2022年08月16日
星を掬う(すくう) 町田そのこ
星を掬う(すくう) 町田そのこ 中央公論新社
最初に思うのは、読めるタイトルを付けてほしい。
掬う(すくう)が読めませんでした。
タイトルを見た時点で、伸びた手がひっこむデメリットがあります。
書評の評判が良かったので読むことにしました。
はじまりは、親のいないようなこどもの話です。
偶然ですが、最近観た映画が『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ原作です。バトンは、自分を育ててくれる親のいない女の子のことです。
親のいないこどもが増えた現代社会が背景にあるのでしょう。
こどもが生まれても母親・父親の役割を果たす能力がない人はいます。人間は完ぺきではありません。
昔は、兄弟姉妹がたくさんで、年長の年の離れた兄や姉、あるいは、叔母などが、親代わりのように下の子を育てたり、地域にあるこどもの縦型年齢層社会で、上の学年が下の学年のめんどうをみる集団遊びがあったりしました。
日本はこの半世紀でずいぶん様変わりしました。(さまがわり)
年下のこどもらのめんどうをみるのは「ヤングケアラー」とはいわないのでしょう。
とりあえず、32ページあたりまで読みました。
芳野千鶴:主人公女子。バツイチなれど、別れた元夫がお金をせびりにくる。お金を取られてしまう。芳野千鶴の両親は、 千鶴が小学校一年生のときに離婚した。
母親が家を出て行った。
千鶴は、父親の実家に引き取られた。
千鶴が17歳のころに父親が死んで、父の実家は経済的に破たんして家屋敷ほかを失った。
野々原弥一:芳野千鶴の元夫。千鶴より7歳年上。若い頃はスポーツマンで営業職として輝いていたが、離職して、今はだらしない男に成り下がっている。
川村主任:女性。芳野千鶴が働くパン工場の主任。勤続32年のベテラン社員。
岡崎:男性。パン工場での芳野千鶴の同僚。
ホン:パン工場での同僚。中国人留学生。
星を掬う(すくう)というのは、パン工場にヒントがあって、パン製造におけるなにかの原料を掬う(すくう)ということだろうかという推測が生まれました。(でも、元夫が元妻の給料をせびりに会社まで来るので、芳野千鶴はパン工場を辞めてしまいました。なんと、ひどい話であろうか)
ラジオ番組に昔の自分の思い出を投稿して採用されるとお金がもらえる企画があるそうです。(単なる原稿料、作品料のような気がするのですが。まあ、賞金です)
芳野千鶴の小学一年生のときの思い出話が、準優勝して5万円ゲットとなります。
どうも、わけあって、芳野千鶴が小学一年生のときに、母親とふたりでドライブ旅行をしたらしい。28ページに出てきますが、さみしいお話です。夫婦関係の破たんがあります。
(このあと、母親が内田聖子52歳で、母親と同居している他人が芹沢恵真(せりざわ・えま たぶん25歳前後)で、芹沢恵真(せりざわ・えま)は内田聖子をママと呼んでいます。あとからわけありでいろいろ出てきます)
自死の話が出て、これからのお話の内容が、暗いのか明るいのかよくわかりません。
出奔(しゅっぽん):逃げ出して、行方(ゆくえ)をくらませる。連絡なしにいなくなる。
元妻の給料を前借りしたいという元夫の行動が出てきます。
その部分を読んでいて久しぶりに思い出したことがあります。
自分が小学生のころの話ですが、わたしの死んだ親父が勤め先から、給料の前借りをよくしていました。
半世紀以上昔の話でもう忘れていました。あのころは生活が苦しかった。
個人営業主の勤め先だと、給料担保で前借りができました。今はどうなのか知りません。
名言なのかもしれないフレーズ(セリフ)が出てきました。
『千羽鶴みたいじゃないですか。何も救わない』
主人公の名前芳野千鶴と関係があるかもしれません。(読み終えて、関係があったようななかったようなでした)
番重(ばんじゅう):浅くてふたのない箱。パン、麺(めん)、料理、食材を運ぶときに使用する。
ラジオの番組ディレクターが、野瀬匡雄(のせ・まさお)です。
元夫は、元妻を『お財布』として利用しようとしている悪人です。(最近テレビで報道されている、とある宗教団体が、日本の信者の財産を教団の『お財布』として利用していたというニュースを思い出しました)
優しそうな顔をしていても厳しい暴力を振るう男というのはいます。ただ、女性にもそういう人柄の人はいます。笑顔で近づいて来る人は要注意です。下心があるから笑顔なのです。ふつう人は、下心がなければ、ふつうの顔で話しかけてきます。
自分がお財布代わりにされてもいいという人もいます。洗脳されている人です。自分の話をふんふんと優しく聴(き)いてくれた代金が寄附なのでしょう。
DV被害者女性である芳野千鶴さんについての暗い話が書いてあります。
警察を呼ばねばなりませんが、洗脳されているから「呼ばないで」という返答が本人からあります。本人は元夫からの仕返しが怖いと言いますが、相手の暴力を容認する気持ちがあるからそんな言葉が出てきます。なんだか、リアルなお話です。
洗脳とは、気持ちや考え方のもちようを支配されることです。他者に意識をコントロールされるということです。かかったら、なかなか抜け出せません。一般的にDVの加害者は、対象者をきつく責めたあと、優しく接します。要注意です。気を許してはなりません。
世の中には、芳野千鶴の元夫のように、五体満足で、口も達者なのに、働けない人が一定数います。そのことに気づいたらそういう人とは、距離を開けた(あけた)ほうがいい。
主人公芳野千鶴のひとり語りのストーリーには、渾身の(こんしんの。せいいっぱいの)力がこもっています。
数か月前にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で見たシーンを思い出しました。
関西に住む女性が、自分が幼児のときに別れた父親に会いに行くお話でした。涙なくしては見られない再会シーンでした。
そのなりゆきが、このストーリーに似ています。
高齢になられたお父さんは、名古屋市にある集合住宅でひとり暮らしをしておられました。
高度経済成長期で、深夜まで続く連日の残業で、どうも浮気をしていると誤解されたらしく、妻の実家の親に嫌われて家を追い出された。
まだ幼い娘との再会を望んで会いに行ったが、妻の親が暴力をふるってきたのであきらめた。
いまだにどうして離婚させられたのかわからないという男性のお話でした。
44年ぶりの父と娘の再会という感動的なシーンでした。
主人公の芳野千鶴は、母親と別れて22年間です。当時母親は30歳でした。
小学一年生のときに母親と1か月間車で旅行をしたあと母子の縁を元夫の母親に引き裂かれていますから、芳野千鶴は、現在は29歳ぐらいなのでしょう。今はバツイチで、DV夫が、お金をせびりにくる生活を送っています。
三人(芳野千鶴と芹沢恵真(せりざわ・えま)と野瀬匡雄(のせ・まさお))の出会いは、ドラマチック(劇的。心を揺さぶるシーン)なつくりです。
芳野千鶴の実母にいじわるだった父方祖母の存在は大きい。
毒親(こどの人生を支配する)は親だけではなく、祖父母にもあります。
「わたしがわたしが」と前に出てくる年配女性はたいてい嫌われます。
物語の方向を転換させる言葉として『助かるかもしれない』
押したり、引いたりの記述がうまい。
キーワードとして『若年認知症』
(つづく)
百地智道(ももち・ともみち):芳野千鶴の母親内田聖子52歳が通うデイサービスの送迎担当職員。愛称は「ともちん」。相撲部屋にいる新弟子みたいな体格。坊主頭。
さざめきハイツ:所有者は、主人公の母親の内田聖子。一人暮らしのお年寄り専門の家政婦をしていたときに世話をしていた男性から譲り受けた土地・家屋だそうです。(どうも不倫関係があったようです。だから、本妻さんとそのこどもたちに迷惑をかけています)
二階建て家屋。2階に5部屋。1階に3部屋。そばに鉄道線路があって、午前5時9分に始発電車が通過する。アパート形式の建物に知り合いではあるけれど、他人同士が集まって住んでいるような状態です。
内田聖子は、昔は旅館で仲居をしていたこともある。仲居:なかい。食事の世話や接待担当。
結城先生:イケメン内科医師。
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)内田聖子をママと呼んで慕っている。
九十九彩子(つくも・あやこ):44歳。ケアマネジャー。離婚歴あり。娘は夫が引き取ったが、元夫は再婚して、1歳夢人(ゆめと)という男児あり。娘は妊娠中の17歳。まあ、いろいろあります。むちゃくちゃです。
持田剛臣(たかおみ):九十九彩子の前夫。2年前に再婚して1歳のこども「夢人」がいる。ややこしくなります。持田剛臣と九十九彩子の娘である持田美保のこどもと持田剛臣のこどもの年齢が近い。つまり、自分の子と自分の孫の年齢が近い。
持田美保:九十九彩子と剛臣(たかおみ)の娘。
響生(ひびき):持田美保のおなかにいるこどもの父親。持田美保と同棲中。もうすぐ籍を入れるらしい。早く入れないとこどもの父親を認定するための戸籍手続きがややこしくなりそうです。本当に入れるのだろうか。疑わしい。オレの子じゃないと言い出すかもしれません。(やっぱり、186ページで、そんな感じになります。いなくなっちゃいました)
芳野千鶴は、小学一年生のときにいなくなった母親と再会したのですが、再会に感動はありません。母親の内田聖子52歳は別人格に変化しています。脳内のようすが、芳野千鶴が知る昔の母親とは違います。
むしろ、芹沢恵真(せりざわ・えま)と内田聖子のほうが母と娘のような雰囲気の関係です。
87ページを読んでいてふと、小学一年生のときの旅行の話はどこで出てくるのだろうかと思いつきました。(130ページ付近からちらりと出てきます)
窺う:うかがう。
リネン:シーツ、枕カバー、タオルなど。
読みながら『親子』って何なのだろうと考えさせられる内容です。
「家族を運営する」という言葉が出てきます。「運営」は変です。
因業ババア(いんごうばばあ):ひとつのことにこだわって、がんこで思いやりのないばあさまでいいのでしょう。主人公芳野千鶴の両親の離婚原因をつくった人です。
107ページです。
おもしろい。
マンガみたいだけれど、おもしろい。
よくしゃべる人たちです。
セリフでストーリーを進行していく手法です。
女性と仕事の関係について問題提起があります。
仕事をしたいからしている女性と、家庭に居場所がないから、しかたなく仕事に打ち込んでいる女性のタイプがあります。
主人公芳野千鶴の母親内田聖子は、祖母に娘である芳野千鶴をとられて、家に居場所がなく、仕事をするしかありませんでした。そして、今は、若年認知症になってしまいました。
この先、悲しい話になりそうです。
太川陽介さんと路線バスの旅をしていた認知症になったえびすよしかずさんの顔が、ふと頭に浮かびました。
(つづく)
元夫がお金をせびるために芳野千鶴に付きまとうわけですが、芳野千鶴のスマホの位置情報が知られるのが怖いなと思いながら物語を読み続けています。
あずさカフェ:近所にあるスイーツのお店。
芳野千鶴は、心の問題なのか、緊張しやすく、吐きやすい。
『あんたなんか母親じゃない』、『(母親は)自分だけが可愛い、最低のひとだ』
そこまで言うと、親子関係は修復がむずかしくなるのですが、母親は認知症です。理解できていないのか、できているのかすらわかりません。
むかし読んだ角田光代作品『キッドナップ・ツアー』を思い出しました。キッドナップは、「誘拐(ゆうかい)」です。
父親が、小学生の息子だったか娘だったかを妻のところから誘拐して旅をするのです。実の親子なのに誘拐という状態になるのです。(昔の読書メモを調べました。キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。冒頭、小学5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られない)
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)の追加情報として、両親がいない。1歳のときにふたりともが交通事故死した。母方の親せきの家であるおばさんとか、いとこの女子がいる家に引き取られて、差別的な扱いを受けてつらい思いをした。
(以前、同じような境遇にあった引きこもりの男性が関東地方で刃物を振り回して人々を襲い死傷事件を起こしたことを思い出しました)
ここらあたりのページまで、こども時代のつらいことが書いてありますが、18歳を過ぎたら、親は関係ありません。自分の責任で自分のやりたいようにやればいい。
親から見ればこどもというものは、極端なことを言えば、生きていれば、それでいいのです。
母親がつくってくれたサンドイッチに思い入れあり。
『うそっこバナナサンド』
こどものころに、いっしょに過ごした時間が長いほうが、親子のきずなは強まります。
『いっしょに過ごす時間』は大事です。なにをするでもなく、ただ単にその場にいっしょにいればいいのです。
母親本人が目の前にいても、娘から見た母親は人格が変わっています。
芳野千鶴の思い出の中にしか、本当の母親はいません。
文章として、人間はこんなにたくさんはしゃべらないと思います。(小説です)
また、文章が延々と続いて、ひと休みの区切りがなかなかありません。(読みづらさにつながっています)
おとなによるこどもへの性犯罪の話も出て、うーむ、暗い。
ロウベンというのは、漏便ということなのでしょう。歳をとるとそういうことはありまする。(違っていまいた。弄便(ろうべん)と書くそうです。ウンチをいじるそうです。ああ、そんなふうにはなりたくない。もしそうなったら、精神科の鍵がかかる病室に入るしかない。本では、認知症対応型グループホームのことが書いてあります)
悲惨な(ひさんな)話が続きます。
世の中は、悪い人間ばかりではありません。
なのに、夢も希望もなくなりそうな話が続きます。
人間が(母親の内田聖子52歳の脳みそが)壊れていきます。
164ページまで読んで考えたことです。
家族関係がどうしてこうもうまくいかないのか。
①お金がない。お金をうまくコントロールできない。借金。そもそも返済する意識がない借金がある。
②極端にかたよった欲望。自分の思いどおりにしたい欲望。そこから生まれるいじめ、DV(家庭内暴力)がある。自分の身は自分しか守れないという現実がある。
③人間の本能をコントロールできない。物欲、性欲、自己顕示欲。
人生にとって必要なものは『適度のお金と心身の健康』であろうと悟るのです。(さとる。理解して自分のものとする)
(つづく)
いいなと思った文章として『母はどこにでもいるような量産型の地味な女だった……』
165ページから突然、認知症の内田聖子さんが正気(しょうき。まとも)の状態での思索が始まります。内容は、内田聖子さんのお母さんのことです。主人公芳野千鶴からみれば母方祖母です。
内田聖子さんには兄がいるらしい。
『私はじわじわと砂袋に変わっていく女の……』文章表現がうまい。
カッシーナのヴェランダソファ:イタリアの高級デザイナー家具製造会社。屋外に置くソファ。
内田聖子さんの徘徊話です。(はいかい:あてもなく、歩きまわる)
意図的なものがあるのでしょうが、感情に押し流されて物事を考えるのは、おとなの世界ではありません。
芳野千鶴さんの金せびり元夫の野々原弥一さんは、なかなか登場してきません。
女性の登場人物たちによる『女の世界』が延々と描かれています。
『……あの家の中での私は、私じゃなかった……』
『ガラス玉の目』
胸にぐっとくるものがあります。
『私は好きでもない男の人と結婚した』
以前、テレビ番組「徹子の部屋」にゲストで出た南こうせつさんが、父親のお葬式のあと、母親が『(亡くなった夫のことを)ほんとうは、好きじゃなかった』と言ったのでショックを受けたと話されていたことを思い出しました。昔は見合い結婚が主流でしたから、そういうこともあったのでしょう。女の強さを物語るひとことだと受け止めました。
別の話で、夫の葬式のあと、亡夫の妻である自分の母親が、北海道に住む初恋の男性に会いに行くと言い出して、実際会いに行ってしまったのですが、非常に気持ちがとまどったという息子さんの話をなにかのときに聞いたことも思い出してしまいました。「結婚」と「恋愛」は違うということもあるということなのでしょう。ずっとがまんしていた。女性の強さがあります。
206ページにこの本のタイトルの意味が出てきます。
『記憶の海』があって、そこに、母親が娘に伝えたいものがあるのに、思い出したいことが掬えない(すくえない)。認知症になって、記憶を思い出せない。掬い方(すくいかた)がわからない。
悲しくつらいお話です。
新しい命の誕生があります。
ひとり死ねば、ひとり産まれるのが、人間界のありようです。
バツ1ケアマネ九十九彩子44歳の娘持田美保17歳のおなかに女児が宿っています。未婚の母です。男は逃げてしまいました。
試し行為:ちびっこがよくやります。これをやったら、怒られるか怒られないか相手の出方を試してくるのです。
認知症になってしまっている52歳の内田聖子の話があります。
本人につらいこともあったでしょうが、楽しかったこともあったと思いたい。
昔、映画『ああ野麦峠』という映画の舞台になった野麦峠に、車を運転していて偶然迷い込んでしまったことがあります。 北アルプス乗鞍岳山麓をドライブしていたときのメモが残っています。
看板が立っていました。長野県の織物工場で働いてた女工哀史とありました。
悲しくて苦しいことばかりではなかったと思うのです。
楽しいことやうれしかったことだってあったと思うのです。
女工さんたちはこの峠をみんなで合唱しながらはしゃぎつつ歩いたと信じたい。
そうでなければ、人生はやりきれない。
カットクロス:美容室や理髪店で体にまく布。
モンチッチ:猿に似た妖精。
ボブ:髪型。ショートヘアより長い。丸みあり。
イロハモジミ:単にモミジと言われることが多い。落葉高木。
GPSアプリ:スマホで使用する。位置情報がわかるアプリケーション。
『ひとってのは、水なのよ』
そのとおりです。
ブリーチ剤:髪の毛の色素を抜く薬剤。
マザーズバッグ:ママのバッグ。こどもとのお出かけのときに使う。
『依存心』があります。
だれかに頼る生き方です。
うまくいかないと、だれかのせいにする生き方です。
母親の内田聖子も主人公の芳野千鶴も九十九彩子の娘持田美保も依存心が強い人です。
文章にもありますが、自分の不幸の責任を相手にとらせようとします。
人間界は純白ではありません。
グレーゾーンです。
白でも黒でもない灰色、グレーゾーンがおとなの世界です。
ふと、以前読んだ曽野綾子さんの本を思い出しました。
『なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 だいわ文庫』(以下、感想メモの一部です)
世界は広い。固定観念を打破しようという教示があります。世界の人々は、日本人のように正・悪でものごとを判断しない。外人から見ると、日本人は非人間的で異様なところがあるそうです。浮世離れした平和主義者は世界では珍獣のようなものと結ばれています。
季節を重んじるのは日本人の特性。四季のない外国で暮らす人に季節のこだわりなし。
著者は、最終部分でこう説きます。「したいことだけをするのは幼児。したくないことをするのが大人」
やり直しがきかないこととして「殺人」と「自殺」
スイートポテトパイ:アメリカ合衆国南部の伝統料理。サツマイモでつくる。
インフルエンサー:影響力がある人物
椋本工務店(むくもとこうむてん)
読んでいての感想です。
認知症の母親内田聖子がたまに正気になるときがあるのですが(しょうき。正常)、バランスがうまくいっていないような気がします。
他の人の情報が多すぎてすっきりしません。
とくに17歳の持田美保の妊娠話が多いです。
主人公の芳野千鶴が小学一年生のときの内田聖子との一か月間の旅のことにはほとんど触れられていません。読み手の自分は、拍子抜けの気分です。(ひょうしぬけ。期待していたものが得られない)
『依存』が素材にあるので、『私を捨てて』という言葉が出てきます。
(つづく)
うーむ。かんじんなところで、読めない漢字が出てきます。ふりがながほしい。作者はむずかしい漢字になにかのこだわりがあるようです。
纏う:まとう。
繋がる:つながる。
抓る:つねる。
バックレた:逃げ出す。姿をくらます。
禍々しい:まがまがしい。恐ろしい。不気味。
上がり框:あがりかまち。玄関と廊下の境目。段差。
トラウマ:過去に起きたショッキングな出来事で心に傷が残っている状態。
蹂躙:じゅうりん(これはふりがなあり)権力者が権力を使って、弱い者いじめをすること。
SNSで個人情報が(居場所が)ばれる。
妊娠マニア:妊娠していると精神状態が安定する。妊娠していないと精神状態が不安定になる女性らしい。
主人公芳野千鶴の認知症になっている内田聖子は、主体性のない女性だった。自分で決定することができなかった。自分のまわりにいる人間の顔色をうかがって、喜ばれるようにふるまっていた。
286ページにようやく、母子の旅のことが出てきます。
むしろ、この部分を最初にもってきて、その後の話の広がりを楽しみたかった。
物語の構成として、後半で、秘密を明かす手法ですが、最初から秘密を公開しても作品自体の味わいは落ちないと思います。
人との別れ方が書いてあります。
一般的なこととして、年老いた夫婦の別れは、亡くなる当事者の入院とか施設入所で、生きているうちにはもう会えなかったということがあります。コロナ禍のここ数年はそのパターンでした。お互いに生存していて、近くに住んでいても、顔つき合わせて面会することができませんでした。親子でも同じです。
DV加害者のしつこさが書いてあります。
被害者は加害者を殺すしか逃れる手段はないのか。
加害者は脳みその病気です。しつこいこと、粘着質であることがいいことだと本人は誤解しています。
「ネバーギブアップ」が、へんなところで脳みそにしみついています。
こういう人って現実にいます。
母親の役割があります。
どんなにできそこないのこどもでも、自分が産んだ自分の分身であるこどもを、母親は許します。責めません。『大丈夫、千鶴はできる子だから……』
後半は暴力的なシーンです。
構成として、なにかがうまくいっていません。
ほしいのは、激しい怒りではなく、静かなる闘争シーンでした。
逃げていては解決しないのです。
以下は、一般的に、生き物がとる自分を攻撃してくる者に対する対応の順番です。『じっとしている』→『逃げる』→『戦う』 最後は、なにがなんでも戦わねばなりません。生きている人間は、生き続けることを選択することが、人間としての義務であり権利です。
相楽さん:さがらさん。内田聖子が世話になった人。
神様の話が出てきて宗教的です。
『生きなさい』
『不安定』です。いつまでも『不安定』な暮らしが続きます。
『てぃもての』認知症の母親の言葉です。意味はわかりません。
読み終えました。
なにかしら無理があった。
芳野千鶴と内田聖子の母子関係だけの話題に絞って(しぼって)、一点集中方式のほうが良かったのではないか。ふかーく、掘り下げても良かったのではないか。
最初に思うのは、読めるタイトルを付けてほしい。
掬う(すくう)が読めませんでした。
タイトルを見た時点で、伸びた手がひっこむデメリットがあります。
書評の評判が良かったので読むことにしました。
はじまりは、親のいないようなこどもの話です。
偶然ですが、最近観た映画が『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ原作です。バトンは、自分を育ててくれる親のいない女の子のことです。
親のいないこどもが増えた現代社会が背景にあるのでしょう。
こどもが生まれても母親・父親の役割を果たす能力がない人はいます。人間は完ぺきではありません。
昔は、兄弟姉妹がたくさんで、年長の年の離れた兄や姉、あるいは、叔母などが、親代わりのように下の子を育てたり、地域にあるこどもの縦型年齢層社会で、上の学年が下の学年のめんどうをみる集団遊びがあったりしました。
日本はこの半世紀でずいぶん様変わりしました。(さまがわり)
年下のこどもらのめんどうをみるのは「ヤングケアラー」とはいわないのでしょう。
とりあえず、32ページあたりまで読みました。
芳野千鶴:主人公女子。バツイチなれど、別れた元夫がお金をせびりにくる。お金を取られてしまう。芳野千鶴の両親は、 千鶴が小学校一年生のときに離婚した。
母親が家を出て行った。
千鶴は、父親の実家に引き取られた。
千鶴が17歳のころに父親が死んで、父の実家は経済的に破たんして家屋敷ほかを失った。
野々原弥一:芳野千鶴の元夫。千鶴より7歳年上。若い頃はスポーツマンで営業職として輝いていたが、離職して、今はだらしない男に成り下がっている。
川村主任:女性。芳野千鶴が働くパン工場の主任。勤続32年のベテラン社員。
岡崎:男性。パン工場での芳野千鶴の同僚。
ホン:パン工場での同僚。中国人留学生。
星を掬う(すくう)というのは、パン工場にヒントがあって、パン製造におけるなにかの原料を掬う(すくう)ということだろうかという推測が生まれました。(でも、元夫が元妻の給料をせびりに会社まで来るので、芳野千鶴はパン工場を辞めてしまいました。なんと、ひどい話であろうか)
ラジオ番組に昔の自分の思い出を投稿して採用されるとお金がもらえる企画があるそうです。(単なる原稿料、作品料のような気がするのですが。まあ、賞金です)
芳野千鶴の小学一年生のときの思い出話が、準優勝して5万円ゲットとなります。
どうも、わけあって、芳野千鶴が小学一年生のときに、母親とふたりでドライブ旅行をしたらしい。28ページに出てきますが、さみしいお話です。夫婦関係の破たんがあります。
(このあと、母親が内田聖子52歳で、母親と同居している他人が芹沢恵真(せりざわ・えま たぶん25歳前後)で、芹沢恵真(せりざわ・えま)は内田聖子をママと呼んでいます。あとからわけありでいろいろ出てきます)
自死の話が出て、これからのお話の内容が、暗いのか明るいのかよくわかりません。
出奔(しゅっぽん):逃げ出して、行方(ゆくえ)をくらませる。連絡なしにいなくなる。
元妻の給料を前借りしたいという元夫の行動が出てきます。
その部分を読んでいて久しぶりに思い出したことがあります。
自分が小学生のころの話ですが、わたしの死んだ親父が勤め先から、給料の前借りをよくしていました。
半世紀以上昔の話でもう忘れていました。あのころは生活が苦しかった。
個人営業主の勤め先だと、給料担保で前借りができました。今はどうなのか知りません。
名言なのかもしれないフレーズ(セリフ)が出てきました。
『千羽鶴みたいじゃないですか。何も救わない』
主人公の名前芳野千鶴と関係があるかもしれません。(読み終えて、関係があったようななかったようなでした)
番重(ばんじゅう):浅くてふたのない箱。パン、麺(めん)、料理、食材を運ぶときに使用する。
ラジオの番組ディレクターが、野瀬匡雄(のせ・まさお)です。
元夫は、元妻を『お財布』として利用しようとしている悪人です。(最近テレビで報道されている、とある宗教団体が、日本の信者の財産を教団の『お財布』として利用していたというニュースを思い出しました)
優しそうな顔をしていても厳しい暴力を振るう男というのはいます。ただ、女性にもそういう人柄の人はいます。笑顔で近づいて来る人は要注意です。下心があるから笑顔なのです。ふつう人は、下心がなければ、ふつうの顔で話しかけてきます。
自分がお財布代わりにされてもいいという人もいます。洗脳されている人です。自分の話をふんふんと優しく聴(き)いてくれた代金が寄附なのでしょう。
DV被害者女性である芳野千鶴さんについての暗い話が書いてあります。
警察を呼ばねばなりませんが、洗脳されているから「呼ばないで」という返答が本人からあります。本人は元夫からの仕返しが怖いと言いますが、相手の暴力を容認する気持ちがあるからそんな言葉が出てきます。なんだか、リアルなお話です。
洗脳とは、気持ちや考え方のもちようを支配されることです。他者に意識をコントロールされるということです。かかったら、なかなか抜け出せません。一般的にDVの加害者は、対象者をきつく責めたあと、優しく接します。要注意です。気を許してはなりません。
世の中には、芳野千鶴の元夫のように、五体満足で、口も達者なのに、働けない人が一定数います。そのことに気づいたらそういう人とは、距離を開けた(あけた)ほうがいい。
主人公芳野千鶴のひとり語りのストーリーには、渾身の(こんしんの。せいいっぱいの)力がこもっています。
数か月前にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で見たシーンを思い出しました。
関西に住む女性が、自分が幼児のときに別れた父親に会いに行くお話でした。涙なくしては見られない再会シーンでした。
そのなりゆきが、このストーリーに似ています。
高齢になられたお父さんは、名古屋市にある集合住宅でひとり暮らしをしておられました。
高度経済成長期で、深夜まで続く連日の残業で、どうも浮気をしていると誤解されたらしく、妻の実家の親に嫌われて家を追い出された。
まだ幼い娘との再会を望んで会いに行ったが、妻の親が暴力をふるってきたのであきらめた。
いまだにどうして離婚させられたのかわからないという男性のお話でした。
44年ぶりの父と娘の再会という感動的なシーンでした。
主人公の芳野千鶴は、母親と別れて22年間です。当時母親は30歳でした。
小学一年生のときに母親と1か月間車で旅行をしたあと母子の縁を元夫の母親に引き裂かれていますから、芳野千鶴は、現在は29歳ぐらいなのでしょう。今はバツイチで、DV夫が、お金をせびりにくる生活を送っています。
三人(芳野千鶴と芹沢恵真(せりざわ・えま)と野瀬匡雄(のせ・まさお))の出会いは、ドラマチック(劇的。心を揺さぶるシーン)なつくりです。
芳野千鶴の実母にいじわるだった父方祖母の存在は大きい。
毒親(こどの人生を支配する)は親だけではなく、祖父母にもあります。
「わたしがわたしが」と前に出てくる年配女性はたいてい嫌われます。
物語の方向を転換させる言葉として『助かるかもしれない』
押したり、引いたりの記述がうまい。
キーワードとして『若年認知症』
(つづく)
百地智道(ももち・ともみち):芳野千鶴の母親内田聖子52歳が通うデイサービスの送迎担当職員。愛称は「ともちん」。相撲部屋にいる新弟子みたいな体格。坊主頭。
さざめきハイツ:所有者は、主人公の母親の内田聖子。一人暮らしのお年寄り専門の家政婦をしていたときに世話をしていた男性から譲り受けた土地・家屋だそうです。(どうも不倫関係があったようです。だから、本妻さんとそのこどもたちに迷惑をかけています)
二階建て家屋。2階に5部屋。1階に3部屋。そばに鉄道線路があって、午前5時9分に始発電車が通過する。アパート形式の建物に知り合いではあるけれど、他人同士が集まって住んでいるような状態です。
内田聖子は、昔は旅館で仲居をしていたこともある。仲居:なかい。食事の世話や接待担当。
結城先生:イケメン内科医師。
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)内田聖子をママと呼んで慕っている。
九十九彩子(つくも・あやこ):44歳。ケアマネジャー。離婚歴あり。娘は夫が引き取ったが、元夫は再婚して、1歳夢人(ゆめと)という男児あり。娘は妊娠中の17歳。まあ、いろいろあります。むちゃくちゃです。
持田剛臣(たかおみ):九十九彩子の前夫。2年前に再婚して1歳のこども「夢人」がいる。ややこしくなります。持田剛臣と九十九彩子の娘である持田美保のこどもと持田剛臣のこどもの年齢が近い。つまり、自分の子と自分の孫の年齢が近い。
持田美保:九十九彩子と剛臣(たかおみ)の娘。
響生(ひびき):持田美保のおなかにいるこどもの父親。持田美保と同棲中。もうすぐ籍を入れるらしい。早く入れないとこどもの父親を認定するための戸籍手続きがややこしくなりそうです。本当に入れるのだろうか。疑わしい。オレの子じゃないと言い出すかもしれません。(やっぱり、186ページで、そんな感じになります。いなくなっちゃいました)
芳野千鶴は、小学一年生のときにいなくなった母親と再会したのですが、再会に感動はありません。母親の内田聖子52歳は別人格に変化しています。脳内のようすが、芳野千鶴が知る昔の母親とは違います。
むしろ、芹沢恵真(せりざわ・えま)と内田聖子のほうが母と娘のような雰囲気の関係です。
87ページを読んでいてふと、小学一年生のときの旅行の話はどこで出てくるのだろうかと思いつきました。(130ページ付近からちらりと出てきます)
窺う:うかがう。
リネン:シーツ、枕カバー、タオルなど。
読みながら『親子』って何なのだろうと考えさせられる内容です。
「家族を運営する」という言葉が出てきます。「運営」は変です。
因業ババア(いんごうばばあ):ひとつのことにこだわって、がんこで思いやりのないばあさまでいいのでしょう。主人公芳野千鶴の両親の離婚原因をつくった人です。
107ページです。
おもしろい。
マンガみたいだけれど、おもしろい。
よくしゃべる人たちです。
セリフでストーリーを進行していく手法です。
女性と仕事の関係について問題提起があります。
仕事をしたいからしている女性と、家庭に居場所がないから、しかたなく仕事に打ち込んでいる女性のタイプがあります。
主人公芳野千鶴の母親内田聖子は、祖母に娘である芳野千鶴をとられて、家に居場所がなく、仕事をするしかありませんでした。そして、今は、若年認知症になってしまいました。
この先、悲しい話になりそうです。
太川陽介さんと路線バスの旅をしていた認知症になったえびすよしかずさんの顔が、ふと頭に浮かびました。
(つづく)
元夫がお金をせびるために芳野千鶴に付きまとうわけですが、芳野千鶴のスマホの位置情報が知られるのが怖いなと思いながら物語を読み続けています。
あずさカフェ:近所にあるスイーツのお店。
芳野千鶴は、心の問題なのか、緊張しやすく、吐きやすい。
『あんたなんか母親じゃない』、『(母親は)自分だけが可愛い、最低のひとだ』
そこまで言うと、親子関係は修復がむずかしくなるのですが、母親は認知症です。理解できていないのか、できているのかすらわかりません。
むかし読んだ角田光代作品『キッドナップ・ツアー』を思い出しました。キッドナップは、「誘拐(ゆうかい)」です。
父親が、小学生の息子だったか娘だったかを妻のところから誘拐して旅をするのです。実の親子なのに誘拐という状態になるのです。(昔の読書メモを調べました。キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。冒頭、小学5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られない)
芹沢恵真(せりざわ・えま):駅ビル内にある美容室でスタイリストをしている。(衣装、髪型、アクセサリーなどを手配・調整をする職業)の追加情報として、両親がいない。1歳のときにふたりともが交通事故死した。母方の親せきの家であるおばさんとか、いとこの女子がいる家に引き取られて、差別的な扱いを受けてつらい思いをした。
(以前、同じような境遇にあった引きこもりの男性が関東地方で刃物を振り回して人々を襲い死傷事件を起こしたことを思い出しました)
ここらあたりのページまで、こども時代のつらいことが書いてありますが、18歳を過ぎたら、親は関係ありません。自分の責任で自分のやりたいようにやればいい。
親から見ればこどもというものは、極端なことを言えば、生きていれば、それでいいのです。
母親がつくってくれたサンドイッチに思い入れあり。
『うそっこバナナサンド』
こどものころに、いっしょに過ごした時間が長いほうが、親子のきずなは強まります。
『いっしょに過ごす時間』は大事です。なにをするでもなく、ただ単にその場にいっしょにいればいいのです。
母親本人が目の前にいても、娘から見た母親は人格が変わっています。
芳野千鶴の思い出の中にしか、本当の母親はいません。
文章として、人間はこんなにたくさんはしゃべらないと思います。(小説です)
また、文章が延々と続いて、ひと休みの区切りがなかなかありません。(読みづらさにつながっています)
おとなによるこどもへの性犯罪の話も出て、うーむ、暗い。
ロウベンというのは、漏便ということなのでしょう。歳をとるとそういうことはありまする。(違っていまいた。弄便(ろうべん)と書くそうです。ウンチをいじるそうです。ああ、そんなふうにはなりたくない。もしそうなったら、精神科の鍵がかかる病室に入るしかない。本では、認知症対応型グループホームのことが書いてあります)
悲惨な(ひさんな)話が続きます。
世の中は、悪い人間ばかりではありません。
なのに、夢も希望もなくなりそうな話が続きます。
人間が(母親の内田聖子52歳の脳みそが)壊れていきます。
164ページまで読んで考えたことです。
家族関係がどうしてこうもうまくいかないのか。
①お金がない。お金をうまくコントロールできない。借金。そもそも返済する意識がない借金がある。
②極端にかたよった欲望。自分の思いどおりにしたい欲望。そこから生まれるいじめ、DV(家庭内暴力)がある。自分の身は自分しか守れないという現実がある。
③人間の本能をコントロールできない。物欲、性欲、自己顕示欲。
人生にとって必要なものは『適度のお金と心身の健康』であろうと悟るのです。(さとる。理解して自分のものとする)
(つづく)
いいなと思った文章として『母はどこにでもいるような量産型の地味な女だった……』
165ページから突然、認知症の内田聖子さんが正気(しょうき。まとも)の状態での思索が始まります。内容は、内田聖子さんのお母さんのことです。主人公芳野千鶴からみれば母方祖母です。
内田聖子さんには兄がいるらしい。
『私はじわじわと砂袋に変わっていく女の……』文章表現がうまい。
カッシーナのヴェランダソファ:イタリアの高級デザイナー家具製造会社。屋外に置くソファ。
内田聖子さんの徘徊話です。(はいかい:あてもなく、歩きまわる)
意図的なものがあるのでしょうが、感情に押し流されて物事を考えるのは、おとなの世界ではありません。
芳野千鶴さんの金せびり元夫の野々原弥一さんは、なかなか登場してきません。
女性の登場人物たちによる『女の世界』が延々と描かれています。
『……あの家の中での私は、私じゃなかった……』
『ガラス玉の目』
胸にぐっとくるものがあります。
『私は好きでもない男の人と結婚した』
以前、テレビ番組「徹子の部屋」にゲストで出た南こうせつさんが、父親のお葬式のあと、母親が『(亡くなった夫のことを)ほんとうは、好きじゃなかった』と言ったのでショックを受けたと話されていたことを思い出しました。昔は見合い結婚が主流でしたから、そういうこともあったのでしょう。女の強さを物語るひとことだと受け止めました。
別の話で、夫の葬式のあと、亡夫の妻である自分の母親が、北海道に住む初恋の男性に会いに行くと言い出して、実際会いに行ってしまったのですが、非常に気持ちがとまどったという息子さんの話をなにかのときに聞いたことも思い出してしまいました。「結婚」と「恋愛」は違うということもあるということなのでしょう。ずっとがまんしていた。女性の強さがあります。
206ページにこの本のタイトルの意味が出てきます。
『記憶の海』があって、そこに、母親が娘に伝えたいものがあるのに、思い出したいことが掬えない(すくえない)。認知症になって、記憶を思い出せない。掬い方(すくいかた)がわからない。
悲しくつらいお話です。
新しい命の誕生があります。
ひとり死ねば、ひとり産まれるのが、人間界のありようです。
バツ1ケアマネ九十九彩子44歳の娘持田美保17歳のおなかに女児が宿っています。未婚の母です。男は逃げてしまいました。
試し行為:ちびっこがよくやります。これをやったら、怒られるか怒られないか相手の出方を試してくるのです。
認知症になってしまっている52歳の内田聖子の話があります。
本人につらいこともあったでしょうが、楽しかったこともあったと思いたい。
昔、映画『ああ野麦峠』という映画の舞台になった野麦峠に、車を運転していて偶然迷い込んでしまったことがあります。 北アルプス乗鞍岳山麓をドライブしていたときのメモが残っています。
看板が立っていました。長野県の織物工場で働いてた女工哀史とありました。
悲しくて苦しいことばかりではなかったと思うのです。
楽しいことやうれしかったことだってあったと思うのです。
女工さんたちはこの峠をみんなで合唱しながらはしゃぎつつ歩いたと信じたい。
そうでなければ、人生はやりきれない。
カットクロス:美容室や理髪店で体にまく布。
モンチッチ:猿に似た妖精。
ボブ:髪型。ショートヘアより長い。丸みあり。
イロハモジミ:単にモミジと言われることが多い。落葉高木。
GPSアプリ:スマホで使用する。位置情報がわかるアプリケーション。
『ひとってのは、水なのよ』
そのとおりです。
ブリーチ剤:髪の毛の色素を抜く薬剤。
マザーズバッグ:ママのバッグ。こどもとのお出かけのときに使う。
『依存心』があります。
だれかに頼る生き方です。
うまくいかないと、だれかのせいにする生き方です。
母親の内田聖子も主人公の芳野千鶴も九十九彩子の娘持田美保も依存心が強い人です。
文章にもありますが、自分の不幸の責任を相手にとらせようとします。
人間界は純白ではありません。
グレーゾーンです。
白でも黒でもない灰色、グレーゾーンがおとなの世界です。
ふと、以前読んだ曽野綾子さんの本を思い出しました。
『なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 だいわ文庫』(以下、感想メモの一部です)
世界は広い。固定観念を打破しようという教示があります。世界の人々は、日本人のように正・悪でものごとを判断しない。外人から見ると、日本人は非人間的で異様なところがあるそうです。浮世離れした平和主義者は世界では珍獣のようなものと結ばれています。
季節を重んじるのは日本人の特性。四季のない外国で暮らす人に季節のこだわりなし。
著者は、最終部分でこう説きます。「したいことだけをするのは幼児。したくないことをするのが大人」
やり直しがきかないこととして「殺人」と「自殺」
スイートポテトパイ:アメリカ合衆国南部の伝統料理。サツマイモでつくる。
インフルエンサー:影響力がある人物
椋本工務店(むくもとこうむてん)
読んでいての感想です。
認知症の母親内田聖子がたまに正気になるときがあるのですが(しょうき。正常)、バランスがうまくいっていないような気がします。
他の人の情報が多すぎてすっきりしません。
とくに17歳の持田美保の妊娠話が多いです。
主人公の芳野千鶴が小学一年生のときの内田聖子との一か月間の旅のことにはほとんど触れられていません。読み手の自分は、拍子抜けの気分です。(ひょうしぬけ。期待していたものが得られない)
『依存』が素材にあるので、『私を捨てて』という言葉が出てきます。
(つづく)
うーむ。かんじんなところで、読めない漢字が出てきます。ふりがながほしい。作者はむずかしい漢字になにかのこだわりがあるようです。
纏う:まとう。
繋がる:つながる。
抓る:つねる。
バックレた:逃げ出す。姿をくらます。
禍々しい:まがまがしい。恐ろしい。不気味。
上がり框:あがりかまち。玄関と廊下の境目。段差。
トラウマ:過去に起きたショッキングな出来事で心に傷が残っている状態。
蹂躙:じゅうりん(これはふりがなあり)権力者が権力を使って、弱い者いじめをすること。
SNSで個人情報が(居場所が)ばれる。
妊娠マニア:妊娠していると精神状態が安定する。妊娠していないと精神状態が不安定になる女性らしい。
主人公芳野千鶴の認知症になっている内田聖子は、主体性のない女性だった。自分で決定することができなかった。自分のまわりにいる人間の顔色をうかがって、喜ばれるようにふるまっていた。
286ページにようやく、母子の旅のことが出てきます。
むしろ、この部分を最初にもってきて、その後の話の広がりを楽しみたかった。
物語の構成として、後半で、秘密を明かす手法ですが、最初から秘密を公開しても作品自体の味わいは落ちないと思います。
人との別れ方が書いてあります。
一般的なこととして、年老いた夫婦の別れは、亡くなる当事者の入院とか施設入所で、生きているうちにはもう会えなかったということがあります。コロナ禍のここ数年はそのパターンでした。お互いに生存していて、近くに住んでいても、顔つき合わせて面会することができませんでした。親子でも同じです。
DV加害者のしつこさが書いてあります。
被害者は加害者を殺すしか逃れる手段はないのか。
加害者は脳みその病気です。しつこいこと、粘着質であることがいいことだと本人は誤解しています。
「ネバーギブアップ」が、へんなところで脳みそにしみついています。
こういう人って現実にいます。
母親の役割があります。
どんなにできそこないのこどもでも、自分が産んだ自分の分身であるこどもを、母親は許します。責めません。『大丈夫、千鶴はできる子だから……』
後半は暴力的なシーンです。
構成として、なにかがうまくいっていません。
ほしいのは、激しい怒りではなく、静かなる闘争シーンでした。
逃げていては解決しないのです。
以下は、一般的に、生き物がとる自分を攻撃してくる者に対する対応の順番です。『じっとしている』→『逃げる』→『戦う』 最後は、なにがなんでも戦わねばなりません。生きている人間は、生き続けることを選択することが、人間としての義務であり権利です。
相楽さん:さがらさん。内田聖子が世話になった人。
神様の話が出てきて宗教的です。
『生きなさい』
『不安定』です。いつまでも『不安定』な暮らしが続きます。
『てぃもての』認知症の母親の言葉です。意味はわかりません。
読み終えました。
なにかしら無理があった。
芳野千鶴と内田聖子の母子関係だけの話題に絞って(しぼって)、一点集中方式のほうが良かったのではないか。ふかーく、掘り下げても良かったのではないか。
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