2020年05月07日

スター・ウォーズ フォースの覚醒 エピソード7 DVD

スター・ウォーズ フォースの覚醒 エピソード7 DVD 2015年公開

 女性のレイが主役で活躍します。
 筋立てはややこしいので、よくわかりません。ストーリーよりも特撮映像を楽しみました。映像が美しい。
 ボール型のコロコロロボット、ドロイドという機械ですが、「BB―8」ビービーエイトが可愛らしくておもしろい。
 R2-D2とか、C3-POとか、年齢を重ねたレイア姫とか、ハン・ソロ、ルーク・スカイウォーカーなど、なつかしい。
 
 格闘技が強くないと生き残れない世界です。闘いはし烈でした。
 良かったセリフとして、「やればできる。きっとできる」  

2020年05月06日

海炭市叙景 DVD

海炭市叙景(かいたんしじょけい、かいたんしの風景の文章化) 邦画DVD 2010年公開

 勘違いをしていました。以前、台湾の九ふんというところに行ったときに、そこを舞台にした映画があると聞きました。その映画だと思って観ました。間違っていました。台湾のほうは、「悲情城市(ひじょうじょうし)」でした。金の採掘をしていた場所でした。今回観た映画での、海炭市というのは、ベースが、北海道の函館市でした。また、文字の「炭」から、炭鉱の映画を想像しましたが、この映画の場合、冒頭では、造船産業のドック閉鎖とか人員削減のお話から始まっていました。

 調べたところ、函館市出身で、自殺して亡くなった芥川賞候補作家佐藤泰志(さとう・やすし)さんという方の短編の一部を映画化したものだそうです。

 最初のうちは、内容は暗く、重苦しい。怒りは直線的すぎておもしろくない。
 ドキュメンタリーのようでもありました。(事実記録)
 造船会社の当局と労働組合との労使交渉があります。

 昭和40年代ぐらいの昔の日常風景の描写があります。古い住宅、ニワトリ、ヤギの飼育。都市計画事業実施のための立ち退きを要請されるおばあさんがいます。彼女は、どかない(立ち退かない)と主張します。
 
 日本におけるこの半世紀の地方都市の変化が描かれています。
 衰退した部分もあるし、発展した部分もあります。
 時勢の変化に対応できた人もいるし、できなかった人もいます。
 「まち」というものは、一時的にその状態でそこにあるもので、常に未来に向かって変わろうとしています。それが、この半世紀の出来事でした。

 映像を観ていて思ったことは、かつて、「お金を出して水を買う時代」が来るとは思えなかった」、「公共事業のための立ち退きは頻繁に行われた」、「ガスと電気が、ガス会社でも電気会社でも扱うことができるようになるとは思いもつかなかった」

 新しい世代には理解できないかもしれませんが、なにもかもが、大昔から現在のように整備されてこの世に存在していたわけではないということを再確認しました。

 後半にある市電の運行風景が良かった。
 
 日本人の暮らしぶりをさかのぼる映画でした。
  

2020年05月05日

台風家族 邦画DVD

台風家族 邦画DVD 2019年公開

 わけがわからない部分が多いのですが、どういうわけか、画面をじーっと見入る時間帯が長かった。それだけ、心の深くに働きかけるものがあるのでしょう。
 父親は、息子に対して思いやりをもっていたけれど、その愛情は伝わっていなかった。息子たちも娘も父親のことを良くは思っていなかった。劇中のセリフにあったように、親にとっては、四人のこどもを育てることは、まず、金銭的に大変です。

 冒頭は、葬儀社を経営していた老夫婦による銀行強盗のシーンから始まります。2000万円の強盗に成功して、夫婦は失踪します。残されたのは、長男、次男、長女、三男、長男の妻と孫の女児でした。
 失踪宣告が成立して、犯罪の時効が成立して、両親夫婦の所在もお金のありかも不明ですが、親が所有する土地家屋預金等の財産はあるので、相続問題が発生します。

 きょうだいたちの顔が似ていないので、きょうだいと思うのがむずかしかった。
 なんだか、暗くて、騒々しかった。始まって36分経過付近で、期待したほどおもしろくない。
 銀行強盗をした両親の妻のほうが認知症であったところぐらいから真剣味が増しました。
 
 暴力では、問題は解決しません。
 家族、親族関係の再生話だろうか。

 まあ、めちゃくちゃです。
 劇中のセリフを借りると、「最低がどこかわからない。沼よ、沼。底なし沼」

 犯罪の関係者として人生が狂ったのは、容疑者の親族だけではなくて、強盗に入られた銀行の支店長、それから、悪いこととは知りつつ特殊詐欺として、コールセンターで電話をかけていた若い女性もです。

 演劇を観ているようでした。
 
 日本映画の「羅生門」とか、東野圭吾作品「人魚の眠る家」パターンで、多面的な視点をもつとか、後半で、いろいろなことを明白にしていく手法です。

 認知症の妻が、ソーメンを手づかみするシーンが怖かった。ホラーでもあり、コメディでもありの映画でした。

 家族は、海辺の砂浜が似合う。BGMは音楽ではなく、海鳴りの潮騒で、とても良かった。家族の記念写真撮影風景を見ながら、しみじみできました。
  

2020年05月04日

北斗の拳

北斗の拳(ほくとのけん)1 作・武論尊(ぶろんそん) 画・原哲夫 集英社文庫(コミック版)

 これまでに読んだことはありません。昔、パソコンのタッチタイピングの練習用ソフトを利用したことがあります。たしか、「アチョー アチョー」のようなかけ声に合わせながらタイピングをして、最後に、「おまえはもう死んでいる」というようなセリフが流れていたような気がします。(本の最後まで読み終えて、佐竹雅昭さんという格闘家の方の解説を読んで、「あたたたたーー!」だったことがわかりました。また、ラオウという人がいること、それから元横綱稀勢の里さんが、「わが生涯に一片の悔いなし!」みたいなことを言って引退されたのも理解しました)

 199×年の世紀末に地球上で核戦争があり世界が荒廃したようです。そんなシーンから始まりました。本は、1997年5月が第一刷になっています。マンガは、1983年から始まっています。
 オーストラリア映画マッドマックスのような風景が広がっています。凶暴な暴走族集団が顔を出しました。そこへ、きれいな顔立ちをした主人公のケンシロウが登場しました。

 ケンシロウの胸には、北斗七星の形でえぐれたような跡があります。
 リンという名前の少女が出てきます。

 暴力シーンがきつい絵です。殺戮(さつりく)もあります。残虐(ざんぎゃく)な人殺しです。なのに、読後は、さわやかな気分が残ります。そこが、このマンガの魅力です。人に優しい。ケンシロウは、心が優しい人間です。そして、ケンシロウは、すごく強い。完全王者、無敵です。弱い者いじめをする奴を倒します。だから、爽快感が生まれます。

 KINGという悪の集団が出てきました。

 「シン」という男が、ケンシロウの胸に北斗七星の形で傷をつけたそうです。

 「ユリア」というケンシロウが好きだった女性が出てきたのですが、どういうわけか絵が下手なのです。絵が生きていない。ユリアがまるで、人形のようです。生きている人間に見えません(あとのページで、人形だったことが判明します。恐れ入りました)

 ケンシロウの「北斗神拳(ほくとしんけん)」とシンの「南斗聖拳(なんとせいけん)」

 ケンシロウの決めゼリフなのでしょう。「きさまの技はすべて見切っている。きさまの負けだ」

 今度は、「GOLAN」という集団が出てきました。「神の国(ゴッドランド)」とあります。

 絵は残酷です。続けて読むのは少々つらそう。軍隊の世界です。すぐに、「殺す」という言葉が出ます。
 調べた単語として、「外道:げどう。卑怯者、悪魔、災いのもとになる者、人の道をはずれ行為をする者」 

 鬼のようなキャラクター群は、奈良にある博物館とかお寺さんに置いてある仏像がベースになっているような気がします。

 ケンシロウのように強くなりたいという憧れが、この漫画の魅力です。
  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年05月03日

流浪の月 凪良ゆう

流浪の月(るろうのつき) 凪良ゆう(なぎら・ゆう) 東京創元社

 流浪:住むところを定めず、さまよい歩くこと。48ページまで読んだところですが、小説の中では、小学校上級生ぐらいの女児である家内更紗(かない・さらさ)が、両親がいなくなって、預けられた叔母の家の居心地が悪くて、公園で見かけた大学生男子のマンションにころがりこんでいます。「月」は、家内更紗をさしているような。

 凪良ゆう(なぎら・ゆう):男性作家だと思い込んでいました。女性作家さんでした。がてんがいきました。読んでいて、男性が、女性の気持ちをこんなに上手によく書けるなと感嘆していました。勘違いでした。

 小学生4年生9才女児の一人称ひとり語りで物語は進行していきます。以前、実際の事件としてあったSNSを通じて若い男性宅へ家出をした小学生女児のことが思い起こされます。

 文才を感じさせる文節が続きます。要旨などとして、「お母さんは我慢をしないから、ママ友がいない」、「お母さんは、『慎重』という言葉と相性が悪い」、「わたしには、ここしか、居場所がなかった」、「あの家には帰りたくない」、「おばさんの家の『厄介者』扱いをされている」、「みんな、自分を優しいと思っている」、「血がつながっているだけの他人」、「わたしに残された手段は、反応しないことだった」、「地獄みたいな子ども時代」、「しっかり手をつないでいた9歳のわたしと19歳の彼はもうどこにもいない」、「善人づらをした男が、いざというときに逃げる場所がない女性を狙っている」、「わたしが知っている彼と、世間が評価する彼の実像に差異がある」、「DVをやる男はしつこい」、「(あの男性は)再婚の相手にはなれても、連れ子の父親にはなれない人」、「お母さんはわたしがいないほうが喜ぶかもしれない」、「お母さんはわたしよりも彼氏のほうが好き」、「でも、いつもは、お母さんはやさしい」

 周囲とうちとけることができない三人家族の(父・母、主人公小学生女児)集団の悲しみがただよっています。父が家内湊(かない・みなと、市役所勤務)、母が、灯里(あかり)、ひとり娘が、主人公の更紗(さらさ)です。

 女児をかくまった佐伯文(さえき・ふみ、男子大学生)とは、何者なのか。

 合意のもとに小学生女児がロリコン趣味の男子大学生19才と平和に同居しているという図式ですが、 内容は、世間が児童保護のためとして肯定も容認もできるものではありません。他にちゃんとしたルートにのせた正規の暮らし方があるような。誘拐行為をした大学生の育ち方にも問題があるようで、母親の教育によってこどもの人格が、ロボット化されています。虐待に該当するかもしれません。ゆえに、こども本人は人間としての自覚が足りません。主人公も大学生も似た者同士の部分があります。集団のなかでは、異質な存在です。標準化されていません。人間界のなかではふたりともが異質なもの。受け入れられない者、浮いている存在です。

 主人公家内更紗(かない・さらさ)のこだわりとして、アイスクリームがあります。両親との思い出として、アイスクリームを食事として食べていたことがあります。

 第二章までの印象として、おとなにとって都合のいい世界は、こどもを守ってくれない。絶望感がただよう記述でした。
 第三章へ進みます。
 15年が経過しています。9才だった家内更紗(かない・さらさ)は、24才、ファミレスでバイトをしながら亮(りょう)という男と同居生活を送っています。
 
 作者の観察力が研ぎ澄まされている文章です。
 
 結婚はしないという人生の選択肢もある。ただし、同居や同棲はする。

 はかなき者たちが登場人物です。もろい。

 何年も前に終わってしまった暗い過去のことを今も毎日思い出して暮らしていくことは苦しい。
 
 小児性愛とか、ストーカーとか、DVとか、小説の素材は暗い。

 男の束縛に反発しないで生きている女性像があります。

 なにか、「結婚」に対して猜疑心が生まれてくる文脈です。(さいぎしん:疑う気持ち。みせかけの幸福。書中では、本物の愛によく似ているけれど、よく似ているだけで、本物ではないと表現されています)

 生きているはずの主人公女性家内更紗(かない・さらさ)の実母は、今、どこでどうしているのか。実母の転出、叔母宅での預かり、施設入所・退所を経て、15年が経過しています。主人公本人は24歳です。

 140ページ付近、まだ、主人公と犯罪者佐伯文との関係話が発展していきません。

 主人公自身の行動は善人ではありません。なにかをやらかそうとしている。さしあたってストーカー行為があります。

 読んでいると気持ちがさみしくなってくる小説です。
 34才小児愛の性癖をもつ男子である佐伯文(さえき・ふみ)の心は優しい。彼は、母親から育児書どおりに育てるためにマインドコントロールをされていた過去をもつ。文は、暴力はふるわない。作品「コンビニ人間」の男子版のようです。アンドロイドとかロボットのような人になっています。
 読んでいると、心が落ち着く雰囲気がありますが、読み手の気持ちによって、好き嫌いが分かれる作品でもあります。
 世界が狭い。その狭い世界で主人公たちは、自由に暮らしています。意志の規制がないかわりに、夢とか希望が見えてきません。佐伯文(さえき・ふみ)も家内更紗(かない・さらさ)も場数を踏んで、体験を重ねてほしい。

 主人公女子の立場でのひとり語りを読み続けることがけっこうしんどい。
 
 メンタル治療の話になってきました。

 親がいつまでたっても大人になれずに、こどものままでいる家があります。こどもは、悩みます。

 ストーリーに大きな動きはありません。同一空間内の思考です。純文学的な作品です。

 谷さんが、文(ふみ)に好意を寄せる理由がつかめません。メンタル仲間というだけでは不足です。

 第四章、女児監禁の容疑者とされた文(ふみ)の語りの部分がいい。おとなの女性を愛せない体をもった男性の語りです。「ぼくは矛盾の塊(かたまり)だった」とあります。

 ドラマチックです。感動的、印象的

 長崎と新幹線の取り合わせがぴんときませんでした。

 調べた単語などとして、「カータブル:(主人公女児がランドセルの代わりに両親に買ってもらった)ランドセルのようなかばん。フランス起源」、「ボンベイ・サファイヤ:ジン。アルコール」、「モカ・シン:靴のスタイル。スリッポン形式の靴」、「トネリコ:落葉樹」、「映画トゥルー・ロマンス:1993年アメリカ映画。ロード・ムービー。ラブ・ストーリー。男女の暴力的で危険な逃避行」、「ミネストローネ:トマトを使用するイタリアのスープ」、「フェミニズム:女性解放思想」、「calico:キャラコ。インド産の平織り綿布。本作の場合、誘拐犯とされた佐伯文(さえき・ふみ)がマスターをしている店。夜の8時からオープンするカフェ、朝の5時までが営業時間帯。店名には、もうひとつからめてあるものがありますが、ここには書きません」、「オールド・バカラ:古風なグラス。小説では主人公の病死した父親がこれでウィスキーを飲むのが好きだった。バカラは、フランスのクリスタルメーカー」、「エレガント:優雅。落ち着いて気品がある」、「ブルースター:水色の花、はなびらが5枚で星みたいできれい」、「スパンコール:光を反射させるための服飾材料。穴の開いた金属やプラスチック」、「眇める:すがめる。片目を補足してしっかり見る」、「キャミソール:細い肩ひもでつるした女性用下着、上衣、肩は露出している」、「拭う:ぬぐう」、「マッカラン:ウィスキーの銘柄」、「デンファレ:花、洋ラン、紫色、白色」、「ピンポンマム:ピンポンのように丸い花。白、黄色、緑色、紫色など」、「フォックステリア:狐狩り用の犬」、「スカリーワグ:ウィスキー」、「ディップ:クラッカー、生野菜につけるクリーム状のソース」、「ボブヘア:まるみをおびていて、上の髪が下の髪に重なる。肩より上の短さ」、「フィナンシェ:バターケーキ、焼き菓子」、「第一次性徴:外見 第二次性徴:生殖能力をもつ」

 ずいぶん長い読書メモになってしまいました。

(その後 本の中にあった洋画「トゥルー・ロマンス」をDVDで観ました)
 暴力的な暗い映画を予測したのですが、そういう面もあるものの、明るく軽妙な雰囲気のラブコメディだったので意外でした。映画のヒロインの言葉、「人生を最初からやり直せるのね」が記憶に残りました。  

Posted by 熊太郎 at 06:03Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年05月02日

ハリーポッターと死の秘宝 洋画DVD

ハリーポッターと死の秘宝 洋画DVD 2010年公開

 シリーズを最初から観ていますが、いささか飽きてきました。
 今回気に入ったシーンは、妖精ドビーが活躍するところでした。彼のセリフとして、「妖精ドビー(自分のこと)には、ご主人さまなどいません。ドビーは、自由な妖精です。ハリーポッターとその友だちを助けに来たのです」そんなドビーが亡くなってしまったのは残念です。
 テーマが、「死」であること、「魔法」とか「魔女」が日本人に身近でないことから、諸外国人と日本人である自分との感じ方の違いがあります。
 あとは、アナコンダみたいなニシキヘビのようなヘビの化け物が怖い。