2022年11月09日

ともだちが ほしかった おばけ

ともだちが ほしかった おばけ スザンヌ・コフマン作 ふしみみさを訳 光村教育図書

 2022年8月発行の絵本です。
 本のカバーにある白いおばけがかわいい。
 おばけのQ太郎は毛が三本ですが、こちらのおばけは毛がありません。
 まんまるめがねをかけていて、ほっぺたが青森のりんご娘みたいに真っ赤です。

 表紙をめくって、おばけが、やっぱりかわいい。
 雨が降っています。
 おばけはだれにも見えないようです。
 だから、ともだちがいません。

 昔見た洋画『キャスパー』を思い出します。
 絵本の絵は外国です。

 おばけも人間と同じで『孤独』がにがてです。
 
 人間たちのすぐそばにいても、だれもおばけの存在に気がついてくれません。
 気づくのは、犬のブラウンだけです。(なるほど)
 だからおばけは<さみしい>
 
 ところがあるひ……
 赤い風船が現れました。

 ともだちのつくりかたです。
 似た者同士がともだちになりやすい。

 絵本に最初から出てくるこのおばけは、女子ではなかろうか。
 赤い風船と仲良しになれたおばけです。
 風船だけど風船じゃない。
 友だちはいつか恋人になったりもする。
 いつもいっしょ。
 たいていいっしょ。
 
 起承転結の転です。
 おばけのともだちである赤い風船がいなくなってしまいました。
 人間界でもたまにあることです。
 探しても探しても見つかりません。

 ていねいな絵です。

 だんだん気持ちがしぼむおばけです。
 風船がしぼむように気持ちもしぼんでいきます。

 赤い風船は赤い風船ではありませんでした。
 真実を知りたい方は、絵本を買ってください。
 うまくいえないけれど、こういうことって大事なんだろうなあという絵本です。
 『なんでもないこと』が大事なのです。
 THE 虎舞竜(ザ・トラブル)高橋ジョージさんの歌曲『ロード』を思い出します。
 今年放映されたNHK『72時間』の特集番組の時に出演された方も同様のコメントをお話しされていました。
 青森県恐山(おそれざん)の72時間という番組を観終わって、親しかった人を亡くして、思い出してみれば、なんでもない日常生活のなかに幸せがあったとふりかえるものでした。
 なにかしら口実(こうじつ。きっかけづくりの材料)をつくって、人が集まって、飲み食いをして、どうということもない話をしてその場を過ごす。
 宴(えん。うたげ)が終わったら別れて、また集まって、そんなことを繰り返しながら歳をとって、ひとりずつ天寿を全うして(まっとうして)、この世にお別れをしていく。
 そんな日常生活を送ることが幸せなことだと、歳をとって気づかされました。  

Posted by 熊太郎 at 06:28Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年11月08日

百花(ひゃっか) 川村元気

百花(ひゃっか) 川村元気 文春文庫

 菅田将暉さん(すだまさきさん)がテレビで、この本が原作映画の宣伝をしていました。とりあえず本を読んでみます。
 認知症の母親と、その息子の話ということが、前知識としてあります。

 葛西泉(かさい・いずみ):読み始めは、女性だと思い込んで読んでいました。男性でした。名前で性別がわかりにくいのには理由があります。本に書いてあります。
 葛西泉は、東京都心のマンションに住んでいます。ハヤシライスが好き。卵焼きも好き。妻が香織さんです。
年末に泉さんだけが、母親がいる実家に帰っています。夫婦仲が悪いわけじゃありません。たまたまです。読んでいて、泉さんは37歳ぐらいだろうかと想像しました。
 泉さんは、実家を出てから15年が経過しています。音楽関連会社勤務。妻とは社内結婚。ふたりともレコーディングディレクター職のようです。葛西泉には、父親がいない。母親である葛西百合子は未婚の母です。

 葛西香織:葛西泉の妻。妊娠している。8月にこどもが産まれる。だれかが生まれれば、だれかが亡くなるのがこの世の常です。香織さんは、音楽会社の優秀なディレクター職。夫の泉より優秀らしい。

 葛西百合子:葛西泉の未婚の母。68歳。年金収入とこども対象のピアノ講師として生活している。
 お話は、シューマンの曲「トロイメライ」から始まります。本人は、音大卒の美人ピアニストとして生活してきた。今は、ひとり暮らしをしている。ご本人の誕生日は元旦だそうです。
 先日『モヤモヤさまぁ~ず』で、広島県尾道市が紹介されて、大林宣彦監督(おおばやしのぶひこ監督)映画作品『転校生』の紹介がありました。その映画のバックグランドミュージックもトロイメライだったことを思い出しました。こちらの作品にトロイメライが出てくるのも著者が同作品の影響を受けているのかもしれません。(ふと思い出しました。まだ、とても若かったころ、映画館でまだ結婚する前の妻と『転校生』を観ました。妻とは長い付き合いになりました。『転校生』は名作です)

 KOE:女性。ユーチューバーのような人か。歌手。KOEには、父親がいない。本人は、アーティスト。音楽会社にとってお金になる人。でもわがままな人。インターネットで歌声が有名になった。音楽の才能あり。
 KOEには、離婚歴ありのカメラマンをしている彼氏がいたが、彼氏が韓国人ダンサーと浮気をして、KOEとの関係は破局したそうです。

 谷尻:葛西泉の会社の同僚。新人アーティスト育成担当。

 オンガク:音楽アーティスト。男性歌手。ドラマや映画の主題歌を歌う。担当は田名部(女性)さん。

 田名部(女性):音楽マネージャー。大澤部長と付き合っている。社内不倫をしている。

 大澤部長:会社の部長職。田辺と不倫関係にある。

 長谷川美久(はせがわ・みく):葛西百合子のピアノの生徒。こどもで8歳。葛西泉の同級生の娘。

 出だしは、認知症の状態にある女性の妄想を抱きながらの(いだきながらの)徘徊(はいかい)気味なシーンから始まります。
 葛西泉が母宅を訪れてもそこに母親が居ません。(ふと、読んでいて、幸せって何だろうと思いました)
 母親の頭の中には、思い出の中で暮らす自分があります。思い出の中で過ごす老後です。
 そして、この日は大みそか、12月31日です。泉が公園で母親を発見しました。母親のお財布にはレシートがいっぱいです。(そういう人っています)大みそかだからふたりはテレビで紅白歌合戦を見ています。翌日元旦は母親の誕生日です。
 
 JR総武線:自分もときおり利用します。たまに用事があって千葉方面へ行きます。

 (うーむ。物語は、説明文が続きます。今は、41ページ付近にいます)

 地に足が付いていない人たちの暮らしぶりがあります。
 その場の雰囲気の恋愛、男女関係を楽しむ人たちです。
 庶民とか凡人とは、暮らし方が違う世界のことが書いてあります。
 
 葛西泉は、未婚の母の子で、母方祖父母とも交流がなかったそうです。
 じっさい、そういう人っているのでしょう。
 どんな世界で人生を送っているのだろうか。
 さびしくないのだろうか。
 本を読んでいる自分が嘆いてもしかたがないことなのでしょうが。

 重苦しい時間帯が流れます。

 葛西泉の妻である葛西香織の両親は、夫婦とはいえないような関係だったそうです。離婚はしなかったが似たようなものだった。少なくともこどもを育てる親の役割を果たせる人たちではなかった。香織は、バレエ教室の先生にお世話になったそうです。
 親に恵まれなかったことが共通動機としての泉と香織、ふたりの結婚があります。

 なんというか、自分自身が親になった時に思ったのは、子育てというものは、自分が育てられたようにしか自分のこどもを育てられないということでした。
 葛西泉と香織、このふたりの間に生まれるこどもさんは、だいじょうぶだろうか。
 父親を知らない人が父親になるのは、けっこうプレッシャーがあります。
 ふたりは、結婚して2年で、今、香織さんが妊娠しています。2か月前に妊娠が判明して、出産予定は5か月後だそうです。8月です。
 こどもだったころの葛西泉宅のさみしい母子家庭の母親と息子の姿を思い浮かべてしまいます。

 葛西泉の母親百合子のようすがおかしい。午前1時半に息子に電話です。

 さかのぼって、息子の結婚話のことが出ます。
 結婚したことがない母親に結婚することを伝える息子ですが、母親はきっと、自分はどうしたらいいのかわからないでしょう。
 葛西泉の母親は、自分自身が結婚式とか婚姻届けを出したことがないから、冠婚葬祭のイロハがわからない人だと思います。
 その点で、母親はおとなじゃありません。
 むずかしい母子関係が、この本を読んでいる読者の目の前にあります。
 
 (つづく)

 三浦:小学一年生のときに通学が葛西泉といっしょだった。かぎっ子同士だった。

 三好(女性)→結婚して、長谷川。葛西百合子がピアノを教えている生徒の母親で葛西泉の同級生。夫は銀行員。三好は、中学3年生の時、中学校の佐古田先生とお互いに恋愛関係になっていた。(中学3年生の女生徒に手をつける男性教師がいるのだろうか。そんなことがあるとは思えませんが、あったらひどい。教育者失格です)

 なんだか、ふつーの世界じゃありません。
 以前映画で観た村上春樹作品『ドライブ・マイ・カー』のような世界です。

 嘘(うそ)をつくなときれいごとをこども(葛西泉)に教える母親像と(おそらく不倫であろう)未婚の母親の実態が、母親の人物像として一致しません。(あなたに説教されたくない。あなたには説教する資格がない)

 プラシーボ効果:効き目がある成分が入っていない薬でも、本人が、薬の効き目があると思い込むことで症状が良くなる効果があること。

 葛西泉の母親は認知症が始まっています。
 病院に連れて行って検査が必要です。(あとでわかることですが、すでに本人が自分で受診していました)
 記憶が消える記憶障害があるようです。
 本人無意識のうちの万引き行為もありです。

 葛西泉の仕事場で、ダブルブッキングが発生しますが、意味がよくわかりません。
 連続ドラマと別の映画の主題歌が重複したとあります。
 最初は同一歌曲が重複したと思ったのですが『オンガク』という歌手がそれぞれ違う曲名で重複したというふうに読めます。

 社内不倫はまわりに迷惑です。
 周囲から嫌悪感をもたれるじゃれあいです。
 葛西泉の母親も不倫で、泉は不倫でできたこどものような気がしてきました。
 (現実社会では、認知(父親が認知しなければ裁判で認知)とか相続問題が発生します。この物語ではその点に触れるのだろうか(ふれませんでした))

 98ページに長谷川式という認知症のテストがあります。
 へんな話ですが、数年前に自分もマジでそのテストを受けたことがあります。
 自分の脳内に血がたまって、たまった血液が脳みそを圧迫して、思考ができなくなり、認知症のような状態になってしまいました。トホホでした。頭蓋骨(ずがいこつ)に電気ドリルで穴をふたつあけてもらって、頭の中にたまっていた血を抜いてもらいました。しばらく入院して社会復帰しました。ゆえに、この部分を読んでいて実感が湧きます。
 長谷川式のテスト中、うっすらと覚えているのですが、どうしてこんなに簡単な引き算が(自分は)できないんだ。必ず答を出すから待ってくれ!と医師に訴えました。最後は、医師の両足が変な棒に見えて「これは何だ?」と言い、自分の上半身を前かがみにして、椅子に座っていた医師の両足を自分の両手でつかんで持ち上げてしまいました。その数時間後、真夜中の深夜でしたが、脳外科手術を受けました。麻酔が切れてからが頭の皮が痛かった。幻視もたくさん見ました。

 区役所が出てきて、介護の話が出てきます。
 音楽事務所の雰囲気と介護の世界の雰囲気がうまく一致しません。水と油です。

 たろちゃん:アニメオタク
 真希:たろちゃんと夫婦。帰国子女。英語ペラペラ。洋楽担当。葛西香織と同期社員。葛西香織と同様に妊娠している。

 なぎさホーム:認知症グループホームでしょう。所長が観月(みづき)小柄な童顔中年女性。

(つづく)

 葛西泉の母親百合子の脳みその中が壊れている。(妄想記述があります)

 二階堂:葛西百合子宅を訪問するヘルパー。

 若いころ、リーダーシップを発揮してきびきびしていた人が、年老いて、半分認知症みたいになって、家にこもってあまり外に出てこなくなったということはありそうなお話です。

 ダンガリーシャツ:横糸に色がついている。色合いが薄い。
 ジーナ式:イギリス人作家ジーナ氏の提唱する育児方式。スケージュール化で、赤ちゃんの生活リズムを習慣化する。

 物語のつくりとして『出産』と『認知症』を並べながら話を進めていく手法は、町田そのこ作品『星を掬う(すくう)』中央公論新社とかぶります。出生と認知症と何か関連があるのだろうか。

 ちゃんとした家庭や家族関係をもてなかった自分を責める母親がいて、そのことが、認知症の症状になっています。

 ボーカロイド:コンピューターによる歌声。

 新人社員永井:永井の祖母が認知症だった。

 葛西泉と葛西百合子は『近いのか遠いのかよくわからない(親子)』
 
 自分にも遠方で暮らす90歳近い実母がいるのですが、最近会って話をすることが楽しみになりました。ちなみに頭はしっかりしています。
 不思議なもので、何十年もたって、昔の話をすると、今だから話せることがあるのです。今だからわかることもあります。誤解が解けるのです。意外だったりもします。兄弟姉妹や叔父叔母、祖父母などの力関係(ちからかんけい)とか対立関係についても、そんなことがあったのかと、はっとさせられることもあります。

 『明日の記憶』という名作文学がありました。この本を読みながら思い出しました。サラリーマンが少しずつ記憶をなくしていくのです。サラリーマンは、一生懸命メモをするのです。『明日の記憶 荻原浩 光文社文庫』。

 1994年(平成6年)と1995年(平成7年)のことが書いてあります。1995年に葛西泉は中学2年生でした。1995年は、おおぜいの人が亡くなった阪神淡路大震災があった年です。東京では、オウム真理教の地下鉄サリン事件でも人が亡くなったという年でした。
 
 浅葉:葛西百合子が好きだった男。ただし、葛西泉の父親ではありません。

 妻子ある男性との不倫の場合、結婚しているほうに責任があるのではなかろうかと自分は思います。
 トロイメライが流れる雰囲気があります。

 中学2年生の葛西泉が、母親に捨てられてしまいました。
 『母』ではなく『女』の道を選んだ葛西百合子でした。
 葛西百合子39歳、不倫相手の男性が、浅葉33歳で結婚している。葛西百合子は浅葉といるために神戸へ行ってしまいました。そして1995年に、神戸は大きな地震災害に襲われます。
 自分も阪神淡路大震災発災の翌月に現地へ行き、数日間働いたので、書いてある文章を読んでいて実感が湧きました。

 葛西百合子には、不倫体質があるのか。
 自分で自分の気持ちをコントロールできません。

 218ページに出てくる作品は『モモ ミヒャエル・エンデ作品 岩波少年文庫』でしょう。時間どろぼうが出てきます。
 
 ペリエ:ミネラルウォーターのブランド。

 花火大会で締めるのは作品『その日のまえに』を思い出します。『その日のまえに 重松清 文藝春秋』映像作家さんだと、花火のシーンで映像を締めたくなるのでしょう。
 本のタイトル『百花』イコール『花火』なのでしょう。
 
 読んでいて、なんだか、さみしい話ではあります。
 不倫する母親をけがらわしいものを見るような目で見ている高校二年生の息子がいます。
 
 母親は認知症になっており、息子が徘徊(はいかい。さまよい。うろつき)でいなくなった母親をさがしに行って見つけたのに、母親からは、逆に、あなたが(息子が)迷子になったから、わたしはあなたを探していたんだと言われてしまいます。もう母親は別人格の人間です。
 そして母親が息子に言うのには『あなたは誰?』
 
 人として、強くなる。
 
 母親は繊細な人でした。(せんさい。神経が細くて弱い)
 天に召されました。
 妊娠と認知症。始まりがあれば、終わりがあります。

(解説 中島京子)
 解説部分を読んで、自分の読後感とは異なる違和感がありました。なにか違う。
 やはり、読み手の人生体験で、読書の感想は各自が違ってきます。
 本では、葛西泉の父親がだれで、父親がその後どうなったのか、葛西百合子の二度目の不倫相手がどうなったのかは書いてなかったと思います。書く必要もなかったのですが、書いてあっても良かったのではないか。広がりがひとつふさがっていたのではないか。  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年11月03日

私たちにはことばが必要だ イ・ミンギョン

私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス

 2018年発行で、2021年が第7刷でよく売れている韓国人女性ライターによる本です。
 読み始めて今は22ページあたりです。ここまで読んでわかったのですが、韓国では女性差別がひどいそうです。女性であることは人間ではないというところまでの印象を、ここまでの読書でもちました。相当ひどい。

 フェミニスト:女性解放思想。

 江南事件(かんなむじけん):2016年(日本だと平成28年)5月17日、ソウルの繁華街江南の女子トイレで、無作為に選ばれた女性が、忍び込んだ男性に殺害された。殺害理由は『女だから』だそうです。自分には不可解ですが、韓国には『女性嫌悪社会』があるそうです。

 韓国では、女のほうが、男よりも下という意識がある。深層心理がある。

 この本は、韓国の女性が、韓国のよくないところを突き詰めるという構図(理論構成)をもっています。

 男性と対等に合理的な話し合いをするために本のタイトルにある『私たち(韓国の女性たち)には、ことばが必要』なのです。

 韓国女性は、作文の練習が不足しているそうです。
 本を読んでいて『韓国語』って何なのだろうという疑問が生まれます。
 昔は漢字でした。今はハングル語です。本では、英語をよく使うようなことが書いてあります。母国語(国籍と同じ言語)とか母語(最初に覚えた言語)というのが、希薄な面が韓国の言葉にはあるのだろうかという推測が生まれました。
 以前別の本で、ハングル語を学び始めてからの世代は漢字を読めないので、新しい世代は、韓国の漢字で書かれた昔の本を読むことができないという内容がありました。
 自分は、韓国の過去の歴史を違う内容でハングル語に書き換えられても、今の韓国人にはわからないということにつながると考えました。

 韓国の『読書』と日本の『読書』には違いがありそうです。

 男性からの理由付けとして『だっておまえは女だから……』と言われるそうです。
 女は男に差別されることが当然だという男尊女卑の仕組み(社会的な制度とかシステム)が韓国にはあるそうです。
 日本にも昔から男尊女卑思想がありますが、韓国と比較すると、韓国のほうがきつそうです。

 セクシスト:性差別者

 『答えない』という選択肢もある。
 以下は、韓国でのことです。
 男は女に対していじわるである。
 男は女より自分のほうが強いと思っている。
 男は女として生きたことがないから、女に対する差別がどれだけあるのか知らない。
 <厳しい文章が続きます>
 女であることで差別されたら、女は、話の途中でも話を打ち切る。
 <攻撃的です>
 女性は、女というだけで、不当な扱いを受けている。不公平がある。
 
 ヘイト発言:(この本のメインテーマの場合)女性だからという理由で、差別、侮辱(ぶじょく)、脅迫、攻撃される。

 社会では差別が蔓延(まんえん。いっぱい広がっている)している。
 
 『男尊女卑』なにゆえ、そうなるのか、自分なりに考えてみました。
 宗教の教えだろうか。儒教です。
 世界の歴史では、古代より男上位の価値観が定着していた。

 日本人の立場で読んでいて、感覚の違いを感じます。
 韓国語の翻訳なので、ストレートに理解できない言い回しもあるようです。
 『自分の経験を簡単に話さないこと』ということは、ピンときません。

 読んでいると、人間って何だろうかという疑問が湧いてきます。
 自分の頭の中では、人間って、不完全なものという答えが出てきます。

 『知恵がなくても生きてこられたのんきな男たち』<痛烈な批判があります>

(つづく)

 『昔より平等になった』(良くはなっているけれど、差別が完全になくなったわけではないそうです)
 
 著者はかなりイライラしています。
 興奮気味の文章です。
 性差別への強い抗議があります。
 『この社会は原則不平等』
 家父長制:昔の日本の大家族のありようのようです。男性優位の家族制度です。女性は、男性に依存して生活する。
 韓国には、男性のみの徴兵制がある。女性は行かなくていい。著者の主張として、女性が行く権利を奪われた。女性が見下された。徴兵に行かなくてもいい権利を女性が望んだわけではない。
 男性の女性に対する職場内の性暴力とか大学内での大学教職員による性暴力の話が出ます。被害者なのに、被害者が責められる。被害者女性のほうが退職や退学に追い込まれるようです。被害者女性が自殺することもある。かなりひどい。
 男は女の体を触る。最終的には女は男に殺されることもある。女性は大変です。男に従わないと男に命を奪われることもあるという恐怖感をもっておられます。異常な世界です。
 男は反省しなければならない。女性には護身術と『護心術』が必要とアピールされています。
 
 読んでいて、韓国の男性の脳みその中にある世界は男尊女卑で凝り固まっているという印象をもちます。
 (女なら)オレの話を聞け。オレは相手の(女の)話を聞かなくてもいい立場にある。(男だから)
 韓国人男性と結婚する日本人女性はだいじょうぶだろうかと心配になります。
 
 『説教したがる男たち』レベッカ・ソルニット:書中で紹介されている本です。この本を読んだら読んでみます。男女関係を『斜面』と表現されているそうです。おそらく、斜面の上に男がいて、斜面の下に女がいるのでしょう。(どうも違うようです。男が殺す側、女が殺される側とあります。ちょっと理解できません)

 今年読んで良かった一冊になりそうです。

 全体のページの半分ぐらいを読みました。(今、100ページあたりにいます)
 ここまで読んできて思ったことです。
 歳をとってみてわかったのですが、ある程度年齢を重ねると体力と考える力が落ちてきて、男女関係の恋愛とかくっつくとかいう意識が薄れてきます。男としての機能も女としての機能も終わっているような状態が体にあるのを実感します。
 体は水分を失って乾燥してきます。自分で自分の体が枯れていくのがわかります。意識のほうも『欲』が消えていくのです。もういまさら恋をしたいという意欲も情熱も湧いてきません。
 歳をとると、性別というものが消えてきて『中性』のようなものになる感覚があります。全員が男性のようでもあるし、女性のようでもあります。全員がおじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。あまり外には出ませんが、昔のイケメンや美女、スポーツマンだった人などが紙パンツ(紙おむつ)をはきながら生活していることもあると思います。当然人にはそんなことは言いません。もう性欲よりも、体の機能が低下してきて日常生活をどうやってしのいでいくのかで頭の中はいっぱいです。だれしも若いときにやれたことがやれなくなってきます。最終的には歩き方がペンギン歩きになります。腰が曲がることもあります。
 加齢で脳みそが幼児化していくように、体もあかちゃんに戻るのでしょう。静かに心を落ち着けて考えれば、年寄りにとっての平和な世界です。もうがんばらなくていいのです。

 だから、この本の記述においては『みなぎる若さ』を感じるのです。
 若いから男と女の性別が、くっきりと分かれているのです。

(つづく)

 男は女にいけないことをしておいて『悪気はなかった』では済まされないという強い主張があります。
 被害者女性の声をさえぎるなという強い主張もあります。
 『加害者が被害者の声を恐れるようにする』先日あった自衛隊での性暴力の事件を思い出しました。加害者は、自主退職では済みません。懲戒免職が妥当です。退職金は支給しない。年金は減額です。
 この本のタイトルです。女性には『(男に抗議する)ことば』が必要なのです。男からの攻撃に対して反撃するのです。女性が男性に対して断固たる態度を身に着けることがこの本の目標です。

 女性に優しくきれいごとを言う男性を信用するな。一見まともに見えるけれど、実態はそうではない。
 紳士的な男を信用するな。下心がある。豹変する(ひょうへんする)。
 トラブルが起きると男は女のせいにする。女が原因と断定する。
 世の中では、女は男より低い位置を与えられている。
 
 ネット右翼:差別的発言を繰り返す人。

 女性嫌悪犯罪:この言葉は、日本では聞かないので、意味をとれませんでした。女だから嫌う。女だから殺す。どうしてそういう理屈になるのかわかりません。
 女性が女性だから殺害されるということが、韓国以外の国でもあるそうです。
 
 ものすごい文章量です。
 文章というよりも、話したことを文字に転換しているようでもあります。
 今まで男性からやられていたことを男性にやりかえす。

 日本人の韓国人差別のことが出てきます。
 白人は黒人のつらさを理解すべきだという訴えもあります。

 『必ずしも男性が中心でなくても世界は回っていく』
 
 日本人女性を『寿司女』と呼ぶ:男性に生活費等を依存して、自活・自立ができていない日本人女性のことを言うようです。

 この本は、韓国人女性による韓国人女性向けの本です。
 韓国人男性から『質問』と『評価』を奪い返すという強い意思表示があります。
 韓国人女性が韓国人男性から質問をされるようないわれ(理由、根拠)はないのです。
 評価するのは男性ではなくて、女性のほうだという激情があります。
 この本は、韓国人男性と対決するための本です。
 『平等』を訴える本です。
 性別の違いは、物事の判断基準にはならないのです。
 韓国人男性の頼りない男性像があります。
 同じ労働をやっても男性のほうが女性よりも給料が高い。
 読みながら、どの国も『男女平等化』の成長経過にあるのだろうと考えました。
 
 韓国では『女性限定駐車場』(2008年(日本だと平成20年)からスタート)があるそうです。女性ドライバーは車庫入れや運転がへたくそなので、男性ドライバーから女性ドライバーに対する駐車場でのいやがらせがあるそうです。そういったいやがらせから女性を守るためにできた駐車場だそうです。ただ、自分なりによく考えると、へたくそな女性ドライバーと同じ駐車場に車を停めたくないという男性のわがまま勝手がみうけられます。

 韓国人男性が韓国人女性に軍隊での苦労話を延々とすることが、聞かされる韓国人女性にとっては苦痛だそうです。
 
 男性が女性に『(男も女も)仲良くしよう』と言う言葉は信用できないという主張があります。
 男に都合のいい仲良しです。
 男が女に強制する言葉と読み取れます。
 この本は、女性を男性による束縛(そくばく。しばり)から解放する本です。
 女性は、『不十分な存在』という地位、地点からスタートする。0点から点数が加算されていく。いっぽう男性は、100点満点からスタートして、減点されていく存在とあります。真逆です。
 著者の立場として、自分は不完全な人間ではあるが、この現状について、黙っておれないという力強い意思表示があります。
 女性は『道具』でも『奴隷』でもない。
 男から言われっぱなしの状態から脱却するために『(女性には)ことばが必要だ』という本です。
 女性であるということだけの理由で見ず知らずの男に殺された江南事件(かんなむじけん)の被害者女性の怨み(うらみ)を晴らす本です。
 今年読んで良かった一冊になりました。  

Posted by 熊太郎 at 06:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年11月01日

五重塔(ごじゅうのとう) 幸田露伴(こうだ・ろはん)

五重塔(ごじゅうのとう) 幸田露伴(こうだ・ろはん) 岩波文庫

 作者である幸田露伴氏一家が住んでいた住居を見学したのは、愛知県犬山市にある明治村で、今年の4月桜の花が咲きほころぶ頃でした。
 同宅では、滝廉太郎氏や幸田姉妹が音楽談義などをしていたと本で読んだことがあります。
 幸田姉妹の兄である幸田露伴氏の小説を読んだことがなかったので、この五重塔を読み始めましたが、明治時代初めの作品であり、文章を読むことがなかなかむずかしい。(読み終えてから、何度か映像化されていたことを知りました)

 最初をちょっと読んだあと、まず最後尾にある『解説 桶谷秀昭(おけたに・ひであき)』を読みました。
 のっそり十兵衛が主人公です。彼は、がんこ者で人の意見をきかない。世渡り下手。寺社建築の大工。職人仲間からさげすまれ、貧乏暮らしとあります。
 もうひとりの中心的登場人物が、川越の源太(かわごえのげんた)。同じく大工職人です。
 東京谷中の感王寺(やなかのかんのうじ)にあるお寺の敷地内に建造する五重塔のお話です。
 お寺の上人(しょうにん。優れた僧。高僧)は、五重塔を川越の源太に棟梁(とうりょう。リーダー)として造ってほしいのですが、のっそり十兵衛が、自分に棟梁をやらせてくれと申し出るのです。十兵衛はわがまま者です。今回の件については自分の欲求を譲りません。

 本文は、落語を聴くような文章です。リズムとメロディーがあります。
 お経(おきょう)を読むようでもあります。ただ、昔の言葉づかいなので、意味をとることがむずかしい。読んでいて内容をすんなりとは理解できません。

 エゴイズム:自分の利益だけを考えて人のことを考えない。自分本位。のっそり十兵衛のことです。
 川越の源太は、五重塔の建築工事をのっそり十兵衛に譲ります。ただ、源太はかなり怒っているようです。ふたりでつくろうとか、十兵衛が主で、源太が副のポジション(地位)でもいいと十兵衛に申し出ましたが、十兵衛は嫌だと突っぱねました。
 この文学作品が出るまでは、日本には、自己主張を通すという内容の作品はなかったそうです。
 そのことが当時の文学界において新鮮だったそうです。
 幸田露伴(こうだ・ろはん):1867年(江戸時代・慶応2年)-1947年(昭和22年)79歳没。作品『五重塔』は1892年(明治25年)の作品。

(本文を読み始めました)
 漢字には、ふりがながふってあります。
 言葉が明治時代のもので、むずかしい。
 清吉:大工。源太の弟分。
 お吉(おきち):源太の妻。
 鋭治:源太の兄貴分。
 お浪(おなみ):十兵衛の妻
 猪之(いの):十兵衛とお浪のこどもでまだ小さい。男児。

 文章は『其の一(そのいち)』から始まり『其の三十四』まで続きます。

(つづく)

 読み終わりました。
 言葉や言葉づかいが、江戸時代が終わったあと20年後ぐらいの明治時代のものであり、あわせて、自分に読解力がなく、不十分な理解で読み終えました。
 考えてみれば、江戸時代以前の人たちが、日常会話で、どんな日本語を使って会話をしていたのかは、わかりそうでわからないような気がします。
 くわえて、当時の方言(ほうげん。地方なまり)は、けっこうきつく、江戸や東京という場所で、どうやってお互いの意思疎通(いしそつう)を図っていたのかとも思いがめぐります。鹿児島県薩摩藩の藩士の方言はどうやって江戸の人たちに意味が通じたのだろう。
 テレビもラジオもない世界です。明治時代初期は、鉄道も短い距離しかまだできていません。
 文字の読み書きができない人たちも多かった時代の文学作品と読書です。現在の日本とは大きく異なる世界です。
 
 さて、文脈の雰囲気を味わう読書で終わりましたが、感じたことです。
 のっそり十兵衛という人間はわがままなのです。とにかく自分のいうとおりにさせてほしい。自分で五重塔をつくりたい。源太には手伝ってもらいたくない。
 でも、最後はまわりが受け入れるのです。発注主の僧侶(上人様。しょうにんさま)が許可します。
 そういうこともある。いっけんわがまま勝手でも、最後は、しかたがないなあと容認するのです。
 そういうことって今の時代でもあります。
 結果的に平和的解決に至ることもあります。『しょうがない』でやりすごすこともあります。
 それが人間界、それが人間の世の中のひとつの出来事OKパターンとしてあります。正しいか正しくないかではなく、そういうことがあるかないか。あればあれでよしなのです。
 人情、成長、教育、教え、そんなことを考えました。
 最後には、十兵衛建築の立派な五重塔が完成しました。風雨の嵐に襲われてもびくともしませんでした。

 わがままを受け入れて育む(はぐくむ)という人情噺(にんじゅうばなし)です。
 そして、万人が満足できる上等な作品(今回の場合は五重塔)をつくるために全力を注ぐ(そそぐ)がんこな職人魂が表現されています。  

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2022年10月28日

闇祓(やみはら) 辻村深月

闇祓(やみはら) 辻村深月(つじむら・みづき) 角川書店

 闇ハラスメント:個人的な思いである本人の暗い話を相手に押し付けて、相手に負担をかけることを言うらしい。まあ、そういう人っています。話を聞かされても聞いたほうは苦痛なだけです。他者への依存が目的なので、本人の自立・自活という出口への糸口(いとぐち)が見えてきません。本人がその気になってがんばらないと克服できないのです。

 ヤミハラという音感から、悪魔祓い(ばらい)のような職業を思い浮かべています。
 映画『エクソシスト』は、中学だったか高校だったかのときに映画館で観ました。
 悪魔祓い(あくまばらい)です。

『第一章 転校生』

 以下登場人物です。とりあえず24ページまで読みました。

 原野澪(はらの・みお):千葉県内にある私立進学校三峯学院(みつみねがくいん)2年3組17歳ぐらいの女子。クラス委員長。優等生だが、本人曰く(いわく)「私は気が弱い」。陸上部員。幅跳び担当。

 澤田花果(さわだ・はなか):原田澪の親友。ロングヘア。ときおりポニーテールの髪型にするようです。

 今井沙穂(いまい・さほ):原田澪の親友。恋愛体験者。彼氏あり。

 白石要(しらいし・かなめ):詰襟姿の(つめえりすがたの)転校生男子。手足が長くひょろっとやせていて背が高い。髪はボサボサ。美形ではないが、鼻筋は通っている。無口。喜怒哀楽の感情が見られない。不気味な男。ゾンビみたいな姿です。

 南野:担任男性教師。小柄でずんぐり。

 宮井:クラス副委員長。
 
 神原一太(かんばら・いった):原野澪の先輩。高校3年生。3年3組。陸上部員。幅跳び担当。

 タガワ:陸上部顧問教師。

 矢内(やない):主人公のクラスメート女生徒。髪は三つ編みでメガネをかけている。文芸部員で、まじめタイプです。

 涼香(すずか):陸上部員2年生。

 3階建ての校舎で、3階に音楽室、美術室、特別教室があるそうです。

 白石要の目線が、原野澪の顔を追いかけます。
 
 学校のことが書いてあります。
 上位グループと下位グループ(成績だろうか。経済状態だろうか。運動だろうか。勉強能力だろうか)
 積極的と控えめ。
 派手と地味。
 うるさいとおとなしい。
 (だれにもこびずマイペースでいいんじゃないだろうか(こびをうる:気に入られるような態度をとる)クラスメートに気を使うのは、疲れるし、そのさきで、心が壊れる)

 19ページに問題発言があります。
 転校してきた白石要が原野澪にいきなり『今日、家に行ってもいい?』と聞きます。
 行っていいわけがありません。
 この部分で、読み手の対応がふたつに別れます。
 ありえないと思った読み手は、ここで、この本を読むことをやめます。初対面の女子に「家に入れてくれと」いう男子はいません。
 ありうると思った読み手は、だまされやすい心もちの人です。作者の洗脳の餌食になります。
 わたしは、つくり手の立場で本読みをするので、さてこのさきどうなるかと思いを巡らしながら読み続けます。

 白石要と原野澪と原野澪があこがれる先輩の神原一太がいます。
 たとえば、読者をあざむくために、白石要を悪魔的存在と見せかけて、実は、黒幕は神原一太で、原野澪は、仲間として組んでいる白石要と神原一太にだまされて、神原一太からひどい目にあわされるというパターンが考えられます。(違ってました)

(つづく)

 この本は、女子高生が読む本のようです。
 わたしのようなおじいさんが読む本ではありませんでした。おじいさんが読む本としては、物足りなさがあります。
 でも、せっかく買ったから読みます。

 原野澪が気持ち悪い白石要を、それでもいいと受け入れるとコメディの方向へもっていけます。
 男女の立場を逆転させてみる。
 人は、割り切れば、どんな環境でも生きていける。
 主人公原野澪自身が加害者という設定でもおもしろい。
 42ページには『恐怖』があります。『先輩、助けてください』

 ケガの功名(こうみょう):失敗したと思ったことが、意外に良い結果につながった。
 胡乱(うろん):確かでない。疑わしい。

 白石要の『席を変わってくれないか(教室で原野澪の隣に座りたい)』
 そんな勝手なことができるわけがないだろとツッコミを入れたくなりました。
 教室の席は、生徒で自由に座れるのか。
 (ふと、小学生6年生卒業が近かった時期、担任の男先生が、明日から先着順で毎日好きな席に座ってよろしいと指示されたことを思い出しました。1週間ぐらいして、元の定位置の席に戻りました。あれは、何だったのだろう。その先生も数年前に高齢でお亡くなりになりました)

 背景にLOVEの関係あり。されど、そこにLOVEはない。

 原野澪と神原一太(かんばらいった)は、見た目だけの恋なのか。(イケメンと美女)
 彼女は彼氏に依存していきます。
 危険です。
 女子は安易に男子に頼ると男子の都合のいいように扱われます。
 文章を読む限りでは、原野澪があこがれている神原一太は、いい人ではない。
 
 理由はよくわかりませんが、竹やぶが厄除けになるらしい。(やくよけ。悪いことが寄ってこないようにする)

 やっぱり神原一太に支配欲あり。こういう男子っています。自分の相手(女性)がほかの男に取られるのが心配です。それぞれ好みがあるから、そんなことにはならないのが一般的です。
 男が女をしばる。破たんの始まりです。

 周囲にあるのは、妬み(ねたみ。比較して相手の優れた部分を憎むこと)といじめの心です。
 
 相手に命令をする上下関係がある状態は、友人でも恋人でもありません。うまくいかなくなります。
 人が人の所有物です。
 頭がいい人=いい人とは限りません。
 いい人のバックになにかがある。
 そうか、なるほど。おもしろい。
 話の進展で、すがすがしいものがあります。
 
 なんだろう。異星人のような存在が、この地球上にいる。
 『吸血鬼』
 妖怪か。
 
 最も後半の部分はなくてもよかったような。
 なくても十分怖かった。
 男女の三角関係は男女の物語ではつきものです。

 欺瞞(ぎまん):人をあざむく。だます。この本では、「自己欺瞞」自分をだます。自分に暗示をかける。

 93ページ、まだピンとこない部分があります。理解できない部分があります。第二章以下で明らかになるのでしょう。

 博愛主義:人は平等です。お互いに協力してやっていきましょうという考え。みんな愛し合いましょう。

 このあと、第二章以下はどうなるのだろう。
 本の帯を見ると『あいつらが来ると、人が死ぬ』とあります。あいつらとは、悪魔(サタン)だろうか。

『第二章 隣人』
 まだ読んでいる途中ですが、こちらの作品は、第一章とは登場人物が異なります。
 女子高生が読むような内容ではありません。主婦が読む内容です。

 三木島梨津(みきしま・りつ。旧姓森本。フリーアナウンサー):徳島県出身。結婚、妊娠、出産経験あり。テレビのナレーション、ラジオのレギュラーを担当経験あり。テレビ局専属アナウンサーのときのニックネームが「知性のリツ」。本作品では、地域での読み聞かせの学校ボランティアに挑戦します。
 三木島雄基(みきしま・ゆうき):三木島梨津の夫。
 三木島奏人(みきしま・かなと):三木島夫婦の長男。小学1年生。区立楠道小学校1年生(くすみちしょうがっこう)。水曜日にピアノを習いに行っている。
 ハッチ:三木島家のペット犬。豆しば(ちいさな柴犬)

 サワタリ団地:リノベーションした古い団地(昭和35年以降ぐらいの建築)大規模改修で、2軒を1軒につなげた3LDKの間取りです。三木島ファミリーが気に入って南棟の515号に転入した。北側にある棟と南側にある棟があります。最初は賃貸かと思って読んでいましたが、買取りの分譲住宅でした。

 以下、読み聞かせ委員会のメンバー
 かおり:年老いて見える変な人。集団の中で、浮いているらしい。高校生の息子がひきこもり。性別は息子(男)だが、息子は最近女性になったらしい。それから、かおりも三木島梨津と同じくアナウンサーだったらしい。(アナウンサーではありませんでした)口ぐせが『私もなの』。

 沢渡博美:サワタリ団地のリノベーションに携わった(たずさわった)若手デザイナー夫婦。同団地の北棟701号室に住んでいる。児童会長6年生沢渡朝陽(あさひ)男児がいる。見た目やしぐさが完璧な女性。スタイルも顔もいい。人当たりもいい。この人が第一章におけるサタンのような存在だろうか。夫が恭平。がっしり体格。あごひげ。背が高い。(自宅である彼ら夫婦の家の中に盗聴器でも隠してあるのではないかと読んでいて推測しました)

 和田葉子:リーダー格。6年生女児ミミの母親。夫が悟朗。

 ほかの母親として、
 城崎(きのさき):4年生の母。おとなしそうな外見。
 高橋:4年生の母。同じくおとなしそう。
 真巳子(まみこ):沢渡博美の小6の子朝陽と同じクラスの女の子ゆかりのママ。夫が一臣(かずおみ)。
 楡井先生(にれいせんせい):6年1組担任。20代半ば。(教師としてハズレの先生)
 多田先生:読み聞かせ委員会担当教師。
 弓月(ゆづき):5年生の男児未知矢がいる主婦。601号室。沢渡博美宅の階下に住む。
 小島先生:教育評論家。
 永石:画家。
 志月涼太:若いアイドル男子らしい。
 
 物語の最初は、エプロン姿の女性の転落死の瞬間後の現場を三木島雄基がサワタリ団地内で目撃するところから始まりますが、ひと呼吸おいて、地域の読み聞かせ委員会の集まりシーンに転換します。(飛び降り自殺らしき転落死は、このあとどう関わってくるのか)

 オートロックマンションのことが書いてある文章を読んでいたときに思い出したことがあります。
 自分も昔オートロックがあるマンションに住んでいたことがあります。
 ある日、かなり老齢のおばあさんが、マンションの壁をよじ登ってマンション内に入ろうとしている姿を見てびっくりしたことがありました。マンションの最上階に住むおばあさんでした。鍵を忘れたのか、部屋番号を入力しても留守だったのかわかりませんが、赤の他人ではなく、居住者が泥棒のように入らなければ入れない住宅ってなんだろうとか、オートロックって、あまり防犯の意味はないんじゃないのと思いました。

 理知的(りちてき):冷静になって、論理的に考えて、判断する。

 キーワードとして『死の影』

 『(本をこどもさんたちに)読み聞かせ委員会』には、嚙み合わない女性の世界の人間関係があります。

 かおり『こんどもってくるね』(何をもってくるのだろう?)

 始まりの短いページ数に大量の情報が盛り込まれています。

 オブジェ:彫刻や飾り物。展示物。

 共同住宅での暮らしは周囲に気を使うのでたいへんです。

 ベルガモット:ミカン。香料。

 やっかいなことになりそうです。
 沢渡博美が三木島梨津にからんできました。

 スコーン:パン。スコットランド料理。
 クロテッドクリーム:イギリスの乳製品。濃厚なクリーム。
 
 150ページ付近、主婦たちの気持ち悪い世界です。
 うわべだけの仲良しです。
 上下関係が見えます。

 アールグレイのお茶:ベルガモット(柑橘系、みかんの香料)で香りを付けた紅茶。

 小学校の先生に対する噂話が出ます。先生を攻撃する内容です。
 自分は、女の人たちが集まって話をしている姿を見かけると、ああまただれかの悪口を言っているのだろうなあと思います。
 この本では、小学校の担任を変えろ、の署名運動をしようと盛り上がりをみせてきます。

 主人公は有名なアナウンサーらしく、彼女に対する静かな攻撃もみられます。
 
 いい文章として『この人たちみんな社会性が低すぎないか……』
 社会性:集団生活をうまくやっていく基本的な能力。
 
 人間の嫌なところを浮き彫りにする記述です。
 お金があって、時間があって、自分以外を否定する人たちです。
 『村社会』があります。村長がいて、村人たちがいて、村人たちは村長にさからうことができないシステムです。今どきのロシアの大統領のようでもあります。
 付き合う人を選ぶ夫婦です。自分の言うことをきく、自分にとって都合のいい人と付き合います。

 『空気が読めない人』を嫌う人たちです。
 だれかひとりを標的にすることで、集団の気持ちをまとめる。

 (冒頭の飛び降り自殺の件はどうなったのだろう)

 敏い(さとい):賢い。理解が早い。

 174ページ、不気味なホラー(恐怖)世界の扉が開きました。
 怖い(こわい)。

 地域の居住環境がいいというのはどういう環境なのだろう。
 高額所得者のみなさんが住んでいる地域だからといって暮らしやすい地域とは言い切れません。
 主婦たちは、メンタルをやられそうです。精神を病みそうです。(やみそうです)

 葬儀に無理やり顔を出したい人っています。
 家族葬だと説明しても押しかけてきます。
 ありがたいときと、迷惑なときがあります。
 悪趣味:人が嫌がることを平気な顔をしてやること。(注意してあげた方がいい。あなたたちがしようとしていることはおかしいですよ。人として非情な行為ですと)
 人の不幸を喜ぶ人たちがいます。
 『知性と品性は必ずしも一致しないんだよ……』
 品性:人柄、人格。
 傲慢(ごうまん):他人を見下す。
 『一方的な好意と(性的)欲望』
 
 主人公は逃げることを考える。
 (読んでいて、ここで、主人公は死ぬのではないかと考えました。事故死のような殺人が起きるのではないか)
 頭がおかしい人がいる。
 うわべはきれいに見えるけれど、脳の中に多数の人格が存在している人がいる。
 かなり怖い。
 ただ、割り切れば、この世界を楽しむこともできる。
 かおりの仲間になる。
 終わりの部分あたりは『詩』を読むようでした。(怖い)

『第三章 同僚』
 うーむ。全般的に、この本に掲載されている物語は内容が暗い。
 気が重い読書です。夢も希望もありませぬ。

 鈴井俊哉:食品会社ヨシミヤフーズの営業職。営業二課。入社3年目ですから25歳ぐらい。独身でしょう。以前は、企画部で商品開発を担当していた。人事異動に不満あり。

 丸山睦美(まるやま・むつみ):女性。43歳。営業二課主任。小学生のこどもあり。

 佐藤課長:41歳。男性。パワハラ(上司が部下に苦痛を与える)、モラハラ(言動や態度に対する悪口)行為をしている。頭がおかしい。

 ジンさん:神原。50代。中途採用された社員。小学校の校長先生タイプの外見。白髪交じり。黒ぶち眼鏡。まっすぐな立ち姿。ハラスメント(いやがらせ)の被害者。

 濱田:鈴井俊哉の同僚。若そう。

 リマインドメール:確認メール。

 佐藤課長(わたしの予想として:今度は、この人が死ぬのかなあ)

 ジンさんが佐藤課長から強烈で過酷なパワハラを受けています。ジンさんからみて、佐藤課長は、年下上司です。

 胸にぐっとくる表現として『(ジンさんが課長を)「いい人」だと言ったけれど、ああこの人のほうが何倍も「いい人」だから……』

 読みながら、案外ジンさんは、自分自身が昔、パワハラ上司だったのではないか。バチが当たったのではないかと思いましたが、読み進めて、どうも違うようでした。

 もうひとつのうまい表現として『自分が下の時には上司に意見できるけれど、自分が上に立つのは絶望的に向いていなかった……(そういう人っています。批判は得意だけれど、本人にやらせるとできない)』

 年下、年上、上下逆転のポスト(地位)、微妙なバランスがあります。うまくいっていません。

 バレッタ:髪留め。女性の長い髪をまとめるおしゃれな道具。

 組織における女性管理職の人数割合の話が出ます。
 表向きだけ、女性を管理職につける話です。女性の割合が上がるように男女比を操作します。
 女性登用優先のための女性枠という割合が存在していそうです。
 逆差別のような感じがしないでもありません。女性を下に観ている。それから、男性に不利。
 男性が育児休業をとることについて、組織は、表向きは外部に対して推進していますという姿勢を見せます。しかし、組織の内部では、男性の育休取得は、とんでもないこととして扱います。いかにして外づらを保つか。戦力にならないポストにいる男性に育児休業をとらせるとか、いろいろ作戦はありそうです。

 パワハラの被害者が、がまんしてくれていることに甘えているパワハラ上司がいます。佐藤課長です。

 3時間12分14秒:佐藤課長は頭がおかしい。(クレーマーだとこういう人はいそうです)
 上司から、仕事の指示ではなく、愚痴を長時間聞かされる。
 加害者の攻撃を拒否できないと心が壊れてしまいます。
 『共存症』パワハラの加害者と被害者の一体化があります。
 結局、傍観者の立場の人間は、知らん顔をしてしまう。

 ステレオタイプ:先入観、思い込み、固定観念。
 
 (ああ、作者は、この騒ぎをどう納めるのだろうか)

 くちびるから出てくる言葉が全部嘘の人が居ます。なにひとつ信じてはいけません。話の中身を聞く必要はありません。全部ウソです。(佐藤課長もそのうちのひとりです)
 佐藤課長のような人は現実にいます。
 ジンさんの素性(すじょう)がいまいち、はっきりしません。
 佐藤課長は明らかにおかしいけれど、ジンさんもおかしい。パワハラ慣れしています。(被害者として)ジンさんには加害者を『容認する』気持ちがあります。本人の言葉として『関係性』が大事。
 
 部下は常に上司を責める立場です。
 別の人だったらいいのになと思いますが、別の人が上司になってもやっぱり、別の人だったらいいのになと思うのです。

『第四章 班長』
 第四章を読み終えました。
 始まりのページに描いてある絵がちょっと怖い。どなたが書いたのか本の奥のほうを見ましたがわかりませんでした。
 この第四章では、これまでに読んだ第二章「隣人」のシーンが重なってきます。あとは、第三章で登場していたジンさん(神原)と同じ名字のこどもが登場しますが、両者の関連はわかりません。ふたりとも人間ではない宇宙人のようなものだったのか。わかりません。
 この章では、これまでの章に提示された『伏線(ふくせん。後半で感動を生むための仕掛け)』が回収されていきます。人が死ぬことの経過と理由です。

 草太:区立楠道小学校5年2組。母親が、早智子さん。

 中尾虎之助:こども。両親が弁護士。母親がPTA役員。虎之助はクラスでは、嫌われ者。

 神原二子(かんばら・にこ):男子。5年2組に転校してきた。背が小さくてやせている。メガネをかけている。

 優一郎と豪:中尾虎之助の子分。

 由紀、梨乃、架奈(母が入院。家族のめんどうをみている)、涼平、朱音(あかね)、敬人(けいと):クラスメート。

 凛子ママ(りんこまま)

 沢渡:6年生。児童会長。

 地域社会の活動に会社のシステムを持ち込もうとする人がいます。嫌われます。会社には上下関係とかマニュアルのシステムがあります。地域活動には上も下もありません。活動をやめるのも自由です。しばれません。

 毒親がいます。毒親は単体ではありません。
 ときに、毒親と毒親の対決になることもあります。
 案外毒親同士で表向きだけの意気投合をしてその場をしのぐこともあります。そんな展開があります。
 キチガイどうしの戦いに見えます。
 最近、戦国武将の戦話(いくさばなし)を二本読んだのですが、毒親同士の戦いは、戦国時代の武将同士の戦い方とは違います。

 お金にならない地域活動なら(PTA活動)、嫌いな人と無理に仲良くならなくてもいい。距離を置く。

 偽善者がいます。悪いことをしているのにきれいごとのウソをつく人間です。中尾虎之助のことです。

 第二章『隣人』で登場した『読み聞かせ委員会』が再登場します。

 連帯責任:学校でよく聞きました。社会に出たら耳にしなくなりました。
 中尾虎之助のようなこどもが周囲に干されて学校に来れなくなってひきこもりになるのではないか。
 『シール競走』なるものがあります。グループ全員がおぎょうぎよくできたらシールを貼れます。(はれます)中尾虎之助は自分勝手人間なので、グループはシールをもらえません。
 シールをもらうことに何の意味があるのかわかりません。将来企業で働く歯車になりなさいという教育に思えます。均一製品で同じく動くのです。

 神原二子(かんばら・にこ。小学5年生男児)はある意味『天才』です。心の冷たい異星人のイメージがあります。姿形(すがたかたち)は人間ですが、中味は人間とは異なる生物です。

 『君のため』は、だれのためなのか。不気味な言葉です。

 自分は嫌だ(いやだ)という意思表示をしっかりしないと自分が追い込まれます。
 ちゃんと会話をする。ちゃんと意思確認をすることは大事です。

 あちこちに『孤独』があります。

 『やりすぎ』→『ノイローゼ(環境に適応できず不安感で心の安定を失う)』

 第三章のジンさんとどうつながるのだろう。

 ぞっとするセリフとして『竹に守られている』309ページ。
 ホラー(恐怖)小説です。

『最終章 家族』
 あと32ページで終わるところまで読みました。
 この章では、これまでの章の伏線の回収が試みられています。
 恐怖小説です。
 今年読んで良かった一冊になりました。
 複雑なので、これまでメモした紙数枚の内容をふりかえりながら読んでいます。
 よくできた仕掛けです。

 辿れる:たどれる。
 
 厄病神(やくびょうがみ)という言葉を思い出す内容です。とりつくのです。
 今話題のなんとか教会の話のようでもあります。

 パワハラの加害者は、自滅の運命をたどる。

 『やっぱり』という言葉が頭をよぎります。

 マウンティング:相手よりも自分のほうが優位であるという言動をすること。

 ローズベースのルームフレグランス:バラの香りがする部屋用の芳香剤。

 怖々と:こわごわと。
 黴:カビ

 そうかと納得する361ページです。
 
 躊躇う:ためらう。

 事件の犯人は、どっちの人物だろう。

 そういうことか。

『エピローグ(終わりに。反対語がプロローグ。はじめに)』
 この部分はこの作品を創作するきっかけとなった動機なのでしょうが、読後感としては、この部分は、ないほうがよかった。最終章までで恐怖感は充実していました。
 作者の意思をくむために、しいて言えば『あの日あの時あの場所であの人と出会わなければ、自分はこんな不幸なことにはなっていなかった』ということは実際にあります。
 人が人と出会うことでいいことにつながるときもあるけれど、そうでないときもある。そうでなかったときの恐怖が語られていると受け止めました。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年10月27日

いるの いないの 怪談えほん

いるの いないの 怪談えほん 京極夏彦(きょうごく・なつひこ)・作 町田尚子(まちだ・なおこ)・絵 東雅夫(ひがし・まさお)・編 岩崎書店

 読む前に、本のカバーとなっている表紙をじーっとながめています。
 こわーいおばけのお話かな。
 ゆうれいが出るぞー

 古くて大きな日本家屋の廊下で、猫4匹に囲まれている5歳児ぐらいの男の子の絵です。
 男の子は、天井を見上げています。
 見上げた先に、なにかがいるのか、いないのか。

 絵本のぶ厚い表紙をめくりました。
 たてよこ、きれいな四角が並んだ絵が広がっています。
 障子の(しょうじの)障子紙(しょうじがみ)の絵のようです。
 小さくてきれいな四角が並んでいます。

 1枚ページをめくりました。

 猫が高い木の上から少年を見ています。
 そういえば、わたしは先日森の中で、朝のお散歩のときに、野良猫が高い木の上から降りてくる姿を見ました。
 野良猫は、上を向いた姿勢で、後ろ向きに木を降りてきます。
 案外猫は、木登りじょうずなのです。

 もう一枚ページをめくります。
 なんで、こんなに暗いのよ。
 電気(照明)つけてちょうだい。

 少年は、わけあって、ひとり暮らしのおばあさんと暮らすことになったそうな。
 わたしも小学校低学年の少年だったころ、父が都会に出稼ぎに行って、母が病気で入院していて、ひとりで父方祖父母の大きなわらぶき屋根の農家に預けられて、しばらくそこで暮らしたことがあります。近くにあった小学校にも通っていました。絵本の中の少年と自分が重なりました。

 こういう古い日本家屋で生活したことがない今どきのこどもさんには、体験がないと絵本に書いてあることについて、実感が湧かないでしょう。

 絵は暗い色調で、物語の文章は『白文字』で書いてあります。
 ゆえに怖さが(こわさが)増します。ひしひしと恐怖が体に伝わってきます。
 天井の梁(はり。横木)から電灯が1個ぶら下がっています。60ワット電球ぐらいでしょう。
 おぜん(低い食卓)の前に座っているお坊ちゃんのお顔はかわいらしい。
 
 でたーー(でも絵は少年の顔だけです)

 座敷わらしではなさそうです。(そんなかわいいものではないということ。成仏(じょうぶつ。死後、この世に未練がなく仏になること)できなかった人間の顔でしょう)
 
 少年は逃げ出しました。
 少年が逃げていく風景の中に神社の鳥居の絵があります。
 鳥居の下には猫がいます。
 猫が幽霊の使いのようなポジション(立場、役割)をもっている絵本です。
 神社・仏閣は、怖さ(こわさ)のムードをアップします。(雰囲気を盛り上げます)
 ぼく、走って逃げるんだ!

 おばあちゃんと少年はあれやこれやお話をします。
 読み手であるわたしは思うのです。
 『おばけがいたっていいんじゃないの。おばけと共存するのです。世の中には、おばけみたいな人がいないわけでもない』

 おばけを見ても見なくても、おばけはいなくならない。
 見えても見えなくても、おばけはそこにいる。
 見えても見えなくても、おばけはどこにもいない。
 考えすぎて、悩むより、考えなくて、忘れればいい。
 たまに思い出すけど。

 家の長い廊下には、猫が8匹もいます。

 ページをめくり続けて、めっちゃ怖い(こわい)ページを開いてしまいました。
 ぞッとしました。
 笑いが出るほど怖い。
 だれでも、ゾーッとしますよ。
 
 猫はどうしているのだろう。
 猫はだれを見守っているのだろう。
 ゆうれいを見守っているのか、あるいは、ぼくちゃんを見守っているのか。
 うぉーー ゆうれいが、おじいさんに見える。

 でも、あれって、自分の顔じゃないのかなあ。
 ああ、おもしろかった。
 
 最終ページです。
 猫14匹がこちらを向いています。  

Posted by 熊太郎 at 06:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文