2024年01月16日

地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし)

地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社

 かなり分厚い本です。小説部分は、625ページあります。評判良く、評価が高い小説です。満州(まんしゅう)のことが書いてあるらしい。満州:中国東北部の旧称。1932年(昭和7年)日本が介在して建国。1945年(昭和20年終戦)まで存在した。

 2023年10月22日日曜日から読み始めます。読み終えるまでに時間がかかりそうです。(翌年1月8日月曜日に読み終えました。少しずつ読み進めました)

 THE MAP AND THE FIST 地図と拳 英語のタイトルが表示されています。

 序章があった、第十七章、そして終章までです。
 時代は、1899年夏(明治32年)から始まって、1955年春(昭和30年)までです。
 日露戦争が、1904年(明治37年)。18か月続いた。

 『序章』の部分を読み終えました。
 読み手たちの興味を惹くように(ひくように)、ずるい仕掛けがしてあると感じましたが、小説ですからそれはそれでいい。
 
 松花江(スンガリー):河川の名称。アムール川の最大の支流
 ロシア兵が出てきます。
 
 高木:両親は薩摩出身。亡父は西南戦争で没した。形見は小刀。仕事は、間諜(かんちょう。スパイ)。参謀本部からの特別任務を受けている。お茶の販売目的で満州地域に入る。(鹿児島はお茶の名所なのでお茶なのだろうと推測します)。役職は、「大尉」

 細川:21歳大学生。中国語とロシア語の通訳。高木に雇われている。亡母が薩摩出身。顔色が悪い。腕は細い。丸眼鏡。体力に乏しい。胆力がない。(度胸)。父親は貿易商をしている。

 苦力(クーリー):アジア系の移民(中国・インド)。出稼ぎ労働者。下層階級
 作物が育つ土・燃えない土・燃える土:燃える土は石炭を含んでいる。

 王(ワン):中国人。山西省出身(北京の西)。現在は、奉天(ほうてん)の東にある李家鎮村(リージャジェン村)に住んでいる。東北(トンペイ)に移住した。

 船の目的地は、『ハルビン』
 死の符牒(ふちょう):隠語、記号、合言葉(あいことば)
 長衫(チャンシャン):中国の女性の衣装


『第一章 千九百一年、冬 (明治34年)』

 奉天義和団の馬宇霆(マーユウテイン)。奉天義和団:宗教的秘密結社。白蓮教(びゃくれんきょう)。外国勢力に対抗した中国の団体。

 李大網(リーダーガン):李老師の表記もあり。李家鎮(リージャジエン)の王様。元役人。集落の主

 神拳会(しんきょかい):農民中心の自衛組織。拳法を使う。
 賈二昆(クーアールクン):人物名。神拳会の師範

 タイトルの意味はなんだろう。『地図と拳』。日露戦争(1904年 明治37年開戦)から第二次世界大戦(1945年 昭和20年終戦)までの50年間を描く。国家と武力だろうか。まだわかりません。

 洋鬼子(ヤンクイズ):西洋人
 二毛子(アルマオズ):西洋かぶれの中国人。キリスト教徒、西洋人から雇われた人間、西洋人と中国人のハーフ
 魔尼教(まにきょう):ペルシャ起源の宗教
 鬼子:鬼のような人間ということだろうか。ロシア鬼子とあります。〇〇人ということのようです。日本鬼子(リーベンクイヅ)、ドイツ鬼子、フランス鬼子、イギリス鬼子、ロシア鬼子とあります。
 (中国の人たちがロシアと戦おうとしています。キリスト教との闘いでもあります。この当時のキリスト教の伝道師の真の目的は、領土を奪うことではなかったのか)

 凶星(ションシン):星占い。悪い影響を与える天体
 禍々しい(まがまがしい):不愉快で、癪に触って(しゃくにさわって)、我慢できない。

 (読んでいると、この当時から、中国は欧米やロシアに土地を侵略されていたことがわかります。国土を守るのもたいへんです)

 白乾児酒(バイカンアルジュウ):コーリャンを原料とした蒸留酒
 桃源郷(とうげんきょう):理想郷
 娘娘廟(ニャンニャンミャオ):道教の女神を祭る社(やしろ。建物)

 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ:ロシア人宣教師。もともとは測量士。父親は地図職人。地図職人の前は画家だった。父が描いた若い頃の母親の肖像画のタイトルが、『冬の森』。母は、クラスニコフ宣教師が6歳のときに肺炎で亡くなった。兄弟姉妹はいない。実家は、モスクワ郊外にある集合住宅の二階。16歳から寄宿舎で生活した。それまでは、父と一緒のベッドで寝ていた。暗闇が怖かった。(こわかった)。書中では、がんこな宗教者の態度があります。儀式にこだわる。

 劉神父:登場して間もなく殺された。

 林銘伝(リンミンチユエン):中国人通訳(ロシア語)。ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。

 匪賊(ひぞく):盗賊。徒党を組んで、略罰や殺人行為を行う集団
 拳匪(けんぴ):義和団の異名。拳、棒術で暴力を振るう集団
 鶏冠山(ジークアンシャン):中国大連市の北東。日露戦争の重要な戦場だった。

 皇帝ニコライ二世

 財務省ウイッテ大臣

 参謀本部 アントネンコ大尉 白ヒゲの男

 ケルベズ四等文官

 極東軍 マドリトーフ少佐

 この物語は、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を軸にして進行していくようです。
 彼は5年前、1896年(日本だと明治29年)に満州のことを聞いた。ロシアが、測量をして地図をつくりに行く。(いずれ支配するために)満州にロシアからシベリア鉄道を敷く。地図が都市を生む。測量隊の一員として、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師も参加することになった。

 満州の人間は、『地図』というものを理解できなかった。
 満州の人間は、世界も神も知らなかった。針の穴から家の天井をのぞくぐらいの視界しかなかった。

 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、1898年の暮れ(明治31年)満州を訪れた。

 羅宋帽(ルオソンマロ):ボルシチ帽(帽子ぼうし)。ロシアから中国に伝わった。ラクダの毛を二重にしてできている。ひさしはない。

 馬掛(マークア):中国の清の時代に男性が着用した服。腰までの丈(たけ)、長袖が少し短い。前をヒモで組まれたボタンで留める。

 孟(もん):林銘伝(リンミンチユエン。通訳)の親戚。妻はロシア系キリスト教の信徒。孟も通訳

 龍擡頭(ロンタイトウ):龍が目覚める日のこと。(旧暦2月2日。2023年は、3月11日月曜日だった)

 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を捕らえた中国人の若者が死んでいると思っていたら息があった。
 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、通訳の林(リン)がやめるように強く説得したのにもかかわらず、自分たちを拘束して敵に引き渡そうとしたその中国人の若者を助けます。(宗教が下地になって、加害者である人間を許そうとなるのですが、読み手の自分は拒否的な心理になります。ありえません。被害者は命を奪おうとした加害者を絶対許しません。設定がおかしい。あるいは宗教の教えが矛盾(むじゅん。食い違い。理屈に合わない)しています)
 『……、これは自分と神との問題だ。』という言葉があります。意味をとれません。そもそも神はいません。(もうこの先読んでもしかたがない。読書をやめうようか……)まだ60ページすぎあたりです。クラスニコフ宣教師と通訳の林は、再びその若い男に拘束されてしまいます。(その後、事態は変化します。男は、クラスニコフ宣教師たちをロシア軍に引き渡したい。李大網(リーダーガン)がふたりを助けたいそうです。

 告解(こっかい):カトリック教会。神の許しを得る儀式

 楊亮康(ヤンリンコン):クラスニコフ宣教師をかつて殴ろうとした男。昔は青島口(チンタオ)で商船の船長をしていたが、海賊がらみで仕事をやめて中国東北部へ生活を移した。そこが、李家鎮(リージャジェン)だった。

 楊日綱(ヤンリーガン):楊亮康(ヤンリンコン)の息子。ロシア人に投げかけた言葉として、『自分たちだけが正しいと思わないでください』

 情報が混乱していて、何を信じたらいいのかわからない状態です。

『第二章 千九百一年、冬 (明治34年)』

 青島口:チンタオ

 海賊の被害が出た。役人は無実の者を海賊だとして捕まえて朝廷に報告していた。
 楊亮康(ヤンリンコン)は人にだまされます。人にだまされて不幸に落とされるところから、たいてい、物語は始まります。

焰星(イエンシン):こちらの物語では、『国家』のこと。日清戦争で中国が負けた記事があります。(1894年(明治27年))

 夷狄(いてき):外国人
 ロシア人は、『神』を正義だとし、『拳』を悪として、中国の広い大地を奪おうとしている。

 劉春光(ウチェングアン):滄州(そうしゅう。都市名。天津市(てんしんし)の南。)出身の形意拳の使い手

 白蓮教(びゃくれんきょう):中国、浄土信仰の一派
 神拳会(シェンチユエン):李大網(リーダーガン)が名付けた武術

 なんだか、少年マンガのシーンのようになってきました。拳法(けんぽう。拳(こぶし))で相手に勝つ。拳には魂や霊気が備わっていて、強力な破壊ができる波動のような動きがあるというものです。
 「硬気功(鋼の精神(はがねのせいしん))」「金房子罩(金属の房子を罩った(かぶった))」「熱力(金属のこと。さらに外国人のこと)」「土木反転(土は東北の民、木が「清朝(国家)、金属(外国人。銃)によって、土が押しつぶされている」)」「排刀一の芸(戦争のこと)」
 銃に対して、鉄の拳で対抗するというように読み取れます。

 孫悟空(ソンウーコン):楊日綱(ヤンリーガン)は自分に孫悟空という神が乗り移ったと悟りました。馬賊の頭(かしら)になって、名は、孫行者(ソンシンジヨオ)となります。

『第三章 千九百一年(明治34年)、冬』
 田(テイエン):支那人の役人

 義和団の反乱:1900年(明治33年)-1901年(明治34年)。清朝末期の動乱(どうらん。世の中が乱れる)。外国人キリスト教宣教師と地元地域の人間が対立した。土地を巡る争いがあった。清軍と義和団は欧米列国と戦争になり清国が負けた。

 高粱(コーリャン):イネ科の一年草。背の高いモロコシ
 寛城子(クワンチヨンツ):長春市
 コサック騎兵:ウクライナやロシアに存在していた軍事共同体
 洋人(ヤンレン):西洋人。欧米人
 
 周天佑(チョウテイエンヨウ):謎の登場人物。老害化した父親を事故死のように死なせた。
 吝嗇(りんしょく):ケチ
 科挙(かきょ):官僚登用試験。公務員試験
 洪秀全(ホンシユウチユエン):清代の宗教家。革命家
 小米(シヤオミー):もみがらを取り除く処理の途中で、砕けて粉のようになった米
 老許(ラオシユウ):年寄りということか。
 遼陽:中国遼寧省に位置する都市
 説話人(シユウホワレン):物語を語る芸人
 大足女:ていそく纏足(足を小さく見せる処理)をしていない女性
 小褂子(シヤオクワツ):中国服。上着
 熱力(ルオリー):本質。熱は命。人間は熱。熱がなくなったときが人間の死。熱をつくるのが、食糧と石炭。内側から発生する熱と外側で発生する熱
 八卦の理(はっけのことわり):中国伝来の占い。八種類の形。理は、物事の道筋
 ロシアの宣撫工作員(せんぶこうさくいん):被占領地の住民が従うよう、住民への援助を行う仕事を担当する。
 大俄国木材公司司総管(ターウーグオムーツアイゴンスーツオングアン):ヤンリーガン楊日網の役職

『第四章 千九百五年(明治38年)、冬』
 日露戦争の真っ最中です。
 沙河(シヤーホー):川の名称。ロシア陸軍と日本陸軍の戦場
 卜者:ぼくしゃ。占いをする人
 城廠:読みは、「じょうしょう」でいいと思います。意味は、屋根だけの建物で、戦地の砦(とりで)だろうと思います。
 
 谷津(やず):日本軍司令部の人間

 旅順が陥落した。(ロシアが負けた)

 于洪屯(ユウホントウン):中国遼寧省瀋陽市西部の地名
 円匙(えんぴ):小型のシャベル
 従卒(じゅうそつ):将校の身の回りの世話をする兵員。この本では、「間島隊員」
 兵卒(へいそつ):最下級の軍人。この本では、「矢部隊員」
 
 伏線の『軍刀』が出てきます。高木大尉にとっての西南戦争で死んだ父親の形見です。高木大尉が満州に来て6年が経過しています。

 兵站(へいたん):物資の補給・輸送担当。この本では、「兵站司令官福田(のちに大尉)」

 日露戦争における戦場での激しい殺人描写があります。
 主人公だと思っていた人物が絶命してしまいました。
 この物語は、群像劇なのだろうか。
 時代の流れの中で、悲しくも消えていった人たちの姿を浮かび上がらせるという手法だろうか。

(つづく)

 以夷制夷(いいせいい):外国を利用して、自国のために他国をおさえる。
 梁山泊(りょうざんぱく):豪傑や野心家が集まる場所のたとえ。山東省に会った沼地の地名。盗賊や反乱軍の本拠地だった。「水滸伝(すいこでん。シエイシユウチユエン)」の主人公たちが立てこもった場所
 靉陽辺門(あいようへんもん):日露戦争の戦地。中国遼寧省瀋陽市。このあたりで、輸送隊が誘拐された。
 士官学校:士官(将校)を養成する学校(現在の防衛大学)
 庇われている:かばわれている。
 支那語の通訳:福田と細川、岡田
 加藤少尉
 黄(ホアン):支那人の密偵(みってい。スパイ)
 花田総統
 新開嶺:遼寧省か吉林省(きつりんしょう)の地名
 便帽児(ビエンマオアル):中国で、ふだんかぶる帽子(儀礼用や軍用ではない)
 奉天(ほうてん):現在の瀋陽市。奉天は、満州当時の地名
 富順(フーシュン):瀋陽市にある地名
 興安:中国東北部にある地名
 団錬:中国の地元住民による自警組織
 馬賊:馬の機動力を利用する盗賊集団
 天門槍(テンメンチャン):団錬や馬賊が使う武器
 射線:射撃の時の銃の向きの延長線
 輜重車(しちょうしゃ):軍需品の輸送・補給に用いた車両。馬で引く木造の荷馬車

 いろいろ意味を調べないと中身を理解できそうもない読書です。コツコツと少しずつ前に進んでいきます。

(つづく)

 鍵を握るのは燃料となる『石炭』です。李家鎮(リージャジエン)には、石炭の鉱床がある。将来、炭鉱都市になりうる。(通訳細川の話として)石炭都市になったら地名を『仙桃城(シエンタオチヨン)』にしたい。仙桃は果実で、食べると不死身になれる。

 尾形少佐

 相手への恨み(うらみ)が、相手の戦死で、憎む者の気持ちが消化(あるいは、消火、昇華(高度な状態に抜ける))される。

『第五章 千九百九年、冬(明治42年)』
 オケアノス:ギリシア神話に登場する海の神。万物の始まりとされる。(こちらの物語では、満州をオケアノスとして、『万物の始まり』になりえるかと問います。
 果実:成果物。利益、金銭その他のもの。
 ホメロス:古代ギリシアの詩人。紀元前8世紀末ころの人物らしい。
 アレクサンドロス大王:古代に王
 プラトン:古代ギリシアの哲学者。紀元前427年ころ―327年。ソクラテスの弟子
 
 須野(すの):南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」に報告書としての資料を提出する。東京本郷に住んでいる。大学の気象学研究者。

 元木教授:須野の同僚

 神託書(しんたくしょ):神の言葉、神の意思

 新井:満鉄の歴史地理調査部所属

 黄海(こうかい)にあるとされる青龍島(チンロンタオ):存在しない。

 地図の話が出ます。歴史とか人物とかです。この物語の肝(きも。大事な部分)になるところでしょう。
 まだ文字のなかった古代からです。地面に、獲物がいる場所を書く。雨で流れる。また書く。めんどうなので、今度は、石を掘って地図とする…… そのような流れです。
 徴税のために地図を作成する。領土を広げるために地図をつくる。

 マルコ・ポーロ―の『東方見聞録』が出てきます。読んだことがあります。
 そのときの感想メモが残っています。
 『全訳 マルコ・ポーロー東方見聞録 青木和夫訳 校倉書房』
 初めて読みました。誤解がありました。マルコ・ポーローは冒険家で単独にてシルクロードを歩いた人ではありませんでした。時は日本の鎌倉時代、マルコはまだ15歳、父親と叔父と一緒に商売の旅にイタリアヴェニスからスタートしています。再びヴェニスに戻ってきたのは25年後、マルコは40歳に達しています。
 記述の中にあるのはまるで映画の中の風景です。アジアの様子です。王がいて、一夫多妻制で、世襲です。支配する者の権力は強大です。一族内の権力闘争があって、毒殺がある。日本も同時期に同様な形態の社会がありました。国は発展して堕落の経過をたどり侵略や内戦によりやがて滅びていく。タルタル人、サラセン人、ジェノア人、アルメニア人、ジョルジャ人、トリシン人、カタイ人は今の何人なのかわからない。ドイツ人、フランス人、ユダヤ人、トルコ人はわかる。キリスト教、マホメットの宗教があって、偶像崇拝の宗教がある。

 ここまで読んで、こちらの小説で宗教家が出てくるのですが、思うに、西洋人はまず、キリスト教という宗教で現地の人間を精神的に感化して(洗脳して。マインドコントロールして。感情・意識を操作誘導して)、その国の領土を手に入れる(植民地化する)という手法をとっていた。ゆえに、江戸幕府は、キリスト教を禁止したと考察できます。

 古代ギリシア人:地中海の地図を作製した。
 古代ローマのプトレマイオス:球体の地球を平面に描写した。

 紙の上に『世界』を表現する。

 宣教師たちは、測量技術を使って、地図をつくるようになった。

 日本の伊能忠敬さん(いのう・ただたかさん)を思い出しました。
 1745年-1818年 73歳没 1800年から1816年の17年間、日本各地を歩いて測量をした。本人56歳から測量が始まっています。

 物語のポイントとして、『実在しない「青龍島(チンロンタオ)」が地図に描かれている』こと。

 インバネス:男子用のコート。肩から胸にかけて、もう一枚布(ケープ)が付いている。(満鉄の通訳細川が着用していた)

 高木慶子:寡婦(かふ。夫を亡くした女性)、長男正男5歳、その後須野と再婚して明男(あけお)が誕生する。亡高木大尉の妻。満鉄の職員になった須野(すの)と再婚する。スノ・アケオ:反対から読んで「アケオノス」(万物の始まり)

 そうか…… という物語の仕組みが判明します。途切れたと思った糸が再びつながりました。

 慧深(けいしん):1400年前の支那人僧侶。アメリカ大陸に渡った。

扶桑(ふそう):神木(しんぼく)。ハイビスカス
 
 『満州の地図をつくって、日本の夢を書きこむ。満州に国家をつくる』(満州はまだだれものもでもなかった。清が滅び、中華民国が誕生していたが、満州の統治はできていなかった)

 日本橋三越:先月10月のとある日に、建物の前を歩いたので、作中に出てきた名称を身近に感じます。

 ニライカナイ:沖縄地方の話。海のかなたや海底に理想郷があって、そこをニライカナイという。信仰のひとつ。

 青龍島:チンロンタオ

『第六章 千九百二十三年、秋(大正12年)』
 関東大震災発災の年です。記述にも出てきます。

 須野明男(すの・あけお):独特です。まだ、11歳です。伏線として、高橋大尉の軍刀。
 懐中時計を与えられて、秒針の動きから時間の経過に強い興味と執着心をもつ。
 9歳で温度計を与えられて、温度に異常なまでの興味を示す。狂気すら感じられます。
 時計がなくても現在の時刻がわかるようになる。温度計がなくても、今の温度がわかるようになる。
 11歳で風力計を与えられて、風力計がなくても風力がわかるようになる。
 
 市谷台:いちがやだい。東京新宿区内。登場人物の男の子が通う士官学校がある。(熊太郎はたまたま先日、市ヶ谷にあるJICAジャイカ地球広場を見学したばかりなので、読んでいて縁を感じました。そばに防衛省の広い施設があります。

『第7章 千九百二十八年、夏(昭和3年)』
 福田主計大佐
 山井大尉(やまのいたいい)
 京都帝国大学教授 一木教授(いちききょうじゅ)
 三井物産 棚橋部長:背の高い白髪の男
 松浦商会 横山(ヘアスタイルは、「震災刈り(七三分けなどの短いほうをより短く刈り込む)

 満州にある関西商船が間借りしている三階建ての建物
 ファサード:建物正面から見た外観
 
 『日華青年和合の会』
 『仙桃城炭鉱準備掛』(虹色の都市にする夢がある。満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、国家や民族、文化の壁を越えて、みんなで手をとりあって生活する。新国家の建設が目標ですとあります。「最後の一色(221ページ)」とありますが、その一色は「死者」を表す。この土地の人のために、これまでに亡くなった人たちの霊魂を指す)
 
 孫文。革命軍を率いる:1866年(日本では江戸時代末期)-1925年(大正14年)58歳没。中華民国の政治家、革命家
 
 張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。

 蒋介石(しょうかいせき):1887年(日本だと明治20年)-1975年(昭和50年)87歳没。中華民国の政治家。初代中華民国総統。

 土匪(どひ。土着の非正規武装集団。盗賊の類(たぐい))、政匪、商匪、学匪
 跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ):いろいろな妖怪が夜中にうろつきまわること。

 関東軍:大日本帝国陸軍のひとつ。日露戦争後、日本がロシアから引き継いだ土地を担当した。

 炭鉱のことが出てきます。一時期は隆盛をきわめましたが、石油へのエネルギー革命で、急速に衰退化しました。以前、福岡県の飯塚市で歴史資料館の展示を見学しましたが、150年間ぐらいの経済活動だった記憶です。江戸時代末期から1970年代だったと思います。

『第八章 千九百三十二年、春(昭和7年)』
 林銘伝(リンミンチユエン):60歳過ぎの男性。肉体労働者。日本人のための野球場をつくっている。元クラスニコフ神父のロシア語と中国語の中国人通訳。老林:ラオリン。「老」は、年長者に対する親しみがこめられている。若い頃は、ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。

 仙桃城(シエンタオチヨン):地名。李家鎮(リージヤジエン)の変更後の地名
 鶏冠山(ジークアリシヤン):山の名称
 クラスニコフ神父:物語の初めの頃に登場したロシア人キリスト教会の神父。聖ヨハネ教会担当。聖ヨハネ教会は、教会とは名ばかりの粗末な小屋
 東州河(トンチヨウホー):川の名称
 孟(モン):林銘伝(リンミンチユエン)の親戚。通訳。孟の妻がロシアキリスト教の信徒

 時代は少しずつ前に進んでいます。
 
 奉天紅槍会(ほうてんホンチアンホエイ)の許春橋(シュウチユンチヤオ)
 赤銃会(チーチヨンホエイ)の孫丞琳(ソンチヨンリン)。愛称が、孫百八姐(ソンバイパージエ)。孫悟空ソンウーコン(孫行者ソンシンジヨオ)の末子だが、父親の孫悟空を嫌っている。強く孫悟空を憎んでいる。(実は、孫悟空は父親ではない)。女性でダンサーをしている。
 炭鉱で働いていた陳昌済(チエンチヤンジー)
 先生:中国語の場合、日本語の「先生」の意味ではない。〇〇さんの「さん」という意味になる。
 溥儀(プーイ):愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)1906年(日本だと明治39年)-1967年(昭和42年)61歳没。中華圏最後の皇帝。ラストエンペラー。満州国の皇帝として即位。
 東州路(トンチヨウルー):道路の名称かと思いましたが、区域ではなかろうかと判断しています。

 石本:須野明男(すの・あけお)と同室者。女好き。
 笠岡教授:東京帝国大学工学部建築学科担当。笠岡研究所担当
 
 1932年(昭和7年)の設定です。満州国がこの年に成立して、終戦の1945年(昭和20年)まで続きます。

 五色旗(ごしょくき):黄色を下地にして左上に、上から赤・藍・白・黒の旗。満州国の国旗
 都邑計画(とゆうけいかく):都市計画。「邑」は、「村」のこと。
 山査子(さんざし):落葉低木
 
 満鉄の村越
 張文貴(チヤウエンクイ):こども、男児。弟がふたりいる。須野明男(すの・あけお)が写真を撮る。その写真がきっと伏線になると予想します。隣に住むのが、「江(ジャン)」さん。
 三国志:サングオジー
 仙人(シエンレン):西方人(アジアから見て西の人)
 古田:日本人警官。中年。優しい。
 安井憲兵少尉
 小明(シヤオン):須野明男(すの・あけお)のダンスの相手をした女性

 トラブルが発生して荒れます。
 下達(かたつ):上層部の命令を伝えること。
 揶揄い:からかい
 
 淡々と冷徹に、日本兵が中国人庶民を集めて大量虐殺をしたことが書いてあります。
 イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃のようでもあります。
 やらなければ、やられるという恐怖にかられているのです。
 戦争の痛ましさがあります。
 みせしめをしても、復讐心は消えるばかりか倍増します。
 戦争は空しい(むなしい)。だれが戦争を主導しているのか。

『第九章 千九百三十二年、秋(昭和7年)』
 安井:守備隊の憲兵。少尉
 考古学者:いまのところ氏名不明
 加納伍長(ごちょう):ニックネームは「将軍」
 奉天紅槍会の許春橋(シユウチユンチヤオ)
 甘粕(あまかす)民政部警務司長

 読んでいて思い出す一冊があります。
 赤塚不二夫さんの自伝です。
 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』
 『戦中編(満州1)』
 現在の北京市(ぺきんし)北東部にある古北口(こほくこう)生まれ。本籍は新潟市だそうです。 著者の父親が、特務警察官です。日本と対立する中国のゲリラ対策対応が業務のようです。ずいぶん危険そうな職業です。髭(ひげ)を生やして(はやして)いた。怖い人というイメージだったとあります。

 黄河文明のことが少し書いてあります。

 五族協和:満州、蒙古、回(イスラム教徒)、蔵(チベット民族)、漢民族

 ひとり殺せば、何人でも殺せるようになるのか。
 へんな話ですが、昔タクシーの運転手と話をしたときに、運転手が、浮気というものは、最初はためらうけれど、一度やってしまうと、何度でもやれるようになると聞いたことがあります。浮気でなくてもほかの罪悪感をもつようなことでも同様でしょう。基本的に人間なんてそんなものなのです。

 『…… 上官の命令は、陛下の命令と同じだと教えられていた……』洗脳による意識操作(マインドコントロール)があります。他者の考えにだまされたり、依存したりしちゃだめです。自分の脳みそで考えなければだめです。

 アナキスト:国家や宗教などの権威と権力を否定する。個人の合意で個人の自由が重視される社会を理想とする思想の人

 邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。
 宋其昌(ソンチーチヤン)
 韓(ハン):門番
 王経緯(ワンジンウエイ):奉天抗日軍の連絡役を名乗る男(実は相手をだまして捕まえようとする組織の人間)

 ロシアの言葉として、『キノコと名乗ったからには籠に入れ』(一度手をつけたら、最後までやり遂げなさいという教え)

 耳に痛い言葉として、『日本人たちは、暴力によって他人を支配できると考えている。偽国家を作り、偽の法を作り、偽の王の力でこの地を征服しようとしている……』

 ロシア人キリスト教神父に抗議があります。『あなたの言うように祈ったところで、何も起こりませんでした…… 戦うことでしか、私たちの意思を示すことはできません』(神よーーと 祈っても、戦争はなくならないのです)

 須野正男:須野の長男。工兵として満州へ行く。工兵(軍人。技術的作業担当)
 須野明男(すの・あけお):須野の次男。二十歳

 張学良(ちょうがくりょう):1901年(日本だと明治34年)-2001年。ハワイホノルルにて100歳没。軍人、政治家。張作霖の長男。張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。

 犬養毅(いぬかいつよし)首相:1855年(江戸時代末期)-1932年(昭和7年)76歳没。五・一五事件で暗殺された。反乱目的で武装した陸海軍の将校たちが内閣総理大臣官邸で殺害した。

 小明(シヤオミン):なになにちゃん、なになに君。細川が須野明男を呼ぶ時の言葉。

 細川が満鉄を辞める。空席となった仙桃城工事事務所長の後任に、松浦商会の取締役で、「日華青年和合の会」の若手強硬派だった横山という三十代の男がなった。ロシアの大学を出たとびぬけた頭脳をもつ男だった。ただし、細川は横山を支持していなかった。

 石原参謀(さんぼう)

 319ページまで読みました。淡々と話が進んでいきます。山場があるようでありません。不思議です。今日は12月2日土曜日です。寒くなりました。

『第十章 一九三四年、夏(昭和9年)』
 石本:須野明男の友人。東横線『代官山駅』の近くに住んでいる。
 中川:石本と同じアパート、二階の手前の部屋に住んでいる。石本いわく、中川は千年に一度の秀才らしい。同潤会に就職した。石本と同じ高校の三年先輩。

 コンター:等高線、輪郭線
 フラット:集合住宅
 同潤会(どうじゅんかい):財団法人。日本で初めての住宅供給組織。大正13年設立。大正12年の関東大震災の義援金で設立された。
 リムスキー=コルサコフの『シェラザード』:1888年完成の交響組曲
 ポール・ヴァレリーが『エウパリノス』の中で言っていた:フランスの詩人・小説家(1871-1945 73歳没)。代表作が、「エウパリノス」建築と音楽。哲学と舞踏論ほか。
 エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』:近代都市計画の祖。イギリスの社会改良家、都市計画家。1850-1928。78歳没。明日の田園都市は著作品。モダン(現代的、当世風)な都市計画の提唱者。レッチワースは、ハワードが手がけたロンドンの北にある田園都市
 岸田先生、辰野金吾:建築家。辰野金吾氏は、日銀本店、東京駅、奈良ホテルなどをつくった。
 笠岡教授:専門は防災
 ル・コルビュジエ:スイス生まれでフランスで活躍した建築家。フランス語の論文として、「輝く都市」

 伏線として、『アカシア』:『抽象的な都市生命学』

 満州国三周年記念日の翌週、戦争構造学研究所記念祝賀会
 千里眼ビルディング:正式名称は、東亜ビルディング。仙桃駅直結のビルディング。孫悟空の会社東亜公司が経営する。公司(こうし):中国で会社のこと。

 仙桃城工事事務所長 横山
 駐在員 村越

 ファサード:建物の正面から見た外観

 335ページ。戦争構造学研究所長の細川が、『地図と拳』というタイトルで講演を始めます。
 地図は二人組でつくる。(測量)
 イギリス人のメイソンとディクソン(アメリカ合衆国ペンシルベニア植民地とメリーランド植民地の境界線)
 ルイスとクラーク(アメリカ合衆国西海岸)
 カッシーニ親子(フランス。木星を使って経度の計測に成功した)
 キムとラマ(英領インド)
 漢人シーとホー(古代の天文学者)
 ブーゲとコンダミン(フランス人。ペルーで測量)
 
 三角測量を用いて測量する。

 趣旨として、『国家とは、すなわり地図である。…… 大日本帝国は、台湾を手に入れ、朝鮮を手に入れた。』
 もうひとつ、拳(こぶし)の趣旨として、『この世から「拳」はなくならない。地図があるから、「拳」はなくならない。世界は狭すぎる。人類が住める場所は狭い。だから人類は戦争をする。居住可能な土地を求めて戦う。東欧を統治する者は、ハートランド(ユーラシア大陸)を支配する。ハートランドを支配する者は、世界島(アフリカ大陸)を支配する。世界島を統治するものは全世界を支配する。(中国の政策一帯一路のようです)』
 ユーラシアの東方にドイツがある。西方に日本がある。
 
 昭和9年のことですが、戦争構造学研究所長の細川の頭の中には10年後の世界のことがあります。

 今田:政治活動家。東京上野不忍池(しのばずのいけ)の近くにあるアパートに住んでいる。偽名が今田で、本名は、『鴨田直志(かもだ・なおし)』らしい。
 K:今田が属する政治活動団体のトップ

 石本が考える須野明男があります。
 石本は、須野明男の都市計画能力に嫉妬しています。ライバル視です。
 石本は、自分の代わりに須野明男の対抗馬として、中川を立てます。
 
 革命:資本主義を共産主義に変える。
 議会制度の否定:資本家にとって優位な制度だから。
 ブルジョワ階級:資本家
 プロレタリアート:賃金労働者階級。労働者、農民

 石本は、共産党の末端組織「細胞」の活動に取り組み始めます。
 石本は、『青年建築家同盟』を立ち上げます。建築を通じて世界を変える。考え方は共産主義的です。資本主義を否定する。戦争のない平和で平等な世界を実現する。機関紙が、『青春』

 本のなかの時代は昭和10年(1935年)です。昭和ひとけたから10年あたりが、熊太郎の親世代が生まれたあたりです。昨年12月に九州に住む実母に会ってきました。もう90歳ぐらいです。耳は聞こえにくいようですが、おしゃべりは尽きません。いろいろ叱られるばかりです。黒柳徹子さんの世代です。戦争体験者はご苦労をされています。

 仲間として、木内、須野明男、石本、中川、班長という肩書の人

 須野明男は、昭和10年(1935年)に東京帝国大学を卒業した。まだ、ラジオはあるけれど、テレビはない時代です。昭和16年(1941年)12月から太平洋戦争に突入です。
 美濃部達吉の天皇機関説:1873年(明治6年)-1948年(昭和23年)75歳没。法学者。天皇に主権があるとはしない。天皇は周囲の進言を受けながら国を統治する役割を果たす。(こちらの物語の中では、人民が「機関」の意味をとれず、「機関車」とか「機関銃」と理解しています)

 干城(かんじょう):国を守る軍人
 大元帥(だいげんすい):天皇
 股肱(ここう):部下
 埒があかない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。「埒(らち)」は、囲い。
 イデオロギー:政治思想、社会思想
 瓦解(がかい):一部の崩れから全部が崩れること。
 
 青年建築家同盟:多い時で50人超え。大学教授、課長級の人物、若手建築家の集団。その後減少して、14人。編集長石本
 
 赤:共産主義者、社会主義者
 酒保(しゅほ):飲食物の売店(軍関係)
 
 軍隊です。鉄拳制裁があります。(殴る(なぐる))

 コミンテルン:国際共産主義運動の指導組織
 美人局(つつもたせ):女を使って男をだまして男から金銭をせしめる。
 拐帯(かいたい):預かっているお金を持ち逃げすること。
 シンパ:共産主義への共鳴者。影で援助する。
 ファシズム:労働階級を権力で押さえる。外国を侵略する。独裁主義。反対派を弾圧する。
 
 橋本:2年兵。薬莢をなくした。やっきょう:鉄砲の発射薬を詰める容器。発射後、銃から排出される。
 白澤:内務班の職員

 転向:共産主義、社会主義をやめる。その思想を捨てる。

 特務曹長(とくむそうちょう):陸軍の准士官。少尉と曹長の間。

 償勤兵:軍法上の罪を犯した(おかした)兵員という意味だろうか。たとえば、脱走兵。

 不寝番:夜通し寝ない出番をする人。役目

 読んでいて、話の話題が小さいような気がします。370ページあたりです。

 内閣総理大臣:須野正男(須野明男の兄)。明朗快活な好男子。中尉として満州に滞在中。
 日本銀行総裁:石本
 海軍大臣:赤石
 仮想内閣→仮想閣議。昭和12年(1937年)5月初めのこと。
 須野:須野明男の父。満鉄の仙桃城工事事務所の工科長。工科は、工業に関する学問。学科。
 陸軍大臣:滝本

 丸眼鏡の男:戦争構造学研究所の細川
 仮想内閣で未来を推測する。
 地政学研究班が導き出した『塘沽事変(とうこじへん)』をもとにして、日本政府の対応を考える。(仮想の塘沽事変(とうこじへん)が、現実の北支事変になる。盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)1937年(昭和12年)7月7日)
 
 国民党の蒋介石(しょうかいせき)と共産党の周恩来(しゅうおんらい)。

 デュナミス:ギリシア哲学用語。『現状から発展する可能性のある選択のこと』未来の予想です。戦争になるかならないか。どちらが勝利するかなどです。

 タングステン:金属。洗車の装甲、砲弾、対戦車弾に使われている。

 須野明男:歩兵として、満州に来た。司令部勤務で、仙桃城の派出所で都市計画や建築に携わる。
 須野正男:陸軍の命令で、北支へ行った。
 
『第十一章 一九三七年、秋(昭和12年)』
 中川:昭和12年8月下旬赤紙(召集令状)を受け取った。盧溝橋事件が、7月7日だった。日本人はロシア人が敵だと思っていた。中国人が敵になってしまった。『K』は、中川だった。
 
 多胡(たご):バイオリン弾き

 銃の音についてです。
 ドン:自分が銃を撃った時の音です。
 パン:相手が銃を撃った時の音です。
 ヒュン:相手が撃った銃弾が自分のそばをかすめて通過する音です。
 
 塘沽沖(とうこおき):天津の南東にあたる。
 天津(てんしん):北京の南南東に位置する国家中心都市
 王口鎮(ワンコウジエン):天津の南南西にある土地。天津市の管轄
 子牙河(ズーヤホー):河川
 八貫:3.75kg×8=30kg
 沙河橋鎮(シヤーホーチヤオジエン):天津市の南南西に位置する土地
 海松色(みるいろ):海藻のようなくすんだ濃い黄緑色
 微発(ちょうはつ):軍需物資を人民から強制的に取り立てる。
 献県城(シエンシエンチヨン):天津の南南西に位置する土地
 歩兵の役割:『行軍(こうぐん。軍隊が隊列を整えて移動すること)』と『突撃(喊声(喚き声)をあげて前進すること)』突撃とは、阿呆になり(あおうほうになり)、ただの機械になること。
 孫丞琳(ソンチヨンリン):女性。孫悟空(ソンウーコン(孫行者(ソンシンジヨオ)))の娘。愛称『孫百八姐(ソンバイパージエ)』赤銃会(チーチヨンホエイ)のメンバー
 小島:仙桃城守備隊第二中隊長
 許春橋(シユウチユンチヤオ):奉天紅槍会。炭鉱襲撃の英雄
 安井:守備隊の配属憲兵
 宋其昌(ソンチーチヤン):守備隊に通訳としてもぐりこんだ。
 八路軍(パールー):中国共産党軍。以前は、仙桃城紅軍((シエンタオチヨンホンジユン)
 永陵街(ヨンリンジエ):仙桃城の東に位置する土地
 邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。

 父親である孫悟空から娘である孫丞琳(ソンチヨンリン)への教えとして、『王は予言者に反論できなければならない』があります。予言者が王を支配していた。予言者だけが、お文字を読めた。
 予言者のいいなりになってはいけない。王は、学ばなければならない。(権力者になる立場の人間は、学ばなければならない)
 歴史や学問は、『声』によって、後世に伝えられてきた。師匠の教えを弟子が引き継いだ。
 文字は、金勘定をするために生まれた。文字は、物語をつくために生まれたのではない。
 最初に文字を使ってできた物語が、『聖書』だった。
 
 ロシア人のクラスニコフ宣教師は、宣教師の職を失って、老人のホームレスのようにやつれはてています。彼は、地図をつくっている。
 孫丞琳(ソンチヨンリン)と須野明男は再会しますが、孫丞琳(ソンチヨンリン)は須野明男を覚えていません。ふたりが以前会ったのは、1932年(昭和7年)3月2日、午後10時11分です。日本が経営する炭鉱が現地中国人グループに襲撃される直前でした。

 中川
 水島

 戦争の悲惨さが、日本軍の中国における『行軍』行為として表現されています。
 『戦争』は、人間を、『獣(けもの)』に変えます。この付近のシーンでは、日本軍の兵隊は、加害者です。侵略者です。

 山岳地帯の鞍部(あんぶ):山の尾根のくぼんだところ。
 展望哨(てんぼうしょう):遠くを見渡す見張り。
 擲弾筒(てきだんとう):手りゅう弾を遠くに飛ばすための小型の火器
 血路(けつろ):敵の囲みを破って逃げる道
 山縣元帥(やまがたげんすい):山縣有朋(やまがた・ありとも)。長州藩。高杉晋作と奇兵隊を率いた。(たかすぎしんさくと、きへいたいをひきいた)。陸軍大将
 日本男児の気象を示す:気質
 
 414ページ付近を読んでいて、一冊の絵本のことを思い出しました。『百年の家 絵/ロベルト・インノチェンティ 作/J.パトリック・ルイス 訳/長田弘(おさだ・ひろし) 講談社』戦争がからんでいます。

 アリストテレスの言葉があります。『よい人間とは何か。』アリストテレスは答えます。『「思慮(しりょ)である。注意深く、ものごとを様々な側面から考える。他人の立場を慮る(おもんばかる。相手のことを考えて相手のためになる仕事をする)』
 
 平常時は建築の天才といわれた中川は、戦争で歩兵となり、中国大陸で銃撃戦を行い、自分はもう人間ではない。修羅(しゅら。バケモノ。インドの鬼の神)になったと悲しくなるのです。

『第十二章 一九三八年、冬(昭和13年)』
 安井:憲兵中佐。須賀明男からカメラを取り上げた。
 横山所長:今は奉天にいる。
 ジュール・ブルデ:フランスの建築家
 本多静六(ほんだ・せいろく):1866年(江戸時代末期。明治維新が1868年)-1952年(昭和27年)。85歳没。林学者。造園家。株式投資家。「公園の父」。投資で得た巨万の富を匿名で教育機関、公共機関に寄附した。日比谷公園を設計した。

 1889年万国博覧会:明治22年フランスパリにて。第4回パリ万博

 『光とは命である』『建築家は光を利用する』『闇とは想像力である』

 ル・コルビュジエ:建築家。スイス生まれフランスで活躍した。

 須野明男は、公園をつくることを決心する。

 南京陥落:1938年(昭和13年)12月13日

 近衛内閣(このえないかく):内閣総理大臣近衛文麿(このえ・ふみまろ)。第1次から第3次。
 
 黄宝林(ホアンパオリン):別名として『黄司令(ホアンスーリン)』と呼ぶ。反日活動組織のトップ。常に砂時計を使用していて、自分自身の行動の時間の管理をしている。日本人に対する強烈な復讐心をもっている。

 飛龍(フェイロン):軍馬の名前
 牌布(パイプウ):布。ラシャ。毛織物
 輜重係(しちょうかかり):軍隊で兵站(へいたん。物資に関しての支援担当)担当。手荷物係
 『一切行動聴指揮(どんなときも指揮に従って行動せよ』『一切繳獲要帰公(得たものはすべてみんなのもの)』
 『わたしたちの土地を取り戻しましょう』
 惹句(じゃっく):キャッチフレーズ
 
 須野明男のプランとして、『李家鎮公園(リージヤンエン公園)』の計画案

 『燃えない土』は、コンクリートとの相性が良かった。

 ゲニウス・ロキ:ローマ神話における土地の守護精霊。地霊。モニュメント(記念碑)は、公園に潜む魂を立ち上がらせるものでなければならない。
 普請(ふしん):土木・建築工事 公共事業
 アーキテクチャ:建築物。建築学。当初は、「造家(ぞうか)」という訳語だった。

『第十三章 一九三九年、夏(昭和14年)』
 安井:憲兵中佐。この時点で激怒している。自分の『仙桃城再開発計画』をつぶされたことで怒っている。ヤブ医者の誤った治療で、7歳の弟が死んだときよりも怒っている。(おこっている)。計画の中止は中国人によるものではなく、日本人によるものだと判断している。しかし、表向きは中国人が悪いことになっている。満州で日本人が快適に暮らすことができる官舎をつくる予定だった。
 治安課長:司令部から来た。
 甘粕元司長(あまかすもとしちょう)
 永陸街(エンリンジエ):地名

 南清輪船公司(ナンチンルンチユアンゴンスー):船舶会社
 不要停止!(プーヤオテインジイ):止まるな!
 便衣兵:一般市民の服装をした兵員。民間人に変装している。
 放下武器!(フアンシアウーチー):武器を捨てろ!
 大旬子鎮(ターシユンヅジエン):地名。『偽機関銃作戦』を中国側の作戦として行う。

 石本は仙桃城で2年間を過ごしていた。今は、昭和13年の冬。日支戦争は続いていた。
 戸島製作所の鷺島(さぎしま)開発部長
 大連中試の中村社長
 仙桃城東精油工場の白鳥工場長
 燃料廠(ねんりょうしょう。屋根だけで壁のない建物)の高島海軍中佐
 石炭から石油へのエネルギーの変化の話があります。
 この当時の判断として、『日米開戦の確率はそれほど高くはない』
 中川は戦死した。

『第十四章 一九三九年、冬(昭和14年)』
 城島源造(じょうしま・げんぞう):生まれつき恐怖心という感情が薄い。軍人になるとすぐ死んでしまうので、14歳で泥棒になった。おとなになって、『忍びの源』という名で呼ばれる大泥棒になった。満州で活動している。
 男(おそらく細川)に頼まれて、書類の盗みをしている。仙桃城東精油工場から盗み出して、代わりの書類を置いて、そのあと、本物の書類を元の位置に戻している。憲兵安井の部屋からも盗みを依頼されたがあまりに危険なので断った。
 掏摸:すり
 虎臥(こが):虎が大地に伏せている。さらに、「竜跳虎臥(りゅうちょうこが):筆勢のこと。竜が跳ぶ、虎が伏せるような筆の勢い。
 仙台に輸入されたプレス機:トランスファープレス機
 煤都:読みは、「ばいと」か。石炭の煤(すす)。黒煙が立ち上る都市
 
 『超高層の建築を実現するため、絶対に必要だった技術とは何だろうか?』→『エレベーターと空調機の発明だよ……』

 昭和14年のこととして、赤石は、戦争において、日本の敗北を予言しています。

 石本は、満州に残っている。
 
 ノモンハン事件:モンゴルハルハ川付近。1939年(昭和14年)5月-9月。満州国とモンゴル人民共和国の境界線を巡って起きた衝突紛争。モンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦と日本の紛争。ソ連とモンゴルが国境を維持した。
 
 フランスがドイツに降伏した日:1940年(昭和15年)6月22日

 隷下(れいか):指揮下

 『「では、また」とここのまま別れたら、もう二度と正男と会うことができないような気がしていたのだった……』
 8年6か月ぶりに、ダンスホールに行く。
 タイガー・ラグ:ジャズ曲。1917年の曲
 
 『昭和15年9月:ドイツはイギリスを空襲していた。日本軍は相変わらず支那と戦っていた……』
 太平洋戦争の開戦が、(1941年)昭和16年12月8日ですが、登場人物たちは、日本の敗戦を予想しています。『戦争は始まっていなかったが、始まる前から終わっていたのである』

『第十五章 一九四一年、冬(昭和16年)』
 須野明男の新しい職場:ソ連国境付近の永久要塞『虎頭要塞』虎頭鎮(フートウジエンにある。ソ連のシベリア鉄道が近い)
 満州事変:昭和6年
 橋頭堡(きょうとうほ):橋を守るための砦(とりで)
 掩体(かんそくようえんたい):格納庫。射撃しやすくするための設備。敵の銃弾から守る設備
 『建築はだれのものか→利用者のものである』須野明男は利用者にとってメリットのある建築物をつくりたいけれど、戦時中のため、強大な兵器のような建築物しかつくれないことに憤りを感じている。

 ベトン:コンクリートのこと。フランス語

 やるべきこととして、『巨大な不要物(満州国のこと)に使う建材を節約すること』

 6月、ナチス・ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻した。

 昭和18年4月、須野明男は、仙桃城に帰還する。兵舎の設計をする。
 『誰かを殺すための施設を作ることは、建築家の仕事ではない。』

 1941年(昭和16年)12月8日ハワイ真珠湾攻撃のあと、中国の組織は、日本軍が米軍に負けることを確信した。中国も同様に日本軍に勝つことを確信した。『勝利する未来が確定した。』とあります。

 褲子(クーヅ):パンツ(ズボン)

 戦争が人間を鬼に変えていきます。

『第十六章 一九四四年、冬(昭和19年)』
 町野寿雄(まちの・ひさお):5歳のとき、父親が奉天で戦っていた。敵の銃弾に倒れて戦死した。現在、軍人。

 仙桃城(シエンタオチヨン)という都市にある千里眼ビルディング(せんりがんビルディング)の8階で、孫悟空(ソンウーコン)は、5年間暮らしている。(ひっそりと隠れている)
 
 海賊 バーソロミュー・シャープ:1702年52歳ぐらい没。イギリスの海賊。航海日誌を残した。

 『昭和19年の冬は過去に例がないほど雪が降っていた。(満州にて)……』
 笠岡教授が、雪解け水いっせい流れ出しによる洪水、水害を心配していた。
 須野明男は、工事事務所に残っていた。
 太平洋戦争は、『転進(戦地は南方へ。満州は置き去りにされた)』→『玉砕(ぎょくさい)という名の全滅』→日本本土へ空襲開始
 ナチス・ドイツは近々滅びる。
 
『青龍島はなぜ地図に描かれたのだろうか(空想の場所。この世に存在しない)』

 ガバヌーア・ケンブル・ウォレン将軍:

 地図はキリスト教のためにつくられた。(権力者は、宗教を下地にして、人民の思想を管理し、領土を増やそうと試みたと受け取りました)。そのあと、船乗りのためにつくられた。(これも領土拡大目的でしょう)

 なぜありもしない架空の島、『青龍島(青龍によって守護された理想郷)』が、昔の地図に存在したのか。
 青龍島の北部の形は、モスクワ川の形からきている。
 青龍島を描いたのは、ロシア人であろう。モスクワに縁があるロシア人であろう。
 そのことを調べるために、旧サンクトペテルブルグ(現在のレニングラード)に行く。建設局の人の話を聞く。(戦争が終わって平和になるまでは行けない)

 仙桃城が襲われる。
 町野寿雄軍曹の右肩は銃弾が貫通する。
 『1 撃つ時はなるべく敵に近づくな。相手の顔が見えないきゅおりで撃て。 2 怖くなったら俺の(上司の))顔を思い浮かべろ。俺に命令されたから撃つんだと自分に言い聞かせろ。 3 一人になるな』、『戦場では、銃弾を命中させることよりもずっと、引き金を引くことのほうが難しい……』
 
 鹵獲(ろかく):戦場で敵の武器、弾薬、資材をぶんどること。

 橋本:工兵(土木・建築・鉄道・通信担当の兵員)
 

 『建築とは何か』:建築とは避難所である。人間は建築によって守られる。
 国家とは、暴力から人間を守るためのもの。国家も建築といえる。
 国家の図面を引くのも建築家の仕事だ。
 もうひとつ。
 『建築とは、「時間」だ』

『第十七章 一九四五年、夏(昭和20年)』
 今日は、1月8日(月曜日・祝日・成人の日)です。ようやくこの物語を読み終えました。記録を見ると、読み始めは、昨年10月22日(日曜日)でした。毎日少しずつ読み続けてきての達成感があります。

 嫌われ者の憲兵中佐安井です。
 八月十五日、天皇陛下の敗北宣言がラジオから流れても信じません。偽情報だと言い張ります。興奮して暴れる安井を止める人間を殺そうとまでします。
 『一億玉砕にうよる本土決戦は、米国を倒すための唯一の作戦である……(終戦後、日本にとって米国は一番の友好国になりました)』
 ソ連が中立条約を破って満州へ進軍を始めたのが、終戦直前、昭和二十年八月九日(長崎原爆投下の日)でした。(ソ連は自分たちが利益を得るためには手段を選ばない国です。国のあり方として、何かが貧しい)
 『陛下から賜った(たまわった)貴重な建築資材を盗むことが、愛国精神だと?』(洗脳されています。ふつうに考えて、おかしなことを言っています。人間の脳みそは思想教育によってここまで意思をコントロールされてしまうのか。人間の心は弱い)
 本土と通化:日本国本土と満州国のこと。
 ハラショー:ロシア語。「わかった」「良い」「了解」
 新京:満州国の首都。現在の長春市
 村越:満鉄の職員
 アール・デコ風:欧米で1910年代から1930年代に流行った(はやった)装飾美術。例として、エンパイアステートビルディング。
 村越と石本は、満州に残る。
 ハイラル:内モンゴル自治区にある都市
 
 『…… 建築をします』
 『建築とは時間です。建築は人間の過去を担保します』(建築物を見ると人は過去を思い出すことができる。建築物が時間を繋ぐ(つなぐ))
 
 (シーンは、最初のシーンに戻るようなパターンです。なかなかうまい)

『終章 一九五五年、春(昭和30年)』
 読み終えて、建築の本でした。
 戦争が背景にあるものの、建築家が建築物に気持ちを入れ込む本でした。
 隈研吾さんの本を思い出しました。『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)』

 クラスニコフ神父の話が出ます。彼はすでに他界しています。
 青龍島とクラスニコフ神父がつながります。
 『地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ(あなたは、満州仙桃城の地域(李家鎮)に住む中国人たちのことです。彼らが信じていた島が、「青龍島(理想郷、楽園)」です)』(住民に広い世界があることを知ってほしい)
 青龍島をこれからつくる。都市をつくる。
 
 読む前の予想に反して、淡々と静かに流れる歴史物語でした。読み終えて、すがすがしさが残りました。

 かなりの長文になってしまいました。この文章全体を読める人は少ないでしょう。感想というより、内容を理解するための読書メモになりました。
 気づきがありました。太平洋戦争は始まる前から、軍の関係者には、日米のどちらが勝つかわかっていたのです。それでも、権力者たちは、無理やりに、勝てもしない戦いを米国に挑んでいったのです。死ななくてもいい人がたくさん死んでいきました。それが良かったのか悪かったのかは自分にはわかりません。戦争にならなかったとしても、日本が植民地化されていたということもあるのかもしれません。人間がやることは完ぺきではないということは理解できました。  

Posted by 熊太郎 at 07:56Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年01月09日

とんこつQ&A 今村夏子

とんこつQ&A 今村夏子 講談社

 短編4本です。

『とんこつQ&A』
 街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。
 本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。
 メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。
 店内には、4人がけのテーブルが3卓。テーブルの左手にカウンターがある。チャーハン、ギョーザ、天津飯(てんしんはん)、中華どんぶり、オムライス、カレーライス、ナポリタン、トーストとゆで卵のセットなどがある。

 『Q&A(キューアンドエー)』は、よくある質問(クエスチョン)と答え(アンサー)のことです。大衆食堂でのお客さんからの質問とそれに対する店員としての答えという意味です。QAを書いたメモが、やがてノートにまで発展します。マニュアル本の完成です。(手引き)

 大将:店主。店主もその息子も気が長い。優しい。人を責めない。攻撃しない。

 ぼっちゃん:大将の息子。物語の最初では、10歳、小学校4年生から始まります。不登校児。その後7年が経過します。ぼっちゃんは、気持ちを立て直して高校へ進学しました。実母は、ぼっちゃんが5歳の時に、心臓の病気で亡くなっています。

 わたし(今川という女性):2014年から(平成26年)『とんこつ』でパート仕事をして7年が経過している。ダブルワークで、『ドルフィン』という店で皿洗いもしている。年齢は明記されていませんが、30代なかば過ぎに思えます。
 
 16ページまで読んできて、おもしろい。村田紗耶香(むらた・さやか)さんの芥川賞受賞作品『コンビニ人間』のようです。内容のつくりは似ています。

 丘崎たま美:仕事が忙しいので、追加のパート募集に応募してきた女性。30代なかば。どんくさい。動かない。言われたことはするけれど、言われないと何時間も動かない。働かないが、休憩はとる。今川さんいわく、わたし以下の人間を初めて見た。

 独特な書きぶりの文章です。
 
 今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。

 今川さんは、とうてい接客業に向かない人です。それでも、稽古(けいこ。練習)を積んで、接客じょうずになっていきます。
 坊ちゃんと大将が、今川さんに優しい。けして、叱ったり、否定したりしません。優しく励まします。(どうも父子は、今川さんを再婚相手として意識しているようすがあります)
 大将も坊ちゃんも、今川さんの接客苦手を否定しないところがいい。(ほかに店で働いてくれる人のあてがないということも理由なのでしょう)
 
 労働者として、労働者を演じて、労働による収入を得るというちゃんとした形が表現されています。

 好みが分かれる作品かもしれません。
 機械的な人間を表現してあります。

 働くためには暗記力がいる。

 今川さんは自分が買ったノートを使って、お手製の仕事のマニュアルノートを手書きで作成します。手引き『とんこつQ&A』です。お客さんとの会話のやりとりのしかたが書いてあります。
 繰り返しの稽古(けいこ)をして、今川さんは接客のテクニックを身に着けていきます。ノートは見なくても会話のキャッチボールができるようになります。
 亡きおかみさんの大阪弁のイントネーションも身に付けます。
 
 喜怒哀楽の感情が薄い無言の人というのはじっさいにいます。なにか、脳みその病気なのかもしれません。別に怒って(おこって)いるわけでもない。自分で自分の意識をコントロールできない。人から指令されないと動けない。自分のことを自分で思考して判断して決断してやれない。しかたがないのです。

 大将と坊ちゃんは、妻(母親)を病気で亡くしてさみしかった。

 亡くなった奥さんの大阪弁にこだわりがあります。
 店員ふたりに亡き奥さんの像を見ている大将と坊ちゃんです。

 『とんこつQ&A 大阪版』のできあがりを待っている。まだ完成していない本を待っている人がいる。

 言葉とか、方言にこだわる。研究する。

 不思議な雰囲気をもつ短編です。現実ならありえない展開の内容です。
 
 大事な言葉が、『ありがとう』
 教育があります。
 協力もあります。
 舞台劇のシナリオのようでもあります。
 空想の世界です。
 現実にはない空想の世界を文章化してあります。
 作者は、最後はどう決着をつけるのだろうか。今67ページ付近にいます。あと数ページで読み終わります。
 
 優しい。心優しい。
 開店記念日の8月30日に4人でささやかなお祝いをする。
 内容はち密です。
 海遊館(かいゆうかん。水族館。大阪にあります)の話が出ました。熊太郎は、たしか、3回訪れたことがあります。もうずいぶん前のことです。
 
 すごい終わり方をしました。すばらしい終わり方です。
 創作の醍醐味(だいごみ。やりがい。快楽)があります。


『噓の道』
 与田正:小学6年生男子。素行が悪い。幼稚園の時から嘘つき。主人公「僕」のひとつ上の姉のクラスメート。与田正には、4歳年下の弟がいる。ぼろいアパートに母子で住んでいる。父親は、昔はいた。

 僕:小学5年生
 僕の姉
 僕の父
 僕の母:町内会の役員、PTAの役員をしている。

 リサ、マイ、ノグっちゃん、クミ:僕の姉の仲良しクラスメート
 せいこ先生:幼稚園の先生
 白井君のお父さん:材木問屋の社長
 有馬のお母さん:看護師
 離婚体験者として:松本と橘(たちばな)

 嘘つきの話です。
 小学生たちです。
 いじめがあります。
 
 『僕』は、現在おとなです。だから小学校の時の思い出話です。
 与田正は、幼稚園の時から嘘つきでした。
 どうして嘘をつくのかは、最後まで語られません。
 与田の世帯は、ひとつのところにじっとしていられない世帯だから、そのうちいなくなるだろう。
 小学校で、与田正に対するおおがかりないじめと差別が発生します。教師もいじめの主導者のような行為をします。与田正に対してよかれと思ってした教師の行為が、さらなる陰湿ないじめに発展します。いやがらせをして快感を味わう小学生女子たちがいます。
 かわいそうだから、『その一、話しかける。』『その二、悪口を言わない。』『その三、一緒に遊ぶ。』そのとおりにすることが、陰湿ないじめなのです。ほめ殺しのようなものです。

 いじめの物語です。
 ただ、被害者は、与田正だけにとどまりません。『僕の姉』にもふりかかってきます。

 公民館で敬老の日のお祭りが開催される。
 アクシデントが起きる。
 おばあさんが左足首を骨折する。僕の姉が原因である。でも、僕の姉は責任を与田正のこととした。責任を与田正になすりつけた。与田正は無実なのに、与田正に罪をかぶせた。姉は悪人です。冤罪が発生しました。(えんざい:無罪なのに有罪とされた)

 大衆の怖さ(こわさ)が表現してある作品です。
 善人の顔をした悪人がたくさんいます。
 社会的制裁は、法令による制裁よりも厳しい。僕の姉には、厳罰が待ち受けています。
 なんだか暗いお話です。
 ひきこもりになっているらしき姉と弟が、関りになっていた同級生たちの記憶から存在が消えているのです。

 ひきこもりというものは、学校とつながりがあるうちはなにかと声をかけてくれますが、学校を卒業して、学校とのつながりがなくなると、永久にまわりとの交流が絶たれます。死ぬまで引きこもりが続くという厳しいものがあります。


『良夫婦』
 土橋友加里(どばし・ゆかり):主人公。妻。35歳。9時から4時まで和菓子製造工場で勤務している。元ヘルパー。甘いものは苦手(にがて)。

 土橋幹也(どばし・みきや):主人公の夫。36歳。訪問介護事業所副所長。妻の元上司。両親はいずれも40代で死去した。妻と同じく、甘いものは苦手。

 アンコ:メスの老犬。土橋家のペット。人間だと90歳ぐらい。土橋幹也の死んだ親から引き継いだペット。名前『アンコ』の由来はわからない。親も親の友人から譲り受けた犬で、譲られた時にすでに『アンコ』という名前だった。

 横井先生:獣医

 タム(たむら・ゆうと):公立N小学校5年生男児。学童保育所に通っている。二丁目に住んでいる。親から虐待を受けているおそれあり。老犬アンコと午後5時ころ話をしているような感じがあった。タムはたいてい空腹でいる。老犬アンコのエサを見て、おいしそうと言った。タムは、人に対する警戒心が強い。やせっぽちの少年。たまにからだにあざがある。(腕の内側)

 伊藤敏郎:昔、土橋友加里が担当していた在宅高齢者
 
 子どもに興味のない夫の言葉として、『子育てにお金を遣う(つかう)くらいなら老後の資金に回そう……』(ふ~む。体のめんどうは、他人にみてもらうつもりなのか)
 しかし、妻は、特別養子縁組制度について調べている。
 189:電話番号。児童相談所虐待対応ダイヤル。「いちはやく」
 
 児童相談所の建設反対運動:以前そんなニュースが東京で流れました。その話題にちなんだ作品なのでしょう。
 いわゆる嫌悪施設(障害者施設とか高齢者施設、火葬場など)が近所にできると知ると反対する人たちがいるのですが、できてしまうととくにトラブルもなくそれまでの静かな環境は維持されるものだと自分は理解しています。そして案外、反対していた人やその関係者が、類似の施設利用者になることも未来ではありうるのです。

(読み終えました)
 庶民の心に潜む悪意について表現してあります。ぞわっと胸騒ぎするような後ろめたさがあります。読後感は良くありません。『イヤミス』というのでしょうか、読後イヤな気持ちになるミステリーのようです。
 主人公はヒーローではありません。善人のようで善人でもありません。されど、こういう人って現実にいます。いい人ぶっている、いい人に見える、だけど違う。イヤな人なのです。善意をふるまっているようで、相手を落とし穴に落として、快楽を得る。加えて(くわえて)、自分を守る人です。自分のことを自分でやらず、人にやらせる、やってもらう人です。

 こちらの作家さんは、人間がもつ心の闇を素材にして、文章作品を創作される方だと悟りました。

 ダイヤル式鍵の番号:4122(よい夫婦)
 友加里は自分の子どもがほしい。
 疑似家族を体験したい。
 
 子どもがいない人は、パチンコをして時間をつぶすのか。

 夫婦は、タワーマンションが欲しい。

 スイミー:絵本『スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし レオ=レオニ 訳 谷川俊太郎 好学社』

 友加里は、善人の顔をしているうそつき人間です。(最低人間)
 同じようなことを繰り返すことが、そういう人間の人生ですというお話でした。


『冷たい大根の煮物』
 人にだまされてお金を失う話です。
 木野:19歳。ひとり暮らしの女性。高卒後、プラスチック部品工場で働いている。非正規社員。だまされる人
 芝山:おばちゃん。だます人。木野と同じ工場の異なる部署で働いている。非正規社員

 じょうずにだまされて、1万円の貸し倒れになる木野さんです。
 たいてい、だます人は、だましたあといなくなります。

 最後はどうまとめるのだろう。
 だまされたほうは、マイナスばかりでもない。プラスの遺産を木野さんに提供して行方をくらませた芝山さんです。
 まあ、木野さんはお人よしでした。断れない人です。『お金の貸し借りはしません』と言える人にならなければ、まただまされるでしょう。
 人間なんてそんなもの。だまされたり、だましたり……
 『冷たい大根の煮物はあれきり一度も食べていない』→だまされたことを思い出したくないのでしょう。  

Posted by 熊太郎 at 06:50Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月28日

続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子

続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子 講談社

 最初の本、『窓ぎわのトットちゃん』は昔読んだことがあります。
 それから、ご本人の講演を聴いたことがあります。場所は静岡県内でした。もう、35年ぐらい前のことです。テーマは忘れましたが、90分間、おそらくご本人の頭の中にひらめくままに、機関銃のようにおしゃべりをされて、聴いていて圧倒された覚えがあります。
 ユニセフの活動についてのお話があった記憶です。ユニセフ:国連児童基金。黒柳徹子さんは、ユニセフの国際親善大使です。

 テレビ番組『徹子の部屋』は、毎日楽しみに観ています。いろんな人がいるなあとゲストに興味があります。最近は、親の介護の話が多い。お笑い芸人さんが出ると、黒柳徹子さんは、芸をやらせてすべらせて、神妙な雰囲気になるという特徴があります。
 テレビ番組アメトークで、そんな話題でトークショーがあったことを思い出します。黒柳徹子さんは、忖度(そんたく。相手に会わせて面白くなくても笑う)ということをされません。「それのどこがおもしろいの?」という質問が出たりもします。そこがおもしろい。
 以前フワちゃんが出たときに、(乱暴な言葉づかいをする)フワちゃんが黒柳徹子さんの家に遊びに行きたいと言ったら、黒柳さんが即答で、『来ないで!』と言ったときがあって笑いました。

 さて、読み始めます。最初は、『寒いし、眠いし、おなかがすいた』です。物語が始まるころのトットちゃんは、小学校低学年ぐらいです。
 わたしの親の世代の方です。1933年(昭和8年)生まれ。90歳。わたしの実母も同じぐらいの生まれです。先日九州の実家まで行って会ってきました。ふたりを比較すると、黒柳徹子さんはかなりお元気です。びっくりします。私の実母は、耳は遠くなり、腰は曲がって圧迫骨折をしており、入院の空きベッド待ちでした。ただ、口は達者で元気です。(その後入院しました。ほっとしました)

 23ページまで読んで、いろいろと驚かされました。
 まだ、戦前のことですが、黒柳徹子さんは、欧米風の暮らしを送られていた上流階級のお嬢さまです。貧民の庶民とは違います。
 第二次世界大戦が、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)ですから、そのころ、黒柳徹子さんは、8歳から12歳です。
 ペットはシェパード犬の『ロッキー』です。軍用犬で使うため、軍隊に連れていかれたらしい。突然いなくなったそうです。
 
 トットちゃんのいわれ(由来):『徹子(てつこ)』をてつこと発音できず、自分自身で、『トット』と自分のことを言っていたから。

 本の文章はしっかりしています。文章量もボリュームがあります。ここ数年で書かれた文章ではありません。前作から42年経過する中で書かれた文章です。

 全体のつくりは、エッセイ(随筆)です。主に、思い出話です。

 食事は、バナナ(わたしがこどものころの昭和30年代から40年代は、バナナは高価なくだものでした)
 黒柳徹子さん宅の朝食は、パンとコーヒー(庶民は、ごはんにみそ汁、つけもの、卵料理でした)
 パンは、パン屋さんが、毎朝ご自宅に配達してくれたそうです。
 黒柳徹子さんの夕食は牛肉。(庶民は鶏肉(とりにく)しか食べられなかった。あとは魚ばかりです)
 寝るのはベッド(庶民は、ふとん)
 庭付きの洋風一戸建て住まい(庶民は長屋)
 
 遊んだのは、勝海舟の別荘だった空き家のお屋敷だったそうです。(西郷隆盛も来たことがあるそうです。先日鹿児島市を訪問した時に、バスの窓から西郷隆盛さんの大きな銅像を観ました)

 アイスクリームを食べて、銀座を散策する。三越デパートでおもちゃを買ってもらう。

 猩紅熱(しょうこうねつ):感染症。発熱。喉痛、舌が赤くはれる。全身に赤い発疹(ほっしん)が出る。

 徹子さんの父:ヴァイオリン奏者。昭和19年秋の終わりに、今の中国華北地方へ出征した。敗戦でシベリアの捕虜収容所に抑留された。(よくりゅう:強制的にその場におかれた)。昭和24年に帰国した。軍歌は演奏しない主義をもっていた。
 徹子さんの母:エッセイスト黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)。
 徹子さん:長女。1933年生まれ。
 弟:明兒(めいじ)さん。1944年(昭和19年)5月に敗血症で死去。はいけつしょう:細菌感染
 下の弟:紀明さん。1940年生まれ。
 妹:眞理(まり)さん。1944年生まれ。


 品川とか、忠犬ハチ公像がある渋谷とか、自分も行ったことがある場所が本に出てくるので身近に感じられます。
 1941年(昭和16年)当時、徹子さんは8歳ぐらいです。
 
 青森で、電車の中で、りんごがらみで、地元のおじさんと仲良くなります。(それが縁で、その後、青森に疎開することになります。沼畑さんです)

 本をツケ(後払い)で買う。
 
 戦争は悪化しています。食べ物がほとんどありません。
 
 出征兵士を日の丸の旗を振りながら、『バンザーイ』と見送るときに、スルメの足がもらえたそうです。(初耳です)
 徹子さんは、スルメの足ほしさに、学校の授業中でも出征兵士を見送りに行かれたそうです。(学校を抜けだしても何も言われなかった。そういう時代だったそうです)
 のちに、するめ欲しさの行為を後悔されています。でも、まだ8歳ぐらいです。

 家族をつなぐものとして音楽があります。
 
 防空壕(ぼうくうごう)の話があります。
 わたしも小学校低学年のときに、家の近くの里山の斜面に掘ってあった防空壕で近所のこどもたちと遊びました。防空壕の中はとても広かった記憶です。防空壕はその後封鎖されてしまいました。安全対策のためでしょう。

 昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲。約10万5400人が亡くなる。現在のパレスチナガザ地区の惨状が目に浮かびます。

 63ページに、『パンダ』のことが出てきます。アメリカ帰りの伯父さんからもらった白黒のクマのぬいぐるみを防空壕へ連れていかれています。

『トット疎開する(そかい。米軍の空襲から逃げるためにいなかへ避難する)』
 なかなか苦労されています。たいへんな思いをされています。
 東京上野駅から、青森の今でいう八戸市あたりまで、おそらく蒸気機関車で移動したであろう昭和20年のことですが、お母さんと弟、妹さんは列車に乗れましたが、黒柳さんは上野駅に置き去りになっています。黒柳さんは当時11歳ぐらいだと思いますが、夜の8時に出発する次の列車で、ひとりで青森をめざしておられます。ものすごい乗客の数です。でも、まわりにいる人たちが優しい。みんな苦労しています。戦争なんかしちゃいけないのです。
 上野-福島-仙台-盛岡-尻内(八戸)のルートです。長い。時間がかかります。お母さんが書いてくれたルートのメモを手に握って移動です。
 黒柳さんは、やむなく、列車の窓からおしっこをされています。ただ、負けていません。明るい。
 列車が空襲で狙われるかもしれないので、灯火管制で、列車の中は真っ暗でした。
 人は苦労をしながら気持ちが強くなっていくことがわかります。めそめそしていてもしょうがないのです。
 黒柳さんが愛着をもっておられるパンダとの縁が書いてあります。アメリカへ行ったことがある叔父さんからのおみやげで熊のような動物のぬいぐるみをもらったそうです。そのときは、パンダということがわからなかったそうです。疎開するときにリュックに入っていた。心の支えだった。話し相手だったのでしょう。絵本『こんとあき 林明子 福音館書店』を思い出しました。

 ちゃんとしたお米のおにぎりがありがたい。
 現在90歳ぐらいをすぎた人たちの世代のご苦労がわかります。
 
 宗教の話が出ます。キリスト教です。
 青森県内にキリストのお墓があるらしい。昔、テレビで見たことがあります。まあ、本物ではないでしょう。なんだか、九州長崎、熊本の隠れキリシタンみたいな話です。

 北千束(きたせんぞく:地名を読めませんでした。東京都大田区、黒柳さんの家があったところです。

 疎開先は親族宅ではなく、たまたま旅先で知り合ったりんご農家のおじさんの家です。他人さまに家や仕事の世話をお願いします。夫が中国の戦地へ行って、母子家庭状態でこども3人連れて、徹子さんのおかあさんはころがりこみます。すごいなあ。たくましい。働いて、食べ物商売まで始めます。
 リンゴ泥棒を見張る八畳の小屋での生活です。電気も水道もありません。もちろんテレビもありません。(テレビ放送開始は1953年(昭和28年)です)石油ランプと水は隣の製材所からもらいます。川がそばにあるので、川で洗濯できます)
 家庭菜園をつくって、自分たちで自分たちが食べる野菜をつくります。
 徹子さんが11歳か12歳ぐらい、弟の紀明さんが5歳、眞理(まり)さんが1歳ぐらいです。

  青森県の方言の話がおもしろかった。
 『おつるひとがしんでから乗ってけれ』路線バスのバスガール(車掌でしょう。切符を売る人がわたしがこどもの頃にもバスに乗っていました)の言葉です。死んでからのってくれと聞こえます。
 正解は、『降りる人が済んでから乗ってください』です。
 
 徹子さんは、ジョジョッコの絵を描く。
 ジョジョッコ:青森の方言で、『人形』

 北海道の滝川で暮らしていた母方の祖母については考えさせられました。亡くなった母方の祖父は開業医だったそうです。
 祖母の気位が(きぐらい)が高いのです。祖母の実家の教えが、『ごはんを自分で炊かなくては(たかなくては)ならない家には、お嫁に出さない』嫁いだ家はお医者さんで、裕福な暮らしで、暇さえあれば聖書を読んでいた。看護師やお手伝いさんが、炊事や洗濯をやっていたそうです。(凡人には考えられない生活です。されど、考えてみると、例えばプロのピアニストだと一日中ピアノを弾(ひ)いているわけで、衣食住にかかわる生活の活動は、他人にやってもらっているのだろうと。芸術家のパトロン(出資者。援助者)みたいな存在があるのです)そういう暮らし方をする人もいます)

 黒柳ファミリーが、青森大空襲を運よく避けられた話が出ます。
 明石家さんまさんの話を思い出しました。1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山(おすたかやま)に墜落した日航ジャンボ機に搭乗予定だったさんまさんは、たまたま仕事が早く終わって、1本前の飛行機に乗って命拾いをしたそうです。生き抜くためには、『運』がいります。『生きてるだけで丸儲け(まるもうけ)』が明石家さんまさんの座右の銘です。(ざゆうのめい:自分を励ますため、日ごろから心にとめている言葉)娘さんのお名前、『いまる IMALU (生きてるだけで・丸儲け)』につながっているそうです。お母さんの大竹しのぶさんの解釈が、『今を生きる』だそうです。

 黒柳徹子さんのほうは、なにせ、母親のがんばりがすごい! とにかく働きます。

 8月15日、終戦の日が訪れました。

 徹子さんは、旗の台(はたのだい)というところにある『香蘭女学校(こうらんじょがっこう)』に進学します。私立の中学・高校なのでしょう。キリスト教のミッションスクールですが、校舎は、仏教のお寺さんの敷地にあるお寺の建物です。空襲で学校が焼け落ちたからです。

『咲くはわが身のつとめなり(自分を咲かせる。昔は『結婚』することが女性のつとめだった)』
 小学生の時の恋心と失恋のことが書いてあります。あこがれの相手はだいぶ年上の男性で教会関係者です。

 サツマイモの茶巾絞り(ちゃきんしぼり):布で絞った和菓子

 逆に中学生のときに知らない男子からラブレターをもらったことが書いてあります。手紙の出だしにあった『ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ』という文章に怒って手紙を即破いたそうです。戦後の食糧難だったことを考えると悪気はなかったものとあとで気づいたとのこと。

 蝋石(ろうせき):そういうものがあったことを思い出しました。こどもの遊びで、地面に絵や文字を描いていました。

 『やさしい人間になるには教養を身に着けなくてはならないし、そのためには本を読むことが大事だと考えるようになった。』

 16歳のときに占い師に手相を見てもらった。
 見料(けんりょう):手相などをみてもらうときの料金
 天眼鏡(てんがんきょう):やや大型の凸レンズ(とつれんず)
 占い師による占いの結果です。『結婚は遅いです。とても遅いです』『お金には困りません』『あなたの名前は、津々浦々(つつうらうら)に広まります』(よくあたっています)
 
 チャプレン先生:牧師の先生。チャペル(教会)を守る人

 太鼓橋(たいこばし):丸くそったアーチ橋

 先日観ていた『徹子の部屋』で、昔の映像ですが、ゲストのこどもさんに、こどものころ将来何になりたかったか?と聞かれた徹子さんです。『スパイ』という答えに、こどもさんはとまどって、苦笑いをしていました。(にがわらい:どう反応していいのかわからない)
 こちらの本では、『小さい頃は、スパイとチンドン屋さんと駅で切符を売る人になりたかった』と書いてあります。
 私立の女子中学生のときに、洋画『トスカ』を観て、オペラ歌手を目指すことにして、東洋音楽学校に入学されています。
 学校に対するお金の寄付の話やら、徹子さんのお父さんがヴァイオリン演奏者で超有名人だったことがわかる話やらが書いてあります。
 
 番組『徹子の部屋』のオープニング曲には、もともと歌詞があって、『コロラチューラ』という言葉が使用されていたと書いてあります。コロラチューラというのは、オペラでの歌い方だそうです。

 お父さんがシベリアから復員してきます。昭和24年の年末です。5年ぶりの再会です。
 弟紀明さんは9歳、妹眞理さんは5歳、徹子さんは、16歳ぐらいでしょう。
 お父さんは、東京交響楽団にコンサートマスターとして迎えられ、ヴァイオリニストとして復帰されました。コンサートマスター:まとめ役

 徹子さんは、人形劇『雪の女王』を観て、結婚を意識して、こどもさんむけに人形劇をやりたいと思うようになります。お母さんに新聞の求人欄でも見なさいと言われて観たのが、NHK専属俳優募集の記事で、それがきっかけになって、試験に合格して、NHKの劇団員になられています。
 まだ、テレビ放送は始まっていません。テレビ放送は、1953年(昭和28年)から始まります。当時のNHKは、日比谷公園にある日比谷公会堂の近くにあったようです。
 まあ、どたばたです。ぎりぎりに申し込んで、試験会場を間違えて、試験に遅刻して、それでも合格されています。才能ある人は、どういう状況に合っても世に出てきます。
 徹子さんは、試験会場で試験官に、筆記試験の答えを教えていただけませんか?と声をかけています。(ちょっと考えられません)試験官の返事は、『いやです』でした。

 徹子さんは当時、『若干名(じゃっかんめい。数人)』を、『わかぼしめい』と読んでおられます。

 ここまで読んできて、今は、180ページにいます。

(全体を読み終えました。253ページまでありました)
 第二次世界大戦に重点を置いた内容でした。
 もうすぐ、戦争を知らない世代の時代が日本に訪れます。
 戦争の怖さを知らないから、戦争をしてもいいという意見が前面に出てきそうな気配があります。
 相手が攻めてくるから対抗する。たくさんの人が死にます。
 戦争をしなくてもいいように、共存できる知恵を絞る。『平和』をめざす姿勢をもたないと、戦火は再び開かれます。
 徹子さんは、この本で、戦争反対を強く訴えられています。
 この本は、終戦後の昭和時代を表した歴史書のようでもありました。

『トット、女優になる』
 徹子さんが、HNK専属東京放送劇団第五期生採用試験に合格したのが、昭和28年2月です。
 2月1日からNHKのテレビ放送が始まっています。徹子さんは、養成期間を経て、昭和29年4月に正式採用されています。合格者は17人でした。
 
 東京の地名がたくさん出てきます。
 昨年、今年と、都内を散策したので、地理がだいたいわかります。記述内容が身近に感じられて心地よい。
 なつかしい俳優さんたちのお名前が出てきますが、もうみなさん、天国へ旅立たれています。
 同じ時代を生きてきた人が読んだら胸にじんとくるものがあります。
 
 黒柳徹子さんが最終選考で残った理由は、個性的であったこと、それから、養成期間中、無遅刻無欠勤であったことと読み取れる部分があります。無遅刻無欠勤が、長年続くテレビ番組『徹子の部屋』につながっているのでしょう。『継続』があたりまえのこととして身についている人については、『継続』が苦痛にはなりません。

 昭和29年ラジオドラマ『君の名は』に、通行人のがやがやの声として参加されています。いろいろうまくいかなかったことが書いてあります。
 現在NHK朝ドラの素材になっておられる笠置シヅ子さんとの仕事も書いてあります。徹子さんの演技を否定する人もいます。でも、応援する人たちもたくさんいます。

 ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』三匹の白い子ザルのお話に参加されます。
 ほめ上手な先生がおられます。
 叱ってつぶすのではなく、ほめて伸ばす。
 いろんな人がいます。多少のことでめげないほうがいい。チャンスが逃げていきます。
 
 結婚に関してです。お見合いを3回されています。脳外科医の方と結婚を考えられています。見合いではなく、恋愛をして結婚したいという理由で、結局断られています。

 『紅白歌合戦』の司会者でドタバタしたことが書いてあります。
 昭和33年第9回紅白歌合戦です。
 徹子さんは25歳です。白組の司会者は、高橋圭三さんです。
 場所は、『新宿コマ劇場』です。今はもうありません。熊太郎は若い頃にその劇場を見たことがあります。中に入ったことはありません。
 徹子さんの紅白歌合戦にこめる気持ちが強い。
 
 昭和40年代というのは、『命』よりも『仕事』を優先する時代だったというような表現があります。同感です。徹子さんは体を壊します。当時、『ストレス』とういう言葉は聞かなかった覚えです。『モーレツ』という言葉はよく聞きました。

 『ブーフーウー』三匹の子ブタの兄弟のお話です。なつかしい。
 
 渥美清さんが出てきます。
 1996年に亡くなられて、もう27年がたちますが、BS放送では毎週土曜日に『男はつらいよ』が放送されています。(これを書いている)昨夜見ました。マドンナは栗原小巻さんで、タコ社長の娘が美保純さんでした。

 向田邦子さんのお名前も出てきます。
 先日、鹿児島市を訪れたおりに、城山展望台付近で、向田邦子さんが通っていた小学校のこどもさんたちが、かけっこをしていました。
 徹子さんは向田さんのアパートに入りびたっていたそうです。

 帝国劇場の劇に出演された。
 今年帝国劇場でミュージカルを観たので身近に感じられました。

 日本の歴史、東京の地理書を読むようです。

 人間は、外見で、人間を判断するというようなことが書かれています。
 変装のように俳優として化粧した徹子さんに気付かず、冷たい対応をする人たちがいます。
 
 昭和46年10月、アメリカ合衆国ニューヨークへ女優としての演技を学ぶために留学されています。

 あとがきにはやはり、戦争のことが書いてあります。戦争体験者の生々しい声があります。
 
 全体を読み終えて、この本は、まだ続きがあると確信しました。
 原稿はすでに手元にあられることでしょう。
 徹子さんは職業柄きちょうめんな方だと思うのです。記録はしっかりとってあると思います。
 もっともっと長生きしてください。  

Posted by 熊太郎 at 07:56Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月27日

その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ 

その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ ポプラ社

 おもしろそうです。
 王さまが、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんに指令を出します。
 世界を回って、『めずらしい本』の話を集めてきて、わたしに教えてくれというパターンです。

 この本自体は分厚いのですが、ページをめくると、児童文学のようでもあり、絵本のようでもあります。
 絵は、ヨシタケシンスケさんの絵で色合いも人物絵もきれいです。
 似顔絵です。本の中に、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんがおられます。

 なにが始まるのだろう。
 ふたりが一年後、珍しい本探しのための世界の旅から王宮に帰ってきました。
 どうもふたりはいっしょに回ったのではなく、それぞれで回ったらしい。
 
『第1夜』
 又吉直樹さんの姿が絵であります。
 ①とんでもない速さで走っている本
 ②ふたごの本
 (う~む。意味がわからない)
 ③警察に追われている本
 (本=人間なのか)
 ④『日本』という本
 (クイズ、だじゃれ、なぞなぞなのか)
 第1話を読み終えて:なんじゃらほい?!

『第2夜』
 ヨシタケシンスケさんの姿が絵であります。
 こちらは、マンガのような絵がいっぱいです。
 期間として『3ポーレは、800年間』のこと。
 アイデア、発想があります。
 幼児でないと理解できないことがある。(そういうことってあると思います)
 『ソの本』は:『ファの本』と『ラの本』の間にある。(なるほど。こどもさんがこの部分を読むとどんな感想をもつのだろうかと興味が湧きました)

『第3夜』
 再び又吉直樹さんの登場です。
 なかなかいい感じです。
 『その本は、しおりを食べる……』(殺人事件に発展します)
 『その本は、人を選ぶ。』(意味深い。本を読む人について書いてあります)
 『その本は、かなり大きな声で笑うので真夜中は冷蔵庫で……』
 『その本は、高いところから落とすと猫みたいに回転して……』
 (おもしろいうなあ。『思考遊び』があります)
 『…… やさしい本を食べると怪物はやさしくなるらしい』
(う~む。たいしたものだと唸りました(うなりました))

『第4夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 (いいなあ~)
 その本は:いつかぼくを救ってくれるはずだ。いつかぼくを大金持ちにしてくれるはずだ。いつかぼくは生まれ変わる。
 その本は、私が5歳の時、書いたものだ…… (本づくりの楽しみがあります。人生の楽しみにつながります)

『第5夜』
 又吉直樹さんの番です。
 意味深い。『本=人』ととらえる。
 人間はやっぱり、見た目よりも中身です。
 
 老化について考えることがあります。
 長い間生きてきて、自分と同世代の人たちの若かった頃の見た目を覚えていて、語弊がありますが、(ごへい。誤解を生みそうになる)若い頃いくらかっこよくて、イケメンや、美人でも、50年ぐらいがたつと、見た目はどうしても『劣化』します。あんなにかっこよかったのにとか、あんなに素敵だったのに…… 歳(とし)をとってしまったということはあります。
 本の55ページに、『その本は、「わかいころはモテた」がくちぐせです。』とあります。

 『その本はボロボロである』(紙の本だからぼろぼろになれます。深くて、大きくて、広い感情が、文章にこめられています)

 本をペットにたとえる。
 『その本は、僕になついていて、いつも(僕の)右肩にのっている……』

『第6夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 亡き父が自分の人生を書いた本があります。
 人生をふりかえって思うに、『自分の人生は(これで)上出来だった。(じょうできだった)』
 
『第7夜』
 又吉直樹さんの番です。
 この部分はとても長かった。78ページから118ページまで続きます。
 今年読んで良かった一冊になりました。
 語るのが、小学5年生の岬真一で、彼のパートナーが、小学校に転校してきた女子である竹内春(たけうち・はる)です。
 力作です。小学生同士の恋話ですが、『うまい!』
 ふたりは将来絵本作家になりたいという共通の夢をもっています。

 竹内春:おかっぱあたま。髪の毛がきれい。色白。切れ長の両目をしている。おとなっぽい。知的。声がよく通る。写真のような絵を描く。父親がアルコール依存症のDV男(暴力、暴言男)です。竹内春は父親を、『鬼』と呼びます。

岬真一:感情が屈折している。絵が得意。岬真一は、『鬼』を金属バットでめちゃめちゃに叩きたい(たたきたい)。竹内春を守りたい。

 ふたりの間で、マンガノートの交換が始まります。それはやがて、『交換日記』に発展します。

 アイデアが尽きません。
 湧き出る泉の水が尽きない(つきない)ようすに似ています。
 『遊びなのか修行なのかわからなくなってきた』とあります。
 『好きであることは間違いないだろうけど、それは自分よりも面白い絵を描ける人として惹かれていたり(ひかれていたり)、恐怖を感じている気持ちの方が強いのかもしれなかった』
 明文堂:めいぶんどう。文房具店
 『…… でも竹内と話していると一人のときよりも楽しいかもしれない……』
 『イエスタディワンスモア カーペンターズ』(1973年(昭和48年)ころ、よくはやりました。洋楽曲です)

 長い文章を続けて読みながら、(最後はたぶんふたりは別れるのだろうな)と思う。
 そのとおりになりました。

 絵本作家どうしはライバルになることはありません。友だちどうしになることはあります。

 お酒のみと結婚すると、普通なら体験しなくてもいい苦労を体験することになります。
 結婚相手を選ぶ時の物差し(ものさし。基準)です。何をする人かではなく、なにをしない人かという視点に立って相手の人を評価したほうが賢明(けんめい。かしこい)です。
 大酒飲みはアウトです。喫煙者もやめたほうがいい。無用なトラブルに巻き込まれて苦労します。暴力・暴言をふるう人もダメです。
 一見優しそうに見えても、家の中に入ると暴れる人っています。自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、椅子をけったりする人は危険です。
 調子のいい噓つきも排除したい。ひとつ嘘をつく人は、いくらでも嘘をつきます。
 相手を、よーく観察したほうがいい。人はたいてい、いいところもあれば、そうでないところももっています。ひとつでも尊敬できるところがあれば、ほかのいやなところはがまんできて、付き合いを続けることができるということはあります。
 竹内春の言葉として、『鬼はお母さんのことを叩いたり怒鳴ったりします……』
 
 30年に1回巡ってくるという流星群のことが出てきます。

『第8夜』
 この部分は、ヨシタケシンスケさんの語りで、人生の本について書いてありました。
 ちょっとわかりにくかった。

『第9夜』
 この部分は、又吉直樹さんです。
 『その本は、ゾンビが怖くなくなる方法について書かれている』(この部分を読んで考えたことです。自分も悪人になって悪の世界になじめば悪の世界にいるうちは生きていけるとも受け取れます)

 文章を読むとマンガの絵が頭に浮かびます。
 絵はありませんが、マンガの世界です。本を図書館の本棚に置くと、ゴゴゴゴゴゴーと地響きがして、大きな本棚が左右にわれて、床から光かがやく別の巨大な本棚があがってきて…… となるのです。

 『その本は、まっしろである。』
 病気で亡くなったお父さんが、生きていた時に撮影したビデオ映像が、その後成長した娘さんの結婚式で披露されます。
 撮影されたのは、2009年4月8日に撮(と)られたものです。映像の中でお父さんが、『あいこ、結婚おめでとう!』とメッセージを送ります。(でも、おとうさんは、もうずーっと前に、天国に行かれています)
 わたしは読んでいて、遺言(ゆいごん)の『付言(ふげん)』を思い出しました。
 わたしは今年の春、司法書士事務所の人に関り(かかわり)になってもらって、公証人役場で遺言の手続きをしました。
 そのとき、司法書士事務所に、遺族(妻子)に読んでもらう『付言』を預けました。わたしが死んだあと、妻やこどもたちに手渡しされます。
 わたしのメッセージを読む遺族の状態が、こちらの本のこの部分に書いてあると思いました。
 本では、亡くなったお父さんが動画の中で、トランペットを吹きます。『ザ・ローズ』という曲です。純粋です。損得勘定の意識はありません。胸にジンときました。

『第10夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 なるほどと思わせてくれる短文です。
 邦画『転校生』のパターンで、本と人間が入れ替わります。
 人間の意識をもった『本』は、病院への入院で体を動かせない状態になった人の心持ちに似ています。
 『もしかしたら、ぼくはもともと本だったのかもしれない……』
 すごい発想力です。
 
『第11夜』
 又吉直樹さんの番です。
 『その本は、夢のなかでしか読むことができない……』
 こどもさんが、教室の中で、どうやって友だちをつくったらいいかの問いかけです。
 わたしは、『ありがとう』と言えば、友だちができると思っています。『ありがとう』と言われて怒る(おこる)人はいません。いろいろ付け加えると、『あいづちをうつ。(人はたいてい、自分が言いたいことを言いたい。反対に、人の話は聞きたくないか、聞いているふりをしていて聞いていない。だから、きちんとした会話をしていなくてもだいじょうぶ。雑談は、発表ではありません)』『相手に負担をかけない。(相手を質問攻めしない。相手が話したことを否定しない)』『共通の話題をもつ』これぐらいあれば、雑談がなりたってともだちのような関係ができあがります。

『第12夜』
 『その本は、評判が悪かった…… ヒーローが負ける話だったからだ。』
 だけど、それが励ましになった。なにもかもがうまくいかない人生だった。
 亡き父親の話が出てきて、亡き父親の知り合いがいて、永い時を経て、一冊の本が、亡き父親の息子の気持ちを助けます。
 わたしが思うに、奇跡というのは、奇跡ではなくて、『必然(ひつぜん。必ずそうなる)』なのです。確率が低くても、そうなるのです。
 本と人との出会いについて書いてありました。

『第13夜』
 最後の夜になりました。
 又吉直樹さんの番です。
 『その本は、まだ生まれていません……』
 小説家がその本を書いている途中なのです。
 小説家はがんばっています。

『エピローグ(最後の言葉)』
 この本のからくり(仕組み)について書いてあります。
 又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんが登場します。
 王さまへの報告に関する詳細です。
 王さまはふたりの報告を聴(き)いたあと亡くなってしまいました。
 オチがおもしろい。ここには書きません。
 なかなかいい本でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:33Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月14日

歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省

歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省(しおみ・さんせい) 角川春樹事務所

 今年4月以降、NHKBSの再放送で、『あまちゃん』を見ていました。塩見三省さんは、岩手県三陸を舞台にして、小田勉さん(べんさん)を演じておられました。琥珀(こはく)をいつも大事そうに磨いておられました。
 熊太郎『塩見三省さんは病気になって亡くなったねーー』
 熊太郎の妻『そうだね。お気の毒だったねぇ』
 調べたら塩見三省さんはご存命でした。失礼しました。
 申し訳ないというお詫びの気持ちもこめて、塩見三省さんのエッセイ集を読み始めます。
 2014年(平成26年)3月19日、病院に救急搬送されています。脳内出血です。左半身まひで、手足に障害が残っておられます。ご本人が66歳のときです。現在75歳であられます。この本は、ご本人が73歳のときに書かれていて、7年間マヒした左足をひきずって生きてきたと記されています。

 明日は我が身かもしれません。身につまされます。
 自分の体験だと、だいたい48歳ぐらいから体が壊れ始めます。元に戻りません。目が見にくくなります。体の関節が傷んで(いたんで)、わたしの場合、右肩が抜けたような状態が10年ぐらい前からずーっと続いています。頚椎症(けいついしょう)の後遺症みたいなものだと思います。いちおう整形外科は受診しました。
 歯や皮膚も傷みます。(いたみます)。耳も聞こえにくくなります。
 脳みそは理解力が落ちます。相手が何かを話していることはわかるのですが、何を話しているのかがわからないことがあります。
 下半身に神経痛のような痛みが走ります。今年初夏に坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)を患いました。(わずらいました)
 全体的に右半身が悪くなっています。まだ使える左半身に頼りながら生活しています。指の先には湿り気がなくなり、本や新聞のページをめくることができません。
 先日は、分別ごみをごみ集積場に出しに行ったとき、いっぱい落ちていたどんぐりを左足で踏んで、すってんころりとあおむけに転倒して、地面にお尻の左側を強く打ち付け、細い溝のコンクリート部分に右足のむこうずねをあてて、打撲(だぼく)とすりきずで、右足のすねに血がいっぱい出てしまいました。
 歳をとるところびやすくなります。もう若い頃のように、無理がききません。自分の足元に何があるかよく注意して歩かねばと思い知らされました。
 老齢者に、がんばれとか、あきらめるなとかいう言葉は禁句です。がんばったら死んじゃいます。
 世の中では、高齢者の雇用延長とかの政策の話がありますが、どうしてそんな発想ができるのか不思議です。同世代ですでに病気で亡くなった人が何人もいます。
 日本人全員が90歳ぐらいまで生きられるわけでないのです。東京国会議事堂付近で働いている人たちは、なにか、思い違いをされているのではなかろうか。73歳ぐらいで亡くなる方もけっこうおられます。余生を楽しめずに死んだら無念です。

 余談が長くなってしまいました。
 塩見三省さんは、脳内出血によって、自分の人生は中断せざるを得なくなったと記されています。
 ただ、これで人生をすべてあきらめるわけにはいかない。
 
 健康を失うことで、今まで見えていなかったことが見えるようになったということはあります。
 やすらかに人生を終えたいのであれば、アルコールの大量飲酒はやめるべきだし、ニコチンもだめです。薬物依存もペケです。増えた体重はなかなか減ってはくれません。暴飲暴食はやめたほうがいい。体の健康も大事だし、心の健康も大事です。
 
 塩見三省さんは、ドラマの共演者だった手術体験がある星野源さんに勧められて(2012年くも膜下出血(平成24年))、文章を書き始めたそうです。
 書くことで、生きる希望が湧いてきたそうです。
 iPad(アイパッド)で書くそうです。右手の人差し指一本で、一文字(ひともじ)ずつ打つそうです。脳みそは半分しか活動していないと書いてあります。書くことで、それまで白黒だった世界が、色彩のある世界に変わったそうです。

『第1章 私の病との闘い 「人生が中断する」ということ、立ち直るということ』
 かなり重いお話を、力強く書かれています。
 脳内出血後、左半身が動きません。感覚がないのに、痛みがあります。痛みは脳で感じているらしい。塩見三省さんの右脳で出血がありました。

 世間から見捨てられたように、病院のベッドで、『「一匹の虫」となって横たわり……』とあります。
 熊太郎も別の病気ですが似たような入院体験があります。自分が入院数日後に思ったのは、『ここにいちゃいけない』ということでした。なんというか、自分が人間のゴミに思えました。語弊(ごへい)があるのかもしれませんが、(ごへい:誤解を招きやすい言い方)、病院は人間として使えない状態になった人を収容するところだと感じました。だからがんばって、退院して社会復帰せねばならぬと思いつつも思うように体が動いてくれないのです。
 あわせて、医療関係者もいい人ばかりではありません。へんな人やいやな感じがする人もいます。なんだか、弱者という患者の立場でいると、医療関係者が横柄(おうへい)で威張っているように見えたこともありました。弱い者いじめです。(叱られるかもしれませんが本音(ほんね)です)
 
 塩見三省さんは、病院側と対立されています。病後の生活のしかたについてです。
 これまでなじみ親しんできた和風の生活を、バリアフリーに近い洋風の生活に変えることが嫌です。
 
 生まれて初めて長期入院されたそうです。珍しいと思いますがそういう人って多いのかなあ。
 人間は一生のうち必ず一度は入院を体験すると思います。熊太郎は内臓が壊れて、二十代のころに長期入院の体験があります。

 救急搬送され、治療後のご本人のショックは大きい。
 鏡で自分の姿を見て、『誰なんだ、この男は……。』と思われたそうです。

 感覚のない左手を右手でよいしょと持ち上げて体にのせる。
 リアルなマヒのようすや、リハビリのようすが書いてあります。鬼気迫ります。(ききせまります:おそろしい。身の毛もよだつ(毛がさか立つ))

 ほかの患者さんのことも少し書いてあります。
 交通信号の色はわかるけれど、『赤』で止まり、『青』で進むということがわからない。
 
 テレビの世界をあきらめる。(役者の出演者として)
 激しくて強い記述内容です。ぐっと胸をつかまれた気持ちになります。周囲の人たちも含めた闘病記です。
 孤立していきます。
 車の運転をやめて車を処分する。
 相撲(すもう)のテレビ中継が、心のなぐさめになる。
 杖(つえ)をついて歩く。転倒して迷惑をかけて心ない言葉を浴びせられたことがあるそうです。女性誌や週刊誌の記者に隠し撮りをされて心外な記事を書かれたこともあるそうです。(しんがい:不本意。残念)(開きなおって、こそこそ隠し撮りなんかしないで、堂々とわたしを撮りなさい。インタビューに応じましょうという姿勢を見せてもいいのではないかと熊太郎は思いました)

 不様:ぶざま。みっともない。醜態(しゅうたい)

 力がこもった文章が続きます。
 徐々にテレビに復帰されていきます。朝の番組とかドラマとか。映画とか。
 負けじ魂(だましい)があります。人に恵まれています。
 
『第2章 病と共に生きるとは 記憶 私の走馬灯(そうまとう)』
 生まれてからの思い出の記(き)です。
 
 本をまだ最後まで読んではいませんが、今年読んで良かった一冊です。

 京都府綾部市がふるさと。
 1965年頃(昭和40年頃)のことが書いてあります。
 まだ十代です。
 1966年(昭和41年)で京都の同志社大学生。18歳です。
 当時は学生運動で、大学は全国的に荒れていました。
 熊太郎が中学の修学旅行で歩いた京都嵐山や嵯峨野などの風景が書いてあります。あのころ、今ほど観光地化されていなかったような覚えです。歴史を学ぶ土地でした。
 東京に来てからのことが書いてあります。熊太郎が今年訪れた吉祥寺(きちじょうじ)とか三鷹のことが書いてあって親近感をもちました。
 有名な人たちのお名前がたくさん出てきます。演劇人の人たちです。塩見三省さんは、まだ二十代です。
 1985年(昭和60年)にお母上が死去されています。
 
 1971年(昭和46年)にイギリスロンドンからシベリア鉄道を使って、日本の横浜まで帰国されています。すごいなあ。途中、原野のなかにあるシベリアの駅で置き去りになりそうになっておられます。置き去りにされていたら、死んでいたかもしれません。そのときご本人はまだ23歳です。命をつなぐためには、『運(うん)』がいります。

『第3章 あの人たちを想う いつまでも忘れないということ』
 すでに亡くなられている方たちとの思い出話です。そして、いずれは、ご自身もそちらの世界へいくのだという流れのお話です。
 もうずいぶん前の話もあります。この20年間ぐらいでおおぜいの芸能界の人たちが亡くなりました。自分も今年4年ぶりに開催された職場の同窓会で、この4年間に20人ぐらいの先輩たちが亡くなったことを知りました。

 岸田今日子:2006年(平成18年)76歳没
 
 文章が固いかなと感じます。リズムにのれない部分がある文章です。
 役者さんのためか、セリフが入る文章で、脚本のような雰囲気の部分もあります。

 つかこうへい:2010年(平成22年)62歳没
 
 読んでいると、演劇人の人たちは、いい意味で、『演劇バカ』です。熱中しています。
 だれのためにやるのか。自分たちのためにやる。表現する。自分たちの主張を表現する。
 生涯現役で演技を続ける。
 サラリーマンのように、9時から5時まで働く仕事ではない。いいかえれば、人生のすべての時間が役者という仕事の時間でもある。定年退職はない。

 モドリ:悪人と思っていたが、実は善人だったという役柄

 戯曲『熱海殺人事件』に関連した話として、宮崎勉の連続殺人事件:1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)に起きた、4人の幼女・女児殺害事件。2008年死刑執行。45歳没

 1980年代から90年代、2000年を過ぎても、ご本人は、がんがん働いておられます。
 脳内出血を起こしたのは、働きすぎたからだろうか。

 中村伸郎(なかむら・のぶお):1991年(平成3年)82歳没
 別役実(べつやく・みのる):2020年(令和2年)82歳没
 長岡輝子:2010年(平成22年)102歳没
 
 ときおりページのあちこちに宮沢賢治の名前が出てきます。演劇人は、宮沢賢治作品から、いろいろ影響を受けているそうです。そういえば、この本の前に読んだ本『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』のページにも宮沢賢治さんの名前があった記憶です。

 植木等:2007年(平成19年)80歳没
 
 K君:演出家

 自分が長生きしても、友だちがみんな先に逝ってしまって(いってしまって、亡くなって)、さみしいということはあります。
 自分の体験だと、訃報(ふほう。死の知らせ)というものは、集団で発生します。同じ時代を生きた仲間が同じような時期に命尽きます。義父母の訃報を連絡したら、義父母の友人たちも最近亡くなったばかりだったというような体験があります。

 大杉漣(おおすぎ・れん):塩見三省さんは、大杉さんを大杉さんの本名の『孝』で呼んでおられます。2018年(平成30年)66歳没

『第4章 この人たちと生きる 生きることへの支えとして』
 第4章は、存命の方たちとの交流です。
 岸部一徳さん:日本橋の三越の前で待ち合わせをされたそうです。熊太郎は今年10月に日本橋三越前を歩いたので親近感が湧きました。

 長嶋茂雄さん:リハビリをする病院が同じだったそうです。お言葉が力強い。『シオミさん、どーってことないよ』と言わんばかりのポジティブシンキングだったそうです。
 三池崇史さん:映画監督の方です。
 岩井俊二さん:同じく映画監督さんです。

 ドンゴロスの背景:南京袋模様(もよう)の背景ということだろうか。

 182ページまで読んできて、奥さんのことが出てこないことが不思議です。
 たとえば、医療保険とか、介護保険とか、身体障害者制度の利用とか、衣食住の生活を送るうえで、避けて通れない手続きがあります。ご本人が自力でできることではありませんから、奥さんがたくさんの事務をなさっていたのでしょう。(本の後半247ページ「後書きとして…」で、ようやく奥さんへの感謝の言葉が出てきました)
 細かく言うと、入院されていましたから、高額療養費の還付手続きとか、バリアフリーの部屋にするための介護保険を使った住宅改修とか、補装具や日常生活用具や手当を求める身体障害者手帳の申請とか、障害年金の手続きもあったかもしれません。医療・介護・年金制度に関する手続きが、いろいろあります。きっと奥さんがてんてこまいで手続きをされたのでしょう。ゆえに、ご本人は、もっと奥さんにお礼を言われたほうがいいと思います。最大の恩人は奥さんです。奥さんの貢献度は高い。

 本全体を読み終えて感じたことです。
 ご本人も含めて、まわりにいる方々も、演劇人の人たちは、少年、少女なのです。
 十代の意識のまま、舞台や映画やドラマづくりにすべての力を注いでいる人たちです。
 ゆえに、実社会での日常生活のにおいがしません。
 特殊な世界です。そういう箱の中で人生を送られている。

 虚構をつくる世界です。
 演技で観ている人たちの心理を操作して感動してもらいます。
 人に喜んでもらって収入を得ます。

 マヒして動かなくなった左手の上に子役さんの小さな手が重なるシーンを撮影して映画ができあがる。祖父と孫の役柄です。動かない左手が感動を生む素材になります。

 萩原健一(はぎわら・けんいち):2019年(平成31年)68歳没

 ドライ、ランスルー:ドライは、カメラなしの最初から最後までのリハーサル。ランスルーは、本番どおりの通し稽古(けいこ)。最終確認。

『第5章 夕暮れ時が一番好きだ 気持ちが良いのは少し寂しいくらいの時でもある』
 病牀六尺(びょうしょうろくしゃく):正岡子規(まさおか・しき)の随筆集。病床にある著者の所感(しょかん。感想)1902年(明治35年)発表

 役者の卵が障害者の役を演じるために障害者の動きを病院へ見学に来る。障害者にとっては、うれしいことではありません。
 役者であるご本人に怒りが生まれています。

 路線バスに乗ることが好き。奥さんと乗る。高い席から景色を見渡すのが好き。
 東京ビッグサイトまで、行って帰っての半日バス旅が楽しみ。
 元気なころは、海外旅行にも行かれて、バイクにも乗られて、そんな思い出話があります。
 東京の街は、1980年代から(昭和55年)ずいぶん変化した。都市化が進んだ。思うに地方都市でもその頃は原野が広がる景色がありました。今はビルばかりです。

 ふたつのことを同時にできなくなった。
 歩きながら話すことができない。
 読んでいると車いすの障害者になられた詩画作家星野富弘さんの本に書いてあったご本人の語りに似ていると感じます。『克服』があります。

『第6章 静寂と修羅(しゅら) 北野武監督 生き残るということ』
 映画監督北野武さんに敬意を表されています。尊敬の気持ちがとても強い。
 作品『アウトレイジ ビヨンド』等への出演があります。
 
 左半身不随後も映画出演のために目標をつくって努力する姿があります。リハビリです。
 
 原稿を書き終えたらしき日付は、『2021年5月』(令和3年)となっています。

 この本をつくるきっかけとなった小説家髙田郁(たかだ・かおる)さんの解説が最後にあります。
 ご自身の作品『銀二貫』のテレビドラマ化で、塩見三省さんに出演してもらったそうです。
 2014年2月3日、まだ、塩見三省さんがご病気になる前にお母さんといっしょに面談されたそうです。翌月である3月19日に、塩見三省さんは脳出血で倒れられています。
 
 日記を書くことで慰められる。
 先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。ペンを持って日記を書くのです。学校に行きたくない中学生男子が、日記に救われます。
 
 いい文章です。
 『本は寡黙(かもく。言葉数が少ない)で、そして雄弁です。手に取って開かない限り、語りかけてはこない……』


(追記 2023年12月18日月曜日夜のこと)
 たまたまテレビ番組表を見ていたら、塩見三省さんがゲストで登場している番組を放映していたので見ました。
 NHKEテレの番組で、『ハートネットTV 私のリカバリー』というテーマでした。
 放送を見ながら、自分がその時座っていた椅子の後ろにある本棚にこちらの本があり、本の40ページあたりに書いてある女子大生の入院患者さんと彼女のお母さんの話題がテレビで紹介されていました。縁を感じました。  

Posted by 熊太郎 at 06:44Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月12日

喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二

喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社

 松本隆:作詞家。ミュージシャン。グループ活動として、ロックバンド『はっぴいえんど』。作詞作品として、アグネス・チャンの『ポケットいっぱいの秘密』、チューリップの『夏色の思い出』、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』、そのほか、ヒット曲多数。細野晴臣、大瀧詠一ほかと交流がある。

 山下賢二:この本をざーっと一回読んで、最後の紹介文でわかったのですが、以前読んだことがある絵本『やましたくんはしゃべらない』の登場人物であるやましたくんでした。びっくりしました。
 『やましたくんはしゃべらない 山下賢二・作 中田いくみ・絵 岩崎書店』そのときの感想メモの一部です。
 この絵本では、小学生時代に学校ではしゃべらなかったという作者ご本人のことを絵本にされているそうです。絵本では、やましたくんについて、1年生から始まって、6年生になったころのことが書いてありました。
 つまり、6年間しゃべらなかったというような下地があります。(されど、小学校の卒業証書授与式のときにだれにも聞こえないぐらいの声で、名前を呼ばれての返事の発声はしたらしい)
 小学校を卒業して中学生になったらしゃべるようにしたそうな。しゃべらないと、おとなになったら困ります。仕事をしなければなりません。作者であるご本人は、その後、人前でもしゃべるようになられたようです。しゃべらなかった理由もありました。ネットで読みました。ここには書きません。まあ、ミステリーを含んだ推理小説のような要素もある絵本です。

(1回目の本読み)
 ざーっと1枚ずつページを最後までゆっくりめくってみました。
 山下賢二さんが、喫茶店で、松本隆さんから聞いたことを文章にしてある本でした。
 文章は短文です。さらりと読み終える文章です。エッセイ集です。(随筆集)
 最初に、松本隆さんの言葉として、銀行員になれたけれど、作詞家になったとあります。そういえば、シンガーソングライターの小椋佳さん(おぐらけいさん。男性)も、もとは銀行員でした。

 エッセイのタイトルは、『〇〇について』という、「ついて」のタイトルが多い。

(2回目の本読み)
 ちょっとへんですが、最初に、本の最後のほう107ページにある『本物の「君」 山下賢二』から読み始めました。
 『君(きみ)』という言葉の音に強い興味が示されています。『東京の音』がするそうです。ちなみに山下賢二さんは京都の人です。
 クレジット:作品にかかわる人の名前。作詞で松本隆さんの名前が表記されていた。
 おふたりは、かなり親密な関係を築かれています。おふたりは、年齢的には父親と息子です。父親が松本隆さんです。

 では最初に戻って読み始めます。

『カフェ火裏漣花にて(カフェかりれんげにて) 京都市中京区』
 iPhoneで写真を撮って、それをもとにして歌詞をつくるというようなことが書いてあります。
 自然淘汰(しぜんとうた。ふるいにかけられて落ちていく)の話があります。
 
 映画の話、オーラを放つ映画監督の話、オーラのある芸能人の話があります。オーラ:人が発する強い雰囲気。まわりにいる人たちを魅了(みりょう)する。魅力がある。人を引きつける。

 思うままに語り続ける文章です。

 若い時、人から認められたかった。
 人がつくったものの物まねじゃないものをつくって、人から認められたかった。
 
 松本隆さんについて、病弱だった妹さんとの思い出が書いてあります。
 病気の妹さんは、まわりが止めるのもきかず、無理をされて、成人後、若くして亡くなっています。心臓が悪かったそうです。妹さんは、弱音をはかない人だった。
 だれにも家族がいます。
 しんみりきました。
 家族がいて、『詞(し)』が生まれる。

『ジャズスポット ヤマトヤにて 京都市左京区』
 抽象的なお話です。
 歌詞をつくる経過です。
 物語をつくるのです。
 『詩人』は、古代ギリシアの時代から、この地球上に存在している。
 答えがない世界の答えを出し続けようとしている。『霊』『死後の話』『愛』など、答えが出ないわからない問いかけに対して、詩人は答えようとし続ける。永遠に。
 
 嘘が嫌いだそうです。
 嘘はばれる。嘘を続けるためにまた嘘をつく。キリがない。(終わりがない)
 
 なによりもだいじなものは、『時間』。私立学校だったので大学受験がなかった。エスカレーター式(中学から大学まで内部進学できる)だった。受験勉強をしなくてよかったので、自分が自由に使える『時間』があった。時間を有効に使う。時間をムダにしない。

 松本隆さんの脳内世界にあることを他人である山下賢二さんが、聞き取りをして、記録として文章に落としてあります。
 ソクラテスの言葉を遺した(のこした)ソクラテス(紀元前のギリシャの哲学者)の弟子たち(クセノポンとプラトン)のようです。

 『お金じゃない』
 人から喜ばれるいい詞をつくって、後世に遺したい。(のこしたい)(人から評価されたい(ほめられたい)この世のこの時代に自分が生きていたという証拠を遺したいというお気持ちだろうか)

 有名になりたい=健全な上昇志向と考えるとのこと。否定しない。有名になりたいという欲は、あったほうがいい。そのために筋は通したほうがいい。なんでもやっていいわけではない。守るべき正義は守る。

 ストリーミング:動画配信サービス。音楽配信サービス。レコード会社もテレビ局もいらない。創作する場所は、東京じゃなくてもいい。

 人の真似はしない。

 現代の対立は、金持ちVS貧困だそうです。(日本ではこれからも金銭的な格差社会は広がっていくと思われます。どこに価値を求めるかという考え方もあります)

 孤独に慣れる。孤独を恐れない。(おそれない)

 シンプル(単純素朴(そぼく))です。

『イノダコーヒ本店旧館にて 京都市中京区』
 味わい深い言葉や文章がたくさん書いてあります。
 作詞家の脳内にあることを表現してある文章です。
 今年読んで良かった本です。

 歌詞をつくるマニュアルです。(手引き)
 おおざっぱにテーマを考える。
 季節を考える。
 5W1H(いつどこで……)を考える。
 人称代名詞(主語。にんしょうだいめいし。ぼくとかわたしとか)は使わない。
 基本は、「肯定文」、たまに、「否定文」
 
 パクリ(人まね)の話です。
 1970年代(昭和45年)は、パクリ全盛だった。パクリについてうるさくない世の中だった。
 まねをしながら上達してオリジナルをつくれるようになるという経過はある。
 
 歌詞をつくるときに必要なものは、第一に『知識』、第二に『技術』、第三に『思い』。『思い』がないといいものは完成しない。

 得るものがある本です。

 詐欺師のようでもある。本人も永遠に気づけないように、じょうずに人心を操作して利益を得る。洗脳をするように他人の心の中に感動を生んで意識を操作する。(警戒心が強い人はかかりません。素直に相手の言うことをきく、人柄がいいとされる人は危ない(あぶない))

 ファズ:音響機器の言葉。割れた音色、雑音。効果音

 松本隆さんが売れていた時の生活リズムはメチャクチャです。
 録音が午前4時くらいに終わる。自分で車を運転して帰宅して、自宅車庫のシャッターを開けるボタンを押して、シャッターがあがる1分間を待てない。エンジンを切って、そのまま運転席で熟睡に落ちる。朝6時半に自宅車庫前に停まっている車の中で目が覚める。
 
 歌い手の選び方です。
 写真は参考にならない。みんな可愛い。差異がわからない。
 声質で選ぶ。歌のうまいへたは、売れる売れないに関係ない。
 民衆は、おもしろい声を望んでいる。
 舌足らずなところが良かった歌手がいる。一見、欠点に見えても、そこが魅力だったりもする。合わせて、楽器が弾けることも魅力になる。
 
 歌謡曲を売る世界は異常な世界だった。売れる売れないの数字の世界だった。
 脳みそが疲れ果てて、80年代末に休業して5年間休んだ。
 いい歌は、数字では表せない。
 その時、いい数字が出なくても、永く歌い継がれる歌がいい歌ということもあると受けとりました。

 シニカル:皮肉な態度。冷笑。人を小ばかにする

 無意味な精神論。退屈な理屈。今を見て、今の体制を維持したいがんこ者たちがいる。松本さんは、そんな周囲を突き放します。先を見る。ずーっと先の未来を見て、今とは違うやり方を選択する。

『かもがわカフェにて』 京都市上京区
 マイナスとマイナスをかけて、プラスになるような歌詞をつくる。

 松本さんは、『(自分が自由に使える)時間』の多さにこだわります。
 学校がエスカレーター式だったから、受験勉強をすることに時間を奪われなくて済んだから良かった。
 東京都港区青山に生まれて育ったから、地方から出てきて、東京のファッション(文化ともいえる)になじむ、あるいは追いつくための時間を費やさなくて済んだから良かったと考えます。
 人が与えられた時間には限度があるから、時間の有効活用を考えます。(読み手の自分としてはそうかなあと思いつつ、なにかで名を成すとしたらそうかもしれないと思える。されど、なにかひとつのことで名を成す(大成功して有名になる)ことにこだわらなければ、たくさんの体験をして思い出多い人生を送るほうがいい思いをできると自分は考えました)
 アドバンテージ:有利な点。松本さんは、わたしから見れば、不思議な考え方をする方です。

 考える力を鍛える。鍛えるためには、学校教育の時代にできるだけたくさんのことを暗記する。成人するころから、暗記したことを駆使して考える。考える力を鍛え上げる。(付け加えると、その後に人生において、一時期、十年間ぐらいは、死に物狂いで働く。二十四時間365日気が狂うぐらいに働く。そのあと、休む。心身を休めて、新しい知識と体験をする。次の段階の人生を楽しむ)そんなふうに読み取れました。92ページに、『ボクは80年代、人の100倍働いたから、今は遊んでる……』とあります。

 ロックにおけるメンフィス:アメリカ合衆国テネシー州メンフィス。ロック発祥の地。エルビスプレスリー。この部分を調べているとき、『天使にラブ・ソングを』のことがネットの説明に書いてあり、先日東京でミュージカルを観たばかりなので、親近感と縁を感じました。ロックンロールの基礎にキリスト教会の讃美歌(ゴスペル)があるそうです。

 はっぴいえんど:日本のロックバンド。活動期間は、1969年(昭和44年)-1972年(昭和47年)、1973年(昭和48年)、1985年(昭和60年)、2021年(令和3年)。日本語ロックの創設グループ。代表曲『風をあつめて』
 松本隆
 細野晴臣
 大瀧詠一
 鈴木茂

 モビー・グレープ:1960年代後半に活躍したアメリカ合衆国のロックバンド
 グレイトフル・デッド:アメリカ合衆国のロックバンド
 フィル・スペクター:アメリカ合衆国の音楽プロデューサー
 ロネッツ:ニューヨーク出身の女性三人組の音楽グループ
 バッファロー・スプリングフィールド:アメリカ合衆国のロックバンド
 ゆでめん:はっぴいえんどのレコードアルバム。1970年発売(昭和45年)初めての日本語ロック
 YMO:イエロー・マジック・オーケストラ。1978年結成(昭和53年)細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一
 GSブーム:グループ・サウンズブーム。1967年(昭和42年)-1969年(昭和44年)
 
 友情について書いてあります。
 東京では、友情ができにくい。(東京は人生の一時的な時を過ごすところ)仕事仲間はいるけれど、会社つながりの人間関係になる。
 東京は人づきあいをするのには、大きすぎる。東京では、ライバルや商売敵はいる。(友情は薄い)
 京都や神戸は街の大きさがちょうどいい。会いたいときに簡単に会える。(東京は会えない)ローカルな感じがいい。(納得します)
 ローカル:地方、いなか

 本文を読み終えました。
 続けて、聴き手・書き手の山下賢二さんの文章をもう一度読みます。
 『京都の街は、30分もあれば車で端から端まで行けてしまう……』と話が続きます。
 料理人船越雅代さんの食事会で、この本のおふたりは出会ったとのことです。
 親子ほどの年齢が離れたおふたりですが、和歌山県新宮市へのふたりでの旅行内容には驚かされました。悪天候の中、現地のお祭りに参加されています。

 ためになるいい本でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:51Comments(0)TrackBack(0)読書感想文