2021年01月30日

放課後の時間割 岡田淳

放課後の時間割 岡田淳 偕成社文庫

 小学生向けの作品で、1990年の発行ですから、かれこれ30年ぐらい前に発表された物語です。
 授業が全部終わったあと、さらに授業があるのです。31ページまで読んだところで、感想を書き始めてみます。なかなかおもしろい。これから読むのが楽しみです。
 放課後授業の先生は博士のような雰囲気をもつネズミです。授業を聴くのは、図画工作の先生です。

 「学校ネズミ」というネズミがいるそうですから、ネズミの数は複数です。ネズミが児童のように教育を受けるのです。人間のこどもと同じように、生まれてすぐから一年生が始まって卒業まであります。(ネズミってそんなに長生きできたっけ。現実のネズミの寿命は2~3年ぐらいかな)ネズミは、学校の教室の天井裏で、こどもたちが聴く授業をいっしょに聴いているそうです。

 されど、事情があって、学校ネズミは、今回のネズミが最後の一匹になってしまったそうな。
 学校ネズミは、お話をつくったり、話したりすることが大好きだそうです。語り手(かたりて)です。

 壮大なほら話です。ほら話:おおげさなでたらめ話。うそだけど、聴いた人はうれしくなります。
 最初は「しゃっくり」のお話でした。日本中の人たちがしゃっくりをしはじめてとまらないのです。さあ、たいへん。しゃっくりが伝染するのです。まるで、いまはやりの新型ウィルスみたい。30年前にこういうこと(コロナ感染拡大)が起こると、学校ネズミは、予言していたのだろうか。

 小学一年生くらいの女の子が警備員さんのところにきて「手の中のもの、なあんだ?」と合わせた手のひらをさしだします。警備員さんの言ったものが、手の中から出てきます。不思議なお話です。
 ラストはちょっと無理があると思いました。

 二年生ネズミのお話です。この本は、まだ世の中に週休二日制の制度が浸透していなかったころにできた物語です。そういえば、完全週休二日制になる前に、職場では、四週五休制とか、四週六休制とか、移行期間がありました。四週間のうちに、土曜日を交代制で休んだのです。
 学校ネズミがお話ししに来てくれるのは、毎週月曜日と決まっています。
 トビウオのお話です。環境問題が含まれています。
 ほら話である夢の中のお話に、現実生活の物悲しさがあります。「その夜、あつげしょうをしたお母さんが、酒のにおいをさせて帰ってきたとき……」
 
 プラタナス(スズカケノキ)がしゃべるのです。しゃべるだけではなく歩くのです。発想が豊かでおもしろい。
 
 マッチ箱に輪ゴムをはってつくったギターをネズミくんが弾きます。おもしろい。
 音楽室ネズミです。楽しい。
 ナメクジが出てきます。いまどきのこどもは、ナメクジを見たことがあるだろうか。
 されど、おもしろい。
 
 色を食べるネコが登場しました。
 なるほど。
 
 ウサギも出てきました。

 空想の夢がいっぱい広がっている物語です。

 木の机とスチールの机の話になって、木の机のほうがあれこれといいということに話はおさまります。
 木の机の木目が「島」に見えてきて空想がふくらみます。
 調べたこととして、ヨットでA級ディンギー:キャビンをもたない小型の船舶。キャビンをもつものはクルーザー
 まゆつば:うたがわしいから気をつける。(眉(まゆ)につばをつけると狐にだまされないという言い伝え)

 登場してきた女の子の魔法使いの魔法がおもしろくて楽しい。カエルがオタマジャクシに戻ります。先生たちはなんとアヒルになったり、アナグマになったりします。人間として生まれる前は(いわゆる前世は)、先生たちは、いろんな動物だったらしい。

 壮大なほら話が読む人の気持ちを楽にさせてくれます。

 最後は、図画工作担当先生の転勤で終わりました。  

Posted by 熊太郎 at 07:23Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年01月29日

けいおん アニメ邦画 テレビ放映

けいおん アニメ邦画 2011年公開 テレビ放映録画

 有名な映画のようですが観たことがありませんでした。今回初めて観ました。
 四コマ漫画の映画化だそうで、お話のつくりかたが、ストーリーものという面は薄く、軽音楽部での日常生活と英国ロンドンへの卒業旅行のようすを絵日記のようにしてつくってある映画という印象を受けました。ロンドンへの旅は、初期の頃の東野&岡村の「旅猿」インド旅行のようでした。
 光る画面は、ふわーっとしていて、輝く映像です。こういう世界があって、こういう世界が受け入れられる雰囲気が、現代社会にあると分析しました。
 自殺者の数が多い今の社会にあって、とにかく、さしあたって、若い人たちには生きていてほしい。

 女子しか出てこないので、たぶん設定は私立の女子高校で、出ているどの女子高生も同じ個性に見えてしまうのですが、登場人物は次のとおりでした。軽音楽部でのバンド名は「放課後ティータイム」です。
 平沢唯(ゆい):主人公
 田井中律(りつ)
 秋山澪(みお)
 琴吹紬(ことぶきつむぎ):みんなからは、「むぎ」と呼ばれていました。
 中野梓(あずさ):ほかの4人は高校三年生で大学はすでに合格しているという設定で、あずさは1学年下の高校二年生。高校の卒業記念旅行ということで、梓も含めた5人で英国ロンドンに3泊5日の海外旅行へ行きます。
 あと、スッポンだと思いますが、「トンちゃん」というカメが出ていました。

 全体を観終わって、幸せは身近な場所にあって、なかなか気づけないという感想をもちました。
 軽音楽部としての共通体験を「思い出」として高校を卒業して大学へ進学していく。人生の軌跡があります。
 歳をとり続けているとわかるのですが、ずっと今のままでいるということは案外むずかしい。それが若い時にはわかりません。若いころは、ずっと若いままの体でいられると信じきっています。
 歳(とし)をとってしまった今は、未来のことを考えるよりも、まずは今のことを考えた方がいいというふうに考えが変わりました。やりたいことがあったら未来ではなくて、今やれたら今やっておいたほうがいいのです。
 年齢を重ねて、五十代になったあたりでわかるのでが、小中学校、高校の昔の卒業写真を見ると、すでに亡くなっている同級生がけっこういることに気づきます。病死や事故死や災害死があります。
 生存していても癌などの手術を受けて体の一部を切除していたり、障害者になって、車いすなどの補装具を利用したり、人工肛門などの日常生活用具を体に付けていたりもします。自分自身もこれまでに体を壊して何度か入院したことがあります。
 暴飲暴食を謹んで、健康に気をつけていても病気になることもあります。体験をとおして、人生というのは、とりあえず生きていればいいのだと悟ります。
 この映画のように女子高生たちが日常を過ごせるのは、とても幸せな時期なのです。  

2021年01月28日

出川哲朗の充電バイクの旅 広島県竹原市から厳島神

出川哲朗の充電バイクの旅 広島県竹原市から厳島神社(いつくしまじんじゃ) テレビ番組

 竹原市は行ったことがあります。映像を観て、ああ、歩いたことがある古い町並みの通りだと思い出しました。映画「時をかける少女」のロケ地であることは知りませんでした。

 ゲストは、香取慎吾さんです。とにかくよく食べる方だったのでびっくりしました。それだけ仕事をしているのでしょうが、カロリーのとりすぎなので病気になります。体に気をつけてくださいな。

 最初のうちは予定調和みたいでおもしろくありませんでした。とくに出川哲朗さんと香取慎吾さんの出会いのシーンのテイク3とか、なんども撮り直す部分はいらなかった。やっぱり、つくりものではないガチでやってほしい。
 されど、その後のはちゃめちゃぶりにはびっくりしました。瀬戸内海に浮かぶ島に渡ってから、出川哲朗さんの「安全策はとらない」という方針で、無理を承知で前進したため、泊まれる宿がなかなか見つかりません。バッテリーの充電も切れて、前に進んだり、後に戻ったりです。
 映像を観ていて、海の向こうに見えるダイヤモンドの夜景は、最初から本州にある街のものだと思いました。でも皆さんは、今いる島のどこかの灯りだと信じていたようです。
 香取慎吾さんの発言にあったように、不安と恐れで、最悪にみんなの目がギラギラしていました。
 段取りが悪くなるにつれて、番組は反比例しておもしろくなり盛り上がりました。
 そんなどたばたして緊迫した雰囲気の中でも、暗い夜、静かな瀬戸内海の海面にできた月光の白い道の映像が美しかった。
 夜道を走っていて、イノシシが出るかもという話は信用できました。クマが出るかもという話は、瀬戸内海に浮かぶ島内であり、クマは出ないでしょうと首をふりました。

 まあ、めちゃくちゃな行程でした。されど、田舎の人情深い日本人の気持ちが表れていて良かった。
 渡し船のおじいさんの「(オレは)梅宮辰夫じゃないわ」が笑えました。
 季節によってクジラ(スナメリ)を見ることができるそうです。自然がいっぱいでいいなー
 レトロな街並み展示が全国のあっちにもこっちにもあるのですね。みんな昔に戻りたいのかなあ。通りが、明治・大正・昭和の博物館です。これから、年配者にとっては「回顧」、昔を知らない世代にとっては「新鮮」ということでブームになるのかも。
 なつかしの通りの紹介では、昔、スターの誕生番組でデビューされた男性アイドル歌手の方のご実家も映っていました。観ていてタイムトラベルのような気分です。
 景色は四国ですので、ブルーやグリーンの瀬戸内海の海面の色が鮮やかです。
 出川哲朗さんを知らない一般人の年配女性がいて少し驚きました。あまりテレビを見ないのでしょう。

 広島県にある厳島(いつくしま)のあたりというのは、天に浮かぶ雲の合間から、太陽光線が落ちてくるような光景がよく現れる場所という印象をもっています。だから大昔の人たちは、その場所を選んで厳島神社をつくったのでしょう。きっと平安時代に、平清盛も神々しい光景を見たことでしょう。
 現在は改修工事中ということで、シンボルの赤い鳥居が足場で囲まれていましたが、工事は70年ぶりだそうで、それはそれでむしろ貴重な風景です。何度か訪れたことがあるので、赤い鳥居の様子は今も覚えています。かなり大きなものでした。
 映像を観ることで旅を楽しめました。スタッフ一同並びに出演者のみなさんがたお疲れさまでした。  

2021年01月27日

ねこと友だち いとうひろし

ねこと友だち いとうひろし 徳間書店

 小学校低学年向けの児童文学作品です。
 宗教的でもありました。「輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう。命は生まれかわる)」
 
 食物連鎖の法則にさからって、食べる生き物と食べられる生き物とがなんとか仲良くやっていくのは、昔だと、手塚治虫(てづかおさむ)さんのジャングル大帝レオ(じゃんぐるたいていれお)がありました。こどものころに見たテレビ漫画では、肉食獣が獲物の肉を食べずにがまんして、草や穀物を食べようとしていたシーンがあったような記憶が残っています。
 最近読んだ本では、子どもさん向けの絵本「あらしのなかで」シリーズで、オオカミとヤギが友情を超えて、恋愛関係にまであるのではないかと思わせてくれました。
 今回のこの本では、飼いねこと水槽の中のたぶんブルーの熱帯魚夫婦の信頼関係を表現しながら、されど、ねこは魚を食べるし、食べられた魚には感謝するのですという教えが示されています。
 「ジャングル大帝レオ」も「あらしのなかで」も異なる動物の種類がいっしょにいて共存をめざしますが、このねこと友だちでは、ねこのほうが心情的に好きになってしまったおさかなを食べないために家出をします。ねこはおさかなとの信頼関係を壊さないために、おさかな夫婦との別離を選択します。

 ねこの瞳はさかなから見て「青緑色」で、水槽の中は光線で「青緑色」なのをきっかけにして、ねことさかなの心は近づきます。さかなは猫の瞳を見て、ねこの瞳をさかなだと勘違いしたようです。
 ねこは外歩きが好きです。いっぽう、魚は水槽の中だけの世界で満足です。以前類似のパターンで、同じ池にいた魚とカエル(おたまじゃくしから成長してカエルになって池を出て、外の世界を知る)の仲良し童話を読んだことがありますが、あいにく今はその絵本童話のタイトルを思い出せません。
 
 この児童文学小説は、左のページにさし絵、右のページに文章があります。絵本のようです。紙芝居のようでもあります。

 ねこは、最初は、さかなを自分の食べ物だとは思っていませんでした。
 さかなの夫婦のうちのだんなさんがジャンプして水槽から飛び出して床に落ちた時に、ねことしての本能が芽生えてしまったのです。においが食欲をそそります。でも、ねこは、さかなとこれまでどおり、水槽越しに会話を楽しむ友だちでいたい。さかなを食べたくないという気持ちが生まれます。

 ねこは、さかなのいないさばくをめざして家出をします。鳥取砂丘とか、静岡県の中田島砂丘をイメージしながら本読みを続けました。それなのに、砂丘の向こうには海があって、海があればおさかながいるのです。漁師とか魚市場がある港にたどりついてしまうのです。あっちにもこっちにも、ねこにとって好物であるおさかなのにおいがします。

 食べ物になる生き物は食べられたあと、食べた生き物の体の一部になって、その生き物を生かしてそこで生きる。なかなか哲学的です。臓器移植のイメージもあります。
 命をつなぐために繁殖して子孫を残すところまでいきます。短いお話ですが、物語に詰まっているメッセージはたくさんあります。(だから、食べ物に感謝するのです)  

Posted by 熊太郎 at 07:02Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年01月26日

しをんのしおり 三浦しをん

しをんのしおり 三浦しをん 新潮文庫

 爆笑できるという書評を読んでこの本を購入しました。(世代の差なのか爆笑まではできませんでした。笑いの波長が違うようです)
 著者のあとがきは2002年4月付けになっていますので、2021年の今読むと、読書は過去へのタイムトラベルになります。
 エッセイ集です。短い文章がたくさんおさめられています。

 文章書きがうまい。「さらに若くない読者諸氏の縁側のお供としても……」あたりのくだり、なかなか書けません。リズム感もあり読みやすい。リズム感の源は漫画好きだからのような気がします。
 
 文字書きが好きな自分も寝床の横にメモと筆記用具がおいてあり、著者と同じ習慣があることで安心しました。夢でみたことなんかを記録するのです。目が覚めると忘れてしまうからです。
 文章の内容はどこまでが、著者の素(す)なのかわかりかねるのですが、とりあえず、大学生になった弟さんと弟さんのスーツを買いに洋品店へ出かけられた記事から始まります。著者はまだ二十代でしょう。
 
 二十年ぐらい前の文章なので、読書は、過去へのタイムトラベルになります。
 読みながら考えたことです。人間の命ってわりと簡単に消えていきます。二十年前にいた人が今はもうこの世にいない。
 文章のなかでは生きている人が、二十年後の今である現実社会ではもういない。

 漫画大好きの著者のようです。「ヒカルの碁」「テニスの王子様」「NARUTO」「ベルサイユのばら」「ONE PIECE」「スラムダンク」漫画の読書感想文のようでもあります。
 
 ご本人によると、ノートパソコンの電源が突然落ちる故障があるそうです。(そんなことがあるのだろうか)
 
 レズのお話。されど、ムラムラするのは男性に対してのみ。ちょっと不可解

 音楽バンドの追っかけ。PHS(昔、そういう電話機がありました)

 平安時代の和歌の解釈はわかりません。著者は不思議ちゃん(マイペースゆえに)の要素があります。

 日常生活で起きたことを日記風に小説化してあるような雰囲気の作品です。時間が経過して、思い出して読み直したときに、書き手は何を感じるのでしょうか。「思い出」です。

 なつかしき言葉として「国電」国鉄電車のこと。

 自転車泥棒を捕まえた騒ぎのそばで、筆者に平然と道を訪ねてきた人が出てきます。以前、同じような感じですが、救急隊が来てストレッチャー(担架)を出して救急搬送の騒ぎが起こっているそばで、そこで行われていた無料なんとか相談コーナーで、平然とした顔で相談をしている女性を見たことがあります。なんというか、自分の世界だけで生きている人がいます。これまた不可解です。人間の脳ってどうなっているのだろう。

 お台場の話。カップルの密着度がすごいそうです。
 そのケがあるのかないのかわかりませんが、同性愛の話がちょこちょこ出てきます。男同士、女同士の愛です。お台場で子連れの男性カップルを目撃したというお話では、アメリカの絵本作品「タンタンタンゴはパパふたり」を思い出しました。(おとなの男ペンギン二羽が、温められなくなったよそのペンギン夫婦の卵をもらいうけて、あたためて、こどもが生まれて、自分たちのこどもとして育てていきます。男どうしの同性愛カップルによる血のつながらないこどもの養育話です。ニューヨークの動物園であった実話の絵本化)

 牛乳と寿司を同時に食べるとか、中学生の不良グループが、小学生の不良を仲間の予備軍としてスカウトする。それらを「普通」だと思って育っていたご本人とご友人だそうです。「普通」には錯覚があります。

 宝塚歌劇の熱烈なファンだそうです。
 このエッセイを書いたあたりの時代は、ご本人は、まだ、古本屋でアルバイトをされていたようです。二十代で若い。太っている話がたびたび出てきます。受賞作品や映画化作品が生まれるのはこのエピソードのあとなのでしょう。
 昔のことがいっぱい出てきます。小泉内閣、森内閣、田中真紀子外務大臣、河野洋平外務大臣、ロス疑惑の被告、中森明菜さん、高倉健さん、広末涼子さん、記述内容になにかしら誤解があるような気もするどこまでが妄想で、どこからが脚色なのか(意図的な話)わかないほどのめりこむときがあります。

 ちょっとまとまらない感想で終わりました。

 調べた言葉などとして、
 グリーンデイ:アメリカのパンクロックバンド
 知恵熱:生後半年から一年の乳児にみられる発熱。免疫力が低下することによるもの。誤用として、頭の使いすぎによる発熱
 ポーティスヘッド:イギリスの音楽グループ
 インドのゴア:西海岸にある州
 琴線(きんせん)に触れる(ふれる):心の奥の秘められた感情に響く。感動、共鳴、感銘
 宮沢賢治作品「グスコーブドリの伝記」:グスコーブドリというきこりの息子の伝記。飢饉や冷害から民を救うために、人工降雨、火山の人工的爆発による温暖化対策などに取り組む。
 こじゃれた:おしゃれで魅力がある。
 樹なつみ(いつきなつみ):漫画家
 収斂(しゅうれん):異なるものどうしが同質化していく。
 フェミニズム:女性解放思想
 倒錯的(とうさくてき):さかさになる。
 久生十蘭(ひさおじゅうらん):小説家
 佐藤史生(さとうしお):女性漫画家
 中井英夫:短歌編集者、小説家、詩人
 石原理(いしはらさとる):漫画家
 今市子(いまいちこ):漫画家
 バクチク:ロックバンド
 及川光博:テレビドラマ相棒のDVDで観ましたが、本書中ではミュージシャンで出てきます。
 噴飯もの(ふんぱんもの):食べかけのご飯つぶを、笑えておかしくて、思わず吹き出してしまうようなこと。  

Posted by 熊太郎 at 07:02Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年01月25日

太川陽介の路線バス対決旅 路線バスで鬼ごっこ群馬県

太川陽介のローカル路線バス対決旅 路線バスで鬼ごっこ群馬県 テレビ番組

 すごろくみたい。高崎市、前橋市、渋川市などを行ったり来たりします。
 傑作ができあがりました。すばらしい。
 完璧です。痛快でした。みんなでがんばっている姿が良かった。
 交互に勝ったり負けたり、いちかばちかの1分1秒を争う熱戦でした。どちらが勝ってもおかしくありませんでした。互角です。出演者の表情が生きていました。
 どんでん返しの連続と劇的な大逆転の末に、さらにむずかしいだるま落としがあって、はらはらどきどきしました。見ていて感情が右往左往して楽しめました。
 松本利夫さんも負けをきっちり認めて気持ちが良かった。松本利夫チームは、緊張感に満ちた太川陽介チームの表情と違って、途中の勝負で負けた時の写真写りに余裕があったところが良かった。

 太川陽介チーム:筧美和子 徳井健太(平成ノブシコブシ)<ラスト付近で、筧美和子さんの「タクシーを使いましょう」というひと声の積極的な押しが良かった。太川陽介チームはいちど生まれた険悪な雰囲気を克服して、相手に遅れること10kmという距離を追いつきます。考えてみれば、車は時速60kmで走れば、10kmは、10分でいける距離です。筧美和子さんのひと声として、高崎市役所玄関ホールでの「激写!!」が光っていました>太川陽介さんには不運な流れを良い方向に変える生まれ持った強運があります。ミラクル(奇跡)が起こりました。
 松本利夫チーム(EXILE):宮澤佐江 スギちゃん <番組中では、このチームは走ることが多いので体力オバケと呼ばれていておもしろかった。スギちゃんの声「よーし、みなさん走りますよ!(撮影スタッフも走る)>スギちゃんの体力もなかなかのものでした。

 「鬼」と「逃げ子」のおいかけっこです。
 鬼の時だけ一度だけタクシーを使えるルールです。まあ通常は最後のルートになるのでしょう。

 冒頭付近で、徳井健太さんが、蛭子能収(えびすよしかず)さん二世のギャンブラーと自己紹介するので、顔を見たら、ケーブルテレビで放映されている芸能人が出る、なんとかでポンというマージャン番組に出てマージャンを打っている人だったので、そういうことかとわかりました。ロケ収録の終盤、とくに高崎市役所展望ホールで、彼が太川陽介さんに気を使っていた姿に好感をもちました。

 太川陽介さんは無邪気な小学生男児に見えるときもあるし、謀略、策略を巡らす戦国武将に見えるときもあります。
 太川さんのインチキもおもしろい。(公園でちっちゃなこどもたちに答えを教えてもらったり、相手チームに嘘をつきとおして相手チームをだましたり)頭脳戦です。ほめられた手法ではありませんが、現実的でおもしろい。

 やはり勝負事は、最後までわかりません。太川陽介さん、おめでとー!
 両チームともかけひきに専念しますが、太川陽介さんチームはリーダーの意向もあって徹底しています。今後の収録では、太川陽介さんの言うことを信じてはいけないという相手チームの思考原則が定着しそうです。
 松本利夫チームの宮澤佐江さんが途中のチェックポイントで、<太川陽介チームのメンバーがタクシーで来たと言っているのに、どうして汗をかいているのだろう>と言ったときが、太川陽介チームが勝負の決め手を握った時でした。太川陽介さんは、タクシーは途中の一部分だけ使ったと大嘘をつき、松本利夫チームのメンバーはまんまとだまされました。

 鬼チームが持つ「GPS(じーぴーえす。グローバル・ポジショニング・システム。衛星による位置情報)発信機」がゲームに有効です。

 今回の展開から考えて、最後のチェックポイント(今回はカラオケボックス)の扱いは改善の必要があるのでしょう。

 ふだんは知られていない地元の観光地のPRにもなります。
 渋川八幡宮で太川チームが食べた無料販売所で購入した一袋250円のみかんがおいしそうでした。
 今回は役所もからんでいたのでしょう。地方都市の町おこしに一役かっています。群馬県の県庁所在地は前橋市でよかったっけと確認しました。前橋市でした。でも人口は、高崎市のほうが多かった。なにかわけでもあるのでしょう。
 イオン行きのバスが多い。全国各地にイオン行きのバス路線が駅から伸びているのでしょう。

 もうだめだは、まだだいじょうぶだし、もうだめだは、まだいける。
 思いどおりにならないときは、<今は幸運をためている>と思う。
 鬼ごっこの路線バス旅は、人生そのものの展開で励みになりました。
 案外、あきらめた時に、望みがかないます。(バスが行ってしまったと、とほうにくれていたら、バスが遅れてやってきて乗車できたとき)