2024年02月09日
古くて新しい仕事 島田潤一郎
古くて新しい仕事 島田潤一郎 新潮社
1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。
33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。
求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。
どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。
自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。
自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。
読み始めます。
2章『だれかのための仕事』
動機とはなんだろう。
わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。
動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。
極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。
仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。
著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。
生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。
著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。
血族を亡くした場合の自分なりの考えです。
亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。
『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』
(2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた)
その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。
本音が正直に書いてあります。
会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。
こどもを亡くした親の思いがつづられています。
朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない……
読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。
3章『小さな声のする方へ』
アイロニー:皮肉、反語
レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没
ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。
共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。
本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』
それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』
あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』
さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』
著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか)
読み終えて、思ったことです。
いろんな人がいるんだなあ。
競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)
1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。
33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。
求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。
どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。
自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。
自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。
読み始めます。
2章『だれかのための仕事』
動機とはなんだろう。
わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。
動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。
極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。
仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。
著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。
生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。
著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。
血族を亡くした場合の自分なりの考えです。
亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。
『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』
(2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた)
その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。
本音が正直に書いてあります。
会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。
こどもを亡くした親の思いがつづられています。
朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない……
読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。
3章『小さな声のする方へ』
アイロニー:皮肉、反語
レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没
ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。
共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。
本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』
それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』
あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』
さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』
著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか)
読み終えて、思ったことです。
いろんな人がいるんだなあ。
競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)
2024年02月07日
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎 夏葉社
1章から3章まであります。
『1章』
八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。
この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。
途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。
佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。
32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。
(つづく)
本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)
地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)
文章では、せつないほどの努力話が続きます。
本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
お客さんとの『信頼』が大事。
いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
いなかだからできる商売ともいえます。
本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
たいしたものです。
『2章』
本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
書店経営者が読むのに適した本です。
2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。
人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。
読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。
さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。
場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。
もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
再生とか、再起があります。
ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。
会社は、利益の追求だけではやっていけない。
会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
パン屋まで始まりました。
いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
先祖代々引き継いできた財産があります。
こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。
週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。
『3章』
こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。
最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。
もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)
『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』
迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
(いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)
192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。
大事なことは、『待つこと』と結んであります。
静かに待つことは案外むずかしい。
人の話をゆっくり聴く。
待てない人は、相手の想いを聴けていない。
いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。
広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
三次市(みよしし):広島県みよしし
津山市:岡山県津山市
1章から3章まであります。
『1章』
八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。
この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。
途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。
佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。
32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。
(つづく)
本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)
地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)
文章では、せつないほどの努力話が続きます。
本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
お客さんとの『信頼』が大事。
いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
いなかだからできる商売ともいえます。
本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
たいしたものです。
『2章』
本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
書店経営者が読むのに適した本です。
2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。
人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。
読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。
さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。
場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。
もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
再生とか、再起があります。
ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。
会社は、利益の追求だけではやっていけない。
会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
パン屋まで始まりました。
いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
先祖代々引き継いできた財産があります。
こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。
週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。
『3章』
こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。
最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。
もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)
『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』
迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
(いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)
192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。
大事なことは、『待つこと』と結んであります。
静かに待つことは案外むずかしい。
人の話をゆっくり聴く。
待てない人は、相手の想いを聴けていない。
いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。
広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
三次市(みよしし):広島県みよしし
津山市:岡山県津山市
2024年02月03日
電車の中で本を読む 島田潤一郎
電車の中で本を読む 島田潤一郎 青春出版社
誠実で良心的な本です。書いた人の人柄が伝わってきます。
まだ、第一章の終わり54ページまで読んだところですが感想を書き始めます。
苦しい人生を、本に救われるということはあります。
『第一章 高知から本を思う』
四国高知での出来事が書いてあります。熊太郎じいさんは、19歳の時に高知市内へ行ったことがあります。友だち5人、車2台テント持参で、野宿をしながら四国を半周しました。そのときのことを思い出しながら読みました。
内容は高知新聞社が発行する『K+』という冊子に掲載されてきた内容を一冊の本にしてあるようです。
石井桃子:児童文学者。2008年(平成20年)101歳没
文学とは、『新しいことを書こうとする、その姿勢こそ……』(そうか、それまでにない文体とか内容を新たに創造する。開拓するということか)
高知県室戸にいると、スマホを見ない。生活するのにスマホはいらない。東京のように情報に追いかけられることがない。(ほんの十数年前、日本人の日常生活にスマートフォンはなかった)
本は、人や家族などの時間を表現し、それを本の中に閉じ込めるとあります。(なるほど。同感です)
血縁関係が豊かな著者です。祖父母、叔父叔母、いとこ、そして、両親。
親戚づきあいは大事です。助け合いの基本組織です。家族は小さな社会でもあります。
『第二章 本との出会い』
著者は古い物が好きです。古本、中古レコード、名画座、骨董屋さんなど。
寺田寅彦(てらだ・とらひこ):物理学者、随筆家、俳人。1935年(昭和33年)57歳没
衒学的(げんがくてき):知識があることを必要以上に見せびらかす。教養をひけらかす。
穂村弘(ほむら・ひろし):歌人。61歳
橙書店(だいだいしょてん):熊本市内にある書店
睪意(ひっきょう):結論としては。
『第三章 子どもと本』
ちいさなお子さんがおふたりおられるそうです。
長男と長女さんです。2017年4月の時点で、ご長男が2歳、ご長女が生誕後半年ぐらいです。うちの孫ぐらいの誕生年です。今は、小学校低学年です。先日耳元で小さな声で、『(お年玉を)いちおくえんちょうだ~い』とささやかれました。紙に、『いちおくえん』と書いて渡すわと言い返したら、『にせさつは、いらーーん』とおこられました。
子育ての苦労が書いてあります。子育てと高齢者介護の苦労は、体験してみないとわかりません。
子育ては、ぜんぜん思いどおりにならないことばかりです。まずは、とにかく、生きていればいい。病気やケガの予防に気をつけていても一瞬でケガをしたり火傷(やけど)をしたりします。『子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ね』です。ただ、それも10年間ぐらいで楽になります。こどもはいつまでもこどもではいられないのです。
結婚生活、子育てに向かない人はいます。こどもを育てていくうえで、親戚づきあいや近所づきあいは必要です。冠婚葬祭も地域活動も学校活動にも顔を出します。親は集団の中で最低限の役割分担はこなします。イヤでもやれば、知り合いができて、いいこともあります。
こちらの本では、『(子育てに向かない人は)それはたとえば、友人たちを「敵か、味方か」に二種類でしか見られないような人間です』とあります。商売敵(しょうばいがたき)というライバルがいる『仕事』ではそうであっても、私生活ではそう思考しないほうがいい。(敵か味方か)。まずは、『譲る(ゆずる)』気持ちが大切です。相手にしてあげた『親切』は自分に返ってきます。情けは人のためならず。(自分のためなのです)
『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞生活部監修 中央公論新社』の部分を読んでいて、洋画を一本思い出しました。以下、感想メモの一部です。
『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』
4歳児から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
テーマは、「愛情(の種類、ありよう)」「死とは」「友情」「結婚」「性」など、心の根っこに関することです。
『哲学とは?』と問われた幼児が「自分に質問すること」と答えます。正解はあってないようなものですが、大事なことは「考えること」です。
同性愛は可能か、同性は結婚できないか『結婚の法則とはなにか』にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。そして、あやまらないと(謝罪)恋は続かないということをこどもが導き出します。
死ぬということはどういうことなのか。自殺はいけないという意見も出ます。
お祈りとは、神さまと話すことだそうです。
物の定義、人間と動物の違い。男と女の違い。肌の色の違い。
混血とはどういうことという質問にこどもさんが、白と黒が混じって、コーヒー色になることと答えます。ぼくは白人になりたいという声も出ます。体が小さいのは病気という考えに対して、パパには障害があるという声が出ます。パパは足を動かせないけれど本は読める。わたしはパパを愛していると言葉があります。
さて、こちらの本では、小学校6年生の男の子が、ゲームを買いたいと言っていたのが、ニワトリが欲しいと言い出して、ニワトリを買って、育てて、卵を産ませて、近所の人に卵を販売して、最後は、ニワトリを自分でさばいて、肉として食べたという本、『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶあづさ)・著 婦人之友社』という本の紹介文が良かった。
昔読んだ、『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』を思い出します。主人公は、倫子さん25歳、不倫で生まれたこどもだから倫子、りんこ、そして愛称はりんごちゃんで始まります。
彼女は言葉を発することができない。『食堂かたつむり』というのは、りんごちゃんがひとりで営業する食堂の名称をいいます。そして、お客さまは、1日にひと組限定となっています。
りんごちゃんの妹分がエルメスさんで、彼女は豚さんです。最終的に、倫子さんは、エルメスをさばいて料理して食べます。倫子さんの行為には、食べられる生き物への『感謝』があります。
そういえば、自分自身も中学生のときに小鳥のジュウシマツをたくさん繁殖させて、デパートや個人のペットショップにジュウシマツを売りに行っていました。一羽120円から140円ぐらいで引き取ってもらえました。お店で販売するときは、一羽780円ぐらいだった記憶です。うちは貧乏な母子家庭だったので、お金が欲しかったことを思い出しました。
『第四章 本から得られること』
スマートフォンをやめる。ガラ携に戻したそうです。スマホに時間を奪われる。スマホが子育ての弊害になることが理由です。ごもっともです。スマホが登場したのは、2000年代始めのころでした。スマホがなくても人は生きていました。
煩悩(ぼんのう):心をむだにかき乱すもの。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ):きわめて細かな点まで気を配る。
確かに、マンガには力があります。
くじけそうな若い人の心を支えてくれます。
ポピュリズム:政治変革を目指して、既存の権力層を批判する。156ページに書いてある、『ウヨウ』は、『ウヨク』のことだろうと思いました。
オルタナティブな社会:従来とは異なる社会
煩いごと:わずらいごと。うるさいこととも読む。この本では、「わずらいごと」思い悩む。心配事。
良かった文節として、『…… 本も音楽も映画もない人生なんて、味気ないものに違いありません。』
191ページに群馬県の桐生(きりゅう)が出てきます。先日観た番組、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でテレビ放映されていたルート上にあります。本のページにある桐生駅は熊太郎も鉄道の乗り換えで利用したことがあります。
読み終えました。
以下は、この本に掲載されていた書籍で、熊太郎が読んだことがある本です。
・さよならのあとで ヘンリー・スコット・ホランド・著 高橋和枝・絵 夏葉社
・バベル九朔(バベルきゅうさく) 万城目学(まきめ・まなぶ) 角川文庫 ほか、万城目学作品を数冊読みました。先日直木賞を受賞されました。おめでとうございます。
・キャプテン ちばあきお 集英社 もうひとつ『プレイボール』二十代はじめのころは漫画をよく読みました。結婚してこどもができてからは忙しくて読まなくなりました。
誠実で良心的な本です。書いた人の人柄が伝わってきます。
まだ、第一章の終わり54ページまで読んだところですが感想を書き始めます。
苦しい人生を、本に救われるということはあります。
『第一章 高知から本を思う』
四国高知での出来事が書いてあります。熊太郎じいさんは、19歳の時に高知市内へ行ったことがあります。友だち5人、車2台テント持参で、野宿をしながら四国を半周しました。そのときのことを思い出しながら読みました。
内容は高知新聞社が発行する『K+』という冊子に掲載されてきた内容を一冊の本にしてあるようです。
石井桃子:児童文学者。2008年(平成20年)101歳没
文学とは、『新しいことを書こうとする、その姿勢こそ……』(そうか、それまでにない文体とか内容を新たに創造する。開拓するということか)
高知県室戸にいると、スマホを見ない。生活するのにスマホはいらない。東京のように情報に追いかけられることがない。(ほんの十数年前、日本人の日常生活にスマートフォンはなかった)
本は、人や家族などの時間を表現し、それを本の中に閉じ込めるとあります。(なるほど。同感です)
血縁関係が豊かな著者です。祖父母、叔父叔母、いとこ、そして、両親。
親戚づきあいは大事です。助け合いの基本組織です。家族は小さな社会でもあります。
『第二章 本との出会い』
著者は古い物が好きです。古本、中古レコード、名画座、骨董屋さんなど。
寺田寅彦(てらだ・とらひこ):物理学者、随筆家、俳人。1935年(昭和33年)57歳没
衒学的(げんがくてき):知識があることを必要以上に見せびらかす。教養をひけらかす。
穂村弘(ほむら・ひろし):歌人。61歳
橙書店(だいだいしょてん):熊本市内にある書店
睪意(ひっきょう):結論としては。
『第三章 子どもと本』
ちいさなお子さんがおふたりおられるそうです。
長男と長女さんです。2017年4月の時点で、ご長男が2歳、ご長女が生誕後半年ぐらいです。うちの孫ぐらいの誕生年です。今は、小学校低学年です。先日耳元で小さな声で、『(お年玉を)いちおくえんちょうだ~い』とささやかれました。紙に、『いちおくえん』と書いて渡すわと言い返したら、『にせさつは、いらーーん』とおこられました。
子育ての苦労が書いてあります。子育てと高齢者介護の苦労は、体験してみないとわかりません。
子育ては、ぜんぜん思いどおりにならないことばかりです。まずは、とにかく、生きていればいい。病気やケガの予防に気をつけていても一瞬でケガをしたり火傷(やけど)をしたりします。『子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ね』です。ただ、それも10年間ぐらいで楽になります。こどもはいつまでもこどもではいられないのです。
結婚生活、子育てに向かない人はいます。こどもを育てていくうえで、親戚づきあいや近所づきあいは必要です。冠婚葬祭も地域活動も学校活動にも顔を出します。親は集団の中で最低限の役割分担はこなします。イヤでもやれば、知り合いができて、いいこともあります。
こちらの本では、『(子育てに向かない人は)それはたとえば、友人たちを「敵か、味方か」に二種類でしか見られないような人間です』とあります。商売敵(しょうばいがたき)というライバルがいる『仕事』ではそうであっても、私生活ではそう思考しないほうがいい。(敵か味方か)。まずは、『譲る(ゆずる)』気持ちが大切です。相手にしてあげた『親切』は自分に返ってきます。情けは人のためならず。(自分のためなのです)
『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞生活部監修 中央公論新社』の部分を読んでいて、洋画を一本思い出しました。以下、感想メモの一部です。
『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』
4歳児から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
テーマは、「愛情(の種類、ありよう)」「死とは」「友情」「結婚」「性」など、心の根っこに関することです。
『哲学とは?』と問われた幼児が「自分に質問すること」と答えます。正解はあってないようなものですが、大事なことは「考えること」です。
同性愛は可能か、同性は結婚できないか『結婚の法則とはなにか』にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。そして、あやまらないと(謝罪)恋は続かないということをこどもが導き出します。
死ぬということはどういうことなのか。自殺はいけないという意見も出ます。
お祈りとは、神さまと話すことだそうです。
物の定義、人間と動物の違い。男と女の違い。肌の色の違い。
混血とはどういうことという質問にこどもさんが、白と黒が混じって、コーヒー色になることと答えます。ぼくは白人になりたいという声も出ます。体が小さいのは病気という考えに対して、パパには障害があるという声が出ます。パパは足を動かせないけれど本は読める。わたしはパパを愛していると言葉があります。
さて、こちらの本では、小学校6年生の男の子が、ゲームを買いたいと言っていたのが、ニワトリが欲しいと言い出して、ニワトリを買って、育てて、卵を産ませて、近所の人に卵を販売して、最後は、ニワトリを自分でさばいて、肉として食べたという本、『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶあづさ)・著 婦人之友社』という本の紹介文が良かった。
昔読んだ、『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』を思い出します。主人公は、倫子さん25歳、不倫で生まれたこどもだから倫子、りんこ、そして愛称はりんごちゃんで始まります。
彼女は言葉を発することができない。『食堂かたつむり』というのは、りんごちゃんがひとりで営業する食堂の名称をいいます。そして、お客さまは、1日にひと組限定となっています。
りんごちゃんの妹分がエルメスさんで、彼女は豚さんです。最終的に、倫子さんは、エルメスをさばいて料理して食べます。倫子さんの行為には、食べられる生き物への『感謝』があります。
そういえば、自分自身も中学生のときに小鳥のジュウシマツをたくさん繁殖させて、デパートや個人のペットショップにジュウシマツを売りに行っていました。一羽120円から140円ぐらいで引き取ってもらえました。お店で販売するときは、一羽780円ぐらいだった記憶です。うちは貧乏な母子家庭だったので、お金が欲しかったことを思い出しました。
『第四章 本から得られること』
スマートフォンをやめる。ガラ携に戻したそうです。スマホに時間を奪われる。スマホが子育ての弊害になることが理由です。ごもっともです。スマホが登場したのは、2000年代始めのころでした。スマホがなくても人は生きていました。
煩悩(ぼんのう):心をむだにかき乱すもの。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ):きわめて細かな点まで気を配る。
確かに、マンガには力があります。
くじけそうな若い人の心を支えてくれます。
ポピュリズム:政治変革を目指して、既存の権力層を批判する。156ページに書いてある、『ウヨウ』は、『ウヨク』のことだろうと思いました。
オルタナティブな社会:従来とは異なる社会
煩いごと:わずらいごと。うるさいこととも読む。この本では、「わずらいごと」思い悩む。心配事。
良かった文節として、『…… 本も音楽も映画もない人生なんて、味気ないものに違いありません。』
191ページに群馬県の桐生(きりゅう)が出てきます。先日観た番組、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でテレビ放映されていたルート上にあります。本のページにある桐生駅は熊太郎も鉄道の乗り換えで利用したことがあります。
読み終えました。
以下は、この本に掲載されていた書籍で、熊太郎が読んだことがある本です。
・さよならのあとで ヘンリー・スコット・ホランド・著 高橋和枝・絵 夏葉社
・バベル九朔(バベルきゅうさく) 万城目学(まきめ・まなぶ) 角川文庫 ほか、万城目学作品を数冊読みました。先日直木賞を受賞されました。おめでとうございます。
・キャプテン ちばあきお 集英社 もうひとつ『プレイボール』二十代はじめのころは漫画をよく読みました。結婚してこどもができてからは忙しくて読まなくなりました。
2024年01月23日
月と散文 又吉直樹
月と散文 又吉直樹 KADOKAWA
エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
きれいな文章を書いても、きれいですねで終わるのです。きれいな文章を書ける人は、そこそこいるので目立たないのです。その人にしか書けない個性的な文章を書けるとアーチスト(創造者)になれるのです。
タイトルにある、『月』にこだわりがありそうです。文章書きでいうところの、『章』が、【満月】、そして、【二日月】となっています。タイトルの散文は、『エッセイ』です。
ふと、思い出しました。以前、『二日月』という児童文学を読んだことがあります。読書メモを探したら出てきたので、感想の一部を載せてみます。
『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
障害者差別解消をめざした作品です。
主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
二日月というのは、つごもり(月隠:月の光がまったく見えなくなる頃)、新月(細い月)のあとに見える月で、作中では、最初、見えなかったものが、少しずつ見えてきて満ちてくるというたとえ話になっています。
『満月』
たくさんエッセイがあります。読みながら、だらだらと感想を落としてみます。
書いてあることとして、テレビを見ていて、番組の内容よりも、出ている人の姿かたちについて家族と雑談することはよくあります。エッセイでは、コメンテーターのネクタイが派手かどうかというようなやりとりがあります。
日本には、1億2300万人ぐらいの人が住んでいるわけで、すべての人が、今起こっている時事問題や事柄に対応できるわけでもありません。関係者の方々であんばいようやってくださいとなるのが世の常です。
そんなぼんやりとした日常の中で、テレビを見ていると、テレビに出ている人の肌つやとか、頭髪のこととか、洋服のセンスとか、モノの値段とか、報道やバラエティの趣旨とは離れたところで雑談になるのです。
又吉さんは、不完全な人間である自分について、この先もひとり語りを続けていきます。自分の立場は、『太陽』ではない。『月』なのですというメッセージがあるのでしょう。
大阪出身で、18歳の時に漫才師になるために東京へ進出します。
友だちの、『たっちゃん』とコンビを組んでいっしょに東京へ出ましたが、うまくいきません。解散します。
なかなかの文章です。手紙があります。31歳の又吉さんが、18歳の又吉さんにあてた手紙です。
文章は、ひとごと(他人事たにんごと)を聞いているようでもあります。
又吉直樹さんという臆病な(おくびょうな)人間の性質が、じょうずに表現されています。
人にだまされます。
だれしもそうなのでしょうが、善良な若い人は社会に出て、簡単に人にだまされます。
わたしは、学校で先生から、そんないいかげんなふうでは、社会に出たらやっていけないぞとよく指導されました。
ところが、じっさいに社会に出てみたら、いいかげんな人がたくさんいました。自分が得をするためには、人をだまして利益を得る人がいました。きれいごとだけを教えていたらこどもの心は壊れます。
本では、車の運転免許を持っていない話が出ます。
どういうわけか、運転免許証をもっていても運転はできませんという若い人が増えました。
関係先回りをするときに、会社の車を先輩や役付きが運転して、新人が同乗するという奇妙な光景が生まれました。
52ページまで読みました。
又吉直樹さんは、お笑いをやっているけれど、暗い性格の人です。明石家さんまさんとは正反対です。
(つづく)
三鷹や吉祥寺の地名が出てきます。昨年2回現地を散策したので親しみを感じます。
世代が違うので感覚が異なることもあります。
又吉さんは、1989年(昭和64年・平成元年)のとき小学二年生8歳で昭和が終わっています。そのとき自分は、もうおとなでこどもをかかえて共働きの子育てで、忙しい毎日を送っていました。
読んでいるとなんだか気持ちがさみしくなってくる文章です。『太陽』ではなく、タイトルにあるとおり『月』です。
67ページあたり、高校の同級生龍三さんとの嚙み合わない会話というところがおもしろい。いい関係です。会話において、龍三さんは、けして、『否定』をしません。たいしたものです。
著者は、芥川賞を受賞した人ですが、こどものころに、家には本はなかったとあります。
小学校中学年のときに、教科書の物語を読むことが好きになった。そこから本好きが始まります。
本を読むことはかっこいいことではなかった。変人として扱われた。高校のとき、父親から本を読むのはおかしいと言われた。ケンカが強いほうが大事だという考えの父親だった。社会人になってからも、芸人のくせに本を読むのは変人だというような扱いをまわりにいた人間たちから受けた。
(この部分を読んで、自分と類似体験があるなと思い出したことがあります。小学校5年生ぐらいのとき父親に、『そろばんを習いに行きたい』と言ったら、『そろばんなんかやらんでもいい。柔道を習いに行け!』と言われて、話にならんと思いました)
古書店まわりが好きだという話が出ます。
孤独だった若い頃は、古書店と自動販売機が心のよりどころだったそうです。一日なにもやることがなかった。
小説を書き始めて失望したこととして、『芸人が小説を書いた』と反応があったこと。差別されていると感じた。『芸人』が下に見られている。『芸人のくせに』とばかにされている。
1997年(平成9年)元旦。著者は高校1年生16歳で、同級生4人で、初日の出を見に、大阪寝屋川から海遊館(かいゆうかん)がある築港(ちっこう)めざして、自転車で午前2時に出発します。なんだかんだとあって、自転車をこいで、何時間もかけて海にたどりつき、印象的な初日の出を見たあと、ケンカ別れみたいになります。(しんどくて、著者だけが電車で帰った)。そのときの友だち3人に送った著者のあいさつ、『チャオ(さよならの意味)』が、いまだにみんなとの思い出話で出るそうです。
(自分はその部分を読んで、「なぜ、みんなは、初日の出を見たいと思ったのだろう」と思いました。なぜ、自分は中高生の頃、元旦の初日の出を見たいと思わなかったのだろう。思い出してみると、中学一年のとき、オヤジが心臓の病気で急死して、うちは貧乏な母子家庭になってしまいました。中学二年生の秋から新聞朝刊の配達を始めて、高校卒業まで続けました。朝、新聞配達を終えるころ、季節の時間帯によりけりですが、日の出をよく見ていました。だから、自分には、朝日を見たいという欲求がないのだとわかりました)
(つづく)
ハウリン・ウルフ:アメリカ合衆国の黒人ブルース・シンガー。1976年(昭和51年)65歳没
112ページまできました。なんだろう。小学生のころの話ばかりでつまらなくなってきました。
社会に出るとふつう、学校であったことは過去のことになり、忘れてしまいます。
又吉さんの場合は、逆に、小学生時代の過去が色濃くなっています。不思議です。
そういえば、同じく関西出身の芸人チャンス大城さんの本もそうでした。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』(かなりおもしろいです)
芸人は、過去にこだわるのだろうか。
少年時代の孤独話が続きます。
こどもの頃、大阪の狭い住宅に家族5人で暮らしていた。(父(作業員)、母(働いていた)、長姉、次姉、自分)。家では、自分が好きな、「孤独」の状態になれなかった。
又吉さんは変わった小学生だったようです。先生が苦労されています。
どうでもいいことで考え込む。(寒い時になぜ半そでを着てはいけないのか)
教室の片隅でひとりになることが好き。
ひとりで近所を歩いたり、走ったりすることが好き。
小学6年生のときの門限は夜の8時30分だった。夜の公園にひとりでいた。8時30分過ぎても家に帰らないこともあった。親が探しに来た。ときに、公園で、ひとりで不安なこともあった。
小学校では忘れ物をする。宿題を提出することを放棄する。親に通知表を見せない。先生から見て何を考えているのかわからないこどもと言われた。問題児だった。
不愛想だった。「好きなことしか出来ないこどもだった」。ノートに絵を描いていた。小学校の授業中、勝手に教室を出て行くこともあった。みんなが又吉さんを校内で探したことがあった。
学校の黄色い帽子にマジックで絵を描いてかぶる。教室にあるストーブの位置を教室のまんなかに置いたほうが平等だと提案する。黒板の横に立って授業を受けたいと申し出る。
『標準』になれないこどもだった又吉さんがいます。サラリーマンにはなれません。本人が自認するように、芸人になるしかありません。事務職や営業職、接客接遇、電話応対、どれもできそうにありません。
市役所がイヤだという話が出ます。
べつだん市役所でイヤな目にあったということではありません。むしろ職員は親切だと書いてあります。
行政書類での手続きがにがてだそうです。
読んでいると、社会人として、家庭人として、やっていけるようには思えない資質と性格、言動です。たいそうな収入はあるのでしょうが、適切に、的確に、ちゃんと生活できているのだろうかと心配になります。
健康保険とか、年金とか、福祉や介護の手続きもいります。若い時は、こどもがいれば、市役所に子育ての相談にも行かねばなりません。だれかが、又吉さんの代わりに行政事務手続きをやらないと、お金があっても苦労しそうです。歳をとってくると、困りそうです。
芸能界の人って、介護保険で軽くなる費用を実費で払う人がいるようでびっくりします。凡人なら家計が破たんします。かっこつけないほうがいい。同じ人間です。日常生活に違いはありません。たまたま仕事が芸能人なだけです。
(つづく)
158ページ、うまいなあ。一行(いちぎょう)あけて、又吉さんと証明写真撮影機との会話が始まります。
宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。元THE BOOMのボーカル
小学校時代父親のことを作文で書いて、寝屋川市の代表として大きな会場で読んだ経験があることから始まって、お父さんとお母さんとの物語が大きく流れていきます。
お父さんは沖縄県名護市出身で、大阪に渡った。(読んでいて、熊本県出身の自分の父親と重なるところが多々ありました)
父親は競輪選手になるために大阪に来たが、本気だったようすがありません。自転車は好きだった。
カチャーシー:沖縄の踊り。沖縄民謡に合わせて、頭上で手を左右に振る。
又吉さんは、こどものころ、カチャーシーを踊って笑われて、笑いをとることの喜びを知りました。
又吉さんのお父さんの行動や言葉を読むと、40歳で病気で死んだ自分の父親と似ているなあと思います。
又吉さんのお母さんは、鹿児島県奄美群島の加計呂麻村出身で(かけろまむら)、看護師になって大阪府寝屋川市内のアパートで暮らし始めて、お隣に住んでいた又吉さんの父親と故郷が近い点で話が合って結婚されたそうです。
186ページに、お父さんのご臨終(ごりんじゅう。亡くなるとき)のようすがあります。
ご両親の個性が遺伝して、又吉直樹さんができあがっているということを確認できる文章でした。リリー・フランキーさんの名作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出します。
霊供膳(りょうぐぜん):お供えする小型のお膳。お供えのあと遺族が食べる。
『二日月』
こちらのかたまりの部分の内容は、それほど良くありませんでした。
順に感想を記してみます。
コロナ禍の時期も関係していると思いますが、閉塞的です。(へいそくてき:閉(と)ざされている。とじこもっている)
芸人3人でのシェア(家の中の空間を分け合う)生活からひとり暮らしにした。人が集まれるようリビングには24人ぐらいが座れるようにした。でも、だれも来ない。コロナ禍が始まる前から、だれも来ない。
家にいても、話し相手がいない。(話し相手がほしいから結婚するということはあります)
だからなのか、細かなことに関する考察が続きます。
(わたしは利用したことがありませんが、ウーバーイーツとか出前館とか)料理を自宅に届けてもらうサービスを多用している話が出ます。自分の世代では、相手から商品を手渡しで受け取らないことを不可解に思えるのですが、受け取るときには対面しないそうです。配達員は、ドアの前に料理を置いて、写真を撮って帰っていく。そのようすを又吉さんはドアのノゾキ穴からずーっと観察しているそうです。(配達員が来る前から来るのを待っている)いろんな動きをする配達員について書いてあります。
又吉さんは、孤独な人です。孤独がイヤなのではなく、むしろ、ひとりでいたい人です。
知らない人と会話をしない人です。知らない人と会話をしたくない人です。
会話がにがてな人です。独特です。
又吉さんは喫茶店で原稿を見たり書いたりしているようです。
帰るときに、間違えて、お店のメニューを原稿といっしょにカバンに入れてしまったそうです。それも1枚ではなく、2枚(のメニュー)をカバンに入れたそうです。お店から返してほしいと事務所を通じて連絡があります。自分が2枚メニューをもってきてしまったことに気づかず、1枚だけ返して、帰宅してから2週間後、メニューが、もう1枚カバンにあることに気づきます。相当変わっています。(そんなことがあるのか)
又吉さんは手間がかかる人です。
じっとしているようで、脳みその中は、活発に活動している人です。(なんというか、なんとか障害の気配でもあるのだろうか)
ご本人の言葉です。『私は無口だが脳がしつこいほどお喋りで(おしゃべりで)、なかなか黙ってくれない……』
虫メガネの焦点を目的物にゆっくり近づけていくような文章が続きます。広がりはありません。一点に集中していきます。読んでいて、だんだん飽きてきた228ページあたりです。
文字数はとても多い。
貶す(けなす):悪口を言う。
お笑いコンビとして取材を受けているときに、インタビュアーに、『マタキチさん』と声をかけられることがよくあった。(芥川賞受賞前でしょう)『マタヨシです』と言えなかった。相方の綾部さんが訂正してくれるが、綾部さんは、又吉さんのことをふだん、『マタキチ』と呼んでいる。ややこしい。
この本の前半の、『満月』ほどの中身はないので、流し読みに入った251ページ付近です。
サルゴリラ児玉:お笑いコンビ。児玉智洋(こだま・ともひろ)
妄想が、大量の文字でつづられています。読む意欲が湧かなかったので、ゆっくりページをめくって本を閉じました。異様な面をおもちの方です。
(しばらくたってから本を再び広げて)314ページ、『散文 #64号』で、文章が落ち着きました。北九州での朗読会について書いてあります。
328ページ、『なにか言い残したことはないか?』 自分が臨終(りんじゅう。死ぬとき。死にぎわ)のときのことです。
人生の最後に何を言うかです。
(わたしはたぶん、家族に、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えます。ふと、家族がいない人はどうなのだろうかと思いつきました。無言もありかと思いました。心の中で自分自身になにかを言って人生を終わるのです)
又吉さんの場合は、『いやぁ、やり切ったなぁ』だそうですが、それではだめらしく、相手から、『やりきったよな。それで、なにか言い残したいことは?』と問われて困りそうなので、問いかけてほしくないそうです。
334ページ、『私は車の運転免許を持っていないので……』(運転免許がないと自分で好きなところに行ける楽しみがありませんね)
ところどころ、漫才の台本のようでもありました。
356ページ、全部読み終えました。
細かい意識と思考をもちながら、すごく狭い世界の中で生きている人という印象をもちました。
前半と後半につながりがないので、2冊の本を読んだような気分でした。
エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
きれいな文章を書いても、きれいですねで終わるのです。きれいな文章を書ける人は、そこそこいるので目立たないのです。その人にしか書けない個性的な文章を書けるとアーチスト(創造者)になれるのです。
タイトルにある、『月』にこだわりがありそうです。文章書きでいうところの、『章』が、【満月】、そして、【二日月】となっています。タイトルの散文は、『エッセイ』です。
ふと、思い出しました。以前、『二日月』という児童文学を読んだことがあります。読書メモを探したら出てきたので、感想の一部を載せてみます。
『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
障害者差別解消をめざした作品です。
主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
二日月というのは、つごもり(月隠:月の光がまったく見えなくなる頃)、新月(細い月)のあとに見える月で、作中では、最初、見えなかったものが、少しずつ見えてきて満ちてくるというたとえ話になっています。
『満月』
たくさんエッセイがあります。読みながら、だらだらと感想を落としてみます。
書いてあることとして、テレビを見ていて、番組の内容よりも、出ている人の姿かたちについて家族と雑談することはよくあります。エッセイでは、コメンテーターのネクタイが派手かどうかというようなやりとりがあります。
日本には、1億2300万人ぐらいの人が住んでいるわけで、すべての人が、今起こっている時事問題や事柄に対応できるわけでもありません。関係者の方々であんばいようやってくださいとなるのが世の常です。
そんなぼんやりとした日常の中で、テレビを見ていると、テレビに出ている人の肌つやとか、頭髪のこととか、洋服のセンスとか、モノの値段とか、報道やバラエティの趣旨とは離れたところで雑談になるのです。
又吉さんは、不完全な人間である自分について、この先もひとり語りを続けていきます。自分の立場は、『太陽』ではない。『月』なのですというメッセージがあるのでしょう。
大阪出身で、18歳の時に漫才師になるために東京へ進出します。
友だちの、『たっちゃん』とコンビを組んでいっしょに東京へ出ましたが、うまくいきません。解散します。
なかなかの文章です。手紙があります。31歳の又吉さんが、18歳の又吉さんにあてた手紙です。
文章は、ひとごと(他人事たにんごと)を聞いているようでもあります。
又吉直樹さんという臆病な(おくびょうな)人間の性質が、じょうずに表現されています。
人にだまされます。
だれしもそうなのでしょうが、善良な若い人は社会に出て、簡単に人にだまされます。
わたしは、学校で先生から、そんないいかげんなふうでは、社会に出たらやっていけないぞとよく指導されました。
ところが、じっさいに社会に出てみたら、いいかげんな人がたくさんいました。自分が得をするためには、人をだまして利益を得る人がいました。きれいごとだけを教えていたらこどもの心は壊れます。
本では、車の運転免許を持っていない話が出ます。
どういうわけか、運転免許証をもっていても運転はできませんという若い人が増えました。
関係先回りをするときに、会社の車を先輩や役付きが運転して、新人が同乗するという奇妙な光景が生まれました。
52ページまで読みました。
又吉直樹さんは、お笑いをやっているけれど、暗い性格の人です。明石家さんまさんとは正反対です。
(つづく)
三鷹や吉祥寺の地名が出てきます。昨年2回現地を散策したので親しみを感じます。
世代が違うので感覚が異なることもあります。
又吉さんは、1989年(昭和64年・平成元年)のとき小学二年生8歳で昭和が終わっています。そのとき自分は、もうおとなでこどもをかかえて共働きの子育てで、忙しい毎日を送っていました。
読んでいるとなんだか気持ちがさみしくなってくる文章です。『太陽』ではなく、タイトルにあるとおり『月』です。
67ページあたり、高校の同級生龍三さんとの嚙み合わない会話というところがおもしろい。いい関係です。会話において、龍三さんは、けして、『否定』をしません。たいしたものです。
著者は、芥川賞を受賞した人ですが、こどものころに、家には本はなかったとあります。
小学校中学年のときに、教科書の物語を読むことが好きになった。そこから本好きが始まります。
本を読むことはかっこいいことではなかった。変人として扱われた。高校のとき、父親から本を読むのはおかしいと言われた。ケンカが強いほうが大事だという考えの父親だった。社会人になってからも、芸人のくせに本を読むのは変人だというような扱いをまわりにいた人間たちから受けた。
(この部分を読んで、自分と類似体験があるなと思い出したことがあります。小学校5年生ぐらいのとき父親に、『そろばんを習いに行きたい』と言ったら、『そろばんなんかやらんでもいい。柔道を習いに行け!』と言われて、話にならんと思いました)
古書店まわりが好きだという話が出ます。
孤独だった若い頃は、古書店と自動販売機が心のよりどころだったそうです。一日なにもやることがなかった。
小説を書き始めて失望したこととして、『芸人が小説を書いた』と反応があったこと。差別されていると感じた。『芸人』が下に見られている。『芸人のくせに』とばかにされている。
1997年(平成9年)元旦。著者は高校1年生16歳で、同級生4人で、初日の出を見に、大阪寝屋川から海遊館(かいゆうかん)がある築港(ちっこう)めざして、自転車で午前2時に出発します。なんだかんだとあって、自転車をこいで、何時間もかけて海にたどりつき、印象的な初日の出を見たあと、ケンカ別れみたいになります。(しんどくて、著者だけが電車で帰った)。そのときの友だち3人に送った著者のあいさつ、『チャオ(さよならの意味)』が、いまだにみんなとの思い出話で出るそうです。
(自分はその部分を読んで、「なぜ、みんなは、初日の出を見たいと思ったのだろう」と思いました。なぜ、自分は中高生の頃、元旦の初日の出を見たいと思わなかったのだろう。思い出してみると、中学一年のとき、オヤジが心臓の病気で急死して、うちは貧乏な母子家庭になってしまいました。中学二年生の秋から新聞朝刊の配達を始めて、高校卒業まで続けました。朝、新聞配達を終えるころ、季節の時間帯によりけりですが、日の出をよく見ていました。だから、自分には、朝日を見たいという欲求がないのだとわかりました)
(つづく)
ハウリン・ウルフ:アメリカ合衆国の黒人ブルース・シンガー。1976年(昭和51年)65歳没
112ページまできました。なんだろう。小学生のころの話ばかりでつまらなくなってきました。
社会に出るとふつう、学校であったことは過去のことになり、忘れてしまいます。
又吉さんの場合は、逆に、小学生時代の過去が色濃くなっています。不思議です。
そういえば、同じく関西出身の芸人チャンス大城さんの本もそうでした。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』(かなりおもしろいです)
芸人は、過去にこだわるのだろうか。
少年時代の孤独話が続きます。
こどもの頃、大阪の狭い住宅に家族5人で暮らしていた。(父(作業員)、母(働いていた)、長姉、次姉、自分)。家では、自分が好きな、「孤独」の状態になれなかった。
又吉さんは変わった小学生だったようです。先生が苦労されています。
どうでもいいことで考え込む。(寒い時になぜ半そでを着てはいけないのか)
教室の片隅でひとりになることが好き。
ひとりで近所を歩いたり、走ったりすることが好き。
小学6年生のときの門限は夜の8時30分だった。夜の公園にひとりでいた。8時30分過ぎても家に帰らないこともあった。親が探しに来た。ときに、公園で、ひとりで不安なこともあった。
小学校では忘れ物をする。宿題を提出することを放棄する。親に通知表を見せない。先生から見て何を考えているのかわからないこどもと言われた。問題児だった。
不愛想だった。「好きなことしか出来ないこどもだった」。ノートに絵を描いていた。小学校の授業中、勝手に教室を出て行くこともあった。みんなが又吉さんを校内で探したことがあった。
学校の黄色い帽子にマジックで絵を描いてかぶる。教室にあるストーブの位置を教室のまんなかに置いたほうが平等だと提案する。黒板の横に立って授業を受けたいと申し出る。
『標準』になれないこどもだった又吉さんがいます。サラリーマンにはなれません。本人が自認するように、芸人になるしかありません。事務職や営業職、接客接遇、電話応対、どれもできそうにありません。
市役所がイヤだという話が出ます。
べつだん市役所でイヤな目にあったということではありません。むしろ職員は親切だと書いてあります。
行政書類での手続きがにがてだそうです。
読んでいると、社会人として、家庭人として、やっていけるようには思えない資質と性格、言動です。たいそうな収入はあるのでしょうが、適切に、的確に、ちゃんと生活できているのだろうかと心配になります。
健康保険とか、年金とか、福祉や介護の手続きもいります。若い時は、こどもがいれば、市役所に子育ての相談にも行かねばなりません。だれかが、又吉さんの代わりに行政事務手続きをやらないと、お金があっても苦労しそうです。歳をとってくると、困りそうです。
芸能界の人って、介護保険で軽くなる費用を実費で払う人がいるようでびっくりします。凡人なら家計が破たんします。かっこつけないほうがいい。同じ人間です。日常生活に違いはありません。たまたま仕事が芸能人なだけです。
(つづく)
158ページ、うまいなあ。一行(いちぎょう)あけて、又吉さんと証明写真撮影機との会話が始まります。
宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。元THE BOOMのボーカル
小学校時代父親のことを作文で書いて、寝屋川市の代表として大きな会場で読んだ経験があることから始まって、お父さんとお母さんとの物語が大きく流れていきます。
お父さんは沖縄県名護市出身で、大阪に渡った。(読んでいて、熊本県出身の自分の父親と重なるところが多々ありました)
父親は競輪選手になるために大阪に来たが、本気だったようすがありません。自転車は好きだった。
カチャーシー:沖縄の踊り。沖縄民謡に合わせて、頭上で手を左右に振る。
又吉さんは、こどものころ、カチャーシーを踊って笑われて、笑いをとることの喜びを知りました。
又吉さんのお父さんの行動や言葉を読むと、40歳で病気で死んだ自分の父親と似ているなあと思います。
又吉さんのお母さんは、鹿児島県奄美群島の加計呂麻村出身で(かけろまむら)、看護師になって大阪府寝屋川市内のアパートで暮らし始めて、お隣に住んでいた又吉さんの父親と故郷が近い点で話が合って結婚されたそうです。
186ページに、お父さんのご臨終(ごりんじゅう。亡くなるとき)のようすがあります。
ご両親の個性が遺伝して、又吉直樹さんができあがっているということを確認できる文章でした。リリー・フランキーさんの名作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出します。
霊供膳(りょうぐぜん):お供えする小型のお膳。お供えのあと遺族が食べる。
『二日月』
こちらのかたまりの部分の内容は、それほど良くありませんでした。
順に感想を記してみます。
コロナ禍の時期も関係していると思いますが、閉塞的です。(へいそくてき:閉(と)ざされている。とじこもっている)
芸人3人でのシェア(家の中の空間を分け合う)生活からひとり暮らしにした。人が集まれるようリビングには24人ぐらいが座れるようにした。でも、だれも来ない。コロナ禍が始まる前から、だれも来ない。
家にいても、話し相手がいない。(話し相手がほしいから結婚するということはあります)
だからなのか、細かなことに関する考察が続きます。
(わたしは利用したことがありませんが、ウーバーイーツとか出前館とか)料理を自宅に届けてもらうサービスを多用している話が出ます。自分の世代では、相手から商品を手渡しで受け取らないことを不可解に思えるのですが、受け取るときには対面しないそうです。配達員は、ドアの前に料理を置いて、写真を撮って帰っていく。そのようすを又吉さんはドアのノゾキ穴からずーっと観察しているそうです。(配達員が来る前から来るのを待っている)いろんな動きをする配達員について書いてあります。
又吉さんは、孤独な人です。孤独がイヤなのではなく、むしろ、ひとりでいたい人です。
知らない人と会話をしない人です。知らない人と会話をしたくない人です。
会話がにがてな人です。独特です。
又吉さんは喫茶店で原稿を見たり書いたりしているようです。
帰るときに、間違えて、お店のメニューを原稿といっしょにカバンに入れてしまったそうです。それも1枚ではなく、2枚(のメニュー)をカバンに入れたそうです。お店から返してほしいと事務所を通じて連絡があります。自分が2枚メニューをもってきてしまったことに気づかず、1枚だけ返して、帰宅してから2週間後、メニューが、もう1枚カバンにあることに気づきます。相当変わっています。(そんなことがあるのか)
又吉さんは手間がかかる人です。
じっとしているようで、脳みその中は、活発に活動している人です。(なんというか、なんとか障害の気配でもあるのだろうか)
ご本人の言葉です。『私は無口だが脳がしつこいほどお喋りで(おしゃべりで)、なかなか黙ってくれない……』
虫メガネの焦点を目的物にゆっくり近づけていくような文章が続きます。広がりはありません。一点に集中していきます。読んでいて、だんだん飽きてきた228ページあたりです。
文字数はとても多い。
貶す(けなす):悪口を言う。
お笑いコンビとして取材を受けているときに、インタビュアーに、『マタキチさん』と声をかけられることがよくあった。(芥川賞受賞前でしょう)『マタヨシです』と言えなかった。相方の綾部さんが訂正してくれるが、綾部さんは、又吉さんのことをふだん、『マタキチ』と呼んでいる。ややこしい。
この本の前半の、『満月』ほどの中身はないので、流し読みに入った251ページ付近です。
サルゴリラ児玉:お笑いコンビ。児玉智洋(こだま・ともひろ)
妄想が、大量の文字でつづられています。読む意欲が湧かなかったので、ゆっくりページをめくって本を閉じました。異様な面をおもちの方です。
(しばらくたってから本を再び広げて)314ページ、『散文 #64号』で、文章が落ち着きました。北九州での朗読会について書いてあります。
328ページ、『なにか言い残したことはないか?』 自分が臨終(りんじゅう。死ぬとき。死にぎわ)のときのことです。
人生の最後に何を言うかです。
(わたしはたぶん、家族に、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えます。ふと、家族がいない人はどうなのだろうかと思いつきました。無言もありかと思いました。心の中で自分自身になにかを言って人生を終わるのです)
又吉さんの場合は、『いやぁ、やり切ったなぁ』だそうですが、それではだめらしく、相手から、『やりきったよな。それで、なにか言い残したいことは?』と問われて困りそうなので、問いかけてほしくないそうです。
334ページ、『私は車の運転免許を持っていないので……』(運転免許がないと自分で好きなところに行ける楽しみがありませんね)
ところどころ、漫才の台本のようでもありました。
356ページ、全部読み終えました。
細かい意識と思考をもちながら、すごく狭い世界の中で生きている人という印象をもちました。
前半と後半につながりがないので、2冊の本を読んだような気分でした。
2024年01月22日
日々憶測(ひびおくそく) ヨシタケシンスケ
日々憶測(ひびおくそく) ヨシタケシンスケ 光村図書
想像だが、誤解がともなうのが、『憶測』です。(憶測:いいかげんな推測)
絵本のようなつくりの本です。
ヨシタケシンスケさんが、絵の中にある通り(とおり)を歩いています。憶測が始まるのです。
9ページで、人間の思考を図にしてあります。
『世界は誤解と錯覚で成り立っている』
昔読んだ本にそう書いてありました。
世界各地を女ひとりで旅をした著者の経験談でした。
アフリカの森で道に迷い、怖い一夜をすごしたあと、現地住民の集落に着いた。襲われるのではないかと恐怖心でいっぱいだったが、現実は違っていた。とても心優しい人たちで親切にしてもらったという記録の記述がありました。
相手を自分に危害を加えてくる怖い(こわい)者として、誤解して恐れて、相手を攻撃して排除したいという気持ちが生まれるときに、自分の側に、誤解と錯覚が生じるのです。
この地球上の世の中で暮らしている大半の人たちは、善良ないい人なのです。
この本は、気持ちがへこみそうな人を励ますことを目的にした本です。
おもしろい。
いろんな人がいます。
ホッと息抜きができる本です。
なるほど、いい本です。
タイトル『どれが何』
「先日入ったお店のトイレは、どれが「流す」のボタンなのかが、しばらくわかりませんでした。」とあります。
新幹線のトイレで、ボタン式開閉ドアを思い出しました。ボタンを押して、ドアの開閉をするのです。いなか暮らしの年寄りには操作がむずかしい。
昔見た、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、えびすさんが、どこかにあったボタン式トイレにボタンを押してドアを開けて入ったあと、トイレから出ることができないと大声を出し始めて、結局トイレの中でボタンを押さず、力づくでドアをこじあけてトイレから出てきたシーンがあったと思います。
20ページには、ジェット旅客機に登場しているキャビンアテンダントの話が出てきます。
先日の羽田空港でのジェット機炎上事故を思い出します。乗客全員助かって、本当に良かった。CAさんお疲れさまでした。
『選ぶのが苦手なので、いつもつい「一般的なプラン」を聞いてしまいます。』つまり、『…… みなさんフツーどうされてます?』
自分のことを人に決めさせようとする人っています。うまくいかなかったときは、アドバイスした人を責めるのです。卑怯者(ひきょうもの)です。
けっこうページ数があります。(140ページぐらいです)
おもしろい。クスッと笑ってしまう。
『空(から)のペットボトルを(おそらく無意識に)リズミカルにへこませながら歩いているおじさんがいました。』とあります。以前どこかで読んだ記事に、ペットボトルを押して、ペッコペッコという音をさせると、熊がその音を嫌がると書いてありました。去年は野生の熊の被害が多かったのですが、熊よけの方法のひとつになるそうです。たしかに、熊はその音は、奇妙でイヤだろうなあ。
宿泊したホテルに備え付けてある歯ブラシのブラシの横に誤ってチューブの歯磨き粉を出してしまったとあります。おもしろい。ありそうです。
60ページ、ここまで読んできて、おもしろい。漫才のネタ集のようでもあります。
65ページから1冊の絵本みたいな書きかたになりました。
タイトルは、『よみきかせロボ メデタシー』です。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせをするロボットが出てきます。
こどもたちは、おとなになって、絵本を読まなくなりました。
少子化のせいか、こどもがいなくなってしまいました。
そんなお話ですが、最後は同好の友ができるのです。
94ページには、『時空間移動』があります。
洋画、『バックトゥザフューチャー』シリーズを思い出しました。いい映画でした。
96ページ、見開き2ページの展望シーンの絵がいい感じです。
先月鹿児島市に行ったときにながめた場所、城山公園展望広場を思い出しました。この絵のように、海(鹿児島湾)と山(桜島)がきれいに見えました。絵のように、市街地も見えました。
トイレットペーパーとボックス型ティッシュペーパーを比較して、男女の恋は、ボックス型のように、『突然終わる』というたとえが良かった。
ヨシタケシンスケさんは、日常生活を送りながら、作品のネタ探しのために事象を常に観察しています。そして、おそらく、分析もされています。学者さんのようです。そんなお姿が目に浮かびます。
ハゲとか育毛の話が出てきます。
熊太郎は歳を取りましたが、ハゲてはいません。友人・知人はみんなハゲています。
以前、どうして自分の頭はハゲないのだろうかと思ったことがあります。(理容店でそんな話をしたら、ハゲの人は、ハゲていることでとても悩んでいるので、そういうことは、ハゲている人の前では話さないほうがいいと勧められました。自分で思うに、母方祖父がハゲておらず(父方祖父はハゲていました)、全部真っ白な、白髪頭でした。自分は、母方祖父からの遺伝でハゲていないのでしょう)
コロナ禍がありましたので、『マスク』の話も出てきます。
119ページの、『ものは言いよう』が良かった。
本当は失敗しているのに、失敗していないかのごとく案内をするのです。
『(料理、食べ物)できたてをお持ちしますので少々お待ちいただけますか?』(ほんとうは、つくるのが遅れている)
絵の内容とは直接関係がないのですが、絵を見ていて思ったこととして、『安全確保のために、三密になる場所は、なるべく避けた方がいい。(密閉、密集、密接)
『文字のゆくえ』
お店の看板の一文字がとれてしまうのです。『せん魚』の『ん』がとれてしまったことの絵が描いてあります。
先日読み終えた本を思い出しました。
『とんこつQ&A』 今村夏子 講談社
街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。
本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。
メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。
全部を読み終えて、人間にとって大事なものって何だろうなあと考えました。
『人生という与えられた時間』を楽しむことだと思いました。
時間は限られています。今年は、中村メイ子さんと八代亜紀さんの訃報を聞き、若い頃から知っているおふたりでしたので、しみじみくるものがありました。
想像だが、誤解がともなうのが、『憶測』です。(憶測:いいかげんな推測)
絵本のようなつくりの本です。
ヨシタケシンスケさんが、絵の中にある通り(とおり)を歩いています。憶測が始まるのです。
9ページで、人間の思考を図にしてあります。
『世界は誤解と錯覚で成り立っている』
昔読んだ本にそう書いてありました。
世界各地を女ひとりで旅をした著者の経験談でした。
アフリカの森で道に迷い、怖い一夜をすごしたあと、現地住民の集落に着いた。襲われるのではないかと恐怖心でいっぱいだったが、現実は違っていた。とても心優しい人たちで親切にしてもらったという記録の記述がありました。
相手を自分に危害を加えてくる怖い(こわい)者として、誤解して恐れて、相手を攻撃して排除したいという気持ちが生まれるときに、自分の側に、誤解と錯覚が生じるのです。
この地球上の世の中で暮らしている大半の人たちは、善良ないい人なのです。
この本は、気持ちがへこみそうな人を励ますことを目的にした本です。
おもしろい。
いろんな人がいます。
ホッと息抜きができる本です。
なるほど、いい本です。
タイトル『どれが何』
「先日入ったお店のトイレは、どれが「流す」のボタンなのかが、しばらくわかりませんでした。」とあります。
新幹線のトイレで、ボタン式開閉ドアを思い出しました。ボタンを押して、ドアの開閉をするのです。いなか暮らしの年寄りには操作がむずかしい。
昔見た、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、えびすさんが、どこかにあったボタン式トイレにボタンを押してドアを開けて入ったあと、トイレから出ることができないと大声を出し始めて、結局トイレの中でボタンを押さず、力づくでドアをこじあけてトイレから出てきたシーンがあったと思います。
20ページには、ジェット旅客機に登場しているキャビンアテンダントの話が出てきます。
先日の羽田空港でのジェット機炎上事故を思い出します。乗客全員助かって、本当に良かった。CAさんお疲れさまでした。
『選ぶのが苦手なので、いつもつい「一般的なプラン」を聞いてしまいます。』つまり、『…… みなさんフツーどうされてます?』
自分のことを人に決めさせようとする人っています。うまくいかなかったときは、アドバイスした人を責めるのです。卑怯者(ひきょうもの)です。
けっこうページ数があります。(140ページぐらいです)
おもしろい。クスッと笑ってしまう。
『空(から)のペットボトルを(おそらく無意識に)リズミカルにへこませながら歩いているおじさんがいました。』とあります。以前どこかで読んだ記事に、ペットボトルを押して、ペッコペッコという音をさせると、熊がその音を嫌がると書いてありました。去年は野生の熊の被害が多かったのですが、熊よけの方法のひとつになるそうです。たしかに、熊はその音は、奇妙でイヤだろうなあ。
宿泊したホテルに備え付けてある歯ブラシのブラシの横に誤ってチューブの歯磨き粉を出してしまったとあります。おもしろい。ありそうです。
60ページ、ここまで読んできて、おもしろい。漫才のネタ集のようでもあります。
65ページから1冊の絵本みたいな書きかたになりました。
タイトルは、『よみきかせロボ メデタシー』です。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせをするロボットが出てきます。
こどもたちは、おとなになって、絵本を読まなくなりました。
少子化のせいか、こどもがいなくなってしまいました。
そんなお話ですが、最後は同好の友ができるのです。
94ページには、『時空間移動』があります。
洋画、『バックトゥザフューチャー』シリーズを思い出しました。いい映画でした。
96ページ、見開き2ページの展望シーンの絵がいい感じです。
先月鹿児島市に行ったときにながめた場所、城山公園展望広場を思い出しました。この絵のように、海(鹿児島湾)と山(桜島)がきれいに見えました。絵のように、市街地も見えました。
トイレットペーパーとボックス型ティッシュペーパーを比較して、男女の恋は、ボックス型のように、『突然終わる』というたとえが良かった。
ヨシタケシンスケさんは、日常生活を送りながら、作品のネタ探しのために事象を常に観察しています。そして、おそらく、分析もされています。学者さんのようです。そんなお姿が目に浮かびます。
ハゲとか育毛の話が出てきます。
熊太郎は歳を取りましたが、ハゲてはいません。友人・知人はみんなハゲています。
以前、どうして自分の頭はハゲないのだろうかと思ったことがあります。(理容店でそんな話をしたら、ハゲの人は、ハゲていることでとても悩んでいるので、そういうことは、ハゲている人の前では話さないほうがいいと勧められました。自分で思うに、母方祖父がハゲておらず(父方祖父はハゲていました)、全部真っ白な、白髪頭でした。自分は、母方祖父からの遺伝でハゲていないのでしょう)
コロナ禍がありましたので、『マスク』の話も出てきます。
119ページの、『ものは言いよう』が良かった。
本当は失敗しているのに、失敗していないかのごとく案内をするのです。
『(料理、食べ物)できたてをお持ちしますので少々お待ちいただけますか?』(ほんとうは、つくるのが遅れている)
絵の内容とは直接関係がないのですが、絵を見ていて思ったこととして、『安全確保のために、三密になる場所は、なるべく避けた方がいい。(密閉、密集、密接)
『文字のゆくえ』
お店の看板の一文字がとれてしまうのです。『せん魚』の『ん』がとれてしまったことの絵が描いてあります。
先日読み終えた本を思い出しました。
『とんこつQ&A』 今村夏子 講談社
街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。
本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。
メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。
全部を読み終えて、人間にとって大事なものって何だろうなあと考えました。
『人生という与えられた時間』を楽しむことだと思いました。
時間は限られています。今年は、中村メイ子さんと八代亜紀さんの訃報を聞き、若い頃から知っているおふたりでしたので、しみじみくるものがありました。
2024年01月17日
古本食堂 原田ひ香
古本食堂 原田ひ香 角川春樹事務所
6本の話があります。それぞれ関連があるのでしょう。
第一話から最終話までです。
2021年に(令和3年)発表されています。
短編に、『古本食堂』という作品はありません。
『第一話 「お弁当づくり ハッと驚く秘訣集」 小林カツ代著と三百年前のお寿司』
第一話を読み終えたところです。女性向けの本です。人間関係を把握するのに時間がかかるのですが、内容はいい本です。人間関係がややこしく、話の語り手が途中で変わるのでわかりにくいのですが、理解できると、なかなか味わいのあるいい作品であることがわかります。作品に、『良心(道徳的な正しい心の動き)』があります。
第一話は、お弁当づくりに疲れた若いママ(こどもさんはまだ幼児)が探しているお弁当の作り方の本についてです。ママは、毎朝5時30分に起きてお弁当をつくっていましたが疲れ果てて、とほうにくれています。
鷹島珊瑚(たかしま・さんご):女性。愛称が、「さんちゃん」。三人きょうだい(長兄、次兄、自分)。北海道で、介護ヘルパーをしていた。帯広市内の8階建てのマンションに両親と住んでいた。両親が亡くなって、縁あって東京神田に出て、亡くなった親族(次兄)から古本屋『鷹島古書店』を引き継いだ。(鷹島古書店は1年近く店を閉めていた。次兄の財産は、3階建てのビル1棟。1階が、鷹島書店で午前9時に開店する。2階と3階が、翻訳書中心の辻堂出版で、その会社に貸している)
鷹島珊瑚にとっての長兄:鷹島統一郎。統一郎の妻が、「米子」。ふたりともすでに他界した。統一郎のひとり息子が、「光太郎」、光太郎の娘が、「美希喜(みきき。大学生、その後大学院生)」
鷹島珊瑚にとっての次兄:鷹島滋郎(珊瑚より6歳年上で珊瑚が生まれたときに名前を両親に提案した。鷹島滋郎は、東京大学大学院中退)。鷹島滋郎は、鷹島珊瑚の家族に対して、帯広のマンションの手配をしてくれた。次兄である滋郎は、珊瑚にとって、重要な人物である。東京神田で古本屋をしていたが病気で急死した。その古本屋を妹の東山珊瑚が引き継いだ。相続である。鷹島滋郎の相続人は、鷹島珊瑚と亡鷹島統一郎のひとり息子である鷹島光太郎である。鷹島滋郎の現金・有価証券類は鷹島統一郎が相続した。固定資産であるビルは、鷹島珊瑚が相続した。鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母)は、リアリストである。(現実主義者)
鈴子:北海道帯広市内に住んでいる介護ヘルパーで東山珊瑚の仕事仲間だった。鈴子の夫は定年後まもなくで病気で死去されたようです。
山本和子:帯広市居住、東山珊瑚の小学校の時からの友だち。
東山:今のところ不明な帯広市の人物。鷹島珊瑚が好きな男性のようです。ヘルパーの仕事がらみの関係のようです。鷹島珊瑚が帯広から東京に行くとき、見送りに来た仲間の中にいた。
古本屋の店内光景からスタートです。
アガサ・クリスティ:イギリスの推理作家。1890年(日本だと明治23年)-1976年(日本だと昭和51年)85歳没。「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」ほか。
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。1925年(大正14年)-2012年(平成24年)87歳没。
わたしは、帯広市は2度車で通過したことがありますが、ガソリンスタンドで給油をした記憶しか残っておらず、碁盤の目の市街地で、整然とした街のつくりだったと思います。そんなことを思い出しながら読書が始まりました。この本によると、帯広市は、雪は少ないそうです。
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ):1008年-1059年?平安時代。更級日記(さらしなにっき)の作者。更級日記を読んだことがあります。読書メモが残っていました。その一部です。
『更級日記 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(娘) 平塚武二 童心社
「更級(さらしな)」とは地名です。姥捨て山の慣習(年老いたおばあさんを食いぶちを減らすために山へ捨てにいく。)がある土地とあります。夫を亡くした作者は晩年「死」を意識し始めます。内容は日記というよりも人生の回想記です。最終章では仏さまが迎えにくる夢をみておられます。心素直に書かれた情感のこもった名作です。枕草子とか徒然草の陰に隠れていますが、完成度は同等かそれ以上です。これまで読んだ古典の中で、いちばんよかった。訳者の力量もあるのでしょう。読みやすくて、わかりやすい。』
鷹島美希喜(みきき):O女子大学(オー女子大学)日本文学科入学、その後大学院生。鷹島珊瑚、鷹島滋郎の親族。古本屋を営んでいた鷹島滋郎が大叔父(おおおじ。親の叔父(おじ)。祖父母のきょうだい)にあたる。美希喜の父親が、「光太郎」で、「統一郎の息子」。母はリアリスト(現実主義者)だか、両親とも放任主義。
(再掲ですが)鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母。49歳)は、リアリストである。(現実主義者)。鷹島芽衣子は、叔母の鷹島珊瑚に変な男がついて、億単位の財産を男にもっていかれるのではないかと心配している。鷹島芽衣子は、しっかりしている。要領がいい。少し見栄っ張り。
後藤田先生(ごとうだせんせい):O女子大学国文科の教授
鷹島家の人々のキャラクター(個性):のんびりとしている。夢のようなことばかりを考えている。現実的ではない。物思いにふけりがち。つかみどころがない。
ブックエンドカフェ:鷹島古書店ビルのお隣にある喫茶店。田村美波という女性が経営している。鷹島滋郎の時代から商店仲間としての付き合いがある。
沼田:鷹島古書店のお隣にある『汐留書店(しおどめしょてん)』の店主
そうか、なるほどと思ったこととして、泥棒よけのために、閉店後レジの中はからっぽにして、引き出しを開けておく。(泥棒がレジをこわさないように)
忠臣蔵(ちゅうしんぐら。1703年1月30日(旧暦12月14日)吉良邸討ち入り(きらていうちいり):先月(2023年12月。BSの連続ドラマ番組を観ていました。松平健さんが大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)を演じておられました。いつか、『マツケンサンバ』をステージ上の演舞でじかに観て(みて)みたい)
小林カツ代:料理研究家、エッセイスト。1937年(昭和12年)-2014年(平成26年)76歳没
ほのぼのとしている内容です。
最後の気になる文章として、『古書高価買取』の金属製で立派な看板がなくなっている。
『第二話 「極限の民族」本多勝一と日本一のビーフカレー』
第二話を読み終えての感想です。読み手によって好みが分かれる作品です。味わいはありますが、理解するのに手間がかかるため、読み手は読み疲れてしまいます。
登場人物の各自がその存在をはっきり書いていないので(たぶん意図的に)、どういう人物なのかメモをしながら整理して理解する手間がかかります。それから、味わいある事象のできあがりぐあいが、『まわりくどい(うざいとも表現できます)』。『いい感覚』を押し付けられているような圧迫感があります。ほんとうにそうだろうかという反発するような疑問をもつ部分もあります。
鷹島滋郎の借家:東京都杉並区高円寺にある。駅から徒歩12分。築50年の建物に滋郎は20年以上住んでいた。1階が水回りと倉庫。2階が荷物置き場と寝室。4K家賃10万円。
どういうわけか、食器が二人分ある。(女性の存在がうかがえる)
寝室が、ゴッホのアルルの黄色い家に似ている。(たまたま数日前にゴッホの映画を観ました。『永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年』映像に黄色い家が出ていました。
同上の家の大家(おおや):平塚さん。90歳近いおじいさん。高円寺駅から歩いて20分以上かかる家に住んでいる。妻は8年前に死去。囲碁が好きで、鷹島滋郎は囲碁友だちだった。
加納先生:鷹島美希喜の大学の先生。近現代文学担当
辻堂誠:辻堂出版社の社長。鷹島珊瑚より年上、鷹島滋郎より年下。身長180cmぐらい。元大手出版社勤務
花村建文(はなむら・たけふみ。愛称けんぶん):辻堂出版社の社員。30歳ぐらい。眉毛が黒々としていて太い。
本多勝一(ほんだ・かついち):新聞記者、ジャーナリスト、作家。1932年生まれ(昭和7年)。91歳。作品として、『極限の民族』
筆まめ:めんどうがらずに、よく手紙を書く人
太宰治(だざい・おさむ):小説家。1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳。入水心中死(じゅすいしんじゅうし)
細雪(ささめゆき):谷崎潤一郎作品。大阪旧家の4姉妹の日常生活。1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)までの話。谷崎潤一郎は、1965年(昭和40年)79歳没。
杉浦日向子(すぎうら・ひなこ):漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。2005年46歳没
円地文子(えんち・ふみこ):小説家。1986年(昭和61年)81歳没
カレーのボンディ:欧風カレーのお店
店子(たなこ):借家人
バックヤード:倉庫や作業場所、台所など。
フルーティ:くだものの風味がある。
カンバセーション・ピース:著者保坂和志。新潮社
ポアロ:エルキュール・ポアロ。アガサ・クリスティの推理小説に出てくる名探偵
ファイアー:FIRE。ファイナンシャル・インディペンデンス・リタイア・アーリー。経済的に自立して、早めに退職してのんびり暮らす。投資で稼ぐ。
『第三話 「十七歳の地図」橋口譲二著と揚げたてピロシキ』
鈴子、和子:鷹島珊瑚の北海道帯広での介護ヘルパー仲間
ミキコ:帯広市内の喫茶店『時計』でアルバイトをしている。
東山権三郎(ひがしやま・ごんざぶろう):帯広市の住人。東山権三郎の奥さんの世話をするために鷹島珊瑚が介護ヘルパーとして東山宅を訪問していた。奥さんは亡くなった。
沼田浩三(ぬまた・こうぞう):東京神田汐留書店経営者(鷹島古書店のお隣)
橋口譲二:写真家。1949年生まれ(昭和24年)
更科蕎麦(さらしなそば):江戸蕎麦の御三家のひとつ。『更科』『砂場』『籔』
古典の文章の解読・解釈がむずかしい。
岡本かの子:昭和初期の小説家。1939年(昭和14年)49歳没。芸術家岡本太郎の母親
平野レミ:料理愛好家。76歳
グリヤーシ:豚肉料理
ピロシキ:東欧料理の惣菜パン
東山さんの奥さんが亡くなって半年ぐらい過ぎて鷹島珊瑚の次兄である鷹島滋郎さんが亡くなった。
司馬遼太郎(しば・りょうたろう):小説家。1996年(平成8年)72歳没
塩野七生(しおの・ななみ):歴史作家、小説家、女性。86歳
池波正太郎:時代小説作家。1990年(平成2年)67歳没
東山権三郎さんから鷹島珊瑚さんに告白がありました。
『第四話 「お伽草子(おとぎぞうし)」とあつあつカレーパン』
銀座のバー『さんざし(可憐な(かれん)白い花のこと)』のママ:白髪の一部を紫に染めている。紫色のメガネをかけている。自称CEOの妻(最高経営責任者の妻)のつもり。
北沢書店:おしゃれなバーやクラブに飾るようなディスプレイ用の洋書を売っている。
戸越銀座(とごしぎんざ):東京都品川区内。五反田、大崎の南に位置する。(先日テレビ番組『モヤモヤさまぁ~ず2』のロケ先ということで戸越銀座がちらりと放送されました。同番組は放送曜日が変わってから愛知県の地上波では放送されなくなったので、動画配信サービスを利用して見ています。東京地区あたりの散策番組ですからしかたがありません)。戸越銀座にある『キッチンさくら』で働く女が関係あるのではないか。『さんざし』のママいわく、『子持ちの不倫の女』大学生の息子がいる。ほんの少し小麦色の肌にこぢんまりとした目鼻立ちをしている。名前は、「タカコ」という。50歳ぐらいだが、40代に見える。
国文学研究資料館:戸越銀座にあった博物館(2008年に立川市に移転した)
本田奏人(ほんだ・かなと):小説家志望者。イケメン。
ナチュラルボーン:天性、生まれながらの、生まれつき。
後藤田先生:指導教員
藤岡作太郎:国文学者。1910年(明治43年)39歳没。心臓麻痺による。
秋山虔(あきやま・けん):文学者。2015年(平成27年)91歳没。源氏物語の成立論。源氏物語の研究者。紫式部の作家論。
校注者(こうちゅうしゃ):古典などの文章を校訂(こうてい。ほかの本と比べる)して、注釈を加える人。
穿鑿(せんさく):細かい点まで根ほり葉ほり調べること。
御伽草子 ちくま文庫 谷崎潤一郎が訳した、『三人法師』 室町時代の成立
鷹島滋郎の資質・性格として、優しいから、はっきり断らないとあります。ずるい人です。自分で決定・決心をしない人です。いいかげんな人にも思えます。鷹島滋郎のルックスがいいから人格まで美化してあります。誤解があります。
『第五話 「馬車が買いたい!」鹿島茂著と池波正太郎が愛した焼きそば』
鹿島茂:フランス文学者、文芸評論家。74歳
本病(ほんびょう):作品をつくったときのコロナ禍が背景にあるのだろうか。本を介してうつる病気だそうです。
ウォッカトニック:ウォッカ、ライム・ジュース、トニック・ウォーター(炭酸水にあれこれ入れた清涼飲料水)
アイリッシュ・ウィスキー:アイルランド、北アイルランドの穀物を原料としたウィスキー
村上春樹:小説家。74歳
焚書(ふんしょ):書物を焼き捨てること。
文壇バー:文壇の関係者が集まるバー(お酒を提供する飲食店)。東京銀座、神田神保町に多かった。「ミロンガ」「ラドリオ」
狂牛病:牛の疾病。脳細胞が壊れる。2000年代前半に話題になった。
ドナルド・キーン:アメリカ人日本文学者。2019年(平成31年)96歳没
鷹島珊瑚が鷹島古書店を引き継いで半年が経過しています。
宇野千代:小説家、随筆家。1996年(平成8年)98歳没
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。2012年(平成24年)87歳没
粗熱(あらねつ):料理ができたてあつあつの状態をいう。
読んでいての感想ですが、鷹島珊瑚が東山権三郎を好きだとは思えないのです。自分から積極的に東山権三郎にアプローチ(接近)するようすがあまりありません。東山権三郎からアタック(押してくる)されたら、そうなってもいいかなぐらいの愛情です。
目論見(もくろみ):企て(くわだて)
堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり):平安時代後期に成立した短編物語集
プロット:物語の筋、仕組み。企て(くわだて)
うたかた:水面に浮かぶ泡(あわ)のこと。はかなさを表現する言葉
こちらの本は、古典が好きな人が読む本です。
今年のNHK大河番組『光る君へ』と重なる部分もあります。
武田百合子:随筆家。1993年(平成5年)67歳没
三島由紀夫:小説家。1970年(昭和45年)45歳没
遠藤周作:小説家。1996年(平成8年)73歳没
吉行淳之介:小説家。1994年(平成6年)70歳没
バルザック:フランスの小説家。1850年(日本は幕末。1868年が明治維新)51歳没
ヴィクトル・ユーゴー:フランスの詩人、小説家。1885年(日本では明治18年)83歳没。『レ・ミゼラブル』の著者。「ああ無情」
はっきりとは書いてありませんが、東山権三郎は、俳優の高倉健さんに似ているらしい。
『最終話 「輝く日の宮」 丸谷才一著と文豪たちが愛したビール』
最後のお話になりました。
古典の知識、近代文学の知識が下地にないとなかなかすんなり理解できない作品です。あわせて、古書店の知識もあったほうがいい。
そういった点で、自分の好みの本ではありませんでした。少女が読む本です。
辻堂社長
NCIS:ネイビー犯罪捜査班。アメリカ合衆国のテレビドラマ。アメリカ海軍、アメリカ海兵隊がからんだ事件を捜査する。犯罪捜査ドラマ。
マーク・ハーモン:アメリカ合衆国の俳優。72歳。NCISに出演している。
玉能小櫛(たまのうおぐし):『源氏物語玉の小櫛』 国学者本居宣長(もとおりのりなが)による『源氏物語』の注釈書。(説明、解釈書)以前三重県松阪市にある本居宣長記念館を見学したことがあります。古事記を翻訳した人です。そのときの感想メモが残っています。2011年(平成23年)3月の記録です。
『地震列島と化した日本の紀伊半島を南下して、渋滞を抜け出してたどり着いたのは三重県松阪市でした。地元出身の人、本居宣長という人はよく知りません。江戸時代中期の学者さんのようです。古事記とか、源氏物語を訳した人という紹介です。千年間、翻訳できなかった物語を訳した人となっています。記念館で資料を見ました。几帳面で、根気強い方だったという印象をもちました。奥さんが旅好きで、旅に出たまま家に帰ってこないという嘆きが面白かった。本居宣長さんが学習や研究に励んだ場所、鈴屋というお店の2階の写真を撮ってみました。』
源氏物語をそこで書いたという京都の廬山寺(ろざんじ)というところも見学したことがあります。2009年(平成21年)11月の感想メモが残っています。お寺さんは、京都御所の東にありました。
『廬山寺(紫式部邸址(あと) 1000年ぐらい前、紫式部さんはこの地で「源氏物語」を書き連(つら)ねた。日本で最初の女流作家ではなかろうか。お寺さんの展示をみていると南北朝時代がついきのうのことのように思われる。縁側に腰かけて、紅葉した樹木と、白い石庭と今は眠りについている桔梗(ききょう)の苗をながめました。』
今年始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』との縁を感じました。初回から紫式部の母親が父親の上司の息子に刺殺されて不穏な動きです。父親がこどもの紫式部に言ったのは、『忘れろ』。母親は病気で急死したことにするそうです。なんとも理不尽な。不条理があります。
東山権三郎についてです。男の立場からいうと、こんなかっこいい男の人は現実にはいません。この世にこういう人がいたらいいなという少女の空想と夢です。星の王子さまと、白馬に乗った王子さまです。(ふと、昔、三遊亭円楽さん(昔の)が、日曜夕方のテレビ番組『笑点』で、ご自分のことを、『星の王子さま』と言っておられたのを思い出しました)
物見遊山(ものみゆさん):いろいろなところを見物しながら遊ぶ、散策すること。気晴らしをする。
むげ(無下)にはしたくない:むだにしたくない。ないがしろにしたくない。
夏目漱石:小説家。1916年(大正5年)49歳没
竹久夢二:画家、詩人。1934年(昭和9年)49歳没
数奇者(すきもの):執心な人物(あるものに気持ちが惹かれ(ひかれ)そのことが心から離れない)
小山清:小説家。1965年(昭和40年)53歳没。太宰治の門人(もんじん。弟子(でし))。作品『落穂拾ひ』
和泉式部日記(いずみしきぶにっき):平安時代中期の歌人和泉式部が記した日記。1008年ころの作品
輪(わ):作品を、時代を超えてつないでいくもの。古本屋と学者は、輪の存在となる。子孫が引き継いでいく。
よこしまな気持ち:正しくない。道をはずれた。
田辺聖子:小説家、随筆家。2019年(令和元年)91歳没。作品『新源氏物語』
東京神田神保町あたり、古書店街を紹介する本です。旅の本でもあります。
吉田健一:文芸評論家。父は吉田茂。1977年(昭和52年)65歳没。
佐倉井大我(さくらい・たいが):鷹島滋郎の関係者。男性。
先日洋画『君の名前で僕を呼んで』を観ました。17歳の少年が、24歳の男子大学院生を愛する映画でした。前知識なしで観たのでびっくりしました。そしてこちらの本を読んでまたびっくりしました。偶然ですが、男同士、同性愛の話が続きました。
映画と本と、同じテーマが続きました。
『愛の形って、いろいろあると思いませんか』
『察する(さっする。言わなくてもわかる)』世界を書いた小説でした。察するときは、自分の都合のいいほうに解釈するのです。
でも、現実は違います。
誤解や錯覚を解消するために、人間はしゃべらないとお互いのことを理解できません。
自分の脳みその中にあることを正しい(うそはつかない)言葉に変えて相手に伝える努力をしないと自分の気持ちは伝わらないし、相手もそうしてくれないと相手の正直な気持ちはわかりません。
本は、食堂併設の古本屋にしましょうというところで終了します。タイトルどおりの、『古本食堂』です。
6本の話があります。それぞれ関連があるのでしょう。
第一話から最終話までです。
2021年に(令和3年)発表されています。
短編に、『古本食堂』という作品はありません。
『第一話 「お弁当づくり ハッと驚く秘訣集」 小林カツ代著と三百年前のお寿司』
第一話を読み終えたところです。女性向けの本です。人間関係を把握するのに時間がかかるのですが、内容はいい本です。人間関係がややこしく、話の語り手が途中で変わるのでわかりにくいのですが、理解できると、なかなか味わいのあるいい作品であることがわかります。作品に、『良心(道徳的な正しい心の動き)』があります。
第一話は、お弁当づくりに疲れた若いママ(こどもさんはまだ幼児)が探しているお弁当の作り方の本についてです。ママは、毎朝5時30分に起きてお弁当をつくっていましたが疲れ果てて、とほうにくれています。
鷹島珊瑚(たかしま・さんご):女性。愛称が、「さんちゃん」。三人きょうだい(長兄、次兄、自分)。北海道で、介護ヘルパーをしていた。帯広市内の8階建てのマンションに両親と住んでいた。両親が亡くなって、縁あって東京神田に出て、亡くなった親族(次兄)から古本屋『鷹島古書店』を引き継いだ。(鷹島古書店は1年近く店を閉めていた。次兄の財産は、3階建てのビル1棟。1階が、鷹島書店で午前9時に開店する。2階と3階が、翻訳書中心の辻堂出版で、その会社に貸している)
鷹島珊瑚にとっての長兄:鷹島統一郎。統一郎の妻が、「米子」。ふたりともすでに他界した。統一郎のひとり息子が、「光太郎」、光太郎の娘が、「美希喜(みきき。大学生、その後大学院生)」
鷹島珊瑚にとっての次兄:鷹島滋郎(珊瑚より6歳年上で珊瑚が生まれたときに名前を両親に提案した。鷹島滋郎は、東京大学大学院中退)。鷹島滋郎は、鷹島珊瑚の家族に対して、帯広のマンションの手配をしてくれた。次兄である滋郎は、珊瑚にとって、重要な人物である。東京神田で古本屋をしていたが病気で急死した。その古本屋を妹の東山珊瑚が引き継いだ。相続である。鷹島滋郎の相続人は、鷹島珊瑚と亡鷹島統一郎のひとり息子である鷹島光太郎である。鷹島滋郎の現金・有価証券類は鷹島統一郎が相続した。固定資産であるビルは、鷹島珊瑚が相続した。鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母)は、リアリストである。(現実主義者)
鈴子:北海道帯広市内に住んでいる介護ヘルパーで東山珊瑚の仕事仲間だった。鈴子の夫は定年後まもなくで病気で死去されたようです。
山本和子:帯広市居住、東山珊瑚の小学校の時からの友だち。
東山:今のところ不明な帯広市の人物。鷹島珊瑚が好きな男性のようです。ヘルパーの仕事がらみの関係のようです。鷹島珊瑚が帯広から東京に行くとき、見送りに来た仲間の中にいた。
古本屋の店内光景からスタートです。
アガサ・クリスティ:イギリスの推理作家。1890年(日本だと明治23年)-1976年(日本だと昭和51年)85歳没。「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」ほか。
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。1925年(大正14年)-2012年(平成24年)87歳没。
わたしは、帯広市は2度車で通過したことがありますが、ガソリンスタンドで給油をした記憶しか残っておらず、碁盤の目の市街地で、整然とした街のつくりだったと思います。そんなことを思い出しながら読書が始まりました。この本によると、帯広市は、雪は少ないそうです。
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ):1008年-1059年?平安時代。更級日記(さらしなにっき)の作者。更級日記を読んだことがあります。読書メモが残っていました。その一部です。
『更級日記 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(娘) 平塚武二 童心社
「更級(さらしな)」とは地名です。姥捨て山の慣習(年老いたおばあさんを食いぶちを減らすために山へ捨てにいく。)がある土地とあります。夫を亡くした作者は晩年「死」を意識し始めます。内容は日記というよりも人生の回想記です。最終章では仏さまが迎えにくる夢をみておられます。心素直に書かれた情感のこもった名作です。枕草子とか徒然草の陰に隠れていますが、完成度は同等かそれ以上です。これまで読んだ古典の中で、いちばんよかった。訳者の力量もあるのでしょう。読みやすくて、わかりやすい。』
鷹島美希喜(みきき):O女子大学(オー女子大学)日本文学科入学、その後大学院生。鷹島珊瑚、鷹島滋郎の親族。古本屋を営んでいた鷹島滋郎が大叔父(おおおじ。親の叔父(おじ)。祖父母のきょうだい)にあたる。美希喜の父親が、「光太郎」で、「統一郎の息子」。母はリアリスト(現実主義者)だか、両親とも放任主義。
(再掲ですが)鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母。49歳)は、リアリストである。(現実主義者)。鷹島芽衣子は、叔母の鷹島珊瑚に変な男がついて、億単位の財産を男にもっていかれるのではないかと心配している。鷹島芽衣子は、しっかりしている。要領がいい。少し見栄っ張り。
後藤田先生(ごとうだせんせい):O女子大学国文科の教授
鷹島家の人々のキャラクター(個性):のんびりとしている。夢のようなことばかりを考えている。現実的ではない。物思いにふけりがち。つかみどころがない。
ブックエンドカフェ:鷹島古書店ビルのお隣にある喫茶店。田村美波という女性が経営している。鷹島滋郎の時代から商店仲間としての付き合いがある。
沼田:鷹島古書店のお隣にある『汐留書店(しおどめしょてん)』の店主
そうか、なるほどと思ったこととして、泥棒よけのために、閉店後レジの中はからっぽにして、引き出しを開けておく。(泥棒がレジをこわさないように)
忠臣蔵(ちゅうしんぐら。1703年1月30日(旧暦12月14日)吉良邸討ち入り(きらていうちいり):先月(2023年12月。BSの連続ドラマ番組を観ていました。松平健さんが大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)を演じておられました。いつか、『マツケンサンバ』をステージ上の演舞でじかに観て(みて)みたい)
小林カツ代:料理研究家、エッセイスト。1937年(昭和12年)-2014年(平成26年)76歳没
ほのぼのとしている内容です。
最後の気になる文章として、『古書高価買取』の金属製で立派な看板がなくなっている。
『第二話 「極限の民族」本多勝一と日本一のビーフカレー』
第二話を読み終えての感想です。読み手によって好みが分かれる作品です。味わいはありますが、理解するのに手間がかかるため、読み手は読み疲れてしまいます。
登場人物の各自がその存在をはっきり書いていないので(たぶん意図的に)、どういう人物なのかメモをしながら整理して理解する手間がかかります。それから、味わいある事象のできあがりぐあいが、『まわりくどい(うざいとも表現できます)』。『いい感覚』を押し付けられているような圧迫感があります。ほんとうにそうだろうかという反発するような疑問をもつ部分もあります。
鷹島滋郎の借家:東京都杉並区高円寺にある。駅から徒歩12分。築50年の建物に滋郎は20年以上住んでいた。1階が水回りと倉庫。2階が荷物置き場と寝室。4K家賃10万円。
どういうわけか、食器が二人分ある。(女性の存在がうかがえる)
寝室が、ゴッホのアルルの黄色い家に似ている。(たまたま数日前にゴッホの映画を観ました。『永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年』映像に黄色い家が出ていました。
同上の家の大家(おおや):平塚さん。90歳近いおじいさん。高円寺駅から歩いて20分以上かかる家に住んでいる。妻は8年前に死去。囲碁が好きで、鷹島滋郎は囲碁友だちだった。
加納先生:鷹島美希喜の大学の先生。近現代文学担当
辻堂誠:辻堂出版社の社長。鷹島珊瑚より年上、鷹島滋郎より年下。身長180cmぐらい。元大手出版社勤務
花村建文(はなむら・たけふみ。愛称けんぶん):辻堂出版社の社員。30歳ぐらい。眉毛が黒々としていて太い。
本多勝一(ほんだ・かついち):新聞記者、ジャーナリスト、作家。1932年生まれ(昭和7年)。91歳。作品として、『極限の民族』
筆まめ:めんどうがらずに、よく手紙を書く人
太宰治(だざい・おさむ):小説家。1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳。入水心中死(じゅすいしんじゅうし)
細雪(ささめゆき):谷崎潤一郎作品。大阪旧家の4姉妹の日常生活。1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)までの話。谷崎潤一郎は、1965年(昭和40年)79歳没。
杉浦日向子(すぎうら・ひなこ):漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。2005年46歳没
円地文子(えんち・ふみこ):小説家。1986年(昭和61年)81歳没
カレーのボンディ:欧風カレーのお店
店子(たなこ):借家人
バックヤード:倉庫や作業場所、台所など。
フルーティ:くだものの風味がある。
カンバセーション・ピース:著者保坂和志。新潮社
ポアロ:エルキュール・ポアロ。アガサ・クリスティの推理小説に出てくる名探偵
ファイアー:FIRE。ファイナンシャル・インディペンデンス・リタイア・アーリー。経済的に自立して、早めに退職してのんびり暮らす。投資で稼ぐ。
『第三話 「十七歳の地図」橋口譲二著と揚げたてピロシキ』
鈴子、和子:鷹島珊瑚の北海道帯広での介護ヘルパー仲間
ミキコ:帯広市内の喫茶店『時計』でアルバイトをしている。
東山権三郎(ひがしやま・ごんざぶろう):帯広市の住人。東山権三郎の奥さんの世話をするために鷹島珊瑚が介護ヘルパーとして東山宅を訪問していた。奥さんは亡くなった。
沼田浩三(ぬまた・こうぞう):東京神田汐留書店経営者(鷹島古書店のお隣)
橋口譲二:写真家。1949年生まれ(昭和24年)
更科蕎麦(さらしなそば):江戸蕎麦の御三家のひとつ。『更科』『砂場』『籔』
古典の文章の解読・解釈がむずかしい。
岡本かの子:昭和初期の小説家。1939年(昭和14年)49歳没。芸術家岡本太郎の母親
平野レミ:料理愛好家。76歳
グリヤーシ:豚肉料理
ピロシキ:東欧料理の惣菜パン
東山さんの奥さんが亡くなって半年ぐらい過ぎて鷹島珊瑚の次兄である鷹島滋郎さんが亡くなった。
司馬遼太郎(しば・りょうたろう):小説家。1996年(平成8年)72歳没
塩野七生(しおの・ななみ):歴史作家、小説家、女性。86歳
池波正太郎:時代小説作家。1990年(平成2年)67歳没
東山権三郎さんから鷹島珊瑚さんに告白がありました。
『第四話 「お伽草子(おとぎぞうし)」とあつあつカレーパン』
銀座のバー『さんざし(可憐な(かれん)白い花のこと)』のママ:白髪の一部を紫に染めている。紫色のメガネをかけている。自称CEOの妻(最高経営責任者の妻)のつもり。
北沢書店:おしゃれなバーやクラブに飾るようなディスプレイ用の洋書を売っている。
戸越銀座(とごしぎんざ):東京都品川区内。五反田、大崎の南に位置する。(先日テレビ番組『モヤモヤさまぁ~ず2』のロケ先ということで戸越銀座がちらりと放送されました。同番組は放送曜日が変わってから愛知県の地上波では放送されなくなったので、動画配信サービスを利用して見ています。東京地区あたりの散策番組ですからしかたがありません)。戸越銀座にある『キッチンさくら』で働く女が関係あるのではないか。『さんざし』のママいわく、『子持ちの不倫の女』大学生の息子がいる。ほんの少し小麦色の肌にこぢんまりとした目鼻立ちをしている。名前は、「タカコ」という。50歳ぐらいだが、40代に見える。
国文学研究資料館:戸越銀座にあった博物館(2008年に立川市に移転した)
本田奏人(ほんだ・かなと):小説家志望者。イケメン。
ナチュラルボーン:天性、生まれながらの、生まれつき。
後藤田先生:指導教員
藤岡作太郎:国文学者。1910年(明治43年)39歳没。心臓麻痺による。
秋山虔(あきやま・けん):文学者。2015年(平成27年)91歳没。源氏物語の成立論。源氏物語の研究者。紫式部の作家論。
校注者(こうちゅうしゃ):古典などの文章を校訂(こうてい。ほかの本と比べる)して、注釈を加える人。
穿鑿(せんさく):細かい点まで根ほり葉ほり調べること。
御伽草子 ちくま文庫 谷崎潤一郎が訳した、『三人法師』 室町時代の成立
鷹島滋郎の資質・性格として、優しいから、はっきり断らないとあります。ずるい人です。自分で決定・決心をしない人です。いいかげんな人にも思えます。鷹島滋郎のルックスがいいから人格まで美化してあります。誤解があります。
『第五話 「馬車が買いたい!」鹿島茂著と池波正太郎が愛した焼きそば』
鹿島茂:フランス文学者、文芸評論家。74歳
本病(ほんびょう):作品をつくったときのコロナ禍が背景にあるのだろうか。本を介してうつる病気だそうです。
ウォッカトニック:ウォッカ、ライム・ジュース、トニック・ウォーター(炭酸水にあれこれ入れた清涼飲料水)
アイリッシュ・ウィスキー:アイルランド、北アイルランドの穀物を原料としたウィスキー
村上春樹:小説家。74歳
焚書(ふんしょ):書物を焼き捨てること。
文壇バー:文壇の関係者が集まるバー(お酒を提供する飲食店)。東京銀座、神田神保町に多かった。「ミロンガ」「ラドリオ」
狂牛病:牛の疾病。脳細胞が壊れる。2000年代前半に話題になった。
ドナルド・キーン:アメリカ人日本文学者。2019年(平成31年)96歳没
鷹島珊瑚が鷹島古書店を引き継いで半年が経過しています。
宇野千代:小説家、随筆家。1996年(平成8年)98歳没
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。2012年(平成24年)87歳没
粗熱(あらねつ):料理ができたてあつあつの状態をいう。
読んでいての感想ですが、鷹島珊瑚が東山権三郎を好きだとは思えないのです。自分から積極的に東山権三郎にアプローチ(接近)するようすがあまりありません。東山権三郎からアタック(押してくる)されたら、そうなってもいいかなぐらいの愛情です。
目論見(もくろみ):企て(くわだて)
堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり):平安時代後期に成立した短編物語集
プロット:物語の筋、仕組み。企て(くわだて)
うたかた:水面に浮かぶ泡(あわ)のこと。はかなさを表現する言葉
こちらの本は、古典が好きな人が読む本です。
今年のNHK大河番組『光る君へ』と重なる部分もあります。
武田百合子:随筆家。1993年(平成5年)67歳没
三島由紀夫:小説家。1970年(昭和45年)45歳没
遠藤周作:小説家。1996年(平成8年)73歳没
吉行淳之介:小説家。1994年(平成6年)70歳没
バルザック:フランスの小説家。1850年(日本は幕末。1868年が明治維新)51歳没
ヴィクトル・ユーゴー:フランスの詩人、小説家。1885年(日本では明治18年)83歳没。『レ・ミゼラブル』の著者。「ああ無情」
はっきりとは書いてありませんが、東山権三郎は、俳優の高倉健さんに似ているらしい。
『最終話 「輝く日の宮」 丸谷才一著と文豪たちが愛したビール』
最後のお話になりました。
古典の知識、近代文学の知識が下地にないとなかなかすんなり理解できない作品です。あわせて、古書店の知識もあったほうがいい。
そういった点で、自分の好みの本ではありませんでした。少女が読む本です。
辻堂社長
NCIS:ネイビー犯罪捜査班。アメリカ合衆国のテレビドラマ。アメリカ海軍、アメリカ海兵隊がからんだ事件を捜査する。犯罪捜査ドラマ。
マーク・ハーモン:アメリカ合衆国の俳優。72歳。NCISに出演している。
玉能小櫛(たまのうおぐし):『源氏物語玉の小櫛』 国学者本居宣長(もとおりのりなが)による『源氏物語』の注釈書。(説明、解釈書)以前三重県松阪市にある本居宣長記念館を見学したことがあります。古事記を翻訳した人です。そのときの感想メモが残っています。2011年(平成23年)3月の記録です。
『地震列島と化した日本の紀伊半島を南下して、渋滞を抜け出してたどり着いたのは三重県松阪市でした。地元出身の人、本居宣長という人はよく知りません。江戸時代中期の学者さんのようです。古事記とか、源氏物語を訳した人という紹介です。千年間、翻訳できなかった物語を訳した人となっています。記念館で資料を見ました。几帳面で、根気強い方だったという印象をもちました。奥さんが旅好きで、旅に出たまま家に帰ってこないという嘆きが面白かった。本居宣長さんが学習や研究に励んだ場所、鈴屋というお店の2階の写真を撮ってみました。』
源氏物語をそこで書いたという京都の廬山寺(ろざんじ)というところも見学したことがあります。2009年(平成21年)11月の感想メモが残っています。お寺さんは、京都御所の東にありました。
『廬山寺(紫式部邸址(あと) 1000年ぐらい前、紫式部さんはこの地で「源氏物語」を書き連(つら)ねた。日本で最初の女流作家ではなかろうか。お寺さんの展示をみていると南北朝時代がついきのうのことのように思われる。縁側に腰かけて、紅葉した樹木と、白い石庭と今は眠りについている桔梗(ききょう)の苗をながめました。』
今年始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』との縁を感じました。初回から紫式部の母親が父親の上司の息子に刺殺されて不穏な動きです。父親がこどもの紫式部に言ったのは、『忘れろ』。母親は病気で急死したことにするそうです。なんとも理不尽な。不条理があります。
東山権三郎についてです。男の立場からいうと、こんなかっこいい男の人は現実にはいません。この世にこういう人がいたらいいなという少女の空想と夢です。星の王子さまと、白馬に乗った王子さまです。(ふと、昔、三遊亭円楽さん(昔の)が、日曜夕方のテレビ番組『笑点』で、ご自分のことを、『星の王子さま』と言っておられたのを思い出しました)
物見遊山(ものみゆさん):いろいろなところを見物しながら遊ぶ、散策すること。気晴らしをする。
むげ(無下)にはしたくない:むだにしたくない。ないがしろにしたくない。
夏目漱石:小説家。1916年(大正5年)49歳没
竹久夢二:画家、詩人。1934年(昭和9年)49歳没
数奇者(すきもの):執心な人物(あるものに気持ちが惹かれ(ひかれ)そのことが心から離れない)
小山清:小説家。1965年(昭和40年)53歳没。太宰治の門人(もんじん。弟子(でし))。作品『落穂拾ひ』
和泉式部日記(いずみしきぶにっき):平安時代中期の歌人和泉式部が記した日記。1008年ころの作品
輪(わ):作品を、時代を超えてつないでいくもの。古本屋と学者は、輪の存在となる。子孫が引き継いでいく。
よこしまな気持ち:正しくない。道をはずれた。
田辺聖子:小説家、随筆家。2019年(令和元年)91歳没。作品『新源氏物語』
東京神田神保町あたり、古書店街を紹介する本です。旅の本でもあります。
吉田健一:文芸評論家。父は吉田茂。1977年(昭和52年)65歳没。
佐倉井大我(さくらい・たいが):鷹島滋郎の関係者。男性。
先日洋画『君の名前で僕を呼んで』を観ました。17歳の少年が、24歳の男子大学院生を愛する映画でした。前知識なしで観たのでびっくりしました。そしてこちらの本を読んでまたびっくりしました。偶然ですが、男同士、同性愛の話が続きました。
映画と本と、同じテーマが続きました。
『愛の形って、いろいろあると思いませんか』
『察する(さっする。言わなくてもわかる)』世界を書いた小説でした。察するときは、自分の都合のいいほうに解釈するのです。
でも、現実は違います。
誤解や錯覚を解消するために、人間はしゃべらないとお互いのことを理解できません。
自分の脳みその中にあることを正しい(うそはつかない)言葉に変えて相手に伝える努力をしないと自分の気持ちは伝わらないし、相手もそうしてくれないと相手の正直な気持ちはわかりません。
本は、食堂併設の古本屋にしましょうというところで終了します。タイトルどおりの、『古本食堂』です。