2022年09月02日

なまえのないねこ 竹下文子・文 町田尚子・絵

なまえのないねこ 竹下文子(たけした・ふみこ)・文 町田尚子(まちだ・なおこ)・絵 小峰書店

(1回目の本読み)
 ねこの名前と聞いてすぐに思い浮かぶのが『イッパイアッテナ』の世界です。
 それぞれの人が、一匹のねこに、思い思いの名前をつけるから、一匹の猫の名前が複数になるのです。
 たしか、ねこ自身が、ほかのねこに自分を紹介するとき、自分の名前は『イッパイアッテナ』と紹介するのです。
 『ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社』シリーズ化されています。

 さて、こちらの絵本です。
 有名な絵本ですが、読むのは初めてです。
 ねこと親しいわけではありませんが、毎朝の散歩で、森の中にいる、のらねこたちとすれ違います。
 よく見かけるのらねこが何匹かいます。
 散歩をするねこ好きの年寄りたちは、思い思いに勝手に名前を付けてねこを呼んでいます。
 名前を呼ばれたねこは返事もします。ニャーだかミャーだか声が返ってきて、まるで人間とねこが会話をしているような空気のときもあります。
 「まる」とか「ぶーちゃん」「みーちゃん」「Qちゃん(きゅうちゃん)」「シロ」とか名付けています。
 自分はねこに対しては、愛想(あいそ。好感をもたれる態度)が悪いので、ねこは自分を無視します。わたしは、ねこでも人でも、お互いに負担をかけ合わない関係でいたいのです。
 ねことのそんな縁(えん。つながり)を感じて読み始めました。

 ねこ目線(低い位置)の絵がいい。
 視界の角度や広がりが新鮮です。
 絵本ですから、短時間で読み終わりました。
 今年読んで良かった一冊です。
 心優しい絵本でした。良かった。

(2回目の本読み)
 ぶ厚い表紙をめくると、裏に、たくさんのねこが描いて(かいて)あります。
 ねこの絵がいっぱいです。(このときは、気づけなかったのですが、何回かページをめくっているうちに、裏表紙に同じ絵が描いてあって、全部のねこに銀色文字で、名前が書いてあることに気づきました。少しびっくりしました。いろんな名前があるものだなと感心しました)

 さて、読み進めます。
 なまえのないねこが、なまえのあるねこたちのいるところを巡ります。
 最初のねこが、靴屋のねこです。
 商品の靴が入れてある紙箱の山に隠れて、店の中をのぞいているなまえのないねこです。
 靴屋のねこの「レオ」は顔がちょっとこわい。
 ライオンという意味の「レオ」です。

 ページをめくりながら、こっそりかくれているなまえのないねこの姿を探すことが、ちびっことの楽しい読み聞かせになるでしょう。
 なまえのないねこは、本屋の外からお店の中をじーっと見つめています。
 本屋のねこのお名前は、ここではパスしておきます。

 次は、八百屋のねこです。
 「チビ」という名前ですが、成長して、デッカちゃん(でかい)みたいな太って大きなねこになっています。
 チビという名前と体の大きさが一致しません。

 おそば屋のねこには、おそば料理の名前が付けられています。
 おもしろい。

 パン屋のねこ二匹には、児童文学「アルプスの少女ハイジ」に出てくる登場人物の名前が付けられています。
 ねこの名前ではありませんが、ヤギ飼いがペーターで、ヤギが「ユキちゃん」だったことを思い出しました。
 大きな犬が「ヨーゼフ」でした。なつかしい。まだ自分がおとなになる前に、熱心にテレビのマンガ劇場を見ていました。

 喫茶店のねこは、名前がふたつあるそうです。
 やっぱりな。「イッパイアッテナ」です。

 お寺のねこは、長生きするように「じゅげむ」だそうです。
 落語の寿限無(じゅげむ)ですな。
 緊急事態発生時に名前が長いと名前を読んでいるうちに状況が悪化するような気がするのですが、縁起としては縁起がいい名前なのでしょう。(縁起(えんぎ):ものごとの良い悪いのきざし、まえぶれ)
 初めて、ねこどうしの会話が出ました。
 お寺の白いねこと、なまえのないねことの会話です。

 描画に風情があります。
 油絵のカンバス(布目調)に絵が描いてあるような絵本です。

 なまえのないねこが、自分のことを「ぼくは」と言ったのでびっくりしました。これまで、わたしは、なまえのないねこは、女子のねこだと思いこんでよんでいました。ねこは、男の子でした。

 さあ、終わりが近づいてきました。
 犬のワンちゃんたちにも名前があります。
 お花屋のお花たちにも名前があります。
 でも、なまえのないねこには、なまえがありません。

 雨降りの絵が出てきました。
 なまえのないねこは、木製ベンチイスの下で雨宿りをしています。
 人間とねこの存在・立場・状況が、人間心理として重なります。
 『孤独』があります。ひとりぼっちです。
 歌手八代亜紀さんが唄う(うたう)演歌『雨の慕情(あめのぼじょう)』のような景色です。
 ひとぼっちのなまえのないねこに話しかけてきた女の子がいました。
 女の子は、赤い傘をさして、しゃがんで、ベンチの下にいるなまえのないねこに話しかけてきました。おなかがすいていないかいと声をかけてくれました。
 救世主現る(きゅうせいしゅあらわる)です。
 このお話の肝(きも。ポイント)になる部分が最後に出てきますが、ここに書くのはやめておきます。
 最後付近にある見開き2ページと、最後の1ページでは、胸がジンときます。
 なまえのないねこには、すてきな、おなまえが、つきました。
 そして、そばに、女の子のお母さんがいます。
 なんというか、競争社会ではない、気持ちが落ち着ける空間が、人間には必要だと感じたのです。
 いい絵本でした。

 読み終えて深く考えたことがあります。
 1965年ころ、昭和40年代は、効率が優先された社会でした。
 『早く、安く、楽に、正確に』が求められて『現状維持は後退だ』とはっぱをかけられました。
 勢いについてくることができない者は、基本的には切り捨てで、とりあえず置き去りです。
 資本主義は、一部の富む人と、多数のこきつかわれる人を生みました。(低賃金で、永年(ながねん)長時間労働を強いられる(しいられる))
 民主主義はいつも『自分たちとあいつら』という対立構図を生みました。人間関係は、ぎすぎすした競争勝利第一主義でした。
 歳をとってきて、疲れて、ふと、ふりかえれば、これでよかったのだろうかと思うこともあります。
 そんな下地がある気持ちでこの絵本を読むと胸にじんと湧き出てくるものがあります。やっぱり『優しい心』が一番大事なんじゃないだろうかと。

 秋に用事があって、九州地方の親せきのうちへ行きますが、絵本好きなちびっこがいるので、プレゼントでもっていく何冊かの絵本のなかに、この絵本も加えることにしました。

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