2022年07月28日

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く 藻谷浩介

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く 藻谷浩介(もたに・こうすけ) NHK広島取材班 角川新書

 2013年(平成27年)初版の本ですが、2021年(令和3年)に24版で、よく売れている本なので読んでみたい気持ちになりました。
 内容についての前知識は何もありません。
 まず、いつものように、1ページずつめくりながら、全部のページをめくってみます。

(1回目の本読み)
 まずは、長い「はじめに」があります。長文です。あとから読みます。
 最後の一行が気になりました。『人類が100年も信じてきた「常識」を打ち破る大胆不敵な提案……(なにやらぶっそうな勢いがありますが、なにかを目的として、画期的な手法を見せてもらえるのだろうという期待が膨らみました)』

 次に目次があります。目次を読み終えて、自然と共存しながら暮らしていた60年から70年前の自分がこどもだったころのことが思い出されました。
 今は、いろいろなエネルギーがありますが、自分がこどものときにはありませんでした。それでも人間は生きていけました。
いなかでは、どこの家でもたいてい根っこは農家とつながっていて、自給自足、物々交換、親族同士助け合いのパターンで暮らしていました。
 農家でなくても近所の土地を借りて野菜や果実をつくって、商売用ではなく、自宅や親戚、近所で分け合って食べていたりもしました。それが、日本人庶民の基本的な暮らし方でした。(戦時下にあるウクライナの人たちが、薪(まき)を熱源にして、お鍋でスープのような食べ物をつくっている映像を見て、昔の日本と同じだと思いました。昔は、七輪(しちりん)を使うことが多かった)
 目次だけに目をとおしていて、そんなことを思いました。

 71ページに『合言葉は、「打倒! 化石燃料」』とあります。化石燃料とは、石炭、石油、天然ガスです。
原子力も事故が怖い。
人間の思うようには人間の営みはうまくいっていません。

 109ページには、木造の高層ビルの写真があります。
 構築物の強度はだいじょうぶだろうか。とくに地震が起きた時に地震の揺れに負けないかが気になります。

 122ページまで目をとおして、ものすごい文章量です。
 (こういうとき)わたしは、流し読みをしてしまいます。そして、気になったところでは、繰り返し読みをします。
 
 瀬戸内海のこととか、島々とか、中国山地とかの文字が目に飛び込んできます。
 昔読んだ宮本常一さんの本と似た雰囲気があります。
(以下は、2012年の読書メモです)
 忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫
 宮本常一:1981年(昭和56年)73歳没。民俗学者
 淡々と読み続けて、さきほどガソリンスタンドで読み終えました。
 民俗学者で、小学校の先生だったそうです。昭和56年に亡くなっていますが、本のほうは48刷まで発行され続けています。もう60年ぐらい前の日本各地の生活について、古老から聞いた話が綴られています。
 地域の決め事は全員が賛成するまで延々と何日もかけて話し合われるとか、こどもをもらったりもらわれたりとか、おおらかな男 女の関係とか。興味深いものです。現代人が知らない日本人のかつての姿があります。
 進歩の影で、退化していくものがある。退化によって、人間という生物は滅んでいく。現代人に対する警告でしょう。

157ページに地方から都市部への人口流出グラフがあります。
 大阪万博(1970年 昭和45年)あたりから、地方の若い人たちが、大都市部へ流れるようになったことがわかります。
 農林水産業(第一次産業)の後継ぎがいなくなりました。

 無縁社会という言葉が204ページに出てきます。
最近思う不思議なこととして、葬儀のありようが変わりました。
 コロナ禍もありますが、家族葬が増えて、つながりが少し離れた親族は葬儀に来なくなりました。
 世間で有名な人の葬儀にはお参りしても、血族や姻族で自分がつながる親族のお参りはしない。変な世の中です。

 254ページまできて、初めて、肝心なことを忘れていることに気づきました。
 そもそも『里山資本主義』って何? (これから読んでみます)

 298ページに『2060年の明るい未来』と書いてあります。
 2060年には、自分は必ず死んでいます。
 自分の子孫が不安のない世の中になっていてほしい。

(2回目の本読み)
 「まえがきの部分を読みながら」
 自分でできることは自分でやる。
 人に頼むとお金が消えていく。
 12ページに『かたぎの経済』を目指すとあります。かたぎ:心がしっかりしていてまじめ。
 年金に頼る暮らしのサブシステム:お金がかからない生活ということなのでしょう。

 「目次」の部分を読みながら」
 おもしろそうです。『マッチョな経済からの解放』とあります。
 マネーに依存しないサブシステムとあります。里山資本主義というのは、主体ではなく、補助的なやり方と受け止めました。

 「第一章 世界経済の最先端、中国山地 を読みながら」
 国名の中国ではなく、広島、岡山、兵庫 あたりの中国山地なのでしょう。
 
(つづく)

 116ページまで読みました。
 岡山県真庭市(まにわし)がどのあたりにあるのか調べました。
 鳥取県の大山(だいせん16歳の時に登ったことがあります)の南東にある山間部の町でした。
 エネルギーとして、木材を利用するお話です。
 化石燃料(石炭とか石油とか)から脱却するのです。
 タイミングがいいのか、今は、ロシアがウクライナに侵攻したため、世界中が原油高で悩んでいます。インフレの嵐です。物価高騰です。
 本の中では、化石燃料をやめて、木材を活用しようというメッセージが放たれて(はなたれて)います。木材本体を消費するのではなく、利子部分を使います。だから、持続可能な活動なのです。
 ロシアが、天然ガスの供給を人質にとって、ヨーロッパ諸国を脅しているという話が書いてあります。今まさに、そのことがドイツほかヨーロッパ諸国で起きています。(90ページあたり)
 10年前に書かれた本ですが、今の時代にぴったり合っています。

 されど、読んでいて思うのですが、日本で、里山の木々を利用しようというニュースは聞きません。
 国会議員からなにか提案があったという記憶もありません(ただ、本では、法律の制定があったと記述されています)

 オーストリアが理想の国として書いてあります。(されど、テレビで、オーストリアも天然ガスに依存しているというようなことが、ドイツ南部のバイエルン州がらみで報道されていました。ウクライナ危機で天然ガスの取り合いです)
 オーストリアの国の大きさが北海道ぐらいと聞いて、そんなに小さいのかと驚きました。調べたら人口は893万人ぐらいでした。

 『木質バイオマス発電』岡山県真庭市での取り組み事業です。
 ごみだった木くずを集めて発電に利用する。木くずから生まれる燃料がペレットです。(木くずの小さな固まり。小さな円柱形をしている。小粒の棒)
 
 話は違いますが、今観ているテレビ番組「旅猿」で、お笑いタレントメッセンジャーの黒田さんと東野・岡村コンビが、明石タコの煮汁(捨てていた)からふりかけとか、スープ、しょうゆをつくれないかと出資して取り組んでいます。動機が金もうけで、環境保護ではないのですが、捨てていたものを利用するというやり方は同じです。

 1960年代:昭和35年から昭和44年。

 「たたら製鉄」というのは、以前テレビ番組「旅猿」で観たことがあります。以下そのときの視聴メモの一部です。
 東野・岡村の旅猿 島根県の旅 動画配信サービス
 刀鍛冶(かたなかじ)の場所を訪れて体験をします。『奥出雲たたらと刀剣館』
 たたら:昔の製鉄法。
 『かわりばんこ』の由来ですという説明文が興味深かった。
 足踏み式で、風を起こします。足で踏んで風を送ります。炎をつくる炉(ろ)になっています。金属を溶解する設備。

 戦後、日本人はお金に目がくらんだ(心を銭儲けに奪われた)。
 身近な資源である山の木を見捨てたと読み取れる記述です。

 庄原市(しょうばらし):広島県北東部。尾道の北。エコストーブを利用している。裏山の木が燃料。原価0円の暮らしを追求するそうです。すごい。
 お金をかけない暮らしをする。野草を食べる。自宅の畑で野菜をつくる。農薬は使わない。
 おもしろい言葉があります。
 「高齢者」は「光齢者」
 「市民」ではなく「志民」。(なるほど)

 オーストリアの記述です。
 調べたところ、やはりオーストリアもロシアから天然ガスを輸入しているそうで、今回のウクライナ侵攻の影響を受けて経済が低下しているそうです。輸入全面禁止には応じられないようです。
 (自分が思うに『両立』とか『共存』が必要です。どちらかいっぽうだけということは人間界では無理なのです)
 打倒化石燃料の気持ちはもちつつも、しばらくは、両用でいきたい。

 読んでいて思い出す別の本があります。
 木をふんだんに使った建築物をつくる隈研吾さんの本です。そのときの感想メモの一部です。
 建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
 1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
 『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
 『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の 同時達成は、無理なのです。
 著者は『負ける建築』を目指します。

 1989年(平成元年)に冷戦の終結。ソビエト連邦の崩壊。

 文章に、楽観的すぎるような文脈があります。
 里山の木の利用が一方的にいいことだと攻めてくる文章です。
 なにごとも物事には二面性があります。
 人は、ふたつのことの板挟み(いたばさみ)になっていつも悩みます。

 CLT:クロス・ラミネイテイテッド・ティンバー。直角に張り合わせた板。木造高層建築物に使う。4階建て、5階建てなどで使う。地震に強い耐久性があるそうです。
 109ページの写真を見ていると、ツーバイフォー住宅のイメージが湧きました。

 人間が生きていくの必要なものは? というくだり(話)があります。
 わたしは『空気と水と食べもの、そしてコミュニケーション(人間同士のつながり)』だと思っています。
 こちらの本では『生きるのに必要なのは、水と食料と燃料(そして、お金じゃないと強調されています)』
 説明の設定の時期は、2011年(平成23年)東日本大震災から二年後の2013年(平成25年)です。
 コミュニケーションの件については、役立つものとして、121ページに記述があります。助け合いです。さらに、154ページに、もつべきものはお金ではなく、人の絆(きずな)だと主張があります。

 ペレット発電:製材くずの再利用。
 集成材:複数の板を結合させたもの。

 読んでいて、昔のドラマ『北の国から』を思い出しました。
 なにかの自然災害で電気が使えなくなるのですが、もともと自力で生活している黒板五郎宅では、なんの影響もなかったのです。自家発電があった記憶です。それも風力発電です。

 『里山資本主義』の対極にあるのが『マネー資本主義』です。
 以前類似の本を読んだ記憶があります。
 『人新世の「資本論」(ひとしんせいのしほんろん) 齋藤幸平 集英社新書』
 以下が、読んだ時の感想メモの一部です。
 『近代化によって経済は成長したが、「人新世(ひとしんせい)」の時代に入り、地球は環境危機に直面している』でいいようです。
 石炭や石油などの化石燃料の消費によって、人類は、膨大な二酸化炭素を地球上に排出している。
 森林や植物による二酸化炭素の吸収が追いつかないので、地球を温暖化させるガスが、地球をおおっている。
 この本に書いてあるのは、地球温暖化による地球の危機を訴える内容で、お金もうけに走る資本主義を続けていると、資本主 義が破たんすると同時に、地球が地球でなくなる環境におかれるということなのだろうという目安をつけて読んでみます。
 資本主義は、経済成長をあきらめることができない。
 資本主義は、気候変動対策ができない。
 資本主義は、限界を迎える。
 二酸化炭素を大量に排出しているのは『富裕層』で、貧困層は排出量が少ない。
 大量生産・大量消費をやめる。

 今読んでいるこちらの本の中身は、以降、地方のいなかで、独自の農林水産業をしている方たちを紹介していきます。

(つづく)

 読み終えました。
 10年前に書かれた本です。
 10年前の時点から、こらから50年間は、こうあるべきではないだろうかという内容で提案がありますがので、すでに経過した10年間をふりかえりながら読むと感慨深いものがあります。
 燃料関係と食料の安定確保についていえば、今年、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、世界的に不安定になっています。本の中では、戦争が起こることは予想されていませんが、資本主義経済(マッチョな二〇世紀と表現があります。また、マネー資本主義という表現もあります)ではやがてゆきづまるときがくるというような示唆は(しさ。指摘。予測)はあります。
 僻地の(へきち。過疎地(かそち))の空家利用についての提案があります。じっさいそのような施策をとっている自治体は広がっています。
 人づきあいが少なった『無縁社会』について書いてあります。
 親の年金を頼るこどものことが書いてあります。親が死んでも年金が必要だからと親の死を隠すという行為も最近はみられるようになりました。

 10年前財政危機になったギリシャはどうなったのだろう。
 国民には重い負担が今も残っているようです。

 本の内容はおもに、広島県、岡山県、鳥取県あたりの山あいの地域のことが書いてあります。
 子育てをするにしても雇用の場が必要です。
 
 いろいろ提案があります。
 読んでいて、うーむ。むずかしいという気分になります。
 人間は千差万別です。画一的にひとつのやり方の範囲内に人をまとめるのはなかなか大変です。
 提案の実現は、個々の人の意識で決まります。
 ①生計維持のしかた ②生きがい ③暮らし方
 人はそれぞれ、思考(考え)、志向(しこう。すききらい)、なくて七癖(ななくせ。片寄った好み)があります。
 豊かさはお金のあるなしではないという考えはありますが、基本的にはやはり生計維持の基本は『お金』です。

 「ふるさとに帰れなくなったホームレス」は、ホームレスからすると、同情なんてしてもらいたくないと反発されそうです。

 スマートシティ(小口電力を効率的に運用する)
 太陽光、風力を発電に利用する。
 都会のスマートシティと地方の里山資本主義を提案されています。

 日本の産業の発展は、中学卒業後都会に出てきて、一生懸命働いた人たちのおかげというのは事実です。
 加えて、学力があっても家が貧しくて、大学への進学をあきらめて、中小企業でしっかり働いて来た優秀な人材のおかげでもあります。
 
 本の後半は、経済の話が続きます。
 自分にとってはうとい(知らない)世界なので、書いてあることがわかりませんが、わかる人が読むと興味深い内容でしょう。

 米ドルの話があります。
 自分がこどもころ、1ドルは360円の固定でした。
 その後、変動相場制になりましたが、結婚したころは、180円前後だった記憶です。新婚旅行で外国へ行くのに、旅行会社の人と、ずいぶん安くなりましたねぇと会話したことを覚えています。
 戦後からの長い貧困体験のある経験豊富な年配者からみると、今の日本の暮らしは、上等に思えるのです。

 『自然との共生』で結ばれています。

 強い口調での問題提起が続きました。
 読み手としては、数々の提案を実行する能力をもつ立場にないので、答えようがないということはあります。
 少子高齢化についても記述があります。
 国債の残高の話もあります。
 10年前、新型コロナウィルスとか、ロシアのウクライナ侵攻は、当然、予測できていません。
 インフレ(値上げ)のことにも触れてあります。
 読み終えて、未来のことを予測はできても、そのとおりにならないこともままあるという気分になりました。まさかというような、起こらないであろうということが起きるという実感はあります。

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