2024年05月07日

銀河鉄道の父 邦画 2023年

銀河鉄道の父 邦画 2023年 2時間8分 動画配信サービス

 小説は読んだことがあります。
 『銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社』以下は、小説を読んだときの感想の一部です。
 童話作家宮沢賢治という人物の光の部分と陰の部分があります。主役は賢治ではなくお父さんの政次郎さんです。前半から中盤まで、そして最後まで、お父さんの気持ちがいっぱいです。息子を愛している。代々続いた家業である質屋の後継ぎとしての期待を裏切られても、息子への資金援助はしていく。気が長くて寛容です。自分が行きたくても行けなかった学問の道へと息子を導きます。
 対して、息子である賢治は、親にお金をせびる。いつまでたっても自立できない。
 父の影にいた賢治の姿が、徐々に見えてくる表現手法です。
 夢を追う賢治は困窮します。父や祖父の言いつけ通り、質屋を継いでいれば富豪のままでした。向いていなかった。商売人になれない資質で生まれてしまった。人生の途中経過で、そんな結論が出てしまいますが、創作で救われます。
 タイトルは、宮沢賢治作品、『銀河鉄道の夜』を少し変えてあるのでしょう。
 宮沢賢治:童話作家、詩人。1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)37歳で病死。

 さて映画の感想です。
 明治29年9月から始まります。1896年です。宮沢賢治が生まれた年に三陸沖大地震があった。(1896年6月15日明治29年)。
 先週読み終えたばかりのこどもさん向けの本にそのことが書いてありました。『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』。岩手県山田町にあった小学校が舞台でした。別途その本を読んだときの感想をあげてあります。

 映画のはじまりは、明治29年の風景です。『失敬、失敬(しっけい。失礼しました)』という言葉を久しぶりに耳にしました。電報も出てきます。自分がこどものころは、時々電報が家に届きました。今は電報という言葉さえ聞きません。
 イノシシやクマが、蒸気機関車とぶつかって列車が停まります。今もそういう鉄道事故はあるかと思います。明治時代のようすは、純和風で、見ていて気持ちが落ち着きます。

 明治時代ですから、男尊女卑の社会です。長男は跡取りとか、戸主が家を仕切るとか、そんな話が出るのですが、長男の宮沢賢治さんは、質屋(しちや。金貸し)という家の商売を継ぐ気はありません。いちおう見よう見まねで、質草(しちぐさ。品物)を持って来たお客の話を聞いて、お店が損をするぐらいのお金を渡してしまう人です。さらに、客が賢治にした苦労話は噓なのです。
 気持ちが純粋な賢治は、人からだまされ続けて、人嫌いになって、宗教に洗脳されてと、なかなかの苦労と混乱の若い時代を過ごします。
 父親との衝突もあります。父親は、ときには大きな声をあげて息子と対決しながらも、こどもたちに深い愛情を示します。
 経過としては、賢治とその妹トシ。ふたりとも病死します。結核です。
 結核(けっかく):結核菌、空気感染する。肺が病気になる。咳(せき)、痰(たん)、発熱が続く。過去において、おおぜいがかかる国民病だった。

 菅田将暉さん(すだまさきさん)が、熱演です。かっこいい宮沢賢治像です。ときに、なにかにとりつかれたように太鼓をたたきながらお経さんを唱えます。(となえます)。キチガイになったようでもありますが、父親が息子の賢治をかばいます。
 妹トシが兄の賢治さんに言います。『(兄は)日本のアンデルセンになる』。本人死後のことですが、アンデルセンになれました。

 進路について、父と息子の対立があります。
 こどもの人生は子どものもので、親が子どもにあれこれ指示するものではありません。
 うまくいかないと、あとで親のほうがとても後悔することになります。こどものやりたいようにやらせてやれば良かったと後悔します。こどもの結婚話でも同様です。娘がどんな男を連れて来ても、おめでとう。良かったなと言うのが、父親の役割です。
 
 宮沢賢治の資質と性格です。
 人のために働いて、困っている人たち(農民)を助けたい。人助けをしたい。
 学問を学んだことと、本人の生まれもった資質で、社会主義的・共産主義的な考えが賢治の心の根底にあります。昭和40年代にあった大学生の学生運動を思い出します。プロレタリアート(労働者階級、無産階級)という言葉を思い出します。
 賢治があれこれやりたいと言いますが、資金はありません。実家の資産を頼りにします。
 見ていて、親不孝者だと思える一面もあります。
 
 祖父は認知症になって、奇行がめだつようになり亡くなりました。
 葬式行列の映像が流れますが、自分も7歳ぐらいのこどものころに葬式行列に参加したことがあり、映像が、そのときとは状況が異なるので不可解でした。
 こどもだったわたしは、両手で、亡くなった人のお位牌を目の前に掲げ(かかげ)持って、先頭から複数の人たちが持った長方形の旗竿(はたざお)の列の後ろからついて行きました。
 映像では全員が白装束(しろしょうぞく)ですが、わたしのときは、だいたいの人たちが普段着だった記憶です。
 映像では、火葬場が修理中のため、野原で祖父の遺体を火葬にします。薪(まき)が遺体のまわりに組んであって火をつけて燃やします。
 わたしが体験したときは、土葬だった記憶です。昭和40年ころの記憶です。映画の映像は明治時代後半のころですから、火葬というのは不可解でした。
 ネットで調べたら、明治時代にも火葬はあったそうで、そうすると、わたしが暮らしていた地域は、当時はまだ火葬場がなかったという僻地(へきち)だったのでしょう。熊本県の島でした。その後、島と陸地の間に複数の橋がかけられました。
 あとは、遺体を入れたお棺(おかん)の形が、映像とわたしが体験した記憶では違いました。映像では、いまどきの直方体のお棺でしたが、わたしが体験したときは、円形の樽型(たるがた)のお棺でした。遺体を座った状態でお棺に入れて、天秤棒のようなものでお墓までかついで運んで、あらかじめ掘ってある穴に入れて、おとなたちが土をかけて埋めているのを見ました。

 反抗期のような時期が続く宮澤賢治です。
 先日読んだ本を思い出しました。
 『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』なかなかいい本でした。以下は感想の一部です。
 自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。

 こちらの映画に登場する作品として、『風の又三郎』、宮沢賢治は、結核にかかって、命短い妹トシに読み聞かせをするために童話を書きます。トシが賢治に、兄さん書いてと頼むのです。兄さんが書いた童話はおもしろい。
 
 東北は、雪が多いからたいへんそうです。
 
 父親もそれなりに学がある人だった。
 明治時代中期・後期で、すらすらと文字の読み書きができる人が多かったとは思えません。
 
 作品として、『注文の多い料理屋』
 自費出版本は、売れません。
 現実は厳しい。

 昭和3年(1928年)のこととしての映像が流れます。
 少人数の演劇を観ているような映像です。
 『本当は、お父さんのようになりたかった』(でも賢治はなれなかった)
 賢治は、結婚して跡継ぎのこどもをでかす(つくる)代わりに、物語を生んだ。

 名作、『雨ニモマケズ』が出てきます。雨ニモマケズ、風ニモマケズ…… です。
 手帳に記されていたメモです。
 没後に発見されたはずですが、映画では、生存中、死に際に父親がその詩を暗唱しています。前記した火葬・土葬のこともあってから、わたしは、この映画は全体的に製作者によって話がつくられているのではないかと疑いました。

 宮沢賢治さんの死に際です。結核でお亡くなりになった昭和8年の映像です。
 レコードで、クラシック音楽ドボルザーク『新世界から』が流れています。
 余談ですが、『新世界から』は、自分は中学の時に聴いて感動しました。自分が在籍していた中学校の吹奏楽部が体育館で演奏してくれました。
 指揮者をされていた先生が熱心な指導者で、レベルが高かったと思います。吹奏楽部員は、毎朝、授業が始まる前に登校して朝練(あされん)をしていました。ほかのクラブ活動にも朝練がありました。そういう時代でした。当時の日本人は、なにかひとつのことに膨大な(ぼうだいな)時間を費やしてがんばっていました。
 
 映像を観る限りでは、宮沢賢治は考え方が、凡人とは反対の人でした。
 思いやりが強い人です。人のためになりたいと強く願い続けた人です。
 いっぽう彼のまわりにいる彼を頼ってくる人は、彼に依存してくる人でした。彼を利用して自分が得をする。彼が経済的、精神的につぶれてもかまわない。自分が生き残ればそれでいいとする卑劣な人です。

 最後のシーンは、作品、『銀河鉄道の夜』です。
 ジョバンニとか、カムパネルラが出てきます。昨年夏に、東京下北沢にある本多劇場で、『銀河鉄道の夜』の演劇を観ました。
 鉄道列車には、亡くなった人の霊魂が乗っていて、あの世へ向かって星空の中を走っているのです。
 映像では、その列車に、宮沢賢治の父親が乗ってきました。4人がけ向かい合わせのボックス席には、すでに、亡くなっていた宮沢賢治と妹のトシが座っています。
 父親は、ここいいですかと声をかけてふたりの前の席に座ります。(父親も寿命で亡くなったのでしょう)
 父親が言います。『あなたがたはどちらへいくんですか?』
 『どこまでもいくんです』と返答があります。どうも、霊魂になって、親子の関係が切れているようです。
 父親の言葉です。『まっことありがとうござんした』(自分の子として生まれてきてくれてありがとうという意味だと受け取りました)

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