2022年11月21日

正欲 朝井リョウ

正欲(せいよく) 朝井リョウ 新潮社

 『性欲』ではなく『正欲』です。何だろう。『正欲』の意味がとれません。
 読み始めるとやはりエロい記述から始まります。
 児童ポルノです。
 本のカバーの絵では、天空から鴨がまっさかさまに堕ちてきています(おちてきています)。
 不気味です。

 佐々木佳道(ささき・よしみち):30歳。大手食品メーカー勤務。こどものわいせつ写真撮影会でのパーティリーダー。気持ち悪い奴です。罪を否認している。

 矢田部陽平:24歳。小学校非常勤講師。罪を認めている。こんな男にこどもを預けられません。

 諸橋大也:21歳。国公立大学3年生。イケメン(顔と人柄は一致しません)

 冒頭では常識が示されます。
 『……“大きなゴール”というものを端的に表現すると「明日死なないこと」……』(同感です)
 『……幸せには色んな形があるよね……(結婚しないとか事実婚とか、こどもをもたないとか)』
 『多様性……』
 そして、主人公の『私』は、この星にずっと留学しているような感覚だというのです。君は宇宙人なのか(まさかと自分は判断しています)

 納得いく理屈の言葉が続きます。さすがと思わせて下さる作家さんです。
 
 最初に出てきた三人は警察に捕まります。
 『小児性愛者(しょうにせいあいしゃ)』たちです。
 児童福祉法違反にあたるのだろうか。
 そんな人間が親になったら実子はどうなるのだろうか。不気味です。
 捕まった佐々木佳道には妻がいます。離婚ですな。仕事は解雇ですな。

(つづく)

 形式がわかりました。この物語の進行の仕方が見えてきました。
 登場人物、ひとりひとりが順番に出てきてなにかやるのです。
 先日読み終えた『セカイの空がみえるまち 工藤純子 講談社』と同じです。セカイのほうは『藤崎空良(ふじさきそら。公立中学2年生。半年前から父が失踪している)』と『高杉翔(たかすぎかける。藤崎と同じクラス。野球少年。甲子園に行きたい。在日韓国人)』が順番に語るのです。

 寺井啓喜(てらい・ひろき):横浜地方検察庁の検事。45歳すぎ。
 寺井由美:寺井啓喜の妻。主婦。
 寺井泰希(たいき):寺井啓喜と由美の長男。私立小学校3年生から不登校。もうすぐ5年生。
 なにやら2019年5月1日まであと何日と書いてある。あと515日でした。5月1日に事件か事故が起こるのかと思いましたが、令和元年が始まる日でした。平成が終わって、令和が始まる。

 子どもが不登校になった原因として、愛情不足、過保護、育児放棄、毒親、いろいろ書いてあります。
 長男寺井泰希の主張として『みんな洗脳されているように見える……』
 (読み手の意見として、そうなのだろうが、それが稼いで(かせいで)生活していくということです。そんなことはだれだって知っている。この世は矛盾(むじゅん。理不尽、不合理、不条理。筋が通らない)でできている。みんな矛盾に気持ちの折り合いをつけて生活している。それがおとなです)
 長男泰希は、不登校児を受け入れるNPOボランティアグループ“らいおんキッズ”に入り、そこで仲良くなった歯科医の息子登校拒否少年富吉彰良とYouTubeを始めます。
  『(不登校児の意見として)ユーチューバーになるから学校はいらない』(生活していくということは、そんなに単純で簡単なものではありません。社会の中で、法令や規則にしばられながら、脳みそを働かせて社会環境に順応していかなければ、人生が破たんしてしまいます)
 小学生の少年たちは、令和になるまでの日数カウントダウンでYouTubeを始めます。(読んでいて、ふたりのこどもは、犯罪者の標的になると予測します)

 富吉奈々枝(とみよし・ななえ):富吉彰良(とみよし・あきら。不登校児)の母親。検事の妻寺井由美に話しかけてくる。富吉奈々枝は、歯科医の妻。

 桐生夏月(きりゅうなつき):29歳ぐらい実家暮らし。独身。岡山県岡山駅直結のイオンモールにある寝具店で働いている。時代設定は、2017年(平成29年)12月ぐらいか。犯人佐々木佳道の高校の同級生。桐生夏月と佐々木佳道は同じ波長をもっている。(睡眠欲は私を裏切らない。食欲は人間を裏切らないという共通点)

 那須さおり:桐生夏月が働く寝具店の向かいにある雑貨店で働いている。桐生夏月より年上。夫あり。桐生夏月によく話しかけてくるが桐生と親しいわけではない。

 西山亜依子(にしやま・あいこ。旧姓広田):桐生夏月の高校の同級生。
 西山修:西山亜依子の夫。高校時代野球部のキャプテンだった。桐生夏月の同級生。
 西山莉々亜(にしやま・りりあ):西山夫婦の娘小学一年生。

 穂波辰郎:桐生夏月の同級生。父が同窓生一同の担任教師だった。桂真央と結婚した。
 (桂) 真央:穂波辰郎の妻。穂波の父も穂波夫婦も教師。

 門脇かおる(旧姓渡辺):西山夫婦のこどもと同じく小学一年生のこどもがいる。

 登場人物の自己紹介のような記述が続きます。

 神戸八重子(かんべ・やえこ):神奈川県内金沢八景大学の大学2年生で、学園祭である八景祭(ダイバーシティフェス)の担当をしている。学際の実行委員。太っている。美形ではない。恋愛ドラマ『おじさんだって恋したい(読んでいる途中で思い浮かべたのは「おっさんずラブ」でした)』の女性プロデューサーを講師に招いて学園祭で講演会をしたい。(冒頭の事件の犯人である)諸橋大也(国公立大学三年生。ダンスサークル「スペード」所属)に興味をもつ。
 神戸八重子には、学業成績が優秀だった兄がいる。兄と妹に対する親の差別がありそうです。母親は兄が好き。29歳の兄は現在引きこもりにある。

 平野千絵(ひらの・ちえ):ドラマ『おじさんだって恋したい(男同士の恋をしたいという意味)』のプロデューサー。

 神戸八重子の兄(今はまだ氏名不詳。正体不明):国立大学卒業後、銀行員になったが、職場や仕事に適応できず長い引きこもり生活中。

 久留米よし香:神戸八重子の仲間。中国語選択の大学2年生。塾講師のバイトをしている。

 桑原紗矢(くわばら・さや):大学生。学園祭の実行委員。実家は鎌倉市内。21歳。

 桑原真輝:桑原紗矢の姉。29歳。

 高見優芽(たかみ・ゆめ):大学新3年生。ダンスサークル『スペード』の代表。

 諸橋大也は『スペード』に所属している。冒頭で紹介された児童ポルノの加害者犯人。アニメ『耳をすませば』の天沢聖司に似ている。

 ワック:70年代ゲイカルチャーから生まれたダンス。

 SATORU FUJIWARA:今のところ、謎の人物。犯罪がらみの氏名。

 60ページまで読みました。
 ここまできて、物語の進行のしかたが、単調な感じになっています。
 
 おもしろかった表現で『学生時代にスポーツをしており、当時の筋肉が脂肪に変わった人の体格』

 これまでに出てきたこどもたちが今回のこども相手のエロ事件の被害者になるのだろうか。
 犯人の名前がちらほらページに出てくるようになりました。

(つづく)

 だんだん登場人物たちと犯人たちとの接点が生まれてきました。

 扱うのは『性癖』です。
 世の中には、ほかの人から見れば、不思議なことに気持ちが集中する不思議な人たちがいっぱいいます。『異常性癖』です。
 水道の蛇口(じゃぐち)を盗んだのは、盗んだ蛇口を売って換金することが目的ではなく、水道から強い勢いで出てくる水を見ることが快感だったから。(性的な快感があるそうです)

 変人と思われるのですが、変人は単体ではありません。複数です。仲間がいます。同じ趣向の人間がいます。

 藤原悟 45歳 新聞配達員 岡山県にいた。2004年6月23日のこと。蛇口どろぼう。

 だれかが事故死します。

(つづく)

 電気あんま:こどもの遊び。罰(ばつ)として、股間に足を入れられて股間をぐりぐりする。

 『スマホ脳』という本を思い出しました。SNSで人間がおかしくなっていくのです。
 『スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書』
 
 右近くん(右近一将。うこんかずまさ):172ページ。寺井泰希が呼ぶ人。不登校児対象NPO法人「らいおんキッズ」の職員。

 キーワードとなる文章として『私はずっと、この星に留学しているような感覚なんです。』(152ページは6ページとつながる)

 登場人物が多いので、一生懸命メモをとりながら読んでいます。

 少数派(LGBTQ。レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クイア(通常とは異なる性のありよう)、クエスチョニング(性についてわからない)は社会生活、日常生活において、人の中で精神的につらかった。

 無敵の人:家族、友人、恋人、仕事などの社会的なものとつながっていない人。守るべきものがないからなんでもできる。(犯罪をしでかして極刑(死刑)宣告を受けてもかまわない。周囲にいる人を道連れにして、自分も死んでいいという精神状態にある人のことなのでしょう)

 『被疑者には友人も同僚も恋人もいない。いるのは年老いた両親だけだ。』
 被疑者は社会に恨み(うらみ)があると言います。(うーむ。社会に受け入れてもらえなかったとあります。少数派の性癖をもつゆえにと、このストーリーの場合は受け取れます)
 性的な欲求として、異常性癖の人がいる。

 読んでいて感じることです。
 物語の語り手が変わると、ストーリーの流れがブツッと途切れるので、読みにくいです。

 人が事故死した瞬間を思い浮かべて笑い出しそうになる。(バス旅のえびすよしかずさんは、人のお葬式に行くと笑いそうになるので行かないそうです。思い出しました)
 139ページで人がつながる。ここで、こうつながるのか。
 だんだん人と人がつながり始める141ページ付近です。
 『自覚してるもんね。自分たちが正しい生き物じゃないって』
 もうひとりいるのか。ミステリーです。(不思議な世界)
 『本当は、男という生き物が気持ち悪い。』

 検事や看護師が喫煙するのはちょっと意外で信じられません。
 自分の体をコントロールできない人は検事や看護師には向きません。

 191ページまで読んでの感想です。
 若い人たちのお話です。
 遠くから『過去』をながめているような気分で読んでいます。

(つづく)

 弘明寺(ぐみょうじ):横浜市南区にあるお寺。初詣(はつもうで)の場所。神戸八重子(かんべやえこ。女子大生)のシーンで登場する。あわせて、右近一将(うこんかずまさ)と寺井啓喜(てらいひろき)のシーンにも登場する。

 『自殺の方法を何度も調べたことがあるのは……』余談ですが、そのうち読む本として、わたしの自宅の部屋に『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』が置いてあります。そのうち読んで感想をアップします。ちなみにわたしは、自殺なんぞする気はありません。歳をとってきて、自分が自殺を望まなくても、そのうちお迎えが来るので静かにその時を待ちます。自殺本のほうは、1993年発行で、120刷もされていてよく売れて読まれています。そのことに強い関心をもち購入しました)

 『特殊性癖』の話です。
 うーむ。どこかに書いてあった「自分がこの地球に生まれたことは間違いだった」というような文章から考えたことです。
 -見た目は、人間だけど、中味は人間ではない、人間とは別の生きものがいる。-
 その生き物はとても悩んでいる。だれにも『特殊性癖』を知られないように、親にも知られないように、神経を集中しながら生活している。
 標準という世界の中で、異質であるけれど、標準であろうと努力している。
 太宰治(だざい・おさむ)氏の言葉『生まれてきてすいません』を思い出しました。正しくは『生まれて、すいません』作品名『二十世紀旗手』昭和12年の作品。

 北海道厚真神社(あつまじんじゃ):苫小牧とか支笏湖の西に位置する。地震があったところ。平成30年9月6日胆振東部地震(いぶりとうぶじしん)。物語の設定は平成30年(2018年)の年末です。翌年、5月から令和元年が始まります。

 220ページ部分が、1ページまるごと白紙です。
 何かを意図した区切り目なのでしょう。

 川崎市鈴木町駅:佐々木佳道の勤める会社高良食品(たからしょくひん)の工場がある。
 佐々木佳道:営業部食品開発課所属。
 豊橋:もうすぐ40歳。品質管理部勤務。元食品開発課長。妻あり(元同社秘書課)。2男あり。
 
 クレームブリュレ風:焦がした(こがした)クリーム。カスタードプディングに似ている。
 キャラメリゼ:キャラメル化。

 マジョリティ:多数派。
 マイノリティ:少数派。
 アイデンティティ:同一性。「何者なのか」「AとBが同じであること」
 
 尻手(しって):ロープの端(はし)。
 『マジで育児は若いうちに終わらせといたほうがいい』(同感です)
 『この身体の中にはあなたが想像もしないようなものが詰まっていますと……』(そういう人っているのだろうなあ。つらそうです)
 『いつしか、幸福よりも不幸のほうが居心地が良くなってしまった……』
 常に自殺願望があるのを思いとどまるように『明日死なないこと』が毎日の目標になっている。
 『自殺禁止』です。
 『普通の嫁さん』のフリをする。
 恋愛意識はない結婚。されど、同じ仲間だからふたりでいる結婚。
 他人でも、友人でも、恋人でも、同居人でもない結婚。『共犯者』。
 (鋭くとがったものがあります。こういう夫婦っているんだろうなあ)
 
 五体満足な異性愛者に生まれることができなかった人もいる。
 タイトル『正欲(せいよく)』とは、男女間のことで標準的なLOVEを指すと読み取れます。それ以外は正しくない欲と読み取れます。
 もうひとつ解釈できます。男女の性別を超えて愛し合えることを『正欲』と呼ぶ。逆の発想です。
 
 Z世代:1990年代後半から2000年代に生まれた世代。
 ソーシャルネイティブ世代。生まれた時から身近にスマホがあった。
 スマホで仲間とつながる。
 つながりは『犯罪』にもつながる。

 SATORU FUJIWARA:正体が判明しました。

 『特殊性癖』の対象物は『水』
 承認欲求と特殊性癖者の性的欲求。

 時間は淡々と過ぎていきます。
 物語は、もうすぐ、『令和』の時代です。2019年5月1日令和がスタートします。
 寺井泰希は、新年度から小学6年生です。でも登校拒否児です。本人がどんなに自己主張をしても、おいてきぼりにされます。
 現実の今は、来年はもう令和5年です。早いものです。

 性犯罪者は、逮捕収監されても、出所すれば同じことを繰り返します。
 再犯です。

 社会にはバグがいる。(バグ:誤り)

 一家の主(あるじ)なのに、主(あるじ)としての判断が間違っている登場人物がいます。
 そして、恐怖が生まれます。
 自分で自分の『特殊性癖』に気づけていない人がいます。
 
(つづく)
 
 読み終えました。
 なんというか、児童ポルノではないのです。
 『水』に強い性的興味をもつ特殊な人格をもつ人たちがいるのです。
 かれらは、自分たちを人間ではない存在、地球人ではない存在として、悩んでいます。

 作者は、少数派の立場に立って、少数派の意見を代弁するようにメッセージを発信しています。
 少数派の人たちが生きていける環境をつくって、維持していかなければならない。

 同性愛者という指摘は違うのです。
 男も女も愛せないのです。
 愛情を向ける対象が『水』なのです。
 性欲を向ける対象が『水』なのです。

 だから『私はずっと、この星に留学しているような感覚なんです。』となるのです。
 死なないことが、この人たちの毎日の目標だった。
 
 いくつかの印象に残った言葉です。
 『精神的な互助会』『クレプトマニア(窃盗症。常習万引き。精神障害の一種)』『いなくならないで』『朝起きたら自分以外の人間になれていますようにって……』『ばいばい』『いてはいけない人なんて、この世にはないんだから』『いなくならないから』

 犯罪者の心理を分析しています。
 『親』にはなれない人たちがいます。
 愛情ってなんだろう。
 人間がもつ悲しみが広がっていきます。
 
 蔑ろ:ないがしろ。

 337ページ付近で、諸橋大也が発する本音(ほんね)の言葉に、すがすがしさを感じました。
 同情するなら金をくれの世界です。(同情はいらない)
 自分がああしたい、こうしたいと思っていることを、阻止しようと(そししようと)する相手に対する抗議があります。ほおっておいてほしい。干渉しないでほしい。

 342ページ付近の風景描写が不可解で不思議でした。
 喧噪(けんそう。対立するけんかのなかで騒がしい状態)のまわりに平和がある風景です。

 狡賢い:ずるがしこい。

 人間の叫びがあります。

 なんとも表現しようがない気持ちで、読書を終えました。  

Posted by 熊太郎 at 07:25Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年11月19日

がん患者の語りを聴くということ L・ゴールディ/J・デマレ

がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房

 ネットの『これから出る本』をチェックしていて興味をもったので読み始めます。
 わたしは五十代になったとき、これからは、いつあなたはがんですと言われてもおかしくない年齢になったと思いました。
 わたしは幸い(さいわい)に六十代になった今もがんですとは言われていませんが油断はしていません。どこか体の調子が悪い時は、がんかもしれないと発想します。
 現実には、毎年、知り合いのだれかかれかが、あなたはがんですと言われて治療に入っています。
 症状が軽い人もいますし、そうでない人もいます。
 命がかかった病気ですから気を使います。
 本の中身はもしかしたら、医療関係者向けの専門書なのかもしれません。

(1回目の本読み)
 わたしは、実用書は、最初に1ページずつ、ゆっくりめくって最後のページまで到達します。
 2004年(日本だと平成16年)にローレンス・ゴールディという人がこの本の『はじめに』の文章を書かれています。イギリスの精神科医です。

 第一章から第八章まであります。
 けっこう文章量があります。
 医師と患者の会話の話ではないのだろうか。
 医師が患者の悩みを聴くということだろうか。
 病気は万人にふりかかります。
 医師自身ががんになることもあります。

 『王立国民耳鼻咽喉科病院』という文字があります。
 そうか、王様がいる国なんだ。大英帝国です。

(2回目の本読み)
 医師たちがとまどっています。
 がんという病気の検査・診断・今後の見込みは判断できますが、患者との会話のやりとりがうまくいかないことがあります。
 がんの宣告をしたら、まだ癌で死ぬ時期ではないのに、心臓発作で亡くなってしまった例が挙げてあります。『やれることは、もうなにもありません』という言葉を告げたあとしばらくの出来事でした。因果関係は不明です。

 立派な業績を残した軍人でも癌の宣告を受けた後は動揺して別人になってしまうようです。
 うつ病みたいになってしまいます。
 
 医師も人間です。悩んでいます。
 著者は、精神科医の立場で文章をつないでいきます。

 読んでいて思ったことです。
 自分にも何度かの入院体験があります。
 本には、患者が『お荷物(負担になる存在)』のような記述があります。
 自分は入院で、病院に収容されて『情けない』という気持ちが湧きました。また、自分は『ごみ』のような存在ではないかとがっかりしました。そして強く『ここにいちゃいけない』と思いました。
 
 本にありますが、病院は多忙です。
 患者には、おいてきぼりにされていく空虚な心理があります。

 チャプレン(病院付きの牧師)と、病棟看護師長が、まずはがん患者の話し相手になるそうです。

 この本の目的が示されています。
 『がん患者の治療とケアに心理療法を導入して……』残された日を有意義に過ごしてもらうのです。(最後は亡くなるのです)

 がんの告知を受けた後に始まる『がん患者の世界』がある。
 
 この本の読者としての対象者です。緩和ケアに従事する心理職。本件に関心のある医療従事者。内容は指示ではなく、考えるきっかけにしてほしいというものです。

 目次で目に着いたことです。
 『がんという「砲撃ショック(シェルショック)』(がんの告知は、砲弾を浴びるようなものなのでしょう)
 『がんと心理療法の試み』
 『良い死』(本を読み終えたとき「良い死」の意味はわかりませんでした。「死」に良いも悪いもないのではないかと思うのです。イギリスの感覚かもしれません)

(つづく)

 がん患者は、健康な世界から追い出されて、薬漬けにされるというような記述があります。
 そのとおりなのでしょう。身体的にも精神的にも苦しい世界です。

 がん患者の心理療法にふれた実践例はこれまでほとんどなかったそうです。
 著者はこのあと第一次世界大戦で最前線にいた兵士の心理とがん患者の心理が似ていると分析しています。
 死ぬかもしれないという戦地の戦士、そして、がんの診断の告知は本人にとって『破局』の面があると記述されており、読んでいて納得できます。

 大きな病院は『死』が日常的にある場所です。『死』に慣れがあります。
 医師は、死を迎えるがん患者との語らいのしかたがわからないということもあると書いてあります。

 読んでいると、なにやら答えのない設問をなんとか解こうとしている(とこうとしている)ような雰囲気もあります。
 がんが見つかって、正常な個人が異常な世界に連れていかれる。
 臨床(りんしょう):患者と接して診察・治療をする。
 フロイト:オーストリアの精神科医。1856年-1939年。83歳没。人間の心の『無意識』を発見した。(先日読んだ別の本にもこのドクターの名前が書かれてありました。『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』)

 がんで身体をやられるよりも精神をやられてしまう。
 戦地で起こる『砲撃ショック』という言葉で表現されています。

 いろいろな形態のがんが出てきます。地位が高い人でも(大学の学長、年配の医師)でもがんになります。
 声をなくす。(喉(のど)の部分のがん)
 乳がん。
 大腸がん。
 白血病。

 直ったと思っても再発があります。
 ひとり暮らしでがんになったらつらそうです。
 励まされても『死刑宣告』を受けたと落ち込んでいる患者さんがいます。
 混乱が発生します。
 家に帰りたいと願っても医師の指示で帰れず病院で無念の死を迎える患者がいます。

 書くことで救われることはあります。(あとに残る人たちに向けての手紙を書く。鹿児島県の知覧(ちらん)で読んだ第二次世界大戦後中の特攻隊員の手紙を思い出しました)
 話すことで楽になれるということもあります。
 がん患者は人生とか命について『考える人』になる。
 
 39ページまで読んで、再び、なにかしら、答えのない問題を解こうとする(とこうとする)取り組みに思えてきました。

(つづく)

 がんはうつらないのに(伝染)うつるかのように思われる。
 がん患者は、退院すると、人に避けられる。
 社会的スティグマ:差別・偏見の対象。

 歳をとってからがんになるのと、まだ若いのにがんになるのとでは、本人の意識に大きな違いがあるようです。
 がんの宣告は、死の宣告として受けとめられる。
 うつになる。
 ケアしなければならない。(手当て。世話、配慮、気配り)

 医師は診断・治療はできるけれど、患者の心のケアまではできない。
 医師は、患者の家族としてではなく、医師として患者と接している。
 医師の本音が書いてあります。患者とは距離をおきたい。その場を離れたい。
 心理療法士の登場です。
 心理療法士:臨床心理士。
 ただ、読んでいて、心理療法士という職に好感はもてません。お金をもらって、人の、どちらかといえば人に言いたくないような話を聞いてくる人です。立場の強い者として、立場の弱い患者の話を聞いているというような上下関係が見えます。患者としては、見下されたくない。憐れみはいらない。(あわれみ:同情。かわいそうと思うこと)

 心理療法士についての条件が列挙されます。守秘義務、恒常性、面接予約を守る、初回面接…… と続きます。

 いろいろな患者がいます。
 20歳の学生。脳腫瘍があります。本人は医学生でした。自殺の可能性ありです。
 読んでいて、人間の命のはかなさを感じました。
 五十代になるとわかるのですが、高校の同窓会の話などがくると、中学・高校の同級生とか、先輩、後輩のうちの何人かがすでに亡くなっていることを知ります。病気や事故、自然災害や事件、この世は危険がいっぱいです。生き続けていくためには『生命運』が必要だと歳をとると感じます。
 学校で、今教室にいる全員が、長寿で90歳ぐらいまで生きられるわけではないのです。

 外陰がん(がいいんがん):そんなところにまでがんができるのか。初めて知りました。女性の患者です。がんが再発しています。海外旅行が趣味です。亡くなっています。

 乳がんの若い女性患者です。
 なんだろう。読んでいて、生きているのに、死んでいるような状態です。なにをしても意味がないとあります。それは、患者の夫の気持ちです。

 67ページまで読んできて感じたことです。自分だったらどうするだろう。
 がんの宣告を受けて余命を言われたら『しゃーない』と思うしかない。
 しょうがないのです。自分でどうすることもできません。
 あきらめます。
 では、次にどう考えるだろう。ふたつあります。
①残された時間で、自分がやりたいことに優先順位を付けて実行する。(そういう映画が、洋画でも邦画でもありました)
②いつもどおりの暮らしを送って静かにフェードアウトしていく。(消えていく)
 ここまで考えて思いついたことがあります。
 『人生は「時間」だ』
 けして『お金』ではありません。
 自分に与えられた時間を自分が管理・運用していく。
 がんの告知を受ける前に、自分がやりたいことをやり続けていく。
 そんなことを、今の時点で考えました。

 さらに考えたこととして、来年の今ごろも自分が生きているという保障はどこにもない。
 だから、人生に悔いのないように、やりたいことをやりたいときにやれる範囲内でやりとげていく。
 それは、自分だけではなくて、自分のこどもも同じです。
 こどもが行きたいという学校に進学させて、働きたいという仕事をさせて、結婚したいという相手と結婚させて、常にこどもの応援をしていく。
 親として、こどもの進路をふさぐようなことはしない。
 それでもうまくいかなかったのなら自分の『運命』としてあきらめる。

(つづく)

 127ページまで読みました。
 苦悩や苦痛から救われるために『文学』や『音楽』や『絵画芸術』がある。
 娯楽がある。『お笑い』『映画』『映像文化』『ダンス』
 いろいろな『表現』がある。

 現場では現実回避の雰囲気がある。
 がん患者との長い会話、親密な会話、厄介な質問に距離を置きたいという医療事務関係者の本音(ほんね)があります。
 向こう側(患者側)の人とこちら側の人(がん患者ではない)という区分けがあります。
 がん患者との会話は気をつかいます。
 
 『ありがとう』と言わない、言ってくれないがん患者がいます。
 (感謝がない患者)世話をするほうも人間です。困ります。
 
 小学生ぐらいのこどもがいる母親のがん患者がいます。
 母親には回復の見込みがありません。

 がん患者と共感ができない医師は現実にいます。
 がん患者は腹をたててもどうすることもできません。
 他人同士という関係の場合、相手を心底から思うことはむずかしい。

 医療関係者の大切な姿勢として『聴くこと』とあります。
 家族や友人も同様でしょう。
 
 次にがんの部位と会話の対応などについて記述があります。
 脳にできるがん。本人に症状の認識ができないそうです。脳腫瘍の患者は、身体的には健康そうに見える。
 のどのがん。声の機能が失われる。筆談はできても複数の人との同時会話ができなくなる。一対一の会話はできても複数との会話はできなくなる。
 舌がん(ぜつがん)。話す仕事ができなくなる。
 血液とリンパ系のがん。こどもの白血病について書いてあります。こども本人がというよりも、こどもの病気のことで、両親がけんかをする。父親が母親に暴力をふるう。こどもは両親の和解に心を注ぐ。
 血液やリンパ系のがんは若い人によく起こるそうです。オリンピックの女子水泳選手のことが思い出されました。
 生殖器、尿、排せつ系のがん。去勢がらみもあります。夫婦は赤ちゃんがほしい。
 子宮頸がん(しきゅうけいがん)の事例です。がん患者の母親が息子を虐待しています。父親はいませんが、母親と関係がある同居人の男がいます。息子からみれば、頭がおかしくなりそうな状況です。
 乳がんの事例です。がん患者は主治医に看護師の悪口を言います。悪いことはすべて看護師のせいにします。でも最後は心優しい人になります。もう自分は死ぬと、死ぬことを受け入れたからです。看護師に謝罪して亡くなりました。
 
 がん患者の家庭では、家庭内暴力が発生したり、宗教のことで対立したりとか、つらいものがあります。
 生きることがつらくなってくるような環境におかれている人たちがいることがわかります。

 自分も入院体験があるのですが、ベッドでずーっとあおむけに寝ているわけです。
 もう忘れかけているのですが、安静を保つためのしばりとして、最初は、第一段階として、ベッドから降りてはいけない。次に第二段階として、病室を出てはいけない。第三段階が、病棟のフロアーから上下階に移動してはいけない。脳神経外科で手術を受けた時は、そんな段階がありました。
 この本では、がん患者のそんな退屈な一日が心に与える影響が書いてあります。痛みやつらさのことで心がいっぱいになるのです。
 思い出してみると、自分の時は、ベッドから降りてはいけない時は、背中のあちこちが痛くなるので、15分おきぐらいに右肩を上げたり、腰を上げたりと、体の一部分を持ち上げる。そんなことを楽しみにして一日を過ごしながら天井を見上げていました。
 同一フロアー内の移動が可能になったときは、1時間半おきに、散歩と称して、廊下を一周、ゆっくり回って、途中、食堂のような面談スペースで休憩をして時間を経過させていました。
 自由を制限されているわけで、ある意味収監されているような感じがあります。

 書いてある身体感覚のことは、病気を体験したことがない人にはわからないと思います。
 相手の立場にたって面談することはむずかしい。

 耳鳴りのことが書いてあります。
 わたしも耳鳴りに悩まされました。
 耳鼻科ほかを受診して検査を繰り返してもいずこでも異常なしと言われ悩みました。
 なんだか詐病(さびょう。仮病)扱いされたこともあります。
 そのとき思ったのは、医療機関というのは、おとなしくて、すんなり医療費を支払ってくれる患者はウェルカムで、うっとおしい受診者は突き放すとか、関知しないという姿勢なのだなということでした。とかくこの世は金もうけ優先という現実があります。おとなしくて金払のいい、おいしい患者を求めておられることもなきにしもあらずです。
 最終的には、脳内の毛細血管から少しずつ血液が脳内にしみ出していたことが耳鳴りの原因だとわかりました。頭蓋骨に穴をあけて、たまっていた血液を抜いてもらって耳鳴りがなくなりました。

 赤ちゃんの心のもちようは母親の心のもちようと同じになるそうです。
 ピンチでも母親がゆったりしていれば、赤ちゃんも落ち着いている。
 ピンチで母親が取り乱すと、赤ちゃんも不安で泣く。
 ごもっともです。

 『がん恐怖』があるそうです。治療はうまくいっているのに、ご本人はイライラしている。

 実例紹介は、ひとつひとつがドラマのようです。

 医師は誤解しているとあります。
 医師は、人から、自分は情け深いいい人間だと思われていると思い込んでいる。
 (事実はそうではない。むしろ反対に見られている)

 入院病棟は、夜は、戦時中の野戦病院のようになることもあります。
 入院患者たちは寝ていません。眠れないのです。ときには叫んだり、徘徊(はいかい。廊下をうろつく)したりもします。怖いです。(こわいです)
 
 乳がん患者さんは、夫との関係で悩むこともあるようです。
 たいへんです。

 がん患者さんが、覚悟を決める(死ぬということで)ときがあります。
 
 がん患者は家に帰りたい。
 家で死を迎えたい。
 されど、ある人は、家での暮らしに満足したあと、病院に再入院して亡くなっています。
 家にいた時に、ご家族としっかり会話をされて、意思疎通をして、思い残すことがない気持ちになられたのでしょう。病院に戻られて亡くなっています。
 在宅治療は家族に負担と迷惑をかけるから、もういい。もう十分親族と話ができたからもういい。そう思われたのだろうか。たぶんそう思われたのでしょう。
 がん患者は、自分が死んだあと、残される家族のために何をしたらいいのかを考えて、在宅中にご家族とよく話し合いをされたのでしょう。
 ご自宅で、ご親族に生活の引継ぎをされたのでしょう。
 病院で、薬漬けになる前に、お身内に伝えておきたいことがあったのでしょう。

 課題が提示されています。
 『看護師や医師には権力が与えられており……』
 医療スタッフは勘違いをすることがある。患者とその家族は、医療スタッフに気を使っている。医療スタッフはそのことに気づいてほしいというメッセージがあります。
 がん患者は、弱い立場にあります。病院で世話になる家族も同様です。
 医療スタッフは、感情がにぶくなる危険性があると注意喚起を促されています。(うながされています)

 セッション:自分は素人なので、よくわからないのですが、ひとつの治療期間のことをいうようです。
 
 家族がいない人の苦悩があります。
 人生の終わりにあたって、相談相手となる家族がいない。
 医療スタッフは、相談相手になる余裕はありません。
 親族はいるけれど、いろいろあって、付き合いが途切れていて交流がない。
 どうしたらいいのだろう。
 同じがんで入院している人たちと会話をして心を休めることができればいいのにと思いますが、うまくいくときといかないときがありそうです。
 視野を広げれば、がん以外の病気でもありそうなお話です。

 読み終えました。
 複数の人たちが翻訳をして、固めてある本でした。
 旅をするように、本を読む時間帯でした。
 今年読んで良かった一冊です。
 印象に残った文節の要点として『死とは、心臓が止まり、脳が死ぬときです。』(それまで、せいいっぱい生きたい)『がんは、死と同等視されるため……死の宣告以外のなにものではないと感じさせる…… 『断頭台への招待』……』(なにくそ、負けてたまるか!と思いたい)  

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2022年11月18日

おにたのぼうし 文・あまんきみこ 絵・いわさきちひろ

おにたのぼうし 文・あまんきみこ 絵・いわさきちひろ ポプラ社

 1969年第1刷の絵本です。(昭和44年)
 あまんきみこさんはご存命で91歳を迎えられています。
 いわさきちひろさんは、1974年(昭和49年)に肝臓がんのため55歳でご逝去されています。亡くなっても作品は次世代に受け継がれていきます。
 作品には、あまんきみこさんの実体験がベース(下地とか基礎)にあるのだろうと読み終えて思いました。

 『せつぶんの よるの ことです。』から始まります。
 自分の親族に節分生まれの人間がいるので身近に感じます。
 みんなで彼に『鬼の日生まれ』と冷やかしています。
 覚えやすい誕生日でもあります。

 さて、絵本の中では『まこと』という登場します。
 豆まきです。
 そして、本物のくろおに(黒鬼)が物置小屋の天井に住んでいるのです。
 でもおにの体は小さい。名前は『おにた』です。

 おにたにも言い分があります。
 『おににもいろいろある(悪いことをするおにばかりじゃない)』
 おにたが、自分のつのをかくすためにむぎわらぼうしをかぶりました。(なるほど。ぼうしをかぶれば人間の少年に見えます)

 絵本では、外は、真っ白な雪景色です。(先日テレビで見た『東海道人情ふれあい珍道中 ローカル路線バス乗り継ぎの旅 太川&えびす第二弾 2008年(平成20年)3月22日放送分の再放送 東京日本橋-京都三条大橋 BSテレ東』を思い出しました。最後のほうの滋賀県彦根市内は大雪でした。

 ひいらぎの葉:ふちっこがとんがっている。ふれると痛い。魔除け(まよけ)、鬼の侵入を防ぐという言い伝えあり。

 このあと、こおに(小鬼)は、貧しい母子家庭の女の子を助けるというお話です。

 あかごはん:赤飯。もち米に小豆(あずき)を入れる。
 うぐいすまめ:エンドウ豆の砂糖煮。

 昭和時代の温かみが感じられる作品です。
 
 教訓として『神さまは外にはいない。神さまは自分の胸の内(むねのうち、心の中)にいる』
 宗教的な含みもある絵本です。

 ネットで、ほかの人の感想を読みました。
 そうか…… くろおに(黒鬼)は、じぶんを追い出させるためにおんなのこに豆をあげたのか。
 泣けるお話です。  

Posted by 熊太郎 at 07:28Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年11月17日

セカイの空がみえるまち 工藤純子

セカイの空がみえるまち 工藤純子 講談社

 藤崎空良(ふじさきそら 公立中学二年生 半年前から父が失踪している。母が就労を開始した)
 全国大会に出場するような吹奏楽部の部員。部員は50人ぐらい。藤崎は、トランペット担当。東京の上北沢居住です。

 高杉翔(たかすぎ・かける。藤崎と同じクラスで、野球少年。甲子園に行きたい。在日韓国人)
 野球部も甲子園に行ける高校を目指すようなレベルにある。東京新宿区新大久保に居住している。

 この物語は、中学二年生の藤崎と高杉が順番に語る形式の作品です。

 舞台は、東京新宿北、新大久保(コリアンタウン 東京の韓国)、韓国人差別を扱った作品のようです。
 とりあえず42ページまで読みました。

 宮瀬あかね:藤崎空良(ふじさき・そら)のクラスメート。

 野上(たっちゃん):吹奏楽部部長。中学三年生男子。医師の息子で裕福だが性格は良くない。人をばかにする。外面(そとづら)はいい。宮瀬あかねと付き合う。

 明大前駅:世田谷区にある京王電鉄の駅。

 キムさん:高杉翔(たかすぎかける)と同じアパートの住人。韓国人。

 新大久保商店街フードフェスティバル。実行責任者がキムさん。

 ひとみ:高杉翔(たかすぎ・かける)が住むアパートの隣人。

 中村:吹奏楽部金管楽器のリーダーか。(パートリーダー)男子中学三年生。詩人ゲーテの話をする。

 この本は、児童文学だろうか。

 韓国に限らず、国籍差別の話のようです。
 ヘイトスピーチ:差別、排除、侮辱(ぶじょく。見くだしてバカにする)がからむ暴力的な発言。人種、出身国、宗教、性的志向、容姿、障害などが攻撃対象にされる素材になる。
 
 在日(ざいにち):日本にいる韓国籍、朝鮮籍の人。

 『差別』というものは、ひとりの人が、するほうにもなるし、されるほうにもなるという行為です。
 『いじめ』と似ています。女の世界のいじめ。男の世界のいじめ。嫌ですなあ。

 ホットク:韓国のおやつだそうです。甘いあんが入ったホットケーキのようなお菓子。

 クラスメートの父親がいない(行方不明)というような話題(秘密)は、普通、クラスメートにはわからない。
 このくらいのこどもさんの父親は仕事に追われているから家での滞在時間が短かい。
 ゆえに、話のつくりが不自然に感じました。
 中学二年生女子の藤崎空良(ふじさき・そら)が、酔っ払いに自分から声をかけるのも、ちょっと考えられません。

 韓国、中国、台湾、タイ、フィリピン、ベトナム、イラン、トルコ…… 国際色豊かなお話になりそうです。

(つづく)
 
 うーむ。家にお金が無いから公立高校に進学するという発想は古いのではないか。
 今は、援助の補助金とかで、私立高校も無償化に近いという認識を自分はもっています。

 藤崎空良(ふじさき・そら)の父親:機械オタク。電気通信機器エンジニア。
 父と娘の対立あり。どちらかといえば、娘が一方的に父親を嫌っている。(よくある話です)
 父の理想あり。父の理想は、利益を追うより社会に貢献したい。(働くときに、だれもが必ず持たねばならない就労の動機です。そうでないと不祥事が起きます。内部犯行はやりたい放題になります)
 
 この先の展開予想として、藤崎空良(ふじさき・そら)の父親は、新宿区『新大久保地区』で働くのではなかろうか。(違っていました)

 野球のことが書いてあります。
 野球をするこどもは減りました。
 なんというか、時代は変化していて、もう競争主義、勝利至上主義の意識の強さは弱まってきていると感じています。
 勝つことで得をするのは、ごく一部の特定の人だけです。
 優れた選手は、だれかの都合のいいように利用されているような気がしてなりません。
 有名になれなくても、健康で長生きが一番です。
 そして『急げ(いそげ)!』とか『速く・早く(やる)』ことに何の意味があるのか。勝つことに何の意味があるのか。時間は十分にある。ものごとの期限は死ぬお迎えが来る時です。急ぐことはないのです。無理して体を壊して死んだら終わりです。

 ここまで読んできて、これは、女子中学生向けの本だと理解しました。
 今は、根性悪のおじいさんが読んでます。(自分のことです)
 自分は、なにか勘違いして購入してしまいました。
 それでも、しまい(終わり)まで読みます。

 『オーメンズ・オブ・ラブ』オーメンズとは、ホラー映画のことだろうか。調べました。『恋の予感』らしい。
 続けて読んで、どうもそのようです。中学生男女のラブです。中学生男女の恋の予感です。
 参考までにホラー映画『オーメン』は、1976年アメリカ合衆国映画。頭に『666』のアザをもつ悪魔の子ダミアンが出てくる。

 自分は上北沢も新大久保も行ったことはありません。
 若い時だったら行ってみたいと思いますが、もう歳をとったので無理をして行きたくもありません。
 テレビのアドマチック天国とか、モヤモヤさまぁ~ずとか、千鳥の相席食堂などの番組映像で観るだけで満足です。
 この物語では、日本人と韓国人、日本人の良好な住宅地と国際色豊かな繁華街の街とを意図的に並べて比較して、著者は何かを表現しようとしています。

 中学生がハローワーク(職業安定所)を訪ねるのは不自然に感じました。
 なにやらハローワークを知るための研修本のようになってきました。
 
 『新大久保』は、狭い区域にある国際社会のようです。

(つづく)

 『大久保公園(新宿区歌舞伎町)』名古屋市内だと中区にある『池田公園』のようなところのイメージです。歓楽街にある公園で外国人も多い。

 いろいろと複雑な家庭事情が紹介されます。父親が失踪していたり、母親が複数いたりです。親の役割を果たせないおとなもいます。
 作者は、環境の違う人間を無理にくっつけようとしてはいないか。
 お嬢様育ちの藤崎空良(ふじさき・そら)と外国人繁華街育ちの高杉翔(たかすぎ・かける)中学二年生同士です。

 グロス:リップグロス。化粧品。くちびるに塗る。

 新大久保駅乗客転落事故:2001年(平成13年)1月26日。鉄道事故で3名死亡。泥酔してホームから転落した日本人男性を助けようとした韓国人留学生、そして日本人カメラマンの3名が電車と接触して亡くなったということがありました。

 中学生向けのためなのか『お金』のお話は出てきません。(読み進めていて、その後、出てきました。お金目的で外国人女性が土地持ちの日本人男性に近づくのです)

 ヘイトスピーチをする人は、いくら説明してもその行為をやめてくれなさそうです。これも一種の洗脳(せんのう。暗示にかけられた人。思考をだれかに支配される)なのかもしれません。

 『場所の持つ運勢』というものがあると自分は自分の人生体験から悟っています。
 何年たっても同じことが同じ場所で繰り返されます。
 やる人が入れ替わるだけで、そこで起きる出来事は同じ事が繰り返されるのです。

 中学二年生の藤崎空良(ふじさき・そら)がなぜ職業安定所に行くのかわかりませんでしたが、失踪した父親がもしかしたらいるかもしれないからという動機に、物語の最後のあたりでようやく気づきました。
 ただ、こどもを置いていなくなるような親は追いかける必要はないと思います。
 わたしだったら自分を捨てる親に『もう来なくていいよ』と言っちゃいそうです。『自分でやるからあなたはいなくていい』
 藤崎空良(ふじさき・そら)は、人がいいというか、優しいというか、抜けているというか……

 キムパプ:韓国の海苔巻き(のりまき)
 トッポキ:穴の開いていない太いマカロニのようなもの。餅炒め(もちいため)
 サムギョプサル:ブタの焼き肉。(先日動画配信サービスでみた東野&岡村の旅猿で、ゲストの森三中黒沢かずこさんがサムギョプサルの焼き方で、今田耕司さんがらみで失敗をしたことがあると話していたのを思い出しました)

 おいしいものを食べて飲んで交流を深めます。

 ヤマトナデシコ:死語ではなかろうか。日本人女性は従順でおとなしい。おしとやか。男を立てる。男からの視線で見た男尊女卑言葉だと思います。ナデシコなんとかは、男にとって都合のいい、男のための名付けなのです。
 配偶者である妻を自分の所有物のような視点で見て、妻を家政婦や奴隷扱いをするような男性とは関わりをもたないほうがいいと、この本を読むであろう女子中学生にアドバイスします。
 見た目のかっこよさだけで相手を選ぶと悩みますよ。
 男の経済力にすがって、自分の気持ちを押し殺すような生き方はつらい。
 未来を迎える男子中学生も気にとめておいてほしい。強権的な夫は妻子から「あなたがそばにいると、楽しい雰囲気がだいなしになるのよ。体を動かさずに口だけ動かして文句ばかり言う。まわりが暗くなる」と指摘されます。

 (話は物語からはずれますが、この本を読んでいた頃、韓国で群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)の悲劇的な事故が起きました。たくさんの人が亡くなりました。内容は、防げた事故です。交通整理をする人間がいなかった。これは、人災です)
 
 野球のことが、ていねいに長い文章を使って書いてあります。

 フィリピン人、中国人、ベトナム人、韓国人、いろんな国籍の人たちが、新大久保地域にお住まいです。
 
 『許容』とか『諦観(ていかん。あきらめ)』とか、そうやって生きていく話です。

 朝鮮人参:薬草。元気になる。高価。

 高杉翔(たかすぎ・かける)の母親と藤崎空良(ふじさき・そら)のイメージが重なるシーンは理解できませんでした。

 良かった文章として『ここでは、転がり落ちるのは(ころがりおちるのは)簡単だ。』

 高杉翔(たかすぎ・かける)の父親は、家賃収入で暮らしている酒飲み男です。

 『世の中には、どうしようもない親だってたくさんいるんだ……』(賛成です。親を頼るな)
 『産んだんだから責任をとれ……』(いくら文句を言っても何も変わらない。親に期待するな。嘆くな)

 物語のように血のつながりがなくても、めんどうをみてくれる人はいます。
 ただ反社会勢力の人にめんどうをみてもらってはいけません。利用されます。

 中学生の話ですが、作者は力をこめて書いています。
 人生の先は長い。中学生だと、まだスタートもしていない人生の位置です。
 人生のスタートは二十歳過ぎてからです。それまでは、ただ、ごにょごにょしているだけです。

 吹奏楽部の伝統行事として毎年夏休みに『肝試し大会』があるという設定は不思議です。そんなことがあるのだろうか。お化けを演じる中学生がいます。

 ラストはさわやかでした。  

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2022年11月14日

まあちゃんのながいかみ たかどの ほうこ

まあちゃんのながいかみ たかどの ほうこ・作 福音館

 なかなかいい絵本でした。
 親せきのちびっこたちにプレゼントする絵本の一冊にします。
 女の子たちにうける絵本です。
 1989年(平成元年)の作品です。

 表紙には、迷路のようなぐるぐる道が表現してあります。
 こういう迷路のようなルートは、こどもさんが好きです。
 指で道をなぞりながら、ぶつぶついろいろつぶやくのです。
 道を形成しているのは髪の毛です。

 まあちゃんです。
 やさしげな女の子です。
 
 まあちゃんのおともだちが『はあちゃん』と『みいちゃん』です。
 ふたりとも髪の毛が長い。ロン毛ヘアです。
 あたまのてっぺんに、リボンをつけているのが『はあちゃん』です。
 いっぽう、主人公のまあちゃんは、短髪(たんぱつ)です。ショートヘアーです。

 6ページの絵がとてつもなくおもしろい。
 絵本を回転させて、縦長構図の絵本に変化させます。

 9ページは、もとにもどって横長絵本です。
 牛が出てきます。

 11ページ、あれまあ発想がいい。
 久しぶりにミノムシを思い出しました。
 こどものころよくミノムシを拾いました。
 身近な場所に林がありました。

 13ページ、なかなかいい。
 まあちゃんは、4さいの女の子です。
 
 16ページの絵は豪快です。
 洗髪するときのシャンプーの絵です。
 てんこもりです。
 自分たちが台湾旅行に行ったときを思い出しました。
 足つぼマッサージと理髪のセットで観光を楽しみました。
 シャンプーの泡(あわ)がてんこもりでびっくりしました。
 そのときと同じような状態が絵本の絵になっています。
 台湾の床屋さんで、台湾での今どきはやりのヘアスタイルにしてもらいました。
 足つぼマッサージはむちゃむちゃ痛かった。イテーと叫びました。
 なつかしい旅の思い出です。

 19ページ、絵はさらに豪快さを増します。
 21ページ、すごすぎてもうほめ言葉が出てきません。
 はじっこにいるちっちゃなワンちゃんがかわいい。

 23ページまで読んできて、ふと気づきました。
 まあちゃんの髪の毛は短髪なのです。
 短髪なのに、自分が長髪だったらというお話を長々と、長髪であるはあちゃんとみいちゃんにし続けているのです。
 深く考えると、まあちゃんが、ふたりにそうしてほしいというお願いがあります。
 もうひとつは、自分がそうなりたいという願望があります。

 まあちゃんは実際には短髪のままで、長髪だったらという仮定で空想をふくらませていきます。
 お話をしているまあちゃんの髪の毛はショートヘアーのままで、お話がどんどん進んでも、まあちゃんの短髪に変化はありません。
 そこに、味わいがあります。

 さいごの『おしまい』がよかった。
 今年読んで良かった一冊でした。  

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2022年11月10日

説教したがる男たち レベッカ・ソルニット

説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社

 今回読む本は、韓国人女性が書いた作品『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』の中で書かれていた本です。「男は女を殺す」という内容で説明がありました。
 本の趣旨としては、女性差別反対! 女性を男性の支配から解放するというメッセージだと思います。

 読み始めます。
 エッセイが9本あります。(エッセイ:短い文章でなにかを表現する)

『1 説教したがる男たち』
 アスペン山麓(さんろく):アメリカ合衆国コロラド州アスペン市。高度2740m。
 40代の筆者と友人らしきサリーです。
 カンタベリー物語:14世紀イングランドの詩人ジェフリー・チョーサーが書いた物語集。当時のあちらこちらの物語を集めてある。カンタベリー大聖堂(イギリスにある教会)。

 女性の内面で起きる戦争:女性の意見が男性に否定される。男性から女性である自分がいなくてもいい存在扱いをされる。
 中東各国では、女性の証言が法的に保障されていない。男性の目撃者が必要とされる。
 
 読んでいると怖くなってくる(こわくなってくる)本です。
 女性が、動物や虫けらのように殺されていきます。殺すのは男です。殺す加害者は『配偶者』『元配偶者』です。
 『暴力は人々を沈黙させる』
 
 女性が人間としての地位を獲得したのは、1970年代なかば(昭和50年以降)とあります。

 女性は性暴力にさらされている。

 47歳のとき、著者は「説教したがる男たち」というエッセイを書こうと思った。2008年です。(平成20年)

 『行きたい場所に行き、言いたいことを言うのは、生存のための……(権利だ)』移動の自由、表現の自由が女性から奪われていた過去があります。

『2 長すぎる戦い』
 アメリカ合衆国の治安の悪さについて書いてあります。レイプ事件が多い。(強姦ごうかん。性行為の強要)
 読んでいると、アメリカ合衆国は銃を所持してもいい社会であり、治安の悪さの面で、観光旅行に行くことが嫌な気分になります。
 悲惨(ひさん)なことがいっぱい書いてあります。『この国も全地球も……(女性に対する暴力であふれている)』
 レイプの加害者が警官であったりもします。高校や大学のアスリート(スポーツ選手)男性も信用できません。
 女性はやられるばかりです。被害者である女性のほうが自殺することもあります。
 どうしてこんな男たちがいるのか。大半の男たちは節度を守ってちゃんとしている。『(加害者は)胎児の時期に受動喫煙があった(ゆえに脳みその中身にゆがみがあるというような記述)。両親が非社交的。低所得者層』そんなことが書いてあります。

 性的な誘いを拒否すると男に殺される。
 男から卑猥な(ひわいな)言葉を浴びせかけられるそうです。
 著者は、女性であることの危険性を訴えています。

 政党である共和党のこととか、中絶禁止についての賛否のことが書いてあります。
 『レイプされた女性の体は、妊娠を避けるよう機能するはずだ』という共和党員の発言があるそうです。(わけがわかりません。その共和党員男性の頭の中のつくりはどうなっているのだろうか)
 『レイプによる妊娠は神の恩寵(おんちょう)』という主張があるそうです。恩寵(おんちょう。神さまからの恵み)そんな発言は、もう犯罪です。
 実父や義父によるレイプ。(めちゃくちゃです。本来こどもを守るべき立場の人です。人でなしです)
 読みながら思うのは『安全であることをどうやって確保したらいいのか』
 50ページまで読んで、アメリカ合衆国に対する『絶望』と『失意』が芽生えました。アメリカ合衆国もロシアも中国もインドも似たようなものなのかも。

『3 豪奢(ごうしゃ。とても豪華)なスイートルームで衝突する世界 IMFとグローバルな不正義と電車の中の他人について』
 ひとつは、男女を国名に変えて説明があります。
 男:(支配する側。富。)ヨーロッパ、アメリカ合衆国、
 女:(支配される側。貧困)アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、
 もうひとつは、組織の上層部にいる幹部の男性にいい人はいないということです。
 性暴力をふるう男性が、IMF(国際通貨基金)にいた。『金を払うから(なにをやっても)いいだろう』です。
 最近どこかで聞いたようなお話です。俳優さんとか。企業のトップとか。
 ストレス解消が女性に対する飲酒をともなった性暴力です。
 英雄色を好むということもあります。

 現実として『暴力には暴力で対抗しないと自分の体を守れない』

 多数の貧困者とひとにぎりの富豪がいる。

 過去の失敗を失敗と認めて未来を考える。

 女性は、声をあげることで、男の名誉と栄光を奪うことができる。
 男の名誉と栄光は、女性の犠牲のうえにあると読み取ることができます。
 男は、女をまるでゴミのように捨てることがある。

 彼の名前は『特権』。
 彼女の名前は『可能性』。永遠に語り継ぐ。けして完結しない物語を語り継ぐ。

 男は大金で問題にケリをつけようとする。
 女性に大金を支払って黙らせる。
 黙る女性はいる。
 和解が成立する。
 女性を責めることはできない。

 加害者がいたぶる相手は複数。加害行為は常習ということもある。
 加害者は偉いさんです。(組織の幹部)
 貧しい移民の女性が民事訴訟で、偉いさんである男性に性暴力をふるわれたと訴えて責めます。偉いさんは、お金で和解しようとします。女性は貧しいからお金をもらってあきらめます。

『4 脅威を称えて(たたえて) 結婚の平等が真に意味するもの』
 アメリカ合衆国保守派の同性婚に対する批判について書いてあります。
 
 日本の場合は、国民の整理整とん、おおぜいいる人間の交通整理の手段として、戸籍制度があるので、同性婚とか夫婦別姓を認めるためには、戸籍制度自体を触(さわ)らなければならないという困難さがあると自分は考えています。
 システムを変えなければ『同性婚』『夫婦別姓』の実行ができません。法律の改正とか新たに法律をつくる必要があります。国民全体のことを考えるとなかなかむずかしいものがあります。

 過去の歴史として、夫がボスで、配偶者である女性は、夫の所有物だった。
 女性は、召使い、奴隷の扱いで、男女平等ではなかった。
 夫は外で仕事、妻は家で家事というのもその考え方にあてはまる。

 結婚とは、こどもをもって育てること。
 現代では、人工授精、代理妻、養子制度もある。
 血がつながっている親子兄弟姉妹親族でも交流がうまくいかないこともある。
 血がつながっていなくても仲良しで暮らしていける人もいる。性別も関係ない。
 そんなことが書いてあります。

『5 グランドマザー・スパイダー』
 絵画の話です。
 一枚の絵がありますが、人物である女性の顔と体は布におおわれていて見えません。ひざから下の足が見えるだけです。
 絵の中で、女は存在しているのに消されていると、分析と批判の表現があります。

 家系図の話があります。男である父系図です。男系図ですから、女性の名前はありません。
 父権主義的な血統主義です。
 意味をとれないのですが、やがて排除されてしまうことを『グランドマザー』と呼ぶそうです。
 ほとんどの文化で、こどもは父親の名前を受け継ぐ。既婚女性は、ミセスだれそれ(男の名前)で呼ばれる。
 結婚によって、妻は夫の枠に組み入れられる。
 家族写真に夫と男のこどもは映っているが、妻と女のこどもは写っていない。(アフガニスタンの話。女は全身をヴェールやブルカで顔や体をおおっていた)
 
 読んでいて、外国世界での女性差別の厳しさが伝わってきます。

 『映画』『絵画』『歌唱』『写真』には、女性解放のメッセージがある。
 沈黙に追い込まれずに歌うとあります。

 精神的にかなり重たい話が続きます。

『6 ウルフの闇 説明しがたいものを受け入れること』
 1915年、ヴァージニア・ウルフは33歳の女性だったから始まります。イギリスの作家さんだそうです。精神病疾患があったようで59歳で自殺されています。
 日記にある言葉が『未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ』自分には言葉の意味がとれません。
 自分が女であるから未来が暗いのか。
 彼女の言葉として『女である私に国はありません』
 
 哲学的で内容はむずかしい。

『変態に囲まれたカサンドラ』
 カサンドラというのは女性の名前で、女だから真実を言っても信じてもらえなかったそうです。
 トロイの王女カサンドラだそうです。
 王女でも信じてもらえないのか。親族から狂った嘘つきと言われたそうです。

 女性には『主張』という概念がない。事実の有無以前に、女性にはなにかメッセージを発する能力も権利もないとされている。
 女であることが、アキレスけん(弱み)扱いされる。
 
 人を攻撃することに快感をもつ人たちがいます。
 女性たちは虐待の対象です。
 フロイトという精神科医が出てきます。

 虐待の加害者である男は『合意があった』と主張します。
 性的異常者がよく使う言い訳です。
 権力者が性的異常者であることがある。
 裁判官がセクハラの加害者であることもあると事例が紹介されています。
 なんでもありです。恐ろしい。
 大学構内もやばい。軍隊内部でも性的暴行が蔓延(まんえん)しているという紹介が続きます。(日本でもニュースで流れていました)
 著者は、横暴な男たちと闘っています。
 女性が出世するためにやむなくセクハラに応じる悲しさが書いてあります。
 この本は、厳しい本です。

 冤罪の話がでます。(えんざい。事実ではないことで罪を負わされる)

『#女はみんなそう』
 対立をサッカーのワールドカップにたとえてあります。
 フェミニスト(女性解放運動家)のオールスター・チーム「広範な社会問題」 VS メインストリームのメディアと男たちチーム「ほかの出来事とは無関係」(ちょっと、自分には意味がわかりません)
 男チームは女チームを責める時『精神疾患』と言います。
 
 アメリカ合衆国の統合失調症の患者たちは『暴力をふるえ』という幻聴の声を聴く。
 
 『#女はみんなそう』が、はやったことが書いてあります。
 女性同士の対話が大量に繰り返されたそうです。

 言葉を武器にする。
 冒頭に書いた先日読んだ本につながります。
 『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』
 
 男は、上司が(女性に対して)助平(すけべえ)なことを言い、性的なサービスを要求したことが問題になるとは思っていない。
 男は、夫が妻をレイプすることが犯罪だとは思っていない。夫の部分が「恋人」になったりもします。

救いのコメントもあります。『多くの男性はレイプ犯ではないし、多くの女性は被害者になることはないのだが……』
 男の権利が女の権利を蹂躙する。(じゅうりん:踏みにじる。侵害する。傷つける)

『9 パンドラの箱と自警団』
 読んでいて思ったことです。
 歴史上、現在が一番民主的ということはない。
 人類は常に『途中経過』の途上(とじょう)にいる。

 書いてあることの主旨(しゅし)として、警官は、女に肌をあらわにするようなみだらな服装をするなとは言うけれど、警官は、男には、レイプをするなとは言わない。
 事件の責任は、女のほうにあるとされる。(くやしい)

<全体を読み終えて>
 今まで知らなかった世界をこの本で知りました。
 窓を開けて、今まで見たことのない世界をながめた気分です。
 自分はもう仕事をリタイアした身分で、さらに、心身の老化で男の部分もリタイアした気分なので、傍観者(ぼうかんしゃ)の立場で、窓の外の風景をながめるような感覚です。
 徒然草(つれづれぐさ)を書いた吉田兼好(よしだけんこう)法師のような気分で毎日を過ごしています。
 男に対して怒りを感じている女性がこの本を読まれると、気持ちがすーっとするかもしれません。  

Posted by 熊太郎 at 06:39Comments(0)TrackBack(0)読書感想文