2022年11月17日

セカイの空がみえるまち 工藤純子

セカイの空がみえるまち 工藤純子 講談社

 藤崎空良(ふじさきそら 公立中学二年生 半年前から父が失踪している。母が就労を開始した)
 全国大会に出場するような吹奏楽部の部員。部員は50人ぐらい。藤崎は、トランペット担当。東京の上北沢居住です。

 高杉翔(たかすぎ・かける。藤崎と同じクラスで、野球少年。甲子園に行きたい。在日韓国人)
 野球部も甲子園に行ける高校を目指すようなレベルにある。東京新宿区新大久保に居住している。

 この物語は、中学二年生の藤崎と高杉が順番に語る形式の作品です。

 舞台は、東京新宿北、新大久保(コリアンタウン 東京の韓国)、韓国人差別を扱った作品のようです。
 とりあえず42ページまで読みました。

 宮瀬あかね:藤崎空良(ふじさき・そら)のクラスメート。

 野上(たっちゃん):吹奏楽部部長。中学三年生男子。医師の息子で裕福だが性格は良くない。人をばかにする。外面(そとづら)はいい。宮瀬あかねと付き合う。

 明大前駅:世田谷区にある京王電鉄の駅。

 キムさん:高杉翔(たかすぎかける)と同じアパートの住人。韓国人。

 新大久保商店街フードフェスティバル。実行責任者がキムさん。

 ひとみ:高杉翔(たかすぎ・かける)が住むアパートの隣人。

 中村:吹奏楽部金管楽器のリーダーか。(パートリーダー)男子中学三年生。詩人ゲーテの話をする。

 この本は、児童文学だろうか。

 韓国に限らず、国籍差別の話のようです。
 ヘイトスピーチ:差別、排除、侮辱(ぶじょく。見くだしてバカにする)がからむ暴力的な発言。人種、出身国、宗教、性的志向、容姿、障害などが攻撃対象にされる素材になる。
 
 在日(ざいにち):日本にいる韓国籍、朝鮮籍の人。

 『差別』というものは、ひとりの人が、するほうにもなるし、されるほうにもなるという行為です。
 『いじめ』と似ています。女の世界のいじめ。男の世界のいじめ。嫌ですなあ。

 ホットク:韓国のおやつだそうです。甘いあんが入ったホットケーキのようなお菓子。

 クラスメートの父親がいない(行方不明)というような話題(秘密)は、普通、クラスメートにはわからない。
 このくらいのこどもさんの父親は仕事に追われているから家での滞在時間が短かい。
 ゆえに、話のつくりが不自然に感じました。
 中学二年生女子の藤崎空良(ふじさき・そら)が、酔っ払いに自分から声をかけるのも、ちょっと考えられません。

 韓国、中国、台湾、タイ、フィリピン、ベトナム、イラン、トルコ…… 国際色豊かなお話になりそうです。

(つづく)
 
 うーむ。家にお金が無いから公立高校に進学するという発想は古いのではないか。
 今は、援助の補助金とかで、私立高校も無償化に近いという認識を自分はもっています。

 藤崎空良(ふじさき・そら)の父親:機械オタク。電気通信機器エンジニア。
 父と娘の対立あり。どちらかといえば、娘が一方的に父親を嫌っている。(よくある話です)
 父の理想あり。父の理想は、利益を追うより社会に貢献したい。(働くときに、だれもが必ず持たねばならない就労の動機です。そうでないと不祥事が起きます。内部犯行はやりたい放題になります)
 
 この先の展開予想として、藤崎空良(ふじさき・そら)の父親は、新宿区『新大久保地区』で働くのではなかろうか。(違っていました)

 野球のことが書いてあります。
 野球をするこどもは減りました。
 なんというか、時代は変化していて、もう競争主義、勝利至上主義の意識の強さは弱まってきていると感じています。
 勝つことで得をするのは、ごく一部の特定の人だけです。
 優れた選手は、だれかの都合のいいように利用されているような気がしてなりません。
 有名になれなくても、健康で長生きが一番です。
 そして『急げ(いそげ)!』とか『速く・早く(やる)』ことに何の意味があるのか。勝つことに何の意味があるのか。時間は十分にある。ものごとの期限は死ぬお迎えが来る時です。急ぐことはないのです。無理して体を壊して死んだら終わりです。

 ここまで読んできて、これは、女子中学生向けの本だと理解しました。
 今は、根性悪のおじいさんが読んでます。(自分のことです)
 自分は、なにか勘違いして購入してしまいました。
 それでも、しまい(終わり)まで読みます。

 『オーメンズ・オブ・ラブ』オーメンズとは、ホラー映画のことだろうか。調べました。『恋の予感』らしい。
 続けて読んで、どうもそのようです。中学生男女のラブです。中学生男女の恋の予感です。
 参考までにホラー映画『オーメン』は、1976年アメリカ合衆国映画。頭に『666』のアザをもつ悪魔の子ダミアンが出てくる。

 自分は上北沢も新大久保も行ったことはありません。
 若い時だったら行ってみたいと思いますが、もう歳をとったので無理をして行きたくもありません。
 テレビのアドマチック天国とか、モヤモヤさまぁ~ずとか、千鳥の相席食堂などの番組映像で観るだけで満足です。
 この物語では、日本人と韓国人、日本人の良好な住宅地と国際色豊かな繁華街の街とを意図的に並べて比較して、著者は何かを表現しようとしています。

 中学生がハローワーク(職業安定所)を訪ねるのは不自然に感じました。
 なにやらハローワークを知るための研修本のようになってきました。
 
 『新大久保』は、狭い区域にある国際社会のようです。

(つづく)

 『大久保公園(新宿区歌舞伎町)』名古屋市内だと中区にある『池田公園』のようなところのイメージです。歓楽街にある公園で外国人も多い。

 いろいろと複雑な家庭事情が紹介されます。父親が失踪していたり、母親が複数いたりです。親の役割を果たせないおとなもいます。
 作者は、環境の違う人間を無理にくっつけようとしてはいないか。
 お嬢様育ちの藤崎空良(ふじさき・そら)と外国人繁華街育ちの高杉翔(たかすぎ・かける)中学二年生同士です。

 グロス:リップグロス。化粧品。くちびるに塗る。

 新大久保駅乗客転落事故:2001年(平成13年)1月26日。鉄道事故で3名死亡。泥酔してホームから転落した日本人男性を助けようとした韓国人留学生、そして日本人カメラマンの3名が電車と接触して亡くなったということがありました。

 中学生向けのためなのか『お金』のお話は出てきません。(読み進めていて、その後、出てきました。お金目的で外国人女性が土地持ちの日本人男性に近づくのです)

 ヘイトスピーチをする人は、いくら説明してもその行為をやめてくれなさそうです。これも一種の洗脳(せんのう。暗示にかけられた人。思考をだれかに支配される)なのかもしれません。

 『場所の持つ運勢』というものがあると自分は自分の人生体験から悟っています。
 何年たっても同じことが同じ場所で繰り返されます。
 やる人が入れ替わるだけで、そこで起きる出来事は同じ事が繰り返されるのです。

 中学二年生の藤崎空良(ふじさき・そら)がなぜ職業安定所に行くのかわかりませんでしたが、失踪した父親がもしかしたらいるかもしれないからという動機に、物語の最後のあたりでようやく気づきました。
 ただ、こどもを置いていなくなるような親は追いかける必要はないと思います。
 わたしだったら自分を捨てる親に『もう来なくていいよ』と言っちゃいそうです。『自分でやるからあなたはいなくていい』
 藤崎空良(ふじさき・そら)は、人がいいというか、優しいというか、抜けているというか……

 キムパプ:韓国の海苔巻き(のりまき)
 トッポキ:穴の開いていない太いマカロニのようなもの。餅炒め(もちいため)
 サムギョプサル:ブタの焼き肉。(先日動画配信サービスでみた東野&岡村の旅猿で、ゲストの森三中黒沢かずこさんがサムギョプサルの焼き方で、今田耕司さんがらみで失敗をしたことがあると話していたのを思い出しました)

 おいしいものを食べて飲んで交流を深めます。

 ヤマトナデシコ:死語ではなかろうか。日本人女性は従順でおとなしい。おしとやか。男を立てる。男からの視線で見た男尊女卑言葉だと思います。ナデシコなんとかは、男にとって都合のいい、男のための名付けなのです。
 配偶者である妻を自分の所有物のような視点で見て、妻を家政婦や奴隷扱いをするような男性とは関わりをもたないほうがいいと、この本を読むであろう女子中学生にアドバイスします。
 見た目のかっこよさだけで相手を選ぶと悩みますよ。
 男の経済力にすがって、自分の気持ちを押し殺すような生き方はつらい。
 未来を迎える男子中学生も気にとめておいてほしい。強権的な夫は妻子から「あなたがそばにいると、楽しい雰囲気がだいなしになるのよ。体を動かさずに口だけ動かして文句ばかり言う。まわりが暗くなる」と指摘されます。

 (話は物語からはずれますが、この本を読んでいた頃、韓国で群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)の悲劇的な事故が起きました。たくさんの人が亡くなりました。内容は、防げた事故です。交通整理をする人間がいなかった。これは、人災です)
 
 野球のことが、ていねいに長い文章を使って書いてあります。

 フィリピン人、中国人、ベトナム人、韓国人、いろんな国籍の人たちが、新大久保地域にお住まいです。
 
 『許容』とか『諦観(ていかん。あきらめ)』とか、そうやって生きていく話です。

 朝鮮人参:薬草。元気になる。高価。

 高杉翔(たかすぎ・かける)の母親と藤崎空良(ふじさき・そら)のイメージが重なるシーンは理解できませんでした。

 良かった文章として『ここでは、転がり落ちるのは(ころがりおちるのは)簡単だ。』

 高杉翔(たかすぎ・かける)の父親は、家賃収入で暮らしている酒飲み男です。

 『世の中には、どうしようもない親だってたくさんいるんだ……』(賛成です。親を頼るな)
 『産んだんだから責任をとれ……』(いくら文句を言っても何も変わらない。親に期待するな。嘆くな)

 物語のように血のつながりがなくても、めんどうをみてくれる人はいます。
 ただ反社会勢力の人にめんどうをみてもらってはいけません。利用されます。

 中学生の話ですが、作者は力をこめて書いています。
 人生の先は長い。中学生だと、まだスタートもしていない人生の位置です。
 人生のスタートは二十歳過ぎてからです。それまでは、ただ、ごにょごにょしているだけです。

 吹奏楽部の伝統行事として毎年夏休みに『肝試し大会』があるという設定は不思議です。そんなことがあるのだろうか。お化けを演じる中学生がいます。

 ラストはさわやかでした。

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