2024年03月20日
出川哲朗の充電バイクの旅 2019年再放送分 山形縦断
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 何度も観たい旅SP(2019年(令和元年)) 山形縦断 東根(ひがしね市)→米沢 TVer(ティーバー)
■行くぞ!絶景の<山形縦断>だ!■東根から米沢へと<温泉街道>105キロ!■ですがひぇ~!中居くんが<スター>すぎて地元が大フィーバーでヤバイよヤバイよSP■
なかなかおもしろかった。
再放送ですが、観たのは初めてです。
2019年ですからコロナ禍前のロケです。翌年から日本におけるコロナ騒ぎが始まっています。
山形県内を南下していくルートです。
出だしのドタバタ騒ぎに笑いました。
農地が広がる風景の中、中居正広さんの登場シーンがうまくいきません。
地元の人たちも協力して、やらせの芝居を打つのですが、どうも不自然で、映像に使えません。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)はあいかわらずのドジで、段取りも指示もしません。グダグダです。でも、おもしろい。唯一(ゆいいつ)という個性があります。笑えます。
バイク運転の途中、雪をかぶった『月山(がっさん)』を見ることができましたが、出川さんも中居さんも月山を知らないようです。森敦さんの芥川賞受賞作品、『月山(がっさん)』もご存じないのでしょう。
中居正広さんは野球がうまい。キャッチャーミットをつけて、小学生ピッチャーの球を受けながらキャッチボールをしました。なかなかいい感じでした。バッティングもホームランのようなあたりで感心しました。決めゼリフみたいに、『生まれも育ちもこんな感じで……』という言葉も良かった。
このあと、当時の小学生たちの現在が紹介されました。
みなさん、高校一年生になられています。こどもは、成長が楽しみです。自分の孫だと、幼児のままでずっといればいいのにと思いますが、そうもいきません。自分の経験だと、ちびっこたちは、二歳半ぐらいのときの容姿がいちばんかわいい。
中居正広さんは、さいしょのうちは、めんどくさいひとだなあという印象がありましたが、しばらくみていて、ちゃんとした人だということがわかりました。少年のような、いたずらや、わるふざけはありますが、神経質なくらいきちんとしていて、仕事がていねいです。
中居さんが自分の欲しいものは、今はないそうです。物欲なし。金銭欲なしです。人から見られることを気にしなくて済むような自由な時間がほしいのかもしれません。
中居さんは食事のこだわりもありません。全国チェーンの食堂でもかまいません。バス旅のえびすよしかずさんに似ています。えびすさんは、どこに行っても、その土地の名物は食べないのが基本でした。カレーとか、ハンバーグとか、スパゲティとかを注文していました。えびすさんは、魚介類の生ものは食べることができない人でした。そこがまたおもしろかった。えびすさんは、奇人変人ではありますが、根が正直な善人です。
中居さんの行動は破天荒すぎる。(はてんこう:ふつう、やらないことをやる)。スタッフ一同からびゅーんと離れて、カメラのないところで、地元の人の家をピンポーンして、充電依頼をしてしまいます。ロケ番組として、肝心(かんじん。重要)なところの映像をとることができません。そして、中居さんは、おうちの人にひたすら、『スイマセン』を連発して頭を下げていました。
中居さんは、年功序列にこだわるところがあって、相手が自分より年下だとわかるといばります。芸能界ってそういう世界なのか。先輩後輩に序列が厳しそうです。
地元の人たちが出してくださる、『パインサイダー』と、『リンゴジュース』がありがたい。夏のロケのようで、気温が34℃と紹介があります。出川さんは汗だくです。
土方さん(ひじかたさん。ディレクター)は、あいかわらずです。自分がだれで、どんな役割なのかを中居さんにいつまでたっても自己紹介しないので、中居さんに、『あなたはだれですか?』とロケの途中で、質問されてしまいます。
土方さんを見ていると、土方さんは、あれで(仕事を)やれるのなら、自分でもやれるという自信を与えてくれる人です。土方さんは、ドジだけど、この番組には必要な人です。
大工道具を貸してくれたおとうさん、ありがとう。すごい。大工道具セットがしゅっと出てきました。
土方ディレクターが、充電先の家で踏んで割ってしまったウッドデッキの修繕をします。中居さんンのていねいな、のこぎりで板を切る作業に感心しました。(拍手です)
貸してくださったおとうさんの家は、畳屋さんだと聞き、その手際(てぎわ)の良さに納得しました。
蔵王温泉(ざおうおんせん)に向かう道は、すごい、いなか道です。
途中、充電先の家で、まるで、自分の家にいるようにくつろいで、テレビの野球中継を見ている中居さんでした。
あとで、そのお宅の娘さんたちの現在が映像に出ました。お嬢さんは、身長が34cmも伸びて、出川さんの背丈を追い抜き、161cmになったそうです。おうちは、ジンギスカンのお店をやってらっしゃるそうで、奥さんの、『よってけらっしゃーい』の山形弁に味わいがありました。
中居さんは、行く先々で、ファンの女性たちにさわられまくります。
旅館もいい旅館でした。
すごい。おしぼりの上に、レモンがのせてありました。
夜は、地元の居酒屋に行く出川さんと中居さんです。くだけています。
なのに、土方さんのチョンボで、映像が残っていません。カメラの使い方が間違っていたそうです。(まあ、いいか)
旅館で声をかけたアメリカ合衆国の兄弟の今が紹介されました。(すごい。氏名と住所を控えてあったのでしょう。撮影許可書への承認サインとかで)
アメリカ人の高校生が、『ヤバイよヤバイよとか、中居さんが当時ふたりに教えた「ド・ミ・ソー(ソーは、調子がはずれた高い音)」』を連呼してくれました。
その後、いっしょにおソバ屋で、お昼ご飯を食べたおばあさんの言葉が良かった。
『結婚は、クジみたいなもんだからね(89歳のおばあさんの言葉)』
(演者のだれかが)『(おばあさんは)当たった?』
『当たらなかった』
笑いました。
土方さんは、そのおソバ屋で、ラーメンを頼んで、麺をのどにつまらせてむせていました。当地お勧めの日本そばを頼まずにラーメンを頼みます。まあ、めちゃくちゃです。おもしろい。そのお店では、牛丼セットをはじめ、どれも大盛りで、あれだけボリュームがあればだれもが満足です。
予定調和というものがない番組です。出川さんが、この番組はひどい番組だと言います。たしか、東野&岡村の旅猿に出川さんがゲストで出演したときも、旅猿は、クソ番組だと出川さんは言っていました。
どちらもお上品な旅番組ではありません。
でも、まだ千鳥の旅番組である『相席食堂』よりはいいと思います。以前、相席食堂を観ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。
中居正広さんはスターです。女子たちが大喜びです。
昼間の露天風呂では、小学生の修学旅行状態のような演者たちでした。
みなさん、歳はとっていても意識は18歳ぐらいの少年です。
中居正広さんは、出川さんたちにあいさつなしで、途中で帰ってしまいました。次の仕事があるそうです。出川さんたちにはあいさつせずに内緒で帰りましたが、地元の人たちにはきちんとあいさつをして、いっしょに記念写真もとりました。(出川さんと中居さんは、翌日も別の番組でいっしょになると話していました)
目的地の神社までゴールしていないのに、途中で帰ってしまうゲストも珍しい。
なにか裏があるようで、ゴールの神社で米沢牛のすき焼きを食べることができると思っていたら、食べることは目的ではなかったそうです。それを聞いて、中居さんは帰ったのだろうと出川さんが推理をしていました。(米沢牛を食べるレストランがある神社がゴールということで、ゴールして、高価なすき焼きを食べるということではなかったそうです)
■行くぞ!絶景の<山形縦断>だ!■東根から米沢へと<温泉街道>105キロ!■ですがひぇ~!中居くんが<スター>すぎて地元が大フィーバーでヤバイよヤバイよSP■
なかなかおもしろかった。
再放送ですが、観たのは初めてです。
2019年ですからコロナ禍前のロケです。翌年から日本におけるコロナ騒ぎが始まっています。
山形県内を南下していくルートです。
出だしのドタバタ騒ぎに笑いました。
農地が広がる風景の中、中居正広さんの登場シーンがうまくいきません。
地元の人たちも協力して、やらせの芝居を打つのですが、どうも不自然で、映像に使えません。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)はあいかわらずのドジで、段取りも指示もしません。グダグダです。でも、おもしろい。唯一(ゆいいつ)という個性があります。笑えます。
バイク運転の途中、雪をかぶった『月山(がっさん)』を見ることができましたが、出川さんも中居さんも月山を知らないようです。森敦さんの芥川賞受賞作品、『月山(がっさん)』もご存じないのでしょう。
中居正広さんは野球がうまい。キャッチャーミットをつけて、小学生ピッチャーの球を受けながらキャッチボールをしました。なかなかいい感じでした。バッティングもホームランのようなあたりで感心しました。決めゼリフみたいに、『生まれも育ちもこんな感じで……』という言葉も良かった。
このあと、当時の小学生たちの現在が紹介されました。
みなさん、高校一年生になられています。こどもは、成長が楽しみです。自分の孫だと、幼児のままでずっといればいいのにと思いますが、そうもいきません。自分の経験だと、ちびっこたちは、二歳半ぐらいのときの容姿がいちばんかわいい。
中居正広さんは、さいしょのうちは、めんどくさいひとだなあという印象がありましたが、しばらくみていて、ちゃんとした人だということがわかりました。少年のような、いたずらや、わるふざけはありますが、神経質なくらいきちんとしていて、仕事がていねいです。
中居さんが自分の欲しいものは、今はないそうです。物欲なし。金銭欲なしです。人から見られることを気にしなくて済むような自由な時間がほしいのかもしれません。
中居さんは食事のこだわりもありません。全国チェーンの食堂でもかまいません。バス旅のえびすよしかずさんに似ています。えびすさんは、どこに行っても、その土地の名物は食べないのが基本でした。カレーとか、ハンバーグとか、スパゲティとかを注文していました。えびすさんは、魚介類の生ものは食べることができない人でした。そこがまたおもしろかった。えびすさんは、奇人変人ではありますが、根が正直な善人です。
中居さんの行動は破天荒すぎる。(はてんこう:ふつう、やらないことをやる)。スタッフ一同からびゅーんと離れて、カメラのないところで、地元の人の家をピンポーンして、充電依頼をしてしまいます。ロケ番組として、肝心(かんじん。重要)なところの映像をとることができません。そして、中居さんは、おうちの人にひたすら、『スイマセン』を連発して頭を下げていました。
中居さんは、年功序列にこだわるところがあって、相手が自分より年下だとわかるといばります。芸能界ってそういう世界なのか。先輩後輩に序列が厳しそうです。
地元の人たちが出してくださる、『パインサイダー』と、『リンゴジュース』がありがたい。夏のロケのようで、気温が34℃と紹介があります。出川さんは汗だくです。
土方さん(ひじかたさん。ディレクター)は、あいかわらずです。自分がだれで、どんな役割なのかを中居さんにいつまでたっても自己紹介しないので、中居さんに、『あなたはだれですか?』とロケの途中で、質問されてしまいます。
土方さんを見ていると、土方さんは、あれで(仕事を)やれるのなら、自分でもやれるという自信を与えてくれる人です。土方さんは、ドジだけど、この番組には必要な人です。
大工道具を貸してくれたおとうさん、ありがとう。すごい。大工道具セットがしゅっと出てきました。
土方ディレクターが、充電先の家で踏んで割ってしまったウッドデッキの修繕をします。中居さんンのていねいな、のこぎりで板を切る作業に感心しました。(拍手です)
貸してくださったおとうさんの家は、畳屋さんだと聞き、その手際(てぎわ)の良さに納得しました。
蔵王温泉(ざおうおんせん)に向かう道は、すごい、いなか道です。
途中、充電先の家で、まるで、自分の家にいるようにくつろいで、テレビの野球中継を見ている中居さんでした。
あとで、そのお宅の娘さんたちの現在が映像に出ました。お嬢さんは、身長が34cmも伸びて、出川さんの背丈を追い抜き、161cmになったそうです。おうちは、ジンギスカンのお店をやってらっしゃるそうで、奥さんの、『よってけらっしゃーい』の山形弁に味わいがありました。
中居さんは、行く先々で、ファンの女性たちにさわられまくります。
旅館もいい旅館でした。
すごい。おしぼりの上に、レモンがのせてありました。
夜は、地元の居酒屋に行く出川さんと中居さんです。くだけています。
なのに、土方さんのチョンボで、映像が残っていません。カメラの使い方が間違っていたそうです。(まあ、いいか)
旅館で声をかけたアメリカ合衆国の兄弟の今が紹介されました。(すごい。氏名と住所を控えてあったのでしょう。撮影許可書への承認サインとかで)
アメリカ人の高校生が、『ヤバイよヤバイよとか、中居さんが当時ふたりに教えた「ド・ミ・ソー(ソーは、調子がはずれた高い音)」』を連呼してくれました。
その後、いっしょにおソバ屋で、お昼ご飯を食べたおばあさんの言葉が良かった。
『結婚は、クジみたいなもんだからね(89歳のおばあさんの言葉)』
(演者のだれかが)『(おばあさんは)当たった?』
『当たらなかった』
笑いました。
土方さんは、そのおソバ屋で、ラーメンを頼んで、麺をのどにつまらせてむせていました。当地お勧めの日本そばを頼まずにラーメンを頼みます。まあ、めちゃくちゃです。おもしろい。そのお店では、牛丼セットをはじめ、どれも大盛りで、あれだけボリュームがあればだれもが満足です。
予定調和というものがない番組です。出川さんが、この番組はひどい番組だと言います。たしか、東野&岡村の旅猿に出川さんがゲストで出演したときも、旅猿は、クソ番組だと出川さんは言っていました。
どちらもお上品な旅番組ではありません。
でも、まだ千鳥の旅番組である『相席食堂』よりはいいと思います。以前、相席食堂を観ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。
中居正広さんはスターです。女子たちが大喜びです。
昼間の露天風呂では、小学生の修学旅行状態のような演者たちでした。
みなさん、歳はとっていても意識は18歳ぐらいの少年です。
中居正広さんは、出川さんたちにあいさつなしで、途中で帰ってしまいました。次の仕事があるそうです。出川さんたちにはあいさつせずに内緒で帰りましたが、地元の人たちにはきちんとあいさつをして、いっしょに記念写真もとりました。(出川さんと中居さんは、翌日も別の番組でいっしょになると話していました)
目的地の神社までゴールしていないのに、途中で帰ってしまうゲストも珍しい。
なにか裏があるようで、ゴールの神社で米沢牛のすき焼きを食べることができると思っていたら、食べることは目的ではなかったそうです。それを聞いて、中居さんは帰ったのだろうと出川さんが推理をしていました。(米沢牛を食べるレストランがある神社がゴールということで、ゴールして、高価なすき焼きを食べるということではなかったそうです)
2024年03月19日
死刑にいたる病(やまい) 邦画
死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス
阿部サダヲさんの出る金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』を毎週楽しみにして観ています。アメリカ映画の『バックトゥザフューチャー』みたいに、昭和61年(1986年)と現在を行ったり来たりするタイムトラベルドラマです。
先日は、同じく阿部サダヲさんが出る邦画、『シャイロックの子供たち』を観ました。なかなか良かった。同じく、『謝罪の王様』も観ました。途中首をかしげるシーンも多々ありましたが、映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。
彼の主張があります。『罪は認めるが、最後の事件(26歳成人女性の死)は冤罪だ。(えんざいだ。自分は無実だ)。殺人犯が他にいることを証明してほしい』
そういう内容の手紙を書いて、刑務所から知り合いの大学法学部在籍中の雅也に調査を依頼します。雅也が弁護士事務所にアルバイトとして入り、推理と調査が始まります。
阿部サダヲさんはなんでも演じる人です。すごいなあ。いろいろな役をやるんだ。仕事は役者です。コメディもやるし、今回のような恐ろしい殺人犯の役もやります。映像の中に彼の狂気が散らばっています。阿部サダヲさんが演じる男は、一見(いっけん)心優しい善人なのですが、スイッチが入ると残虐な鬼になります。阿部サダヲさんの口調には説得力があります。自信満々です。
人生において自分も何度か現場で体験した火葬場風景から始まります。
映像では、雅也の祖母の葬式と火葬です。
頼りない雅也の母親の姿があります。自分でものごとを決められません。
雅也の父親は、Fクラスの大学に入った雅也を軽蔑しています。息子が三流大学だから恥ずかしい。
うまくいっていない家庭です。(Fクラス大学:受験すれば合格できるという、学力の低い者でも入れる大学。「F」は、ボーダーフリー(BF)のFからきている)
映画を観ながらこの感想を書いています。
この映画のメッセージは何だろう。
何を表現したいのだろう。
まあ、設定と経過には、いろいろつっこみどころはありますが、これは、映画です。
自分はつくり手の立場で映像を見るので、殺人シーンは怖く(こわく)ありません。
監督以下スタッフがカメラをにらんで撮影している様子を想像しながら見ます。光と影を駆使して(くしして)、殺人行為の残虐さを強く描いてあります。役者はじっさいに殺されるわけではなく、殺される人物を演じています。(監督が撮影中に、『カット!』といえば、殺された役の人は生き返り、「おなかすいた~ 休憩で、なに食べる~」なんて、言っているのだと思います)
ひどい殺し方です。この映画はひとりで観る映画です。生きている少年少女の爪をはいでから、じわりじわりと殺していきます。とうぜん叫び声が響き渡ります。
犯人は、脳みそに異常ありです。病(やまい)です。
ふと、思う。殺人鬼である阿部サダヲさんが演じる榛村(はいむら)は、親から虐待を受けていたのではないか。(その後、当たらずとも遠からじという展開になっていきました。なかなか自分は勘(かん)がいいとうぬぼれました)
BLTO:ベーコン、レタス、トマト、オレンジ。なお、殺人鬼の職業は、パン職人であり、パン屋の自営業です。少年少女にパンやジュースをおまけして、手なずけて犠牲者にする手法です。けしからん奴です。
何かしら、学歴偏重(かたよった学歴重視)の意識が、映画の底辺にあります。
いまどきは、行かなくてもいい人まで大学に行くようになりました。
昔は、お金がなければ、大学進学はあきらめて就職しました。
働いて、お金を貯めてから会社を辞めて、大学に入学する人もいました。
夜間の大学や定時制高校に行く人も多かった。
そんな人たちが中小企業に入って、がんばってまじめに働いて、サービス残業みたいな長時間労働をがまんしてやって、日本の社会を支えていました。堅実(けんじつ。てがたく、まじめに)に働く労働者にとっては、職場が家でした。
いまどきは、学力がなくても大学に行くのか……
また、いらぬことを書いてしまいます。
60歳を過ぎたら、学歴は関係ありません。義務教育だけで卒業の人でも、老後を迎えて経済的に豊かな人はいます。社会においては、学力だけで豊かになれるものではありません。本人の才能と努力、人間関係という周囲の支えがいります。老後は、本人のそれまでの人生の成果です。だれかに評価してもらうようなものでもありません。
どうして目的がないのに、なんとなくとか、みんなが行くからとか、とりあえずという理由で大学に行くのだろう。人にもまれて働きたくないから、勉強を口実(こうじつ。理由付け)にして、労働から逃げているように見えます。資格取得など、学習目的がない大学生は、合法的な失業者です。
ムダなお金を、大学を始めとした教育関係の法人組織に払うよりも(親のカネとか奨学金とかで)、自分が働いて稼いだお金で、自分が食べたいものを食べて、自分が着たい洋服を着て、自分が行きたいところへ旅に出たほうが、気持ちがすっきりします。
あわせて、返済のめどがつかない借金(奨学金)はつくらないほうがいい。お金というものは、貸してもらうよりも、まずは、自分で稼ぐ(かせぐ)ものです。
映像では、いろいろ複雑な事情が、雅也探偵の調査で、明らかになっていきます。
『暗示』があります。殺人鬼は、人を操作する能力に長けているのです。(たけている。能力が高い)。人がいいとだまされます。殺人鬼のくちびるから出てくる言葉は、すべてウソだと決めつけたほうがいい。
洋画『羊たちの沈黙』の雰囲気があります。殺人鬼の話でした。精神科医で殺人鬼の人物が出ていました。
児童虐待の映画でした。(やっぱり)
ふーっ。(内容が)重たいなあ。
殺人鬼は、人心をつかむことがうまい。味方のようにふるまって、実は相手を、殺人の対象者候補にリストアップしている。逃げたくなったらいつでもおいでと声をかけて、殺人の餌食(えじき)にする。なんだか、最近のSNSで少女をおびきだす事件を連想させます。
あっちもこっちも児童虐待だらけです。
ひどいことをする親がいます。加害者が継父というパターンもあるでしょう。
こどもの心は壊れていきます。自傷行為があります。壁土を食べます。
なんて、暗い内容の映画だろう。救いの光が見えない。ラストで光が見えるのだろうか。
幻想の世界に入っていきます。
だれがだれを殺したのか、混乱があります。
狂気をもった人間がいます。
暗示と催眠術があります。病んでいる。(やんでいる)
犯行の手法は、現実には無理です。これは、映画です。
親から抑圧(よくあつ)されたこどもは、自尊心(プライド。自分が自分であることの誇り(ほこり)。自意識(自分のことは自分で決める)。自信)が低い。いたわってあげれば、こちらになつく。なついたら、利用する。そんな流れです。自己否定があるのかもしれません。虐待されたこどもは、虐待する親を責めずに、自分を責める。自分がだめだから、親が怒って自分を虐待すると考える。
殺人鬼の言葉です。『信頼関係を築いてから、いたぶる。(おどかして、いじめぬく)。ぼくは、そういうふうにしか人と付き合えない』。そんな人と結婚したら、おおごとになります。
まあ、つくり話です。説得力はありません。まあ、映画です。
阿部サダヲさんは、怖い殺人鬼をじょうずに演じていました。また、殺人鬼と対等にやりあう大学生を演じた俳優さんも良かった。(改名されているようです。岡田健史さん→水上恒司さん)
『こっち側(殺人で死刑判決を受けて服役)に来たら、もう戻れないよ』。最近簡単に殺人事件が起きます。人生でとりかえしがつかないのが、自殺と殺人です。カッとなっていらぬ行動をしてしまう前によく考えたほうがいい。自分の思いどおりにならない相手に対して、表面には出さないけれど、仕返ししてやりたいと思っている人はいます。されど、実行する人はほとんどいません。一時的な憂さ晴らしができても(うさばらし。気晴らし(きばらし))、そのあとで失うものは大きい。
思いつめると発狂します。気持ち60%ぐらいで、そのことはあきらめるという選択肢の気持ちを40%ぐらい残しておいたほうがいい。気持ちの余裕とか、寛容です。まあいいかです。そのうちいいこともあるだろうと淡い(あわい)期待をもちます。
ラストは、びっくりシーンなのでしょうが、わたしの心には響きませんでした。
タイトルクレジット(映画の最後に流れる文字群)を見ていて、原作が、櫛木理宇さんであることを知りました。ホラー小説を書かれる方です。以前一冊読んだことがあります。
『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』。以下は感想の一部です。
読んでいる途中も、読み終えても、気持ちが晴れる内容ではありません。ある日、男児が家に迷い込む、しばらくしてその母親という女が家に入りこむ、というようにして、家を乗っ取られていく物語です。DVとか虐待とかが下地にあって、とある国のような洗脳(思考をコントロールされる)とか互いを監視し合う手法が記載されています。皆川ファミリーが崩壊していきます。けっこう恐ろしい(おそろしい)内容です。
阿部サダヲさんの出る金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』を毎週楽しみにして観ています。アメリカ映画の『バックトゥザフューチャー』みたいに、昭和61年(1986年)と現在を行ったり来たりするタイムトラベルドラマです。
先日は、同じく阿部サダヲさんが出る邦画、『シャイロックの子供たち』を観ました。なかなか良かった。同じく、『謝罪の王様』も観ました。途中首をかしげるシーンも多々ありましたが、映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。
彼の主張があります。『罪は認めるが、最後の事件(26歳成人女性の死)は冤罪だ。(えんざいだ。自分は無実だ)。殺人犯が他にいることを証明してほしい』
そういう内容の手紙を書いて、刑務所から知り合いの大学法学部在籍中の雅也に調査を依頼します。雅也が弁護士事務所にアルバイトとして入り、推理と調査が始まります。
阿部サダヲさんはなんでも演じる人です。すごいなあ。いろいろな役をやるんだ。仕事は役者です。コメディもやるし、今回のような恐ろしい殺人犯の役もやります。映像の中に彼の狂気が散らばっています。阿部サダヲさんが演じる男は、一見(いっけん)心優しい善人なのですが、スイッチが入ると残虐な鬼になります。阿部サダヲさんの口調には説得力があります。自信満々です。
人生において自分も何度か現場で体験した火葬場風景から始まります。
映像では、雅也の祖母の葬式と火葬です。
頼りない雅也の母親の姿があります。自分でものごとを決められません。
雅也の父親は、Fクラスの大学に入った雅也を軽蔑しています。息子が三流大学だから恥ずかしい。
うまくいっていない家庭です。(Fクラス大学:受験すれば合格できるという、学力の低い者でも入れる大学。「F」は、ボーダーフリー(BF)のFからきている)
映画を観ながらこの感想を書いています。
この映画のメッセージは何だろう。
何を表現したいのだろう。
まあ、設定と経過には、いろいろつっこみどころはありますが、これは、映画です。
自分はつくり手の立場で映像を見るので、殺人シーンは怖く(こわく)ありません。
監督以下スタッフがカメラをにらんで撮影している様子を想像しながら見ます。光と影を駆使して(くしして)、殺人行為の残虐さを強く描いてあります。役者はじっさいに殺されるわけではなく、殺される人物を演じています。(監督が撮影中に、『カット!』といえば、殺された役の人は生き返り、「おなかすいた~ 休憩で、なに食べる~」なんて、言っているのだと思います)
ひどい殺し方です。この映画はひとりで観る映画です。生きている少年少女の爪をはいでから、じわりじわりと殺していきます。とうぜん叫び声が響き渡ります。
犯人は、脳みそに異常ありです。病(やまい)です。
ふと、思う。殺人鬼である阿部サダヲさんが演じる榛村(はいむら)は、親から虐待を受けていたのではないか。(その後、当たらずとも遠からじという展開になっていきました。なかなか自分は勘(かん)がいいとうぬぼれました)
BLTO:ベーコン、レタス、トマト、オレンジ。なお、殺人鬼の職業は、パン職人であり、パン屋の自営業です。少年少女にパンやジュースをおまけして、手なずけて犠牲者にする手法です。けしからん奴です。
何かしら、学歴偏重(かたよった学歴重視)の意識が、映画の底辺にあります。
いまどきは、行かなくてもいい人まで大学に行くようになりました。
昔は、お金がなければ、大学進学はあきらめて就職しました。
働いて、お金を貯めてから会社を辞めて、大学に入学する人もいました。
夜間の大学や定時制高校に行く人も多かった。
そんな人たちが中小企業に入って、がんばってまじめに働いて、サービス残業みたいな長時間労働をがまんしてやって、日本の社会を支えていました。堅実(けんじつ。てがたく、まじめに)に働く労働者にとっては、職場が家でした。
いまどきは、学力がなくても大学に行くのか……
また、いらぬことを書いてしまいます。
60歳を過ぎたら、学歴は関係ありません。義務教育だけで卒業の人でも、老後を迎えて経済的に豊かな人はいます。社会においては、学力だけで豊かになれるものではありません。本人の才能と努力、人間関係という周囲の支えがいります。老後は、本人のそれまでの人生の成果です。だれかに評価してもらうようなものでもありません。
どうして目的がないのに、なんとなくとか、みんなが行くからとか、とりあえずという理由で大学に行くのだろう。人にもまれて働きたくないから、勉強を口実(こうじつ。理由付け)にして、労働から逃げているように見えます。資格取得など、学習目的がない大学生は、合法的な失業者です。
ムダなお金を、大学を始めとした教育関係の法人組織に払うよりも(親のカネとか奨学金とかで)、自分が働いて稼いだお金で、自分が食べたいものを食べて、自分が着たい洋服を着て、自分が行きたいところへ旅に出たほうが、気持ちがすっきりします。
あわせて、返済のめどがつかない借金(奨学金)はつくらないほうがいい。お金というものは、貸してもらうよりも、まずは、自分で稼ぐ(かせぐ)ものです。
映像では、いろいろ複雑な事情が、雅也探偵の調査で、明らかになっていきます。
『暗示』があります。殺人鬼は、人を操作する能力に長けているのです。(たけている。能力が高い)。人がいいとだまされます。殺人鬼のくちびるから出てくる言葉は、すべてウソだと決めつけたほうがいい。
洋画『羊たちの沈黙』の雰囲気があります。殺人鬼の話でした。精神科医で殺人鬼の人物が出ていました。
児童虐待の映画でした。(やっぱり)
ふーっ。(内容が)重たいなあ。
殺人鬼は、人心をつかむことがうまい。味方のようにふるまって、実は相手を、殺人の対象者候補にリストアップしている。逃げたくなったらいつでもおいでと声をかけて、殺人の餌食(えじき)にする。なんだか、最近のSNSで少女をおびきだす事件を連想させます。
あっちもこっちも児童虐待だらけです。
ひどいことをする親がいます。加害者が継父というパターンもあるでしょう。
こどもの心は壊れていきます。自傷行為があります。壁土を食べます。
なんて、暗い内容の映画だろう。救いの光が見えない。ラストで光が見えるのだろうか。
幻想の世界に入っていきます。
だれがだれを殺したのか、混乱があります。
狂気をもった人間がいます。
暗示と催眠術があります。病んでいる。(やんでいる)
犯行の手法は、現実には無理です。これは、映画です。
親から抑圧(よくあつ)されたこどもは、自尊心(プライド。自分が自分であることの誇り(ほこり)。自意識(自分のことは自分で決める)。自信)が低い。いたわってあげれば、こちらになつく。なついたら、利用する。そんな流れです。自己否定があるのかもしれません。虐待されたこどもは、虐待する親を責めずに、自分を責める。自分がだめだから、親が怒って自分を虐待すると考える。
殺人鬼の言葉です。『信頼関係を築いてから、いたぶる。(おどかして、いじめぬく)。ぼくは、そういうふうにしか人と付き合えない』。そんな人と結婚したら、おおごとになります。
まあ、つくり話です。説得力はありません。まあ、映画です。
阿部サダヲさんは、怖い殺人鬼をじょうずに演じていました。また、殺人鬼と対等にやりあう大学生を演じた俳優さんも良かった。(改名されているようです。岡田健史さん→水上恒司さん)
『こっち側(殺人で死刑判決を受けて服役)に来たら、もう戻れないよ』。最近簡単に殺人事件が起きます。人生でとりかえしがつかないのが、自殺と殺人です。カッとなっていらぬ行動をしてしまう前によく考えたほうがいい。自分の思いどおりにならない相手に対して、表面には出さないけれど、仕返ししてやりたいと思っている人はいます。されど、実行する人はほとんどいません。一時的な憂さ晴らしができても(うさばらし。気晴らし(きばらし))、そのあとで失うものは大きい。
思いつめると発狂します。気持ち60%ぐらいで、そのことはあきらめるという選択肢の気持ちを40%ぐらい残しておいたほうがいい。気持ちの余裕とか、寛容です。まあいいかです。そのうちいいこともあるだろうと淡い(あわい)期待をもちます。
ラストは、びっくりシーンなのでしょうが、わたしの心には響きませんでした。
タイトルクレジット(映画の最後に流れる文字群)を見ていて、原作が、櫛木理宇さんであることを知りました。ホラー小説を書かれる方です。以前一冊読んだことがあります。
『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』。以下は感想の一部です。
読んでいる途中も、読み終えても、気持ちが晴れる内容ではありません。ある日、男児が家に迷い込む、しばらくしてその母親という女が家に入りこむ、というようにして、家を乗っ取られていく物語です。DVとか虐待とかが下地にあって、とある国のような洗脳(思考をコントロールされる)とか互いを監視し合う手法が記載されています。皆川ファミリーが崩壊していきます。けっこう恐ろしい(おそろしい)内容です。
2024年03月14日
謝罪の王様 邦画 2013年
謝罪の王様 邦画 2013年(平成25年) 2時間8分 動画配信サービス
金曜日夜のドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週楽しみにして観ています。
主役の阿部サダヲさんが、こちらの映画の主役と知り、観てみました。
脚本は、宮藤官九郎さんで、さきほどの不適切のドラマとも重なります。
阿部サダヲさんの演技、言動のやり方は、両方の映像とも同じで安定感がありました。
阿部サダヲさんは、『東京謝罪センター』という会社の黒島譲(くろしま・ゆずる)を演じます。所長です。
相談者の女性や男性が、東京謝罪センターのスタッフに加わっていくような流れで人が増えていきます。
CASE1(ケース1) 倉持典子
甘やかされて育った帰国子女の若い女性です。
行動は豪快です。反社会の人たちともめます。マル暴の人の車に自分の車をぶつけます。
土下座(どげざ)がクローズアップされます。土下座の映画です。
CASE2 沼田卓也
セクハラ行為をして、裁判に訴えられた若い男です。
BGM(バックグラウンドミュージック)がいい感じです。
ピッタリ合っています。
謝罪のしかたのマニュアル(手引き)です。
①相手に誠意をみせる。
②相手の言い分をしっかり聴いて、相手の目を見て、あいづちを打つ。
③相手をほめまくる。
④目上の人に同席してもらい、サポートしてもらう。
う~む。映像を観ていて、なんだかくだらない内容に思えてきました。
CASE3 南部哲郎・檀乃はる香
離婚寸前の俳優夫婦です。
このへんから伏線が出てきます。(後半で、感動を生む種)
アメリカニューヨークにある「自由の女神」のわき毛がボウボウというようなセリフです。
3歳半のノンちゃんという女の子が、そのセリフを延々と言い続けます。
CASE4 箕輪正臣(みのわ・まさおみ。国際弁護士)
少人数の演劇を観ているようです。(後半の王国シーンでは、群衆演劇となります)
箕輪正臣は、娘が6歳のときに離婚したそうです。娘に手を上げた(ひっぱたいた)ことがある。そのことを後悔している。娘にあやまりたいそうです。
箕輪正臣は、アメリカニューヨークマンハッタンのアパートに家族3人で暮らしていたとき、3歳半の娘ノンちゃんをたたいたそうです。
箕輪正臣は、カレーライスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜて食べる癖があります。(これもまた伏線です)
CASE5 和田耕作
俳優の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんが出てきたのでびっくりしました。昨年再放送された、『あまちゃん』の登場人物の役で楽しみました。その後、ご本人を見たくて、東京下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』で行われる公演を観に行こうとしましたが、とても人気があってチケットをとれませんでした。
映像を観て、荒川良々さんは、体の大きい人なんだなあとびっくりしました。
こちらの映画では、映画のプロデューサーという役で出ておられました。映画の内容のことで、マンタン王国という国から抗議を受けて悩んでおられるのです。王国への謝罪が必要だそうです。(もうこのあたりから、現実味のない話になっていきます。脳みその働きがついていくのに、ちょっとつらくなりました)
この映画は、ギャグコメディ映画です。
シーンが、重なっているわけか。
おもしろい。
ドラマ『不適切にもほどがある』と似たパターンの映像づくりもあります。
濱田岳さんの演技がおもしろい。じょうずです。
彼のくちぐせが、『だいたい、心配ない。』。『だいたい』が強調されて、繰り返されます。いい感じです。
映像を観ていて、撮影地であるこの場所は見たことがある場所だと思いました。
映画の最後に流れるクレジット(関係者紹介の表記文字)に、『名古屋市市政資料館』とありました。ああやっぱりと思いました。二階にあがる階段とか、廊下とか、かなり古い文化的な建物です。たしか半世紀ぐらい前は、家庭裁判所だったという記憶があります。
そのほかに、ロケ地として愛知県犬山市にある明治村もクレジットに出ていました。どのシーンだったのかは気づけませんでした。
三島という日本兵を描いた、『ビルマの竪琴(たてごと)』みたいなシーンがありました。
CASE6 黒島譲
土下座(どげざ)という行為を自分は好みません。出川哲朗さんの充電バイクの旅でも、出川チームが少年野球で負けると、少年たちに土下座しますが、やめたほうがいいと思っています。
人間の人格を否定するような謝罪のしかたです。
映画では、所長(阿部サダヲ)さんが、土下座にこだわるようになった歴史を、彼のこども時代にさかのぼって説明があるのですが、まあ、なんとも、理由にならないような理由です。(実家の旅館にあった露天風呂でザリガニ50匹を育てようとしたら、全部ゆだって死んでしまったことを土下座して謝った。下からみんなの顔を見上げたら、全員の視線が自分の背中に集中していて、それが快感だった。そんな流れの説明でした。まあ、なんだか、わかりません。
ラーメン店での接客トラブルの話が出ます。
店員のお湯切り(麺から(めんから)湯を切る)のとき、熱い湯が客である阿部サダヲさんにかかります。店員はそのことに気づかず謝りません。
阿部サダヲさんの怒りに対して、店の代表者たちは謝りますが、加害者は阿部サダヲさんに謝らず店を辞めてしまいました。
その後、店はつぶれたそうです。
阿部サダヲさんは、ただ、『ごめんなさい』が聞きたかっただけだそうです。(このへんのくだり(話)は、その話を映画のここにもってくる必要性がわかりません)
太川陽介さんと路線バス鬼ごっこで対決するEXILE(エグザイル)の松本利夫さんが出てきたのでびっくりしました。映像の中のシーンで、いっぱいダンスをされていました。
映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
3歳半の女児の思い出もなかなかいい。
言葉で意思を伝え合うことはだいじです。
金曜日夜のドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週楽しみにして観ています。
主役の阿部サダヲさんが、こちらの映画の主役と知り、観てみました。
脚本は、宮藤官九郎さんで、さきほどの不適切のドラマとも重なります。
阿部サダヲさんの演技、言動のやり方は、両方の映像とも同じで安定感がありました。
阿部サダヲさんは、『東京謝罪センター』という会社の黒島譲(くろしま・ゆずる)を演じます。所長です。
相談者の女性や男性が、東京謝罪センターのスタッフに加わっていくような流れで人が増えていきます。
CASE1(ケース1) 倉持典子
甘やかされて育った帰国子女の若い女性です。
行動は豪快です。反社会の人たちともめます。マル暴の人の車に自分の車をぶつけます。
土下座(どげざ)がクローズアップされます。土下座の映画です。
CASE2 沼田卓也
セクハラ行為をして、裁判に訴えられた若い男です。
BGM(バックグラウンドミュージック)がいい感じです。
ピッタリ合っています。
謝罪のしかたのマニュアル(手引き)です。
①相手に誠意をみせる。
②相手の言い分をしっかり聴いて、相手の目を見て、あいづちを打つ。
③相手をほめまくる。
④目上の人に同席してもらい、サポートしてもらう。
う~む。映像を観ていて、なんだかくだらない内容に思えてきました。
CASE3 南部哲郎・檀乃はる香
離婚寸前の俳優夫婦です。
このへんから伏線が出てきます。(後半で、感動を生む種)
アメリカニューヨークにある「自由の女神」のわき毛がボウボウというようなセリフです。
3歳半のノンちゃんという女の子が、そのセリフを延々と言い続けます。
CASE4 箕輪正臣(みのわ・まさおみ。国際弁護士)
少人数の演劇を観ているようです。(後半の王国シーンでは、群衆演劇となります)
箕輪正臣は、娘が6歳のときに離婚したそうです。娘に手を上げた(ひっぱたいた)ことがある。そのことを後悔している。娘にあやまりたいそうです。
箕輪正臣は、アメリカニューヨークマンハッタンのアパートに家族3人で暮らしていたとき、3歳半の娘ノンちゃんをたたいたそうです。
箕輪正臣は、カレーライスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜて食べる癖があります。(これもまた伏線です)
CASE5 和田耕作
俳優の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんが出てきたのでびっくりしました。昨年再放送された、『あまちゃん』の登場人物の役で楽しみました。その後、ご本人を見たくて、東京下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』で行われる公演を観に行こうとしましたが、とても人気があってチケットをとれませんでした。
映像を観て、荒川良々さんは、体の大きい人なんだなあとびっくりしました。
こちらの映画では、映画のプロデューサーという役で出ておられました。映画の内容のことで、マンタン王国という国から抗議を受けて悩んでおられるのです。王国への謝罪が必要だそうです。(もうこのあたりから、現実味のない話になっていきます。脳みその働きがついていくのに、ちょっとつらくなりました)
この映画は、ギャグコメディ映画です。
シーンが、重なっているわけか。
おもしろい。
ドラマ『不適切にもほどがある』と似たパターンの映像づくりもあります。
濱田岳さんの演技がおもしろい。じょうずです。
彼のくちぐせが、『だいたい、心配ない。』。『だいたい』が強調されて、繰り返されます。いい感じです。
映像を観ていて、撮影地であるこの場所は見たことがある場所だと思いました。
映画の最後に流れるクレジット(関係者紹介の表記文字)に、『名古屋市市政資料館』とありました。ああやっぱりと思いました。二階にあがる階段とか、廊下とか、かなり古い文化的な建物です。たしか半世紀ぐらい前は、家庭裁判所だったという記憶があります。
そのほかに、ロケ地として愛知県犬山市にある明治村もクレジットに出ていました。どのシーンだったのかは気づけませんでした。
三島という日本兵を描いた、『ビルマの竪琴(たてごと)』みたいなシーンがありました。
CASE6 黒島譲
土下座(どげざ)という行為を自分は好みません。出川哲朗さんの充電バイクの旅でも、出川チームが少年野球で負けると、少年たちに土下座しますが、やめたほうがいいと思っています。
人間の人格を否定するような謝罪のしかたです。
映画では、所長(阿部サダヲ)さんが、土下座にこだわるようになった歴史を、彼のこども時代にさかのぼって説明があるのですが、まあ、なんとも、理由にならないような理由です。(実家の旅館にあった露天風呂でザリガニ50匹を育てようとしたら、全部ゆだって死んでしまったことを土下座して謝った。下からみんなの顔を見上げたら、全員の視線が自分の背中に集中していて、それが快感だった。そんな流れの説明でした。まあ、なんだか、わかりません。
ラーメン店での接客トラブルの話が出ます。
店員のお湯切り(麺から(めんから)湯を切る)のとき、熱い湯が客である阿部サダヲさんにかかります。店員はそのことに気づかず謝りません。
阿部サダヲさんの怒りに対して、店の代表者たちは謝りますが、加害者は阿部サダヲさんに謝らず店を辞めてしまいました。
その後、店はつぶれたそうです。
阿部サダヲさんは、ただ、『ごめんなさい』が聞きたかっただけだそうです。(このへんのくだり(話)は、その話を映画のここにもってくる必要性がわかりません)
太川陽介さんと路線バス鬼ごっこで対決するEXILE(エグザイル)の松本利夫さんが出てきたのでびっくりしました。映像の中のシーンで、いっぱいダンスをされていました。
映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
3歳半の女児の思い出もなかなかいい。
言葉で意思を伝え合うことはだいじです。
2024年03月12日
イチケイのカラス 邦画 2023年
イチケイのカラス 邦画 2023年(令和5年) 1時間58分 動画配信サービス
同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。
タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。
登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。
始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。
黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。
内容は、う~むというものでした。
あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。
町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。
昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。
また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。
小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。
わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。
しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。
映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。
裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。
『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。
正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。
娯楽作品にしては、内容が暗かった。
最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。
言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。
青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。
マンガ本を読んでいるようでもありました。
映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。
ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。
BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。
国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。
立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。
工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。
『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです)
立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。
裁判官が変えられてしまいました。
基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。
緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。
お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。
町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。
弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか)
根っこが違うような気がします。
今回の題材は、『正義』の話ではありません。
法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。
頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない)
船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。
汚染物質は、有機フッ素化合物です。
裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。
国益って何だろう。
便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった)
う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。
同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。
タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。
登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。
始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。
黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。
内容は、う~むというものでした。
あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。
町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。
昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。
また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。
小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。
わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。
しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。
映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。
裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。
『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。
正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。
娯楽作品にしては、内容が暗かった。
最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。
言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。
青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。
マンガ本を読んでいるようでもありました。
映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。
ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。
BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。
国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。
立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。
工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。
『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです)
立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。
裁判官が変えられてしまいました。
基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。
緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。
お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。
町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。
弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか)
根っこが違うような気がします。
今回の題材は、『正義』の話ではありません。
法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。
頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない)
船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。
汚染物質は、有機フッ素化合物です。
裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。
国益って何だろう。
便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった)
う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。
2024年03月11日
東野&岡村の旅猿24 福岡でくっきー!の旅
東野&岡村の旅猿24 プライベートでごめんなさい 福岡でくっきー!の考えたやりたい事をやろうの旅 hulu(フールー)
映像に出てくる寺院で、大きな仏様が横になって、右手で頭を支えている像は、以前、車の中から何度か見たことがあります。
鉄道の車窓からではなかった記憶です。鉄道だと、『福北ゆたか線(わたしが中高生のときに利用していた昔は、「篠栗線ささぐりせん」と言っていた記憶です。福北ゆたか線の意味は、福岡から北九州ということでしょう)』、寝ている仏像を見ることができるのは、道路のほうで、八木山峠(やきやまとうげ)ではないほうのルートで(八木山バイパス)、トンネルをくぐって博多方向だと右手、反対向きに走れば左手方向に、里山の中腹に、寝そべった仏像が見えました。
その場所に(南蔵院涅槃像なんぞういんねはんぞう)に到着した時に、くっきーさんが、自分はここに来たことがあると、初めてそのことに気づいたように発言したことが不可解でした。
くっきーさんのお勧めで、旅猿レギュラーのふたりをこの場所にという流れだったので、かんじんのくっきーさんがそこに行くことを知らないということはおかしいわけで、思うに、くっきーさんは、パワースポットに行きたいという希望をスタッフに言っただけで、場所はスタッフが探したという経過なのだろうと思ったのでした。
寺院で時間を過ごしたあと、元芸人だった人が自営でやっているラーメン店を訪れました。
おいしい博多ラーメンでした。
店長さんも含めて、みなさん仲がいい。にぎやかでいい雰囲気でした。
岡村隆史さんが、この仕事を80歳ぐらいまではやりたい。そのために健康でいたい。そんな話をされました。80歳までほぼ健康でいることは、けっこうむずかしいです。
次回は、理容室へ行って、くっきーさんが、ユニークな(独特な)ヘアカットをしてもらうようです。
(つづく)
あいにくの雨空が続きます。
岡村隆史さんの運転で移動します。レンタカーです。
理髪店を訪れて、三人で散髪です。
くっきーさんが、フライパンがのっているようなヘアスタイルにしました。
頭のてんぺんだけ髪の毛を丸くする。
仕上げのときに、くっきーさんの頭に、金属のボウル(台所用品)をかぶせて整えます。びっくりしました。キャラ弁当みたいなヘアスタイル(海苔がのっている)と東野さんが冷やかします。
髪型の話をする三人は、小学生の坊主たちのような会話です。にぎやかな笑いが続きます。髪の色とかヘアスタイルの話です。
バリカンで短くした部分は、さわると気持ちよさそうです。
なんといいますか、芸人さんのヘアスタイルです。
次は、くっきーさんが、にがてな納豆を食べることに挑戦です。
催眠術師が出てきて、くっきーさんに催眠術をかけて、目の前の納豆パスタに挑戦しましたが、失敗しました。やっぱり食べられないそうです。まあ、そんなもんでしょう。
納豆を、くっきーさんが好きな「ごぼう」と錯覚させようとする催眠術でした。
くっきーさん『ああ、ダメダ(食べられない)』(見ていて、なんじゃらほいでした)
(つづく)
最終話になりました。
DIY(ドゥ・イット・ヨアセルフ)です。工房にて、自作で木製のイスをつくります。そのあと夕食として、焼き鳥のお店に行き、とりかわをつまみにビールをくみかわします。たぶん、ロケが終わると、福岡空港から羽田空港へ飛行機で移動するのでしょう。お疲れさまです。
熊太郎は、自分が中学生のときに、技術・家庭科の授業で木製のイスを手づくりしたことを思い出しました。自分は変わり者だったので、学校で配布される標準的な材料を使わず、自分で設計図をつくって、地元の材木屋さんに頼んで部品となる木材の板などをつくってもらって、授業で組み立てて提出しました。何人かがそういう手法をとりました。先生はOKしてくれました。板のお金は自分のお金で払ったという記憶です。そんなに高くなかった。
イスづくりでは、『ビートルズ』→『(くっきーさんが描いた絵が)笑点の大喜利(おおぎり)でざぶとん運びをしている山田隆夫さんの似顔絵だった』→『ずうとるび』の流れの話がおもしろかった。笑いました。そのことがわかるのは年配者です。
くっきーさんは、まじめな人でした。
こだわりが強い。好き嫌いがある。
東野・岡村さんのおふたりは、くっきーさんに、ぜひまた出演してほしいと依頼していました。
くっきーさんは、名古屋の『ひつまぶし(ウナギのかば焼きを細かく切ってあります)』を1日のうちに何回も食べて、ひつまぶしの食べ比べをしたいそうです。その提案には、岡村さんが難色を示していました。
放送される旅猿の映像をよく見ていると、ロケ先の食事では、東野さんも岡村さんも意図的に食べ残しをしている気配があります。健康管理のためでしょう。毎日おいしいものをたくさん食べていたら体に良くないでしょう。自分は見ていませんが、岡村さんは、ゴチになりますという番組で、高級料理を食べておられます。ぜいたくは、体には毒なときもあります。
くっきーさんは、名古屋のひつまぶし食べ比べが無理なら、次回は、山の中でモンスターカーを運転したいそうです。車の運転が好きだそうです。またいつかその姿を見られるかもしれません。
(その後)
テレビ番組『アメトーク』のゲストでくっきーさんが出ているのを見ました。
そのときのテーマは、『幼馴染と組んでる芸人(おさななじみとくんでるげいにん)』でした。おもしろかった。
みなさんのやりとりを見ていて、くっきーさんは、心優しい人で、笑いを生むための声かけがじょうずな人であることがわかりました。ごつい見た目と人間の中身は違います。
(さらにその後)
先日、日曜日夕方の番組、『笑点』を見ていて気づいたことがあります。
旅猿福岡編のなかで、くっきーさんがチャレンジしたヘアスタイルは、笑点の桂宮治(かつら・みやじ)さんのヘアスタイルと似ています。
(追記です。福北ゆたか線(篠栗線)駅のこと)
2024年(令和6年)6月末から7月初めにかけて用事があって、ひとりで福岡県を訪れました。
この番組で紹介されていた涅槃像(ねはんぞう)の近くにある駅で列車が停車しているときに、この番組のことを思い出しました。
あいにくの雨でしたが、そういえば、番組の時も雨が降っていました。
列車の車内は外国の人が多い。観光客というよりも、この路線沿線に住んで、働いてという人が多いように感じました。男性もいるし、女性もいます。
東南アジア系の人、中近東の人、米国人、フィリピン人、ブラジル人、外国の人はよくしゃべります。話し声が多い。こどもさんもいます。もちろん日本人のおじいさんもいます。車内はそれほど混んでおらず、おじいさんは、ポテトチップをつまみながら缶ビールを楽しんでおられました。
大都市部を走る車両と違って、気持ちがのんびりゆったりできるのがいい。
(追記 2024年(令和6年)9月)
用事があって福岡県を訪れたおりに、旅猿の映像で見た横になっている大仏さんを見学してきました。
恐くて(こわくて)、厳しそうな表情をしているのかと思って行きましたが、とてもお優しい(やさしい)表情で、心がほっとしました。
現地は大仏前の広場が工事中でしたが、よく見えました。
映像に出てくる寺院で、大きな仏様が横になって、右手で頭を支えている像は、以前、車の中から何度か見たことがあります。
鉄道の車窓からではなかった記憶です。鉄道だと、『福北ゆたか線(わたしが中高生のときに利用していた昔は、「篠栗線ささぐりせん」と言っていた記憶です。福北ゆたか線の意味は、福岡から北九州ということでしょう)』、寝ている仏像を見ることができるのは、道路のほうで、八木山峠(やきやまとうげ)ではないほうのルートで(八木山バイパス)、トンネルをくぐって博多方向だと右手、反対向きに走れば左手方向に、里山の中腹に、寝そべった仏像が見えました。
その場所に(南蔵院涅槃像なんぞういんねはんぞう)に到着した時に、くっきーさんが、自分はここに来たことがあると、初めてそのことに気づいたように発言したことが不可解でした。
くっきーさんのお勧めで、旅猿レギュラーのふたりをこの場所にという流れだったので、かんじんのくっきーさんがそこに行くことを知らないということはおかしいわけで、思うに、くっきーさんは、パワースポットに行きたいという希望をスタッフに言っただけで、場所はスタッフが探したという経過なのだろうと思ったのでした。
寺院で時間を過ごしたあと、元芸人だった人が自営でやっているラーメン店を訪れました。
おいしい博多ラーメンでした。
店長さんも含めて、みなさん仲がいい。にぎやかでいい雰囲気でした。
岡村隆史さんが、この仕事を80歳ぐらいまではやりたい。そのために健康でいたい。そんな話をされました。80歳までほぼ健康でいることは、けっこうむずかしいです。
次回は、理容室へ行って、くっきーさんが、ユニークな(独特な)ヘアカットをしてもらうようです。
(つづく)
あいにくの雨空が続きます。
岡村隆史さんの運転で移動します。レンタカーです。
理髪店を訪れて、三人で散髪です。
くっきーさんが、フライパンがのっているようなヘアスタイルにしました。
頭のてんぺんだけ髪の毛を丸くする。
仕上げのときに、くっきーさんの頭に、金属のボウル(台所用品)をかぶせて整えます。びっくりしました。キャラ弁当みたいなヘアスタイル(海苔がのっている)と東野さんが冷やかします。
髪型の話をする三人は、小学生の坊主たちのような会話です。にぎやかな笑いが続きます。髪の色とかヘアスタイルの話です。
バリカンで短くした部分は、さわると気持ちよさそうです。
なんといいますか、芸人さんのヘアスタイルです。
次は、くっきーさんが、にがてな納豆を食べることに挑戦です。
催眠術師が出てきて、くっきーさんに催眠術をかけて、目の前の納豆パスタに挑戦しましたが、失敗しました。やっぱり食べられないそうです。まあ、そんなもんでしょう。
納豆を、くっきーさんが好きな「ごぼう」と錯覚させようとする催眠術でした。
くっきーさん『ああ、ダメダ(食べられない)』(見ていて、なんじゃらほいでした)
(つづく)
最終話になりました。
DIY(ドゥ・イット・ヨアセルフ)です。工房にて、自作で木製のイスをつくります。そのあと夕食として、焼き鳥のお店に行き、とりかわをつまみにビールをくみかわします。たぶん、ロケが終わると、福岡空港から羽田空港へ飛行機で移動するのでしょう。お疲れさまです。
熊太郎は、自分が中学生のときに、技術・家庭科の授業で木製のイスを手づくりしたことを思い出しました。自分は変わり者だったので、学校で配布される標準的な材料を使わず、自分で設計図をつくって、地元の材木屋さんに頼んで部品となる木材の板などをつくってもらって、授業で組み立てて提出しました。何人かがそういう手法をとりました。先生はOKしてくれました。板のお金は自分のお金で払ったという記憶です。そんなに高くなかった。
イスづくりでは、『ビートルズ』→『(くっきーさんが描いた絵が)笑点の大喜利(おおぎり)でざぶとん運びをしている山田隆夫さんの似顔絵だった』→『ずうとるび』の流れの話がおもしろかった。笑いました。そのことがわかるのは年配者です。
くっきーさんは、まじめな人でした。
こだわりが強い。好き嫌いがある。
東野・岡村さんのおふたりは、くっきーさんに、ぜひまた出演してほしいと依頼していました。
くっきーさんは、名古屋の『ひつまぶし(ウナギのかば焼きを細かく切ってあります)』を1日のうちに何回も食べて、ひつまぶしの食べ比べをしたいそうです。その提案には、岡村さんが難色を示していました。
放送される旅猿の映像をよく見ていると、ロケ先の食事では、東野さんも岡村さんも意図的に食べ残しをしている気配があります。健康管理のためでしょう。毎日おいしいものをたくさん食べていたら体に良くないでしょう。自分は見ていませんが、岡村さんは、ゴチになりますという番組で、高級料理を食べておられます。ぜいたくは、体には毒なときもあります。
くっきーさんは、名古屋のひつまぶし食べ比べが無理なら、次回は、山の中でモンスターカーを運転したいそうです。車の運転が好きだそうです。またいつかその姿を見られるかもしれません。
(その後)
テレビ番組『アメトーク』のゲストでくっきーさんが出ているのを見ました。
そのときのテーマは、『幼馴染と組んでる芸人(おさななじみとくんでるげいにん)』でした。おもしろかった。
みなさんのやりとりを見ていて、くっきーさんは、心優しい人で、笑いを生むための声かけがじょうずな人であることがわかりました。ごつい見た目と人間の中身は違います。
(さらにその後)
先日、日曜日夕方の番組、『笑点』を見ていて気づいたことがあります。
旅猿福岡編のなかで、くっきーさんがチャレンジしたヘアスタイルは、笑点の桂宮治(かつら・みやじ)さんのヘアスタイルと似ています。
(追記です。福北ゆたか線(篠栗線)駅のこと)
2024年(令和6年)6月末から7月初めにかけて用事があって、ひとりで福岡県を訪れました。
この番組で紹介されていた涅槃像(ねはんぞう)の近くにある駅で列車が停車しているときに、この番組のことを思い出しました。
あいにくの雨でしたが、そういえば、番組の時も雨が降っていました。
列車の車内は外国の人が多い。観光客というよりも、この路線沿線に住んで、働いてという人が多いように感じました。男性もいるし、女性もいます。
東南アジア系の人、中近東の人、米国人、フィリピン人、ブラジル人、外国の人はよくしゃべります。話し声が多い。こどもさんもいます。もちろん日本人のおじいさんもいます。車内はそれほど混んでおらず、おじいさんは、ポテトチップをつまみながら缶ビールを楽しんでおられました。
大都市部を走る車両と違って、気持ちがのんびりゆったりできるのがいい。
(追記 2024年(令和6年)9月)
用事があって福岡県を訪れたおりに、旅猿の映像で見た横になっている大仏さんを見学してきました。
恐くて(こわくて)、厳しそうな表情をしているのかと思って行きましたが、とてもお優しい(やさしい)表情で、心がほっとしました。
現地は大仏前の広場が工事中でしたが、よく見えました。
2024年03月08日
正直不動産 NHKドラマ 2022年放送分 全10話
正直不動産 NHKドラマ 2022年放送分(令和4年) 全10話 動画配信サービス
いつも長い感想を書いていますが、今回は、短く書くよう、挑戦してみます。
全部で10話ですが、だいたい毎日1本のペースで、ほかごとをしながら視聴をしていました。
家族からおもしろいドラマがあると聞いて観てみました。
今は、シーズン2が放送されているようです。
まじめなドラマだと思いました。
固い信念があります。
長いこと生きてきたので、不動産取引(売買・賃貸借)の体験が何度かあり、ドラマの内容は、だいたい理解できます。
土地家屋という財産ですから、大きなお金が動きます。
きちんとやるように心がけていても、取引内容で、思うようにならないことが多々あることでしょう。
神さま仏さまのバチがあたったのか、主人公の不動産仲介マン長瀬財地(ながせ・さいち)が、(顧客(こきゃく)にウソをつくべき、あるいは、ついたほうが契約をとりやすいとき)かんじんなところで、顔に強い風が吹いてきて、完璧な正直者になって、口が勝手に、本当のことをしゃべってしまいます。なかなかいいことをしゃべります。ときおり、見ている自分の胸にじんと響くセリフがあります。誠実なのです。相手のことを思いやる気持ちがあります。こうありたいと思うのです。だから正直な不動産会社の正直な担当者なのです。
主人公をまわりにいる人間たちが支えます。支えてくれるのは、顧客であったりもします。
なんだか、なつかしい昭和時代の雰囲気もあります。
先輩・後輩とか、師匠と弟子(でし)という関係で、仕事のしかたを学んで未来に引き継いでいきます。人間の成長があります。部下の育成です。
一般的に、自分の家をもつことは、人生における大きな夢です。
夢を実現するためにがんばります。
それは、家族のためでもあります。
ドラマでは、いろいろな家族構成のパターンが出てきます。
みんな、ひとりぼっちにはなりたくない。家族一同、親族一同が仲良しでいたい。
だから、みんなが集う(つどう)楽しき場所である『家』がほしいのです。
なかなかいいドラマでした。
取引で、汚いことをしようとする悪人もいますが、この世にいる大部分の人たちは、善人なのです。
いつも長い感想を書いていますが、今回は、短く書くよう、挑戦してみます。
全部で10話ですが、だいたい毎日1本のペースで、ほかごとをしながら視聴をしていました。
家族からおもしろいドラマがあると聞いて観てみました。
今は、シーズン2が放送されているようです。
まじめなドラマだと思いました。
固い信念があります。
長いこと生きてきたので、不動産取引(売買・賃貸借)の体験が何度かあり、ドラマの内容は、だいたい理解できます。
土地家屋という財産ですから、大きなお金が動きます。
きちんとやるように心がけていても、取引内容で、思うようにならないことが多々あることでしょう。
神さま仏さまのバチがあたったのか、主人公の不動産仲介マン長瀬財地(ながせ・さいち)が、(顧客(こきゃく)にウソをつくべき、あるいは、ついたほうが契約をとりやすいとき)かんじんなところで、顔に強い風が吹いてきて、完璧な正直者になって、口が勝手に、本当のことをしゃべってしまいます。なかなかいいことをしゃべります。ときおり、見ている自分の胸にじんと響くセリフがあります。誠実なのです。相手のことを思いやる気持ちがあります。こうありたいと思うのです。だから正直な不動産会社の正直な担当者なのです。
主人公をまわりにいる人間たちが支えます。支えてくれるのは、顧客であったりもします。
なんだか、なつかしい昭和時代の雰囲気もあります。
先輩・後輩とか、師匠と弟子(でし)という関係で、仕事のしかたを学んで未来に引き継いでいきます。人間の成長があります。部下の育成です。
一般的に、自分の家をもつことは、人生における大きな夢です。
夢を実現するためにがんばります。
それは、家族のためでもあります。
ドラマでは、いろいろな家族構成のパターンが出てきます。
みんな、ひとりぼっちにはなりたくない。家族一同、親族一同が仲良しでいたい。
だから、みんなが集う(つどう)楽しき場所である『家』がほしいのです。
なかなかいいドラマでした。
取引で、汚いことをしようとする悪人もいますが、この世にいる大部分の人たちは、善人なのです。