
男子中学生と女子中学生の会話、男子中学生とその父親の会話のシーンを読んでいて、現実にはこういう会話のやりとりはないと思いますが、小説ですからありです。ただ、ぎこちない。(自然ではない)
子どもの権利条約:1989年に国連総会で採択。日本は、1994に批准(拘束(こうそく)されることに同意)①生きる権利②育つ権利③守られる権利④参加する権利
歴史をふりかえってみれば、子どもと女子は人間扱いされていなかった過去があります。子どもは労働力として家畜同然に扱われていたと学んだことがあります。
リア充(りあじゅう):現実の生活が充実している。
富沢朱音(とみざわ・あかね)は学校での人間関係では演技をしている。本当は暗いのに、明るい人間のふりをしている。苦しいだろうなあ。(最近のニュースだと有名な女子テニスプレーヤーの方の事情のようです)
男女の軽い恋愛感情が表現されます。
「ヤングケアラー」の話はあまり出ません。踏み込めていないのではないか。
富沢朱音(とみざわ・あかね)に言わせると、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)が富沢朱音(とみざわ・あかね)に優しくするのは、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)の都合だそうです。
富沢朱音(とみざわ・あかね)が、柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)に会うことを拒否しました。
兄弟間比較をいやがる弟の柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)ですが、兄から言わせると「……次男坊は気楽でいいなあ」
兄の言うとおり、知らないから、あっちのほうがいいなと思うだけです。
弟の柏木悠人(かしわぎ・ゆうと)は、兄に対して優秀な兄貴のことで自分は迷惑していると主張します。
父親が妻の母親に、孫へのスマホプレゼントの依頼をしているのですが、違和感がありました。父親にとって自分の親ではないからです。ましてや父親は、別居している自分の娘のだんなさんという立場です。
中学生向きというよりもおとな向きの小説のような雰囲気がすると感じながら読み続けましたが、最後まで読んで、やはり中学生向きだと判断しました。
ヤングケアラーについては、つっこんだところまで書けないという事情があるのでしょう。
公民(こうみん):社会科の内容。政治、経済、現代社会
招じる(しょうじる):招き入れる(まねきいれる)
反芻する(はんすうする):くりかえして、よく考えたり、味わったりすること。
良かったセリフとして、
「直人(兄)は、悠人(弟)が好きなもの、わかってんだな。昔から」(兄は弟に気を配って譲っていた。弟は兄のことを誤解している)
なんというか、受験というものは、試験日ぎりぎりになってがんばっても手遅れであり、そのずっと前に結果が見えているものなのです。
スクール・ソーシャル・ワーカー:こどもの問題を解決する役割を果たす職。生活支援、教育や福祉制度の活用を担当する。(環境面からのサポート)
スクール・カウンセラー(心理面のサポート)とは異なる。
NPO(エヌ・ピー・オー):NPO法人。ノンプロフィット・オーガニゼーション。非営利団体。市民団体。社会貢献活動や慈善活動(弱者援助)を行う。(付け加えると、自分は、NPOだからNPOは必ず正義の味方だとは思っていません)
2021年06月05日
出川哲朗の充電バイクの旅 高知県横断 天狗高原から桂浜
出川哲朗の充電バイクの旅 テレビ番組 高知県横断 天狗高原から桂浜 坂本龍馬脱藩の道を逆方向に走る
ちょうど、高知県佐川村出身の植物学者牧野富太郎さんの伝記を読んでいたところだったのでタイムリーでした。
牧野富太郎:1862年(江戸時代の文久2年)-1957年(昭和32年)94歳没
グーグルマップの地図を追いながら録画したテレビ番組を見ました。
四国は十代の時に高知市から海岸沿いに足摺岬方向へ友人が運転する車で走ったことがあるのでなつかしいです。
坂本龍馬:1836年(天保6年)-1867年(慶応3年)31歳京都で暗殺される。討幕運動者
中岡慎太郎:1838年(天保9年)-1867年(慶応3年)坂本龍馬とともに29歳で暗殺される。討幕運動者
武市半平太(たけちはんぺいた):1829年(文政12年)-1865年(慶応元年)35歳で切腹。坂本龍馬らの仲間。土佐勤王党の代表者
板垣退助:1837年(天保8年)-1919年(大正8年)高知県出身。82歳没。1882年(明治15年)44歳のときに岐阜県で遊説中に刃物で襲われて負傷した。「板垣死すとも自由は死せず」
なんだろう。出川哲朗さんもまわりの人たちも、いつものような「元気」がなかったような感じがしました。なごやかな周遊風景でしたが、特別に記すような感想が見当たりませんでした。
ゲストは中山秀征さんとおかずクラブのオカリナさんでした。
ちょうど、高知県佐川村出身の植物学者牧野富太郎さんの伝記を読んでいたところだったのでタイムリーでした。
牧野富太郎:1862年(江戸時代の文久2年)-1957年(昭和32年)94歳没
グーグルマップの地図を追いながら録画したテレビ番組を見ました。
四国は十代の時に高知市から海岸沿いに足摺岬方向へ友人が運転する車で走ったことがあるのでなつかしいです。
坂本龍馬:1836年(天保6年)-1867年(慶応3年)31歳京都で暗殺される。討幕運動者
中岡慎太郎:1838年(天保9年)-1867年(慶応3年)坂本龍馬とともに29歳で暗殺される。討幕運動者
武市半平太(たけちはんぺいた):1829年(文政12年)-1865年(慶応元年)35歳で切腹。坂本龍馬らの仲間。土佐勤王党の代表者
板垣退助:1837年(天保8年)-1919年(大正8年)高知県出身。82歳没。1882年(明治15年)44歳のときに岐阜県で遊説中に刃物で襲われて負傷した。「板垣死すとも自由は死せず」
なんだろう。出川哲朗さんもまわりの人たちも、いつものような「元気」がなかったような感じがしました。なごやかな周遊風景でしたが、特別に記すような感想が見当たりませんでした。
ゲストは中山秀征さんとおかずクラブのオカリナさんでした。
2021年06月04日
オランウータンに会いたい 久世濃子
オランウータンに会いたい 久世濃子(くぜ・のうこ) あかね書房
オランウータン(森の人):生息地は、ボルネオ島(インドネシア国(インドネシアではカリマン島と呼ぶ)とマレーシア国、ブルネイ・ダルサラーム国に属する。4095mのキナバル山があり、赤道直下の山だが、標高が高いところでは雪が降ることもある。低地は熱帯雨林地帯。温度・湿度が高い。平均気温28℃。年間降水量3000mm。日本は1000mm~2000mm。日本から飛行機で6時間)、スマトラ島北部(インドネシア)
スマトラ島の東にボルネオ島があります。いずれも赤道(緯度0度)直下の島です。
動物は夜行性が多いのですが、オランウータンは「昼行性霊長類(ちゅうこうせいれいちょうるい)で唯一の単独性(ゆいいつのたんどくせい。ふつうは、複数性(群れをつくる))だそうで、調査時間帯は、朝の7時から11時と午後3時から5時と書いてありました。
カバーの写真にあるオランウータンはかわいい。
表紙をめくるとオランウータンがいる場所の略図があります。
「イチジクの木」日本にあるイチジクが、そこにもあるのかとびっくりしました。あとからイチジクコバチという繁殖に必要なハチのことも出できました。
「マレーグマ」最初は絵を見て、動物園にいるレッサーパンダと間違えました。
「ウンピョウ」ヒョウの仲間。サルを食べる。オランウータンも襲うことがある。
「オオコンニャク」サトイモ科の植物
あかちゃんとおかあさんのオランウータンの写真がつづきます。
熱帯雨林のジャングルです。衣食住について考えてしまいます。とくにおトイレのことを考えてしまいます。
オランウータンはやがて絶滅してしまうそうです。第六章に理由が書いてあるようです。
オランウータンは「のどぶくろ」を使って「ロングコール」をするとあります。「フクロテナガザル」を思い出しました。おもしろいけれど、とてもうるさいです。
オランウータンは、腕が足よりも長いそうです。腕も足も物をつかめるようで器用な体をしています。(からだをじょうずにつかえる)
先日読んだ本「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」ムンディ先生こと山﨑圭一 SBクリエイティブでは、人間の進化の経過を、アウストラロピテクス→北京原人・ジャワ原人→ネアンデルタール人→クロマニョン人と紹介されていました。
ゴリラの話が出ます。イケメンゴリラの「シャバーニ」を思い出しました。年に何回か観に行きます。
チンパンジーやゴリラは、アフリカで生れアフリカで生きた。オランウータンは、アフリカで生れアジアに移動した。そんなことが書いてあります。
オランウータン研究家の著者自身のことが書いてあります。大学の研究者ですから学者さんです。こどものころから本読みが好きだったそうです。そういえば、「シートン動物記」とか「ファーブル昆虫記」というこどもさん向けの本もありました。
エコツーリズム:自然環境保護を考える旅行
学者になるための本の要素があります。
利潤の追求をするサラリーマンとはまた違った世界です。
経済的な後ろ盾がないとなかなかできない仕事です。
わたしはおとななので、そういうことを考えてしまいます。
東京都多摩動物公園:著者が大学院生のとき、8頭のオランウータンがいたそうです。メス6頭、オス2頭。一番年上のおばあちゃんが「ジプシー」4頭の娘を産んだそうです。
オランウータンの特徴として「動かない」
オランウータンの別名として「森の哲人(哲学者)」
地球は狭い。若い頃は、飛行機に6時間乗るのは長いと感じていましたが、24時間以内で世界の各地に行けるなら地球は狭いと歳をとってきてからわかるようになりました。時間はあっという間に過ぎていきます。
著者がボルネオ島を初めて訪れたのは1998年だそうですから今から23年ぐらい前のことです。
著者が現地の施設「セピロク・オランウータン・リハビリテーションセンター(傷ついたオランウータンを野生に戻すための野生復帰センター)」で初めて出会ったオランウータンが、幼稚園児ぐらいの大きさの「セコ」です。右足に抱きつかれて、長ぐつのなかにおしっこをされています。歓迎の意味だったのでしょう。
また、わたしはおとななので、センターの管理運営費はどうなっているのだろうかなどと考えてしまうのです。国営なのだろうかとか、財団法人で運営だろうかとか、運営資金の出どころはどこだろうかとか、寄付があるのだろうかとか、人件費の支払いはどうしているのだろうかとか、そういうことを考えるいやなおとなです。(読み続けていたら163ページあたりからそのことについて書いてありました)
(自分にかすかな記憶が残っていて、調べたら、テレビ番組「東野・岡村の旅猿」でセピロク・オランウータン・リハビリテーションセンターが登場していました。マレーシアでオランウータンを撮ろう!という企画でした。ゲストは出川哲朗さんでした。2015年の放送で、わたしはDVDで観ました。メンバー三人は野生のサルたちをまじかで観てかなり感激されていました。別の話として、センターがある場所は、日本文学作品「サンダカン八番娼館」(さんだかんはちばんしょうかん。山崎朋子作品に登場する女性が熊本県の島から行ったところで、しみじみとくるものがありました。)
ダナムバレイ保護区にある調査基地「クアラ・スンガイ・ダナム・リサーチステーション」(書中では小屋)
バレイ=英語で谷間、盆地、流域
著者はボルネオ島をベースにして生活することを選択します。若い時には自分がやりたいことをやったほうがいいです。とくに親の顔色はうかがわないほうがいい。(気にしないほうがいい)
密林の中でオランウータンを探すポイントとして「においを追え!」とあります。
オランウータンを発見! 母の名が「リナ」娘の名が「ケイト(5歳)」
全体で177ページあるうちの96ページまで読んだところです。
かなり専門性が高い。
オランウータンを研究する目的がはっきりしないのですが、オランウータンを初めてとした類人猿に作者の興味が強いということは伝わってきます。
オランウータンのネスト:ネストは英語で「巣」オランウータンだと、「家」とか「寝床」の感じです。
なんだかオランウータンは長時間寝ていて(12時間+昼寝時間)、あとは食べている。
昼行性とかよく寝るとか、なんとなく人間に似ています。
読んでいるとあとから出てくるのですが、オランウータンはイチジクが好物だそうです。イチジクはアケビに似ており、自分が小学生の頃は、近所のこどもたちと山に入って、木に登って、アケビをとって食べていました。なんだかやっぱり、人間とオランウータンはやることが似ています。
研究は科学的です。糞を(ふんを)集めて、DNAを調べる(DNA:デオキシリボ核酸(かくさん)遺伝情報に関係がある物質。親子関係がわかる)
スパトロブス:マメ科の木性(もくせい)ツルとあります。ネットで写真を見ました。ふつうの葉っぱでした。赤色の若葉から緑色に変化して、オランウータンは赤い葉っぱを好んで食べるそうです。
サイチョウ:鳥。黄色いくちばしの上に黄色で長いツノがある。
ピオ:著者の調査助手。たぶん女性。正しい名前は「エディ・ボーイ」。ピオは通称だそうです。(あとがきから)
スコール:急に来て、短時間にシャワーのように強い雨が降る。熱帯でのにわか雨
マレー語として、
ボアッ・サラン:ネストをつくった(オランウータンが寝床をつくった)10分ぐらいでできあるようです。
ハビス:終り
トレイル:森の中で歩くきちんとした道のこと。森の中を歩くときのやぶの中ではない。
森には毒ヘビがたくさんいるそうです。こわい。キングコブラ、ブラックコブラ、ヨロイハブ…… 名前を聞いただけでおそろしくなります。
毒ヘビに噛まれたら、その毒ヘビを捕まえて殺して、医師に見せて、どのお薬にするか決めるそうです。わたしはとてもそこへは行けそうにありません。
ほかにも、吸血ヒルがいるそうです。ダニもやっかいだそうです。さらに行く気が失せました(うせました)。
アリもこわいそうです。ヒアリというのは以前日本で騒ぎになりました。ほかにも、軍隊アリ、モリオオアリなるアリがいるそうです。
「アナフィラキシー」という言葉は、コロナウィルスワクチンの話題で最近よく耳にする言葉です。この本では、ハチに刺されて、アレルギー反応が出て、窒息する危険があるそうです。いざというときに備えて、薬と注射器を持参して調査しているそうです。「ポイズン・リムーバー」という毒液を吸い出す器具の写真が掲載されています。なんだか、命がけの調査です。
植物も、ふれるとかぶれるものがあるそうで、これはたいへんです。ふれたところが腫れる(はれる)そうです。
「深追い(ふかおい)」は注意といういましめがあります。暗くなって、ジャングルの中で迷ったことがあるそうです。
バナナのお話が出ます。原産地がボルネオ島だそうです。
オランウータンもバナナが大好きです。わたしも毎日1本食べています。安いのがいい。半世紀ぐらい前は、バナナは高価で高級品でした。なかなか口にできませんでした。いつだったか、外国では家畜の餌だという記事を読んでショックを受けたことがあります。
ドリアン:匂い(におい)が強烈に臭いけれどとてもおいしいとされています。もう30年ぐらい前に一度だけほんの少しだけ食べたことがありますが、もう匂いも味も覚えていません。「果物(くだもの)の王様」というらしい。
マンゴスチン:「果物の女王」というらしい。白い果肉
ランブータン:赤色で毛が生えたように見える。
コンドロン:調べましたがどんな果実なのかわかりませんでした。コンドロイチンという物質と関係があるようです。
熱帯雨林の中では、毎年果実ができるわけではなくて、10年に1回とか、2~3年に1回の頻度で(ひんどで)できるそうです。市場に流通しているものは、農園で育てられたものだそうです。
オオタニワタリ:シダ。葉っぱの長い観葉植物に見えます。着生植物(ちゃくせいしょくぶつ):土ではなく、木の上とか岩の上に根を張る。
読んでいると、オランウータンの調査とはいえ、人間が場違いな場所にいるような気がしてきます。いいのだろうか。
案外オランウータンの天敵は「人間」ではなかろうか。
オランウータンは、いつも木の上にいて、地面におりることはほとんどないそうです。地上にはオランウータンにとってこわいものがたくさんあるからでしょう。だけど、死んだときには木から落ちてくるような気がします。
ギボン:テナガザル。腕渡り(ブラキエーション)木から木へと腕だけで移動していく。
オランウータンのメスが、オスの半分しか大きくならないことは不思議でした。体重が40kgと80kgです。そのうちオスは、「フランジ・オス(顔がでかい)ケンカをする。繁殖に強い」と「アンフランジ・オス(顔がちいさい)ケンカはしない。繁殖に弱い」に別れるそうです。
スマトラ島産のオランウータンは、毛が長めでオレンジ色。島にはたくさんの火山がある。スマトラオランウータンとタパヌリオランウータンがいる。アリやシロアリなどの昆虫をよく食べる。スローロリス(小さなおさるさんみたいに見えます)を食べる肉食。
ボルネオ島産のオランウータンは、毛は短めで濃い茶色。島には火山がない。ボルネオオランウータン
シベット:ジャコウネコ。体がほっそりとした動物
スマトラ島にはトラがいて、トラはオランウータンを襲う。こわい。
単独性の強いオランウータンは、読んでいると、人間ならば、おひとりさまの老後の暮らしに似ていると感じます。
ホモ・サピエンスが誕生したのは、20~30万年前。そのほとんどを「狩猟採集生活」をしながら、獲物がいななれば移動する暮らしだったそうです。「助け合いと平等」で、リーダーはいないけれど、ケンカもめったにない。とってきた獲物(えもの)はみんなで分けて食べる。
定住生活ができるようになった農業が始まったのは1万年前ぐらいだそうです。集落ができて、村ができて、川から水田に水をひく灌漑(かんがい)という作業をして、土地には所有者がいて、べつに耕す人がいてとだんだん平等がくずれていきます。支配する者とされる者の誕生です。
スマトラ島のオランウータンの食文化があります。
ネイシア:ドリアンのなかまを、スマトラ島のオランウータンは、細い小枝を道具として使用して種を食べる文化があるそうです。
文化を伝えるためには「群れること」「(物まねを)許すこと」が必要だそうです。
もうひとつが、イノベーター:発明者の誕生です。人間の真似をするそうです。
オランウータンのメスは、15歳ぐらいで初めてのこどもを産む。以降、7年おきにこどもを産み続ける。平均寿命は60歳ぐらい。あかちゃんは、1500gぐらいで生まれる。人間のあかちゃんの半分ぐらいです。
オランウータンの子育ては、読んでいると、どちらかといえば「放任(ほうにん。こどものやりたいようにしておく)」です。オスはいっさい子育てはしないそうです。いろんな子育てがありますが、通常、親が子を育てるときは、自分が親に育てられたようにしか育てられないものだと気づいたことがあります。それは、各家庭で異なっており、夫婦はこうあらねばならないとか、親子はこうあらねばならないとか、家族はこうあらねばならないとかを考えるとゆきづまることが多いです。結局、生きていればいいんだというところにたどりつきます。自殺をされるのは、残された者にとってはかなりつらい。話が脱線してしまいました。オランウータンの場合は、トラやウンピョウに襲われたり、伝染する病気にかかったりして命を落とすことがあるそうです。
本では、人の赤ちゃんの説明があります。自分でも思うに、こどもの死亡率が低くなったり、日本人全体の寿命が延びたりしたのは、大昔からのことではなく、終戦後ぐらいからです。戦後75年ぐらいがたちました。本では、「赤ちゃんが死なない社会」をつくったのがオランウータンで「少産少死社会」の大先輩と讃えて(たたえて)おられます。
次に、オランウータンの場合は、ママ友みたいな存在があるとことを説明しておられます。
いろいろ読んでいると、オランウータンも人間もおんなじだなと思えることもあります。
オランウータンの絶滅について書いてあります。
地球温暖化の気候変動とか、農業のために動物が生息している森をつぶして畑にしたとかです。動物は居場所がなくなりその数を減らしていきました。動物が住む場所も食べ物もありません。
国際自然保護連合:1948年創設。国、政府、NGO(非政府組織)が組織する自然保護団体。本部はスイスにある。
ボルネオ島やスマトラ島の森林が伐採されて、日本ではラワンという建築資材で大量の木材を輸入した。
読んでいると「だれかの幸せは、だれかの犠牲(ぎせい)のうえにある」と思えてきます。
さらに、「大多数の幸せのために、特定少数が犠牲になるのはやむを得ないとか、しかたがない。これは、必要な犠牲者だ」という発想まで生まれてきます。人間とはこわい生き物です。リーダーの立場に立つ人がそのように考えると戦争が起こります。
オイルパーム:アブラヤシの果実からつくられる油として、パーム油。食用油。食べ物の原料。燃料にもなる。パーム油をつくるための農園をつくるために森が伐採(ばっさい)されていくそうです。森がなくなれば動物は食べるものがなくなって死滅します。日本の加工食品にも多用されているそうですので、こんど商品の説明書きを読んでみます。
オランウータンを食用とするということは初めて聞きました。ちょっとキモイ。
先住民族の「首狩り」も出てきました。人間の首です。オランウータンの首も対象になったとのことです。
おそろしいけれど「生活」のため。生きるためなのでしょう。
ペットにされるオランウータンの赤ちゃんがいるそうです。密猟です。法令等を無視して動物を狩ることです。お金のための行為です。
読んでいると「経済と命」について考えます。お金が大事か、命が大事かです。通常は命が大事だと思う人が多いのでしょうが、なかには、命よりもお金のほうが大事だという人もいます。そういう人がリーダーになると、死ななくても良かった人が死んでしまったということになります。
バランスをとることがとても難しい課題です。
マレーシアやインドネシアの人で、オランウータンを見たことがない人がけっこういるそうです。へーっです。びっくりしました。野生のオランウータンはなかなか見ることができないだろうし、動物園も数が少ないそうです。日本人はいろいろと恵まれています。
本を読んだことがきっかけになって、熱帯林伐採(ばっさい。切り倒し)の関係で、2020東京オリンピックの施設建設で使用される木材をインドネシアやマレーシアの島々で日本が大量伐採することはやめてくださいという声が現地や環境保護団体にあったことを知りました。
競技場等は完成して、おそらく日本の木材を中心に使用したとは思いますが、事実はよく知りません。新国立競技場が、大量の木材を使用したことがいいこととしてアピールされていた記事は見たことがあります。
オランウータン(森の人):生息地は、ボルネオ島(インドネシア国(インドネシアではカリマン島と呼ぶ)とマレーシア国、ブルネイ・ダルサラーム国に属する。4095mのキナバル山があり、赤道直下の山だが、標高が高いところでは雪が降ることもある。低地は熱帯雨林地帯。温度・湿度が高い。平均気温28℃。年間降水量3000mm。日本は1000mm~2000mm。日本から飛行機で6時間)、スマトラ島北部(インドネシア)
スマトラ島の東にボルネオ島があります。いずれも赤道(緯度0度)直下の島です。
動物は夜行性が多いのですが、オランウータンは「昼行性霊長類(ちゅうこうせいれいちょうるい)で唯一の単独性(ゆいいつのたんどくせい。ふつうは、複数性(群れをつくる))だそうで、調査時間帯は、朝の7時から11時と午後3時から5時と書いてありました。
カバーの写真にあるオランウータンはかわいい。
表紙をめくるとオランウータンがいる場所の略図があります。
「イチジクの木」日本にあるイチジクが、そこにもあるのかとびっくりしました。あとからイチジクコバチという繁殖に必要なハチのことも出できました。
「マレーグマ」最初は絵を見て、動物園にいるレッサーパンダと間違えました。
「ウンピョウ」ヒョウの仲間。サルを食べる。オランウータンも襲うことがある。
「オオコンニャク」サトイモ科の植物
あかちゃんとおかあさんのオランウータンの写真がつづきます。
熱帯雨林のジャングルです。衣食住について考えてしまいます。とくにおトイレのことを考えてしまいます。
オランウータンはやがて絶滅してしまうそうです。第六章に理由が書いてあるようです。
オランウータンは「のどぶくろ」を使って「ロングコール」をするとあります。「フクロテナガザル」を思い出しました。おもしろいけれど、とてもうるさいです。
オランウータンは、腕が足よりも長いそうです。腕も足も物をつかめるようで器用な体をしています。(からだをじょうずにつかえる)
先日読んだ本「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」ムンディ先生こと山﨑圭一 SBクリエイティブでは、人間の進化の経過を、アウストラロピテクス→北京原人・ジャワ原人→ネアンデルタール人→クロマニョン人と紹介されていました。
ゴリラの話が出ます。イケメンゴリラの「シャバーニ」を思い出しました。年に何回か観に行きます。
チンパンジーやゴリラは、アフリカで生れアフリカで生きた。オランウータンは、アフリカで生れアジアに移動した。そんなことが書いてあります。
オランウータン研究家の著者自身のことが書いてあります。大学の研究者ですから学者さんです。こどものころから本読みが好きだったそうです。そういえば、「シートン動物記」とか「ファーブル昆虫記」というこどもさん向けの本もありました。
エコツーリズム:自然環境保護を考える旅行
学者になるための本の要素があります。
利潤の追求をするサラリーマンとはまた違った世界です。
経済的な後ろ盾がないとなかなかできない仕事です。
わたしはおとななので、そういうことを考えてしまいます。
東京都多摩動物公園:著者が大学院生のとき、8頭のオランウータンがいたそうです。メス6頭、オス2頭。一番年上のおばあちゃんが「ジプシー」4頭の娘を産んだそうです。
オランウータンの特徴として「動かない」
オランウータンの別名として「森の哲人(哲学者)」
地球は狭い。若い頃は、飛行機に6時間乗るのは長いと感じていましたが、24時間以内で世界の各地に行けるなら地球は狭いと歳をとってきてからわかるようになりました。時間はあっという間に過ぎていきます。
著者がボルネオ島を初めて訪れたのは1998年だそうですから今から23年ぐらい前のことです。
著者が現地の施設「セピロク・オランウータン・リハビリテーションセンター(傷ついたオランウータンを野生に戻すための野生復帰センター)」で初めて出会ったオランウータンが、幼稚園児ぐらいの大きさの「セコ」です。右足に抱きつかれて、長ぐつのなかにおしっこをされています。歓迎の意味だったのでしょう。
また、わたしはおとななので、センターの管理運営費はどうなっているのだろうかなどと考えてしまうのです。国営なのだろうかとか、財団法人で運営だろうかとか、運営資金の出どころはどこだろうかとか、寄付があるのだろうかとか、人件費の支払いはどうしているのだろうかとか、そういうことを考えるいやなおとなです。(読み続けていたら163ページあたりからそのことについて書いてありました)
(自分にかすかな記憶が残っていて、調べたら、テレビ番組「東野・岡村の旅猿」でセピロク・オランウータン・リハビリテーションセンターが登場していました。マレーシアでオランウータンを撮ろう!という企画でした。ゲストは出川哲朗さんでした。2015年の放送で、わたしはDVDで観ました。メンバー三人は野生のサルたちをまじかで観てかなり感激されていました。別の話として、センターがある場所は、日本文学作品「サンダカン八番娼館」(さんだかんはちばんしょうかん。山崎朋子作品に登場する女性が熊本県の島から行ったところで、しみじみとくるものがありました。)
ダナムバレイ保護区にある調査基地「クアラ・スンガイ・ダナム・リサーチステーション」(書中では小屋)
バレイ=英語で谷間、盆地、流域
著者はボルネオ島をベースにして生活することを選択します。若い時には自分がやりたいことをやったほうがいいです。とくに親の顔色はうかがわないほうがいい。(気にしないほうがいい)
密林の中でオランウータンを探すポイントとして「においを追え!」とあります。
オランウータンを発見! 母の名が「リナ」娘の名が「ケイト(5歳)」
全体で177ページあるうちの96ページまで読んだところです。
かなり専門性が高い。
オランウータンを研究する目的がはっきりしないのですが、オランウータンを初めてとした類人猿に作者の興味が強いということは伝わってきます。
オランウータンのネスト:ネストは英語で「巣」オランウータンだと、「家」とか「寝床」の感じです。
なんだかオランウータンは長時間寝ていて(12時間+昼寝時間)、あとは食べている。
昼行性とかよく寝るとか、なんとなく人間に似ています。
読んでいるとあとから出てくるのですが、オランウータンはイチジクが好物だそうです。イチジクはアケビに似ており、自分が小学生の頃は、近所のこどもたちと山に入って、木に登って、アケビをとって食べていました。なんだかやっぱり、人間とオランウータンはやることが似ています。
研究は科学的です。糞を(ふんを)集めて、DNAを調べる(DNA:デオキシリボ核酸(かくさん)遺伝情報に関係がある物質。親子関係がわかる)
スパトロブス:マメ科の木性(もくせい)ツルとあります。ネットで写真を見ました。ふつうの葉っぱでした。赤色の若葉から緑色に変化して、オランウータンは赤い葉っぱを好んで食べるそうです。
サイチョウ:鳥。黄色いくちばしの上に黄色で長いツノがある。
ピオ:著者の調査助手。たぶん女性。正しい名前は「エディ・ボーイ」。ピオは通称だそうです。(あとがきから)
スコール:急に来て、短時間にシャワーのように強い雨が降る。熱帯でのにわか雨
マレー語として、
ボアッ・サラン:ネストをつくった(オランウータンが寝床をつくった)10分ぐらいでできあるようです。
ハビス:終り
トレイル:森の中で歩くきちんとした道のこと。森の中を歩くときのやぶの中ではない。
森には毒ヘビがたくさんいるそうです。こわい。キングコブラ、ブラックコブラ、ヨロイハブ…… 名前を聞いただけでおそろしくなります。
毒ヘビに噛まれたら、その毒ヘビを捕まえて殺して、医師に見せて、どのお薬にするか決めるそうです。わたしはとてもそこへは行けそうにありません。
ほかにも、吸血ヒルがいるそうです。ダニもやっかいだそうです。さらに行く気が失せました(うせました)。
アリもこわいそうです。ヒアリというのは以前日本で騒ぎになりました。ほかにも、軍隊アリ、モリオオアリなるアリがいるそうです。
「アナフィラキシー」という言葉は、コロナウィルスワクチンの話題で最近よく耳にする言葉です。この本では、ハチに刺されて、アレルギー反応が出て、窒息する危険があるそうです。いざというときに備えて、薬と注射器を持参して調査しているそうです。「ポイズン・リムーバー」という毒液を吸い出す器具の写真が掲載されています。なんだか、命がけの調査です。
植物も、ふれるとかぶれるものがあるそうで、これはたいへんです。ふれたところが腫れる(はれる)そうです。
「深追い(ふかおい)」は注意といういましめがあります。暗くなって、ジャングルの中で迷ったことがあるそうです。
バナナのお話が出ます。原産地がボルネオ島だそうです。
オランウータンもバナナが大好きです。わたしも毎日1本食べています。安いのがいい。半世紀ぐらい前は、バナナは高価で高級品でした。なかなか口にできませんでした。いつだったか、外国では家畜の餌だという記事を読んでショックを受けたことがあります。
ドリアン:匂い(におい)が強烈に臭いけれどとてもおいしいとされています。もう30年ぐらい前に一度だけほんの少しだけ食べたことがありますが、もう匂いも味も覚えていません。「果物(くだもの)の王様」というらしい。
マンゴスチン:「果物の女王」というらしい。白い果肉
ランブータン:赤色で毛が生えたように見える。
コンドロン:調べましたがどんな果実なのかわかりませんでした。コンドロイチンという物質と関係があるようです。
熱帯雨林の中では、毎年果実ができるわけではなくて、10年に1回とか、2~3年に1回の頻度で(ひんどで)できるそうです。市場に流通しているものは、農園で育てられたものだそうです。
オオタニワタリ:シダ。葉っぱの長い観葉植物に見えます。着生植物(ちゃくせいしょくぶつ):土ではなく、木の上とか岩の上に根を張る。
読んでいると、オランウータンの調査とはいえ、人間が場違いな場所にいるような気がしてきます。いいのだろうか。
案外オランウータンの天敵は「人間」ではなかろうか。
オランウータンは、いつも木の上にいて、地面におりることはほとんどないそうです。地上にはオランウータンにとってこわいものがたくさんあるからでしょう。だけど、死んだときには木から落ちてくるような気がします。
ギボン:テナガザル。腕渡り(ブラキエーション)木から木へと腕だけで移動していく。
オランウータンのメスが、オスの半分しか大きくならないことは不思議でした。体重が40kgと80kgです。そのうちオスは、「フランジ・オス(顔がでかい)ケンカをする。繁殖に強い」と「アンフランジ・オス(顔がちいさい)ケンカはしない。繁殖に弱い」に別れるそうです。
スマトラ島産のオランウータンは、毛が長めでオレンジ色。島にはたくさんの火山がある。スマトラオランウータンとタパヌリオランウータンがいる。アリやシロアリなどの昆虫をよく食べる。スローロリス(小さなおさるさんみたいに見えます)を食べる肉食。
ボルネオ島産のオランウータンは、毛は短めで濃い茶色。島には火山がない。ボルネオオランウータン
シベット:ジャコウネコ。体がほっそりとした動物
スマトラ島にはトラがいて、トラはオランウータンを襲う。こわい。
単独性の強いオランウータンは、読んでいると、人間ならば、おひとりさまの老後の暮らしに似ていると感じます。
ホモ・サピエンスが誕生したのは、20~30万年前。そのほとんどを「狩猟採集生活」をしながら、獲物がいななれば移動する暮らしだったそうです。「助け合いと平等」で、リーダーはいないけれど、ケンカもめったにない。とってきた獲物(えもの)はみんなで分けて食べる。
定住生活ができるようになった農業が始まったのは1万年前ぐらいだそうです。集落ができて、村ができて、川から水田に水をひく灌漑(かんがい)という作業をして、土地には所有者がいて、べつに耕す人がいてとだんだん平等がくずれていきます。支配する者とされる者の誕生です。
スマトラ島のオランウータンの食文化があります。
ネイシア:ドリアンのなかまを、スマトラ島のオランウータンは、細い小枝を道具として使用して種を食べる文化があるそうです。
文化を伝えるためには「群れること」「(物まねを)許すこと」が必要だそうです。
もうひとつが、イノベーター:発明者の誕生です。人間の真似をするそうです。
オランウータンのメスは、15歳ぐらいで初めてのこどもを産む。以降、7年おきにこどもを産み続ける。平均寿命は60歳ぐらい。あかちゃんは、1500gぐらいで生まれる。人間のあかちゃんの半分ぐらいです。
オランウータンの子育ては、読んでいると、どちらかといえば「放任(ほうにん。こどものやりたいようにしておく)」です。オスはいっさい子育てはしないそうです。いろんな子育てがありますが、通常、親が子を育てるときは、自分が親に育てられたようにしか育てられないものだと気づいたことがあります。それは、各家庭で異なっており、夫婦はこうあらねばならないとか、親子はこうあらねばならないとか、家族はこうあらねばならないとかを考えるとゆきづまることが多いです。結局、生きていればいいんだというところにたどりつきます。自殺をされるのは、残された者にとってはかなりつらい。話が脱線してしまいました。オランウータンの場合は、トラやウンピョウに襲われたり、伝染する病気にかかったりして命を落とすことがあるそうです。
本では、人の赤ちゃんの説明があります。自分でも思うに、こどもの死亡率が低くなったり、日本人全体の寿命が延びたりしたのは、大昔からのことではなく、終戦後ぐらいからです。戦後75年ぐらいがたちました。本では、「赤ちゃんが死なない社会」をつくったのがオランウータンで「少産少死社会」の大先輩と讃えて(たたえて)おられます。
次に、オランウータンの場合は、ママ友みたいな存在があるとことを説明しておられます。
いろいろ読んでいると、オランウータンも人間もおんなじだなと思えることもあります。
オランウータンの絶滅について書いてあります。
地球温暖化の気候変動とか、農業のために動物が生息している森をつぶして畑にしたとかです。動物は居場所がなくなりその数を減らしていきました。動物が住む場所も食べ物もありません。
国際自然保護連合:1948年創設。国、政府、NGO(非政府組織)が組織する自然保護団体。本部はスイスにある。
ボルネオ島やスマトラ島の森林が伐採されて、日本ではラワンという建築資材で大量の木材を輸入した。
読んでいると「だれかの幸せは、だれかの犠牲(ぎせい)のうえにある」と思えてきます。
さらに、「大多数の幸せのために、特定少数が犠牲になるのはやむを得ないとか、しかたがない。これは、必要な犠牲者だ」という発想まで生まれてきます。人間とはこわい生き物です。リーダーの立場に立つ人がそのように考えると戦争が起こります。
オイルパーム:アブラヤシの果実からつくられる油として、パーム油。食用油。食べ物の原料。燃料にもなる。パーム油をつくるための農園をつくるために森が伐採(ばっさい)されていくそうです。森がなくなれば動物は食べるものがなくなって死滅します。日本の加工食品にも多用されているそうですので、こんど商品の説明書きを読んでみます。
オランウータンを食用とするということは初めて聞きました。ちょっとキモイ。
先住民族の「首狩り」も出てきました。人間の首です。オランウータンの首も対象になったとのことです。
おそろしいけれど「生活」のため。生きるためなのでしょう。
ペットにされるオランウータンの赤ちゃんがいるそうです。密猟です。法令等を無視して動物を狩ることです。お金のための行為です。
読んでいると「経済と命」について考えます。お金が大事か、命が大事かです。通常は命が大事だと思う人が多いのでしょうが、なかには、命よりもお金のほうが大事だという人もいます。そういう人がリーダーになると、死ななくても良かった人が死んでしまったということになります。
バランスをとることがとても難しい課題です。
マレーシアやインドネシアの人で、オランウータンを見たことがない人がけっこういるそうです。へーっです。びっくりしました。野生のオランウータンはなかなか見ることができないだろうし、動物園も数が少ないそうです。日本人はいろいろと恵まれています。
本を読んだことがきっかけになって、熱帯林伐採(ばっさい。切り倒し)の関係で、2020東京オリンピックの施設建設で使用される木材をインドネシアやマレーシアの島々で日本が大量伐採することはやめてくださいという声が現地や環境保護団体にあったことを知りました。
競技場等は完成して、おそらく日本の木材を中心に使用したとは思いますが、事実はよく知りません。新国立競技場が、大量の木材を使用したことがいいこととしてアピールされていた記事は見たことがあります。
2021年06月03日
星の子 邦画DVD
星の子 邦画DVD 2020年公開
宗教にのめりこんでいる両親を「洗脳(マインドコントロール。思想・主義の意図的誘導、植え付け)」から目覚めさせるためにはどうしたらいいのだろうか。
悩ましい。
映像は、苦しさを通り越して、コメディにまで至っています。
水の神さま信仰です。
頭頂部、頭髪(とうはつ)の上に水を含んだ白いタオルをたたんでのせてご利益(ごりやく)があるとして生活をする両親がいます。
長女は両親に愛想をつかして家を出て行きました。中学三年生高校受験生の次女ちひろ(ちーちゃん。演者として芦田愛菜さん)が家に残されました。
生きていくうえで、何かに寄りかかっていないと倒れてしまいそうな人がいます。
両親の宗教的な儀式を好きな男性に偶然観られて、男性から「あれは不審者」だと断定されてショックを受ける芦田愛菜さんが演じる「ちーちゃん」がいます。
両親の水神さま信仰は、ちーちゃんが病弱で死にそうだったあかちゃんのときの出来事がスタートになります。ちーちゃんの命を、水神さまが救ってくれたのです。そのことで責任を感じているちーちゃんがいます。自分のせいで、両親が水の信仰にのめりこんだと。
ちーちゃんが異様な家庭環境のなかで生活していることで、親戚はちーちゃんのことを心配します。ちーちゃんの母親の兄夫婦とその息子が、ちーちゃんを彼女の両親から分離して助け出そうとします。
不条理なこと(あるべき姿に反していること)、理不尽なこと(避けることが無理な圧力に屈すること)、不合理なこと(理屈にあわないこと)に折り合いをつけて生きていくのがおとなの世界です。正義を貫いた先にあったのは不幸だったということが人間界のありようです。(参考「勇気ってなんだろう」江川紹子著 岩波ジュニア文庫 内部告発をして家族や親族関係が崩壊した例が書いてあります)
変わった内容ですが、味わいがありました。
信仰団体の代表者の言葉です。『あなたがここにいるのは(あなたの)自分の意思とは関係ないのです(必然なのです(それよりほかになりようがないこと))』
映像を観ていて、最後は、生きていればいいんだというゴールにたどり着きます。
お父さんの言葉として「時間は気にしなくていい」
ちーちゃんをまんなかにして父と母との家族三人で、流れ星を見るシーンが最後です。
自分の体験だと流れ星というのは意外にひんぱんに流れ落ちています。
中学生のころにアルバイトで新聞の朝刊の配達をしていたのですが、冬の明け方など、まだ暗いのですが、いなかゆえに自分の頭の上には満点の星空があり、新聞配達を終えてから自宅までの帰路で、ゆっくり歩きながら空を見上げていると、次々と流れ星が流れていく様子を見ることができました。宇宙の時の流れのなかでは、人の一生は、流れ星が流れる瞬間のように短いものです。どのように生きるかは本人次第です。
(2017年のときの読書感想文)
星の子 今村夏子 朝日新聞出版
83ページまで読みました。なかなかおもしろい。
「コンビニ人間」とか、「しんせかい」、「苦役列車」、「サラバ!」の路線です。
病弱に生まれた主人公林ちひろ(ちーちゃん)を救うために、「水」にからんだ新興宗教らしき活動に積極的に関わる両親がいます。それが原因で、親族関係、親子関係(ちーちゃんの5歳上にまさみさん、まーちゃんがいる)が破たんしていきます。
宗教小説は避けられる傾向にあるのですが、この小説の場合、成功しています。
お茶の名前が「金星のみのり」
項目番号「4」から、おもしろくなってきます。
小学生ながら、女子のしたたかさとか、男子のばかばかしさが表現されています。
孤独もあります。
「すべては宇宙の意のままに」は、イスラム教アラーの「神の御心のままに(インシャラ―)」みたい。
「さらけだす」小説です。16歳高校1年生のまーちゃんが、家出をしました。
引きこもり男子の異様な行動があります。
異常な世界となってきました。
そして、両親は、毎日、祈り続けるのです。
(つづく)
読み終えました。
読後感として、実際にこういう世界もあって、否定はできない。
無神論者が多い日本ではありますが、なんらかの宗教活動をしている個人もファミリーもいます。
こんな感じの家族像になるのでしょう。
印象に残ったこととして、「父も母もあまり食事をとらない。一日、一食か一食半」
笑えるシーンはいくつかありました。素朴です。
なんだか、おもしろくて、悲しい、ときには、児童虐待にも思える。
「親戚との付き合いが絶たれる」
ラスト、両親は、娘を手放すことにしたのか、手元におくことにしたのか。なかなか推定と決定はむずかしい。
決めるのは本人で、おそらく本人は、望まない。両親だけではなく、ファミリーを包む組織内にいるから。
宗教にのめりこんでいる両親を「洗脳(マインドコントロール。思想・主義の意図的誘導、植え付け)」から目覚めさせるためにはどうしたらいいのだろうか。
悩ましい。
映像は、苦しさを通り越して、コメディにまで至っています。
水の神さま信仰です。
頭頂部、頭髪(とうはつ)の上に水を含んだ白いタオルをたたんでのせてご利益(ごりやく)があるとして生活をする両親がいます。
長女は両親に愛想をつかして家を出て行きました。中学三年生高校受験生の次女ちひろ(ちーちゃん。演者として芦田愛菜さん)が家に残されました。
生きていくうえで、何かに寄りかかっていないと倒れてしまいそうな人がいます。
両親の宗教的な儀式を好きな男性に偶然観られて、男性から「あれは不審者」だと断定されてショックを受ける芦田愛菜さんが演じる「ちーちゃん」がいます。
両親の水神さま信仰は、ちーちゃんが病弱で死にそうだったあかちゃんのときの出来事がスタートになります。ちーちゃんの命を、水神さまが救ってくれたのです。そのことで責任を感じているちーちゃんがいます。自分のせいで、両親が水の信仰にのめりこんだと。
ちーちゃんが異様な家庭環境のなかで生活していることで、親戚はちーちゃんのことを心配します。ちーちゃんの母親の兄夫婦とその息子が、ちーちゃんを彼女の両親から分離して助け出そうとします。
不条理なこと(あるべき姿に反していること)、理不尽なこと(避けることが無理な圧力に屈すること)、不合理なこと(理屈にあわないこと)に折り合いをつけて生きていくのがおとなの世界です。正義を貫いた先にあったのは不幸だったということが人間界のありようです。(参考「勇気ってなんだろう」江川紹子著 岩波ジュニア文庫 内部告発をして家族や親族関係が崩壊した例が書いてあります)
変わった内容ですが、味わいがありました。
信仰団体の代表者の言葉です。『あなたがここにいるのは(あなたの)自分の意思とは関係ないのです(必然なのです(それよりほかになりようがないこと))』
映像を観ていて、最後は、生きていればいいんだというゴールにたどり着きます。
お父さんの言葉として「時間は気にしなくていい」
ちーちゃんをまんなかにして父と母との家族三人で、流れ星を見るシーンが最後です。
自分の体験だと流れ星というのは意外にひんぱんに流れ落ちています。
中学生のころにアルバイトで新聞の朝刊の配達をしていたのですが、冬の明け方など、まだ暗いのですが、いなかゆえに自分の頭の上には満点の星空があり、新聞配達を終えてから自宅までの帰路で、ゆっくり歩きながら空を見上げていると、次々と流れ星が流れていく様子を見ることができました。宇宙の時の流れのなかでは、人の一生は、流れ星が流れる瞬間のように短いものです。どのように生きるかは本人次第です。
(2017年のときの読書感想文)
星の子 今村夏子 朝日新聞出版
83ページまで読みました。なかなかおもしろい。
「コンビニ人間」とか、「しんせかい」、「苦役列車」、「サラバ!」の路線です。
病弱に生まれた主人公林ちひろ(ちーちゃん)を救うために、「水」にからんだ新興宗教らしき活動に積極的に関わる両親がいます。それが原因で、親族関係、親子関係(ちーちゃんの5歳上にまさみさん、まーちゃんがいる)が破たんしていきます。
宗教小説は避けられる傾向にあるのですが、この小説の場合、成功しています。
お茶の名前が「金星のみのり」
項目番号「4」から、おもしろくなってきます。
小学生ながら、女子のしたたかさとか、男子のばかばかしさが表現されています。
孤独もあります。
「すべては宇宙の意のままに」は、イスラム教アラーの「神の御心のままに(インシャラ―)」みたい。
「さらけだす」小説です。16歳高校1年生のまーちゃんが、家出をしました。
引きこもり男子の異様な行動があります。
異常な世界となってきました。
そして、両親は、毎日、祈り続けるのです。
(つづく)
読み終えました。
読後感として、実際にこういう世界もあって、否定はできない。
無神論者が多い日本ではありますが、なんらかの宗教活動をしている個人もファミリーもいます。
こんな感じの家族像になるのでしょう。
印象に残ったこととして、「父も母もあまり食事をとらない。一日、一食か一食半」
笑えるシーンはいくつかありました。素朴です。
なんだか、おもしろくて、悲しい、ときには、児童虐待にも思える。
「親戚との付き合いが絶たれる」
ラスト、両親は、娘を手放すことにしたのか、手元におくことにしたのか。なかなか推定と決定はむずかしい。
決めるのは本人で、おそらく本人は、望まない。両親だけではなく、ファミリーを包む組織内にいるから。
2021年06月02日
おいで、アラスカ アンナ・ウォルツ・作 野坂悦子・訳
おいで、アラスカ アンナ・ウォルツ・作 野坂悦子・訳 フレーベル館
まずタイトルを見て、「アラスカ」という地名で思い浮かんだことです。
アラスカ:アメリカ合衆国が、1867年(明治元年が1868年)にロシアから買ったところ。(最近歴史に興味があるので、すぐ年号が頭に浮かんでしまうのです)エスキモーという原住民の人たちが暮らしているところ。オーロラをみることができる場所。
ところが、いま、33ページまで読んだのですが、アラスカというのはどうも犬の名前らしい。ちょっとびっくり。だから、タイトルが「おいで、アラスカ」なのか。アラスカという名前の犬に、こっちにおいでと声をかけているのです。
本にある絵を見ると、白くて大きな犬の絵があります。赤い首輪を付けています。
ただ、アラスカがいなくなってもう四か月と書いてあります。どこへ行っちゃたんだろう。物語に登場してくる女子パーケルの家の飼い犬らしい。
チュニック:丈が長めの上着。
亜麻仁(あまに)入りのサワード・ブレッド:亜麻という植物の種からつくる油が入った小麦・ライムギの粉からつくったパン。
構成は、ふたりの中学生のことが交互に出てくる形式です。
28人こどもがいる1年B組に属する男子と女子です。担任はゴメス先生。
男子がスフェイン。13歳。水色の目。体格は普通。灰色のTシャツ。あごにばんそうこう。パークルより少し背が高くて、よごれた靴をはいている。
女子がパーケル・モンテインです。
スフェイン・ベークマンはどうも病気もちらしい。(ページをめくっていたら偶然「てんかん」という文字が目に入りました。体が硬直するように突然発作が起きる脳の病気です)二時間おきに薬を飲むようなことが書いてあります。どうも彼は二回目の中学1年生としての生活が始まった雰囲気があります。オランダからフランスに来たような雰囲気もあります。(読んでいてその後、舞台はオランダだろうということにしました)
9月だから、外国は、入学の時期です。おそらく6月ぐらいからの長い夏休みが終わったあとです。日本と外国は義務教育の学年制度が異なる部分もあります。
フランス語の先生がいます。ひじから下にドラゴンのタトゥー(入れ墨)あり。ゴメス先生です。女性に思えます。
「ビアンヴニュ!(ようこそ)」
パーケル・モンテイン:12歳。女子。やせていて顔は青白い。黒い服を着ている。笑みを浮かべない。とがった鼻。キャンキャンとするどい声で話す。弟が三人います。三人ともADHD(注意欠如・多動症)だそうです。デックス9歳、フィン7歳、ユーイ6歳(犬アレルギーがあるらしい)。あとはパパ39歳とママ。両親は写真店を経営しています。「写真店モンテイン」です。
スフェイン・ベークマン:男子。てんかんもち。13歳。二回目の中学1年生。1年目はたぶん病欠で出席日数不足だったのでしょう。留年です。
ジファ:青色が好き。黒い巻き毛
ベンヤミン:ホッケーをしている。
ソル:夏にスペインに行きました。
エリン:クラスメート
イヴォンヌ:介助犬の指導者。
ホッペンブラウワース先生:担任
アラスカ:(読み続けていてわかるのですが)病人の介助犬。どうもパーケル・モンテイン宅が里親で、その後、てんかん発作の病気があるスフェイン・ベークマンの介助犬になっているようです。犬ですが、背中に介助犬の表示があるベストを着用している。ゴールデンレトリバー。雪色(白)
112番:日本の119番。救急搬送依頼の電話番号
昔、電車の中で立っていて、自分の目の前でてんかん発作を起こした若い男性を見たことがあります。びっくりしました。突然、体の硬直が始まったようで、ぶるぶると震え出し、両手も小刻みに動いて、自分は、なにが起こったのだろうと目が点になりました。すごく強い力でけいれんしていて、その動きを力で押さえて止められそうもありませんでした。発作がおさまるのを待つしか対応のしようがありません。三分間ほどして発作が去ったようで、体の動きが静かになったので、「大丈夫ですか」と声をかけましたが、本人は放心状態で、なにが起きたのか記憶がないのか、自分で自分の行為に驚いていたのか、不思議な雰囲気でした。そのときは、前知識はあったので、ああこれが、てんかんという病気の症状なのかと思いました。
この本では、「発作のあと、この世界は、ちょっと液体に近くなる……」「つまり、ぼくの頭の中がショートしたんだ……」と表現されています。
抽象的な世界が続きます。
現実離れしたような世界です。
フェイスマスク:この物語においては、プロレスラーがかぶる顔全体をかくすマスクだと判断しました。
どういうわけか、理由がはっきりしないのですが(パーケル・モンテインが『ジングルベル』を犬の物まね声で歌ったからですが、彼女の声やしゃべり方が犬みたいだという理由でばかにするのはいじめです。)てんかん発作もちの男子であるスフェイン・ベークマンが、細身でかん高い声を出す女子であるパーケル・モンテインを『ワンワン・パーケル・バーカー!』とばかにしてさげすみます。ひどいやつです。でも、パーケル・モンテインはめげていません。強気です。
スフェイン・ベークマンは介助犬アラスカの世話になっており、パーケル・モンテインは同じくアラスカを預かって一時的に育てた家庭のこどもです。
介助犬:身体障害者の行動を支援するワンちゃん。精神的な支えにもなる。
犬があいだに入って、ふたりの人間をつなぐ物語です。
幻想的です。この世の出来事ではありません。
すべてが夢の中のようです。
アラスカがパーケル・モンテイン宅を去ったあと、写真館モンテインに強盗が入って、拳銃発射事件が起きています。死者は出なかったもののパーケル・モンテインの父親は負傷しています。(このことがきっかけで、スフェイン・ベークマンは、アラスカの前の飼い主がパーケル・モンテインであることを知ります)
元飼い主の女子であるパーケル・モンテインと今は、スフェイン・ベークマンの介助犬をしているアラスカの再会があります。
トチノキ:落葉性の高木。
ドロテ先生:パーケル・モンテインの二番目の弟である7歳フィンの担任。
イヴォンヌ:介助犬アラスカの調教師
犬が歌うジングルベルは「ワン、ワン、ウーフ、ワン、ワン、ウーフ……」のくりかえしです。
外国だから(オランダ)日本とは違う雰囲気のところもあります。政治的、宗教的な理由で、テロ(無差別殺傷行為)が起きます。爆弾の爆発でたくさんの死傷者が出ます。また、銃が身近にある社会なので、銃による犯罪も起こりやすいです。
スフェイン・ベークマンの性格はゆがんでいます。男尊女卑の考え方をもっている男子です。
なぜ人は、人を傷つけたがるのだろう。DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)とか児童虐待とか高齢者虐待とか、本来は愛情を与える相手にきつくあたるのでしょう。人間の脳には「悪」があります。人に優しくされたことがない人は、人に優しい人にはなりにくい。
スフェイン・ベークマンはさらに、介助犬のアラスカを「もじゃもじゃ」と呼んでばかにします。感謝を知らないとても失礼なやつです。きっとさきざき、ばちがあたるでしょう。
スフェイン・ベークマンとパーケル・モンテインとで、アラスカの取り合いになりますが、アラスカに本当の愛情がある人は必ずアラスカを相手に譲ります。アラスカにどちらを選択するかの決断をさせるのは酷です。まるで、離婚のときの子の親権争いのようです。
アラスカは自分の役割をよく考えて行動したと思います。
トルコブルー:水色っぽい青色
スフェインのいいセリフがありました。「人生は続けていかなくちゃいけないのに、どうしてきみは、ずっとぐちをこぼしていれるんだ」自分に障害があっても、弟たちに障害があっても、人生は続けていかなくちゃいけないのです。以前映画で知った名言があります。「このさき、何が起きるかは問題じゃない。何が起こっても動じない度胸をもち、知識を蓄え、体験を積んでおくんだ」
本には書いてありませんが、スフェインは「(てんかんという病気がある)この脳で生きていくんだ」と決意したのです。ぼくという人間は、ここにいると自覚したのです。
人の不幸を動画で撮影して、拡散させて、みせびらかして、楽しむ人たちがいます。
スフェインは自分が今いる場所を「火星」だとなんども表現します。外国の人の感覚なので、日本人のわたしにはピンときませんでした。
伏線の回収が始まります。(伏線:物語をひきたてるために前半でばらまく仕掛け)
写真館に入ってきた強盗のこと。うつ病みたいになってしまったパパのこと。ジングルベルの歌のこと。障害のある弟たちのことなどです。
連携があります。そういうことかと納得する展開です。
障害者世帯を元気づける内容です。励ましもあります。
「予知」の話が出ます。
介助犬を讃えて、感謝して、PRする内容です。
仲間意識が生まれます。
学校へ行こう! という物語でした。
読んでいたらたまたまテレビで介助犬の番組が流れました。
日本にいる介助犬の数は、たった57頭だそうです。少ないですね。出会うこともないような。
読み終えてみて、少年と少女のお話でした。犬である「アラスカ」の存在感は薄かった。
オランダの作品でもあり、日本の文学とは感覚の違いがあると感じました。
まずタイトルを見て、「アラスカ」という地名で思い浮かんだことです。
アラスカ:アメリカ合衆国が、1867年(明治元年が1868年)にロシアから買ったところ。(最近歴史に興味があるので、すぐ年号が頭に浮かんでしまうのです)エスキモーという原住民の人たちが暮らしているところ。オーロラをみることができる場所。
ところが、いま、33ページまで読んだのですが、アラスカというのはどうも犬の名前らしい。ちょっとびっくり。だから、タイトルが「おいで、アラスカ」なのか。アラスカという名前の犬に、こっちにおいでと声をかけているのです。
本にある絵を見ると、白くて大きな犬の絵があります。赤い首輪を付けています。
ただ、アラスカがいなくなってもう四か月と書いてあります。どこへ行っちゃたんだろう。物語に登場してくる女子パーケルの家の飼い犬らしい。
チュニック:丈が長めの上着。
亜麻仁(あまに)入りのサワード・ブレッド:亜麻という植物の種からつくる油が入った小麦・ライムギの粉からつくったパン。
構成は、ふたりの中学生のことが交互に出てくる形式です。
28人こどもがいる1年B組に属する男子と女子です。担任はゴメス先生。
男子がスフェイン。13歳。水色の目。体格は普通。灰色のTシャツ。あごにばんそうこう。パークルより少し背が高くて、よごれた靴をはいている。
女子がパーケル・モンテインです。
スフェイン・ベークマンはどうも病気もちらしい。(ページをめくっていたら偶然「てんかん」という文字が目に入りました。体が硬直するように突然発作が起きる脳の病気です)二時間おきに薬を飲むようなことが書いてあります。どうも彼は二回目の中学1年生としての生活が始まった雰囲気があります。オランダからフランスに来たような雰囲気もあります。(読んでいてその後、舞台はオランダだろうということにしました)
9月だから、外国は、入学の時期です。おそらく6月ぐらいからの長い夏休みが終わったあとです。日本と外国は義務教育の学年制度が異なる部分もあります。
フランス語の先生がいます。ひじから下にドラゴンのタトゥー(入れ墨)あり。ゴメス先生です。女性に思えます。
「ビアンヴニュ!(ようこそ)」
パーケル・モンテイン:12歳。女子。やせていて顔は青白い。黒い服を着ている。笑みを浮かべない。とがった鼻。キャンキャンとするどい声で話す。弟が三人います。三人ともADHD(注意欠如・多動症)だそうです。デックス9歳、フィン7歳、ユーイ6歳(犬アレルギーがあるらしい)。あとはパパ39歳とママ。両親は写真店を経営しています。「写真店モンテイン」です。
スフェイン・ベークマン:男子。てんかんもち。13歳。二回目の中学1年生。1年目はたぶん病欠で出席日数不足だったのでしょう。留年です。
ジファ:青色が好き。黒い巻き毛
ベンヤミン:ホッケーをしている。
ソル:夏にスペインに行きました。
エリン:クラスメート
イヴォンヌ:介助犬の指導者。
ホッペンブラウワース先生:担任
アラスカ:(読み続けていてわかるのですが)病人の介助犬。どうもパーケル・モンテイン宅が里親で、その後、てんかん発作の病気があるスフェイン・ベークマンの介助犬になっているようです。犬ですが、背中に介助犬の表示があるベストを着用している。ゴールデンレトリバー。雪色(白)
112番:日本の119番。救急搬送依頼の電話番号
昔、電車の中で立っていて、自分の目の前でてんかん発作を起こした若い男性を見たことがあります。びっくりしました。突然、体の硬直が始まったようで、ぶるぶると震え出し、両手も小刻みに動いて、自分は、なにが起こったのだろうと目が点になりました。すごく強い力でけいれんしていて、その動きを力で押さえて止められそうもありませんでした。発作がおさまるのを待つしか対応のしようがありません。三分間ほどして発作が去ったようで、体の動きが静かになったので、「大丈夫ですか」と声をかけましたが、本人は放心状態で、なにが起きたのか記憶がないのか、自分で自分の行為に驚いていたのか、不思議な雰囲気でした。そのときは、前知識はあったので、ああこれが、てんかんという病気の症状なのかと思いました。
この本では、「発作のあと、この世界は、ちょっと液体に近くなる……」「つまり、ぼくの頭の中がショートしたんだ……」と表現されています。
抽象的な世界が続きます。
現実離れしたような世界です。
フェイスマスク:この物語においては、プロレスラーがかぶる顔全体をかくすマスクだと判断しました。
どういうわけか、理由がはっきりしないのですが(パーケル・モンテインが『ジングルベル』を犬の物まね声で歌ったからですが、彼女の声やしゃべり方が犬みたいだという理由でばかにするのはいじめです。)てんかん発作もちの男子であるスフェイン・ベークマンが、細身でかん高い声を出す女子であるパーケル・モンテインを『ワンワン・パーケル・バーカー!』とばかにしてさげすみます。ひどいやつです。でも、パーケル・モンテインはめげていません。強気です。
スフェイン・ベークマンは介助犬アラスカの世話になっており、パーケル・モンテインは同じくアラスカを預かって一時的に育てた家庭のこどもです。
介助犬:身体障害者の行動を支援するワンちゃん。精神的な支えにもなる。
犬があいだに入って、ふたりの人間をつなぐ物語です。
幻想的です。この世の出来事ではありません。
すべてが夢の中のようです。
アラスカがパーケル・モンテイン宅を去ったあと、写真館モンテインに強盗が入って、拳銃発射事件が起きています。死者は出なかったもののパーケル・モンテインの父親は負傷しています。(このことがきっかけで、スフェイン・ベークマンは、アラスカの前の飼い主がパーケル・モンテインであることを知ります)
元飼い主の女子であるパーケル・モンテインと今は、スフェイン・ベークマンの介助犬をしているアラスカの再会があります。
トチノキ:落葉性の高木。
ドロテ先生:パーケル・モンテインの二番目の弟である7歳フィンの担任。
イヴォンヌ:介助犬アラスカの調教師
犬が歌うジングルベルは「ワン、ワン、ウーフ、ワン、ワン、ウーフ……」のくりかえしです。
外国だから(オランダ)日本とは違う雰囲気のところもあります。政治的、宗教的な理由で、テロ(無差別殺傷行為)が起きます。爆弾の爆発でたくさんの死傷者が出ます。また、銃が身近にある社会なので、銃による犯罪も起こりやすいです。
スフェイン・ベークマンの性格はゆがんでいます。男尊女卑の考え方をもっている男子です。
なぜ人は、人を傷つけたがるのだろう。DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)とか児童虐待とか高齢者虐待とか、本来は愛情を与える相手にきつくあたるのでしょう。人間の脳には「悪」があります。人に優しくされたことがない人は、人に優しい人にはなりにくい。
スフェイン・ベークマンはさらに、介助犬のアラスカを「もじゃもじゃ」と呼んでばかにします。感謝を知らないとても失礼なやつです。きっとさきざき、ばちがあたるでしょう。
スフェイン・ベークマンとパーケル・モンテインとで、アラスカの取り合いになりますが、アラスカに本当の愛情がある人は必ずアラスカを相手に譲ります。アラスカにどちらを選択するかの決断をさせるのは酷です。まるで、離婚のときの子の親権争いのようです。
アラスカは自分の役割をよく考えて行動したと思います。
トルコブルー:水色っぽい青色
スフェインのいいセリフがありました。「人生は続けていかなくちゃいけないのに、どうしてきみは、ずっとぐちをこぼしていれるんだ」自分に障害があっても、弟たちに障害があっても、人生は続けていかなくちゃいけないのです。以前映画で知った名言があります。「このさき、何が起きるかは問題じゃない。何が起こっても動じない度胸をもち、知識を蓄え、体験を積んでおくんだ」
本には書いてありませんが、スフェインは「(てんかんという病気がある)この脳で生きていくんだ」と決意したのです。ぼくという人間は、ここにいると自覚したのです。
人の不幸を動画で撮影して、拡散させて、みせびらかして、楽しむ人たちがいます。
スフェインは自分が今いる場所を「火星」だとなんども表現します。外国の人の感覚なので、日本人のわたしにはピンときませんでした。
伏線の回収が始まります。(伏線:物語をひきたてるために前半でばらまく仕掛け)
写真館に入ってきた強盗のこと。うつ病みたいになってしまったパパのこと。ジングルベルの歌のこと。障害のある弟たちのことなどです。
連携があります。そういうことかと納得する展開です。
障害者世帯を元気づける内容です。励ましもあります。
「予知」の話が出ます。
介助犬を讃えて、感謝して、PRする内容です。
仲間意識が生まれます。
学校へ行こう! という物語でした。
読んでいたらたまたまテレビで介助犬の番組が流れました。
日本にいる介助犬の数は、たった57頭だそうです。少ないですね。出会うこともないような。
読み終えてみて、少年と少女のお話でした。犬である「アラスカ」の存在感は薄かった。
オランダの作品でもあり、日本の文学とは感覚の違いがあると感じました。
2021年06月01日
シャーロットのおくりもの E.B.ホワイト
シャーロットのおくりもの 作・E.B.ホワイト 絵・ガース・ウィリアムズ 訳・さくまゆみこ あすなろ書房
本の帯に、児童文学の最高傑作! と書いてあります。そんな本があるのだろうかという疑問から始まりました。世界的なロングセラーとあります。なのに、自分はこれまで知らなかった。ならば、読んでみよう。
カバーの裏に紹介があります。シャーロットというのはクモなのか。
シャーロット:クモ
ウィルバー:子ブタ(できそこない(小さい)だから、生まれたとたん始末(ころされる)されそうになるのを8歳のファーンがかわいそうだと父親に命乞い(いのちごい)をして助かる。
とりあえず15ページまで読みましたが、なにかしら日本でいう明治時代ぐらいの時代背景にあるアメリカ合衆国ペンシルベニア州でのお話のようです。(ペンシルベニア州:ニューヨークの西側にある州)
作者のE.B.ホワイトさんについてです。1899年(日本だと明治32年)-1985年(日本だと昭和60年)86歳没。この本は、1952年の出版です。(昭和27年)今から69年前です。
父がいて、母がいて、ファーン8歳がいて、兄のエイヴリー10歳がいます。
10歳の兄エイヴリーが手にエアライフルをもっています。(エアライル:空気銃。ここでは、子ども向けの玩具でしょう。されど銃社会のアメリカ合衆国らしい)
ちょっと整理します。
ファーン:8歳女児。お肉にされる予定だったブタのウィルバーをかばう。
ジョン・エラブル:ファーンの父。農場経営者。養豚業か。
なんとか・エラブル:ファーンの母。名前はまだわかりません。(いま115ページまで読んだところです)
エイヴリー・エラブル:ファーンの兄。10歳
ウィルバー:4月生まれの子ブタ。いま(115ページ付近)、生後二か月。
ホーマー・L・ザッカーマンおじさん:ザッカーマン農場の経営者。たぶんジョン・エラブルの兄弟
イ―ディス・ザッカーマン:ホーマー・L・ザッカーマンの奥さん
牧師
ラーヴィー:ザッカーマン牧場で雇われている男性
シャーロット:シャーロット・A・キャヴァティカ。大きな灰色のクモ。クモの巣をはって、ハエやアブをつかまえて、糸でアブをぐるぐる巻きにして、そのあとハエやアブを食べるらしい。足が毛深い。
ガチョウのおじさん、おばさん、七匹のヒナ。八個の卵を四週間温めて、七個がかえりました。一個はだめでした。
羊と子羊
コッカースパニエル犬
テンプルトン:ネズミ
スクールバス:アメリカ合衆国では幼稚園バスのようにスクールバスが来る。学校が離れているからと最初はその理由を考えましたが、どうも、通学の安全確保の意味合いのほうが強いようです。治安が悪いアメリカらしい。
商売用のブタの命を救うというお話です。ふつうは、そういうことはありません。食べられることが役割で生まれてくる動物たちのうちのひとつです。
(子ブタのウィルバー)「まだ生まれて二か月にもならないのに、ぼくはもう生きているのにうんざりしちゃった」
そんなウィルバーを、がちょうのおばさんが励まします。かこいを破って自由を手に入れるのだとけしかけます。(結局捕まって連れ戻されてしまいますが)
ディズニーのアニメ映画を観ているようです。おもしろい。
フスマ飼料:小麦の外皮部分。小麦粉をつくるときに発生する副産物
プルーン:果実。乾燥させたものが多い。
アプサイドダウンケーキ:さかさまに焼き上げるケーキ
ガガンボ:昆虫。アメンボのでかいような見た目。大きい蚊のようにも見える。
ノドジロシトド:スズメ科の鳥
主人公が動物ではなくて「クモ」というところが珍しい。
知恵があるクモです。
そういえば、こどものころ、クモは祖先の生まれ変わりだから殺してはいけないと自分なりに解釈していた時期がありました。
クモのシャーロットのセリフとして、
「もしわたしが虫をつかまえて食べないと、虫がどんどんふえて、この地球をこわし、すべてをほろぼしてしまうってこと、あなた知ってるかしら?」(であれば、子ブタのウィルバーは食べられなければならないという理屈が生まれてきて、この物語の趣旨からはずれるような気がします。食べられそうになるかわいそうなウィルバーの命を救うことがこの物語の趣旨です)
太らせてから食べられるという子ブタのウィルバーの命をクモのシャーロットが救おうという流れになってきます。(ただ、発育不全なので、ペット用にするという親子の意図が最初のほうにあったような気がします)
新しい発想があります。クモや動物たちがしゃべるだけではなくて、「文字」を理解するのです。
クモのシャーロットがクモの糸で文字を作成します。奇跡の物語です。
ホーマーおばさんのイ―ディスがいうとおり、ブタよりもクモのほうがすごいのですが、なんだか中途半端な世界で生きている人たちなのでブタがすごいとうけとります。
クモが文字を描く技術の理由として器用な足があります。足が、七つの部分に分かれています。コクサ(底節ていせつ)、トロカンター(転節てんせつ)、フィーマー(腿節たいせつ)、パテラ(基関節きかんせつ)、ティビア(頚節けいせつ)、メタターサス(基附節きふせつ)、ターサス(附節ふせつ)です。作者はクモの研究をしています。
さらに生き物たちの会議が続きます。
クモのシャーロット、子ブタのウィルバー、ガチョウのだんな、おくさん、七ひきのこどもたち、羊、子羊です。ネズミのテンプルトンもいました。
『TFRRIFIC』すばらしいと訳してあります。テリフィック。ものすごいとか、すごくいいとか、また恐ろしいという意味もあります。
ほら話的な部分もあります。クモがクモの巣でお魚をつかまえて食べます。ほら話は文学におけるひとつのジャンルだと思っています。
お医者さんのドリアン先生。動物たちと会話をする8歳の娘ファーンが病気ではないかと母親が相談します。
ヘンリー・ファッシー:ファーンの男友だち。ふなっしーみたい。
気に入った文節として、「コオロギたちは、夏がいつまでもつづくわけではないということを知らせるのが、自分たちの仕事だとこころえていました」
クモのシャーロットがクモの巣で書いた文字として『すばらしい』『たいしたブタ』『ぴかぴか』だんだん子ブタのシャーロットが見世物みたいになってきました。
最後が『つつましい』
クモのシャーロットは卵を産む時期を迎えました。シャーロットはメスだったのですね。昆虫ですから、卵を産んだら死を迎えるようです。
秋に開催される品評会です。
動物たちのにぎやかなようすは、人間界のようです。
サワ―マッシュ:この本ではウィスキーのことを書いてあるようです。
ラウドスピーカー:拡声器。スピーカー。単にスピーカーと書くと「話す人」と勘違いされるらしい。
ポンティアック車:自動車ブランド。ジェネラルモーターズの中位の車。2010年に製造は終了
マグナム・オーパス:ラテン語で最高傑作という意味
ラテン語:イタリア半島の古代ラテン人が使用していた言語。古代ヨーロッパ大陸で使われていた。
品評会は、農業まつりのようです。
命をつなぐ「営み(いとなみ)」の物語です。
クモのシャーロットの子どもたちです。「ジョイ(よろこび)」「アラネア(ラテン語でクモ)」「ネリー」
『恩師』とか『師弟関係』とか、昔の人間関係を思い出します。職人的な仕事が機械や電子機器に移り、世の中のありようがずいぶんと変化した昨今です。
そうかそういうことがあったのかと、過去の歴史書を読むようでした。1952年が初版の物語でした。昭和27年です。わたしはまだ生まれていません。
動物ファンタジーという位置づけの作品でした。
映画になっていることは知りませんでした。
ぼんやりカバーの絵を見ていました。「Charlotte‘s Web」と書いてあるのに気づきました。本の原題は「シャーロットのクモの巣」という意味です。
本の帯に、児童文学の最高傑作! と書いてあります。そんな本があるのだろうかという疑問から始まりました。世界的なロングセラーとあります。なのに、自分はこれまで知らなかった。ならば、読んでみよう。
カバーの裏に紹介があります。シャーロットというのはクモなのか。
シャーロット:クモ
ウィルバー:子ブタ(できそこない(小さい)だから、生まれたとたん始末(ころされる)されそうになるのを8歳のファーンがかわいそうだと父親に命乞い(いのちごい)をして助かる。
とりあえず15ページまで読みましたが、なにかしら日本でいう明治時代ぐらいの時代背景にあるアメリカ合衆国ペンシルベニア州でのお話のようです。(ペンシルベニア州:ニューヨークの西側にある州)
作者のE.B.ホワイトさんについてです。1899年(日本だと明治32年)-1985年(日本だと昭和60年)86歳没。この本は、1952年の出版です。(昭和27年)今から69年前です。
父がいて、母がいて、ファーン8歳がいて、兄のエイヴリー10歳がいます。
10歳の兄エイヴリーが手にエアライフルをもっています。(エアライル:空気銃。ここでは、子ども向けの玩具でしょう。されど銃社会のアメリカ合衆国らしい)
ちょっと整理します。
ファーン:8歳女児。お肉にされる予定だったブタのウィルバーをかばう。
ジョン・エラブル:ファーンの父。農場経営者。養豚業か。
なんとか・エラブル:ファーンの母。名前はまだわかりません。(いま115ページまで読んだところです)
エイヴリー・エラブル:ファーンの兄。10歳
ウィルバー:4月生まれの子ブタ。いま(115ページ付近)、生後二か月。
ホーマー・L・ザッカーマンおじさん:ザッカーマン農場の経営者。たぶんジョン・エラブルの兄弟
イ―ディス・ザッカーマン:ホーマー・L・ザッカーマンの奥さん
牧師
ラーヴィー:ザッカーマン牧場で雇われている男性
シャーロット:シャーロット・A・キャヴァティカ。大きな灰色のクモ。クモの巣をはって、ハエやアブをつかまえて、糸でアブをぐるぐる巻きにして、そのあとハエやアブを食べるらしい。足が毛深い。
ガチョウのおじさん、おばさん、七匹のヒナ。八個の卵を四週間温めて、七個がかえりました。一個はだめでした。
羊と子羊
コッカースパニエル犬
テンプルトン:ネズミ
スクールバス:アメリカ合衆国では幼稚園バスのようにスクールバスが来る。学校が離れているからと最初はその理由を考えましたが、どうも、通学の安全確保の意味合いのほうが強いようです。治安が悪いアメリカらしい。
商売用のブタの命を救うというお話です。ふつうは、そういうことはありません。食べられることが役割で生まれてくる動物たちのうちのひとつです。
(子ブタのウィルバー)「まだ生まれて二か月にもならないのに、ぼくはもう生きているのにうんざりしちゃった」
そんなウィルバーを、がちょうのおばさんが励まします。かこいを破って自由を手に入れるのだとけしかけます。(結局捕まって連れ戻されてしまいますが)
ディズニーのアニメ映画を観ているようです。おもしろい。
フスマ飼料:小麦の外皮部分。小麦粉をつくるときに発生する副産物
プルーン:果実。乾燥させたものが多い。
アプサイドダウンケーキ:さかさまに焼き上げるケーキ
ガガンボ:昆虫。アメンボのでかいような見た目。大きい蚊のようにも見える。
ノドジロシトド:スズメ科の鳥
主人公が動物ではなくて「クモ」というところが珍しい。
知恵があるクモです。
そういえば、こどものころ、クモは祖先の生まれ変わりだから殺してはいけないと自分なりに解釈していた時期がありました。
クモのシャーロットのセリフとして、
「もしわたしが虫をつかまえて食べないと、虫がどんどんふえて、この地球をこわし、すべてをほろぼしてしまうってこと、あなた知ってるかしら?」(であれば、子ブタのウィルバーは食べられなければならないという理屈が生まれてきて、この物語の趣旨からはずれるような気がします。食べられそうになるかわいそうなウィルバーの命を救うことがこの物語の趣旨です)
太らせてから食べられるという子ブタのウィルバーの命をクモのシャーロットが救おうという流れになってきます。(ただ、発育不全なので、ペット用にするという親子の意図が最初のほうにあったような気がします)
新しい発想があります。クモや動物たちがしゃべるだけではなくて、「文字」を理解するのです。
クモのシャーロットがクモの糸で文字を作成します。奇跡の物語です。
ホーマーおばさんのイ―ディスがいうとおり、ブタよりもクモのほうがすごいのですが、なんだか中途半端な世界で生きている人たちなのでブタがすごいとうけとります。
クモが文字を描く技術の理由として器用な足があります。足が、七つの部分に分かれています。コクサ(底節ていせつ)、トロカンター(転節てんせつ)、フィーマー(腿節たいせつ)、パテラ(基関節きかんせつ)、ティビア(頚節けいせつ)、メタターサス(基附節きふせつ)、ターサス(附節ふせつ)です。作者はクモの研究をしています。
さらに生き物たちの会議が続きます。
クモのシャーロット、子ブタのウィルバー、ガチョウのだんな、おくさん、七ひきのこどもたち、羊、子羊です。ネズミのテンプルトンもいました。
『TFRRIFIC』すばらしいと訳してあります。テリフィック。ものすごいとか、すごくいいとか、また恐ろしいという意味もあります。
ほら話的な部分もあります。クモがクモの巣でお魚をつかまえて食べます。ほら話は文学におけるひとつのジャンルだと思っています。
お医者さんのドリアン先生。動物たちと会話をする8歳の娘ファーンが病気ではないかと母親が相談します。
ヘンリー・ファッシー:ファーンの男友だち。ふなっしーみたい。
気に入った文節として、「コオロギたちは、夏がいつまでもつづくわけではないということを知らせるのが、自分たちの仕事だとこころえていました」
クモのシャーロットがクモの巣で書いた文字として『すばらしい』『たいしたブタ』『ぴかぴか』だんだん子ブタのシャーロットが見世物みたいになってきました。
最後が『つつましい』
クモのシャーロットは卵を産む時期を迎えました。シャーロットはメスだったのですね。昆虫ですから、卵を産んだら死を迎えるようです。
秋に開催される品評会です。
動物たちのにぎやかなようすは、人間界のようです。
サワ―マッシュ:この本ではウィスキーのことを書いてあるようです。
ラウドスピーカー:拡声器。スピーカー。単にスピーカーと書くと「話す人」と勘違いされるらしい。
ポンティアック車:自動車ブランド。ジェネラルモーターズの中位の車。2010年に製造は終了
マグナム・オーパス:ラテン語で最高傑作という意味
ラテン語:イタリア半島の古代ラテン人が使用していた言語。古代ヨーロッパ大陸で使われていた。
品評会は、農業まつりのようです。
命をつなぐ「営み(いとなみ)」の物語です。
クモのシャーロットの子どもたちです。「ジョイ(よろこび)」「アラネア(ラテン語でクモ)」「ネリー」
『恩師』とか『師弟関係』とか、昔の人間関係を思い出します。職人的な仕事が機械や電子機器に移り、世の中のありようがずいぶんと変化した昨今です。
そうかそういうことがあったのかと、過去の歴史書を読むようでした。1952年が初版の物語でした。昭和27年です。わたしはまだ生まれていません。
動物ファンタジーという位置づけの作品でした。
映画になっていることは知りませんでした。
ぼんやりカバーの絵を見ていました。「Charlotte‘s Web」と書いてあるのに気づきました。本の原題は「シャーロットのクモの巣」という意味です。