2022年08月29日
塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾
塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾(いまむらしょうご) 集英社
ことわざで『人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は聞いたことがあります。
いいことと悪いことは繰り返すというような意味合いでした。
本のタイトルとは、さいおうの漢字が異なります。
本の帯を読むと、矛と盾(ほことたて)の関係を表現してある作品のようです。
『矛盾(むじゅん)』です。矛と盾のどちらが強いか。
石工(いしく)の匡介(きょうすけ)「絶対に破られない(城の)石垣」京極高次側の石職人VS鉄砲職人彦九郎(げんくろう)「どんな城も落とす砲(ほう、おおづつ)」石田三成側の関係です。
豊臣秀吉はすでに亡くなっています。
『大津城』というのは、一部が琵琶湖に沈んでいると聞いたことがあります。城主が、京極高次(きょうごくたかつぐ)とあります。
先日邦画『関ケ原』を観たので、石田三成のことは少しわかります。
さて、読み始めます。
飛田匡介(とびた・きょうすけ):穴太衆(あのうしゅう)飛田屋の副頭(ふくかしら)。30歳。飛田源斎(とびた・げんさい)の養子。
飛田源斎(とびた・げんさい):飛田匡介の師匠。『塞王(さいおう)』と呼ばれている。57歳。父親は、越前で有名な象嵌職人(ぞうがんしょくにん。工芸。日本刀の拵え(こさえ、こしらえ。外装)
段蔵(だんぞう):飛田屋のメンバー。55歳。
玲次(れいじ):飛田屋のメンバー。飛田源斎のおい。30歳。妻とふたりのこどもあり。
花代(かよ):飛田匡介の妹。兄より2歳年下。28歳。
国友彦九郎(くにとも・げんくろう):国友衆の職人。三落(さんらく)の後継者。31歳。1566年生まれ。生家は『弓』担当の武士。戦(いくさ)での「弓」が「鉄砲」に敗れて、鉄砲職人を目指した。
国友三落(くにとも・さんらく):国友衆の頭(かしら)『砲仙(ほうせん)』と呼ばれている。
京極高次(きょうごく・たかつぐ):大津城主
毛利輝元(もうり・てるもと):安芸国の大名。関ケ原の合戦時、西軍大将。なれど、関ケ原に姿はなかった。
石田三成(いしだ・みつなり):豊臣秀吉の家臣(かしん)。治部少輔(じぶのしょう。役職名。貴族の仲間)
福井県の観光地でもある一乗谷朝倉氏遺跡は(いちじょうだにあさくらしいせき)は、二十代のころに見学したことがあります。 朝倉義景(あさくら・よしかげ)の領地でした。
もう記憶もおぼろげですが、平野のようなところを案内人さんの説明を聞きながら歩き回りました。木造家屋もいくつか立っていた記憶です。
本は、『序』から始まって、第一章から第九章まで、そして、『終』とつないであります。
織田信長がいた時代です。
1573年、一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)シーンがあります。
織田信長VS朝倉義景で、織田軍が勝利しています。
朝倉義景は、一乗谷から逃げています。アフガニスタンとかスリランカの政府代表者が逃げて、庶民が置き去りになったシーンを思い出すような記述です。
招聘(しょうへい):礼を尽くして人を招く。塞王(飛田源斎(とびた・げんさい))を招いて、頑健な石垣を築く予定だった。
三十代なかばの塞王(さいおう。飛田源斎(とびた・げんさい)。束ねた髪、口と顎(あご)にヒゲ。どじょうのような顔)と、まだこどもで10歳ぐらいの飛田匡介(とびた・きょうすけ)が、一乗谷城の戦いで出会います。
滂沱(ぼうだ):涙がとめどなく流れ落ちる。
職人のチームがあります。『組』という表現です。自分がこどものころに知った炭鉱とか、銅山での肉体労働者の属する組織形態を思い出します。
物語では、一乗谷城の戦いから23年が経過しています。1573+23ですから、西暦1596年です。関ケ原の合戦が1600年です。
城の石垣づくりのことが書いてあります。
山方(やまかた):石垣になる石を見つけたり、割ったりする担当。岩の「目」を見つける。
荷方(にかた):石垣になる石を運搬する担当。『流営(りゅうえい:仕事の打合せをする場所)』
積方(つみかた):石垣をつくるために石を積む担当。修行は15年。
普請(ふしん):土木工事、建築工事
伏見城:京都市伏見区にあった城。
(つづく)
鑿:のみ。石を割る時に使用する。
細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい):細川家の隠居さん。田辺城(京都府舞鶴市)の増築話で出てくる。
喜三太(きさんた):穴太衆(あのうしゅう)に所属する若い衆。
いいなと思ったセリフの趣旨として『石積みの己(おのれ)には、天下の情勢は解らない(わからない)…… 俺たちは石垣を造ればいい……』豊臣秀吉の伏見城の移築シーンにて。
もうひとつが『五百年で一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事』城の石垣の耐用年数です。
『千年保つ石垣を造れてようやく半人前だ』なかなかいいセリフです。現代建築もそうありたいものです。
荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(兵庫県伊丹市)にこもって、信長に反発した。
穴太衆(あのうしゅう)は、『石垣』を『楯(たて)』と呼ぶ。
近江富士(おうみふじ):三上山(みかみやま)滋賀県野洲市(やすし)にある山。標高432m。
本田忠勝(ほんだ・ただかつ):1548年-1610年。62歳没。徳川家康の家臣。
この小説は、城マニア向けです。
立花宗成(たちばな・むねしげ):1567年-1643年。75歳没 東北や九州福岡にて藩主を務めた。豊臣家、徳川家に仕えた。
賽の河原(さいのかわら):親よりも先に死んだこどもたちが、死んだあとに(魂(たましい)として)集まる場所。冥土(めいど。死後の世界)にある。こどもたちが、供養のために小石を積んで塔をつくろうとすると鬼が来てその塔を崩す(くずす)。
地蔵菩薩(じどうぼさつ)が現れてこどもたちを守る。(248ページで再びこのお話が出てきます。また、先日NHKテレビの番組「72時間スペシャル 第10位 青森県恐山(おそれざん)」で、賽の河原のような風景が映し出されたのを見ました)
この最初のほうにある部分が伏線となって、466ページで再現シーンがあります。いつかは青森県を訪れて、恐山を見学に行かねばという気持ちになりました。
翳す:かざす。手をかざす。手でおおう。
穴太衆(あのうしゅう)は『道祖神(どうそじん)』を信奉している。峠や辻、村境の道ばたにある神さま。悪霊を祓う(はらう)。
道祖神のひとつに『塞の神(さいのかみ)』がある。賽の河原を守る神と同一視されている。
穴太衆(あのうしゅう)の祖先は塞の神に守られているということになっている。その祖先のことを『塞王(さいおう)』と呼ぶ。
今では、一番石垣の石の扱いが一番よくできる技(わざ)をもった人間を『塞王』と呼ぶようになり、今は、飛田源斎が塞王と呼ばれている。崩れない石垣をつくる者が『塞王』である。
主人公の飛田匡介(とびた・きょうすけ)には、2歳年下の妹花代(かよ)に対する親族の愛情があります。一乗谷城の戦いのときに生き別れになっています。
碌に(ろくに):満足に、十分に
禄(ろく):給与、俸給。
伏見城の移築の話が出てきます。
これまでのところ、小説の時代設定は1596年ごろです。
伏見城で豊臣秀吉が亡くなったのが、1598年です。
城の石垣を運搬する手法が詳しく書かれています。
石船:船で運ぶ。瀬田川とか、天ヶ瀬渓谷とか、宇治川とか。滋賀県の大津から京都の伏見まで約20kmです。
媼(おうな):歳(とし)をとった女性。
内容は、職人を雇用する企業活動の説明のようです。
懸(かかり):敵が向かってきている最中に石垣を修復する。山方、荷方、積方、総出で石垣を積む(急ぐ(いそぐ))14年前になにかあったらしい。
第一章が終わって、これからの第二章はタイトルが『懸(かかり)』です。
(つづく)
14年前のことが語られます。
1582年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。
明智光秀が動きます。大河ドラマ『麒麟が来る(きりんがくる)』を思い出しました。
主人公の飛田匡介は、織田信長を敵ととらえます。一乗谷城の戦いで朝倉義景を滅ぼしたからです。飛田匡介は妹の花代(かよ)と生き別れになっています。(匡介は妹が死んだと思い込んでいます)
されど、城の石垣を造る者として、自分が支持する明智光秀を討つ(うつ)勢力のために石垣を造る仕事をしなければなりません。複雑な心境があります。
当時の源斎師匠の年齢が43歳。段蔵が41歳。匡介と玲次は16歳です。
明智光秀軍と戦う蒲生賢秀(がもう・かたひで)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)を助ける仕事です。
諸籠(もろごり):城内にすべての兵士、民を入れて城と人を守る。籠城する(ろうじょう)。
石垣のリユース(再利用)があります。
音羽城(滋賀県日野町の廃城から石垣を取って運搬する)→日野城で利用する。(同じく日野町)
鎌掛城(かいがけじょう。同じく日野町)の石垣も利用する。
150人ぐらいで分担して作業を進めます。
以降、石組のしかたについて詳しい指示があります。
たいしたものです。
たかが石垣ではありません。
一の石垣、二の石垣、三の石垣、四の石垣と続きます。相手兵の動きの流れを予想して誘導する経路をつくったりもします。
井守(いもり):とかげに似た両生類。
礫(つぶて):小石
筈六(はずろく)、又市、喜十郎:若い衆。二十代後半から三十歳ぐらい。
横山久内(よこやま・くない):侍大将。戦場で戦いに加勢する飛田匡介たち石職人グループの警護にあたってくれる。石職人(飛田屋)を守る隊の責任者。
宇佐山城(うさやまじょう):滋賀県大津市。
要石(かなめいし):抜くと一気に石垣が崩れる。『石垣で攻める』
かなり迫力があります。
纏めて:まとめて。
火薬もからんできます。鉄砲、大筒(おおづつ)、火薬を仕込んで爆破。石垣は武器に変わるのです。
膾(なます):切り分けた獣肉、魚肉に調味料をかけて生で食べる。
眦(まなじり):目じり。
戦(いくさ)においては、相手を皆殺しにするまでには追い詰めません。
徹底的に攻撃するわけではありません。
ある程度勝敗が見えてきたら話し合いで解決です。
なぜなら、たいてい、関係者には親族関係のつながりがあるからです。
利害関係がからんだ婚姻を重ねているので、血族、姻族があります。
みんなの願いは『平和』です。
暴力による統制のない社会です。
そのためには、強い楯(たて。すなわちこの場合、城(石垣))をつくることです。
一方、平和のために強い矛(ほこ。この場合は、鉄砲類)をつくることです。
なんだか、使用はしないけれど相手から身を守るために核兵器を保有するという話と似ています。
この物語の場合は、石垣担当の穴太衆(あのうしゅう)飛田屋と鉄砲担当の国友衆が対立することになるのでしょう。
『塞王(さいおう)』対『砲仙(ほうせん)』の戦いです。
伏見城の移転話があります。指月伏見城(しげつふしみじょう。大地震で倒壊)から木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)というところに移ります。
築城奉行(秀吉が命じた。ちくじょうぶぎょう)が、片桐且元(かたぎり・かつもと)
飛田源斎が城づくりを担当します。
弟子の飛田匡介は、大津城の石垣の修復を依頼されます。石垣だけでなく、城全体のコーディネートです。(全体を整える)琵琶湖のそばで、水城にするそうです。1592年春から始まります。
京極高次(きょうごく・たかつぐ)城主と対面します。
なかなかおもしろい。京極高次は、かなり個性的な人物です。どじな感じです。肉付きがよく、丸顔、二重瞼(まぶた)で、太い眉が離れている。大きな鼻、薄いくちびる。愛嬌(あいきょう。ひょうきんで憎めない。かわいらしい)のある顔です。
大溝城(おおみぞじょう):滋賀県高島市
閠閥(けいばつ):妻方の親類の結びつきで、力を得ているような状態。政略結婚に多い。
京極高次の別名が『蛍大名(ほたるだいみょう)』姻族関係の力で上層部の位置にいられる。
根来(ねごろ):和歌山県岩出市(いわでし)
佐敷城(さしきじょう):熊本県芦北町(あしきたまち)
八代城(やつしろじょう):熊本県八代市
読んでいて、西暦1600年前後に造られた城の石垣が、現在も残っていることに、たいしたものだという思いが生まれます。
大坂城:大阪城
坂本城:滋賀県大津市
一丈(いちじょう):3.03m。本書の記述では、雪の深さ。
大津城改修の下地づくり(したじづくり)をするようすは、遺跡の発掘作業のようです。考古学があります。
徳三郎:近くの農家の三男坊で17歳。三男ゆえにあとは継げない。宇佐山城(滋賀県大津市)近くの生れ。信長と浅井・朝倉の戦の時に宇佐山城で戦いがあったときの命拾いをしたこども。塞王のおかげで助かったというつなぎ話あり。
儂:読みして、「わし」。自分のこと。
多賀孫左衛門(たが・まござえもん):大津城改修のための奉行(ぶぎょう。責任者)
御方様(おかたさま):お初の方のこと。京極高次の妻。浅井長政の娘。織田信長の姪(めい)。豊臣秀吉の嫡子(ちゃくし。長男とか、家を継ぐものとか)豊臣秀頼のおば、徳川家康の嫡子徳川秀忠の義理の姉。記述を読むとおてんば娘っぽい。白い肌、通った鼻筋、切れ長の目に長いまつ毛。28歳。
忠五郎:飛田匡介の部下。
仕事が捗る:仕事がはかどる。
倦む(うむ):退屈する。
瞠目(どうもく):驚いて目をみはる。
夏帆(かほ):飛田匡介が好きになる若い女性。お初の侍女(じじょ。上流階級の女性の身の回りの世話をする人)。二重瞼(まぶた)、つぶらな瞳、整った鼻筋、上唇厚し。愛嬌のある顔。26歳。12歳のときに、北庄城(きたのしょうじょう。福井城。福井市)落城を体験した。柴田勝家が秀吉に敗れた。
ここまで読んできて、豊臣秀吉と現在のロシア大統領は似ているという感想をもちました。豊臣秀吉は朝鮮半島へ戦をもちこみ、ロシア大統領はウクライナに戦争をもちこみました。
験担ぎ(げんかつぎ):以前結果が良かった行為をまた行う。
吉次、金四郎:飛田匡介の部下。
石に対する愛着があります。
『どんな城も完全ではない……』
ライバルとなる国友彦九郎(くにともげんくろう)が、改修している大津城を検分(けんぶん。検査)したそうです。1598年のことだそうです。
(つづく)
豊臣秀吉の平和な世の中が続いているうちは、戦のための城づくり、城の管理の仕事は減ります。
豊臣秀吉が1598年9月18日に61歳で亡くなってから、主人公たちは動き出します。
日本が二分化されて、関ケ原の合戦へ向かっていきます。
武断派(戦場で戦ってきた者たち):加藤清正、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、支援者として、豊臣秀吉の正室の北政所ねね(きたのまんどころ)。高台院(こうだいいん)
文知派(吏僚(りりょう。役人、官吏(かんり)、戦では兵たん担当(食料、武器の運搬。後方支援)):石田三成、増田長盛(ました・ながもり)、前田玄以(まえだ・げんい)、長束正家(なつか・まさいえ)、支援者として、豊臣秀吉の側室(そくしつ。一夫多妻制における本妻以外)で後継ぎ豊臣秀頼の母淀殿(よどどの)、茶々、母は織田信長の妹市(いち)
南山城の童仙房(どうせんぼう):京都府南山城村。物語の中の領主は、野殿家(のどのけ)
祝着(しゅうちゃく):喜び祝う。
七等級:本作品中では、石の大きさ。
野面積み(のずらづみ):最古の手法。地形に合わせてさまざまな大きさの石を積む。
三番石:控えが長いものを集めているとあります。控え:石材の奥行。『番』の意味はちょっとわかりません。
五番石:打ち込み用と書いてあります。約30cm正方体。「打込接(うちこみはぎ)」という工法で使用する。石同士の接合部分を加工してすきまをなくす。外からの力には強いが、内からの力には弱い。水はけが悪いので、内部から壊れてくる。さらにすき間をなくすのが「切込接(きりこみはぎ)」野面積み(のずらづみ)のほうが、長期間石垣の維持ができる。
大筒、焙烙玉(ほうろくだま):大砲、焙烙玉は、手りゅう弾のような兵器。
乱積み:大小の石を積む。
布積み:同じような高さの石を横に並べる。
穴太積み(あのうづみ):野面積みと乱積みの合成。
鎬隅(しのぎすみ):石垣の隅は鈍角。
1599年、飛田匡介は、美濃大垣で正月を迎える。(岐阜県大垣市)
加賀大納言:前田利家
内府(ないふ):徳川家康
毛利中納言(もうりちゅうなごん):毛利輝元(もうり・てるもと)
後藤屋の木工兵衛(もくべえ):前田家専属の石工(いしく)になる。武士になることを意味する。
戯言(ざれごと):ばかばかしい話
関ケ原の戦いの前哨戦(ぜんしょうせん。本戦の前の小さな戦い)である伏見城の戦いが近づいてきている内容です。(1600年8月1日落城。関ケ原の戦いは、9月15日)伏見城には、家康が家臣の鳥居元忠らを残しています。
自らが築城に関わった伏見城を守るべく飛田源斎が伏見城に向かいました。『塞王』の身分を弟子の飛田匡介に譲りました。 飛田源斎は、戦場で(いくさばで)死ぬつもりでしょう。『お前は違う。乱世と泰平を繋ぐ(つなぐ)石垣だ』力強い声かけがありました。『お前はすでに俺を超えている』なんだか北斗の拳のケンシロウのような雰囲気です。
いっぽう敵方である鉄砲職人の国友彦九郎(くにとも・げんくろう)も動き出します。伏見城へ向かうでしょう。
長光寺城(ちょうこうじじょう):滋賀県近江八幡市
(つづく)
第六章まできました。279ページです。
1600年7月15日徳川家家臣鳥居元信の伏見城での籠城が始まりました。城づくり職人の元「塞王」である飛田源斎もいっしょです。7月19日に開戦、8月1日に落城です。飛田源斎も落命します。9月15日が関ケ原の戦いです。激動の時代です。
なかなかややこしい。寝返り(裏切り)が横行します。
豊臣秀吉亡きあと、豊臣家の力は衰退化していきます。組織を維持していくことはたいへんです。
向島城:京都市伏見区
弾正丸(だんじょうまる)、徳善丸、治部少丸(じぶしょうまる):木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)の構造
扇の勾配(おうぎのこうばい):石垣づくりの技術。横から見るとそりかえっている。武者返し。忍び返し(しのびがえし)
なかなか知恵が深い戦法です。
石垣の穴から城方が鉄砲で狙い撃ちです。
日野城:滋賀県蒲生郡日野町
笹五郎:石垣造り職人。段蔵と同い年。55歳ぐらい。
国友の最新銃:火打ち石と回転の摩擦を利用して放たれている。
情報戦があります。
鼻を明かす:策略を用いて、優位に立っている相手を驚かせる。
伊勢国阿濃津(あのつ):三重県津市
京極高知(きょうごく・たかとも):大津城主京極高次の弟。信濃飯田十万石大名(長野県飯田市)のちに宮津城主(京都府宮津市)
京極高次は、北陸方面へ行ったと思ったら、二日後に大津城に戻ってきました。大津城に籠城する作戦です。
帰城のきっかけは、西軍石田三成のプランで、大津で徳川家康の東軍と決戦することを予定していることが判明したからです。
京極高次は、自分の領土と領民を守るために大津城へ戻ってきました。領民を城内に招き入れます。
京極高次は、独特な思想をもっています。徳川家康の味方になったわけではありません。(謀反とか寝返りではない。(むほん。寝返りは西軍への裏切り)自分の藩の領土と領民を守りたいのです。
されど、秩序を維持したい西軍は、命令に従わない京極高次のいる大津城を攻めます。指示にさからう者には罰(ばつ)を与えなければなりません。
<内輪もめは(うちわもめは)組織が崩壊するときの前兆(ぜんちょう。前触れ(まえぶれ)になります>
佐和山城:滋賀県彦根市
ふと思う。石垣職人「塞王」となる飛田匡介の生き別れの妹(飛田匡介は死んだと思っている)花代(かよ)は、いつになったら登場してくるのだろう。(468ページで出てきます。そうかここか! すごいなあと恐れ入りました。伏線となっています。石の話が出ます)
毛利兵部大輔(もうりひょうぶたいふ):西軍総大将毛利輝元の叔父毛利元康
(つづく)
蛍:京極高次のこと。蛍大名(148ページ)。妻お初(おはつ。父は浅井長政。母は織田信長の妹お市の方(おいちのかた))のおかげで(女性のお尻の七光りのおかげで(七は大きなという意味))大名になれた。また、妻おはつの姉が淀殿(よどどの。茶々)で、豊臣秀頼の母親。
無双(むそう。ふたつとないこと。ひとつで優れていること):立花侍従(たちばなじじゅう)宗成(むねしげ)。西国無双と呼ばれる武将。180cm。凛とした眉(りんとしたまゆ)美男子(びだんし)
葉山正二郎:毛利家家臣。西軍の使者。京極高次に大津城での籠城をやめて、東軍との戦いのために出兵するよう、うながすが、断られて、開戦のきっかけとなる。
京極高次の言葉として『……京極家は内府(ないふ。徳川家康)の味方ではない。大津の民の味方よ。決してこの地を戦場にはせぬ』(日本を戦場にはしないという政治家がほしい)
鉄砲弾(てっぽうだま)を跳ね返す石垣(楯たて)対鉄砲弾(矛ほこ)の戦いが始まりました。
壮絶です。
戦法がいろいろあります。
文章を読みつつ、昔映画で観た『三国志』とか『のぼうの城』のシーンを思い浮かべながら頭の中で想像します。
今年読んで良かった一冊になりました。
十時連貞(ととき・つれさだ):西国無双(さいごくむそう)と呼ばれる立花宗成の部下。立花四天王のひとり。
訝しい:いぶかしい。あやしい。疑わしい。
京極高次のお言葉がいい。
飛田匡介の『お言葉を(指示してください。責任者の立場として命令してくださいという意味合い)』に小姓が(こしょうが。京極高次の秘書役の武士が)、
『我のために戦わずともよい。京極家のために戦わずともよい…… 大津の民のために戦ってくれ……』
鵜飼藤助:伏見城の戦いでの飛田屋にとっての裏切り者。甲賀の忍び(しのび)
『あの男(飛田匡介)は、一兵たりとも死なせぬことを目指します』
指揮をとる人間が考える時のパターンがあります。
勝利を得るためには、多少の犠牲者はしかたがないと考える権力者が多い中、飛田匡介も京極高次もひとつの命を大事にします。そこが、この本のいいところです。純粋です。
罠(わな)がいっぱいあります。
鏖:(人間を)みなごろし
河上小左衛門(かわかみ・こざえもん):京極高次側の武士。25歳。
西軍側の『竹束作戦(たけたばさくせん)』には、恐れ入りました。鉄砲の弾(たま)を密集させた竹の束で受けとめます。
黒鍬者(くろくわもの):合戦のさなかに、戦場において、土木工事のようなことをして攻めたり、守ったりしやすい現場をつくる仕事をする人間。この物語の場合、外堀の水を抜こうとします。
人間の知恵というものはたいしたものです。
なかなかの名勝負が続きます。
垂涎の的(すいぜんのまと):よだれをたれる。欲しくてたまらない。
鋼輪式銃(こうりんしきじゅう):火縄はいらない。引き金を引いてバネと歯車と火打石(ひうちいし)の力で発射する。
徒歩:「かち」と読む。
棹立ち(さおだち):馬が前足を上げてまっすぐ立ち上がった状態の表現です。うまい。
『低いから易しい(やさしい)ってもんじゃねえ。』
段差が低いと、人は通過できるが、馬は通過できない。味方の人間は逃げることができるが、馬に乗った敵は前進できない。
障子掘り(しょうじぼり)。畝堀り(うねぼり)。
大津城を守る飛田匡介グループは劣勢に陥ります(おちいります)。
戦いの道具である『石』を相手軍に奪われてしまいました。
弾の(たまの)ない鉄砲みたいな状態です。
午前1時、いちかばちかの反撃が始まりました。
琵琶湖の向こうから石を積んだ船が三艘(さんそう)やってきました。
されど、それらの船のまわりは敵だらけです。
『どいつもこいつも本気だ』
小野鎮幸(おの・しげゆき):敵方である立花四天王の一人(ひとり)。
勝負の鍵を握るのは①夜 ②風 ③雨 自然を味方につける。
410ページ付近を読みながら、この作品は映画化されるかもしれないと思いました。
石の使い手たちは、勇猛果敢(ゆうもうかかん)です。
石の大きさに応じて石垣をこさえるように、人間も組み合わせて強固な集団をつくる。
戦いのクライマックスが近づいています。
ふだん、城といえば、観光用のイメージしかありませんがこの本では、『戦闘用の城』としてのお城の紹介があります。
文章にちょっとだけ出てきた『小田原城』は、新幹線の窓からチラリと見るだけで、訪れたことがありません。行ってみようかなという気持ちになりました。
引き鉦:ひきがね。合戦で、味方に、引き上げるよう(退却)指示するときに打ち鳴らす鐘。
大筒(おおづつ):大砲。されど、弾(たま)で破壊するだけで、弾が爆発するものではありません。書中では期待されていない武器として紹介があります。容易に動かせないので、戦場で(いくさばで)相手に奪われやすい。
書中では『雷波(らいは)』という大筒が登場します。全長約3m、太さ約33cm、弾(たま)の重さは約3.9kg。
文章を読んでいると、時節柄(じせつがら。今どきだと)ウクライナ攻撃のロシアのミサイルを思い浮かべます。
矛(ほこ。大筒)と盾(たて。城の石垣の利用)との勝負です。
大勝負です。
作者がこのあと、この勝負をどのように表現して、どう決着させるのかが読む楽しみです。
鵺(ぬえ):正体不明の怪鳥。妖怪。
『三百二十六!』大筒から弾が発射後、次の弾が発射されるまでの時間をカウントして把握、記録します。数値を測って(はかって)考察(こうさつ)する世界です。
長等山(ながらやま):大筒を設置した山。大津城の西北。山の途中に三井寺(みいでら)がある。大津城からの距離は約1100m。
宥める:なだめる。
四半刻以内(しはんときいない):30分以内ぐらい(江戸時代と現代では時間の概念が異なる)
慄いて:おののいて。びっくりして。驚いて。恐れて。
作者はどちらの軍の味方でもありません。(非情です。殺し合いのむなしさを冷静に見つめながらなにかのメッセージを発するのです)
口を窄める:くちをすぼめる。
噎せ返る:むせかえる。
埒が明かない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。はかどらない。
比良:琵琶湖の西海岸
『ひとりの命を生贄(いけにえ)に百人を救う』先日読んだ作品『テスカトリポカ(古代メキシコアステカ文明に出てくる闇の神)』を思い出しました。
名言が出てきました。
『……漫然と生き(まんぜんといき)、大層に非難だけを浴びせる世間という化物(ばけもの)……』
切羽(せっぱ):差し迫った状況
威名(いめい):武将の称号。名声
宗成のいい言葉として、
『今からでもよいではないか。人はそう思った時から歩み始める』(人として、してはいけないことはしない。超えてはいけない線は超えない)
乾呻一擲(けんこんいってき):いちかばちかの大勝負に出る。
尾花川口:大津城の北西。約381m。ここに大筒を設置しなおして城を撃つ。
(つづく)
読み終えました。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。
本の最初のほうにある『大津城縄張り図』というのを見ながら、大筒と(おおづつ、大砲と)、城の「伊予丸」という部分に造られる天守閣を守るための石垣の攻防です。
砲台と天守閣、両者の距離は約380m、天守閣の高さが約24m、天守閣を守るための楯(たて)となる石垣の高さが約8.2mで、砲台から約300mの位置に石垣を築きます。
大砲の弾は(たまは)どんどん飛んできます。石垣はそのたびに崩れますが、石垣職人たちが、次の弾が飛んでくる前にすばやく修復するということを繰り返します。
早朝から晩まで、繰り返される戦いです。
戦(いくさ)のなかで何人かは命を落としていきます。
非情であり、虚無(きょむ。むなしさ)があります。
藩主は、負ける時は、家族とともに切腹、自害です。
武士は死ぬ気で日々を送っています。
むずかしい漢字がたくさん出てきます。
咎める(とがめる):注意する。
喚く(わめく):大声を出して乱れる。
恰好(かっこう):姿のことですが、この場合、メンツを立てさせてくれ。(殿様としての立場をつけさせてくれ)
作事奉行(さじぶぎょう):造営、修理、土木工事担当責任者
撓む(たわむ):弓なりになる。
松明(たいまつ):灯りをとるためのトーチ。長い棒。
宰相(さいしょう):首相。組織のトップ。
喊声(かんせい):ときの声。エイエイオー。
轟、轟、轟:ごう、ごう、ごう
蔑む:さげすむ。見くだされる。
摑む:つかむ。
搔き毟る:かきむしる。
翳す:かざす。
篝火:かがりび。
捲し立てる:まくしたてる。
予め:あらかじめ。
聲:こえ(声)
眉唾(まゆつば):だまされないように用心するようなことがら。狐(きつね)にばかされないおまじないで、眉につばをつける。
腑に落ちる:ふにおちる。納得できる。
殿様である京極高次の言葉がわかりやすくていい。
領民に対して、事実を理解できるように話してくれます。
『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』
上下の信頼関係がなくなったら、組織は崩壊します。
文章を読んでいると、なにかしら、原子力発電所の原子炉を囲っている1mぐらいあるぶ厚いコンクリート壁の一部分に狙いを定めて、集中的に高性能ミサイルを何回も撃ち込んでいるような絵が頭に浮かびます。恐ろしい。
石垣職人たちの動きがすごい。
飛田匡介の指示に従って、すばやく石垣を修復します。
チームワークあります。
いいなと思った言葉です。
『承知(しょうち。OK)』
防備の鍵を握るのが『要石(かなめいし。この石のおかげで勝ち負けが決定する)』
『奥義は「技」ではない』→『人が石垣になること』武田節を思い出します。『人は石垣、人は城』
『これにて大津城を開城する。』
いつか映画化されるといいなー
半吉(はんきち):棚田の持ち主。30代の百姓。半吉のこどもが、6歳の全太(ぜんた)。
野分(のわけ。のわき):嵐。台風のようなもの。
ことわざで『人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は聞いたことがあります。
いいことと悪いことは繰り返すというような意味合いでした。
本のタイトルとは、さいおうの漢字が異なります。
本の帯を読むと、矛と盾(ほことたて)の関係を表現してある作品のようです。
『矛盾(むじゅん)』です。矛と盾のどちらが強いか。
石工(いしく)の匡介(きょうすけ)「絶対に破られない(城の)石垣」京極高次側の石職人VS鉄砲職人彦九郎(げんくろう)「どんな城も落とす砲(ほう、おおづつ)」石田三成側の関係です。
豊臣秀吉はすでに亡くなっています。
『大津城』というのは、一部が琵琶湖に沈んでいると聞いたことがあります。城主が、京極高次(きょうごくたかつぐ)とあります。
先日邦画『関ケ原』を観たので、石田三成のことは少しわかります。
さて、読み始めます。
飛田匡介(とびた・きょうすけ):穴太衆(あのうしゅう)飛田屋の副頭(ふくかしら)。30歳。飛田源斎(とびた・げんさい)の養子。
飛田源斎(とびた・げんさい):飛田匡介の師匠。『塞王(さいおう)』と呼ばれている。57歳。父親は、越前で有名な象嵌職人(ぞうがんしょくにん。工芸。日本刀の拵え(こさえ、こしらえ。外装)
段蔵(だんぞう):飛田屋のメンバー。55歳。
玲次(れいじ):飛田屋のメンバー。飛田源斎のおい。30歳。妻とふたりのこどもあり。
花代(かよ):飛田匡介の妹。兄より2歳年下。28歳。
国友彦九郎(くにとも・げんくろう):国友衆の職人。三落(さんらく)の後継者。31歳。1566年生まれ。生家は『弓』担当の武士。戦(いくさ)での「弓」が「鉄砲」に敗れて、鉄砲職人を目指した。
国友三落(くにとも・さんらく):国友衆の頭(かしら)『砲仙(ほうせん)』と呼ばれている。
京極高次(きょうごく・たかつぐ):大津城主
毛利輝元(もうり・てるもと):安芸国の大名。関ケ原の合戦時、西軍大将。なれど、関ケ原に姿はなかった。
石田三成(いしだ・みつなり):豊臣秀吉の家臣(かしん)。治部少輔(じぶのしょう。役職名。貴族の仲間)
福井県の観光地でもある一乗谷朝倉氏遺跡は(いちじょうだにあさくらしいせき)は、二十代のころに見学したことがあります。 朝倉義景(あさくら・よしかげ)の領地でした。
もう記憶もおぼろげですが、平野のようなところを案内人さんの説明を聞きながら歩き回りました。木造家屋もいくつか立っていた記憶です。
本は、『序』から始まって、第一章から第九章まで、そして、『終』とつないであります。
織田信長がいた時代です。
1573年、一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)シーンがあります。
織田信長VS朝倉義景で、織田軍が勝利しています。
朝倉義景は、一乗谷から逃げています。アフガニスタンとかスリランカの政府代表者が逃げて、庶民が置き去りになったシーンを思い出すような記述です。
招聘(しょうへい):礼を尽くして人を招く。塞王(飛田源斎(とびた・げんさい))を招いて、頑健な石垣を築く予定だった。
三十代なかばの塞王(さいおう。飛田源斎(とびた・げんさい)。束ねた髪、口と顎(あご)にヒゲ。どじょうのような顔)と、まだこどもで10歳ぐらいの飛田匡介(とびた・きょうすけ)が、一乗谷城の戦いで出会います。
滂沱(ぼうだ):涙がとめどなく流れ落ちる。
職人のチームがあります。『組』という表現です。自分がこどものころに知った炭鉱とか、銅山での肉体労働者の属する組織形態を思い出します。
物語では、一乗谷城の戦いから23年が経過しています。1573+23ですから、西暦1596年です。関ケ原の合戦が1600年です。
城の石垣づくりのことが書いてあります。
山方(やまかた):石垣になる石を見つけたり、割ったりする担当。岩の「目」を見つける。
荷方(にかた):石垣になる石を運搬する担当。『流営(りゅうえい:仕事の打合せをする場所)』
積方(つみかた):石垣をつくるために石を積む担当。修行は15年。
普請(ふしん):土木工事、建築工事
伏見城:京都市伏見区にあった城。
(つづく)
鑿:のみ。石を割る時に使用する。
細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい):細川家の隠居さん。田辺城(京都府舞鶴市)の増築話で出てくる。
喜三太(きさんた):穴太衆(あのうしゅう)に所属する若い衆。
いいなと思ったセリフの趣旨として『石積みの己(おのれ)には、天下の情勢は解らない(わからない)…… 俺たちは石垣を造ればいい……』豊臣秀吉の伏見城の移築シーンにて。
もうひとつが『五百年で一人前。三百年で崩れれば恥。百年などは素人仕事』城の石垣の耐用年数です。
『千年保つ石垣を造れてようやく半人前だ』なかなかいいセリフです。現代建築もそうありたいものです。
荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(兵庫県伊丹市)にこもって、信長に反発した。
穴太衆(あのうしゅう)は、『石垣』を『楯(たて)』と呼ぶ。
近江富士(おうみふじ):三上山(みかみやま)滋賀県野洲市(やすし)にある山。標高432m。
本田忠勝(ほんだ・ただかつ):1548年-1610年。62歳没。徳川家康の家臣。
この小説は、城マニア向けです。
立花宗成(たちばな・むねしげ):1567年-1643年。75歳没 東北や九州福岡にて藩主を務めた。豊臣家、徳川家に仕えた。
賽の河原(さいのかわら):親よりも先に死んだこどもたちが、死んだあとに(魂(たましい)として)集まる場所。冥土(めいど。死後の世界)にある。こどもたちが、供養のために小石を積んで塔をつくろうとすると鬼が来てその塔を崩す(くずす)。
地蔵菩薩(じどうぼさつ)が現れてこどもたちを守る。(248ページで再びこのお話が出てきます。また、先日NHKテレビの番組「72時間スペシャル 第10位 青森県恐山(おそれざん)」で、賽の河原のような風景が映し出されたのを見ました)
この最初のほうにある部分が伏線となって、466ページで再現シーンがあります。いつかは青森県を訪れて、恐山を見学に行かねばという気持ちになりました。
翳す:かざす。手をかざす。手でおおう。
穴太衆(あのうしゅう)は『道祖神(どうそじん)』を信奉している。峠や辻、村境の道ばたにある神さま。悪霊を祓う(はらう)。
道祖神のひとつに『塞の神(さいのかみ)』がある。賽の河原を守る神と同一視されている。
穴太衆(あのうしゅう)の祖先は塞の神に守られているということになっている。その祖先のことを『塞王(さいおう)』と呼ぶ。
今では、一番石垣の石の扱いが一番よくできる技(わざ)をもった人間を『塞王』と呼ぶようになり、今は、飛田源斎が塞王と呼ばれている。崩れない石垣をつくる者が『塞王』である。
主人公の飛田匡介(とびた・きょうすけ)には、2歳年下の妹花代(かよ)に対する親族の愛情があります。一乗谷城の戦いのときに生き別れになっています。
碌に(ろくに):満足に、十分に
禄(ろく):給与、俸給。
伏見城の移築の話が出てきます。
これまでのところ、小説の時代設定は1596年ごろです。
伏見城で豊臣秀吉が亡くなったのが、1598年です。
城の石垣を運搬する手法が詳しく書かれています。
石船:船で運ぶ。瀬田川とか、天ヶ瀬渓谷とか、宇治川とか。滋賀県の大津から京都の伏見まで約20kmです。
媼(おうな):歳(とし)をとった女性。
内容は、職人を雇用する企業活動の説明のようです。
懸(かかり):敵が向かってきている最中に石垣を修復する。山方、荷方、積方、総出で石垣を積む(急ぐ(いそぐ))14年前になにかあったらしい。
第一章が終わって、これからの第二章はタイトルが『懸(かかり)』です。
(つづく)
14年前のことが語られます。
1582年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。
明智光秀が動きます。大河ドラマ『麒麟が来る(きりんがくる)』を思い出しました。
主人公の飛田匡介は、織田信長を敵ととらえます。一乗谷城の戦いで朝倉義景を滅ぼしたからです。飛田匡介は妹の花代(かよ)と生き別れになっています。(匡介は妹が死んだと思い込んでいます)
されど、城の石垣を造る者として、自分が支持する明智光秀を討つ(うつ)勢力のために石垣を造る仕事をしなければなりません。複雑な心境があります。
当時の源斎師匠の年齢が43歳。段蔵が41歳。匡介と玲次は16歳です。
明智光秀軍と戦う蒲生賢秀(がもう・かたひで)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)を助ける仕事です。
諸籠(もろごり):城内にすべての兵士、民を入れて城と人を守る。籠城する(ろうじょう)。
石垣のリユース(再利用)があります。
音羽城(滋賀県日野町の廃城から石垣を取って運搬する)→日野城で利用する。(同じく日野町)
鎌掛城(かいがけじょう。同じく日野町)の石垣も利用する。
150人ぐらいで分担して作業を進めます。
以降、石組のしかたについて詳しい指示があります。
たいしたものです。
たかが石垣ではありません。
一の石垣、二の石垣、三の石垣、四の石垣と続きます。相手兵の動きの流れを予想して誘導する経路をつくったりもします。
井守(いもり):とかげに似た両生類。
礫(つぶて):小石
筈六(はずろく)、又市、喜十郎:若い衆。二十代後半から三十歳ぐらい。
横山久内(よこやま・くない):侍大将。戦場で戦いに加勢する飛田匡介たち石職人グループの警護にあたってくれる。石職人(飛田屋)を守る隊の責任者。
宇佐山城(うさやまじょう):滋賀県大津市。
要石(かなめいし):抜くと一気に石垣が崩れる。『石垣で攻める』
かなり迫力があります。
纏めて:まとめて。
火薬もからんできます。鉄砲、大筒(おおづつ)、火薬を仕込んで爆破。石垣は武器に変わるのです。
膾(なます):切り分けた獣肉、魚肉に調味料をかけて生で食べる。
眦(まなじり):目じり。
戦(いくさ)においては、相手を皆殺しにするまでには追い詰めません。
徹底的に攻撃するわけではありません。
ある程度勝敗が見えてきたら話し合いで解決です。
なぜなら、たいてい、関係者には親族関係のつながりがあるからです。
利害関係がからんだ婚姻を重ねているので、血族、姻族があります。
みんなの願いは『平和』です。
暴力による統制のない社会です。
そのためには、強い楯(たて。すなわちこの場合、城(石垣))をつくることです。
一方、平和のために強い矛(ほこ。この場合は、鉄砲類)をつくることです。
なんだか、使用はしないけれど相手から身を守るために核兵器を保有するという話と似ています。
この物語の場合は、石垣担当の穴太衆(あのうしゅう)飛田屋と鉄砲担当の国友衆が対立することになるのでしょう。
『塞王(さいおう)』対『砲仙(ほうせん)』の戦いです。
伏見城の移転話があります。指月伏見城(しげつふしみじょう。大地震で倒壊)から木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)というところに移ります。
築城奉行(秀吉が命じた。ちくじょうぶぎょう)が、片桐且元(かたぎり・かつもと)
飛田源斎が城づくりを担当します。
弟子の飛田匡介は、大津城の石垣の修復を依頼されます。石垣だけでなく、城全体のコーディネートです。(全体を整える)琵琶湖のそばで、水城にするそうです。1592年春から始まります。
京極高次(きょうごく・たかつぐ)城主と対面します。
なかなかおもしろい。京極高次は、かなり個性的な人物です。どじな感じです。肉付きがよく、丸顔、二重瞼(まぶた)で、太い眉が離れている。大きな鼻、薄いくちびる。愛嬌(あいきょう。ひょうきんで憎めない。かわいらしい)のある顔です。
大溝城(おおみぞじょう):滋賀県高島市
閠閥(けいばつ):妻方の親類の結びつきで、力を得ているような状態。政略結婚に多い。
京極高次の別名が『蛍大名(ほたるだいみょう)』姻族関係の力で上層部の位置にいられる。
根来(ねごろ):和歌山県岩出市(いわでし)
佐敷城(さしきじょう):熊本県芦北町(あしきたまち)
八代城(やつしろじょう):熊本県八代市
読んでいて、西暦1600年前後に造られた城の石垣が、現在も残っていることに、たいしたものだという思いが生まれます。
大坂城:大阪城
坂本城:滋賀県大津市
一丈(いちじょう):3.03m。本書の記述では、雪の深さ。
大津城改修の下地づくり(したじづくり)をするようすは、遺跡の発掘作業のようです。考古学があります。
徳三郎:近くの農家の三男坊で17歳。三男ゆえにあとは継げない。宇佐山城(滋賀県大津市)近くの生れ。信長と浅井・朝倉の戦の時に宇佐山城で戦いがあったときの命拾いをしたこども。塞王のおかげで助かったというつなぎ話あり。
儂:読みして、「わし」。自分のこと。
多賀孫左衛門(たが・まござえもん):大津城改修のための奉行(ぶぎょう。責任者)
御方様(おかたさま):お初の方のこと。京極高次の妻。浅井長政の娘。織田信長の姪(めい)。豊臣秀吉の嫡子(ちゃくし。長男とか、家を継ぐものとか)豊臣秀頼のおば、徳川家康の嫡子徳川秀忠の義理の姉。記述を読むとおてんば娘っぽい。白い肌、通った鼻筋、切れ長の目に長いまつ毛。28歳。
忠五郎:飛田匡介の部下。
仕事が捗る:仕事がはかどる。
倦む(うむ):退屈する。
瞠目(どうもく):驚いて目をみはる。
夏帆(かほ):飛田匡介が好きになる若い女性。お初の侍女(じじょ。上流階級の女性の身の回りの世話をする人)。二重瞼(まぶた)、つぶらな瞳、整った鼻筋、上唇厚し。愛嬌のある顔。26歳。12歳のときに、北庄城(きたのしょうじょう。福井城。福井市)落城を体験した。柴田勝家が秀吉に敗れた。
ここまで読んできて、豊臣秀吉と現在のロシア大統領は似ているという感想をもちました。豊臣秀吉は朝鮮半島へ戦をもちこみ、ロシア大統領はウクライナに戦争をもちこみました。
験担ぎ(げんかつぎ):以前結果が良かった行為をまた行う。
吉次、金四郎:飛田匡介の部下。
石に対する愛着があります。
『どんな城も完全ではない……』
ライバルとなる国友彦九郎(くにともげんくろう)が、改修している大津城を検分(けんぶん。検査)したそうです。1598年のことだそうです。
(つづく)
豊臣秀吉の平和な世の中が続いているうちは、戦のための城づくり、城の管理の仕事は減ります。
豊臣秀吉が1598年9月18日に61歳で亡くなってから、主人公たちは動き出します。
日本が二分化されて、関ケ原の合戦へ向かっていきます。
武断派(戦場で戦ってきた者たち):加藤清正、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、支援者として、豊臣秀吉の正室の北政所ねね(きたのまんどころ)。高台院(こうだいいん)
文知派(吏僚(りりょう。役人、官吏(かんり)、戦では兵たん担当(食料、武器の運搬。後方支援)):石田三成、増田長盛(ました・ながもり)、前田玄以(まえだ・げんい)、長束正家(なつか・まさいえ)、支援者として、豊臣秀吉の側室(そくしつ。一夫多妻制における本妻以外)で後継ぎ豊臣秀頼の母淀殿(よどどの)、茶々、母は織田信長の妹市(いち)
南山城の童仙房(どうせんぼう):京都府南山城村。物語の中の領主は、野殿家(のどのけ)
祝着(しゅうちゃく):喜び祝う。
七等級:本作品中では、石の大きさ。
野面積み(のずらづみ):最古の手法。地形に合わせてさまざまな大きさの石を積む。
三番石:控えが長いものを集めているとあります。控え:石材の奥行。『番』の意味はちょっとわかりません。
五番石:打ち込み用と書いてあります。約30cm正方体。「打込接(うちこみはぎ)」という工法で使用する。石同士の接合部分を加工してすきまをなくす。外からの力には強いが、内からの力には弱い。水はけが悪いので、内部から壊れてくる。さらにすき間をなくすのが「切込接(きりこみはぎ)」野面積み(のずらづみ)のほうが、長期間石垣の維持ができる。
大筒、焙烙玉(ほうろくだま):大砲、焙烙玉は、手りゅう弾のような兵器。
乱積み:大小の石を積む。
布積み:同じような高さの石を横に並べる。
穴太積み(あのうづみ):野面積みと乱積みの合成。
鎬隅(しのぎすみ):石垣の隅は鈍角。
1599年、飛田匡介は、美濃大垣で正月を迎える。(岐阜県大垣市)
加賀大納言:前田利家
内府(ないふ):徳川家康
毛利中納言(もうりちゅうなごん):毛利輝元(もうり・てるもと)
後藤屋の木工兵衛(もくべえ):前田家専属の石工(いしく)になる。武士になることを意味する。
戯言(ざれごと):ばかばかしい話
関ケ原の戦いの前哨戦(ぜんしょうせん。本戦の前の小さな戦い)である伏見城の戦いが近づいてきている内容です。(1600年8月1日落城。関ケ原の戦いは、9月15日)伏見城には、家康が家臣の鳥居元忠らを残しています。
自らが築城に関わった伏見城を守るべく飛田源斎が伏見城に向かいました。『塞王』の身分を弟子の飛田匡介に譲りました。 飛田源斎は、戦場で(いくさばで)死ぬつもりでしょう。『お前は違う。乱世と泰平を繋ぐ(つなぐ)石垣だ』力強い声かけがありました。『お前はすでに俺を超えている』なんだか北斗の拳のケンシロウのような雰囲気です。
いっぽう敵方である鉄砲職人の国友彦九郎(くにとも・げんくろう)も動き出します。伏見城へ向かうでしょう。
長光寺城(ちょうこうじじょう):滋賀県近江八幡市
(つづく)
第六章まできました。279ページです。
1600年7月15日徳川家家臣鳥居元信の伏見城での籠城が始まりました。城づくり職人の元「塞王」である飛田源斎もいっしょです。7月19日に開戦、8月1日に落城です。飛田源斎も落命します。9月15日が関ケ原の戦いです。激動の時代です。
なかなかややこしい。寝返り(裏切り)が横行します。
豊臣秀吉亡きあと、豊臣家の力は衰退化していきます。組織を維持していくことはたいへんです。
向島城:京都市伏見区
弾正丸(だんじょうまる)、徳善丸、治部少丸(じぶしょうまる):木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)の構造
扇の勾配(おうぎのこうばい):石垣づくりの技術。横から見るとそりかえっている。武者返し。忍び返し(しのびがえし)
なかなか知恵が深い戦法です。
石垣の穴から城方が鉄砲で狙い撃ちです。
日野城:滋賀県蒲生郡日野町
笹五郎:石垣造り職人。段蔵と同い年。55歳ぐらい。
国友の最新銃:火打ち石と回転の摩擦を利用して放たれている。
情報戦があります。
鼻を明かす:策略を用いて、優位に立っている相手を驚かせる。
伊勢国阿濃津(あのつ):三重県津市
京極高知(きょうごく・たかとも):大津城主京極高次の弟。信濃飯田十万石大名(長野県飯田市)のちに宮津城主(京都府宮津市)
京極高次は、北陸方面へ行ったと思ったら、二日後に大津城に戻ってきました。大津城に籠城する作戦です。
帰城のきっかけは、西軍石田三成のプランで、大津で徳川家康の東軍と決戦することを予定していることが判明したからです。
京極高次は、自分の領土と領民を守るために大津城へ戻ってきました。領民を城内に招き入れます。
京極高次は、独特な思想をもっています。徳川家康の味方になったわけではありません。(謀反とか寝返りではない。(むほん。寝返りは西軍への裏切り)自分の藩の領土と領民を守りたいのです。
されど、秩序を維持したい西軍は、命令に従わない京極高次のいる大津城を攻めます。指示にさからう者には罰(ばつ)を与えなければなりません。
<内輪もめは(うちわもめは)組織が崩壊するときの前兆(ぜんちょう。前触れ(まえぶれ)になります>
佐和山城:滋賀県彦根市
ふと思う。石垣職人「塞王」となる飛田匡介の生き別れの妹(飛田匡介は死んだと思っている)花代(かよ)は、いつになったら登場してくるのだろう。(468ページで出てきます。そうかここか! すごいなあと恐れ入りました。伏線となっています。石の話が出ます)
毛利兵部大輔(もうりひょうぶたいふ):西軍総大将毛利輝元の叔父毛利元康
(つづく)
蛍:京極高次のこと。蛍大名(148ページ)。妻お初(おはつ。父は浅井長政。母は織田信長の妹お市の方(おいちのかた))のおかげで(女性のお尻の七光りのおかげで(七は大きなという意味))大名になれた。また、妻おはつの姉が淀殿(よどどの。茶々)で、豊臣秀頼の母親。
無双(むそう。ふたつとないこと。ひとつで優れていること):立花侍従(たちばなじじゅう)宗成(むねしげ)。西国無双と呼ばれる武将。180cm。凛とした眉(りんとしたまゆ)美男子(びだんし)
葉山正二郎:毛利家家臣。西軍の使者。京極高次に大津城での籠城をやめて、東軍との戦いのために出兵するよう、うながすが、断られて、開戦のきっかけとなる。
京極高次の言葉として『……京極家は内府(ないふ。徳川家康)の味方ではない。大津の民の味方よ。決してこの地を戦場にはせぬ』(日本を戦場にはしないという政治家がほしい)
鉄砲弾(てっぽうだま)を跳ね返す石垣(楯たて)対鉄砲弾(矛ほこ)の戦いが始まりました。
壮絶です。
戦法がいろいろあります。
文章を読みつつ、昔映画で観た『三国志』とか『のぼうの城』のシーンを思い浮かべながら頭の中で想像します。
今年読んで良かった一冊になりました。
十時連貞(ととき・つれさだ):西国無双(さいごくむそう)と呼ばれる立花宗成の部下。立花四天王のひとり。
訝しい:いぶかしい。あやしい。疑わしい。
京極高次のお言葉がいい。
飛田匡介の『お言葉を(指示してください。責任者の立場として命令してくださいという意味合い)』に小姓が(こしょうが。京極高次の秘書役の武士が)、
『我のために戦わずともよい。京極家のために戦わずともよい…… 大津の民のために戦ってくれ……』
鵜飼藤助:伏見城の戦いでの飛田屋にとっての裏切り者。甲賀の忍び(しのび)
『あの男(飛田匡介)は、一兵たりとも死なせぬことを目指します』
指揮をとる人間が考える時のパターンがあります。
勝利を得るためには、多少の犠牲者はしかたがないと考える権力者が多い中、飛田匡介も京極高次もひとつの命を大事にします。そこが、この本のいいところです。純粋です。
罠(わな)がいっぱいあります。
鏖:(人間を)みなごろし
河上小左衛門(かわかみ・こざえもん):京極高次側の武士。25歳。
西軍側の『竹束作戦(たけたばさくせん)』には、恐れ入りました。鉄砲の弾(たま)を密集させた竹の束で受けとめます。
黒鍬者(くろくわもの):合戦のさなかに、戦場において、土木工事のようなことをして攻めたり、守ったりしやすい現場をつくる仕事をする人間。この物語の場合、外堀の水を抜こうとします。
人間の知恵というものはたいしたものです。
なかなかの名勝負が続きます。
垂涎の的(すいぜんのまと):よだれをたれる。欲しくてたまらない。
鋼輪式銃(こうりんしきじゅう):火縄はいらない。引き金を引いてバネと歯車と火打石(ひうちいし)の力で発射する。
徒歩:「かち」と読む。
棹立ち(さおだち):馬が前足を上げてまっすぐ立ち上がった状態の表現です。うまい。
『低いから易しい(やさしい)ってもんじゃねえ。』
段差が低いと、人は通過できるが、馬は通過できない。味方の人間は逃げることができるが、馬に乗った敵は前進できない。
障子掘り(しょうじぼり)。畝堀り(うねぼり)。
大津城を守る飛田匡介グループは劣勢に陥ります(おちいります)。
戦いの道具である『石』を相手軍に奪われてしまいました。
弾の(たまの)ない鉄砲みたいな状態です。
午前1時、いちかばちかの反撃が始まりました。
琵琶湖の向こうから石を積んだ船が三艘(さんそう)やってきました。
されど、それらの船のまわりは敵だらけです。
『どいつもこいつも本気だ』
小野鎮幸(おの・しげゆき):敵方である立花四天王の一人(ひとり)。
勝負の鍵を握るのは①夜 ②風 ③雨 自然を味方につける。
410ページ付近を読みながら、この作品は映画化されるかもしれないと思いました。
石の使い手たちは、勇猛果敢(ゆうもうかかん)です。
石の大きさに応じて石垣をこさえるように、人間も組み合わせて強固な集団をつくる。
戦いのクライマックスが近づいています。
ふだん、城といえば、観光用のイメージしかありませんがこの本では、『戦闘用の城』としてのお城の紹介があります。
文章にちょっとだけ出てきた『小田原城』は、新幹線の窓からチラリと見るだけで、訪れたことがありません。行ってみようかなという気持ちになりました。
引き鉦:ひきがね。合戦で、味方に、引き上げるよう(退却)指示するときに打ち鳴らす鐘。
大筒(おおづつ):大砲。されど、弾(たま)で破壊するだけで、弾が爆発するものではありません。書中では期待されていない武器として紹介があります。容易に動かせないので、戦場で(いくさばで)相手に奪われやすい。
書中では『雷波(らいは)』という大筒が登場します。全長約3m、太さ約33cm、弾(たま)の重さは約3.9kg。
文章を読んでいると、時節柄(じせつがら。今どきだと)ウクライナ攻撃のロシアのミサイルを思い浮かべます。
矛(ほこ。大筒)と盾(たて。城の石垣の利用)との勝負です。
大勝負です。
作者がこのあと、この勝負をどのように表現して、どう決着させるのかが読む楽しみです。
鵺(ぬえ):正体不明の怪鳥。妖怪。
『三百二十六!』大筒から弾が発射後、次の弾が発射されるまでの時間をカウントして把握、記録します。数値を測って(はかって)考察(こうさつ)する世界です。
長等山(ながらやま):大筒を設置した山。大津城の西北。山の途中に三井寺(みいでら)がある。大津城からの距離は約1100m。
宥める:なだめる。
四半刻以内(しはんときいない):30分以内ぐらい(江戸時代と現代では時間の概念が異なる)
慄いて:おののいて。びっくりして。驚いて。恐れて。
作者はどちらの軍の味方でもありません。(非情です。殺し合いのむなしさを冷静に見つめながらなにかのメッセージを発するのです)
口を窄める:くちをすぼめる。
噎せ返る:むせかえる。
埒が明かない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。はかどらない。
比良:琵琶湖の西海岸
『ひとりの命を生贄(いけにえ)に百人を救う』先日読んだ作品『テスカトリポカ(古代メキシコアステカ文明に出てくる闇の神)』を思い出しました。
名言が出てきました。
『……漫然と生き(まんぜんといき)、大層に非難だけを浴びせる世間という化物(ばけもの)……』
切羽(せっぱ):差し迫った状況
威名(いめい):武将の称号。名声
宗成のいい言葉として、
『今からでもよいではないか。人はそう思った時から歩み始める』(人として、してはいけないことはしない。超えてはいけない線は超えない)
乾呻一擲(けんこんいってき):いちかばちかの大勝負に出る。
尾花川口:大津城の北西。約381m。ここに大筒を設置しなおして城を撃つ。
(つづく)
読み終えました。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。
本の最初のほうにある『大津城縄張り図』というのを見ながら、大筒と(おおづつ、大砲と)、城の「伊予丸」という部分に造られる天守閣を守るための石垣の攻防です。
砲台と天守閣、両者の距離は約380m、天守閣の高さが約24m、天守閣を守るための楯(たて)となる石垣の高さが約8.2mで、砲台から約300mの位置に石垣を築きます。
大砲の弾は(たまは)どんどん飛んできます。石垣はそのたびに崩れますが、石垣職人たちが、次の弾が飛んでくる前にすばやく修復するということを繰り返します。
早朝から晩まで、繰り返される戦いです。
戦(いくさ)のなかで何人かは命を落としていきます。
非情であり、虚無(きょむ。むなしさ)があります。
藩主は、負ける時は、家族とともに切腹、自害です。
武士は死ぬ気で日々を送っています。
むずかしい漢字がたくさん出てきます。
咎める(とがめる):注意する。
喚く(わめく):大声を出して乱れる。
恰好(かっこう):姿のことですが、この場合、メンツを立てさせてくれ。(殿様としての立場をつけさせてくれ)
作事奉行(さじぶぎょう):造営、修理、土木工事担当責任者
撓む(たわむ):弓なりになる。
松明(たいまつ):灯りをとるためのトーチ。長い棒。
宰相(さいしょう):首相。組織のトップ。
喊声(かんせい):ときの声。エイエイオー。
轟、轟、轟:ごう、ごう、ごう
蔑む:さげすむ。見くだされる。
摑む:つかむ。
搔き毟る:かきむしる。
翳す:かざす。
篝火:かがりび。
捲し立てる:まくしたてる。
予め:あらかじめ。
聲:こえ(声)
眉唾(まゆつば):だまされないように用心するようなことがら。狐(きつね)にばかされないおまじないで、眉につばをつける。
腑に落ちる:ふにおちる。納得できる。
殿様である京極高次の言葉がわかりやすくていい。
領民に対して、事実を理解できるように話してくれます。
『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』
上下の信頼関係がなくなったら、組織は崩壊します。
文章を読んでいると、なにかしら、原子力発電所の原子炉を囲っている1mぐらいあるぶ厚いコンクリート壁の一部分に狙いを定めて、集中的に高性能ミサイルを何回も撃ち込んでいるような絵が頭に浮かびます。恐ろしい。
石垣職人たちの動きがすごい。
飛田匡介の指示に従って、すばやく石垣を修復します。
チームワークあります。
いいなと思った言葉です。
『承知(しょうち。OK)』
防備の鍵を握るのが『要石(かなめいし。この石のおかげで勝ち負けが決定する)』
『奥義は「技」ではない』→『人が石垣になること』武田節を思い出します。『人は石垣、人は城』
『これにて大津城を開城する。』
いつか映画化されるといいなー
半吉(はんきち):棚田の持ち主。30代の百姓。半吉のこどもが、6歳の全太(ぜんた)。
野分(のわけ。のわき):嵐。台風のようなもの。
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