2020年05月03日
流浪の月 凪良ゆう
流浪の月(るろうのつき) 凪良ゆう(なぎら・ゆう) 東京創元社
流浪:住むところを定めず、さまよい歩くこと。48ページまで読んだところですが、小説の中では、小学校上級生ぐらいの女児である家内更紗(かない・さらさ)が、両親がいなくなって、預けられた叔母の家の居心地が悪くて、公園で見かけた大学生男子のマンションにころがりこんでいます。「月」は、家内更紗をさしているような。
凪良ゆう(なぎら・ゆう):男性作家だと思い込んでいました。女性作家さんでした。がてんがいきました。読んでいて、男性が、女性の気持ちをこんなに上手によく書けるなと感嘆していました。勘違いでした。
小学生4年生9才女児の一人称ひとり語りで物語は進行していきます。以前、実際の事件としてあったSNSを通じて若い男性宅へ家出をした小学生女児のことが思い起こされます。
文才を感じさせる文節が続きます。要旨などとして、「お母さんは我慢をしないから、ママ友がいない」、「お母さんは、『慎重』という言葉と相性が悪い」、「わたしには、ここしか、居場所がなかった」、「あの家には帰りたくない」、「おばさんの家の『厄介者』扱いをされている」、「みんな、自分を優しいと思っている」、「血がつながっているだけの他人」、「わたしに残された手段は、反応しないことだった」、「地獄みたいな子ども時代」、「しっかり手をつないでいた9歳のわたしと19歳の彼はもうどこにもいない」、「善人づらをした男が、いざというときに逃げる場所がない女性を狙っている」、「わたしが知っている彼と、世間が評価する彼の実像に差異がある」、「DVをやる男はしつこい」、「(あの男性は)再婚の相手にはなれても、連れ子の父親にはなれない人」、「お母さんはわたしがいないほうが喜ぶかもしれない」、「お母さんはわたしよりも彼氏のほうが好き」、「でも、いつもは、お母さんはやさしい」
周囲とうちとけることができない三人家族の(父・母、主人公小学生女児)集団の悲しみがただよっています。父が家内湊(かない・みなと、市役所勤務)、母が、灯里(あかり)、ひとり娘が、主人公の更紗(さらさ)です。
女児をかくまった佐伯文(さえき・ふみ、男子大学生)とは、何者なのか。
合意のもとに小学生女児がロリコン趣味の男子大学生19才と平和に同居しているという図式ですが、 内容は、世間が児童保護のためとして肯定も容認もできるものではありません。他にちゃんとしたルートにのせた正規の暮らし方があるような。誘拐行為をした大学生の育ち方にも問題があるようで、母親の教育によってこどもの人格が、ロボット化されています。虐待に該当するかもしれません。ゆえに、こども本人は人間としての自覚が足りません。主人公も大学生も似た者同士の部分があります。集団のなかでは、異質な存在です。標準化されていません。人間界のなかではふたりともが異質なもの。受け入れられない者、浮いている存在です。
主人公家内更紗(かない・さらさ)のこだわりとして、アイスクリームがあります。両親との思い出として、アイスクリームを食事として食べていたことがあります。
第二章までの印象として、おとなにとって都合のいい世界は、こどもを守ってくれない。絶望感がただよう記述でした。
第三章へ進みます。
15年が経過しています。9才だった家内更紗(かない・さらさ)は、24才、ファミレスでバイトをしながら亮(りょう)という男と同居生活を送っています。
作者の観察力が研ぎ澄まされている文章です。
結婚はしないという人生の選択肢もある。ただし、同居や同棲はする。
はかなき者たちが登場人物です。もろい。
何年も前に終わってしまった暗い過去のことを今も毎日思い出して暮らしていくことは苦しい。
小児性愛とか、ストーカーとか、DVとか、小説の素材は暗い。
男の束縛に反発しないで生きている女性像があります。
なにか、「結婚」に対して猜疑心が生まれてくる文脈です。(さいぎしん:疑う気持ち。みせかけの幸福。書中では、本物の愛によく似ているけれど、よく似ているだけで、本物ではないと表現されています)
生きているはずの主人公女性家内更紗(かない・さらさ)の実母は、今、どこでどうしているのか。実母の転出、叔母宅での預かり、施設入所・退所を経て、15年が経過しています。主人公本人は24歳です。
140ページ付近、まだ、主人公と犯罪者佐伯文との関係話が発展していきません。
主人公自身の行動は善人ではありません。なにかをやらかそうとしている。さしあたってストーカー行為があります。
読んでいると気持ちがさみしくなってくる小説です。
34才小児愛の性癖をもつ男子である佐伯文(さえき・ふみ)の心は優しい。彼は、母親から育児書どおりに育てるためにマインドコントロールをされていた過去をもつ。文は、暴力はふるわない。作品「コンビニ人間」の男子版のようです。アンドロイドとかロボットのような人になっています。
読んでいると、心が落ち着く雰囲気がありますが、読み手の気持ちによって、好き嫌いが分かれる作品でもあります。
世界が狭い。その狭い世界で主人公たちは、自由に暮らしています。意志の規制がないかわりに、夢とか希望が見えてきません。佐伯文(さえき・ふみ)も家内更紗(かない・さらさ)も場数を踏んで、体験を重ねてほしい。
主人公女子の立場でのひとり語りを読み続けることがけっこうしんどい。
メンタル治療の話になってきました。
親がいつまでたっても大人になれずに、こどものままでいる家があります。こどもは、悩みます。
ストーリーに大きな動きはありません。同一空間内の思考です。純文学的な作品です。
谷さんが、文(ふみ)に好意を寄せる理由がつかめません。メンタル仲間というだけでは不足です。
第四章、女児監禁の容疑者とされた文(ふみ)の語りの部分がいい。おとなの女性を愛せない体をもった男性の語りです。「ぼくは矛盾の塊(かたまり)だった」とあります。
ドラマチックです。感動的、印象的
長崎と新幹線の取り合わせがぴんときませんでした。
調べた単語などとして、「カータブル:(主人公女児がランドセルの代わりに両親に買ってもらった)ランドセルのようなかばん。フランス起源」、「ボンベイ・サファイヤ:ジン。アルコール」、「モカ・シン:靴のスタイル。スリッポン形式の靴」、「トネリコ:落葉樹」、「映画トゥルー・ロマンス:1993年アメリカ映画。ロード・ムービー。ラブ・ストーリー。男女の暴力的で危険な逃避行」、「ミネストローネ:トマトを使用するイタリアのスープ」、「フェミニズム:女性解放思想」、「calico:キャラコ。インド産の平織り綿布。本作の場合、誘拐犯とされた佐伯文(さえき・ふみ)がマスターをしている店。夜の8時からオープンするカフェ、朝の5時までが営業時間帯。店名には、もうひとつからめてあるものがありますが、ここには書きません」、「オールド・バカラ:古風なグラス。小説では主人公の病死した父親がこれでウィスキーを飲むのが好きだった。バカラは、フランスのクリスタルメーカー」、「エレガント:優雅。落ち着いて気品がある」、「ブルースター:水色の花、はなびらが5枚で星みたいできれい」、「スパンコール:光を反射させるための服飾材料。穴の開いた金属やプラスチック」、「眇める:すがめる。片目を補足してしっかり見る」、「キャミソール:細い肩ひもでつるした女性用下着、上衣、肩は露出している」、「拭う:ぬぐう」、「マッカラン:ウィスキーの銘柄」、「デンファレ:花、洋ラン、紫色、白色」、「ピンポンマム:ピンポンのように丸い花。白、黄色、緑色、紫色など」、「フォックステリア:狐狩り用の犬」、「スカリーワグ:ウィスキー」、「ディップ:クラッカー、生野菜につけるクリーム状のソース」、「ボブヘア:まるみをおびていて、上の髪が下の髪に重なる。肩より上の短さ」、「フィナンシェ:バターケーキ、焼き菓子」、「第一次性徴:外見 第二次性徴:生殖能力をもつ」
ずいぶん長い読書メモになってしまいました。
(その後 本の中にあった洋画「トゥルー・ロマンス」をDVDで観ました)
暴力的な暗い映画を予測したのですが、そういう面もあるものの、明るく軽妙な雰囲気のラブコメディだったので意外でした。映画のヒロインの言葉、「人生を最初からやり直せるのね」が記憶に残りました。
流浪:住むところを定めず、さまよい歩くこと。48ページまで読んだところですが、小説の中では、小学校上級生ぐらいの女児である家内更紗(かない・さらさ)が、両親がいなくなって、預けられた叔母の家の居心地が悪くて、公園で見かけた大学生男子のマンションにころがりこんでいます。「月」は、家内更紗をさしているような。
凪良ゆう(なぎら・ゆう):男性作家だと思い込んでいました。女性作家さんでした。がてんがいきました。読んでいて、男性が、女性の気持ちをこんなに上手によく書けるなと感嘆していました。勘違いでした。
小学生4年生9才女児の一人称ひとり語りで物語は進行していきます。以前、実際の事件としてあったSNSを通じて若い男性宅へ家出をした小学生女児のことが思い起こされます。
文才を感じさせる文節が続きます。要旨などとして、「お母さんは我慢をしないから、ママ友がいない」、「お母さんは、『慎重』という言葉と相性が悪い」、「わたしには、ここしか、居場所がなかった」、「あの家には帰りたくない」、「おばさんの家の『厄介者』扱いをされている」、「みんな、自分を優しいと思っている」、「血がつながっているだけの他人」、「わたしに残された手段は、反応しないことだった」、「地獄みたいな子ども時代」、「しっかり手をつないでいた9歳のわたしと19歳の彼はもうどこにもいない」、「善人づらをした男が、いざというときに逃げる場所がない女性を狙っている」、「わたしが知っている彼と、世間が評価する彼の実像に差異がある」、「DVをやる男はしつこい」、「(あの男性は)再婚の相手にはなれても、連れ子の父親にはなれない人」、「お母さんはわたしがいないほうが喜ぶかもしれない」、「お母さんはわたしよりも彼氏のほうが好き」、「でも、いつもは、お母さんはやさしい」
周囲とうちとけることができない三人家族の(父・母、主人公小学生女児)集団の悲しみがただよっています。父が家内湊(かない・みなと、市役所勤務)、母が、灯里(あかり)、ひとり娘が、主人公の更紗(さらさ)です。
女児をかくまった佐伯文(さえき・ふみ、男子大学生)とは、何者なのか。
合意のもとに小学生女児がロリコン趣味の男子大学生19才と平和に同居しているという図式ですが、 内容は、世間が児童保護のためとして肯定も容認もできるものではありません。他にちゃんとしたルートにのせた正規の暮らし方があるような。誘拐行為をした大学生の育ち方にも問題があるようで、母親の教育によってこどもの人格が、ロボット化されています。虐待に該当するかもしれません。ゆえに、こども本人は人間としての自覚が足りません。主人公も大学生も似た者同士の部分があります。集団のなかでは、異質な存在です。標準化されていません。人間界のなかではふたりともが異質なもの。受け入れられない者、浮いている存在です。
主人公家内更紗(かない・さらさ)のこだわりとして、アイスクリームがあります。両親との思い出として、アイスクリームを食事として食べていたことがあります。
第二章までの印象として、おとなにとって都合のいい世界は、こどもを守ってくれない。絶望感がただよう記述でした。
第三章へ進みます。
15年が経過しています。9才だった家内更紗(かない・さらさ)は、24才、ファミレスでバイトをしながら亮(りょう)という男と同居生活を送っています。
作者の観察力が研ぎ澄まされている文章です。
結婚はしないという人生の選択肢もある。ただし、同居や同棲はする。
はかなき者たちが登場人物です。もろい。
何年も前に終わってしまった暗い過去のことを今も毎日思い出して暮らしていくことは苦しい。
小児性愛とか、ストーカーとか、DVとか、小説の素材は暗い。
男の束縛に反発しないで生きている女性像があります。
なにか、「結婚」に対して猜疑心が生まれてくる文脈です。(さいぎしん:疑う気持ち。みせかけの幸福。書中では、本物の愛によく似ているけれど、よく似ているだけで、本物ではないと表現されています)
生きているはずの主人公女性家内更紗(かない・さらさ)の実母は、今、どこでどうしているのか。実母の転出、叔母宅での預かり、施設入所・退所を経て、15年が経過しています。主人公本人は24歳です。
140ページ付近、まだ、主人公と犯罪者佐伯文との関係話が発展していきません。
主人公自身の行動は善人ではありません。なにかをやらかそうとしている。さしあたってストーカー行為があります。
読んでいると気持ちがさみしくなってくる小説です。
34才小児愛の性癖をもつ男子である佐伯文(さえき・ふみ)の心は優しい。彼は、母親から育児書どおりに育てるためにマインドコントロールをされていた過去をもつ。文は、暴力はふるわない。作品「コンビニ人間」の男子版のようです。アンドロイドとかロボットのような人になっています。
読んでいると、心が落ち着く雰囲気がありますが、読み手の気持ちによって、好き嫌いが分かれる作品でもあります。
世界が狭い。その狭い世界で主人公たちは、自由に暮らしています。意志の規制がないかわりに、夢とか希望が見えてきません。佐伯文(さえき・ふみ)も家内更紗(かない・さらさ)も場数を踏んで、体験を重ねてほしい。
主人公女子の立場でのひとり語りを読み続けることがけっこうしんどい。
メンタル治療の話になってきました。
親がいつまでたっても大人になれずに、こどものままでいる家があります。こどもは、悩みます。
ストーリーに大きな動きはありません。同一空間内の思考です。純文学的な作品です。
谷さんが、文(ふみ)に好意を寄せる理由がつかめません。メンタル仲間というだけでは不足です。
第四章、女児監禁の容疑者とされた文(ふみ)の語りの部分がいい。おとなの女性を愛せない体をもった男性の語りです。「ぼくは矛盾の塊(かたまり)だった」とあります。
ドラマチックです。感動的、印象的
長崎と新幹線の取り合わせがぴんときませんでした。
調べた単語などとして、「カータブル:(主人公女児がランドセルの代わりに両親に買ってもらった)ランドセルのようなかばん。フランス起源」、「ボンベイ・サファイヤ:ジン。アルコール」、「モカ・シン:靴のスタイル。スリッポン形式の靴」、「トネリコ:落葉樹」、「映画トゥルー・ロマンス:1993年アメリカ映画。ロード・ムービー。ラブ・ストーリー。男女の暴力的で危険な逃避行」、「ミネストローネ:トマトを使用するイタリアのスープ」、「フェミニズム:女性解放思想」、「calico:キャラコ。インド産の平織り綿布。本作の場合、誘拐犯とされた佐伯文(さえき・ふみ)がマスターをしている店。夜の8時からオープンするカフェ、朝の5時までが営業時間帯。店名には、もうひとつからめてあるものがありますが、ここには書きません」、「オールド・バカラ:古風なグラス。小説では主人公の病死した父親がこれでウィスキーを飲むのが好きだった。バカラは、フランスのクリスタルメーカー」、「エレガント:優雅。落ち着いて気品がある」、「ブルースター:水色の花、はなびらが5枚で星みたいできれい」、「スパンコール:光を反射させるための服飾材料。穴の開いた金属やプラスチック」、「眇める:すがめる。片目を補足してしっかり見る」、「キャミソール:細い肩ひもでつるした女性用下着、上衣、肩は露出している」、「拭う:ぬぐう」、「マッカラン:ウィスキーの銘柄」、「デンファレ:花、洋ラン、紫色、白色」、「ピンポンマム:ピンポンのように丸い花。白、黄色、緑色、紫色など」、「フォックステリア:狐狩り用の犬」、「スカリーワグ:ウィスキー」、「ディップ:クラッカー、生野菜につけるクリーム状のソース」、「ボブヘア:まるみをおびていて、上の髪が下の髪に重なる。肩より上の短さ」、「フィナンシェ:バターケーキ、焼き菓子」、「第一次性徴:外見 第二次性徴:生殖能力をもつ」
ずいぶん長い読書メモになってしまいました。
(その後 本の中にあった洋画「トゥルー・ロマンス」をDVDで観ました)
暴力的な暗い映画を予測したのですが、そういう面もあるものの、明るく軽妙な雰囲気のラブコメディだったので意外でした。映画のヒロインの言葉、「人生を最初からやり直せるのね」が記憶に残りました。
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