2020年12月18日

(再鑑賞)ロッキー アメリカ映画

(再鑑賞)ロッキー アメリカ映画DVD 1976年公開

 シンプルなボクシング映画です。
 順位のランクが低い選手にとっては、危険度が高いのに割に合わない報酬です。
 たき火を囲んでの集団の歌の演奏は質が高い。脚本がしっかりしています。実体験に基づくことがベースになっているのでしょう。
 主人公のロッキーは、ペットのカメや金魚に話しかけるひとり者の生活です。
 借金の恐喝式取り立てで生計を維持している主人公ロッキーです。彼が仕事をしている映像が流れます。ろくでもない人間です。
 内気で暗いもてない雰囲気の女性がエイドリアンで、ロッキーとエイドリアンは、ふたりとも30歳ぐらい。ロッキーの友人ポーリーの妹がエイドリアンです。
 貧しさでどうにもならない日常生活で、ロッキーはあがいています。

 アメリカ式のヒーロー誕生、一攫千金映画です。アメリカには、のしあがるチャンスがあります。

 「イタリアの種馬」扱いをされて、ばかにされるロッキーですが、彼自身はそのことを気にしていません。大衆に受けるキャッチコピーは普通に許されるのです。

 エイドリアンのセリフ「どうして闘うの?」ロッキーが、「それしかできないからさ」
 ロッキーは、よくしゃべる男です。ときおり彼が8歳のときの写真が映像に出ます。将来の夢がいっぱいあったけれどいまだかなっていない。
 ロッキーは、不器用だけれど一生懸命です。
 ボクシングトレーナーから、イッツアウェストライフ(おまえの人生はくずの人生だ)と言われてロッキーの心が傷つきます。

 ロッキーは、エイドリアンを愛しているし、エイドリアンもロッキーを愛しています。

 ボクシングヘビー級世界チャンピョンとの試合を前にロッキーはおびえています。
 
 76歳のおじいさんトレーナーとのやりとりが抜群にいい。気持ちと気持ちのやりとりです。ロッキーの「今さら何だよ!」気持ちの波の表現がすばらしい。心に優しい映画です。
 曲のタイトルは忘れましたが外国曲で『弱き者たちに自分は強いと言わしめよ』というようなフレーズがあったのを思い出しました。

 力が横行して、力で決着をつける世界です。朝のトレーニング中、ロッキーが朝日に照らされて、チャンピョンになったつもりのシーンがよかった。
 悲惨な生活の中で、人から優しくしてほしいと思う登場人物たちです。

 ロッキーは最後に、「勝利」ではなくて、「愛情」を選びました。

 「(15ラウンドの)最後のゴングが鳴ったときに、リングに立っていられたら、オレがゴロツキでないことを証明できる<オレは人間のクズじゃない!>」


(2014年5月のときの感想)
ロッキー 映画 DVD
 1976年公開の名作です。
 鑑賞後同じDVDに収録があるシルベスター・スタローンのインタビュー映像を観ました。ロッキー・バルボアを映画上のキャラクターとして自分から分離し、当時のことを語っています。自分は無名の俳優だった。ロッキーの脚本素案は自分がつくった。2.5㎡の狭い部屋で、3日間で90ページのストーリーをつくった。脚本ではなかった。自分が出演する気もなかった。貧困の中にいて、ストーリーのアイデアを売ることから始まったそうです。
 映画作りではお金が無くて、自分の家族や飼い犬まで登場させた。お金がなくて思いどおりに撮影できない部分は知恵でのりきった。結果的に、映画は大当たりをした。信じられなかったそうです。撮影もその場の思いつきの一発勝負で撮ったカットばかりだそうです。奇跡です。
 さて、映画の感想です。
 シンプルなストーリーがいい。恋人エイドリアン役、女優さんの演技がいい。ロッキーは彼女の前で、よくしゃべります。美辞麗句を並べることはできないけれど、彼女が大好きだという気持ちはおおいに伝わってきます。無骨で粗野な言動ですが、心はあたたかくてやさしい。トレーナー役の老人76歳に接する態度からわかります。
 いくつか記憶に残るセリフがありました。
エイドリアン:アインシュタインは落第したし、ベートーベンは耳が不自由だったけれど、だれにでもチャンスはある。
 雪がふる路上にて、ロッキーと乗用車に乗ったチンピラとのエイドリアンに関する言い争い:(ロッキーの恋人エイドリアンは)「根暗な女だ」に対してロッキーが、「内気なだけだ!」
 部屋にこもったエイドリアンにロッキーが:(ドアに向かって話し続けながら)ドアと話したことはない。
 バックに流れるピアノのつまびき音が心地良い。
 チャンピオンの対戦相手に選ばれた幸運なロッキーにだれもかれもがたかってきます。金ずるにしたい面と「夢」をかなえたい面があります。だれしも、自分の「夢」をかなえたい。
 ロッキーは8才当時の自分の写真を自宅の鏡にくっつけています。何でもできるかもしれないという可能性をもっていた年齢です。
 淡々と静かに進んでいく映画です。低予算でつくられていることもわかります。でも、最後の最後で、映画を観続けた人の胸は熱くなるのです。オリンピックで女子フィギャスケート選手が言った「メダルよりも大切なものがあった」という言葉に気持ちがたどりつくのです。  

2020年12月17日

(再鑑賞)チャンプ アメリカ映画

(再鑑賞)チャンプ アメリカ映画VHSビデオテープ 1979年公開

 棚の整理をしていたら出てきたので観てみました。もう41年前の映画です。
 おとなが上手につくった子どもがらみのあり得ないようなお話ですが、だまされるように観ても名作です。愛情があふれるいい映画でした。
 元チャンピョンボクサーの父親ビリーをチャンプと呼ぶ8歳の息子TJです。(ティージェイ)離婚父子家庭です。

 夜明け前の競馬場での練習風景は、映画を観終えたあとでも記憶にいつまでも残ります。
 ウェアリズマイガールフレンド?((馬のこと)オレのガールフレンドはどこだ?)
 子役さんの表情がいい。輝いています。
 ファイトアゲイン?(また(ボクシングを)やるの?)
 主人公のビリーは37歳です。
 けなげな少年です。(力の無い者が困難の中にあっても立派にがんばっている)
 片親貧乏父子家庭の荒れた生活があります。競馬場の厩舎(きゅうしゃ)で働く父親の日常はギャンブルとアルコールです。
 TJ(こども。ティージェイ)の腕に切り傷のかさぶたがあるのが、心にしみます。
 息子の貯金箱から貯金を盗んでギャンブルに使う父親です。ぼくのお金はおとうさんのお金と、父親をかばう息子です。なんていいやつなんでしょう。
 
 アメリカ白人はヒーローが好きです。
 
 野生のフラミンゴだと思いますが、ときおり情景に登場して、雰囲気づくりをしてくれます。

 TJの良かったセリフとして、「馬を叱っちゃだめだよ」TJは心が優しい。それから、「どうして(靴の)ひもがとけないのかなあ(たぶん涙でひもがしっかり見えていないから)」「(実母が)ママにやらせて(ひもをとかせて)」

 鑑賞者に対して小芝居をつくってありますが、それはそれでいい。秘密→明かす。
 お金持ち対貧乏人

 ストッピング!(やめてよ!) TJが小さいころに交通事故死したとされた母親も必死です。アイムヒアーアンドアイアムヨアマザー(わたしはここにいて、そして、あなたの母親なの)

 小気味よい流れです。

 こどものとっては厳しい状況設定です。父子の会話のヤマ場でBGMが流れなかったのが良かった。静かななかでの言い合いでした。集中できました。試練です。そして、試練を乗り越える。

 TJはなんていいやつなんだ。

 実母には、女性としての悲劇があります。
 母親の存在も尊重してほしいという理屈がありますが、理屈だけでは夫も息子もついてこない。
 離婚にあたって、父親と父親が引き取った息子、別の男性と再婚した元妻。場所はフロリダ州マイアミ。人は海から来て海に帰る暗示のようなシーンがあります。父親は全力を尽くして海に帰っていきました。
 ステイダウン((ボクシングの試合でパンチを受けて)倒れていろ)
 死闘でした。父親の威厳(堂々とした風格)を息子に見せたかった。
 死んだらだめです。
 演技とはいえすごい。熱意の塊(かたまり)です。
 <もらうんだ。(ボクシングの)かけ金をもらうんだ>お金より命が大事です。
 ウェアーリズマイボーイ?(うちの息子はどこだ?)
 夫婦の苦境を乗り越えられなかったこと。離婚したことを悔いる父親のセリフは悲痛でした。人間とはなにかまで考えさせられました。離婚で親子三人が犠牲者になりました。まずは生きていてこそ。ウェイクアップ!(起きて!)ゴーホームチャンプ!(家に帰ろう。おとうさん!)
 父親のビリーがこの世に遺したものは大きい。


(2014年8月のときの感想)
チャンプ 映画 VHSテープ
 ほこりをかぶっていたVHSテープを整理していたら出てきました。1979年の作品です。購入したのはもう20年ぐらい前でしょう。どこかの駅構内にあったお店で買ったような記憶がかすかに残っています。
 8歳の息子TJは、父親である元プロボクサーチャンピョン37歳ビリーと競馬場の厩舎村で暮らしている。母親は死んだと父親から聞かされていたTJは、ビリーと離婚後に再婚した母親アニーと偶然再会してしまった。
 よくできた脚本です。元通り、3人で暮らしたいというビリー、それはできないという再婚してしまった前妻のアニー、ビリーを慕い続けるTJ、3人の心の葛藤が見事に描かれています。血縁関係がある本当の親子3人なのに一緒に暮らせない。アニーの立場で言えば、TJの母親にはなれるけれど、ビリーの妻には戻れない。観ていて、「映画だなあ」という感慨にふけりました。
 監督が絵面(えづら、構図)にこだわっていることが伝わってきました。バックグランドミュージックはなつかしい。
 短い時間にいろいろなメッセージが伝わってきます。心のこまやかな動きを絶妙に表現してあります。馬の転倒事故は、父親の死の前兆であることに今回初めて気づきました。困難はつきもの。人が死を選択しないために「克服」という言葉が生まれた。子どもは、親にとって心の支え。愛があってもお金がなければ生活できない。されど、お金では満たせないものがある。子育てよりも仕事を優先して、ファッションデザイナ-になることを選んだ母親。自分の想いを妻に対する力(ちから、暴力)で遂げようとする夫の卑劣さ。元妻アニーがタバコを吸うのは、元夫ビリーの言動が原因でしょう。
 貧富の差が上手に描かれています。チャンプが死んだとき、厩舎村のだれもが彼が死んだ責任を感じています。  

2020年12月16日

(再鑑賞)太陽がいっぱい フランス・イタリア映画

(再鑑賞)太陽がいっぱい フランス・イタリア映画VHSビデオテープ 1960年公開

 棚の整理をしていたら奥から出てきたビデオテープです。もう60年前の映画になってしまいましたが、きれいな画像で観ることができました。

 犯罪映画です。最後にどんでん返しがあります。
 なんだかつまらない出だしです。チンピラみたいなふたりがふざけています。アランドロンがとても若い。24歳ぐらいです。現在は85歳です。
 ふたりの青年のうちのひとりが目が見えない障害者のふりをして女性をだまします。うそつきです。大金持ちの資産家の息子と彼の子分のような貧民のアランドロンです。
 資産家の息子はドロンをさげすみ馬鹿にしますが、ドロンは彼のおこぼれで生活しています。そこが犯行の動機になっていきます。彼を殺して彼になりすまして、彼の財産と彼の彼女を手に入れる。
 
 昔のフランスやイタリアの景色を映像で楽しむことができます。タイムトラベル、時間旅行です。

 貧しいことで差別を受けた人間が、いばるお金持ちに仕返しをする。永遠に続く素材と主題なのでしょう。
 嘘はばれます。だから、手法として、犯人に嘘をつかせて嘘をあばく。杉下右京の「相棒」方式の構成手法です。もっともこちらの作品のほうが先に出来上がっていますが。
 殺人+詐欺+死体遺棄、無期懲役か死刑か。
 もうひとりの犠牲者の災難は目の前に迫っています。前方になにが待ち受けているか注意しなければ。
 演劇のようでもあります。少人数で物語を進行させていきます。
 
 主人公の最後のセリフです。
「太陽がいっぱいだ。いままでで一番いい気持ちだ。最高だ」
 彼はこのあと、いっきに転落します。
 名作でした。哀愁を帯びたテーマ曲も心地よい。
 地中海の風景は福井県若狭湾の風景に似ていました。

(2014年2月のときの感想)
太陽がいっぱい 映画 VHSテープ
 通信販売で購入しました。DVDだと思っていたらVHSテープでした。数年ぶりにVHSのデッキで映画を観ました。デッキが動いてよかった。
 53年前のフランス映画です。中学生の頃、テレビの洋画劇場で観ました。内容は覚えていません。衝撃的なラストシーンだけの記憶が残っています。
 貧困家庭に育った青年が、富豪の息子を殺害してその息子になりすまし、大金と富豪の息子の婚約者女性を手に入れます。富豪の息子は、貧困家庭の青年をさげすみます。その部分で、犯人に同情の念が湧く映画です。アメリカ人青年トムは、終盤近くに「太陽がいっぱいある。最高の気持ち」と言います。その直後彼は、最高から最低に突き落とされます。
 映画の冒頭付近二枚目俳優アランドロンが若い。しかし、どういうわけか、終盤にさしかかるにつれて3歳ぐらい年をとったような顔になる。周囲の役者も同様です。最後近くに、宗教的行列をさえぎるように主人公が歩きます。フェデリコ・フェリーニ監督「道」でも同様のシーンがありました。本作品の場合、神が主人公に罰を与えるという意味にとりました。
 ニーノ・ロータの音楽は悲哀に満ちています。悲しく切ない。お金のためなら人をも殺す。
 53年前の映画を観ながら53年後に思いをめぐらしました。   

2020年12月15日

(再読)津軽 太宰治

(再読)津軽 太宰治 青空文庫

 1944年(昭和19年)11月の刊行です。まだ、戦時中です。翌年8月が終戦です。
 太宰治作品のなかでは、自分はこの作品が一番の好みです。淡々と静かです。太宰治というよりも本名の津島修治として書かれているような気がするのです。ふと気づいたのですが、筆名にある「治」は、本名の「修治」の治からとってあるのかもしれません。

 以前自分が観光で訪れたことがある地名の列挙から始まります。金木、五所河原、青森、浅虫は行きましたが、弘前、大鰐は通過したことはありますが訪れたことはありません。

 作者が、海港の青森市、城下町の弘前市で過ごした学生時代のことが正直に書いてあります。まだ十代なかばです。
 仲が良かった二歳年下の弟さんが若くして亡くなった部分にはほろりときました。
 作者は津軽を愛していました。

 青森県の県庁所在地は海港の青森市ではなく、城下町の弘前市(ひろさきし)のほうがふさわしいのではないかという記述があります。そのほかの記述も現代に生活する自分が読むと興味深い。本人は、「昭和の津軽風土記」と記してあります。歴史や地理が詳しい。
 東京で彫刻を学んでいた兄は27歳で亡くなっています。兄弟姉妹の数が多く、かつ短命でありやすい。日本人の平均寿命自体、戦時中であり、それほど長くなかったのでしょう。
 
 中学時代の思い出があります。中学といっても旧制中学なので、12歳から16歳です。青森市の中学を卒業後は、弘前市の高等学校へ通っています。

 ふるさと津軽に深い愛情を感じる文章です。文章量は多く、日記のようでもあります。

 人が集まるところにお金があることがわかります。

 印象に残った文節として、
 むらさきの洋装は、よほどの美人でなければ似合わない。
 17時30分上野発の急行列車に乗った…… 青森には、朝の8時に着いた。
 地方の人たちは、東京から来た客人はすべて食べものをあさりに来たと軽蔑して……
 (極寒でやせた土地津軽なれど)「砂漠の中で生きている人もあるんだからね…… こんな風土からはまた独特な人情も生まれるんだ」
 「津軽地方は昔から他国の者に攻め破られたことがないんだ。殴られるけれども、負けやしないんだ」

 ねぶた祭りのこと、リンゴ酒、源義経伝説、親族との交流話などが続きます。

 調べた言葉として、
 Femme:女性。フランス語

 特別にここに書くことはないのですが、読んでいて心が落ち着く文章です。その後の自死のことを思うと、今回の津軽紀行は、人生の清算の旅となったと感ずるのです。

(2012年9月19日のときの感想記事)
津軽 太宰治 新潮文庫
 作者36歳、ときは敗戦前年昭和19年、作者が入水心中で命を絶ったのは、昭和23年です。大きな戦争のさなかに生まれ故郷津軽を3週間旅した記録です。青森県が舞台なので、先日読んだ「飢餓海峡」水上勉著が最初に思い浮かびました。ただこちらの舞台は下北半島です。次に同じ昭和19年に放浪していた山下清画伯、戦後憲法の英文翻訳に立ち会った白洲次郎氏、同時期のできごとやらが頭の中で重なりました。それから吉幾三さんの歌もひらめきました。
 戦争中とは思えないような内容の旅行記です。戦争があったのは、都市部だけで、日本の田舎ではいつもながらの生活が続いていたという印象を受けました。
 文章が落ち着いていて読みやすい。心が穏やかになります。旅に出たくもなります。わたしも3週間仕事を休んで旅をしたいけれどそれはできない望みです。
 日本の自然もまんざらではないと見直しました。小説創作の基本は日記を書くことだと再確認もしました。54ページ、朝の魚売り。就学前に住んでいた島での生活がよみがえりました。
 津軽の歴史に関する記述はとてもおもしろい。力士の名前が頭に浮かんでくる。地理解説というよりも歴史書です。作者は悩みがない人という印象をもちました。何度も自殺を試みた人とは考えられません。育ての親「たけ」については、人生はタイミングで決まっていくと感じました。理屈はあとからくっついてくるものです。たけに対する作者の想いはとても深い。東京タワーの作者リリー・フランキー氏もこの本を読んだのでしょう。
 結びの言葉はさみしい。   

Posted by 熊太郎 at 07:23Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年12月14日

二分間の冒険 岡田淳

二分間の冒険 岡田淳 偕成社文庫

 わたしは勘違いをしておりました。
 タイトルから推定して、二分間で読める怖くて短い怪談話が列挙してある本だと思い込んでいました。
 違っていました。ちょっとびっくり。

 6年3組の出来事です。
 主人公が、悟(さとる)です。いっしょに冒険に出るのが、かおりですが、現実社会のかおりとは違うかおりです。
 ふたりは、竜のいけにえに選ばれるのですが、それぞれ剣をもって竜と闘うつもりです。「竜」は、足のない、あるいは足の小さいドラゴンのような姿形を想像していましたが、どうも、両足で立つティラノサウルスのような姿をしているようです。トカゲのようなしっぽがあります。翼はありません。(その後、くわしい姿が明らかになります)
 92ページまで読みました。そうそう、黒猫の「ダレカ」がからんでいます。

 空想世界は、へんなところです。こどもと老人しかいません。中間のおとながいないのです。こどもは竜の力によって老人にされてしまうようです。『時間』が鍵を握る言葉です。それから『とげぬき』もキーワードだし、あとに続く伏線です。

 悟はもとの世界にある家や学校に帰りたい。
 
 かおりは不思議な存在です。人間じゃないみたい。人間の姿をしている人間以外の生き物みたい。

 『若さを奪う魔法』があります。

(つづく)

 竜との闘いは、まずは暴力的な闘いではなく、なぞなぞ対決です。
 こどもたちが竜になぞなぞを出します。次に竜がこどもたちになぞなぞを出します。解けません。解けなかったばつに、竜はこどもたちから「若さ」を奪います。「若さ」は竜のうろこに変化します。こどもたちは死にませんが、気力の消えた老人に変り果てます。竜は魔法を使います。

 竜の館はお城形式ではなく、小学校の校舎のようだそうです。
 
 これは、「悟の夢物語」なのだろうか。

 「竜」とは何でしょう。一部の資産家に思えます。こどもたちは労働者で、資産家の財産形成のために安い給料で働かされている。ヨーロッパの歴史で言えば、「竜」は、王族に思える。

 悟とかおりは、小学生コンビの四番目に竜と闘います。毎日ひと組が竜と闘って敗れていきます。

 キーワードとして、「にせの希望」

 黒猫ダレカが化けている「いちばんたしかなもの」の候補として、「竜を退治できる剣」「竜本体」、悟が抱きついて、「捕まえた」と言えば、悟は元の世界へ戻ることができる。もしかしたら、ダレカは「かおり」ではないかと思いました。愛情です。(違っていました)

 竜の目は怒ると黄色から赤色に変化します。信号機の色みたい。

 「見えているのにけしてとどかず、うまれてから死ぬまえの日までにあるもの」とは何か。命、寿命、時間、愛情、どれもあてはまらない。

 「やみのなかでもそれとわかるが、光のなかでもそれは見えない。音はたてぬし、さわれもしない。どこからくるかはわかっても、どこへいくかはわからぬもの。」(答えがわかったときには、頭のなかがすっきりしました。気分が良くなりました)

 ちょっとわかりにくい部分もあるのですが、なるほど。そういう理屈建てかと納得はしました。
 
 黒猫のダレカはどこにいるのか。

 同作者の「びりっかすの神さま」とテーマ、メッセージは同じです。それは「協力」です。
 されど、いちばんたしかなものとは、「チームワーク」ではなく、べつのものでした。

 お話は、ラブストーリーに変化しましたが、まだ終わりではありません。

 自分を大事にする。自分を責めない。自分を守る。自信をもつ。  

Posted by 熊太郎 at 07:26Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年12月13日

あるはれたひに 木村裕一

あるはれたひに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社

 先日読んだ同作者の作品「あらしのよるに」の続きです。オオカミとヤギが仲良しになります。
 食うか食われるかの関係なのですが、ほかの方の感想にありましたが、友情を超えて、ふたりが、恋人同士のようにも思えるのです。お互いに他人で、違いがあるのですが、お互いにお互いを尊敬できる部分があって、離れたくない愛情が生まれているのです。できることならば、いつもいっしょにいたいのです。

 ひらがなとカタカナと漢数字(一とか二とか)だけで表現してある優れた文章です。
 ユーモア―たっぷり。
 ありえないことをありうることにすると物語が始まります。
 ちょっと怖い雰囲気とシーンが連続して出てきます。オオカミがヤギを食べてしまいそうです。
 オオカミのセリフの語尾には「……でやんす」が付きます。
 オオカミは本能として、ヤギを食べたい。だけどいっしょうけんめいがまんします。
 オオカミのがまんは、かなり無理があります。がんばれ!
 <ちょっとだけかじってみようかな>がおもしろい。
 またまた、雷が鳴り渡ります。オオカミはパニックです。どうなる?
 ドラマチックです。
 お話がうまくできています。
 第三巻「くものきれまに」も読んでみます。  

Posted by 熊太郎 at 07:31Comments(0)TrackBack(0)読書感想文