2022年09月02日
なまえのないねこ 竹下文子・文 町田尚子・絵
なまえのないねこ 竹下文子(たけした・ふみこ)・文 町田尚子(まちだ・なおこ)・絵 小峰書店
(1回目の本読み)
ねこの名前と聞いてすぐに思い浮かぶのが『イッパイアッテナ』の世界です。
それぞれの人が、一匹のねこに、思い思いの名前をつけるから、一匹の猫の名前が複数になるのです。
たしか、ねこ自身が、ほかのねこに自分を紹介するとき、自分の名前は『イッパイアッテナ』と紹介するのです。
『ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社』シリーズ化されています。
さて、こちらの絵本です。
有名な絵本ですが、読むのは初めてです。
ねこと親しいわけではありませんが、毎朝の散歩で、森の中にいる、のらねこたちとすれ違います。
よく見かけるのらねこが何匹かいます。
散歩をするねこ好きの年寄りたちは、思い思いに勝手に名前を付けてねこを呼んでいます。
名前を呼ばれたねこは返事もします。ニャーだかミャーだか声が返ってきて、まるで人間とねこが会話をしているような空気のときもあります。
「まる」とか「ぶーちゃん」「みーちゃん」「Qちゃん(きゅうちゃん)」「シロ」とか名付けています。
自分はねこに対しては、愛想(あいそ。好感をもたれる態度)が悪いので、ねこは自分を無視します。わたしは、ねこでも人でも、お互いに負担をかけ合わない関係でいたいのです。
ねことのそんな縁(えん。つながり)を感じて読み始めました。
ねこ目線(低い位置)の絵がいい。
視界の角度や広がりが新鮮です。
絵本ですから、短時間で読み終わりました。
今年読んで良かった一冊です。
心優しい絵本でした。良かった。
(2回目の本読み)
ぶ厚い表紙をめくると、裏に、たくさんのねこが描いて(かいて)あります。
ねこの絵がいっぱいです。(このときは、気づけなかったのですが、何回かページをめくっているうちに、裏表紙に同じ絵が描いてあって、全部のねこに銀色文字で、名前が書いてあることに気づきました。少しびっくりしました。いろんな名前があるものだなと感心しました)
さて、読み進めます。
なまえのないねこが、なまえのあるねこたちのいるところを巡ります。
最初のねこが、靴屋のねこです。
商品の靴が入れてある紙箱の山に隠れて、店の中をのぞいているなまえのないねこです。
靴屋のねこの「レオ」は顔がちょっとこわい。
ライオンという意味の「レオ」です。
ページをめくりながら、こっそりかくれているなまえのないねこの姿を探すことが、ちびっことの楽しい読み聞かせになるでしょう。
なまえのないねこは、本屋の外からお店の中をじーっと見つめています。
本屋のねこのお名前は、ここではパスしておきます。
次は、八百屋のねこです。
「チビ」という名前ですが、成長して、デッカちゃん(でかい)みたいな太って大きなねこになっています。
チビという名前と体の大きさが一致しません。
おそば屋のねこには、おそば料理の名前が付けられています。
おもしろい。
パン屋のねこ二匹には、児童文学「アルプスの少女ハイジ」に出てくる登場人物の名前が付けられています。
ねこの名前ではありませんが、ヤギ飼いがペーターで、ヤギが「ユキちゃん」だったことを思い出しました。
大きな犬が「ヨーゼフ」でした。なつかしい。まだ自分がおとなになる前に、熱心にテレビのマンガ劇場を見ていました。
喫茶店のねこは、名前がふたつあるそうです。
やっぱりな。「イッパイアッテナ」です。
お寺のねこは、長生きするように「じゅげむ」だそうです。
落語の寿限無(じゅげむ)ですな。
緊急事態発生時に名前が長いと名前を読んでいるうちに状況が悪化するような気がするのですが、縁起としては縁起がいい名前なのでしょう。(縁起(えんぎ):ものごとの良い悪いのきざし、まえぶれ)
初めて、ねこどうしの会話が出ました。
お寺の白いねこと、なまえのないねことの会話です。
描画に風情があります。
油絵のカンバス(布目調)に絵が描いてあるような絵本です。
なまえのないねこが、自分のことを「ぼくは」と言ったのでびっくりしました。これまで、わたしは、なまえのないねこは、女子のねこだと思いこんでよんでいました。ねこは、男の子でした。
さあ、終わりが近づいてきました。
犬のワンちゃんたちにも名前があります。
お花屋のお花たちにも名前があります。
でも、なまえのないねこには、なまえがありません。
雨降りの絵が出てきました。
なまえのないねこは、木製ベンチイスの下で雨宿りをしています。
人間とねこの存在・立場・状況が、人間心理として重なります。
『孤独』があります。ひとりぼっちです。
歌手八代亜紀さんが唄う(うたう)演歌『雨の慕情(あめのぼじょう)』のような景色です。
ひとぼっちのなまえのないねこに話しかけてきた女の子がいました。
女の子は、赤い傘をさして、しゃがんで、ベンチの下にいるなまえのないねこに話しかけてきました。おなかがすいていないかいと声をかけてくれました。
救世主現る(きゅうせいしゅあらわる)です。
このお話の肝(きも。ポイント)になる部分が最後に出てきますが、ここに書くのはやめておきます。
最後付近にある見開き2ページと、最後の1ページでは、胸がジンときます。
なまえのないねこには、すてきな、おなまえが、つきました。
そして、そばに、女の子のお母さんがいます。
なんというか、競争社会ではない、気持ちが落ち着ける空間が、人間には必要だと感じたのです。
いい絵本でした。
読み終えて深く考えたことがあります。
1965年ころ、昭和40年代は、効率が優先された社会でした。
『早く、安く、楽に、正確に』が求められて『現状維持は後退だ』とはっぱをかけられました。
勢いについてくることができない者は、基本的には切り捨てで、とりあえず置き去りです。
資本主義は、一部の富む人と、多数のこきつかわれる人を生みました。(低賃金で、永年(ながねん)長時間労働を強いられる(しいられる))
民主主義はいつも『自分たちとあいつら』という対立構図を生みました。人間関係は、ぎすぎすした競争勝利第一主義でした。
歳をとってきて、疲れて、ふと、ふりかえれば、これでよかったのだろうかと思うこともあります。
そんな下地がある気持ちでこの絵本を読むと胸にじんと湧き出てくるものがあります。やっぱり『優しい心』が一番大事なんじゃないだろうかと。
秋に用事があって、九州地方の親せきのうちへ行きますが、絵本好きなちびっこがいるので、プレゼントでもっていく何冊かの絵本のなかに、この絵本も加えることにしました。
(1回目の本読み)
ねこの名前と聞いてすぐに思い浮かぶのが『イッパイアッテナ』の世界です。
それぞれの人が、一匹のねこに、思い思いの名前をつけるから、一匹の猫の名前が複数になるのです。
たしか、ねこ自身が、ほかのねこに自分を紹介するとき、自分の名前は『イッパイアッテナ』と紹介するのです。
『ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社』シリーズ化されています。
さて、こちらの絵本です。
有名な絵本ですが、読むのは初めてです。
ねこと親しいわけではありませんが、毎朝の散歩で、森の中にいる、のらねこたちとすれ違います。
よく見かけるのらねこが何匹かいます。
散歩をするねこ好きの年寄りたちは、思い思いに勝手に名前を付けてねこを呼んでいます。
名前を呼ばれたねこは返事もします。ニャーだかミャーだか声が返ってきて、まるで人間とねこが会話をしているような空気のときもあります。
「まる」とか「ぶーちゃん」「みーちゃん」「Qちゃん(きゅうちゃん)」「シロ」とか名付けています。
自分はねこに対しては、愛想(あいそ。好感をもたれる態度)が悪いので、ねこは自分を無視します。わたしは、ねこでも人でも、お互いに負担をかけ合わない関係でいたいのです。
ねことのそんな縁(えん。つながり)を感じて読み始めました。
ねこ目線(低い位置)の絵がいい。
視界の角度や広がりが新鮮です。
絵本ですから、短時間で読み終わりました。
今年読んで良かった一冊です。
心優しい絵本でした。良かった。
(2回目の本読み)
ぶ厚い表紙をめくると、裏に、たくさんのねこが描いて(かいて)あります。
ねこの絵がいっぱいです。(このときは、気づけなかったのですが、何回かページをめくっているうちに、裏表紙に同じ絵が描いてあって、全部のねこに銀色文字で、名前が書いてあることに気づきました。少しびっくりしました。いろんな名前があるものだなと感心しました)
さて、読み進めます。
なまえのないねこが、なまえのあるねこたちのいるところを巡ります。
最初のねこが、靴屋のねこです。
商品の靴が入れてある紙箱の山に隠れて、店の中をのぞいているなまえのないねこです。
靴屋のねこの「レオ」は顔がちょっとこわい。
ライオンという意味の「レオ」です。
ページをめくりながら、こっそりかくれているなまえのないねこの姿を探すことが、ちびっことの楽しい読み聞かせになるでしょう。
なまえのないねこは、本屋の外からお店の中をじーっと見つめています。
本屋のねこのお名前は、ここではパスしておきます。
次は、八百屋のねこです。
「チビ」という名前ですが、成長して、デッカちゃん(でかい)みたいな太って大きなねこになっています。
チビという名前と体の大きさが一致しません。
おそば屋のねこには、おそば料理の名前が付けられています。
おもしろい。
パン屋のねこ二匹には、児童文学「アルプスの少女ハイジ」に出てくる登場人物の名前が付けられています。
ねこの名前ではありませんが、ヤギ飼いがペーターで、ヤギが「ユキちゃん」だったことを思い出しました。
大きな犬が「ヨーゼフ」でした。なつかしい。まだ自分がおとなになる前に、熱心にテレビのマンガ劇場を見ていました。
喫茶店のねこは、名前がふたつあるそうです。
やっぱりな。「イッパイアッテナ」です。
お寺のねこは、長生きするように「じゅげむ」だそうです。
落語の寿限無(じゅげむ)ですな。
緊急事態発生時に名前が長いと名前を読んでいるうちに状況が悪化するような気がするのですが、縁起としては縁起がいい名前なのでしょう。(縁起(えんぎ):ものごとの良い悪いのきざし、まえぶれ)
初めて、ねこどうしの会話が出ました。
お寺の白いねこと、なまえのないねことの会話です。
描画に風情があります。
油絵のカンバス(布目調)に絵が描いてあるような絵本です。
なまえのないねこが、自分のことを「ぼくは」と言ったのでびっくりしました。これまで、わたしは、なまえのないねこは、女子のねこだと思いこんでよんでいました。ねこは、男の子でした。
さあ、終わりが近づいてきました。
犬のワンちゃんたちにも名前があります。
お花屋のお花たちにも名前があります。
でも、なまえのないねこには、なまえがありません。
雨降りの絵が出てきました。
なまえのないねこは、木製ベンチイスの下で雨宿りをしています。
人間とねこの存在・立場・状況が、人間心理として重なります。
『孤独』があります。ひとりぼっちです。
歌手八代亜紀さんが唄う(うたう)演歌『雨の慕情(あめのぼじょう)』のような景色です。
ひとぼっちのなまえのないねこに話しかけてきた女の子がいました。
女の子は、赤い傘をさして、しゃがんで、ベンチの下にいるなまえのないねこに話しかけてきました。おなかがすいていないかいと声をかけてくれました。
救世主現る(きゅうせいしゅあらわる)です。
このお話の肝(きも。ポイント)になる部分が最後に出てきますが、ここに書くのはやめておきます。
最後付近にある見開き2ページと、最後の1ページでは、胸がジンときます。
なまえのないねこには、すてきな、おなまえが、つきました。
そして、そばに、女の子のお母さんがいます。
なんというか、競争社会ではない、気持ちが落ち着ける空間が、人間には必要だと感じたのです。
いい絵本でした。
読み終えて深く考えたことがあります。
1965年ころ、昭和40年代は、効率が優先された社会でした。
『早く、安く、楽に、正確に』が求められて『現状維持は後退だ』とはっぱをかけられました。
勢いについてくることができない者は、基本的には切り捨てで、とりあえず置き去りです。
資本主義は、一部の富む人と、多数のこきつかわれる人を生みました。(低賃金で、永年(ながねん)長時間労働を強いられる(しいられる))
民主主義はいつも『自分たちとあいつら』という対立構図を生みました。人間関係は、ぎすぎすした競争勝利第一主義でした。
歳をとってきて、疲れて、ふと、ふりかえれば、これでよかったのだろうかと思うこともあります。
そんな下地がある気持ちでこの絵本を読むと胸にじんと湧き出てくるものがあります。やっぱり『優しい心』が一番大事なんじゃないだろうかと。
秋に用事があって、九州地方の親せきのうちへ行きますが、絵本好きなちびっこがいるので、プレゼントでもっていく何冊かの絵本のなかに、この絵本も加えることにしました。
2022年08月29日
塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾
塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾(いまむらしょうご) 集英社
ことわざで『人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は聞いたことがあります。
いいことと悪いことは繰り返すというような意味合いでした。
本のタイトルとは、さいおうの漢字が異なります。
本の帯を読むと、矛と盾(ほことたて)の関係を表現してある作品のようです。
『矛盾(むじゅん)』です。矛と盾のどちらが強いか。
石工(いしく)の匡介(きょうすけ)「絶対に破られない(城の)石垣」京極高次側の石職人VS鉄砲職人彦九郎(げんくろう)「どんな城も落とす砲(ほう、おおづつ)」石田三成側の関係です。
豊臣秀吉はすでに亡くなっています。
『大津城』というのは、一部が琵琶湖に沈んでいると聞いたことがあります。城主が、京極高次(きょうごくたかつぐ)とあります。
先日邦画『関ケ原』を観たので、石田三成のことは少しわかります。
さて、読み始めます。
飛田匡介(とびた・きょうすけ):穴太衆(あのうしゅう)飛田屋の副頭(ふくかしら)。30歳。飛田源斎(とびた・げんさい)の養子。
飛田源斎(とびた・げんさい):飛田匡介の師匠。『塞王(さいおう)』と呼ばれている。57歳。父親は、越前で有名な象嵌職人(ぞうがんしょくにん。工芸。日本刀の拵え(こさえ、こしらえ。外装)
段蔵(だんぞう):飛田屋のメンバー。55歳。
玲次(れいじ):飛田屋のメンバー。飛田源斎のおい。30歳。妻とふたりのこどもあり。
花代(かよ):飛田匡介の妹。兄より2歳年下。28歳。
国友彦九郎(くにとも・げんくろう):国友衆の職人。三落(さんらく)の後継者。31歳。1566年生まれ。生家は『弓』担当の武士。戦(いくさ)での「弓」が「鉄砲」に敗れて、鉄砲職人を目指した。
国友三落(くにとも・さんらく):国友衆の頭(かしら)『砲仙(ほうせん)』と呼ばれている。
京極高次(きょうごく・たかつぐ):大津城主
毛利輝元(もうり・てるもと):安芸国の大名。関ケ原の合戦時、西軍大将。なれど、関ケ原に姿はなかった。
石田三成(いしだ・みつなり):豊臣秀吉の家臣(かしん)。治部少輔(じぶのしょう。役職名。貴族の仲間)
福井県の観光地でもある一乗谷朝倉氏遺跡は(いちじょうだにあさくらしいせき)は、二十代のころに見学したことがあります。 朝倉義景(あさくら・よしかげ)の領地でした。
もう記憶もおぼろげですが、平野のようなところを案内人さんの説明を聞きながら歩き回りました。木造家屋もいくつか立っていた記憶です。
本は、『序』から始まって、第一章から第九章まで、そして、『終』とつないであります。
織田信長がいた時代です。
1573年、一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)シーンがあります。
織田信長VS朝倉義景で、織田軍が勝利しています。
朝倉義景は、一乗谷から逃げています。アフガニスタンとかスリランカの政府代表者が逃げて、庶民が置き去りになったシーンを思い出すような記述です。
招聘(しょうへい):礼を尽くして人を招く。塞王(飛田源斎(とびた・げんさい))を招いて、頑健な石垣を築く予定だった。
三十代なかばの塞王(さいおう。飛田源斎(とびた・げんさい)。束ねた髪、口と顎(あご)にヒゲ。どじょうのような顔)と、まだこどもで10歳ぐらいの飛田匡介(とびた・きょうすけ)が、一乗谷城の戦いで出会います。
滂沱(ぼうだ):涙がとめどなく流れ落ちる。
職人のチームがあります。『組』という表現です。自分がこどものころに知った炭鉱とか、銅山での肉体労働者の属する組織形態を思い出します。
物語では、一乗谷城の戦いから23年が経過しています。1573+23ですから、西暦1596年です。関ケ原の合戦が1600年です。
城の石垣づくりのことが書いてあります。
山方(やまかた):石垣になる石を見つけたり、割ったりする担当。岩の「目」を見つける。
荷方(にかた):石垣になる石を運搬する担当。『流営(りゅうえい:仕事の打合せをする場所)』
積方(つみかた):石垣をつくるために石を積む担当。修行は15年。
普請(ふしん):土木工事、建築工事
伏見城:京都市伏見区にあった城。
(つづく)
鑿:のみ。石を割る時に使用する。
細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい):細川家の隠居さん。田辺城(京都府舞鶴市)の増築話で出てくる。
喜三太(きさんた):穴太衆(あのうしゅう)に所属する若い衆。
いいなと思ったセリフの趣旨として『石積みの己(おのれ)には、天下の情勢は解らない(わからない)…… 俺たちは石垣を造ればいい……』豊臣秀吉の伏見城の移築シーンにて。
もうひとつが『五百年で一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事』城の石垣の耐用年数です。
『千年保つ石垣を造れてようやく半人前だ』なかなかいいセリフです。現代建築もそうありたいものです。
荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(兵庫県伊丹市)にこもって、信長に反発した。
穴太衆(あのうしゅう)は、『石垣』を『楯(たて)』と呼ぶ。
近江富士(おうみふじ):三上山(みかみやま)滋賀県野洲市(やすし)にある山。標高432m。
本田忠勝(ほんだ・ただかつ):1548年-1610年。62歳没。徳川家康の家臣。
この小説は、城マニア向けです。
立花宗成(たちばな・むねしげ):1567年-1643年。75歳没 東北や九州福岡にて藩主を務めた。豊臣家、徳川家に仕えた。
賽の河原(さいのかわら):親よりも先に死んだこどもたちが、死んだあとに(魂(たましい)として)集まる場所。冥土(めいど。死後の世界)にある。こどもたちが、供養のために小石を積んで塔をつくろうとすると鬼が来てその塔を崩す(くずす)。
地蔵菩薩(じどうぼさつ)が現れてこどもたちを守る。(248ページで再びこのお話が出てきます。また、先日NHKテレビの番組「72時間スペシャル 第10位 青森県恐山(おそれざん)」で、賽の河原のような風景が映し出されたのを見ました)
この最初のほうにある部分が伏線となって、466ページで再現シーンがあります。いつかは青森県を訪れて、恐山を見学に行かねばという気持ちになりました。
翳す:かざす。手をかざす。手でおおう。
穴太衆(あのうしゅう)は『道祖神(どうそじん)』を信奉している。峠や辻、村境の道ばたにある神さま。悪霊を祓う(はらう)。
道祖神のひとつに『塞の神(さいのかみ)』がある。賽の河原を守る神と同一視されている。
穴太衆(あのうしゅう)の祖先は塞の神に守られているということになっている。その祖先のことを『塞王(さいおう)』と呼ぶ。
今では、一番石垣の石の扱いが一番よくできる技(わざ)をもった人間を『塞王』と呼ぶようになり、今は、飛田源斎が塞王と呼ばれている。崩れない石垣をつくる者が『塞王』である。
主人公の飛田匡介(とびた・きょうすけ)には、2歳年下の妹花代(かよ)に対する親族の愛情があります。一乗谷城の戦いのときに生き別れになっています。
碌に(ろくに):満足に、十分に
禄(ろく):給与、俸給。
伏見城の移築の話が出てきます。
これまでのところ、小説の時代設定は1596年ごろです。
伏見城で豊臣秀吉が亡くなったのが、1598年です。
城の石垣を運搬する手法が詳しく書かれています。
石船:船で運ぶ。瀬田川とか、天ヶ瀬渓谷とか、宇治川とか。滋賀県の大津から京都の伏見まで約20kmです。
媼(おうな):歳(とし)をとった女性。
内容は、職人を雇用する企業活動の説明のようです。
懸(かかり):敵が向かってきている最中に石垣を修復する。山方、荷方、積方、総出で石垣を積む(急ぐ(いそぐ))14年前になにかあったらしい。
第一章が終わって、これからの第二章はタイトルが『懸(かかり)』です。
(つづく)
14年前のことが語られます。
1582年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。
明智光秀が動きます。大河ドラマ『麒麟が来る(きりんがくる)』を思い出しました。
主人公の飛田匡介は、織田信長を敵ととらえます。一乗谷城の戦いで朝倉義景を滅ぼしたからです。飛田匡介は妹の花代(かよ)と生き別れになっています。(匡介は妹が死んだと思い込んでいます)
されど、城の石垣を造る者として、自分が支持する明智光秀を討つ(うつ)勢力のために石垣を造る仕事をしなければなりません。複雑な心境があります。
当時の源斎師匠の年齢が43歳。段蔵が41歳。匡介と玲次は16歳です。
明智光秀軍と戦う蒲生賢秀(がもう・かたひで)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)を助ける仕事です。
諸籠(もろごり):城内にすべての兵士、民を入れて城と人を守る。籠城する(ろうじょう)。
石垣のリユース(再利用)があります。
音羽城(滋賀県日野町の廃城から石垣を取って運搬する)→日野城で利用する。(同じく日野町)
鎌掛城(かいがけじょう。同じく日野町)の石垣も利用する。
150人ぐらいで分担して作業を進めます。
以降、石組のしかたについて詳しい指示があります。
たいしたものです。
たかが石垣ではありません。
一の石垣、二の石垣、三の石垣、四の石垣と続きます。相手兵の動きの流れを予想して誘導する経路をつくったりもします。
井守(いもり):とかげに似た両生類。
礫(つぶて):小石
筈六(はずろく)、又市、喜十郎:若い衆。二十代後半から三十歳ぐらい。
横山久内(よこやま・くない):侍大将。戦場で戦いに加勢する飛田匡介たち石職人グループの警護にあたってくれる。石職人(飛田屋)を守る隊の責任者。
宇佐山城(うさやまじょう):滋賀県大津市。
要石(かなめいし):抜くと一気に石垣が崩れる。『石垣で攻める』
かなり迫力があります。
纏めて:まとめて。
火薬もからんできます。鉄砲、大筒(おおづつ)、火薬を仕込んで爆破。石垣は武器に変わるのです。
膾(なます):切り分けた獣肉、魚肉に調味料をかけて生で食べる。
眦(まなじり):目じり。
戦(いくさ)においては、相手を皆殺しにするまでには追い詰めません。
徹底的に攻撃するわけではありません。
ある程度勝敗が見えてきたら話し合いで解決です。
なぜなら、たいてい、関係者には親族関係のつながりがあるからです。
利害関係がからんだ婚姻を重ねているので、血族、姻族があります。
みんなの願いは『平和』です。
暴力による統制のない社会です。
そのためには、強い楯(たて。すなわちこの場合、城(石垣))をつくることです。
一方、平和のために強い矛(ほこ。この場合は、鉄砲類)をつくることです。
なんだか、使用はしないけれど相手から身を守るために核兵器を保有するという話と似ています。
この物語の場合は、石垣担当の穴太衆(あのうしゅう)飛田屋と鉄砲担当の国友衆が対立することになるのでしょう。
『塞王(さいおう)』対『砲仙(ほうせん)』の戦いです。
伏見城の移転話があります。指月伏見城(しげつふしみじょう。大地震で倒壊)から木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)というところに移ります。
築城奉行(秀吉が命じた。ちくじょうぶぎょう)が、片桐且元(かたぎり・かつもと)
飛田源斎が城づくりを担当します。
弟子の飛田匡介は、大津城の石垣の修復を依頼されます。石垣だけでなく、城全体のコーディネートです。(全体を整える)琵琶湖のそばで、水城にするそうです。1592年春から始まります。
京極高次(きょうごく・たかつぐ)城主と対面します。
なかなかおもしろい。京極高次は、かなり個性的な人物です。どじな感じです。肉付きがよく、丸顔、二重瞼(まぶた)で、太い眉が離れている。大きな鼻、薄いくちびる。愛嬌(あいきょう。ひょうきんで憎めない。かわいらしい)のある顔です。
大溝城(おおみぞじょう):滋賀県高島市
閠閥(けいばつ):妻方の親類の結びつきで、力を得ているような状態。政略結婚に多い。
京極高次の別名が『蛍大名(ほたるだいみょう)』姻族関係の力で上層部の位置にいられる。
根来(ねごろ):和歌山県岩出市(いわでし)
佐敷城(さしきじょう):熊本県芦北町(あしきたまち)
八代城(やつしろじょう):熊本県八代市
読んでいて、西暦1600年前後に造られた城の石垣が、現在も残っていることに、たいしたものだという思いが生まれます。
大坂城:大阪城
坂本城:滋賀県大津市
一丈(いちじょう):3.03m。本書の記述では、雪の深さ。
大津城改修の下地づくり(したじづくり)をするようすは、遺跡の発掘作業のようです。考古学があります。
徳三郎:近くの農家の三男坊で17歳。三男ゆえにあとは継げない。宇佐山城(滋賀県大津市)近くの生れ。信長と浅井・朝倉の戦の時に宇佐山城で戦いがあったときの命拾いをしたこども。塞王のおかげで助かったというつなぎ話あり。
儂:読みして、「わし」。自分のこと。
多賀孫左衛門(たが・まござえもん):大津城改修のための奉行(ぶぎょう。責任者)
御方様(おかたさま):お初の方のこと。京極高次の妻。浅井長政の娘。織田信長の姪(めい)。豊臣秀吉の嫡子(ちゃくし。長男とか、家を継ぐものとか)豊臣秀頼のおば、徳川家康の嫡子徳川秀忠の義理の姉。記述を読むとおてんば娘っぽい。白い肌、通った鼻筋、切れ長の目に長いまつ毛。28歳。
忠五郎:飛田匡介の部下。
仕事が捗る:仕事がはかどる。
倦む(うむ):退屈する。
瞠目(どうもく):驚いて目をみはる。
夏帆(かほ):飛田匡介が好きになる若い女性。お初の侍女(じじょ。上流階級の女性の身の回りの世話をする人)。二重瞼(まぶた)、つぶらな瞳、整った鼻筋、上唇厚し。愛嬌のある顔。26歳。12歳のときに、北庄城(きたのしょうじょう。福井城。福井市)落城を体験した。柴田勝家が秀吉に敗れた。
ここまで読んできて、豊臣秀吉と現在のロシア大統領は似ているという感想をもちました。豊臣秀吉は朝鮮半島へ戦をもちこみ、ロシア大統領はウクライナに戦争をもちこみました。
験担ぎ(げんかつぎ):以前結果が良かった行為をまた行う。
吉次、金四郎:飛田匡介の部下。
石に対する愛着があります。
『どんな城も完全ではない……』
ライバルとなる国友彦九郎(くにともげんくろう)が、改修している大津城を検分(けんぶん。検査)したそうです。1598年のことだそうです。
(つづく)
豊臣秀吉の平和な世の中が続いているうちは、戦のための城づくり、城の管理の仕事は減ります。
豊臣秀吉が1598年9月18日に61歳で亡くなってから、主人公たちは動き出します。
日本が二分化されて、関ケ原の合戦へ向かっていきます。
武断派(戦場で戦ってきた者たち):加藤清正、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、支援者として、豊臣秀吉の正室の北政所ねね(きたのまんどころ)。高台院(こうだいいん)
文知派(吏僚(りりょう。役人、官吏(かんり)、戦では兵たん担当(食料、武器の運搬。後方支援)):石田三成、増田長盛(ました・ながもり)、前田玄以(まえだ・げんい)、長束正家(なつか・まさいえ)、支援者として、豊臣秀吉の側室(そくしつ。一夫多妻制における本妻以外)で後継ぎ豊臣秀頼の母淀殿(よどどの)、茶々、母は織田信長の妹市(いち)
南山城の童仙房(どうせんぼう):京都府南山城村。物語の中の領主は、野殿家(のどのけ)
祝着(しゅうちゃく):喜び祝う。
七等級:本作品中では、石の大きさ。
野面積み(のずらづみ):最古の手法。地形に合わせてさまざまな大きさの石を積む。
三番石:控えが長いものを集めているとあります。控え:石材の奥行。『番』の意味はちょっとわかりません。
五番石:打ち込み用と書いてあります。約30cm正方体。「打込接(うちこみはぎ)」という工法で使用する。石同士の接合部分を加工してすきまをなくす。外からの力には強いが、内からの力には弱い。水はけが悪いので、内部から壊れてくる。さらにすき間をなくすのが「切込接(きりこみはぎ)」野面積み(のずらづみ)のほうが、長期間石垣の維持ができる。
大筒、焙烙玉(ほうろくだま):大砲、焙烙玉は、手りゅう弾のような兵器。
乱積み:大小の石を積む。
布積み:同じような高さの石を横に並べる。
穴太積み(あのうづみ):野面積みと乱積みの合成。
鎬隅(しのぎすみ):石垣の隅は鈍角。
1599年、飛田匡介は、美濃大垣で正月を迎える。(岐阜県大垣市)
加賀大納言:前田利家
内府(ないふ):徳川家康
毛利中納言(もうりちゅうなごん):毛利輝元(もうり・てるもと)
後藤屋の木工兵衛(もくべえ):前田家専属の石工(いしく)になる。武士になることを意味する。
戯言(ざれごと):ばかばかしい話
関ケ原の戦いの前哨戦(ぜんしょうせん。本戦の前の小さな戦い)である伏見城の戦いが近づいてきている内容です。(1600年8月1日落城。関ケ原の戦いは、9月15日)伏見城には、家康が家臣の鳥居元忠らを残しています。
自らが築城に関わった伏見城を守るべく飛田源斎が伏見城に向かいました。『塞王』の身分を弟子の飛田匡介に譲りました。 飛田源斎は、戦場で(いくさばで)死ぬつもりでしょう。『お前は違う。乱世と泰平を繋ぐ(つなぐ)石垣だ』力強い声かけがありました。『お前はすでに俺を超えている』なんだか北斗の拳のケンシロウのような雰囲気です。
いっぽう敵方である鉄砲職人の国友彦九郎(くにとも・げんくろう)も動き出します。伏見城へ向かうでしょう。
長光寺城(ちょうこうじじょう):滋賀県近江八幡市
(つづく)
第六章まできました。279ページです。
1600年7月15日徳川家家臣鳥居元信の伏見城での籠城が始まりました。城づくり職人の元「塞王」である飛田源斎もいっしょです。7月19日に開戦、8月1日に落城です。飛田源斎も落命します。9月15日が関ケ原の戦いです。激動の時代です。
なかなかややこしい。寝返り(裏切り)が横行します。
豊臣秀吉亡きあと、豊臣家の力は衰退化していきます。組織を維持していくことはたいへんです。
向島城:京都市伏見区
弾正丸(だんじょうまる)、徳善丸、治部少丸(じぶしょうまる):木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)の構造
扇の勾配(おうぎのこうばい):石垣づくりの技術。横から見るとそりかえっている。武者返し。忍び返し(しのびがえし)
なかなか知恵が深い戦法です。
石垣の穴から城方が鉄砲で狙い撃ちです。
日野城:滋賀県蒲生郡日野町
笹五郎:石垣造り職人。段蔵と同い年。55歳ぐらい。
国友の最新銃:火打ち石と回転の摩擦を利用して放たれている。
情報戦があります。
鼻を明かす:策略を用いて、優位に立っている相手を驚かせる。
伊勢国阿濃津(あのつ):三重県津市
京極高知(きょうごく・たかとも):大津城主京極高次の弟。信濃飯田十万石大名(長野県飯田市)のちに宮津城主(京都府宮津市)
京極高次は、北陸方面へ行ったと思ったら、二日後に大津城に戻ってきました。大津城に籠城する作戦です。
帰城のきっかけは、西軍石田三成のプランで、大津で徳川家康の東軍と決戦することを予定していることが判明したからです。
京極高次は、自分の領土と領民を守るために大津城へ戻ってきました。領民を城内に招き入れます。
京極高次は、独特な思想をもっています。徳川家康の味方になったわけではありません。(謀反とか寝返りではない。(むほん。寝返りは西軍への裏切り)自分の藩の領土と領民を守りたいのです。
されど、秩序を維持したい西軍は、命令に従わない京極高次のいる大津城を攻めます。指示にさからう者には罰(ばつ)を与えなければなりません。
<内輪もめは(うちわもめは)組織が崩壊するときの前兆(ぜんちょう。前触れ(まえぶれ)になります>
佐和山城:滋賀県彦根市
ふと思う。石垣職人「塞王」となる飛田匡介の生き別れの妹(飛田匡介は死んだと思っている)花代(かよ)は、いつになったら登場してくるのだろう。(468ページで出てきます。そうかここか! すごいなあと恐れ入りました。伏線となっています。石の話が出ます)
毛利兵部大輔(もうりひょうぶたいふ):西軍総大将毛利輝元の叔父毛利元康
(つづく)
蛍:京極高次のこと。蛍大名(148ページ)。妻お初(おはつ。父は浅井長政。母は織田信長の妹お市の方(おいちのかた))のおかげで(女性のお尻の七光りのおかげで(七は大きなという意味))大名になれた。また、妻おはつの姉が淀殿(よどどの。茶々)で、豊臣秀頼の母親。
無双(むそう。ふたつとないこと。ひとつで優れていること):立花侍従(たちばなじじゅう)宗成(むねしげ)。西国無双と呼ばれる武将。180cm。凛とした眉(りんとしたまゆ)美男子(びだんし)
葉山正二郎:毛利家家臣。西軍の使者。京極高次に大津城での籠城をやめて、東軍との戦いのために出兵するよう、うながすが、断られて、開戦のきっかけとなる。
京極高次の言葉として『……京極家は内府(ないふ。徳川家康)の味方ではない。大津の民の味方よ。決してこの地を戦場にはせぬ』(日本を戦場にはしないという政治家がほしい)
鉄砲弾(てっぽうだま)を跳ね返す石垣(楯たて)対鉄砲弾(矛ほこ)の戦いが始まりました。
壮絶です。
戦法がいろいろあります。
文章を読みつつ、昔映画で観た『三国志』とか『のぼうの城』のシーンを思い浮かべながら頭の中で想像します。
今年読んで良かった一冊になりました。
十時連貞(ととき・つれさだ):西国無双(さいごくむそう)と呼ばれる立花宗成の部下。立花四天王のひとり。
訝しい:いぶかしい。あやしい。疑わしい。
京極高次のお言葉がいい。
飛田匡介の『お言葉を(指示してください。責任者の立場として命令してくださいという意味合い)』に小姓が(こしょうが。京極高次の秘書役の武士が)、
『我のために戦わずともよい。京極家のために戦わずともよい…… 大津の民のために戦ってくれ……』
鵜飼藤助:伏見城の戦いでの飛田屋にとっての裏切り者。甲賀の忍び(しのび)
『あの男(飛田匡介)は、一兵たりとも死なせぬことを目指します』
指揮をとる人間が考える時のパターンがあります。
勝利を得るためには、多少の犠牲者はしかたがないと考える権力者が多い中、飛田匡介も京極高次もひとつの命を大事にします。そこが、この本のいいところです。純粋です。
罠(わな)がいっぱいあります。
鏖:(人間を)みなごろし
河上小左衛門(かわかみ・こざえもん):京極高次側の武士。25歳。
西軍側の『竹束作戦(たけたばさくせん)』には、恐れ入りました。鉄砲の弾(たま)を密集させた竹の束で受けとめます。
黒鍬者(くろくわもの):合戦のさなかに、戦場において、土木工事のようなことをして攻めたり、守ったりしやすい現場をつくる仕事をする人間。この物語の場合、外堀の水を抜こうとします。
人間の知恵というものはたいしたものです。
なかなかの名勝負が続きます。
垂涎の的(すいぜんのまと):よだれをたれる。欲しくてたまらない。
鋼輪式銃(こうりんしきじゅう):火縄はいらない。引き金を引いてバネと歯車と火打石(ひうちいし)の力で発射する。
徒歩:「かち」と読む。
棹立ち(さおだち):馬が前足を上げてまっすぐ立ち上がった状態の表現です。うまい。
『低いから易しい(やさしい)ってもんじゃねえ。』
段差が低いと、人は通過できるが、馬は通過できない。味方の人間は逃げることができるが、馬に乗った敵は前進できない。
障子掘り(しょうじぼり)。畝堀り(うねぼり)。
大津城を守る飛田匡介グループは劣勢に陥ります(おちいります)。
戦いの道具である『石』を相手軍に奪われてしまいました。
弾の(たまの)ない鉄砲みたいな状態です。
午前1時、いちかばちかの反撃が始まりました。
琵琶湖の向こうから石を積んだ船が三艘(さんそう)やってきました。
されど、それらの船のまわりは敵だらけです。
『どいつもこいつも本気だ』
小野鎮幸(おの・しげゆき):敵方である立花四天王の一人(ひとり)。
勝負の鍵を握るのは①夜 ②風 ③雨 自然を味方につける。
410ページ付近を読みながら、この作品は映画化されるかもしれないと思いました。
石の使い手たちは、勇猛果敢(ゆうもうかかん)です。
石の大きさに応じて石垣をこさえるように、人間も組み合わせて強固な集団をつくる。
戦いのクライマックスが近づいています。
ふだん、城といえば、観光用のイメージしかありませんがこの本では、『戦闘用の城』としてのお城の紹介があります。
文章にちょっとだけ出てきた『小田原城』は、新幹線の窓からチラリと見るだけで、訪れたことがありません。行ってみようかなという気持ちになりました。
引き鉦:ひきがね。合戦で、味方に、引き上げるよう(退却)指示するときに打ち鳴らす鐘。
大筒(おおづつ):大砲。されど、弾(たま)で破壊するだけで、弾が爆発するものではありません。書中では期待されていない武器として紹介があります。容易に動かせないので、戦場で(いくさばで)相手に奪われやすい。
書中では『雷波(らいは)』という大筒が登場します。全長約3m、太さ約33cm、弾(たま)の重さは約3.9kg。
文章を読んでいると、時節柄(じせつがら。今どきだと)ウクライナ攻撃のロシアのミサイルを思い浮かべます。
矛(ほこ。大筒)と盾(たて。城の石垣の利用)との勝負です。
大勝負です。
作者がこのあと、この勝負をどのように表現して、どう決着させるのかが読む楽しみです。
鵺(ぬえ):正体不明の怪鳥。妖怪。
『三百二十六!』大筒から弾が発射後、次の弾が発射されるまでの時間をカウントして把握、記録します。数値を測って(はかって)考察(こうさつ)する世界です。
長等山(ながらやま):大筒を設置した山。大津城の西北。山の途中に三井寺(みいでら)がある。大津城からの距離は約1100m。
宥める:なだめる。
四半刻以内(しはんときいない):30分以内ぐらい(江戸時代と現代では時間の概念が異なる)
慄いて:おののいて。びっくりして。驚いて。恐れて。
作者はどちらの軍の味方でもありません。(非情です。殺し合いのむなしさを冷静に見つめながらなにかのメッセージを発するのです)
口を窄める:くちをすぼめる。
噎せ返る:むせかえる。
埒が明かない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。はかどらない。
比良:琵琶湖の西海岸
『ひとりの命を生贄(いけにえ)に百人を救う』先日読んだ作品『テスカトリポカ(古代メキシコアステカ文明に出てくる闇の神)』を思い出しました。
名言が出てきました。
『……漫然と生き(まんぜんといき)、大層に非難だけを浴びせる世間という化物(ばけもの)……』
切羽(せっぱ):差し迫った状況
威名(いめい):武将の称号。名声
宗成のいい言葉として、
『今からでもよいではないか。人はそう思った時から歩み始める』(人として、してはいけないことはしない。超えてはいけない線は超えない)
乾呻一擲(けんこんいってき):いちかばちかの大勝負に出る。
尾花川口:大津城の北西。約381m。ここに大筒を設置しなおして城を撃つ。
(つづく)
読み終えました。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。
本の最初のほうにある『大津城縄張り図』というのを見ながら、大筒と(おおづつ、大砲と)、城の「伊予丸」という部分に造られる天守閣を守るための石垣の攻防です。
砲台と天守閣、両者の距離は約380m、天守閣の高さが約24m、天守閣を守るための楯(たて)となる石垣の高さが約8.2mで、砲台から約300mの位置に石垣を築きます。
大砲の弾は(たまは)どんどん飛んできます。石垣はそのたびに崩れますが、石垣職人たちが、次の弾が飛んでくる前にすばやく修復するということを繰り返します。
早朝から晩まで、繰り返される戦いです。
戦(いくさ)のなかで何人かは命を落としていきます。
非情であり、虚無(きょむ。むなしさ)があります。
藩主は、負ける時は、家族とともに切腹、自害です。
武士は死ぬ気で日々を送っています。
むずかしい漢字がたくさん出てきます。
咎める(とがめる):注意する。
喚く(わめく):大声を出して乱れる。
恰好(かっこう):姿のことですが、この場合、メンツを立てさせてくれ。(殿様としての立場をつけさせてくれ)
作事奉行(さじぶぎょう):造営、修理、土木工事担当責任者
撓む(たわむ):弓なりになる。
松明(たいまつ):灯りをとるためのトーチ。長い棒。
宰相(さいしょう):首相。組織のトップ。
喊声(かんせい):ときの声。エイエイオー。
轟、轟、轟:ごう、ごう、ごう
蔑む:さげすむ。見くだされる。
摑む:つかむ。
搔き毟る:かきむしる。
翳す:かざす。
篝火:かがりび。
捲し立てる:まくしたてる。
予め:あらかじめ。
聲:こえ(声)
眉唾(まゆつば):だまされないように用心するようなことがら。狐(きつね)にばかされないおまじないで、眉につばをつける。
腑に落ちる:ふにおちる。納得できる。
殿様である京極高次の言葉がわかりやすくていい。
領民に対して、事実を理解できるように話してくれます。
『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』
上下の信頼関係がなくなったら、組織は崩壊します。
文章を読んでいると、なにかしら、原子力発電所の原子炉を囲っている1mぐらいあるぶ厚いコンクリート壁の一部分に狙いを定めて、集中的に高性能ミサイルを何回も撃ち込んでいるような絵が頭に浮かびます。恐ろしい。
石垣職人たちの動きがすごい。
飛田匡介の指示に従って、すばやく石垣を修復します。
チームワークあります。
いいなと思った言葉です。
『承知(しょうち。OK)』
防備の鍵を握るのが『要石(かなめいし。この石のおかげで勝ち負けが決定する)』
『奥義は「技」ではない』→『人が石垣になること』武田節を思い出します。『人は石垣、人は城』
『これにて大津城を開城する。』
いつか映画化されるといいなー
半吉(はんきち):棚田の持ち主。30代の百姓。半吉のこどもが、6歳の全太(ぜんた)。
野分(のわけ。のわき):嵐。台風のようなもの。
ことわざで『人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は聞いたことがあります。
いいことと悪いことは繰り返すというような意味合いでした。
本のタイトルとは、さいおうの漢字が異なります。
本の帯を読むと、矛と盾(ほことたて)の関係を表現してある作品のようです。
『矛盾(むじゅん)』です。矛と盾のどちらが強いか。
石工(いしく)の匡介(きょうすけ)「絶対に破られない(城の)石垣」京極高次側の石職人VS鉄砲職人彦九郎(げんくろう)「どんな城も落とす砲(ほう、おおづつ)」石田三成側の関係です。
豊臣秀吉はすでに亡くなっています。
『大津城』というのは、一部が琵琶湖に沈んでいると聞いたことがあります。城主が、京極高次(きょうごくたかつぐ)とあります。
先日邦画『関ケ原』を観たので、石田三成のことは少しわかります。
さて、読み始めます。
飛田匡介(とびた・きょうすけ):穴太衆(あのうしゅう)飛田屋の副頭(ふくかしら)。30歳。飛田源斎(とびた・げんさい)の養子。
飛田源斎(とびた・げんさい):飛田匡介の師匠。『塞王(さいおう)』と呼ばれている。57歳。父親は、越前で有名な象嵌職人(ぞうがんしょくにん。工芸。日本刀の拵え(こさえ、こしらえ。外装)
段蔵(だんぞう):飛田屋のメンバー。55歳。
玲次(れいじ):飛田屋のメンバー。飛田源斎のおい。30歳。妻とふたりのこどもあり。
花代(かよ):飛田匡介の妹。兄より2歳年下。28歳。
国友彦九郎(くにとも・げんくろう):国友衆の職人。三落(さんらく)の後継者。31歳。1566年生まれ。生家は『弓』担当の武士。戦(いくさ)での「弓」が「鉄砲」に敗れて、鉄砲職人を目指した。
国友三落(くにとも・さんらく):国友衆の頭(かしら)『砲仙(ほうせん)』と呼ばれている。
京極高次(きょうごく・たかつぐ):大津城主
毛利輝元(もうり・てるもと):安芸国の大名。関ケ原の合戦時、西軍大将。なれど、関ケ原に姿はなかった。
石田三成(いしだ・みつなり):豊臣秀吉の家臣(かしん)。治部少輔(じぶのしょう。役職名。貴族の仲間)
福井県の観光地でもある一乗谷朝倉氏遺跡は(いちじょうだにあさくらしいせき)は、二十代のころに見学したことがあります。 朝倉義景(あさくら・よしかげ)の領地でした。
もう記憶もおぼろげですが、平野のようなところを案内人さんの説明を聞きながら歩き回りました。木造家屋もいくつか立っていた記憶です。
本は、『序』から始まって、第一章から第九章まで、そして、『終』とつないであります。
織田信長がいた時代です。
1573年、一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)シーンがあります。
織田信長VS朝倉義景で、織田軍が勝利しています。
朝倉義景は、一乗谷から逃げています。アフガニスタンとかスリランカの政府代表者が逃げて、庶民が置き去りになったシーンを思い出すような記述です。
招聘(しょうへい):礼を尽くして人を招く。塞王(飛田源斎(とびた・げんさい))を招いて、頑健な石垣を築く予定だった。
三十代なかばの塞王(さいおう。飛田源斎(とびた・げんさい)。束ねた髪、口と顎(あご)にヒゲ。どじょうのような顔)と、まだこどもで10歳ぐらいの飛田匡介(とびた・きょうすけ)が、一乗谷城の戦いで出会います。
滂沱(ぼうだ):涙がとめどなく流れ落ちる。
職人のチームがあります。『組』という表現です。自分がこどものころに知った炭鉱とか、銅山での肉体労働者の属する組織形態を思い出します。
物語では、一乗谷城の戦いから23年が経過しています。1573+23ですから、西暦1596年です。関ケ原の合戦が1600年です。
城の石垣づくりのことが書いてあります。
山方(やまかた):石垣になる石を見つけたり、割ったりする担当。岩の「目」を見つける。
荷方(にかた):石垣になる石を運搬する担当。『流営(りゅうえい:仕事の打合せをする場所)』
積方(つみかた):石垣をつくるために石を積む担当。修行は15年。
普請(ふしん):土木工事、建築工事
伏見城:京都市伏見区にあった城。
(つづく)
鑿:のみ。石を割る時に使用する。
細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい):細川家の隠居さん。田辺城(京都府舞鶴市)の増築話で出てくる。
喜三太(きさんた):穴太衆(あのうしゅう)に所属する若い衆。
いいなと思ったセリフの趣旨として『石積みの己(おのれ)には、天下の情勢は解らない(わからない)…… 俺たちは石垣を造ればいい……』豊臣秀吉の伏見城の移築シーンにて。
もうひとつが『五百年で一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事』城の石垣の耐用年数です。
『千年保つ石垣を造れてようやく半人前だ』なかなかいいセリフです。現代建築もそうありたいものです。
荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(兵庫県伊丹市)にこもって、信長に反発した。
穴太衆(あのうしゅう)は、『石垣』を『楯(たて)』と呼ぶ。
近江富士(おうみふじ):三上山(みかみやま)滋賀県野洲市(やすし)にある山。標高432m。
本田忠勝(ほんだ・ただかつ):1548年-1610年。62歳没。徳川家康の家臣。
この小説は、城マニア向けです。
立花宗成(たちばな・むねしげ):1567年-1643年。75歳没 東北や九州福岡にて藩主を務めた。豊臣家、徳川家に仕えた。
賽の河原(さいのかわら):親よりも先に死んだこどもたちが、死んだあとに(魂(たましい)として)集まる場所。冥土(めいど。死後の世界)にある。こどもたちが、供養のために小石を積んで塔をつくろうとすると鬼が来てその塔を崩す(くずす)。
地蔵菩薩(じどうぼさつ)が現れてこどもたちを守る。(248ページで再びこのお話が出てきます。また、先日NHKテレビの番組「72時間スペシャル 第10位 青森県恐山(おそれざん)」で、賽の河原のような風景が映し出されたのを見ました)
この最初のほうにある部分が伏線となって、466ページで再現シーンがあります。いつかは青森県を訪れて、恐山を見学に行かねばという気持ちになりました。
翳す:かざす。手をかざす。手でおおう。
穴太衆(あのうしゅう)は『道祖神(どうそじん)』を信奉している。峠や辻、村境の道ばたにある神さま。悪霊を祓う(はらう)。
道祖神のひとつに『塞の神(さいのかみ)』がある。賽の河原を守る神と同一視されている。
穴太衆(あのうしゅう)の祖先は塞の神に守られているということになっている。その祖先のことを『塞王(さいおう)』と呼ぶ。
今では、一番石垣の石の扱いが一番よくできる技(わざ)をもった人間を『塞王』と呼ぶようになり、今は、飛田源斎が塞王と呼ばれている。崩れない石垣をつくる者が『塞王』である。
主人公の飛田匡介(とびた・きょうすけ)には、2歳年下の妹花代(かよ)に対する親族の愛情があります。一乗谷城の戦いのときに生き別れになっています。
碌に(ろくに):満足に、十分に
禄(ろく):給与、俸給。
伏見城の移築の話が出てきます。
これまでのところ、小説の時代設定は1596年ごろです。
伏見城で豊臣秀吉が亡くなったのが、1598年です。
城の石垣を運搬する手法が詳しく書かれています。
石船:船で運ぶ。瀬田川とか、天ヶ瀬渓谷とか、宇治川とか。滋賀県の大津から京都の伏見まで約20kmです。
媼(おうな):歳(とし)をとった女性。
内容は、職人を雇用する企業活動の説明のようです。
懸(かかり):敵が向かってきている最中に石垣を修復する。山方、荷方、積方、総出で石垣を積む(急ぐ(いそぐ))14年前になにかあったらしい。
第一章が終わって、これからの第二章はタイトルが『懸(かかり)』です。
(つづく)
14年前のことが語られます。
1582年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。
明智光秀が動きます。大河ドラマ『麒麟が来る(きりんがくる)』を思い出しました。
主人公の飛田匡介は、織田信長を敵ととらえます。一乗谷城の戦いで朝倉義景を滅ぼしたからです。飛田匡介は妹の花代(かよ)と生き別れになっています。(匡介は妹が死んだと思い込んでいます)
されど、城の石垣を造る者として、自分が支持する明智光秀を討つ(うつ)勢力のために石垣を造る仕事をしなければなりません。複雑な心境があります。
当時の源斎師匠の年齢が43歳。段蔵が41歳。匡介と玲次は16歳です。
明智光秀軍と戦う蒲生賢秀(がもう・かたひで)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)を助ける仕事です。
諸籠(もろごり):城内にすべての兵士、民を入れて城と人を守る。籠城する(ろうじょう)。
石垣のリユース(再利用)があります。
音羽城(滋賀県日野町の廃城から石垣を取って運搬する)→日野城で利用する。(同じく日野町)
鎌掛城(かいがけじょう。同じく日野町)の石垣も利用する。
150人ぐらいで分担して作業を進めます。
以降、石組のしかたについて詳しい指示があります。
たいしたものです。
たかが石垣ではありません。
一の石垣、二の石垣、三の石垣、四の石垣と続きます。相手兵の動きの流れを予想して誘導する経路をつくったりもします。
井守(いもり):とかげに似た両生類。
礫(つぶて):小石
筈六(はずろく)、又市、喜十郎:若い衆。二十代後半から三十歳ぐらい。
横山久内(よこやま・くない):侍大将。戦場で戦いに加勢する飛田匡介たち石職人グループの警護にあたってくれる。石職人(飛田屋)を守る隊の責任者。
宇佐山城(うさやまじょう):滋賀県大津市。
要石(かなめいし):抜くと一気に石垣が崩れる。『石垣で攻める』
かなり迫力があります。
纏めて:まとめて。
火薬もからんできます。鉄砲、大筒(おおづつ)、火薬を仕込んで爆破。石垣は武器に変わるのです。
膾(なます):切り分けた獣肉、魚肉に調味料をかけて生で食べる。
眦(まなじり):目じり。
戦(いくさ)においては、相手を皆殺しにするまでには追い詰めません。
徹底的に攻撃するわけではありません。
ある程度勝敗が見えてきたら話し合いで解決です。
なぜなら、たいてい、関係者には親族関係のつながりがあるからです。
利害関係がからんだ婚姻を重ねているので、血族、姻族があります。
みんなの願いは『平和』です。
暴力による統制のない社会です。
そのためには、強い楯(たて。すなわちこの場合、城(石垣))をつくることです。
一方、平和のために強い矛(ほこ。この場合は、鉄砲類)をつくることです。
なんだか、使用はしないけれど相手から身を守るために核兵器を保有するという話と似ています。
この物語の場合は、石垣担当の穴太衆(あのうしゅう)飛田屋と鉄砲担当の国友衆が対立することになるのでしょう。
『塞王(さいおう)』対『砲仙(ほうせん)』の戦いです。
伏見城の移転話があります。指月伏見城(しげつふしみじょう。大地震で倒壊)から木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)というところに移ります。
築城奉行(秀吉が命じた。ちくじょうぶぎょう)が、片桐且元(かたぎり・かつもと)
飛田源斎が城づくりを担当します。
弟子の飛田匡介は、大津城の石垣の修復を依頼されます。石垣だけでなく、城全体のコーディネートです。(全体を整える)琵琶湖のそばで、水城にするそうです。1592年春から始まります。
京極高次(きょうごく・たかつぐ)城主と対面します。
なかなかおもしろい。京極高次は、かなり個性的な人物です。どじな感じです。肉付きがよく、丸顔、二重瞼(まぶた)で、太い眉が離れている。大きな鼻、薄いくちびる。愛嬌(あいきょう。ひょうきんで憎めない。かわいらしい)のある顔です。
大溝城(おおみぞじょう):滋賀県高島市
閠閥(けいばつ):妻方の親類の結びつきで、力を得ているような状態。政略結婚に多い。
京極高次の別名が『蛍大名(ほたるだいみょう)』姻族関係の力で上層部の位置にいられる。
根来(ねごろ):和歌山県岩出市(いわでし)
佐敷城(さしきじょう):熊本県芦北町(あしきたまち)
八代城(やつしろじょう):熊本県八代市
読んでいて、西暦1600年前後に造られた城の石垣が、現在も残っていることに、たいしたものだという思いが生まれます。
大坂城:大阪城
坂本城:滋賀県大津市
一丈(いちじょう):3.03m。本書の記述では、雪の深さ。
大津城改修の下地づくり(したじづくり)をするようすは、遺跡の発掘作業のようです。考古学があります。
徳三郎:近くの農家の三男坊で17歳。三男ゆえにあとは継げない。宇佐山城(滋賀県大津市)近くの生れ。信長と浅井・朝倉の戦の時に宇佐山城で戦いがあったときの命拾いをしたこども。塞王のおかげで助かったというつなぎ話あり。
儂:読みして、「わし」。自分のこと。
多賀孫左衛門(たが・まござえもん):大津城改修のための奉行(ぶぎょう。責任者)
御方様(おかたさま):お初の方のこと。京極高次の妻。浅井長政の娘。織田信長の姪(めい)。豊臣秀吉の嫡子(ちゃくし。長男とか、家を継ぐものとか)豊臣秀頼のおば、徳川家康の嫡子徳川秀忠の義理の姉。記述を読むとおてんば娘っぽい。白い肌、通った鼻筋、切れ長の目に長いまつ毛。28歳。
忠五郎:飛田匡介の部下。
仕事が捗る:仕事がはかどる。
倦む(うむ):退屈する。
瞠目(どうもく):驚いて目をみはる。
夏帆(かほ):飛田匡介が好きになる若い女性。お初の侍女(じじょ。上流階級の女性の身の回りの世話をする人)。二重瞼(まぶた)、つぶらな瞳、整った鼻筋、上唇厚し。愛嬌のある顔。26歳。12歳のときに、北庄城(きたのしょうじょう。福井城。福井市)落城を体験した。柴田勝家が秀吉に敗れた。
ここまで読んできて、豊臣秀吉と現在のロシア大統領は似ているという感想をもちました。豊臣秀吉は朝鮮半島へ戦をもちこみ、ロシア大統領はウクライナに戦争をもちこみました。
験担ぎ(げんかつぎ):以前結果が良かった行為をまた行う。
吉次、金四郎:飛田匡介の部下。
石に対する愛着があります。
『どんな城も完全ではない……』
ライバルとなる国友彦九郎(くにともげんくろう)が、改修している大津城を検分(けんぶん。検査)したそうです。1598年のことだそうです。
(つづく)
豊臣秀吉の平和な世の中が続いているうちは、戦のための城づくり、城の管理の仕事は減ります。
豊臣秀吉が1598年9月18日に61歳で亡くなってから、主人公たちは動き出します。
日本が二分化されて、関ケ原の合戦へ向かっていきます。
武断派(戦場で戦ってきた者たち):加藤清正、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、支援者として、豊臣秀吉の正室の北政所ねね(きたのまんどころ)。高台院(こうだいいん)
文知派(吏僚(りりょう。役人、官吏(かんり)、戦では兵たん担当(食料、武器の運搬。後方支援)):石田三成、増田長盛(ました・ながもり)、前田玄以(まえだ・げんい)、長束正家(なつか・まさいえ)、支援者として、豊臣秀吉の側室(そくしつ。一夫多妻制における本妻以外)で後継ぎ豊臣秀頼の母淀殿(よどどの)、茶々、母は織田信長の妹市(いち)
南山城の童仙房(どうせんぼう):京都府南山城村。物語の中の領主は、野殿家(のどのけ)
祝着(しゅうちゃく):喜び祝う。
七等級:本作品中では、石の大きさ。
野面積み(のずらづみ):最古の手法。地形に合わせてさまざまな大きさの石を積む。
三番石:控えが長いものを集めているとあります。控え:石材の奥行。『番』の意味はちょっとわかりません。
五番石:打ち込み用と書いてあります。約30cm正方体。「打込接(うちこみはぎ)」という工法で使用する。石同士の接合部分を加工してすきまをなくす。外からの力には強いが、内からの力には弱い。水はけが悪いので、内部から壊れてくる。さらにすき間をなくすのが「切込接(きりこみはぎ)」野面積み(のずらづみ)のほうが、長期間石垣の維持ができる。
大筒、焙烙玉(ほうろくだま):大砲、焙烙玉は、手りゅう弾のような兵器。
乱積み:大小の石を積む。
布積み:同じような高さの石を横に並べる。
穴太積み(あのうづみ):野面積みと乱積みの合成。
鎬隅(しのぎすみ):石垣の隅は鈍角。
1599年、飛田匡介は、美濃大垣で正月を迎える。(岐阜県大垣市)
加賀大納言:前田利家
内府(ないふ):徳川家康
毛利中納言(もうりちゅうなごん):毛利輝元(もうり・てるもと)
後藤屋の木工兵衛(もくべえ):前田家専属の石工(いしく)になる。武士になることを意味する。
戯言(ざれごと):ばかばかしい話
関ケ原の戦いの前哨戦(ぜんしょうせん。本戦の前の小さな戦い)である伏見城の戦いが近づいてきている内容です。(1600年8月1日落城。関ケ原の戦いは、9月15日)伏見城には、家康が家臣の鳥居元忠らを残しています。
自らが築城に関わった伏見城を守るべく飛田源斎が伏見城に向かいました。『塞王』の身分を弟子の飛田匡介に譲りました。 飛田源斎は、戦場で(いくさばで)死ぬつもりでしょう。『お前は違う。乱世と泰平を繋ぐ(つなぐ)石垣だ』力強い声かけがありました。『お前はすでに俺を超えている』なんだか北斗の拳のケンシロウのような雰囲気です。
いっぽう敵方である鉄砲職人の国友彦九郎(くにとも・げんくろう)も動き出します。伏見城へ向かうでしょう。
長光寺城(ちょうこうじじょう):滋賀県近江八幡市
(つづく)
第六章まできました。279ページです。
1600年7月15日徳川家家臣鳥居元信の伏見城での籠城が始まりました。城づくり職人の元「塞王」である飛田源斎もいっしょです。7月19日に開戦、8月1日に落城です。飛田源斎も落命します。9月15日が関ケ原の戦いです。激動の時代です。
なかなかややこしい。寝返り(裏切り)が横行します。
豊臣秀吉亡きあと、豊臣家の力は衰退化していきます。組織を維持していくことはたいへんです。
向島城:京都市伏見区
弾正丸(だんじょうまる)、徳善丸、治部少丸(じぶしょうまる):木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)の構造
扇の勾配(おうぎのこうばい):石垣づくりの技術。横から見るとそりかえっている。武者返し。忍び返し(しのびがえし)
なかなか知恵が深い戦法です。
石垣の穴から城方が鉄砲で狙い撃ちです。
日野城:滋賀県蒲生郡日野町
笹五郎:石垣造り職人。段蔵と同い年。55歳ぐらい。
国友の最新銃:火打ち石と回転の摩擦を利用して放たれている。
情報戦があります。
鼻を明かす:策略を用いて、優位に立っている相手を驚かせる。
伊勢国阿濃津(あのつ):三重県津市
京極高知(きょうごく・たかとも):大津城主京極高次の弟。信濃飯田十万石大名(長野県飯田市)のちに宮津城主(京都府宮津市)
京極高次は、北陸方面へ行ったと思ったら、二日後に大津城に戻ってきました。大津城に籠城する作戦です。
帰城のきっかけは、西軍石田三成のプランで、大津で徳川家康の東軍と決戦することを予定していることが判明したからです。
京極高次は、自分の領土と領民を守るために大津城へ戻ってきました。領民を城内に招き入れます。
京極高次は、独特な思想をもっています。徳川家康の味方になったわけではありません。(謀反とか寝返りではない。(むほん。寝返りは西軍への裏切り)自分の藩の領土と領民を守りたいのです。
されど、秩序を維持したい西軍は、命令に従わない京極高次のいる大津城を攻めます。指示にさからう者には罰(ばつ)を与えなければなりません。
<内輪もめは(うちわもめは)組織が崩壊するときの前兆(ぜんちょう。前触れ(まえぶれ)になります>
佐和山城:滋賀県彦根市
ふと思う。石垣職人「塞王」となる飛田匡介の生き別れの妹(飛田匡介は死んだと思っている)花代(かよ)は、いつになったら登場してくるのだろう。(468ページで出てきます。そうかここか! すごいなあと恐れ入りました。伏線となっています。石の話が出ます)
毛利兵部大輔(もうりひょうぶたいふ):西軍総大将毛利輝元の叔父毛利元康
(つづく)
蛍:京極高次のこと。蛍大名(148ページ)。妻お初(おはつ。父は浅井長政。母は織田信長の妹お市の方(おいちのかた))のおかげで(女性のお尻の七光りのおかげで(七は大きなという意味))大名になれた。また、妻おはつの姉が淀殿(よどどの。茶々)で、豊臣秀頼の母親。
無双(むそう。ふたつとないこと。ひとつで優れていること):立花侍従(たちばなじじゅう)宗成(むねしげ)。西国無双と呼ばれる武将。180cm。凛とした眉(りんとしたまゆ)美男子(びだんし)
葉山正二郎:毛利家家臣。西軍の使者。京極高次に大津城での籠城をやめて、東軍との戦いのために出兵するよう、うながすが、断られて、開戦のきっかけとなる。
京極高次の言葉として『……京極家は内府(ないふ。徳川家康)の味方ではない。大津の民の味方よ。決してこの地を戦場にはせぬ』(日本を戦場にはしないという政治家がほしい)
鉄砲弾(てっぽうだま)を跳ね返す石垣(楯たて)対鉄砲弾(矛ほこ)の戦いが始まりました。
壮絶です。
戦法がいろいろあります。
文章を読みつつ、昔映画で観た『三国志』とか『のぼうの城』のシーンを思い浮かべながら頭の中で想像します。
今年読んで良かった一冊になりました。
十時連貞(ととき・つれさだ):西国無双(さいごくむそう)と呼ばれる立花宗成の部下。立花四天王のひとり。
訝しい:いぶかしい。あやしい。疑わしい。
京極高次のお言葉がいい。
飛田匡介の『お言葉を(指示してください。責任者の立場として命令してくださいという意味合い)』に小姓が(こしょうが。京極高次の秘書役の武士が)、
『我のために戦わずともよい。京極家のために戦わずともよい…… 大津の民のために戦ってくれ……』
鵜飼藤助:伏見城の戦いでの飛田屋にとっての裏切り者。甲賀の忍び(しのび)
『あの男(飛田匡介)は、一兵たりとも死なせぬことを目指します』
指揮をとる人間が考える時のパターンがあります。
勝利を得るためには、多少の犠牲者はしかたがないと考える権力者が多い中、飛田匡介も京極高次もひとつの命を大事にします。そこが、この本のいいところです。純粋です。
罠(わな)がいっぱいあります。
鏖:(人間を)みなごろし
河上小左衛門(かわかみ・こざえもん):京極高次側の武士。25歳。
西軍側の『竹束作戦(たけたばさくせん)』には、恐れ入りました。鉄砲の弾(たま)を密集させた竹の束で受けとめます。
黒鍬者(くろくわもの):合戦のさなかに、戦場において、土木工事のようなことをして攻めたり、守ったりしやすい現場をつくる仕事をする人間。この物語の場合、外堀の水を抜こうとします。
人間の知恵というものはたいしたものです。
なかなかの名勝負が続きます。
垂涎の的(すいぜんのまと):よだれをたれる。欲しくてたまらない。
鋼輪式銃(こうりんしきじゅう):火縄はいらない。引き金を引いてバネと歯車と火打石(ひうちいし)の力で発射する。
徒歩:「かち」と読む。
棹立ち(さおだち):馬が前足を上げてまっすぐ立ち上がった状態の表現です。うまい。
『低いから易しい(やさしい)ってもんじゃねえ。』
段差が低いと、人は通過できるが、馬は通過できない。味方の人間は逃げることができるが、馬に乗った敵は前進できない。
障子掘り(しょうじぼり)。畝堀り(うねぼり)。
大津城を守る飛田匡介グループは劣勢に陥ります(おちいります)。
戦いの道具である『石』を相手軍に奪われてしまいました。
弾の(たまの)ない鉄砲みたいな状態です。
午前1時、いちかばちかの反撃が始まりました。
琵琶湖の向こうから石を積んだ船が三艘(さんそう)やってきました。
されど、それらの船のまわりは敵だらけです。
『どいつもこいつも本気だ』
小野鎮幸(おの・しげゆき):敵方である立花四天王の一人(ひとり)。
勝負の鍵を握るのは①夜 ②風 ③雨 自然を味方につける。
410ページ付近を読みながら、この作品は映画化されるかもしれないと思いました。
石の使い手たちは、勇猛果敢(ゆうもうかかん)です。
石の大きさに応じて石垣をこさえるように、人間も組み合わせて強固な集団をつくる。
戦いのクライマックスが近づいています。
ふだん、城といえば、観光用のイメージしかありませんがこの本では、『戦闘用の城』としてのお城の紹介があります。
文章にちょっとだけ出てきた『小田原城』は、新幹線の窓からチラリと見るだけで、訪れたことがありません。行ってみようかなという気持ちになりました。
引き鉦:ひきがね。合戦で、味方に、引き上げるよう(退却)指示するときに打ち鳴らす鐘。
大筒(おおづつ):大砲。されど、弾(たま)で破壊するだけで、弾が爆発するものではありません。書中では期待されていない武器として紹介があります。容易に動かせないので、戦場で(いくさばで)相手に奪われやすい。
書中では『雷波(らいは)』という大筒が登場します。全長約3m、太さ約33cm、弾(たま)の重さは約3.9kg。
文章を読んでいると、時節柄(じせつがら。今どきだと)ウクライナ攻撃のロシアのミサイルを思い浮かべます。
矛(ほこ。大筒)と盾(たて。城の石垣の利用)との勝負です。
大勝負です。
作者がこのあと、この勝負をどのように表現して、どう決着させるのかが読む楽しみです。
鵺(ぬえ):正体不明の怪鳥。妖怪。
『三百二十六!』大筒から弾が発射後、次の弾が発射されるまでの時間をカウントして把握、記録します。数値を測って(はかって)考察(こうさつ)する世界です。
長等山(ながらやま):大筒を設置した山。大津城の西北。山の途中に三井寺(みいでら)がある。大津城からの距離は約1100m。
宥める:なだめる。
四半刻以内(しはんときいない):30分以内ぐらい(江戸時代と現代では時間の概念が異なる)
慄いて:おののいて。びっくりして。驚いて。恐れて。
作者はどちらの軍の味方でもありません。(非情です。殺し合いのむなしさを冷静に見つめながらなにかのメッセージを発するのです)
口を窄める:くちをすぼめる。
噎せ返る:むせかえる。
埒が明かない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。はかどらない。
比良:琵琶湖の西海岸
『ひとりの命を生贄(いけにえ)に百人を救う』先日読んだ作品『テスカトリポカ(古代メキシコアステカ文明に出てくる闇の神)』を思い出しました。
名言が出てきました。
『……漫然と生き(まんぜんといき)、大層に非難だけを浴びせる世間という化物(ばけもの)……』
切羽(せっぱ):差し迫った状況
威名(いめい):武将の称号。名声
宗成のいい言葉として、
『今からでもよいではないか。人はそう思った時から歩み始める』(人として、してはいけないことはしない。超えてはいけない線は超えない)
乾呻一擲(けんこんいってき):いちかばちかの大勝負に出る。
尾花川口:大津城の北西。約381m。ここに大筒を設置しなおして城を撃つ。
(つづく)
読み終えました。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。
本の最初のほうにある『大津城縄張り図』というのを見ながら、大筒と(おおづつ、大砲と)、城の「伊予丸」という部分に造られる天守閣を守るための石垣の攻防です。
砲台と天守閣、両者の距離は約380m、天守閣の高さが約24m、天守閣を守るための楯(たて)となる石垣の高さが約8.2mで、砲台から約300mの位置に石垣を築きます。
大砲の弾は(たまは)どんどん飛んできます。石垣はそのたびに崩れますが、石垣職人たちが、次の弾が飛んでくる前にすばやく修復するということを繰り返します。
早朝から晩まで、繰り返される戦いです。
戦(いくさ)のなかで何人かは命を落としていきます。
非情であり、虚無(きょむ。むなしさ)があります。
藩主は、負ける時は、家族とともに切腹、自害です。
武士は死ぬ気で日々を送っています。
むずかしい漢字がたくさん出てきます。
咎める(とがめる):注意する。
喚く(わめく):大声を出して乱れる。
恰好(かっこう):姿のことですが、この場合、メンツを立てさせてくれ。(殿様としての立場をつけさせてくれ)
作事奉行(さじぶぎょう):造営、修理、土木工事担当責任者
撓む(たわむ):弓なりになる。
松明(たいまつ):灯りをとるためのトーチ。長い棒。
宰相(さいしょう):首相。組織のトップ。
喊声(かんせい):ときの声。エイエイオー。
轟、轟、轟:ごう、ごう、ごう
蔑む:さげすむ。見くだされる。
摑む:つかむ。
搔き毟る:かきむしる。
翳す:かざす。
篝火:かがりび。
捲し立てる:まくしたてる。
予め:あらかじめ。
聲:こえ(声)
眉唾(まゆつば):だまされないように用心するようなことがら。狐(きつね)にばかされないおまじないで、眉につばをつける。
腑に落ちる:ふにおちる。納得できる。
殿様である京極高次の言葉がわかりやすくていい。
領民に対して、事実を理解できるように話してくれます。
『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』
上下の信頼関係がなくなったら、組織は崩壊します。
文章を読んでいると、なにかしら、原子力発電所の原子炉を囲っている1mぐらいあるぶ厚いコンクリート壁の一部分に狙いを定めて、集中的に高性能ミサイルを何回も撃ち込んでいるような絵が頭に浮かびます。恐ろしい。
石垣職人たちの動きがすごい。
飛田匡介の指示に従って、すばやく石垣を修復します。
チームワークあります。
いいなと思った言葉です。
『承知(しょうち。OK)』
防備の鍵を握るのが『要石(かなめいし。この石のおかげで勝ち負けが決定する)』
『奥義は「技」ではない』→『人が石垣になること』武田節を思い出します。『人は石垣、人は城』
『これにて大津城を開城する。』
いつか映画化されるといいなー
半吉(はんきち):棚田の持ち主。30代の百姓。半吉のこどもが、6歳の全太(ぜんた)。
野分(のわけ。のわき):嵐。台風のようなもの。
2022年08月16日
星を掬う(すくう) 町田そのこ
星を掬う(すくう) 町田そのこ 中央公論新社
最初に思うのは、読めるタイトルを付けてほしい。
掬う(すくう)が読めませんでした。
タイトルを見た時点で、伸びた手がひっこむデメリットがあります。
書評の評判が良かったので読むことにしました。
はじまりは、親のいないようなこどもの話です。
偶然ですが、最近観た映画が『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ原作です。バトンは、自分を育ててくれる親のいない女の子のことです。
親のいないこどもが増えた現代社会が背景にあるのでしょう。
こどもが生まれても母親・父親の役割を果たす能力がない人はいます。人間は完ぺきではありません。
昔は、兄弟姉妹がたくさんで、年長の年の離れた兄や姉、あるいは、叔母などが、親代わりのように下の子を育てたり、地域にあるこどもの縦型年齢層社会で、上の学年が下の学年のめんどうをみる集団遊びがあったりしました。
日本はこの半世紀でずいぶん様変わりしました。(さまがわり)
年下のこどもらのめんどうをみるのは「ヤングケアラー」とはいわないのでしょう。
とりあえず、32ページあたりまで読みました。
芳野千鶴:主人公女子。バツイチなれど、別れた元夫がお金をせびりにくる。お金を取られてしまう。芳野千鶴の両親は、 千鶴が小学校一年生のときに離婚した。
母親が家を出て行った。
千鶴は、父親の実家に引き取られた。
千鶴が17歳のころに父親が死んで、父の実家は経済的に破たんして家屋敷ほかを失った。
野々原弥一:芳野千鶴の元夫。千鶴より7歳年上。若い頃はスポーツマンで営業職として輝いていたが、離職して、今はだらしない男に成り下がっている。
川村主任:女性。芳野千鶴が働くパン工場の主任。勤続32年のベテラン社員。
岡崎:男性。パン工場での芳野千鶴の同僚。
ホン:パン工場での同僚。中国人留学生。
星を掬う(すくう)というのは、パン工場にヒントがあって、パン製造におけるなにかの原料を掬う(すくう)ということだろうかという推測が生まれました。(でも、元夫が元妻の給料をせびりに会社まで来るので、芳野千鶴はパン工場を辞めてしまいました。なんと、ひどい話であろうか)
ラジオ番組に昔の自分の思い出を投稿して採用されるとお金がもらえる企画があるそうです。(単なる原稿料、作品料のような気がするのですが。まあ、賞金です)
芳野千鶴の小学一年生のときの思い出話が、準優勝して5万円ゲットとなります。
どうも、わけあって、芳野千鶴が小学一年生のときに、母親とふたりでドライブ旅行をしたらしい。28ページに出てきますが、さみしいお話です。夫婦関係の破たんがあります。
(このあと、母親が内田聖子52歳で、母親と同居している他人が芹沢恵真(せりざわ・えま たぶん25歳前後)で、芹沢恵真(せりざわ・えま)は内田聖子をママと呼んでいます。あとからわけありでいろいろ出てきます)
自死の話が出て、これからのお話の内容が、暗いのか明るいのかよくわかりません。
出奔(しゅっぽん):逃げ出して、行方(ゆくえ)をくらませる。連絡なしにいなくなる。
元妻の給料を前借りしたいという元夫の行動が出てきます。
その部分を読んでいて久しぶりに思い出したことがあります。
自分が小学生のころの話ですが、わたしの死んだ親父が勤め先から、給料の前借りをよくしていました。
半世紀以上昔の話でもう忘れていました。あのころは生活が苦しかった。
個人営業主の勤め先だと、給料担保で前借りができました。今はどうなのか知りません。
名言なのかもしれないフレーズ(セリフ)が出てきました。
『千羽鶴みたいじゃないですか。何も救わない』
主人公の名前芳野千鶴と関係があるかもしれません。(読み終えて、関係があったようななかったようなでした)
番重(ばんじゅう):浅くてふたのない箱。パン、麺(めん)、料理、食材を運ぶときに使用する。
ラジオの番組ディレクターが、野瀬匡雄(のせ・まさお)です。
元夫は、元妻を『お財布』として利用しようとしている悪人です。(最近テレビで報道されている、とある宗教団体が、日本の信者の財産を教団の『お財布』として利用していたというニュースを思い出しました)
優しそうな顔をしていても厳しい暴力を振るう男というのはいます。ただ、女性にもそういう人柄の人はいます。笑顔で近づいて来る人は要注意です。下心があるから笑顔なのです。ふつう人は、下心がなければ、ふつうの顔で話しかけてきます。
自分がお財布代わりにされてもいいという人もいます。洗脳されている人です。自分の話をふんふんと優しく聴(き)いてくれた代金が寄附なのでしょう。
DV被害者女性である芳野千鶴さんについての暗い話が書いてあります。
警察を呼ばねばなりませんが、洗脳されているから「呼ばないで」という返答が本人からあります。本人は元夫からの仕返しが怖いと言いますが、相手の暴力を容認する気持ちがあるからそんな言葉が出てきます。なんだか、リアルなお話です。
洗脳とは、気持ちや考え方のもちようを支配されることです。他者に意識をコントロールされるということです。かかったら、なかなか抜け出せません。一般的にDVの加害者は、対象者をきつく責めたあと、優しく接します。要注意です。気を許してはなりません。
世の中には、芳野千鶴の元夫のように、五体満足で、口も達者なのに、働けない人が一定数います。そのことに気づいたらそういう人とは、距離を開けた(あけた)ほうがいい。
主人公芳野千鶴のひとり語りのストーリーには、渾身の(こんしんの。せいいっぱいの)力がこもっています。
数か月前にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で見たシーンを思い出しました。
関西に住む女性が、自分が幼児のときに別れた父親に会いに行くお話でした。涙なくしては見られない再会シーンでした。
そのなりゆきが、このストーリーに似ています。
高齢になられたお父さんは、名古屋市にある集合住宅でひとり暮らしをしておられました。
高度経済成長期で、深夜まで続く連日の残業で、どうも浮気をしていると誤解されたらしく、妻の実家の親に嫌われて家を追い出された。
まだ幼い娘との再会を望んで会いに行ったが、妻の親が暴力をふるってきたのであきらめた。
いまだにどうして離婚させられたのかわからないという男性のお話でした。
44年ぶりの父と娘の再会という感動的なシーンでした。
主人公の芳野千鶴は、母親と別れて22年間です。当時母親は30歳でした。
小学一年生のときに母親と1か月間車で旅行をしたあと母子の縁を元夫の母親に引き裂かれていますから、芳野千鶴は、現在は29歳ぐらいなのでしょう。今はバツイチで、DV夫が、お金をせびりにくる生活を送っています。
三人(芳野千鶴と芹沢恵真(せりざわ・えま)と野瀬匡雄(のせ・まさお))の出会いは、ドラマチック(劇的。心を揺さぶるシーン)なつくりです。
芳野千鶴の実母にいじわるだった父方祖母の存在は大きい。
毒親(こどの人生を支配する)は親だけではなく、祖父母にもあります。
「わたしがわたしが」と前に出てくる年配女性はたいてい嫌われます。
物語の方向を転換させる言葉として『助かるかもしれない』
押したり、引いたりの記述がうまい。
キーワードとして『若年認知症』
(つづく)
百地智道(ももち・ともみち):芳野千鶴の母親内田聖子52歳が通うデイサービスの送迎担当職員。愛称は「ともちん」。相撲部屋にいる新弟子みたいな体格。坊主頭。
さざめきハイツ:所有者は、主人公の母親の内田聖子。一人暮らしのお年寄り専門の家政婦をしていたときに世話をしていた男性から譲り受けた土地・家屋だそうです。(どうも不倫関係があったようです。だから、本妻さんとそのこどもたちに迷惑をかけています)
二階建て家屋。2階に5部屋。1階に3部屋。そばに鉄道線路があって、午前5時9分に始発電車が通過する。アパート形式の建物に知り合いではあるけれど、他人同士が集まって住んでいるような状態です。
内田聖子は、昔は旅館で仲居をしていたこともある。仲居:なかい。食事の世話や接待担当。
結城先生:イケメン内科医師。
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)内田聖子をママと呼んで慕っている。
九十九彩子(つくも・あやこ):44歳。ケアマネジャー。離婚歴あり。娘は夫が引き取ったが、元夫は再婚して、1歳夢人(ゆめと)という男児あり。娘は妊娠中の17歳。まあ、いろいろあります。むちゃくちゃです。
持田剛臣(たかおみ):九十九彩子の前夫。2年前に再婚して1歳のこども「夢人」がいる。ややこしくなります。持田剛臣と九十九彩子の娘である持田美保のこどもと持田剛臣のこどもの年齢が近い。つまり、自分の子と自分の孫の年齢が近い。
持田美保:九十九彩子と剛臣(たかおみ)の娘。
響生(ひびき):持田美保のおなかにいるこどもの父親。持田美保と同棲中。もうすぐ籍を入れるらしい。早く入れないとこどもの父親を認定するための戸籍手続きがややこしくなりそうです。本当に入れるのだろうか。疑わしい。オレの子じゃないと言い出すかもしれません。(やっぱり、186ページで、そんな感じになります。いなくなっちゃいました)
芳野千鶴は、小学一年生のときにいなくなった母親と再会したのですが、再会に感動はありません。母親の内田聖子52歳は別人格に変化しています。脳内のようすが、芳野千鶴が知る昔の母親とは違います。
むしろ、芹沢恵真(せりざわ・えま)と内田聖子のほうが母と娘のような雰囲気の関係です。
87ページを読んでいてふと、小学一年生のときの旅行の話はどこで出てくるのだろうかと思いつきました。(130ページ付近からちらりと出てきます)
窺う:うかがう。
リネン:シーツ、枕カバー、タオルなど。
読みながら『親子』って何なのだろうと考えさせられる内容です。
「家族を運営する」という言葉が出てきます。「運営」は変です。
因業ババア(いんごうばばあ):ひとつのことにこだわって、がんこで思いやりのないばあさまでいいのでしょう。主人公芳野千鶴の両親の離婚原因をつくった人です。
107ページです。
おもしろい。
マンガみたいだけれど、おもしろい。
よくしゃべる人たちです。
セリフでストーリーを進行していく手法です。
女性と仕事の関係について問題提起があります。
仕事をしたいからしている女性と、家庭に居場所がないから、しかたなく仕事に打ち込んでいる女性のタイプがあります。
主人公芳野千鶴の母親内田聖子は、祖母に娘である芳野千鶴をとられて、家に居場所がなく、仕事をするしかありませんでした。そして、今は、若年認知症になってしまいました。
この先、悲しい話になりそうです。
太川陽介さんと路線バスの旅をしていた認知症になったえびすよしかずさんの顔が、ふと頭に浮かびました。
(つづく)
元夫がお金をせびるために芳野千鶴に付きまとうわけですが、芳野千鶴のスマホの位置情報が知られるのが怖いなと思いながら物語を読み続けています。
あずさカフェ:近所にあるスイーツのお店。
芳野千鶴は、心の問題なのか、緊張しやすく、吐きやすい。
『あんたなんか母親じゃない』、『(母親は)自分だけが可愛い、最低のひとだ』
そこまで言うと、親子関係は修復がむずかしくなるのですが、母親は認知症です。理解できていないのか、できているのかすらわかりません。
むかし読んだ角田光代作品『キッドナップ・ツアー』を思い出しました。キッドナップは、「誘拐(ゆうかい)」です。
父親が、小学生の息子だったか娘だったかを妻のところから誘拐して旅をするのです。実の親子なのに誘拐という状態になるのです。(昔の読書メモを調べました。キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。冒頭、小学5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られない)
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)の追加情報として、両親がいない。1歳のときにふたりともが交通事故死した。母方の親せきの家であるおばさんとか、いとこの女子がいる家に引き取られて、差別的な扱いを受けてつらい思いをした。
(以前、同じような境遇にあった引きこもりの男性が関東地方で刃物を振り回して人々を襲い死傷事件を起こしたことを思い出しました)
ここらあたりのページまで、こども時代のつらいことが書いてありますが、18歳を過ぎたら、親は関係ありません。自分の責任で自分のやりたいようにやればいい。
親から見ればこどもというものは、極端なことを言えば、生きていれば、それでいいのです。
母親がつくってくれたサンドイッチに思い入れあり。
『うそっこバナナサンド』
こどものころに、いっしょに過ごした時間が長いほうが、親子のきずなは強まります。
『いっしょに過ごす時間』は大事です。なにをするでもなく、ただ単にその場にいっしょにいればいいのです。
母親本人が目の前にいても、娘から見た母親は人格が変わっています。
芳野千鶴の思い出の中にしか、本当の母親はいません。
文章として、人間はこんなにたくさんはしゃべらないと思います。(小説です)
また、文章が延々と続いて、ひと休みの区切りがなかなかありません。(読みづらさにつながっています)
おとなによるこどもへの性犯罪の話も出て、うーむ、暗い。
ロウベンというのは、漏便ということなのでしょう。歳をとるとそういうことはありまする。(違っていまいた。弄便(ろうべん)と書くそうです。ウンチをいじるそうです。ああ、そんなふうにはなりたくない。もしそうなったら、精神科の鍵がかかる病室に入るしかない。本では、認知症対応型グループホームのことが書いてあります)
悲惨な(ひさんな)話が続きます。
世の中は、悪い人間ばかりではありません。
なのに、夢も希望もなくなりそうな話が続きます。
人間が(母親の内田聖子52歳の脳みそが)壊れていきます。
164ページまで読んで考えたことです。
家族関係がどうしてこうもうまくいかないのか。
①お金がない。お金をうまくコントロールできない。借金。そもそも返済する意識がない借金がある。
②極端にかたよった欲望。自分の思いどおりにしたい欲望。そこから生まれるいじめ、DV(家庭内暴力)がある。自分の身は自分しか守れないという現実がある。
③人間の本能をコントロールできない。物欲、性欲、自己顕示欲。
人生にとって必要なものは『適度のお金と心身の健康』であろうと悟るのです。(さとる。理解して自分のものとする)
(つづく)
いいなと思った文章として『母はどこにでもいるような量産型の地味な女だった……』
165ページから突然、認知症の内田聖子さんが正気(しょうき。まとも)の状態での思索が始まります。内容は、内田聖子さんのお母さんのことです。主人公芳野千鶴からみれば母方祖母です。
内田聖子さんには兄がいるらしい。
『私はじわじわと砂袋に変わっていく女の……』文章表現がうまい。
カッシーナのヴェランダソファ:イタリアの高級デザイナー家具製造会社。屋外に置くソファ。
内田聖子さんの徘徊話です。(はいかい:あてもなく、歩きまわる)
意図的なものがあるのでしょうが、感情に押し流されて物事を考えるのは、おとなの世界ではありません。
芳野千鶴さんの金せびり元夫の野々原弥一さんは、なかなか登場してきません。
女性の登場人物たちによる『女の世界』が延々と描かれています。
『……あの家の中での私は、私じゃなかった……』
『ガラス玉の目』
胸にぐっとくるものがあります。
『私は好きでもない男の人と結婚した』
以前、テレビ番組「徹子の部屋」にゲストで出た南こうせつさんが、父親のお葬式のあと、母親が『(亡くなった夫のことを)ほんとうは、好きじゃなかった』と言ったのでショックを受けたと話されていたことを思い出しました。昔は見合い結婚が主流でしたから、そういうこともあったのでしょう。女の強さを物語るひとことだと受け止めました。
別の話で、夫の葬式のあと、亡夫の妻である自分の母親が、北海道に住む初恋の男性に会いに行くと言い出して、実際会いに行ってしまったのですが、非常に気持ちがとまどったという息子さんの話をなにかのときに聞いたことも思い出してしまいました。「結婚」と「恋愛」は違うということもあるということなのでしょう。ずっとがまんしていた。女性の強さがあります。
206ページにこの本のタイトルの意味が出てきます。
『記憶の海』があって、そこに、母親が娘に伝えたいものがあるのに、思い出したいことが掬えない(すくえない)。認知症になって、記憶を思い出せない。掬い方(すくいかた)がわからない。
悲しくつらいお話です。
新しい命の誕生があります。
ひとり死ねば、ひとり産まれるのが、人間界のありようです。
バツ1ケアマネ九十九彩子44歳の娘持田美保17歳のおなかに女児が宿っています。未婚の母です。男は逃げてしまいました。
試し行為:ちびっこがよくやります。これをやったら、怒られるか怒られないか相手の出方を試してくるのです。
認知症になってしまっている52歳の内田聖子の話があります。
本人につらいこともあったでしょうが、楽しかったこともあったと思いたい。
昔、映画『ああ野麦峠』という映画の舞台になった野麦峠に、車を運転していて偶然迷い込んでしまったことがあります。 北アルプス乗鞍岳山麓をドライブしていたときのメモが残っています。
看板が立っていました。長野県の織物工場で働いてた女工哀史とありました。
悲しくて苦しいことばかりではなかったと思うのです。
楽しいことやうれしかったことだってあったと思うのです。
女工さんたちはこの峠をみんなで合唱しながらはしゃぎつつ歩いたと信じたい。
そうでなければ、人生はやりきれない。
カットクロス:美容室や理髪店で体にまく布。
モンチッチ:猿に似た妖精。
ボブ:髪型。ショートヘアより長い。丸みあり。
イロハモジミ:単にモミジと言われることが多い。落葉高木。
GPSアプリ:スマホで使用する。位置情報がわかるアプリケーション。
『ひとってのは、水なのよ』
そのとおりです。
ブリーチ剤:髪の毛の色素を抜く薬剤。
マザーズバッグ:ママのバッグ。こどもとのお出かけのときに使う。
『依存心』があります。
だれかに頼る生き方です。
うまくいかないと、だれかのせいにする生き方です。
母親の内田聖子も主人公の芳野千鶴も九十九彩子の娘持田美保も依存心が強い人です。
文章にもありますが、自分の不幸の責任を相手にとらせようとします。
人間界は純白ではありません。
グレーゾーンです。
白でも黒でもない灰色、グレーゾーンがおとなの世界です。
ふと、以前読んだ曽野綾子さんの本を思い出しました。
『なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 だいわ文庫』(以下、感想メモの一部です)
世界は広い。固定観念を打破しようという教示があります。世界の人々は、日本人のように正・悪でものごとを判断しない。外人から見ると、日本人は非人間的で異様なところがあるそうです。浮世離れした平和主義者は世界では珍獣のようなものと結ばれています。
季節を重んじるのは日本人の特性。四季のない外国で暮らす人に季節のこだわりなし。
著者は、最終部分でこう説きます。「したいことだけをするのは幼児。したくないことをするのが大人」
やり直しがきかないこととして「殺人」と「自殺」
スイートポテトパイ:アメリカ合衆国南部の伝統料理。サツマイモでつくる。
インフルエンサー:影響力がある人物
椋本工務店(むくもとこうむてん)
読んでいての感想です。
認知症の母親内田聖子がたまに正気になるときがあるのですが(しょうき。正常)、バランスがうまくいっていないような気がします。
他の人の情報が多すぎてすっきりしません。
とくに17歳の持田美保の妊娠話が多いです。
主人公の芳野千鶴が小学一年生のときの内田聖子との一か月間の旅のことにはほとんど触れられていません。読み手の自分は、拍子抜けの気分です。(ひょうしぬけ。期待していたものが得られない)
『依存』が素材にあるので、『私を捨てて』という言葉が出てきます。
(つづく)
うーむ。かんじんなところで、読めない漢字が出てきます。ふりがながほしい。作者はむずかしい漢字になにかのこだわりがあるようです。
纏う:まとう。
繋がる:つながる。
抓る:つねる。
バックレた:逃げ出す。姿をくらます。
禍々しい:まがまがしい。恐ろしい。不気味。
上がり框:あがりかまち。玄関と廊下の境目。段差。
トラウマ:過去に起きたショッキングな出来事で心に傷が残っている状態。
蹂躙:じゅうりん(これはふりがなあり)権力者が権力を使って、弱い者いじめをすること。
SNSで個人情報が(居場所が)ばれる。
妊娠マニア:妊娠していると精神状態が安定する。妊娠していないと精神状態が不安定になる女性らしい。
主人公芳野千鶴の認知症になっている内田聖子は、主体性のない女性だった。自分で決定することができなかった。自分のまわりにいる人間の顔色をうかがって、喜ばれるようにふるまっていた。
286ページにようやく、母子の旅のことが出てきます。
むしろ、この部分を最初にもってきて、その後の話の広がりを楽しみたかった。
物語の構成として、後半で、秘密を明かす手法ですが、最初から秘密を公開しても作品自体の味わいは落ちないと思います。
人との別れ方が書いてあります。
一般的なこととして、年老いた夫婦の別れは、亡くなる当事者の入院とか施設入所で、生きているうちにはもう会えなかったということがあります。コロナ禍のここ数年はそのパターンでした。お互いに生存していて、近くに住んでいても、顔つき合わせて面会することができませんでした。親子でも同じです。
DV加害者のしつこさが書いてあります。
被害者は加害者を殺すしか逃れる手段はないのか。
加害者は脳みその病気です。しつこいこと、粘着質であることがいいことだと本人は誤解しています。
「ネバーギブアップ」が、へんなところで脳みそにしみついています。
こういう人って現実にいます。
母親の役割があります。
どんなにできそこないのこどもでも、自分が産んだ自分の分身であるこどもを、母親は許します。責めません。『大丈夫、千鶴はできる子だから……』
後半は暴力的なシーンです。
構成として、なにかがうまくいっていません。
ほしいのは、激しい怒りではなく、静かなる闘争シーンでした。
逃げていては解決しないのです。
以下は、一般的に、生き物がとる自分を攻撃してくる者に対する対応の順番です。『じっとしている』→『逃げる』→『戦う』 最後は、なにがなんでも戦わねばなりません。生きている人間は、生き続けることを選択することが、人間としての義務であり権利です。
相楽さん:さがらさん。内田聖子が世話になった人。
神様の話が出てきて宗教的です。
『生きなさい』
『不安定』です。いつまでも『不安定』な暮らしが続きます。
『てぃもての』認知症の母親の言葉です。意味はわかりません。
読み終えました。
なにかしら無理があった。
芳野千鶴と内田聖子の母子関係だけの話題に絞って(しぼって)、一点集中方式のほうが良かったのではないか。ふかーく、掘り下げても良かったのではないか。
最初に思うのは、読めるタイトルを付けてほしい。
掬う(すくう)が読めませんでした。
タイトルを見た時点で、伸びた手がひっこむデメリットがあります。
書評の評判が良かったので読むことにしました。
はじまりは、親のいないようなこどもの話です。
偶然ですが、最近観た映画が『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ原作です。バトンは、自分を育ててくれる親のいない女の子のことです。
親のいないこどもが増えた現代社会が背景にあるのでしょう。
こどもが生まれても母親・父親の役割を果たす能力がない人はいます。人間は完ぺきではありません。
昔は、兄弟姉妹がたくさんで、年長の年の離れた兄や姉、あるいは、叔母などが、親代わりのように下の子を育てたり、地域にあるこどもの縦型年齢層社会で、上の学年が下の学年のめんどうをみる集団遊びがあったりしました。
日本はこの半世紀でずいぶん様変わりしました。(さまがわり)
年下のこどもらのめんどうをみるのは「ヤングケアラー」とはいわないのでしょう。
とりあえず、32ページあたりまで読みました。
芳野千鶴:主人公女子。バツイチなれど、別れた元夫がお金をせびりにくる。お金を取られてしまう。芳野千鶴の両親は、 千鶴が小学校一年生のときに離婚した。
母親が家を出て行った。
千鶴は、父親の実家に引き取られた。
千鶴が17歳のころに父親が死んで、父の実家は経済的に破たんして家屋敷ほかを失った。
野々原弥一:芳野千鶴の元夫。千鶴より7歳年上。若い頃はスポーツマンで営業職として輝いていたが、離職して、今はだらしない男に成り下がっている。
川村主任:女性。芳野千鶴が働くパン工場の主任。勤続32年のベテラン社員。
岡崎:男性。パン工場での芳野千鶴の同僚。
ホン:パン工場での同僚。中国人留学生。
星を掬う(すくう)というのは、パン工場にヒントがあって、パン製造におけるなにかの原料を掬う(すくう)ということだろうかという推測が生まれました。(でも、元夫が元妻の給料をせびりに会社まで来るので、芳野千鶴はパン工場を辞めてしまいました。なんと、ひどい話であろうか)
ラジオ番組に昔の自分の思い出を投稿して採用されるとお金がもらえる企画があるそうです。(単なる原稿料、作品料のような気がするのですが。まあ、賞金です)
芳野千鶴の小学一年生のときの思い出話が、準優勝して5万円ゲットとなります。
どうも、わけあって、芳野千鶴が小学一年生のときに、母親とふたりでドライブ旅行をしたらしい。28ページに出てきますが、さみしいお話です。夫婦関係の破たんがあります。
(このあと、母親が内田聖子52歳で、母親と同居している他人が芹沢恵真(せりざわ・えま たぶん25歳前後)で、芹沢恵真(せりざわ・えま)は内田聖子をママと呼んでいます。あとからわけありでいろいろ出てきます)
自死の話が出て、これからのお話の内容が、暗いのか明るいのかよくわかりません。
出奔(しゅっぽん):逃げ出して、行方(ゆくえ)をくらませる。連絡なしにいなくなる。
元妻の給料を前借りしたいという元夫の行動が出てきます。
その部分を読んでいて久しぶりに思い出したことがあります。
自分が小学生のころの話ですが、わたしの死んだ親父が勤め先から、給料の前借りをよくしていました。
半世紀以上昔の話でもう忘れていました。あのころは生活が苦しかった。
個人営業主の勤め先だと、給料担保で前借りができました。今はどうなのか知りません。
名言なのかもしれないフレーズ(セリフ)が出てきました。
『千羽鶴みたいじゃないですか。何も救わない』
主人公の名前芳野千鶴と関係があるかもしれません。(読み終えて、関係があったようななかったようなでした)
番重(ばんじゅう):浅くてふたのない箱。パン、麺(めん)、料理、食材を運ぶときに使用する。
ラジオの番組ディレクターが、野瀬匡雄(のせ・まさお)です。
元夫は、元妻を『お財布』として利用しようとしている悪人です。(最近テレビで報道されている、とある宗教団体が、日本の信者の財産を教団の『お財布』として利用していたというニュースを思い出しました)
優しそうな顔をしていても厳しい暴力を振るう男というのはいます。ただ、女性にもそういう人柄の人はいます。笑顔で近づいて来る人は要注意です。下心があるから笑顔なのです。ふつう人は、下心がなければ、ふつうの顔で話しかけてきます。
自分がお財布代わりにされてもいいという人もいます。洗脳されている人です。自分の話をふんふんと優しく聴(き)いてくれた代金が寄附なのでしょう。
DV被害者女性である芳野千鶴さんについての暗い話が書いてあります。
警察を呼ばねばなりませんが、洗脳されているから「呼ばないで」という返答が本人からあります。本人は元夫からの仕返しが怖いと言いますが、相手の暴力を容認する気持ちがあるからそんな言葉が出てきます。なんだか、リアルなお話です。
洗脳とは、気持ちや考え方のもちようを支配されることです。他者に意識をコントロールされるということです。かかったら、なかなか抜け出せません。一般的にDVの加害者は、対象者をきつく責めたあと、優しく接します。要注意です。気を許してはなりません。
世の中には、芳野千鶴の元夫のように、五体満足で、口も達者なのに、働けない人が一定数います。そのことに気づいたらそういう人とは、距離を開けた(あけた)ほうがいい。
主人公芳野千鶴のひとり語りのストーリーには、渾身の(こんしんの。せいいっぱいの)力がこもっています。
数か月前にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で見たシーンを思い出しました。
関西に住む女性が、自分が幼児のときに別れた父親に会いに行くお話でした。涙なくしては見られない再会シーンでした。
そのなりゆきが、このストーリーに似ています。
高齢になられたお父さんは、名古屋市にある集合住宅でひとり暮らしをしておられました。
高度経済成長期で、深夜まで続く連日の残業で、どうも浮気をしていると誤解されたらしく、妻の実家の親に嫌われて家を追い出された。
まだ幼い娘との再会を望んで会いに行ったが、妻の親が暴力をふるってきたのであきらめた。
いまだにどうして離婚させられたのかわからないという男性のお話でした。
44年ぶりの父と娘の再会という感動的なシーンでした。
主人公の芳野千鶴は、母親と別れて22年間です。当時母親は30歳でした。
小学一年生のときに母親と1か月間車で旅行をしたあと母子の縁を元夫の母親に引き裂かれていますから、芳野千鶴は、現在は29歳ぐらいなのでしょう。今はバツイチで、DV夫が、お金をせびりにくる生活を送っています。
三人(芳野千鶴と芹沢恵真(せりざわ・えま)と野瀬匡雄(のせ・まさお))の出会いは、ドラマチック(劇的。心を揺さぶるシーン)なつくりです。
芳野千鶴の実母にいじわるだった父方祖母の存在は大きい。
毒親(こどの人生を支配する)は親だけではなく、祖父母にもあります。
「わたしがわたしが」と前に出てくる年配女性はたいてい嫌われます。
物語の方向を転換させる言葉として『助かるかもしれない』
押したり、引いたりの記述がうまい。
キーワードとして『若年認知症』
(つづく)
百地智道(ももち・ともみち):芳野千鶴の母親内田聖子52歳が通うデイサービスの送迎担当職員。愛称は「ともちん」。相撲部屋にいる新弟子みたいな体格。坊主頭。
さざめきハイツ:所有者は、主人公の母親の内田聖子。一人暮らしのお年寄り専門の家政婦をしていたときに世話をしていた男性から譲り受けた土地・家屋だそうです。(どうも不倫関係があったようです。だから、本妻さんとそのこどもたちに迷惑をかけています)
二階建て家屋。2階に5部屋。1階に3部屋。そばに鉄道線路があって、午前5時9分に始発電車が通過する。アパート形式の建物に知り合いではあるけれど、他人同士が集まって住んでいるような状態です。
内田聖子は、昔は旅館で仲居をしていたこともある。仲居:なかい。食事の世話や接待担当。
結城先生:イケメン内科医師。
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)内田聖子をママと呼んで慕っている。
九十九彩子(つくも・あやこ):44歳。ケアマネジャー。離婚歴あり。娘は夫が引き取ったが、元夫は再婚して、1歳夢人(ゆめと)という男児あり。娘は妊娠中の17歳。まあ、いろいろあります。むちゃくちゃです。
持田剛臣(たかおみ):九十九彩子の前夫。2年前に再婚して1歳のこども「夢人」がいる。ややこしくなります。持田剛臣と九十九彩子の娘である持田美保のこどもと持田剛臣のこどもの年齢が近い。つまり、自分の子と自分の孫の年齢が近い。
持田美保:九十九彩子と剛臣(たかおみ)の娘。
響生(ひびき):持田美保のおなかにいるこどもの父親。持田美保と同棲中。もうすぐ籍を入れるらしい。早く入れないとこどもの父親を認定するための戸籍手続きがややこしくなりそうです。本当に入れるのだろうか。疑わしい。オレの子じゃないと言い出すかもしれません。(やっぱり、186ページで、そんな感じになります。いなくなっちゃいました)
芳野千鶴は、小学一年生のときにいなくなった母親と再会したのですが、再会に感動はありません。母親の内田聖子52歳は別人格に変化しています。脳内のようすが、芳野千鶴が知る昔の母親とは違います。
むしろ、芹沢恵真(せりざわ・えま)と内田聖子のほうが母と娘のような雰囲気の関係です。
87ページを読んでいてふと、小学一年生のときの旅行の話はどこで出てくるのだろうかと思いつきました。(130ページ付近からちらりと出てきます)
窺う:うかがう。
リネン:シーツ、枕カバー、タオルなど。
読みながら『親子』って何なのだろうと考えさせられる内容です。
「家族を運営する」という言葉が出てきます。「運営」は変です。
因業ババア(いんごうばばあ):ひとつのことにこだわって、がんこで思いやりのないばあさまでいいのでしょう。主人公芳野千鶴の両親の離婚原因をつくった人です。
107ページです。
おもしろい。
マンガみたいだけれど、おもしろい。
よくしゃべる人たちです。
セリフでストーリーを進行していく手法です。
女性と仕事の関係について問題提起があります。
仕事をしたいからしている女性と、家庭に居場所がないから、しかたなく仕事に打ち込んでいる女性のタイプがあります。
主人公芳野千鶴の母親内田聖子は、祖母に娘である芳野千鶴をとられて、家に居場所がなく、仕事をするしかありませんでした。そして、今は、若年認知症になってしまいました。
この先、悲しい話になりそうです。
太川陽介さんと路線バスの旅をしていた認知症になったえびすよしかずさんの顔が、ふと頭に浮かびました。
(つづく)
元夫がお金をせびるために芳野千鶴に付きまとうわけですが、芳野千鶴のスマホの位置情報が知られるのが怖いなと思いながら物語を読み続けています。
あずさカフェ:近所にあるスイーツのお店。
芳野千鶴は、心の問題なのか、緊張しやすく、吐きやすい。
『あんたなんか母親じゃない』、『(母親は)自分だけが可愛い、最低のひとだ』
そこまで言うと、親子関係は修復がむずかしくなるのですが、母親は認知症です。理解できていないのか、できているのかすらわかりません。
むかし読んだ角田光代作品『キッドナップ・ツアー』を思い出しました。キッドナップは、「誘拐(ゆうかい)」です。
父親が、小学生の息子だったか娘だったかを妻のところから誘拐して旅をするのです。実の親子なのに誘拐という状態になるのです。(昔の読書メモを調べました。キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。冒頭、小学5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られない)
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)の追加情報として、両親がいない。1歳のときにふたりともが交通事故死した。母方の親せきの家であるおばさんとか、いとこの女子がいる家に引き取られて、差別的な扱いを受けてつらい思いをした。
(以前、同じような境遇にあった引きこもりの男性が関東地方で刃物を振り回して人々を襲い死傷事件を起こしたことを思い出しました)
ここらあたりのページまで、こども時代のつらいことが書いてありますが、18歳を過ぎたら、親は関係ありません。自分の責任で自分のやりたいようにやればいい。
親から見ればこどもというものは、極端なことを言えば、生きていれば、それでいいのです。
母親がつくってくれたサンドイッチに思い入れあり。
『うそっこバナナサンド』
こどものころに、いっしょに過ごした時間が長いほうが、親子のきずなは強まります。
『いっしょに過ごす時間』は大事です。なにをするでもなく、ただ単にその場にいっしょにいればいいのです。
母親本人が目の前にいても、娘から見た母親は人格が変わっています。
芳野千鶴の思い出の中にしか、本当の母親はいません。
文章として、人間はこんなにたくさんはしゃべらないと思います。(小説です)
また、文章が延々と続いて、ひと休みの区切りがなかなかありません。(読みづらさにつながっています)
おとなによるこどもへの性犯罪の話も出て、うーむ、暗い。
ロウベンというのは、漏便ということなのでしょう。歳をとるとそういうことはありまする。(違っていまいた。弄便(ろうべん)と書くそうです。ウンチをいじるそうです。ああ、そんなふうにはなりたくない。もしそうなったら、精神科の鍵がかかる病室に入るしかない。本では、認知症対応型グループホームのことが書いてあります)
悲惨な(ひさんな)話が続きます。
世の中は、悪い人間ばかりではありません。
なのに、夢も希望もなくなりそうな話が続きます。
人間が(母親の内田聖子52歳の脳みそが)壊れていきます。
164ページまで読んで考えたことです。
家族関係がどうしてこうもうまくいかないのか。
①お金がない。お金をうまくコントロールできない。借金。そもそも返済する意識がない借金がある。
②極端にかたよった欲望。自分の思いどおりにしたい欲望。そこから生まれるいじめ、DV(家庭内暴力)がある。自分の身は自分しか守れないという現実がある。
③人間の本能をコントロールできない。物欲、性欲、自己顕示欲。
人生にとって必要なものは『適度のお金と心身の健康』であろうと悟るのです。(さとる。理解して自分のものとする)
(つづく)
いいなと思った文章として『母はどこにでもいるような量産型の地味な女だった……』
165ページから突然、認知症の内田聖子さんが正気(しょうき。まとも)の状態での思索が始まります。内容は、内田聖子さんのお母さんのことです。主人公芳野千鶴からみれば母方祖母です。
内田聖子さんには兄がいるらしい。
『私はじわじわと砂袋に変わっていく女の……』文章表現がうまい。
カッシーナのヴェランダソファ:イタリアの高級デザイナー家具製造会社。屋外に置くソファ。
内田聖子さんの徘徊話です。(はいかい:あてもなく、歩きまわる)
意図的なものがあるのでしょうが、感情に押し流されて物事を考えるのは、おとなの世界ではありません。
芳野千鶴さんの金せびり元夫の野々原弥一さんは、なかなか登場してきません。
女性の登場人物たちによる『女の世界』が延々と描かれています。
『……あの家の中での私は、私じゃなかった……』
『ガラス玉の目』
胸にぐっとくるものがあります。
『私は好きでもない男の人と結婚した』
以前、テレビ番組「徹子の部屋」にゲストで出た南こうせつさんが、父親のお葬式のあと、母親が『(亡くなった夫のことを)ほんとうは、好きじゃなかった』と言ったのでショックを受けたと話されていたことを思い出しました。昔は見合い結婚が主流でしたから、そういうこともあったのでしょう。女の強さを物語るひとことだと受け止めました。
別の話で、夫の葬式のあと、亡夫の妻である自分の母親が、北海道に住む初恋の男性に会いに行くと言い出して、実際会いに行ってしまったのですが、非常に気持ちがとまどったという息子さんの話をなにかのときに聞いたことも思い出してしまいました。「結婚」と「恋愛」は違うということもあるということなのでしょう。ずっとがまんしていた。女性の強さがあります。
206ページにこの本のタイトルの意味が出てきます。
『記憶の海』があって、そこに、母親が娘に伝えたいものがあるのに、思い出したいことが掬えない(すくえない)。認知症になって、記憶を思い出せない。掬い方(すくいかた)がわからない。
悲しくつらいお話です。
新しい命の誕生があります。
ひとり死ねば、ひとり産まれるのが、人間界のありようです。
バツ1ケアマネ九十九彩子44歳の娘持田美保17歳のおなかに女児が宿っています。未婚の母です。男は逃げてしまいました。
試し行為:ちびっこがよくやります。これをやったら、怒られるか怒られないか相手の出方を試してくるのです。
認知症になってしまっている52歳の内田聖子の話があります。
本人につらいこともあったでしょうが、楽しかったこともあったと思いたい。
昔、映画『ああ野麦峠』という映画の舞台になった野麦峠に、車を運転していて偶然迷い込んでしまったことがあります。 北アルプス乗鞍岳山麓をドライブしていたときのメモが残っています。
看板が立っていました。長野県の織物工場で働いてた女工哀史とありました。
悲しくて苦しいことばかりではなかったと思うのです。
楽しいことやうれしかったことだってあったと思うのです。
女工さんたちはこの峠をみんなで合唱しながらはしゃぎつつ歩いたと信じたい。
そうでなければ、人生はやりきれない。
カットクロス:美容室や理髪店で体にまく布。
モンチッチ:猿に似た妖精。
ボブ:髪型。ショートヘアより長い。丸みあり。
イロハモジミ:単にモミジと言われることが多い。落葉高木。
GPSアプリ:スマホで使用する。位置情報がわかるアプリケーション。
『ひとってのは、水なのよ』
そのとおりです。
ブリーチ剤:髪の毛の色素を抜く薬剤。
マザーズバッグ:ママのバッグ。こどもとのお出かけのときに使う。
『依存心』があります。
だれかに頼る生き方です。
うまくいかないと、だれかのせいにする生き方です。
母親の内田聖子も主人公の芳野千鶴も九十九彩子の娘持田美保も依存心が強い人です。
文章にもありますが、自分の不幸の責任を相手にとらせようとします。
人間界は純白ではありません。
グレーゾーンです。
白でも黒でもない灰色、グレーゾーンがおとなの世界です。
ふと、以前読んだ曽野綾子さんの本を思い出しました。
『なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 だいわ文庫』(以下、感想メモの一部です)
世界は広い。固定観念を打破しようという教示があります。世界の人々は、日本人のように正・悪でものごとを判断しない。外人から見ると、日本人は非人間的で異様なところがあるそうです。浮世離れした平和主義者は世界では珍獣のようなものと結ばれています。
季節を重んじるのは日本人の特性。四季のない外国で暮らす人に季節のこだわりなし。
著者は、最終部分でこう説きます。「したいことだけをするのは幼児。したくないことをするのが大人」
やり直しがきかないこととして「殺人」と「自殺」
スイートポテトパイ:アメリカ合衆国南部の伝統料理。サツマイモでつくる。
インフルエンサー:影響力がある人物
椋本工務店(むくもとこうむてん)
読んでいての感想です。
認知症の母親内田聖子がたまに正気になるときがあるのですが(しょうき。正常)、バランスがうまくいっていないような気がします。
他の人の情報が多すぎてすっきりしません。
とくに17歳の持田美保の妊娠話が多いです。
主人公の芳野千鶴が小学一年生のときの内田聖子との一か月間の旅のことにはほとんど触れられていません。読み手の自分は、拍子抜けの気分です。(ひょうしぬけ。期待していたものが得られない)
『依存』が素材にあるので、『私を捨てて』という言葉が出てきます。
(つづく)
うーむ。かんじんなところで、読めない漢字が出てきます。ふりがながほしい。作者はむずかしい漢字になにかのこだわりがあるようです。
纏う:まとう。
繋がる:つながる。
抓る:つねる。
バックレた:逃げ出す。姿をくらます。
禍々しい:まがまがしい。恐ろしい。不気味。
上がり框:あがりかまち。玄関と廊下の境目。段差。
トラウマ:過去に起きたショッキングな出来事で心に傷が残っている状態。
蹂躙:じゅうりん(これはふりがなあり)権力者が権力を使って、弱い者いじめをすること。
SNSで個人情報が(居場所が)ばれる。
妊娠マニア:妊娠していると精神状態が安定する。妊娠していないと精神状態が不安定になる女性らしい。
主人公芳野千鶴の認知症になっている内田聖子は、主体性のない女性だった。自分で決定することができなかった。自分のまわりにいる人間の顔色をうかがって、喜ばれるようにふるまっていた。
286ページにようやく、母子の旅のことが出てきます。
むしろ、この部分を最初にもってきて、その後の話の広がりを楽しみたかった。
物語の構成として、後半で、秘密を明かす手法ですが、最初から秘密を公開しても作品自体の味わいは落ちないと思います。
人との別れ方が書いてあります。
一般的なこととして、年老いた夫婦の別れは、亡くなる当事者の入院とか施設入所で、生きているうちにはもう会えなかったということがあります。コロナ禍のここ数年はそのパターンでした。お互いに生存していて、近くに住んでいても、顔つき合わせて面会することができませんでした。親子でも同じです。
DV加害者のしつこさが書いてあります。
被害者は加害者を殺すしか逃れる手段はないのか。
加害者は脳みその病気です。しつこいこと、粘着質であることがいいことだと本人は誤解しています。
「ネバーギブアップ」が、へんなところで脳みそにしみついています。
こういう人って現実にいます。
母親の役割があります。
どんなにできそこないのこどもでも、自分が産んだ自分の分身であるこどもを、母親は許します。責めません。『大丈夫、千鶴はできる子だから……』
後半は暴力的なシーンです。
構成として、なにかがうまくいっていません。
ほしいのは、激しい怒りではなく、静かなる闘争シーンでした。
逃げていては解決しないのです。
以下は、一般的に、生き物がとる自分を攻撃してくる者に対する対応の順番です。『じっとしている』→『逃げる』→『戦う』 最後は、なにがなんでも戦わねばなりません。生きている人間は、生き続けることを選択することが、人間としての義務であり権利です。
相楽さん:さがらさん。内田聖子が世話になった人。
神様の話が出てきて宗教的です。
『生きなさい』
『不安定』です。いつまでも『不安定』な暮らしが続きます。
『てぃもての』認知症の母親の言葉です。意味はわかりません。
読み終えました。
なにかしら無理があった。
芳野千鶴と内田聖子の母子関係だけの話題に絞って(しぼって)、一点集中方式のほうが良かったのではないか。ふかーく、掘り下げても良かったのではないか。
2022年08月09日
テスカトリポカ 佐藤究(さとう・きわむ)
テスカトリポカ 佐藤究(さとう・きわむ) 角川書店
まず、最初に思うのは「ぶ厚い本だ」
全体で553ページあります。
読み終わるまでにどれだけかかるだろか。かなり日にちがかかりそうです。
次に思うのは「テスカトリポカ」とはなんじゃいな。
数ページ読んで、メキシコあたりにある地名だろうか。スペイン語だろうか。
18ページまで読んで、案外読みやすい文章で、これなら、いっきに読めそう。
おもしろい。
貧しきメキシコ人の若い女性が、日本に来そうです。(ペルー経由で、ハポン(日本)へ。日本人男性と結婚して幸せになる)日本は、太平洋の端にある。(アル・ボルテ・デル・パシフィコ)
(つづく)
メキシコ合衆国の北、アメリカ合衆国との国境付近(3000kmもあります。日本の長さ並み)だと思いますが『エルドラド黄金郷』というのがある。そういえば、アメリカ合衆国の西海岸地域の一部は、昔はメキシコ領だったと別の小説で読んだことがあります。
17歳のメキシコ人少女「ルシア・セプルベタ」が主人公らしい。インディオとスペイン人の血を引くメスティーソというそうです。
シナロア州の州都クリアカンに住んでいる。
1996年(平成8年)の話です。
ルシアの兄フリオ19歳が、麻薬密売がらみで殺されてしまいました。
『死の笛(シルバト・デ・ラ・ムエルテ)』麻薬密売人が吹く笛です。人が死にます。
悲惨な出だしです。頼れるのは神さましかいない。
ルシアは、貧困生活から逃れるために、北のアメリカ合衆国へは行かず(アメリカにもメキシコギャングにも捕まるから)南にあるアカプルコを目指します。
(つづく)
あっという間に、主人公のルシア・セプルベタが観光ビザで、成田空港に到着しました。(1998年7月3日金曜日。本人19歳)
東京の六本木にあるラブホテルで働いたあと、大阪へ行き、雀荘で働いたあと、川崎のクラブへ移り、日本人男性と結婚して、男児を出産して(本人23歳)、自身は麻薬中毒になってしまいました。
夫は暴力団幹部土方興三(ひじかた・こうぞう)
長男は、土方コシモ(2002年3月2日生まれ)本の中では、小学4年生から登校拒否。その後11歳で、身長170cm超えです。仲間外れにされる小学校になじめず、日本語の読み書きはにがてです。国籍は日本です。
この小説は、この少年の物語かもしれません。
メキシコの独立記念日は、9月15日。
暴力シーンを淡々と文章で書いてあるところがすごい。冷徹です。(れいてつ:感情がない。冷静)
土方コシモ(ひじかた・こしも)少年に年寄り男性との出会いがあります。
こどもは、年寄りから学ぶことが多い。
コシモの母親は麻薬中毒です。
以前、何かの洋画で同じような設定を見たことがありますが、タイトルを思い出せません。(その後:思い出しました。アメリカ映画『ムーンライト』ちょっとグロかった記憶があります。グロテスク異様な雰囲気。ムーンライトですから「月光」です)
(つづく)
56ページまで読みました。
ここでタイトルの意味を調べました。
テスカトリポカ:闇を支配する神。あれこれいわれ(由来、理由)があるそうです。アステカ文明が関係あり。アステカ文明:メキシコ中部にあった文明。1428年ころから1521年の95年間ぐらい。スペイン人に破壊された。日本では関ケ原の合戦が1600年ですからその前です。どこも戦国時代ですなあ。
主人公の土方コシモ(ひじかた・こしも)は孤独です。
12歳で学校には行かず、盗みなんかをやっています。身長が180cmあるそうで、バスケットボールに興味をもっていますが、ルールは知りません。漫画アニメ「スラムダンク」のような雰囲気があります。
公園の木の枝を拾って、木の枝に彫刻刀で細かい細工をすることが好きです。鳥の絵や幾何学模様です。彫刻をしている時間帯は、つらさを忘れることができるそうです。
彫刻が入った枝は、伏線になっていくような気がします。
溝口緑地:川崎市高津区にある。
悲惨です。
無感情な文章が、この作家さんの特徴です。
現実にはありえない展開があります。
ゆえに、これぞ『小説』です。
まだ、ページはずいぶん残っていますが、力作でしょう。
13歳の殺人者が生まれました。
しかも、ふたりも殺してしまいました。
これから先、どんなふうに話をつないでいくのだろうか。
今、自分は、56ページにいます。
土方コシモ13歳で身長188センチもあります。怪物です。『ゴーレム』というあだ名を地元の川崎市内のこどもたちから付けられています。
(つづく)
小説の舞台は日本を離れてメキシコに移りました。
その後、109ページまで読みました。
メキシコでのギャング同士、麻薬の縄張り争いの暴力は凄惨です。(せいさん。かなりひどい)麻薬戦争です。直径8mもある無人ドローンが爆撃をします。
宗教がからんでいることもあって、読者が本から離れていきそうな気配もあります。
メキシコ北東部。
<ロス・カサソラス>という組織。4人兄弟がとりしきっている。麻薬を流通させて多額の利益を得る組織です。
ピラミッド(愛称):長男 ベルナルド・カサソラ
ジャガー:2男 ジョバニ・カサソラ
粉:3男 バルミロ・カサソラ 46歳
指:4男 ドゥイリオ・カサソラ
3男以外は殺されます。
生き残った3男バルミロ・カサソラは、たぶん、日本へ逃げるに違いない。彼が信仰するのがアステカの神テスカトリポカです。(煙を吐く鏡が神だそうです。闇を支配する神。(悪事をする者たちを守ってくれる神という印象が読み手にあります。神は化身ができるそうです)
そして、このあとたぶん、最初の部分の主人公少年土方コシモと出会うのでしょう。
最強の暴力集団が誕生しそうです。
メキシコというのは、そんなに治安が悪いところなのだろうか。
調べました。
やっぱり治安は悪いようです。
暴力で支配されている国なのだろうか。うーむ。微妙な気分です。たしか、名古屋市の姉妹都市のひとつがメキシコシティーです。(メキシコシティーはかつてのアステカ王国の首都「テノチティトラン」だそうです)
アメリカ合衆国サンアントニオの地名が懐かしい。
高校生だったころ、その土地の人と文通をしていたことがあります。
もう大昔のことになってしまいました。
小説なので事実かどうかはわかりませんが、麻薬社会は暴力社会でかなりひどい。
法令がコントロールする秩序が機能していないようです。
それに比べて日本は平和なほうです。
日本に生まれることは幸運だし、日本の大都市部周辺に生まれることは、経済的にも運に恵まれていると自分は思います。
世界には暴力で国民を支配する国があります。
国家(政府・政治家)もギャングもグル(仲間)です。
76ページで『テスカトリポカ』という文字が出てきます。『テスカトリポカ:煙を吐く神。アステカの神』
どちらかといえば、悪魔の神に思えます。
テスカトリポカには、人間の生け贄を(いけにえを)捧げます。(ささげます)生け贄を神にささげる部分の記述はグロテスクです。怪奇な行為です。
宗教としては、アステカ教。
復讐するための神なのか。
麻薬戦争があり、宗教戦争があります。
こういう設定は、日本人読者向けには受けるだろうか。
ちょっと、むずかしいものがあります。
リオ・ブラボー:リオ・グランデ川。メキシコ側で、「リオ・ブラボー」と呼ばれる。メキシコ湾(キューバ側の海)へそそぐ川の名称です。昔映画で同名の洋画があったような。ジョンウェインの西部劇だそうです。
87ページ。日本人の薬学者が覚せい剤の合成に関わりをもっていたとは知りませんでした。「ヒロポン」だそうです。戦時中の言葉として昔聞いたことがあります。1930年代以降(昭和5年以降)。
マヤ文明:メキシコ南部にあった文明。ユカタン半島。
オリン:ナワトル語(アステカ語族の言葉のひとつ)で「地震」
アステカの一か月は20日で、一年は13か月。
カサソラ一族の歴史が、生き残り3男バルミロ・カサソラの祖母リベルタを中心にして語られます。
先祖は、テスカトリポカにつかえた神官だった。
悪魔のような神に、人を殺してその肉をささげながら、災難を人民に与えないでくれと祈っています。
地獄のさたも(選択判断)金次第(しだい)という言葉が頭に浮かびました。
トラルテクートリ:アステカの神。大地の怪物。クジラより大きい。テスカトリポカと戦った。
なにやら、日本の「古事記」を読むようでもあります。
うむ。迷信(事実ではない。合理的な根拠がないうそ。実害あり)だと思うと、読書のページをめくる手が止まってしまいます。ちょっと信じるような気分で読んでみます。されど洗脳されてはいけない。(心を支配されてコントロールされてはいけない)
(つづく)
お金があるところへ人は集まる。
お金のためなら道徳はないものとする。(道徳:人が生きる道。善悪をきちんと判断して、正しい行動をする。人が守らねばならないこと)
貧困が人間の魂(たましい)を奪います。人間のもつ『悪』をあぶりだす小説です。
悪魔の教えがあります。対抗する者や組織を死に追いやるのです。アステカ人を侵略して滅ぼしたスペイン人に対する復讐心が感じられます。
されど、アステカ人の子孫たちがふだん使う言葉はスペイン語です。ときおりアステカの言葉(ナワトル語)が出てきます。本人たちの複雑な気持ちがあります。
アステカの文化と宗教について細かな説明があります。
麻薬取引で繁栄していくカサソラ一族の歴史が語られます。
自分はよく知らないのですが、洋画『ゴッドファーザー』というのもこういうパターンなのだろうか。
『札束が空から降ってきて、地面からも湧いてくるように思えた。』⇒コカインを扱う商売です。
組織は、外部からの力ではなく、内部からの力で壊れていきます。悪人たちの仲間割れです。
精神世界です。もう死んでいるのに、もう一度殺すのです。儀式です。
「オカリナ」という笛は、かわいらしい楽器だと思っていました。違います。<死の笛>なのです。アステカ人がスペイン人を攻撃するときの合図です。これから、スペイン人が殺されるのです。
『アウィクパ・チック・ウィカ』(意味:自分が何をしているのか知らず、生きる意味を知らず、ただ遊び歩いているばか者ということ)
お金を、ひとり占めするとうらまれる。
麻薬取引の世界では、殺される。
富(とみ。お金)をみんなで分けないと殺し合いが始まります。
殺人の理由は『復讐(ふくしゅう)』
復讐は、繰り返される。
終わりがない。
やったり、やられたりが続く。
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)を思い出しました。
主君のあだうちをするのです。
あだうちをしたあと、あだうちをした人間は、責任をとって死ぬのです。よく考えると無意味な行為です。
人間とは、不思議な生き物です。
憎しみをもつ人は、洗脳(せんのう。暗示をかけられている)されています。
とことん相手を殺すという決意の固まりです。話し合いの余地はありません。
あなたと話すことはありません。
あなたには、憎しみしかありません。
父親を殺された3男バルミロ・カサソラの心理です。
ホラー(恐怖)です。
昭和50年代ころ洋画がありました。『悪魔のいけにえ』『13日の金曜日』
自分は、『エクソシスト』を映画館に見に行きました。高校生の観客がいっぱいいました。いや、中学だったっけ。もう思い出せません。
三菱パジェロが出てきました。
書き忘れたことがありました。
<ロス・カサソラス カサソラ兄弟>と対立する麻薬組織が<ドゴ・カルテル>アルゼンチン生まれの移民集団が、ロス・カサソラスの縄張りを侵略します。闘犬というニックネームだったかのドゴ・アルヘンティーノというボスがいたと思います。(ページを通過してしまったので、どこだったかわからなくなりました)
バルミロ・カサソラは、船のコンテナに隠れながら地球をダイナミックに移動します。
相手の組織に殺されるので逃避行です。
アステカ信仰の力は強い。過酷な状況を耐え抜きます。
バルミロ・カサソラは、インドネシアへ移ります。
(つづく)
舞台は、インドネシア(人口2億6000万人)の西ジャカルタ市に移ります。
時は、2015年(平成27年)です。
タナカ(偽名。本名は末永充嗣(すえなが・みちつぐ))臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師。2013年4月29日に交通事故の加害者になって自転車に乗った少年をひき逃げ死亡させて逃避している。
山垣康 39歳。右側の腎臓を提供するために(売却する)インドネシアに来た。
野村健二 川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
戴圭明(ダイ・グィミン):ジャカルタ在住32歳の中国人。919(ジゥ・イー・ジゥ。中国黒社会の組織)の構成員。
グントゥル・イスラミ:イスラムの雷鳴という意味。犯罪組織でしょう。
説明的な文章が続きます。
バルミロ・カサソラ:自称ペルー共和国出身(実際はメキシコ出身)、偽名をふたつ使用しています。本では『ゴンサロ・ガルシア』ニックネームが『調理師』です。
2016年6月6日にバルミロ・カサソラは、日本人のタナカ(偽名)と遭遇します。
インドネシアは麻薬犯罪に対してきわめて思い刑罰が科されるそうです。
以降、麻薬密売の話が続きます。
ミュージシャンと麻薬の距離は近い。
読んでいての凡人の感想です。
麻薬と臓器売買のお話はところどころグロテスク(猟奇的りょうきてき、奇怪(奇怪)で、気持ちが悪くなる)で、読んでいて、もう精読するのはいいかなあという気分になっています。
(つづく)
268ページまで読みました。
日本の保育園が出てきて、雰囲気がずいぶん変わりました。
おもしろい。
今年読んで良かった一冊になるかもしれません。
こどもさんの保育の話ですが、中味は闇の話です。戸籍がないこどもさんとか、虐待をうけているこどもさんとか。コカインの薬物依存とか。いずれも『闇の世界』なのですが『救い』があるような環境に見えます。
読んでいるわたしが思うに、それは『救い』ではないのです。救ったように見せかけて、この先、人身売買とか、臓器売買の怖いお話しになっていきそうです。
作品『わたしを離さないで カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房』を思い出します。映画だと『約束のネバーランド 邦画』です。
テスカトリポカ(煙を吐く闇の神)は、土方コシモ少年(ひじかた・こしも 土方小霜 2002年生まれ両親殺しで少年院にいる)なのでしょう。
新南龍(シンナンロン):インドネシア生まれの若い中国人たちの悪の組織。2011年結成。幹部のひとりが、郝景亮(ハオ・ジンリャン)28歳。
2015年2月元木大地(もとき・だいち)と戴圭明(ダイ・グィミン)は知り合い。
本を読んでいると、自分が凶暴な気分になってきます。(これはまずい。速読します。216ページ付近。医療行為というよりも殺人です)
らいときっず小山台(こやまだい):品川区にある保育園
宇野矢鈴(うの・やすず):らいときっずの保育士。24歳。
まじめな人ほど、コカインに手を染めやすいのか……
仕事にストレスがあります。
スニッフィング:においをかぐ。
合法の病院じゃない病院。闇の診察室があります。
野村健二:闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
プラシーボ:偽薬効果。
NPO法人「かがやくこども」2009年設立・認可(暴力団に狙われた。代表理事川崎市甲林会千賀組幹部増山礼一)
なんとかビジネス。うーむ。思い出せない。「貧困ビジネス」でしょう。ホームレスほかを商品扱いする商売です。怖い。臓器を売られる。殺される。
増山礼一氏が「闇の天使」に見えます。
虐待や家庭内暴力にあっている人間を増山礼一一味(いちみ)が救うのでしょう。(ただし、商品として)社会的地位がある暴力の加害者に対しては、厳しい脅迫・恐喝を繰り返して銭をしぼりとるのでしょう。一石二鳥に違いない。
「無戸籍児童」というのは、たとえば、婚姻中の妻が不倫をして、戸籍上の夫以外のこどもを妊娠・出産すると、戸籍上の夫のこどもとしてしか戸籍に記載できないので、出生届が出しにくくなるのでしょう。
たしか、婚姻して200日以内に生まれたあかちゃんとか、離婚後300日以内に生まれたこどもは、婚姻中の夫のこどもになると聞いたことがあります。
法律は本来人の生活を守るためにあります。行為が法律の設定から逸脱すると、法律は人を守れなくなるのでしょう。
臓器売買のための商品は、3歳から10歳。恐ろしい。
MDMA:合成麻薬。
夏(シャ):悪党一味(新南龍しんなんろん。インドネシア生まれの分かり中国人たちの組織)の女。甲林会千賀組幹部増山礼一が、元保育士の矢鈴に紹介した。夏は、ふちなしの丸めがねをかけている。あとでわかりますが、夏は、香港警察特殊部隊の元職員です。
251ページにきて、久しぶりに土方コシモ(ひじかた・こしも)の文字を目にしました。
少年院暮らしですが、彫刻上手(じょうず)です。アーティストです。芸術家。されど、両親殺しの殺人者です。
15歳で身長が199cmもあります。体重は98kgです。暴れると複数人で取り押さえます。
この個性を作者はこのあとどう扱っていくのだろう(自分の興味の中心です)。
ドゥニア・ビル:インドネシア語で「青い世界」世界最大級のクルーズ船。(新型コロナが始まったころ横浜港に停泊したダイヤモンド・プリンセス号を思い出します)
全長410m。全幅83m。最大乗客定員7515人。巨大です。
ハリアント・セシオリア:クルーズ船運航会社の最高経営責任者(CEO)29歳。
作戦として、インドネシアで建造中のこの船を日本の関東地区の港に寄港させて、「商売」に活用する。川崎港が目標地。
グラフト:つなぎ役を意味する言葉。(悪事の)コーディネーター。本来は、心臓バイパス手術に使用する血管のこと。
(つづく)
2017年(平成29年)6月23日(金)バルミロ・カサソラがインドネシアから羽田空港に到着。偽造パスポートで入国した。偽名が『ラウル・アルサモラ』ただし、仲間内では隠語(ニックネーム)で呼び合う。バルミロは『調理師(スペイン語でエル・コシネーロ)』(なんというか、調理師が、人間の体を切り裂いて部品を売るというイメージにつながって不気味です。実際に切って商品に状態にするのは元医師なのですが……)
末永も韓国経由で入国した。
末永充嗣(すえなが・みちつぐ):蜘蛛(くも。スペイン語でラバ・ラバ)臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師。2013年4月29日に交通事故の加害者になって自転車に乗った少年をひき逃げ死亡させて逃避している。
野村健二:奇人(スペイン語で、エル・ロコ)闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
崔岩寺の住職:ニックネームは十字架(スペイン語でラ・クルス。お寺が秘密の施設になっている)
多摩川は、メキシコを流れる「リオ・ブラボー」という川に似ているそうです。
胸にぐっとくる文節として『競争はなく、あるのは独占だけだ(麻薬の密売に関して)』
オーバードーズ:麻薬の過剰摂取。死ぬときもある。
サイコパス:反社会的人格の持ち主
まあ、なんでもありですな。
人間は悪魔です。
金のためなら人間を虫けらのように扱います。
清勇・パブロ・ロブレド・座波(きよたけ・ぱぶろ・ろぶれど・ざは):川崎市内のアクセサリー工房で働く職人。沖縄県那覇市出身。父はペルー人、母は日本人。両親死亡。弟と妹は行方知れず。ナイフを作成する仕事ができる。妻と娘あり。(あとで悪の仲間になると愛称が『陶器(ラ・セラミカ)』になる。
フォールディングナイフ:折り畳み式ナイフ。料理、登山などのときに使用する。
ナイフメイカー:ナイフの製造業者だと思いますが、この小説では、ナイフ職人と読み取れます。
ブライアン・トレド・パブロ:座波の知り合い。元米国海兵隊員。沖縄在住のナイフをつくる職人。日本人妻あり。
読んでいると、外国人が自営でやっている料理店を敬遠したい気分になります。麻薬とのつながりがあるのではなかろうかという、いらぬ誤解をしそうになります。
ラウル・アルサモラ:バルミロ・カサソラの偽名。『おれのことは、調理師と呼べ』
ときおり出てくる誓いの言葉のようなものが『おれたちは家族だ』
ゴッドファーザーのようでもあります。
日本ヤクザの疑似家族のようでもあります。
物語の世界では、親に捨てられたり、親に縁がなかったりしたこどもたちは、似た者同士で義理の家族をつくって助け合いながら生活していきます。
伊川徹(いがわ・とおる):愛称『スクラップ(ラ・チャータラ)』31歳。178cm。154kg。肥満体。腕力がすごい。2006年(平成18年)5月22日20歳の誕生日に人を殺して服役した。懲役19年を2017年に11年の服役で仮釈放された。2018年(平成30年)の冬に『調理師(バルミロ・カサソラ)』と出会う。
通訳が、『蜘蛛(くも。ラバ・ラバ)』(末永充嗣(すえなが・みちつぐ):蜘蛛(くも。スペイン語でラバ・ラバ)臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師)です。
伊川徹は、このあと『殺し屋』として育成されます。迫力がある展開です。読んでいて『殺し屋』というよりも『暗殺者』の雰囲気があります。自分を信頼している相手を裏切る。あるいは、自分を信用させて裏切る。非情です。
宮田正克(みやた・まさかつ):高知県生まれ。横浜にある大学卒業後、消防士になった。薬物依存があったがばれなかった。退職して、自動車修理工場を自営している。伊川徹を雇った。
読んでいて思うのは、それぞれが、わけありのひどい過去をもっているのですが、家族に恵まれなかったからといって、全員が悪の道に走るわけではありません。大部分の人は、一生懸命がんばって、自分なりに自分が望む家庭を築こうとします。ゆえに、こどものころの家庭環境が悪いと悪い人間ができあがるというような考えはもたないでほしい。
小説だからできることがたくさん書いてあります。
小説だと思って読んでいないと、頭がおかしくなりそうです。
感化されてはいけない。(暴力や脅迫・恐喝を肯定することに共感をもってはいけない)
読み手と書き手との戦いがあります。
圧倒的な暴力があります。
三菱のアウトランダー(車です)には、仕事で用事があって試乗したことがあるので、雰囲気がわかります。どうも書き手さんは三菱車に興味があるようです。このあと、三菱ランサーエボリューションという単語が出てきました。
登場人物が増えてきて、人間関係が広がってきたので、状況を把握するためにメモが続きます。
327ページで文章の固まりと固まりの間を4行開けてあります。この間(ま)がいい。不気味です。
雰囲気や流れとして同様、類似に感じるのが、村上龍作品『半島を出よ 上・下 村上龍 幻灯舎』が思い浮かびます。
半島というのは、朝鮮半島であり、敵国は北朝鮮です。まず登場人物の多さに圧倒されます。近未来の日米北朝鮮関係でしょうか。北朝鮮が日本を軍事攻撃する内容となっています。
(つづく)
神奈川県相模原市にある更生保護施設にいる土方コシモをNPO法人職員矢鈴が引き取ります。土方コシモは17歳になっていますが、両親殺しの過去があるので、引き取り手がいなかったですが、悪の手先が彼を利用するために上手に施設から引き出しました。土方コシモの身長は2m2cm、体重は104kgです。でかい。(土方コシモは「殺し屋候補その1」です)
宇野矢鈴(うの・やすず):ニックネームは『マリナル(マリナルショチトルが最初の名前。メキシコにあったアステカ帝国のナワトル語。マリナルはマリナリで「草」のこと。ショチトルは「花」のこと。戦争の神の妹を意味するそうです)』彼女は洗脳されています。自分は社会奉仕のために働いていると思い込んでいます。実際は保護した子どもの内臓を売買することに加担するのでしょう。
自分は読解力がないので、ていねいにメモしながら、メモを見返しながら、だれがどんな人なのかを確認しながら読まないと内容を理解できないタイプです。
ブライアン・トレド:パブロ・座波の知り合い。元米国海兵隊員。沖縄在住のナイフをつくる職人。日本人妻あり。
川崎港に巨大な船『ドアビル』が寄港しました。インドネシアの港から着いたのです。世界最大のクルーズ船です。
バラクーダ―:この本の場合は、ショットガンのことです。
川崎市内の自動車解体場で、射撃訓練が実施されます。
記述を読んでいると、先日元首相を銃で撃った犯人の山中での射撃練習光景と同じような雰囲気が伝わってきて不気味です。
その後のページには『カルト宗教の信者のように洗脳されているのか……』という文章が出てきます。
電気ドリル(エル・タラドロ):自動車解体場の従業員。19歳。日系ブラジル人四世。フラビオ・カワバタ。14歳までブラジルで暮らした。身長168cm。
伊川徹(いがわ・とおる):愛称『スクラップ(ラ・チャータラ)』31歳。178cm。154kg。腕力がすごい。2006年(平成18年)5月22日20歳の誕生日に人を殺して服役した。懲役19年を2017年に11年の服役で仮釈放された。
マンモス(殺し屋候補その2):仲居大吾(なかい・だいご)。29歳。191cm。(この物語に登場する人物は、背高のっぽ(せいたかのっぽ)ばかりです。最後は、みんなでバスケットボールチームをつくるというところで終わるのだろうか。今、348ページ付近にいます)。高校時代にボクシングで2回国体に出場した。元消防士。自動車解体場社長宮田の後輩(互いに面識はない)
宮田正克(みやた・まさかつ):高知県生まれ。横浜にある大学卒業後、消防士になった。薬物依存があったがばれなかった。退職して、自動車修理工場を自営している。伊川徹を雇った。
ヘルメット(殺し屋候補その3):大畑圭(おおはた・あきら)。26歳。177cm。79kg。暴走族元リーダー。板金工。傷害致死の前科あり。
殺し屋練習生の練習台はホームレスです。恐ろしい話です。おいしい話を聞いて連れてこられたのでしょう。テスカトリポカ(口から煙を吐く鏡。闇の神。化身ができる)が支配する世界です。
ボウイナイフ:大型の鞘付きナイフ。鞘(さや):刀身の部分をおさめる筒。
シースナイフ:鞘におさめるナイフ。キャンプに使用する。ボウイナイフより小さい。
野村健二:奇人(スペイン語で、エル・ロコ)闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
ニコルソンのヤスリ:米国ニコルソン社。
シトロエン・ベルランゴ:フランスの自動車メーカーシトロエン社の車。ミニバン。
Cボーン:この物語の場合は、人骨で、頭蓋骨(ずかいこつ)のことでしょう。(違っていました。あとでわかりましたが、死んだこどもの大腿骨だそうです。売り物になるそうです)
367ページ付近を読んでいます。
登場人物の彼らは、これから何をするのだろう。
あと187ページです。
(つづく)
ニックネームで読む登場人物がたくさんです。老化著しい脳みそなので、記憶が追いつきません。人物名とニックネーム、人物像を赤色で書くことにしました。なんども見返します。誤った理解が発生するかもしれません。
尾津利孝警部補(おず・としたか。悪人の味方。悪人からお金をもらっている)
後藤和政巡査(尾津の悪事を何も知らない)
A&Wルートビア:アメリカ合衆国の清涼飲料水
『ひろいかぜ』『じかんがふろにはいっている』
「コシモにとって時間は、主体や事物の容れ物(いれもの)ではなく、生命そのものだった……」とあります。その部分を読みながら、ミヒャエル・エンデ作品『モモ』が思い浮かびました。時間どろぼうが登場します。
歳をとってきて考えることのひとつに『時間』があります。自分は自分の寿命がつきるまでに、あと、何時間生きていられるだろうかということです。そして、その時間をだれのために使おうかということです。自分以外のだれかのために時間を使いたいと思うのです。
山のように背の高い男をブラジルでは「モンターニャ」と呼ぶ。
ドゴ・アルヘンティーノ:アルゼンチン産大型狩猟犬。闘犬。
読んでいてのことです。なんだろうこの違和感は。
スーパーマンばかりです。
小説は、スーパーマンを描く舞台なのだろうか。
むしろ、そうでない人を書く場所ではないのだろうか……
だって、人間は悩むのです。
こちらの人間たちは、いっさい悩まずに殺戮行為を(さつりくこういを。むごたらしく人や動物を殺す)なさるのです。
土方コシモ(ひじかた・こしも)には、悩みがありません。
力(ちから)の世界です。
『断頭台(エル・パティブロ)』自分はギロチンと認識しました。土方コシモのニックネームです。
メキシコ人ルチャドール:メキシコ流プロレスラー。覆面(ふくめん)選手。
毒(エル・ベネノ):悪役のルチャドール
トヨタ・ヴェルファイア。作者は車好きのようです。いろんな車種が出てきます。
まあ、いけにえの儀式があります。
こういうのが好きな人向けの小説です。
自分はにがてです。
『人身供犠(サクリフィシオ。じんしんくぎ)』
409ページ付近。こどもたちの名前とメッセージがあります。
ゆうじ、けいすけ、えみり……
児童虐待に対する作者の強い抗議のメッセージを感じます。
(つづく)
こども心臓が約6億4000万円です。一発で支払うことができる外国人の富豪がいます。富豪のこどもが心臓の病気で死にそうなのです。戸籍はないけれど元気な日本人のこどもの心臓が外国人のこどもに移植されます。ひどい。この物語の根底に流れる生け贄(いけにえ)ともイメージが重なります。
『チョクロ』という方法だそうです。
おそろしいことがいっぱい書いてある418ページ付近です。
土方コシモは、まだ18歳です。2m6cm、118kg。うーむ。相撲部屋に入れたい。
土方コシモのニックネームは『断頭台(エル・バティブロ)』です。ただし、調理師(バルミロ・カサソラ)から『坊や』と呼ばれているそうです。仮想の父子関係があります。
『けむりをはくかがみ』が『テスカトリポカ』です。
重々しい文章です。
『そして、すべての神々は人間の血と心臓を食べて生きている……』いけにえを神にささげないと、太陽も月も輝くことをやめるのです。だから、おおぜいの人間が生き残るために犠牲が必要なのです。(考え方として、そういう考え方はあります。目的を達成するために最小限の犠牲はしかたがないとういう考え方です。戦争における戦死者もそうなのでしょう
431ページまできました。ゴールは、553ページです。
このあたりから、この集団は『滅び』へと向かっていくのでしょう。(自分の予想として)
こどもが気づきます。
『みんな ころされる』
『ジャガーと鏡』どちらも神。
『トシュカトル』は、祝祭。
テスカトリポカの分身となる少年がいる。分身として一年を過ごす。一年を過ごしたあと『夜と風』へと帰る。夜は暗く、風には体が無い。目には見えない。触れることもできない。神はもともと見えないし、触れることもできない。(読みながら、そう理解しました。むずかしい宗教的世界があります)
(つづく)
ようやく読み終えました。
力作でした。
最後に近づくにつれて、物足りなさが生まれました。
暴力シーンがあるものの、ストーリー展開があまりありません。
『テスカポリカ』というアステカ文明における闇の神「煙を吐く鏡」の解説本です。
マクアウィトル:武器。アステカの戦士が使用した。大きな刀(かたな)のような形状。最強の戦士たちが持つ。殺すだけの武器ではない。殺さずに生け贄(いけにえ)にするために使用することもある。
増山礼一:仙賀組の事務局長。
仙賀忠明:仙賀組長
谷村勝(まさる):若頭(わかがしら)
ゼブブス:川崎拠点の犯罪組織。半グレ。ベトナム系日本人とベトナム人の集団。リーダーは、タム・ホア。構成員として、森本中秋(もりもと・なかあき)
殺し屋集団の能力はすごいのですが、いくら腕力が強くても、銃弾を受けたら命は落ちると思いながら続きを読みました。
順太という9歳男児の日記にある言葉として『みんな ころされる。』
読んでいて“みんな”というのは、こどもではなく、悪党たちを指す「みんな」ではないかとピンとくる。
聖書の言葉がキーワードになります。
マタイによる福音書。九章とあります。
『わたしが求めるのは憐れみ(あわれみ)であって、いけにえではない……』
父と息子の関係があります。
「巨人の星」の星一徹(ほし・いってつ)と星飛雄馬(ほし・ひゅうま)のようです。
ふたりは、夜空に輝く巨人の星(たぶん一番輝きが強い金星)を見上げながら話をするのですが、こちらの物語でも星の話が出ます。
こちらの物語では、太陽と月の状態について話が出ます。
2017年8月21日に皆既日食があった。
2021年8月14日土曜日。禿鷲の十三日間
昔自分が教わったことです。
組織は、外部からの力で壊れるのではなく、内部からの力によって壊れる。
髑髏:どくろ。頭蓋骨(ずがいこつ)。これもまた商品になるそうです。白骨化した人の頭部。
ハッカー:コンピューターやインターネットに侵入して悪事を働く人。もとの意味は、善悪は関係なかったそうです。
そうか、ベース(下地)は『忠臣蔵(ちゅうしんぐら。仇討(あだうち)』なのか。やったらやりかえされる。復讐劇なのです。
2021年8月26日木曜日午後9時すぎ。事件は起きた。
この世に『無敵』はありません。一時的な無敵はあっても継続はしません。完全勝利者はいないのです。
『テスカポリカ』が場をしきるのです。(その場をコントロールする)
もう、人間同士の戦いではなくっています。
化け物同士、いや、神さま同士が戦っている情景が見えます。
圧巻の迫力に満ちたラストシーン近くでした。
ページ数は多いけれど、凝縮した一点(いってん)への集中がすさまじい。みなぎるエネルギーを爆発的に発散させる作品でした。
ずいぶん長い感想メモになってしまいました。
読みごたえのある作品でした。(読むことによって得られる充実感がありました)
自分が創作活動をするとき、企画の栄養にするための読書記録メモです。
自分以外の人にとっては、教科書ガイドのように、読書の手助けになれば幸いです。
まず、最初に思うのは「ぶ厚い本だ」
全体で553ページあります。
読み終わるまでにどれだけかかるだろか。かなり日にちがかかりそうです。
次に思うのは「テスカトリポカ」とはなんじゃいな。
数ページ読んで、メキシコあたりにある地名だろうか。スペイン語だろうか。
18ページまで読んで、案外読みやすい文章で、これなら、いっきに読めそう。
おもしろい。
貧しきメキシコ人の若い女性が、日本に来そうです。(ペルー経由で、ハポン(日本)へ。日本人男性と結婚して幸せになる)日本は、太平洋の端にある。(アル・ボルテ・デル・パシフィコ)
(つづく)
メキシコ合衆国の北、アメリカ合衆国との国境付近(3000kmもあります。日本の長さ並み)だと思いますが『エルドラド黄金郷』というのがある。そういえば、アメリカ合衆国の西海岸地域の一部は、昔はメキシコ領だったと別の小説で読んだことがあります。
17歳のメキシコ人少女「ルシア・セプルベタ」が主人公らしい。インディオとスペイン人の血を引くメスティーソというそうです。
シナロア州の州都クリアカンに住んでいる。
1996年(平成8年)の話です。
ルシアの兄フリオ19歳が、麻薬密売がらみで殺されてしまいました。
『死の笛(シルバト・デ・ラ・ムエルテ)』麻薬密売人が吹く笛です。人が死にます。
悲惨な出だしです。頼れるのは神さましかいない。
ルシアは、貧困生活から逃れるために、北のアメリカ合衆国へは行かず(アメリカにもメキシコギャングにも捕まるから)南にあるアカプルコを目指します。
(つづく)
あっという間に、主人公のルシア・セプルベタが観光ビザで、成田空港に到着しました。(1998年7月3日金曜日。本人19歳)
東京の六本木にあるラブホテルで働いたあと、大阪へ行き、雀荘で働いたあと、川崎のクラブへ移り、日本人男性と結婚して、男児を出産して(本人23歳)、自身は麻薬中毒になってしまいました。
夫は暴力団幹部土方興三(ひじかた・こうぞう)
長男は、土方コシモ(2002年3月2日生まれ)本の中では、小学4年生から登校拒否。その後11歳で、身長170cm超えです。仲間外れにされる小学校になじめず、日本語の読み書きはにがてです。国籍は日本です。
この小説は、この少年の物語かもしれません。
メキシコの独立記念日は、9月15日。
暴力シーンを淡々と文章で書いてあるところがすごい。冷徹です。(れいてつ:感情がない。冷静)
土方コシモ(ひじかた・こしも)少年に年寄り男性との出会いがあります。
こどもは、年寄りから学ぶことが多い。
コシモの母親は麻薬中毒です。
以前、何かの洋画で同じような設定を見たことがありますが、タイトルを思い出せません。(その後:思い出しました。アメリカ映画『ムーンライト』ちょっとグロかった記憶があります。グロテスク異様な雰囲気。ムーンライトですから「月光」です)
(つづく)
56ページまで読みました。
ここでタイトルの意味を調べました。
テスカトリポカ:闇を支配する神。あれこれいわれ(由来、理由)があるそうです。アステカ文明が関係あり。アステカ文明:メキシコ中部にあった文明。1428年ころから1521年の95年間ぐらい。スペイン人に破壊された。日本では関ケ原の合戦が1600年ですからその前です。どこも戦国時代ですなあ。
主人公の土方コシモ(ひじかた・こしも)は孤独です。
12歳で学校には行かず、盗みなんかをやっています。身長が180cmあるそうで、バスケットボールに興味をもっていますが、ルールは知りません。漫画アニメ「スラムダンク」のような雰囲気があります。
公園の木の枝を拾って、木の枝に彫刻刀で細かい細工をすることが好きです。鳥の絵や幾何学模様です。彫刻をしている時間帯は、つらさを忘れることができるそうです。
彫刻が入った枝は、伏線になっていくような気がします。
溝口緑地:川崎市高津区にある。
悲惨です。
無感情な文章が、この作家さんの特徴です。
現実にはありえない展開があります。
ゆえに、これぞ『小説』です。
まだ、ページはずいぶん残っていますが、力作でしょう。
13歳の殺人者が生まれました。
しかも、ふたりも殺してしまいました。
これから先、どんなふうに話をつないでいくのだろうか。
今、自分は、56ページにいます。
土方コシモ13歳で身長188センチもあります。怪物です。『ゴーレム』というあだ名を地元の川崎市内のこどもたちから付けられています。
(つづく)
小説の舞台は日本を離れてメキシコに移りました。
その後、109ページまで読みました。
メキシコでのギャング同士、麻薬の縄張り争いの暴力は凄惨です。(せいさん。かなりひどい)麻薬戦争です。直径8mもある無人ドローンが爆撃をします。
宗教がからんでいることもあって、読者が本から離れていきそうな気配もあります。
メキシコ北東部。
<ロス・カサソラス>という組織。4人兄弟がとりしきっている。麻薬を流通させて多額の利益を得る組織です。
ピラミッド(愛称):長男 ベルナルド・カサソラ
ジャガー:2男 ジョバニ・カサソラ
粉:3男 バルミロ・カサソラ 46歳
指:4男 ドゥイリオ・カサソラ
3男以外は殺されます。
生き残った3男バルミロ・カサソラは、たぶん、日本へ逃げるに違いない。彼が信仰するのがアステカの神テスカトリポカです。(煙を吐く鏡が神だそうです。闇を支配する神。(悪事をする者たちを守ってくれる神という印象が読み手にあります。神は化身ができるそうです)
そして、このあとたぶん、最初の部分の主人公少年土方コシモと出会うのでしょう。
最強の暴力集団が誕生しそうです。
メキシコというのは、そんなに治安が悪いところなのだろうか。
調べました。
やっぱり治安は悪いようです。
暴力で支配されている国なのだろうか。うーむ。微妙な気分です。たしか、名古屋市の姉妹都市のひとつがメキシコシティーです。(メキシコシティーはかつてのアステカ王国の首都「テノチティトラン」だそうです)
アメリカ合衆国サンアントニオの地名が懐かしい。
高校生だったころ、その土地の人と文通をしていたことがあります。
もう大昔のことになってしまいました。
小説なので事実かどうかはわかりませんが、麻薬社会は暴力社会でかなりひどい。
法令がコントロールする秩序が機能していないようです。
それに比べて日本は平和なほうです。
日本に生まれることは幸運だし、日本の大都市部周辺に生まれることは、経済的にも運に恵まれていると自分は思います。
世界には暴力で国民を支配する国があります。
国家(政府・政治家)もギャングもグル(仲間)です。
76ページで『テスカトリポカ』という文字が出てきます。『テスカトリポカ:煙を吐く神。アステカの神』
どちらかといえば、悪魔の神に思えます。
テスカトリポカには、人間の生け贄を(いけにえを)捧げます。(ささげます)生け贄を神にささげる部分の記述はグロテスクです。怪奇な行為です。
宗教としては、アステカ教。
復讐するための神なのか。
麻薬戦争があり、宗教戦争があります。
こういう設定は、日本人読者向けには受けるだろうか。
ちょっと、むずかしいものがあります。
リオ・ブラボー:リオ・グランデ川。メキシコ側で、「リオ・ブラボー」と呼ばれる。メキシコ湾(キューバ側の海)へそそぐ川の名称です。昔映画で同名の洋画があったような。ジョンウェインの西部劇だそうです。
87ページ。日本人の薬学者が覚せい剤の合成に関わりをもっていたとは知りませんでした。「ヒロポン」だそうです。戦時中の言葉として昔聞いたことがあります。1930年代以降(昭和5年以降)。
マヤ文明:メキシコ南部にあった文明。ユカタン半島。
オリン:ナワトル語(アステカ語族の言葉のひとつ)で「地震」
アステカの一か月は20日で、一年は13か月。
カサソラ一族の歴史が、生き残り3男バルミロ・カサソラの祖母リベルタを中心にして語られます。
先祖は、テスカトリポカにつかえた神官だった。
悪魔のような神に、人を殺してその肉をささげながら、災難を人民に与えないでくれと祈っています。
地獄のさたも(選択判断)金次第(しだい)という言葉が頭に浮かびました。
トラルテクートリ:アステカの神。大地の怪物。クジラより大きい。テスカトリポカと戦った。
なにやら、日本の「古事記」を読むようでもあります。
うむ。迷信(事実ではない。合理的な根拠がないうそ。実害あり)だと思うと、読書のページをめくる手が止まってしまいます。ちょっと信じるような気分で読んでみます。されど洗脳されてはいけない。(心を支配されてコントロールされてはいけない)
(つづく)
お金があるところへ人は集まる。
お金のためなら道徳はないものとする。(道徳:人が生きる道。善悪をきちんと判断して、正しい行動をする。人が守らねばならないこと)
貧困が人間の魂(たましい)を奪います。人間のもつ『悪』をあぶりだす小説です。
悪魔の教えがあります。対抗する者や組織を死に追いやるのです。アステカ人を侵略して滅ぼしたスペイン人に対する復讐心が感じられます。
されど、アステカ人の子孫たちがふだん使う言葉はスペイン語です。ときおりアステカの言葉(ナワトル語)が出てきます。本人たちの複雑な気持ちがあります。
アステカの文化と宗教について細かな説明があります。
麻薬取引で繁栄していくカサソラ一族の歴史が語られます。
自分はよく知らないのですが、洋画『ゴッドファーザー』というのもこういうパターンなのだろうか。
『札束が空から降ってきて、地面からも湧いてくるように思えた。』⇒コカインを扱う商売です。
組織は、外部からの力ではなく、内部からの力で壊れていきます。悪人たちの仲間割れです。
精神世界です。もう死んでいるのに、もう一度殺すのです。儀式です。
「オカリナ」という笛は、かわいらしい楽器だと思っていました。違います。<死の笛>なのです。アステカ人がスペイン人を攻撃するときの合図です。これから、スペイン人が殺されるのです。
『アウィクパ・チック・ウィカ』(意味:自分が何をしているのか知らず、生きる意味を知らず、ただ遊び歩いているばか者ということ)
お金を、ひとり占めするとうらまれる。
麻薬取引の世界では、殺される。
富(とみ。お金)をみんなで分けないと殺し合いが始まります。
殺人の理由は『復讐(ふくしゅう)』
復讐は、繰り返される。
終わりがない。
やったり、やられたりが続く。
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)を思い出しました。
主君のあだうちをするのです。
あだうちをしたあと、あだうちをした人間は、責任をとって死ぬのです。よく考えると無意味な行為です。
人間とは、不思議な生き物です。
憎しみをもつ人は、洗脳(せんのう。暗示をかけられている)されています。
とことん相手を殺すという決意の固まりです。話し合いの余地はありません。
あなたと話すことはありません。
あなたには、憎しみしかありません。
父親を殺された3男バルミロ・カサソラの心理です。
ホラー(恐怖)です。
昭和50年代ころ洋画がありました。『悪魔のいけにえ』『13日の金曜日』
自分は、『エクソシスト』を映画館に見に行きました。高校生の観客がいっぱいいました。いや、中学だったっけ。もう思い出せません。
三菱パジェロが出てきました。
書き忘れたことがありました。
<ロス・カサソラス カサソラ兄弟>と対立する麻薬組織が<ドゴ・カルテル>アルゼンチン生まれの移民集団が、ロス・カサソラスの縄張りを侵略します。闘犬というニックネームだったかのドゴ・アルヘンティーノというボスがいたと思います。(ページを通過してしまったので、どこだったかわからなくなりました)
バルミロ・カサソラは、船のコンテナに隠れながら地球をダイナミックに移動します。
相手の組織に殺されるので逃避行です。
アステカ信仰の力は強い。過酷な状況を耐え抜きます。
バルミロ・カサソラは、インドネシアへ移ります。
(つづく)
舞台は、インドネシア(人口2億6000万人)の西ジャカルタ市に移ります。
時は、2015年(平成27年)です。
タナカ(偽名。本名は末永充嗣(すえなが・みちつぐ))臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師。2013年4月29日に交通事故の加害者になって自転車に乗った少年をひき逃げ死亡させて逃避している。
山垣康 39歳。右側の腎臓を提供するために(売却する)インドネシアに来た。
野村健二 川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
戴圭明(ダイ・グィミン):ジャカルタ在住32歳の中国人。919(ジゥ・イー・ジゥ。中国黒社会の組織)の構成員。
グントゥル・イスラミ:イスラムの雷鳴という意味。犯罪組織でしょう。
説明的な文章が続きます。
バルミロ・カサソラ:自称ペルー共和国出身(実際はメキシコ出身)、偽名をふたつ使用しています。本では『ゴンサロ・ガルシア』ニックネームが『調理師』です。
2016年6月6日にバルミロ・カサソラは、日本人のタナカ(偽名)と遭遇します。
インドネシアは麻薬犯罪に対してきわめて思い刑罰が科されるそうです。
以降、麻薬密売の話が続きます。
ミュージシャンと麻薬の距離は近い。
読んでいての凡人の感想です。
麻薬と臓器売買のお話はところどころグロテスク(猟奇的りょうきてき、奇怪(奇怪)で、気持ちが悪くなる)で、読んでいて、もう精読するのはいいかなあという気分になっています。
(つづく)
268ページまで読みました。
日本の保育園が出てきて、雰囲気がずいぶん変わりました。
おもしろい。
今年読んで良かった一冊になるかもしれません。
こどもさんの保育の話ですが、中味は闇の話です。戸籍がないこどもさんとか、虐待をうけているこどもさんとか。コカインの薬物依存とか。いずれも『闇の世界』なのですが『救い』があるような環境に見えます。
読んでいるわたしが思うに、それは『救い』ではないのです。救ったように見せかけて、この先、人身売買とか、臓器売買の怖いお話しになっていきそうです。
作品『わたしを離さないで カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房』を思い出します。映画だと『約束のネバーランド 邦画』です。
テスカトリポカ(煙を吐く闇の神)は、土方コシモ少年(ひじかた・こしも 土方小霜 2002年生まれ両親殺しで少年院にいる)なのでしょう。
新南龍(シンナンロン):インドネシア生まれの若い中国人たちの悪の組織。2011年結成。幹部のひとりが、郝景亮(ハオ・ジンリャン)28歳。
2015年2月元木大地(もとき・だいち)と戴圭明(ダイ・グィミン)は知り合い。
本を読んでいると、自分が凶暴な気分になってきます。(これはまずい。速読します。216ページ付近。医療行為というよりも殺人です)
らいときっず小山台(こやまだい):品川区にある保育園
宇野矢鈴(うの・やすず):らいときっずの保育士。24歳。
まじめな人ほど、コカインに手を染めやすいのか……
仕事にストレスがあります。
スニッフィング:においをかぐ。
合法の病院じゃない病院。闇の診察室があります。
野村健二:闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
プラシーボ:偽薬効果。
NPO法人「かがやくこども」2009年設立・認可(暴力団に狙われた。代表理事川崎市甲林会千賀組幹部増山礼一)
なんとかビジネス。うーむ。思い出せない。「貧困ビジネス」でしょう。ホームレスほかを商品扱いする商売です。怖い。臓器を売られる。殺される。
増山礼一氏が「闇の天使」に見えます。
虐待や家庭内暴力にあっている人間を増山礼一一味(いちみ)が救うのでしょう。(ただし、商品として)社会的地位がある暴力の加害者に対しては、厳しい脅迫・恐喝を繰り返して銭をしぼりとるのでしょう。一石二鳥に違いない。
「無戸籍児童」というのは、たとえば、婚姻中の妻が不倫をして、戸籍上の夫以外のこどもを妊娠・出産すると、戸籍上の夫のこどもとしてしか戸籍に記載できないので、出生届が出しにくくなるのでしょう。
たしか、婚姻して200日以内に生まれたあかちゃんとか、離婚後300日以内に生まれたこどもは、婚姻中の夫のこどもになると聞いたことがあります。
法律は本来人の生活を守るためにあります。行為が法律の設定から逸脱すると、法律は人を守れなくなるのでしょう。
臓器売買のための商品は、3歳から10歳。恐ろしい。
MDMA:合成麻薬。
夏(シャ):悪党一味(新南龍しんなんろん。インドネシア生まれの分かり中国人たちの組織)の女。甲林会千賀組幹部増山礼一が、元保育士の矢鈴に紹介した。夏は、ふちなしの丸めがねをかけている。あとでわかりますが、夏は、香港警察特殊部隊の元職員です。
251ページにきて、久しぶりに土方コシモ(ひじかた・こしも)の文字を目にしました。
少年院暮らしですが、彫刻上手(じょうず)です。アーティストです。芸術家。されど、両親殺しの殺人者です。
15歳で身長が199cmもあります。体重は98kgです。暴れると複数人で取り押さえます。
この個性を作者はこのあとどう扱っていくのだろう(自分の興味の中心です)。
ドゥニア・ビル:インドネシア語で「青い世界」世界最大級のクルーズ船。(新型コロナが始まったころ横浜港に停泊したダイヤモンド・プリンセス号を思い出します)
全長410m。全幅83m。最大乗客定員7515人。巨大です。
ハリアント・セシオリア:クルーズ船運航会社の最高経営責任者(CEO)29歳。
作戦として、インドネシアで建造中のこの船を日本の関東地区の港に寄港させて、「商売」に活用する。川崎港が目標地。
グラフト:つなぎ役を意味する言葉。(悪事の)コーディネーター。本来は、心臓バイパス手術に使用する血管のこと。
(つづく)
2017年(平成29年)6月23日(金)バルミロ・カサソラがインドネシアから羽田空港に到着。偽造パスポートで入国した。偽名が『ラウル・アルサモラ』ただし、仲間内では隠語(ニックネーム)で呼び合う。バルミロは『調理師(スペイン語でエル・コシネーロ)』(なんというか、調理師が、人間の体を切り裂いて部品を売るというイメージにつながって不気味です。実際に切って商品に状態にするのは元医師なのですが……)
末永も韓国経由で入国した。
末永充嗣(すえなが・みちつぐ):蜘蛛(くも。スペイン語でラバ・ラバ)臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師。2013年4月29日に交通事故の加害者になって自転車に乗った少年をひき逃げ死亡させて逃避している。
野村健二:奇人(スペイン語で、エル・ロコ)闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
崔岩寺の住職:ニックネームは十字架(スペイン語でラ・クルス。お寺が秘密の施設になっている)
多摩川は、メキシコを流れる「リオ・ブラボー」という川に似ているそうです。
胸にぐっとくる文節として『競争はなく、あるのは独占だけだ(麻薬の密売に関して)』
オーバードーズ:麻薬の過剰摂取。死ぬときもある。
サイコパス:反社会的人格の持ち主
まあ、なんでもありですな。
人間は悪魔です。
金のためなら人間を虫けらのように扱います。
清勇・パブロ・ロブレド・座波(きよたけ・ぱぶろ・ろぶれど・ざは):川崎市内のアクセサリー工房で働く職人。沖縄県那覇市出身。父はペルー人、母は日本人。両親死亡。弟と妹は行方知れず。ナイフを作成する仕事ができる。妻と娘あり。(あとで悪の仲間になると愛称が『陶器(ラ・セラミカ)』になる。
フォールディングナイフ:折り畳み式ナイフ。料理、登山などのときに使用する。
ナイフメイカー:ナイフの製造業者だと思いますが、この小説では、ナイフ職人と読み取れます。
ブライアン・トレド・パブロ:座波の知り合い。元米国海兵隊員。沖縄在住のナイフをつくる職人。日本人妻あり。
読んでいると、外国人が自営でやっている料理店を敬遠したい気分になります。麻薬とのつながりがあるのではなかろうかという、いらぬ誤解をしそうになります。
ラウル・アルサモラ:バルミロ・カサソラの偽名。『おれのことは、調理師と呼べ』
ときおり出てくる誓いの言葉のようなものが『おれたちは家族だ』
ゴッドファーザーのようでもあります。
日本ヤクザの疑似家族のようでもあります。
物語の世界では、親に捨てられたり、親に縁がなかったりしたこどもたちは、似た者同士で義理の家族をつくって助け合いながら生活していきます。
伊川徹(いがわ・とおる):愛称『スクラップ(ラ・チャータラ)』31歳。178cm。154kg。肥満体。腕力がすごい。2006年(平成18年)5月22日20歳の誕生日に人を殺して服役した。懲役19年を2017年に11年の服役で仮釈放された。2018年(平成30年)の冬に『調理師(バルミロ・カサソラ)』と出会う。
通訳が、『蜘蛛(くも。ラバ・ラバ)』(末永充嗣(すえなが・みちつぐ):蜘蛛(くも。スペイン語でラバ・ラバ)臓器売買のコーディネーター。40歳過ぎ。ツーブロックのヘアースタイル。黒ぶち眼鏡。身長165cmぐらい。元医師)です。
伊川徹は、このあと『殺し屋』として育成されます。迫力がある展開です。読んでいて『殺し屋』というよりも『暗殺者』の雰囲気があります。自分を信頼している相手を裏切る。あるいは、自分を信用させて裏切る。非情です。
宮田正克(みやた・まさかつ):高知県生まれ。横浜にある大学卒業後、消防士になった。薬物依存があったがばれなかった。退職して、自動車修理工場を自営している。伊川徹を雇った。
読んでいて思うのは、それぞれが、わけありのひどい過去をもっているのですが、家族に恵まれなかったからといって、全員が悪の道に走るわけではありません。大部分の人は、一生懸命がんばって、自分なりに自分が望む家庭を築こうとします。ゆえに、こどものころの家庭環境が悪いと悪い人間ができあがるというような考えはもたないでほしい。
小説だからできることがたくさん書いてあります。
小説だと思って読んでいないと、頭がおかしくなりそうです。
感化されてはいけない。(暴力や脅迫・恐喝を肯定することに共感をもってはいけない)
読み手と書き手との戦いがあります。
圧倒的な暴力があります。
三菱のアウトランダー(車です)には、仕事で用事があって試乗したことがあるので、雰囲気がわかります。どうも書き手さんは三菱車に興味があるようです。このあと、三菱ランサーエボリューションという単語が出てきました。
登場人物が増えてきて、人間関係が広がってきたので、状況を把握するためにメモが続きます。
327ページで文章の固まりと固まりの間を4行開けてあります。この間(ま)がいい。不気味です。
雰囲気や流れとして同様、類似に感じるのが、村上龍作品『半島を出よ 上・下 村上龍 幻灯舎』が思い浮かびます。
半島というのは、朝鮮半島であり、敵国は北朝鮮です。まず登場人物の多さに圧倒されます。近未来の日米北朝鮮関係でしょうか。北朝鮮が日本を軍事攻撃する内容となっています。
(つづく)
神奈川県相模原市にある更生保護施設にいる土方コシモをNPO法人職員矢鈴が引き取ります。土方コシモは17歳になっていますが、両親殺しの過去があるので、引き取り手がいなかったですが、悪の手先が彼を利用するために上手に施設から引き出しました。土方コシモの身長は2m2cm、体重は104kgです。でかい。(土方コシモは「殺し屋候補その1」です)
宇野矢鈴(うの・やすず):ニックネームは『マリナル(マリナルショチトルが最初の名前。メキシコにあったアステカ帝国のナワトル語。マリナルはマリナリで「草」のこと。ショチトルは「花」のこと。戦争の神の妹を意味するそうです)』彼女は洗脳されています。自分は社会奉仕のために働いていると思い込んでいます。実際は保護した子どもの内臓を売買することに加担するのでしょう。
自分は読解力がないので、ていねいにメモしながら、メモを見返しながら、だれがどんな人なのかを確認しながら読まないと内容を理解できないタイプです。
ブライアン・トレド:パブロ・座波の知り合い。元米国海兵隊員。沖縄在住のナイフをつくる職人。日本人妻あり。
川崎港に巨大な船『ドアビル』が寄港しました。インドネシアの港から着いたのです。世界最大のクルーズ船です。
バラクーダ―:この本の場合は、ショットガンのことです。
川崎市内の自動車解体場で、射撃訓練が実施されます。
記述を読んでいると、先日元首相を銃で撃った犯人の山中での射撃練習光景と同じような雰囲気が伝わってきて不気味です。
その後のページには『カルト宗教の信者のように洗脳されているのか……』という文章が出てきます。
電気ドリル(エル・タラドロ):自動車解体場の従業員。19歳。日系ブラジル人四世。フラビオ・カワバタ。14歳までブラジルで暮らした。身長168cm。
伊川徹(いがわ・とおる):愛称『スクラップ(ラ・チャータラ)』31歳。178cm。154kg。腕力がすごい。2006年(平成18年)5月22日20歳の誕生日に人を殺して服役した。懲役19年を2017年に11年の服役で仮釈放された。
マンモス(殺し屋候補その2):仲居大吾(なかい・だいご)。29歳。191cm。(この物語に登場する人物は、背高のっぽ(せいたかのっぽ)ばかりです。最後は、みんなでバスケットボールチームをつくるというところで終わるのだろうか。今、348ページ付近にいます)。高校時代にボクシングで2回国体に出場した。元消防士。自動車解体場社長宮田の後輩(互いに面識はない)
宮田正克(みやた・まさかつ):高知県生まれ。横浜にある大学卒業後、消防士になった。薬物依存があったがばれなかった。退職して、自動車修理工場を自営している。伊川徹を雇った。
ヘルメット(殺し屋候補その3):大畑圭(おおはた・あきら)。26歳。177cm。79kg。暴走族元リーダー。板金工。傷害致死の前科あり。
殺し屋練習生の練習台はホームレスです。恐ろしい話です。おいしい話を聞いて連れてこられたのでしょう。テスカトリポカ(口から煙を吐く鏡。闇の神。化身ができる)が支配する世界です。
ボウイナイフ:大型の鞘付きナイフ。鞘(さや):刀身の部分をおさめる筒。
シースナイフ:鞘におさめるナイフ。キャンプに使用する。ボウイナイフより小さい。
野村健二:奇人(スペイン語で、エル・ロコ)闇の医師。川崎市を拠点にする内臓の売人。末永充嗣の知人。
ニコルソンのヤスリ:米国ニコルソン社。
シトロエン・ベルランゴ:フランスの自動車メーカーシトロエン社の車。ミニバン。
Cボーン:この物語の場合は、人骨で、頭蓋骨(ずかいこつ)のことでしょう。(違っていました。あとでわかりましたが、死んだこどもの大腿骨だそうです。売り物になるそうです)
367ページ付近を読んでいます。
登場人物の彼らは、これから何をするのだろう。
あと187ページです。
(つづく)
ニックネームで読む登場人物がたくさんです。老化著しい脳みそなので、記憶が追いつきません。人物名とニックネーム、人物像を赤色で書くことにしました。なんども見返します。誤った理解が発生するかもしれません。
尾津利孝警部補(おず・としたか。悪人の味方。悪人からお金をもらっている)
後藤和政巡査(尾津の悪事を何も知らない)
A&Wルートビア:アメリカ合衆国の清涼飲料水
『ひろいかぜ』『じかんがふろにはいっている』
「コシモにとって時間は、主体や事物の容れ物(いれもの)ではなく、生命そのものだった……」とあります。その部分を読みながら、ミヒャエル・エンデ作品『モモ』が思い浮かびました。時間どろぼうが登場します。
歳をとってきて考えることのひとつに『時間』があります。自分は自分の寿命がつきるまでに、あと、何時間生きていられるだろうかということです。そして、その時間をだれのために使おうかということです。自分以外のだれかのために時間を使いたいと思うのです。
山のように背の高い男をブラジルでは「モンターニャ」と呼ぶ。
ドゴ・アルヘンティーノ:アルゼンチン産大型狩猟犬。闘犬。
読んでいてのことです。なんだろうこの違和感は。
スーパーマンばかりです。
小説は、スーパーマンを描く舞台なのだろうか。
むしろ、そうでない人を書く場所ではないのだろうか……
だって、人間は悩むのです。
こちらの人間たちは、いっさい悩まずに殺戮行為を(さつりくこういを。むごたらしく人や動物を殺す)なさるのです。
土方コシモ(ひじかた・こしも)には、悩みがありません。
力(ちから)の世界です。
『断頭台(エル・パティブロ)』自分はギロチンと認識しました。土方コシモのニックネームです。
メキシコ人ルチャドール:メキシコ流プロレスラー。覆面(ふくめん)選手。
毒(エル・ベネノ):悪役のルチャドール
トヨタ・ヴェルファイア。作者は車好きのようです。いろんな車種が出てきます。
まあ、いけにえの儀式があります。
こういうのが好きな人向けの小説です。
自分はにがてです。
『人身供犠(サクリフィシオ。じんしんくぎ)』
409ページ付近。こどもたちの名前とメッセージがあります。
ゆうじ、けいすけ、えみり……
児童虐待に対する作者の強い抗議のメッセージを感じます。
(つづく)
こども心臓が約6億4000万円です。一発で支払うことができる外国人の富豪がいます。富豪のこどもが心臓の病気で死にそうなのです。戸籍はないけれど元気な日本人のこどもの心臓が外国人のこどもに移植されます。ひどい。この物語の根底に流れる生け贄(いけにえ)ともイメージが重なります。
『チョクロ』という方法だそうです。
おそろしいことがいっぱい書いてある418ページ付近です。
土方コシモは、まだ18歳です。2m6cm、118kg。うーむ。相撲部屋に入れたい。
土方コシモのニックネームは『断頭台(エル・バティブロ)』です。ただし、調理師(バルミロ・カサソラ)から『坊や』と呼ばれているそうです。仮想の父子関係があります。
『けむりをはくかがみ』が『テスカトリポカ』です。
重々しい文章です。
『そして、すべての神々は人間の血と心臓を食べて生きている……』いけにえを神にささげないと、太陽も月も輝くことをやめるのです。だから、おおぜいの人間が生き残るために犠牲が必要なのです。(考え方として、そういう考え方はあります。目的を達成するために最小限の犠牲はしかたがないとういう考え方です。戦争における戦死者もそうなのでしょう
431ページまできました。ゴールは、553ページです。
このあたりから、この集団は『滅び』へと向かっていくのでしょう。(自分の予想として)
こどもが気づきます。
『みんな ころされる』
『ジャガーと鏡』どちらも神。
『トシュカトル』は、祝祭。
テスカトリポカの分身となる少年がいる。分身として一年を過ごす。一年を過ごしたあと『夜と風』へと帰る。夜は暗く、風には体が無い。目には見えない。触れることもできない。神はもともと見えないし、触れることもできない。(読みながら、そう理解しました。むずかしい宗教的世界があります)
(つづく)
ようやく読み終えました。
力作でした。
最後に近づくにつれて、物足りなさが生まれました。
暴力シーンがあるものの、ストーリー展開があまりありません。
『テスカポリカ』というアステカ文明における闇の神「煙を吐く鏡」の解説本です。
マクアウィトル:武器。アステカの戦士が使用した。大きな刀(かたな)のような形状。最強の戦士たちが持つ。殺すだけの武器ではない。殺さずに生け贄(いけにえ)にするために使用することもある。
増山礼一:仙賀組の事務局長。
仙賀忠明:仙賀組長
谷村勝(まさる):若頭(わかがしら)
ゼブブス:川崎拠点の犯罪組織。半グレ。ベトナム系日本人とベトナム人の集団。リーダーは、タム・ホア。構成員として、森本中秋(もりもと・なかあき)
殺し屋集団の能力はすごいのですが、いくら腕力が強くても、銃弾を受けたら命は落ちると思いながら続きを読みました。
順太という9歳男児の日記にある言葉として『みんな ころされる。』
読んでいて“みんな”というのは、こどもではなく、悪党たちを指す「みんな」ではないかとピンとくる。
聖書の言葉がキーワードになります。
マタイによる福音書。九章とあります。
『わたしが求めるのは憐れみ(あわれみ)であって、いけにえではない……』
父と息子の関係があります。
「巨人の星」の星一徹(ほし・いってつ)と星飛雄馬(ほし・ひゅうま)のようです。
ふたりは、夜空に輝く巨人の星(たぶん一番輝きが強い金星)を見上げながら話をするのですが、こちらの物語でも星の話が出ます。
こちらの物語では、太陽と月の状態について話が出ます。
2017年8月21日に皆既日食があった。
2021年8月14日土曜日。禿鷲の十三日間
昔自分が教わったことです。
組織は、外部からの力で壊れるのではなく、内部からの力によって壊れる。
髑髏:どくろ。頭蓋骨(ずがいこつ)。これもまた商品になるそうです。白骨化した人の頭部。
ハッカー:コンピューターやインターネットに侵入して悪事を働く人。もとの意味は、善悪は関係なかったそうです。
そうか、ベース(下地)は『忠臣蔵(ちゅうしんぐら。仇討(あだうち)』なのか。やったらやりかえされる。復讐劇なのです。
2021年8月26日木曜日午後9時すぎ。事件は起きた。
この世に『無敵』はありません。一時的な無敵はあっても継続はしません。完全勝利者はいないのです。
『テスカポリカ』が場をしきるのです。(その場をコントロールする)
もう、人間同士の戦いではなくっています。
化け物同士、いや、神さま同士が戦っている情景が見えます。
圧巻の迫力に満ちたラストシーン近くでした。
ページ数は多いけれど、凝縮した一点(いってん)への集中がすさまじい。みなぎるエネルギーを爆発的に発散させる作品でした。
ずいぶん長い感想メモになってしまいました。
読みごたえのある作品でした。(読むことによって得られる充実感がありました)
自分が創作活動をするとき、企画の栄養にするための読書記録メモです。
自分以外の人にとっては、教科書ガイドのように、読書の手助けになれば幸いです。
2022年07月28日
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く 藻谷浩介
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く 藻谷浩介(もたに・こうすけ) NHK広島取材班 角川新書
2013年(平成27年)初版の本ですが、2021年(令和3年)に24版で、よく売れている本なので読んでみたい気持ちになりました。
内容についての前知識は何もありません。
まず、いつものように、1ページずつめくりながら、全部のページをめくってみます。
(1回目の本読み)
まずは、長い「はじめに」があります。長文です。あとから読みます。
最後の一行が気になりました。『人類が100年も信じてきた「常識」を打ち破る大胆不敵な提案……(なにやらぶっそうな勢いがありますが、なにかを目的として、画期的な手法を見せてもらえるのだろうという期待が膨らみました)』
次に目次があります。目次を読み終えて、自然と共存しながら暮らしていた60年から70年前の自分がこどもだったころのことが思い出されました。
今は、いろいろなエネルギーがありますが、自分がこどものときにはありませんでした。それでも人間は生きていけました。
いなかでは、どこの家でもたいてい根っこは農家とつながっていて、自給自足、物々交換、親族同士助け合いのパターンで暮らしていました。
農家でなくても近所の土地を借りて野菜や果実をつくって、商売用ではなく、自宅や親戚、近所で分け合って食べていたりもしました。それが、日本人庶民の基本的な暮らし方でした。(戦時下にあるウクライナの人たちが、薪(まき)を熱源にして、お鍋でスープのような食べ物をつくっている映像を見て、昔の日本と同じだと思いました。昔は、七輪(しちりん)を使うことが多かった)
目次だけに目をとおしていて、そんなことを思いました。
71ページに『合言葉は、「打倒! 化石燃料」』とあります。化石燃料とは、石炭、石油、天然ガスです。
原子力も事故が怖い。
人間の思うようには人間の営みはうまくいっていません。
109ページには、木造の高層ビルの写真があります。
構築物の強度はだいじょうぶだろうか。とくに地震が起きた時に地震の揺れに負けないかが気になります。
122ページまで目をとおして、ものすごい文章量です。
(こういうとき)わたしは、流し読みをしてしまいます。そして、気になったところでは、繰り返し読みをします。
瀬戸内海のこととか、島々とか、中国山地とかの文字が目に飛び込んできます。
昔読んだ宮本常一さんの本と似た雰囲気があります。
(以下は、2012年の読書メモです)
忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫
宮本常一:1981年(昭和56年)73歳没。民俗学者
淡々と読み続けて、さきほどガソリンスタンドで読み終えました。
民俗学者で、小学校の先生だったそうです。昭和56年に亡くなっていますが、本のほうは48刷まで発行され続けています。もう60年ぐらい前の日本各地の生活について、古老から聞いた話が綴られています。
地域の決め事は全員が賛成するまで延々と何日もかけて話し合われるとか、こどもをもらったりもらわれたりとか、おおらかな男 女の関係とか。興味深いものです。現代人が知らない日本人のかつての姿があります。
進歩の影で、退化していくものがある。退化によって、人間という生物は滅んでいく。現代人に対する警告でしょう。
157ページに地方から都市部への人口流出グラフがあります。
大阪万博(1970年 昭和45年)あたりから、地方の若い人たちが、大都市部へ流れるようになったことがわかります。
農林水産業(第一次産業)の後継ぎがいなくなりました。
無縁社会という言葉が204ページに出てきます。
最近思う不思議なこととして、葬儀のありようが変わりました。
コロナ禍もありますが、家族葬が増えて、つながりが少し離れた親族は葬儀に来なくなりました。
世間で有名な人の葬儀にはお参りしても、血族や姻族で自分がつながる親族のお参りはしない。変な世の中です。
254ページまできて、初めて、肝心なことを忘れていることに気づきました。
そもそも『里山資本主義』って何? (これから読んでみます)
298ページに『2060年の明るい未来』と書いてあります。
2060年には、自分は必ず死んでいます。
自分の子孫が不安のない世の中になっていてほしい。
(2回目の本読み)
「まえがきの部分を読みながら」
自分でできることは自分でやる。
人に頼むとお金が消えていく。
12ページに『かたぎの経済』を目指すとあります。かたぎ:心がしっかりしていてまじめ。
年金に頼る暮らしのサブシステム:お金がかからない生活ということなのでしょう。
「目次」の部分を読みながら」
おもしろそうです。『マッチョな経済からの解放』とあります。
マネーに依存しないサブシステムとあります。里山資本主義というのは、主体ではなく、補助的なやり方と受け止めました。
「第一章 世界経済の最先端、中国山地 を読みながら」
国名の中国ではなく、広島、岡山、兵庫 あたりの中国山地なのでしょう。
(つづく)
116ページまで読みました。
岡山県真庭市(まにわし)がどのあたりにあるのか調べました。
鳥取県の大山(だいせん16歳の時に登ったことがあります)の南東にある山間部の町でした。
エネルギーとして、木材を利用するお話です。
化石燃料(石炭とか石油とか)から脱却するのです。
タイミングがいいのか、今は、ロシアがウクライナに侵攻したため、世界中が原油高で悩んでいます。インフレの嵐です。物価高騰です。
本の中では、化石燃料をやめて、木材を活用しようというメッセージが放たれて(はなたれて)います。木材本体を消費するのではなく、利子部分を使います。だから、持続可能な活動なのです。
ロシアが、天然ガスの供給を人質にとって、ヨーロッパ諸国を脅しているという話が書いてあります。今まさに、そのことがドイツほかヨーロッパ諸国で起きています。(90ページあたり)
10年前に書かれた本ですが、今の時代にぴったり合っています。
されど、読んでいて思うのですが、日本で、里山の木々を利用しようというニュースは聞きません。
国会議員からなにか提案があったという記憶もありません(ただ、本では、法律の制定があったと記述されています)
オーストリアが理想の国として書いてあります。(されど、テレビで、オーストリアも天然ガスに依存しているというようなことが、ドイツ南部のバイエルン州がらみで報道されていました。ウクライナ危機で天然ガスの取り合いです)
オーストリアの国の大きさが北海道ぐらいと聞いて、そんなに小さいのかと驚きました。調べたら人口は893万人ぐらいでした。
『木質バイオマス発電』岡山県真庭市での取り組み事業です。
ごみだった木くずを集めて発電に利用する。木くずから生まれる燃料がペレットです。(木くずの小さな固まり。小さな円柱形をしている。小粒の棒)
話は違いますが、今観ているテレビ番組「旅猿」で、お笑いタレントメッセンジャーの黒田さんと東野・岡村コンビが、明石タコの煮汁(捨てていた)からふりかけとか、スープ、しょうゆをつくれないかと出資して取り組んでいます。動機が金もうけで、環境保護ではないのですが、捨てていたものを利用するというやり方は同じです。
1960年代:昭和35年から昭和44年。
「たたら製鉄」というのは、以前テレビ番組「旅猿」で観たことがあります。以下そのときの視聴メモの一部です。
東野・岡村の旅猿 島根県の旅 動画配信サービス
刀鍛冶(かたなかじ)の場所を訪れて体験をします。『奥出雲たたらと刀剣館』
たたら:昔の製鉄法。
『かわりばんこ』の由来ですという説明文が興味深かった。
足踏み式で、風を起こします。足で踏んで風を送ります。炎をつくる炉(ろ)になっています。金属を溶解する設備。
戦後、日本人はお金に目がくらんだ(心を銭儲けに奪われた)。
身近な資源である山の木を見捨てたと読み取れる記述です。
庄原市(しょうばらし):広島県北東部。尾道の北。エコストーブを利用している。裏山の木が燃料。原価0円の暮らしを追求するそうです。すごい。
お金をかけない暮らしをする。野草を食べる。自宅の畑で野菜をつくる。農薬は使わない。
おもしろい言葉があります。
「高齢者」は「光齢者」
「市民」ではなく「志民」。(なるほど)
オーストリアの記述です。
調べたところ、やはりオーストリアもロシアから天然ガスを輸入しているそうで、今回のウクライナ侵攻の影響を受けて経済が低下しているそうです。輸入全面禁止には応じられないようです。
(自分が思うに『両立』とか『共存』が必要です。どちらかいっぽうだけということは人間界では無理なのです)
打倒化石燃料の気持ちはもちつつも、しばらくは、両用でいきたい。
読んでいて思い出す別の本があります。
木をふんだんに使った建築物をつくる隈研吾さんの本です。そのときの感想メモの一部です。
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の 同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
1989年(平成元年)に冷戦の終結。ソビエト連邦の崩壊。
文章に、楽観的すぎるような文脈があります。
里山の木の利用が一方的にいいことだと攻めてくる文章です。
なにごとも物事には二面性があります。
人は、ふたつのことの板挟み(いたばさみ)になっていつも悩みます。
CLT:クロス・ラミネイテイテッド・ティンバー。直角に張り合わせた板。木造高層建築物に使う。4階建て、5階建てなどで使う。地震に強い耐久性があるそうです。
109ページの写真を見ていると、ツーバイフォー住宅のイメージが湧きました。
人間が生きていくの必要なものは? というくだり(話)があります。
わたしは『空気と水と食べもの、そしてコミュニケーション(人間同士のつながり)』だと思っています。
こちらの本では『生きるのに必要なのは、水と食料と燃料(そして、お金じゃないと強調されています)』
説明の設定の時期は、2011年(平成23年)東日本大震災から二年後の2013年(平成25年)です。
コミュニケーションの件については、役立つものとして、121ページに記述があります。助け合いです。さらに、154ページに、もつべきものはお金ではなく、人の絆(きずな)だと主張があります。
ペレット発電:製材くずの再利用。
集成材:複数の板を結合させたもの。
読んでいて、昔のドラマ『北の国から』を思い出しました。
なにかの自然災害で電気が使えなくなるのですが、もともと自力で生活している黒板五郎宅では、なんの影響もなかったのです。自家発電があった記憶です。それも風力発電です。
『里山資本主義』の対極にあるのが『マネー資本主義』です。
以前類似の本を読んだ記憶があります。
『人新世の「資本論」(ひとしんせいのしほんろん) 齋藤幸平 集英社新書』
以下が、読んだ時の感想メモの一部です。
『近代化によって経済は成長したが、「人新世(ひとしんせい)」の時代に入り、地球は環境危機に直面している』でいいようです。
石炭や石油などの化石燃料の消費によって、人類は、膨大な二酸化炭素を地球上に排出している。
森林や植物による二酸化炭素の吸収が追いつかないので、地球を温暖化させるガスが、地球をおおっている。
この本に書いてあるのは、地球温暖化による地球の危機を訴える内容で、お金もうけに走る資本主義を続けていると、資本主 義が破たんすると同時に、地球が地球でなくなる環境におかれるということなのだろうという目安をつけて読んでみます。
資本主義は、経済成長をあきらめることができない。
資本主義は、気候変動対策ができない。
資本主義は、限界を迎える。
二酸化炭素を大量に排出しているのは『富裕層』で、貧困層は排出量が少ない。
大量生産・大量消費をやめる。
今読んでいるこちらの本の中身は、以降、地方のいなかで、独自の農林水産業をしている方たちを紹介していきます。
(つづく)
読み終えました。
10年前に書かれた本です。
10年前の時点から、こらから50年間は、こうあるべきではないだろうかという内容で提案がありますがので、すでに経過した10年間をふりかえりながら読むと感慨深いものがあります。
燃料関係と食料の安定確保についていえば、今年、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、世界的に不安定になっています。本の中では、戦争が起こることは予想されていませんが、資本主義経済(マッチョな二〇世紀と表現があります。また、マネー資本主義という表現もあります)ではやがてゆきづまるときがくるというような示唆は(しさ。指摘。予測)はあります。
僻地の(へきち。過疎地(かそち))の空家利用についての提案があります。じっさいそのような施策をとっている自治体は広がっています。
人づきあいが少なった『無縁社会』について書いてあります。
親の年金を頼るこどものことが書いてあります。親が死んでも年金が必要だからと親の死を隠すという行為も最近はみられるようになりました。
10年前財政危機になったギリシャはどうなったのだろう。
国民には重い負担が今も残っているようです。
本の内容はおもに、広島県、岡山県、鳥取県あたりの山あいの地域のことが書いてあります。
子育てをするにしても雇用の場が必要です。
いろいろ提案があります。
読んでいて、うーむ。むずかしいという気分になります。
人間は千差万別です。画一的にひとつのやり方の範囲内に人をまとめるのはなかなか大変です。
提案の実現は、個々の人の意識で決まります。
①生計維持のしかた ②生きがい ③暮らし方
人はそれぞれ、思考(考え)、志向(しこう。すききらい)、なくて七癖(ななくせ。片寄った好み)があります。
豊かさはお金のあるなしではないという考えはありますが、基本的にはやはり生計維持の基本は『お金』です。
「ふるさとに帰れなくなったホームレス」は、ホームレスからすると、同情なんてしてもらいたくないと反発されそうです。
スマートシティ(小口電力を効率的に運用する)
太陽光、風力を発電に利用する。
都会のスマートシティと地方の里山資本主義を提案されています。
日本の産業の発展は、中学卒業後都会に出てきて、一生懸命働いた人たちのおかげというのは事実です。
加えて、学力があっても家が貧しくて、大学への進学をあきらめて、中小企業でしっかり働いて来た優秀な人材のおかげでもあります。
本の後半は、経済の話が続きます。
自分にとってはうとい(知らない)世界なので、書いてあることがわかりませんが、わかる人が読むと興味深い内容でしょう。
米ドルの話があります。
自分がこどもころ、1ドルは360円の固定でした。
その後、変動相場制になりましたが、結婚したころは、180円前後だった記憶です。新婚旅行で外国へ行くのに、旅行会社の人と、ずいぶん安くなりましたねぇと会話したことを覚えています。
戦後からの長い貧困体験のある経験豊富な年配者からみると、今の日本の暮らしは、上等に思えるのです。
『自然との共生』で結ばれています。
強い口調での問題提起が続きました。
読み手としては、数々の提案を実行する能力をもつ立場にないので、答えようがないということはあります。
少子高齢化についても記述があります。
国債の残高の話もあります。
10年前、新型コロナウィルスとか、ロシアのウクライナ侵攻は、当然、予測できていません。
インフレ(値上げ)のことにも触れてあります。
読み終えて、未来のことを予測はできても、そのとおりにならないこともままあるという気分になりました。まさかというような、起こらないであろうということが起きるという実感はあります。
2013年(平成27年)初版の本ですが、2021年(令和3年)に24版で、よく売れている本なので読んでみたい気持ちになりました。
内容についての前知識は何もありません。
まず、いつものように、1ページずつめくりながら、全部のページをめくってみます。
(1回目の本読み)
まずは、長い「はじめに」があります。長文です。あとから読みます。
最後の一行が気になりました。『人類が100年も信じてきた「常識」を打ち破る大胆不敵な提案……(なにやらぶっそうな勢いがありますが、なにかを目的として、画期的な手法を見せてもらえるのだろうという期待が膨らみました)』
次に目次があります。目次を読み終えて、自然と共存しながら暮らしていた60年から70年前の自分がこどもだったころのことが思い出されました。
今は、いろいろなエネルギーがありますが、自分がこどものときにはありませんでした。それでも人間は生きていけました。
いなかでは、どこの家でもたいてい根っこは農家とつながっていて、自給自足、物々交換、親族同士助け合いのパターンで暮らしていました。
農家でなくても近所の土地を借りて野菜や果実をつくって、商売用ではなく、自宅や親戚、近所で分け合って食べていたりもしました。それが、日本人庶民の基本的な暮らし方でした。(戦時下にあるウクライナの人たちが、薪(まき)を熱源にして、お鍋でスープのような食べ物をつくっている映像を見て、昔の日本と同じだと思いました。昔は、七輪(しちりん)を使うことが多かった)
目次だけに目をとおしていて、そんなことを思いました。
71ページに『合言葉は、「打倒! 化石燃料」』とあります。化石燃料とは、石炭、石油、天然ガスです。
原子力も事故が怖い。
人間の思うようには人間の営みはうまくいっていません。
109ページには、木造の高層ビルの写真があります。
構築物の強度はだいじょうぶだろうか。とくに地震が起きた時に地震の揺れに負けないかが気になります。
122ページまで目をとおして、ものすごい文章量です。
(こういうとき)わたしは、流し読みをしてしまいます。そして、気になったところでは、繰り返し読みをします。
瀬戸内海のこととか、島々とか、中国山地とかの文字が目に飛び込んできます。
昔読んだ宮本常一さんの本と似た雰囲気があります。
(以下は、2012年の読書メモです)
忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫
宮本常一:1981年(昭和56年)73歳没。民俗学者
淡々と読み続けて、さきほどガソリンスタンドで読み終えました。
民俗学者で、小学校の先生だったそうです。昭和56年に亡くなっていますが、本のほうは48刷まで発行され続けています。もう60年ぐらい前の日本各地の生活について、古老から聞いた話が綴られています。
地域の決め事は全員が賛成するまで延々と何日もかけて話し合われるとか、こどもをもらったりもらわれたりとか、おおらかな男 女の関係とか。興味深いものです。現代人が知らない日本人のかつての姿があります。
進歩の影で、退化していくものがある。退化によって、人間という生物は滅んでいく。現代人に対する警告でしょう。
157ページに地方から都市部への人口流出グラフがあります。
大阪万博(1970年 昭和45年)あたりから、地方の若い人たちが、大都市部へ流れるようになったことがわかります。
農林水産業(第一次産業)の後継ぎがいなくなりました。
無縁社会という言葉が204ページに出てきます。
最近思う不思議なこととして、葬儀のありようが変わりました。
コロナ禍もありますが、家族葬が増えて、つながりが少し離れた親族は葬儀に来なくなりました。
世間で有名な人の葬儀にはお参りしても、血族や姻族で自分がつながる親族のお参りはしない。変な世の中です。
254ページまできて、初めて、肝心なことを忘れていることに気づきました。
そもそも『里山資本主義』って何? (これから読んでみます)
298ページに『2060年の明るい未来』と書いてあります。
2060年には、自分は必ず死んでいます。
自分の子孫が不安のない世の中になっていてほしい。
(2回目の本読み)
「まえがきの部分を読みながら」
自分でできることは自分でやる。
人に頼むとお金が消えていく。
12ページに『かたぎの経済』を目指すとあります。かたぎ:心がしっかりしていてまじめ。
年金に頼る暮らしのサブシステム:お金がかからない生活ということなのでしょう。
「目次」の部分を読みながら」
おもしろそうです。『マッチョな経済からの解放』とあります。
マネーに依存しないサブシステムとあります。里山資本主義というのは、主体ではなく、補助的なやり方と受け止めました。
「第一章 世界経済の最先端、中国山地 を読みながら」
国名の中国ではなく、広島、岡山、兵庫 あたりの中国山地なのでしょう。
(つづく)
116ページまで読みました。
岡山県真庭市(まにわし)がどのあたりにあるのか調べました。
鳥取県の大山(だいせん16歳の時に登ったことがあります)の南東にある山間部の町でした。
エネルギーとして、木材を利用するお話です。
化石燃料(石炭とか石油とか)から脱却するのです。
タイミングがいいのか、今は、ロシアがウクライナに侵攻したため、世界中が原油高で悩んでいます。インフレの嵐です。物価高騰です。
本の中では、化石燃料をやめて、木材を活用しようというメッセージが放たれて(はなたれて)います。木材本体を消費するのではなく、利子部分を使います。だから、持続可能な活動なのです。
ロシアが、天然ガスの供給を人質にとって、ヨーロッパ諸国を脅しているという話が書いてあります。今まさに、そのことがドイツほかヨーロッパ諸国で起きています。(90ページあたり)
10年前に書かれた本ですが、今の時代にぴったり合っています。
されど、読んでいて思うのですが、日本で、里山の木々を利用しようというニュースは聞きません。
国会議員からなにか提案があったという記憶もありません(ただ、本では、法律の制定があったと記述されています)
オーストリアが理想の国として書いてあります。(されど、テレビで、オーストリアも天然ガスに依存しているというようなことが、ドイツ南部のバイエルン州がらみで報道されていました。ウクライナ危機で天然ガスの取り合いです)
オーストリアの国の大きさが北海道ぐらいと聞いて、そんなに小さいのかと驚きました。調べたら人口は893万人ぐらいでした。
『木質バイオマス発電』岡山県真庭市での取り組み事業です。
ごみだった木くずを集めて発電に利用する。木くずから生まれる燃料がペレットです。(木くずの小さな固まり。小さな円柱形をしている。小粒の棒)
話は違いますが、今観ているテレビ番組「旅猿」で、お笑いタレントメッセンジャーの黒田さんと東野・岡村コンビが、明石タコの煮汁(捨てていた)からふりかけとか、スープ、しょうゆをつくれないかと出資して取り組んでいます。動機が金もうけで、環境保護ではないのですが、捨てていたものを利用するというやり方は同じです。
1960年代:昭和35年から昭和44年。
「たたら製鉄」というのは、以前テレビ番組「旅猿」で観たことがあります。以下そのときの視聴メモの一部です。
東野・岡村の旅猿 島根県の旅 動画配信サービス
刀鍛冶(かたなかじ)の場所を訪れて体験をします。『奥出雲たたらと刀剣館』
たたら:昔の製鉄法。
『かわりばんこ』の由来ですという説明文が興味深かった。
足踏み式で、風を起こします。足で踏んで風を送ります。炎をつくる炉(ろ)になっています。金属を溶解する設備。
戦後、日本人はお金に目がくらんだ(心を銭儲けに奪われた)。
身近な資源である山の木を見捨てたと読み取れる記述です。
庄原市(しょうばらし):広島県北東部。尾道の北。エコストーブを利用している。裏山の木が燃料。原価0円の暮らしを追求するそうです。すごい。
お金をかけない暮らしをする。野草を食べる。自宅の畑で野菜をつくる。農薬は使わない。
おもしろい言葉があります。
「高齢者」は「光齢者」
「市民」ではなく「志民」。(なるほど)
オーストリアの記述です。
調べたところ、やはりオーストリアもロシアから天然ガスを輸入しているそうで、今回のウクライナ侵攻の影響を受けて経済が低下しているそうです。輸入全面禁止には応じられないようです。
(自分が思うに『両立』とか『共存』が必要です。どちらかいっぽうだけということは人間界では無理なのです)
打倒化石燃料の気持ちはもちつつも、しばらくは、両用でいきたい。
読んでいて思い出す別の本があります。
木をふんだんに使った建築物をつくる隈研吾さんの本です。そのときの感想メモの一部です。
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の 同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
1989年(平成元年)に冷戦の終結。ソビエト連邦の崩壊。
文章に、楽観的すぎるような文脈があります。
里山の木の利用が一方的にいいことだと攻めてくる文章です。
なにごとも物事には二面性があります。
人は、ふたつのことの板挟み(いたばさみ)になっていつも悩みます。
CLT:クロス・ラミネイテイテッド・ティンバー。直角に張り合わせた板。木造高層建築物に使う。4階建て、5階建てなどで使う。地震に強い耐久性があるそうです。
109ページの写真を見ていると、ツーバイフォー住宅のイメージが湧きました。
人間が生きていくの必要なものは? というくだり(話)があります。
わたしは『空気と水と食べもの、そしてコミュニケーション(人間同士のつながり)』だと思っています。
こちらの本では『生きるのに必要なのは、水と食料と燃料(そして、お金じゃないと強調されています)』
説明の設定の時期は、2011年(平成23年)東日本大震災から二年後の2013年(平成25年)です。
コミュニケーションの件については、役立つものとして、121ページに記述があります。助け合いです。さらに、154ページに、もつべきものはお金ではなく、人の絆(きずな)だと主張があります。
ペレット発電:製材くずの再利用。
集成材:複数の板を結合させたもの。
読んでいて、昔のドラマ『北の国から』を思い出しました。
なにかの自然災害で電気が使えなくなるのですが、もともと自力で生活している黒板五郎宅では、なんの影響もなかったのです。自家発電があった記憶です。それも風力発電です。
『里山資本主義』の対極にあるのが『マネー資本主義』です。
以前類似の本を読んだ記憶があります。
『人新世の「資本論」(ひとしんせいのしほんろん) 齋藤幸平 集英社新書』
以下が、読んだ時の感想メモの一部です。
『近代化によって経済は成長したが、「人新世(ひとしんせい)」の時代に入り、地球は環境危機に直面している』でいいようです。
石炭や石油などの化石燃料の消費によって、人類は、膨大な二酸化炭素を地球上に排出している。
森林や植物による二酸化炭素の吸収が追いつかないので、地球を温暖化させるガスが、地球をおおっている。
この本に書いてあるのは、地球温暖化による地球の危機を訴える内容で、お金もうけに走る資本主義を続けていると、資本主 義が破たんすると同時に、地球が地球でなくなる環境におかれるということなのだろうという目安をつけて読んでみます。
資本主義は、経済成長をあきらめることができない。
資本主義は、気候変動対策ができない。
資本主義は、限界を迎える。
二酸化炭素を大量に排出しているのは『富裕層』で、貧困層は排出量が少ない。
大量生産・大量消費をやめる。
今読んでいるこちらの本の中身は、以降、地方のいなかで、独自の農林水産業をしている方たちを紹介していきます。
(つづく)
読み終えました。
10年前に書かれた本です。
10年前の時点から、こらから50年間は、こうあるべきではないだろうかという内容で提案がありますがので、すでに経過した10年間をふりかえりながら読むと感慨深いものがあります。
燃料関係と食料の安定確保についていえば、今年、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、世界的に不安定になっています。本の中では、戦争が起こることは予想されていませんが、資本主義経済(マッチョな二〇世紀と表現があります。また、マネー資本主義という表現もあります)ではやがてゆきづまるときがくるというような示唆は(しさ。指摘。予測)はあります。
僻地の(へきち。過疎地(かそち))の空家利用についての提案があります。じっさいそのような施策をとっている自治体は広がっています。
人づきあいが少なった『無縁社会』について書いてあります。
親の年金を頼るこどものことが書いてあります。親が死んでも年金が必要だからと親の死を隠すという行為も最近はみられるようになりました。
10年前財政危機になったギリシャはどうなったのだろう。
国民には重い負担が今も残っているようです。
本の内容はおもに、広島県、岡山県、鳥取県あたりの山あいの地域のことが書いてあります。
子育てをするにしても雇用の場が必要です。
いろいろ提案があります。
読んでいて、うーむ。むずかしいという気分になります。
人間は千差万別です。画一的にひとつのやり方の範囲内に人をまとめるのはなかなか大変です。
提案の実現は、個々の人の意識で決まります。
①生計維持のしかた ②生きがい ③暮らし方
人はそれぞれ、思考(考え)、志向(しこう。すききらい)、なくて七癖(ななくせ。片寄った好み)があります。
豊かさはお金のあるなしではないという考えはありますが、基本的にはやはり生計維持の基本は『お金』です。
「ふるさとに帰れなくなったホームレス」は、ホームレスからすると、同情なんてしてもらいたくないと反発されそうです。
スマートシティ(小口電力を効率的に運用する)
太陽光、風力を発電に利用する。
都会のスマートシティと地方の里山資本主義を提案されています。
日本の産業の発展は、中学卒業後都会に出てきて、一生懸命働いた人たちのおかげというのは事実です。
加えて、学力があっても家が貧しくて、大学への進学をあきらめて、中小企業でしっかり働いて来た優秀な人材のおかげでもあります。
本の後半は、経済の話が続きます。
自分にとってはうとい(知らない)世界なので、書いてあることがわかりませんが、わかる人が読むと興味深い内容でしょう。
米ドルの話があります。
自分がこどもころ、1ドルは360円の固定でした。
その後、変動相場制になりましたが、結婚したころは、180円前後だった記憶です。新婚旅行で外国へ行くのに、旅行会社の人と、ずいぶん安くなりましたねぇと会話したことを覚えています。
戦後からの長い貧困体験のある経験豊富な年配者からみると、今の日本の暮らしは、上等に思えるのです。
『自然との共生』で結ばれています。
強い口調での問題提起が続きました。
読み手としては、数々の提案を実行する能力をもつ立場にないので、答えようがないということはあります。
少子高齢化についても記述があります。
国債の残高の話もあります。
10年前、新型コロナウィルスとか、ロシアのウクライナ侵攻は、当然、予測できていません。
インフレ(値上げ)のことにも触れてあります。
読み終えて、未来のことを予測はできても、そのとおりにならないこともままあるという気分になりました。まさかというような、起こらないであろうということが起きるという実感はあります。
2022年07月27日
イシューからはじめよ 知的生産のシンプルな本質 安宅和人
イシューからはじめよ 知的生産のシンプルな本質 安宅和人(あたか・かずと) 英治出版
書評の評判が良かったので、読んでみることにしました。
タイトルの意味は、今はまだわかりません。
イシューというのは「発行」とか「出版」ということだろうか。
まだ、わかりません。
(つづく)
1回目の本読みです。
わたしは、実用書を読むときは、とりあえず、すべてのページを最後まで、ゆっくりながめながら読みます。最後までたどりつくと、読んだような気分がして楽になれます。
イシュー:この本の場合は『結果』と読み取るようです。結果から始めよです。結論ありきだろうか。それはそれで不完全な部分があります。(書評や感想を読むとどうもそうではないようです。イシューの意味は、複数のグループ間にある『未解決問題』もうひとつが『グレーゾーンにある問題』というような説明があります。なかなかややこしそうです。また、183ページに『答えありきではない』とあります)
目標は、生産性の高い仕事をすることらしい。
悩むと考えるは違うというところから始まります。なるほど。
悩む:答えが出ないことを前提にして「考えるふり」をすることとあります。
考える:答えが出る。建設的に考えを組み立てることとあります。
読み始めて、なにかしら、感情をもつ人間的なものからは遠ざかって行って、人工知能アンドロイドロボットを目指すかのような不安がないわけでもありません。
利根川進:なつかしいお名前です。1987年ノーベル賞受賞(生理学・医学賞)新聞やテレビニュースで話題になりました。
ページをめくりながら思うのは、カタカナ言葉が多そう。
書いてあることを自分は理解できないかも。
なにかとなにかを比較して、違いを述べる手法が多いような。
なんというか、頭がいいということ=(イコール)幸せということではありません。
むしろ、頭が良すぎて、不幸になるということはありそうです。
いろいろと、逆転の発想がありそうな本です。
(2回目の本読み)
うーむ。自分の意見ですが、人間関係は、数式のようには解けません。
(つづく)
99ページまで読みました。
一読(いちどく)しても何が書いてあるのかがわかりません。
また、単語の意味調べをせっせとやっています。
生産性が高い人の共通点:スピードが速いわけではない。
(コツコツやるということだろうか。その後、要点を正確に早く把握することと読み取りました)
脳神経科学(ニューロサイエンス)
ツール:道具
アウトプット:成果(その後のページの記述として「時間ベースで考えるのかアウトプットベースで考えるのか」という表現があります)
インプット:投下した労力・時間
イシュー:読みながら自分なりに『要点(ポイント。何に答えを出すべきなのか)』『到達点(あるべき姿)』と考えますが、はっきりしません。
攻めの文章が続きます。
マッキンゼー:著者が勤めていた会社名。経営コンサルティング会社。本部はニューヨークにある。
箇条書きのマニュアル提示です。
『一般常識を捨てる』(凡人にはできませぬ)
イシューとは『AとB両方の条件を満たすもの』だそうです。(ピンときません)
マトリクス:縦軸と横軸のある表
犬の道:労働量にこだわること。たとえば、長時間むだな残業をすること(精神論的長時間労働は、むだというような指摘あり。 ただ、簡略化の勧めでは、わたしには「省略」「手抜き」「ゆとり教育を受けた世代」というイメージが生まれます)
バリューのある仕事:価値のある仕事。
ふたつのことを並べて、分析、評価するパターンが多い。物事をふたつに分ける理論をもつ思考です。
「労働者(レイバラ―。肉体労働者)」と「ワーカー」
「サラリーマン(時間拘束で収入を得るのは、レイバラ―と同じ)」と「ビジネスパーソン(仕事をコントルールするハンドルを握る人。マネジメントが仕事)」
「ビジネスパーソン」と「プロフェッショナル」
レイバラ―(肉体労働者、サラリーマン)では生産性が高い人にはなれないそうです。(昭和40年代から50年代前半の考え方は、職場が家で、社員が家族でした。長時間職場にいることはふつうのことでした)
最近の人の傾向として「頭はよいが、反応がデジタル的で深みがない」とあり、デジタル的とはなんぞやです。アナログではないということか。まあ、人工知能アンドロイドロボットみたいな若い人は増えました。お店で質問しても無言で、お客に対して、指であっちと指す若い女性もいます。しゃべらないあなたは、日本語がしゃべれない外国人かと文句を言いたいときがあります。
本のつくりですが、文字が小さい。老眼にはつらい。
どういうわけか、ページの下に大量の余白がとってあります。なにか意図があるのでしょうが、理由はわかりません。
ロジカル・シンキング:論理的に考えるということでいいのでしょう。
フレームワーク思考:なんのことだろう。枠組み、考え方。事柄を公式みたいなものに当てはめて問題解決を図るというようなイメージをもちました。
まずは、「一次情報」として現場を見なさいという著者の意見には賛成します。
なにかしら、相反することが書いてある文章に思えます。
無駄をなくして、直線的に答えにゆきつくという趣旨だろうかと思って読んでいますが、書いてある内容は、チェックしておくべきステップは飛ばしてはいけないというふうに読み取れます。つまり、時間をかけるべきところには、時間をかける。
『イシュー』を日本語で書いて欲しい。
レセプター:受容体。タンパク質。細胞の表面にある。物質や光を選択的に受容する。
グルーピング:やりやすいようにグループに分ける。
新しいことが良いことというものでもありません。
新しいからすべてうまくいくというものでもありません。
長く生きてきて気づいたことがあります。
何年やっても、やる人が入れ替わるだけで、やっていることは同じです。
人間というのは過ちを繰り返す生き物なのです。(たとえば戦争)
不思議なこととして、集客ができないことがわかっているのにオープンしたがる施設計画があります。
長年そこで生活している人間には集客力がない施設だとわかることが、よそで生活している人間にはわからないらしい。
オープンして、閑古鳥(かんこどり。お客が来ない)を経験して、ようやくわかるパターンがあります。
イシュー:本当に意味のある問題のこと(103ページにあります。わかりにくい日本語です)
解の質:解釈とか説明、答えの内容の水準ということだろうか。
ストーリーライン:筋書か。「結論に至るメッセージの流れ」だそうです。
物事を理解するために自分は「スライス(細かく横に切っていく)」という作業をします。
この本では、ゆで卵を使って、上手に説明してあるので感心しました。
単純にゆで卵を金太郎あめのようにスライスするのではなく、黄身と白身に分けるというような思考です。なるほど。
この本が目的とする対象物として『お金のやりくりをどうするのか』なのだろうと考えました。
ニーズ:要望、欲求、要求、需要、必要など。
セグメント:断片、部分、パート(一部分)
なにかしら、プロ野球の新庄監督の脳みその中にある世界を解説してあるような雰囲気があります。営業活性化が目標です。
115ページに「電子商品券」というものが出てきます。
今使用されている名古屋の「金シャチマネー」のことだろうと考えました。
コンセプト:概念、観念
エコノミクス:経済学
フェーズ:段階、局面、区切り
サブイシュー:本体のイシューを分解して見えてくるのがサブイシューだそうです。よくわかりません。
もう一度ページを戻って再確認します。イシューとは『本当に意味のある問題』のことである。
MECE(ミーシ―):ダブリもなければ、モレもない状態。
シナジー:複数の協力で高い効果が生まれること。
130ページにあるアニメ洋画『Mr.インクレディブル』は観たことがあります。
そのときの感想記録です。この本と関係がありそうな気がします。
(以下感想メモの一部 2012年)
MR.インクレディブル 映画 テレビ録画
昨年ベストセラーとなったアップルの創始者スティーブ・ジョブズの本を読んでから観たいと思っていた映画でした。ピクサーという会社が製作に関与しているディズニー映画なのですが、ピクサーはスティーブ・ジョブズ氏が関わった会社です。
「インクレディブル」というのは英語で、とても信じられないとか、ものすごくすばらしいという表現と受け取ります。
スーパーヒーローが自殺目的で高層ビルから飛び降りた男性を助けたところ、大きなお世話と男性から裁判で訴えられ、社会問題となり、他にもいたスーパーヒーローたちを含めて、能力使用禁止の命令を受けて、ひっそりと暮らすようになる。
スーパーヒーロー=スティーブ・ジョブズ氏と重なります。同様の能力をもつ妻と娘と息子、それから赤ちゃんが登場します。
映画は家族の一致団結にこだわります。ジョブズ氏は生みの親を憎んでいました。反面、養父母への感謝は強かった。そんなことを下地に鑑賞しました。感慨が湧きました。
物事を分析して、図や絵を描いて(かいて)、問題点に対する解答を示すための本だろうか。
スキル・アセット・スケール:技能・財産? 資源? ・大きさ。うむ。よくわかりません。
絵コンテ:イラスト、スケッチによる流れ図。
『分析とは、並べて、比べること』
170ページに今年自分が読んだ本が出てきました。
いい本でした。今年読んで良かった一冊です。
『赤めだか 立川談春著 扶桑社』
マイクロレベル:小さい点。
シナプス:接合部
(つづく)
プレゼン:自分の企画や提案を人前で発表すること。
この本を読むと、公式に従って資料の形をつくり、プレゼンに臨む(のぞむ)と読み取れます。
うーむ。
書いてあることを、できる人と、できない人がいると思います。
できない人を切り捨てることはできません。
できない人も使っていくのが組織です。
だれしも、得手不得手はあります。
互いに足りない部分を補い合って進めていくのがチームワークです。
『限られた時間で、いかにバリュー(価値)のあるアウトプット(成果)を効率的に生み出すか』が目標です。
ヘッジをかける:リスク(危機、損失など)が起こった時のために危機回避策・軽減策を用意しておく。
196ページまできました。
ここまでのことで、自分なりにこの本を判断しました。
ビジネスで収益を得るためのプランを構築するための手法が『イシューからはじめよ(本当に意味のある問題を情報から見つけ出して分析・検討・プラン組みをする)』ということだと理解します。
真実を見極めて、計画を立てて、行動する。
要注意事項のひとつとして「ていねいにやり過ぎない」
むだな時間の消費を「犬の道」とたとえてあります。
シンプルに仕上げる。(単純。わかりやすい。簡素)
本によるとそこに「本質的」が加わるそうです。
対立するAとBがあって、お互いの妥協点(だきょうてん。合意点)を最高の水準で設定する。それは、グレーゾーンに属することが多い。
白と黒の世界があって、純白では生きられない(メンタル病になる)、真っ黒では逮捕される。だからグレーゾーンで生きることを選択する。目的は金もうけですが…… それぞれの超えてはいけない線は、がんこに越えない(こえない)とも考えを広げることができます。
メッセージドリブン:〇○をもとにした。メッセージをもとにした。
ポリシー:方針
言葉の意味調べが続きます。
ちょっと疲れてきました。
GE:ゼネラルエレクトリック株式会社。米国の複合企業。
シックスシグマ:品質管理のためのフレームワーク
エレベーターテスト:短時間で上司にプレゼンをすること(エレベーター乗車中に)というたとえ。(むずかしい。自分は、いつどこでなにがどうしたという説明しか頭に浮かびません。あるいは、単語数語で強い印象と記憶を上司に与える手法があると思います)
企画をピラミッド構造にして、最上部にあることを伝えるとあります。(なるほど)
読んでいて思ったことです。
株式投資をするときの思考に生かせるような気がしました。
自分の感情と論理的に向き合う世界であれば、活用できます。
思考方法に、他者が入ると混乱します。
ベネフィット:利益。
コンサルティング:解決策ほかを助言する。
オケージョン:場面。
ファーストステップ:第一段階
チャート:図、表、グラフ。ゴールまでの経路
コンプリートワーク:完璧な仕事。やりきったという成果。
フィー:報酬、料金、手数料など。
コミットメント:責任をもってやりとげることを約束する。
自己ドライブ:自己管理。
ここまでの感想のひとつです。
自分がやるべきことを人にやらせようとする人が多い中、この本では、あくまでも自分自身でしっかり仕事をしていこうという心意気が感じられて好感をもちました。
プロフェショナルという言葉が出てきますが、そういう世界で生きていきたい人向きの本です。かなり厳しい思いはすることになりますが、達成感はあるでしょう。
自分は学校で「結果よりも経過が大事と習いました」されど利潤の追求をする現実社会では違っていました。結果がすべてで、経過は無視されるのです。
この本では、プロフェショナルの世界では、途中経過の努力は、いい成果が出せなければ評価されないと解説があります。事実です。
バックグラウンド:人生の背景
世の中は誤解と錯覚でできあがっているということが前提です。
事実を正確に見る目をもつ。
自分はどうするのか考える。
ニセ情報にだまされちゃいけない。
仕事で成功するために、やるべきことを見つけてやるということが、イシューからはじめよということだと思いました。
「犬の道」とは、根性論で、強制されるムダな時間と理解しました。
2010年(平成22年)に書かれた本です。
もう12年ぐらいが経ってしまいました。
43刷でよく売れている本です。
書評の評判が良かったので、読んでみることにしました。
タイトルの意味は、今はまだわかりません。
イシューというのは「発行」とか「出版」ということだろうか。
まだ、わかりません。
(つづく)
1回目の本読みです。
わたしは、実用書を読むときは、とりあえず、すべてのページを最後まで、ゆっくりながめながら読みます。最後までたどりつくと、読んだような気分がして楽になれます。
イシュー:この本の場合は『結果』と読み取るようです。結果から始めよです。結論ありきだろうか。それはそれで不完全な部分があります。(書評や感想を読むとどうもそうではないようです。イシューの意味は、複数のグループ間にある『未解決問題』もうひとつが『グレーゾーンにある問題』というような説明があります。なかなかややこしそうです。また、183ページに『答えありきではない』とあります)
目標は、生産性の高い仕事をすることらしい。
悩むと考えるは違うというところから始まります。なるほど。
悩む:答えが出ないことを前提にして「考えるふり」をすることとあります。
考える:答えが出る。建設的に考えを組み立てることとあります。
読み始めて、なにかしら、感情をもつ人間的なものからは遠ざかって行って、人工知能アンドロイドロボットを目指すかのような不安がないわけでもありません。
利根川進:なつかしいお名前です。1987年ノーベル賞受賞(生理学・医学賞)新聞やテレビニュースで話題になりました。
ページをめくりながら思うのは、カタカナ言葉が多そう。
書いてあることを自分は理解できないかも。
なにかとなにかを比較して、違いを述べる手法が多いような。
なんというか、頭がいいということ=(イコール)幸せということではありません。
むしろ、頭が良すぎて、不幸になるということはありそうです。
いろいろと、逆転の発想がありそうな本です。
(2回目の本読み)
うーむ。自分の意見ですが、人間関係は、数式のようには解けません。
(つづく)
99ページまで読みました。
一読(いちどく)しても何が書いてあるのかがわかりません。
また、単語の意味調べをせっせとやっています。
生産性が高い人の共通点:スピードが速いわけではない。
(コツコツやるということだろうか。その後、要点を正確に早く把握することと読み取りました)
脳神経科学(ニューロサイエンス)
ツール:道具
アウトプット:成果(その後のページの記述として「時間ベースで考えるのかアウトプットベースで考えるのか」という表現があります)
インプット:投下した労力・時間
イシュー:読みながら自分なりに『要点(ポイント。何に答えを出すべきなのか)』『到達点(あるべき姿)』と考えますが、はっきりしません。
攻めの文章が続きます。
マッキンゼー:著者が勤めていた会社名。経営コンサルティング会社。本部はニューヨークにある。
箇条書きのマニュアル提示です。
『一般常識を捨てる』(凡人にはできませぬ)
イシューとは『AとB両方の条件を満たすもの』だそうです。(ピンときません)
マトリクス:縦軸と横軸のある表
犬の道:労働量にこだわること。たとえば、長時間むだな残業をすること(精神論的長時間労働は、むだというような指摘あり。 ただ、簡略化の勧めでは、わたしには「省略」「手抜き」「ゆとり教育を受けた世代」というイメージが生まれます)
バリューのある仕事:価値のある仕事。
ふたつのことを並べて、分析、評価するパターンが多い。物事をふたつに分ける理論をもつ思考です。
「労働者(レイバラ―。肉体労働者)」と「ワーカー」
「サラリーマン(時間拘束で収入を得るのは、レイバラ―と同じ)」と「ビジネスパーソン(仕事をコントルールするハンドルを握る人。マネジメントが仕事)」
「ビジネスパーソン」と「プロフェッショナル」
レイバラ―(肉体労働者、サラリーマン)では生産性が高い人にはなれないそうです。(昭和40年代から50年代前半の考え方は、職場が家で、社員が家族でした。長時間職場にいることはふつうのことでした)
最近の人の傾向として「頭はよいが、反応がデジタル的で深みがない」とあり、デジタル的とはなんぞやです。アナログではないということか。まあ、人工知能アンドロイドロボットみたいな若い人は増えました。お店で質問しても無言で、お客に対して、指であっちと指す若い女性もいます。しゃべらないあなたは、日本語がしゃべれない外国人かと文句を言いたいときがあります。
本のつくりですが、文字が小さい。老眼にはつらい。
どういうわけか、ページの下に大量の余白がとってあります。なにか意図があるのでしょうが、理由はわかりません。
ロジカル・シンキング:論理的に考えるということでいいのでしょう。
フレームワーク思考:なんのことだろう。枠組み、考え方。事柄を公式みたいなものに当てはめて問題解決を図るというようなイメージをもちました。
まずは、「一次情報」として現場を見なさいという著者の意見には賛成します。
なにかしら、相反することが書いてある文章に思えます。
無駄をなくして、直線的に答えにゆきつくという趣旨だろうかと思って読んでいますが、書いてある内容は、チェックしておくべきステップは飛ばしてはいけないというふうに読み取れます。つまり、時間をかけるべきところには、時間をかける。
『イシュー』を日本語で書いて欲しい。
レセプター:受容体。タンパク質。細胞の表面にある。物質や光を選択的に受容する。
グルーピング:やりやすいようにグループに分ける。
新しいことが良いことというものでもありません。
新しいからすべてうまくいくというものでもありません。
長く生きてきて気づいたことがあります。
何年やっても、やる人が入れ替わるだけで、やっていることは同じです。
人間というのは過ちを繰り返す生き物なのです。(たとえば戦争)
不思議なこととして、集客ができないことがわかっているのにオープンしたがる施設計画があります。
長年そこで生活している人間には集客力がない施設だとわかることが、よそで生活している人間にはわからないらしい。
オープンして、閑古鳥(かんこどり。お客が来ない)を経験して、ようやくわかるパターンがあります。
イシュー:本当に意味のある問題のこと(103ページにあります。わかりにくい日本語です)
解の質:解釈とか説明、答えの内容の水準ということだろうか。
ストーリーライン:筋書か。「結論に至るメッセージの流れ」だそうです。
物事を理解するために自分は「スライス(細かく横に切っていく)」という作業をします。
この本では、ゆで卵を使って、上手に説明してあるので感心しました。
単純にゆで卵を金太郎あめのようにスライスするのではなく、黄身と白身に分けるというような思考です。なるほど。
この本が目的とする対象物として『お金のやりくりをどうするのか』なのだろうと考えました。
ニーズ:要望、欲求、要求、需要、必要など。
セグメント:断片、部分、パート(一部分)
なにかしら、プロ野球の新庄監督の脳みその中にある世界を解説してあるような雰囲気があります。営業活性化が目標です。
115ページに「電子商品券」というものが出てきます。
今使用されている名古屋の「金シャチマネー」のことだろうと考えました。
コンセプト:概念、観念
エコノミクス:経済学
フェーズ:段階、局面、区切り
サブイシュー:本体のイシューを分解して見えてくるのがサブイシューだそうです。よくわかりません。
もう一度ページを戻って再確認します。イシューとは『本当に意味のある問題』のことである。
MECE(ミーシ―):ダブリもなければ、モレもない状態。
シナジー:複数の協力で高い効果が生まれること。
130ページにあるアニメ洋画『Mr.インクレディブル』は観たことがあります。
そのときの感想記録です。この本と関係がありそうな気がします。
(以下感想メモの一部 2012年)
MR.インクレディブル 映画 テレビ録画
昨年ベストセラーとなったアップルの創始者スティーブ・ジョブズの本を読んでから観たいと思っていた映画でした。ピクサーという会社が製作に関与しているディズニー映画なのですが、ピクサーはスティーブ・ジョブズ氏が関わった会社です。
「インクレディブル」というのは英語で、とても信じられないとか、ものすごくすばらしいという表現と受け取ります。
スーパーヒーローが自殺目的で高層ビルから飛び降りた男性を助けたところ、大きなお世話と男性から裁判で訴えられ、社会問題となり、他にもいたスーパーヒーローたちを含めて、能力使用禁止の命令を受けて、ひっそりと暮らすようになる。
スーパーヒーロー=スティーブ・ジョブズ氏と重なります。同様の能力をもつ妻と娘と息子、それから赤ちゃんが登場します。
映画は家族の一致団結にこだわります。ジョブズ氏は生みの親を憎んでいました。反面、養父母への感謝は強かった。そんなことを下地に鑑賞しました。感慨が湧きました。
物事を分析して、図や絵を描いて(かいて)、問題点に対する解答を示すための本だろうか。
スキル・アセット・スケール:技能・財産? 資源? ・大きさ。うむ。よくわかりません。
絵コンテ:イラスト、スケッチによる流れ図。
『分析とは、並べて、比べること』
170ページに今年自分が読んだ本が出てきました。
いい本でした。今年読んで良かった一冊です。
『赤めだか 立川談春著 扶桑社』
マイクロレベル:小さい点。
シナプス:接合部
(つづく)
プレゼン:自分の企画や提案を人前で発表すること。
この本を読むと、公式に従って資料の形をつくり、プレゼンに臨む(のぞむ)と読み取れます。
うーむ。
書いてあることを、できる人と、できない人がいると思います。
できない人を切り捨てることはできません。
できない人も使っていくのが組織です。
だれしも、得手不得手はあります。
互いに足りない部分を補い合って進めていくのがチームワークです。
『限られた時間で、いかにバリュー(価値)のあるアウトプット(成果)を効率的に生み出すか』が目標です。
ヘッジをかける:リスク(危機、損失など)が起こった時のために危機回避策・軽減策を用意しておく。
196ページまできました。
ここまでのことで、自分なりにこの本を判断しました。
ビジネスで収益を得るためのプランを構築するための手法が『イシューからはじめよ(本当に意味のある問題を情報から見つけ出して分析・検討・プラン組みをする)』ということだと理解します。
真実を見極めて、計画を立てて、行動する。
要注意事項のひとつとして「ていねいにやり過ぎない」
むだな時間の消費を「犬の道」とたとえてあります。
シンプルに仕上げる。(単純。わかりやすい。簡素)
本によるとそこに「本質的」が加わるそうです。
対立するAとBがあって、お互いの妥協点(だきょうてん。合意点)を最高の水準で設定する。それは、グレーゾーンに属することが多い。
白と黒の世界があって、純白では生きられない(メンタル病になる)、真っ黒では逮捕される。だからグレーゾーンで生きることを選択する。目的は金もうけですが…… それぞれの超えてはいけない線は、がんこに越えない(こえない)とも考えを広げることができます。
メッセージドリブン:〇○をもとにした。メッセージをもとにした。
ポリシー:方針
言葉の意味調べが続きます。
ちょっと疲れてきました。
GE:ゼネラルエレクトリック株式会社。米国の複合企業。
シックスシグマ:品質管理のためのフレームワーク
エレベーターテスト:短時間で上司にプレゼンをすること(エレベーター乗車中に)というたとえ。(むずかしい。自分は、いつどこでなにがどうしたという説明しか頭に浮かびません。あるいは、単語数語で強い印象と記憶を上司に与える手法があると思います)
企画をピラミッド構造にして、最上部にあることを伝えるとあります。(なるほど)
読んでいて思ったことです。
株式投資をするときの思考に生かせるような気がしました。
自分の感情と論理的に向き合う世界であれば、活用できます。
思考方法に、他者が入ると混乱します。
ベネフィット:利益。
コンサルティング:解決策ほかを助言する。
オケージョン:場面。
ファーストステップ:第一段階
チャート:図、表、グラフ。ゴールまでの経路
コンプリートワーク:完璧な仕事。やりきったという成果。
フィー:報酬、料金、手数料など。
コミットメント:責任をもってやりとげることを約束する。
自己ドライブ:自己管理。
ここまでの感想のひとつです。
自分がやるべきことを人にやらせようとする人が多い中、この本では、あくまでも自分自身でしっかり仕事をしていこうという心意気が感じられて好感をもちました。
プロフェショナルという言葉が出てきますが、そういう世界で生きていきたい人向きの本です。かなり厳しい思いはすることになりますが、達成感はあるでしょう。
自分は学校で「結果よりも経過が大事と習いました」されど利潤の追求をする現実社会では違っていました。結果がすべてで、経過は無視されるのです。
この本では、プロフェショナルの世界では、途中経過の努力は、いい成果が出せなければ評価されないと解説があります。事実です。
バックグラウンド:人生の背景
世の中は誤解と錯覚でできあがっているということが前提です。
事実を正確に見る目をもつ。
自分はどうするのか考える。
ニセ情報にだまされちゃいけない。
仕事で成功するために、やるべきことを見つけてやるということが、イシューからはじめよということだと思いました。
「犬の道」とは、根性論で、強制されるムダな時間と理解しました。
2010年(平成22年)に書かれた本です。
もう12年ぐらいが経ってしまいました。
43刷でよく売れている本です。