2020年12月15日

(再読)津軽 太宰治

(再読)津軽 太宰治 青空文庫

 1944年(昭和19年)11月の刊行です。まだ、戦時中です。翌年8月が終戦です。
 太宰治作品のなかでは、自分はこの作品が一番の好みです。淡々と静かです。太宰治というよりも本名の津島修治として書かれているような気がするのです。ふと気づいたのですが、筆名にある「治」は、本名の「修治」の治からとってあるのかもしれません。

 以前自分が観光で訪れたことがある地名の列挙から始まります。金木、五所河原、青森、浅虫は行きましたが、弘前、大鰐は通過したことはありますが訪れたことはありません。

 作者が、海港の青森市、城下町の弘前市で過ごした学生時代のことが正直に書いてあります。まだ十代なかばです。
 仲が良かった二歳年下の弟さんが若くして亡くなった部分にはほろりときました。
 作者は津軽を愛していました。

 青森県の県庁所在地は海港の青森市ではなく、城下町の弘前市(ひろさきし)のほうがふさわしいのではないかという記述があります。そのほかの記述も現代に生活する自分が読むと興味深い。本人は、「昭和の津軽風土記」と記してあります。歴史や地理が詳しい。
 東京で彫刻を学んでいた兄は27歳で亡くなっています。兄弟姉妹の数が多く、かつ短命でありやすい。日本人の平均寿命自体、戦時中であり、それほど長くなかったのでしょう。
 
 中学時代の思い出があります。中学といっても旧制中学なので、12歳から16歳です。青森市の中学を卒業後は、弘前市の高等学校へ通っています。

 ふるさと津軽に深い愛情を感じる文章です。文章量は多く、日記のようでもあります。

 人が集まるところにお金があることがわかります。

 印象に残った文節として、
 むらさきの洋装は、よほどの美人でなければ似合わない。
 17時30分上野発の急行列車に乗った…… 青森には、朝の8時に着いた。
 地方の人たちは、東京から来た客人はすべて食べものをあさりに来たと軽蔑して……
 (極寒でやせた土地津軽なれど)「砂漠の中で生きている人もあるんだからね…… こんな風土からはまた独特な人情も生まれるんだ」
 「津軽地方は昔から他国の者に攻め破られたことがないんだ。殴られるけれども、負けやしないんだ」

 ねぶた祭りのこと、リンゴ酒、源義経伝説、親族との交流話などが続きます。

 調べた言葉として、
 Femme:女性。フランス語

 特別にここに書くことはないのですが、読んでいて心が落ち着く文章です。その後の自死のことを思うと、今回の津軽紀行は、人生の清算の旅となったと感ずるのです。

(2012年9月19日のときの感想記事)
津軽 太宰治 新潮文庫
 作者36歳、ときは敗戦前年昭和19年、作者が入水心中で命を絶ったのは、昭和23年です。大きな戦争のさなかに生まれ故郷津軽を3週間旅した記録です。青森県が舞台なので、先日読んだ「飢餓海峡」水上勉著が最初に思い浮かびました。ただこちらの舞台は下北半島です。次に同じ昭和19年に放浪していた山下清画伯、戦後憲法の英文翻訳に立ち会った白洲次郎氏、同時期のできごとやらが頭の中で重なりました。それから吉幾三さんの歌もひらめきました。
 戦争中とは思えないような内容の旅行記です。戦争があったのは、都市部だけで、日本の田舎ではいつもながらの生活が続いていたという印象を受けました。
 文章が落ち着いていて読みやすい。心が穏やかになります。旅に出たくもなります。わたしも3週間仕事を休んで旅をしたいけれどそれはできない望みです。
 日本の自然もまんざらではないと見直しました。小説創作の基本は日記を書くことだと再確認もしました。54ページ、朝の魚売り。就学前に住んでいた島での生活がよみがえりました。
 津軽の歴史に関する記述はとてもおもしろい。力士の名前が頭に浮かんでくる。地理解説というよりも歴史書です。作者は悩みがない人という印象をもちました。何度も自殺を試みた人とは考えられません。育ての親「たけ」については、人生はタイミングで決まっていくと感じました。理屈はあとからくっついてくるものです。たけに対する作者の想いはとても深い。東京タワーの作者リリー・フランキー氏もこの本を読んだのでしょう。
 結びの言葉はさみしい。

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