2023年12月07日
しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ
しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ ブロンズ新社
評判がいい本です。こどもさん向けのマンガ形式の本です。このあともう1冊発行されています。
まず、ざーっと最後まで1ページずつめくり終えました。3人の方の職業体験記です。全体で200ページぐらいあります。『パン職人』『新幹線運転士』『研究者』です。
読み始める前にわたし自身の考えをいくつか記します。
・給料をもらって生活していくために働く。
・苦痛の代償が、給料というお金です。どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして仕事を選びます。
・どんな仕事でも世のため人のためになっています。
・仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいという気持ちだけでは、仕事は長続きしません。
・人に雇われるのではなく、人を雇ってする仕事もあります。儲け(もうけ)は大きくなりますが、リスク(金銭や気持ちが壊れる危険性)も大きくなります。
では、読み始めます。
『第1話 パン職人』
読み終えて、紆余曲折を経て(うよきょくせつをへて:いろいろな体験をされて)、念願のパン職人として自分のお店を千葉市内にもたれた女性のことがマンガで書いてありました。34歳のときに夢がかなっています。驚いたのは、お店の場所が自分の土地勘がある場所だったことです。熊太郎は用事があって、たまに千葉市内へ行きます。
ご本人が6歳のところから始まります。
おかあさんが、本人の誕生日に手づくりレーズンパンを焼いてくれました。それが、パン職人になりたい動機の始まりです。でもイルカの調教師にもなりたい。
高校を出て、ホテルマンになるための二年制の専門学校へ入学→19歳からイルカの水族館があるホテルで就労開始→客室係からキッチン係へ人事異動→入社三年目でホテルの規模縮小(早期退職)→北海道の牧場にあるレストランで修行→ブラジルの農場に2か月滞在して就労体験→フランスでパンづくりの修行→34歳で千葉市内に自分のパン屋を開店(なかなか波乱万丈(はらんばんじょう)です)
ここからは、マンガを読んでいる自分の考えです。
好きなことを仕事にすることは、幸せかそうでないかです。
基本的には、好きなことは、趣味でとっておいたほうがいいです。
これしかできないから(好きなこと以外のことはできないから)という理由で、好きなことを仕事にするということはあります。アーチストタイプ(芸術とか勝負事(しょうぶごと。スポーツ、将棋など))の人です。
一般的な会社に入って、事務や営業、経理や労務管理、建物管理、接客接遇、社用車の運転、技術職などの業務ができない人は、自分のずばぬけた得意分野で稼ぎます(かせぎます)。
あんがい、ひととおりのことを、平均点でできるという能力をもつ人は、組織にとっては貴重な人材です。
働くために目的をもって教育を受けたり、研修を受けたり、資格を取得することはあります。
ただなんとなく大学に行っても安定した仕事には結びつかないでしょう。大学を出ても仕事を短期間ですぐ辞めてしまう人もいます。
今よりもいいという「よその会社」は、なかなかありません。
ほんとかどうかわかりませんが、昔は、仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと言われたものです。
お金で苦労しないためには、無職の期間をできるだけ短くすることです。
関東地方から見て、北海道は遠いというような話が出てくるのですが、日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへ到着できます。
『…… 人生って、どうにでもなるなって。……』(そうです。悲観することはないのです)
ご本人はそうはいっても慎重です。これからいっしょに働く人の資質や性格を冷静に注視します。これから働くところで、いっしょに働く人が、だれでもいいということではありません。人には相性があります。就職すると、たいてい人間関係で悩みます。
人を知り、土地を知る。見聞(けんぶん。見たり聞いたり)を広めます。体験を積みます。
いろんな暮らし方があります。日本人はとかく金(かね)、金、金で、お金が最優先という意識で生活しています。損か得かが物事を決めるときの、ものさし(基準)です。それが基本ではありますが、それがすべてではないでしょう。
自分がやりたことをやるために必要な学力があります。
ご本人はとても努力されています。フランス語の習得です。かなり苦労されています。
この本のつくり方を推測します。
当事者ご本人にインタビューをする。(聞き取り)
話の種になる項目をつくる。
項目を並べていく。
『パン生地に、子守唄を歌って聞かせる』おいしくなーれ。
気持ちが大事(だいじ)です。
34歳で自分の店をもった。自分でつくるパンを売る。
34年間ですが、長い道のりでした。ベース(基本)は、努力と忍耐とまじめさです。
『第2話 新幹線運転士』
東京・大阪間、515kmを、2時間半で結ぶ新幹線。約1300人の乗客を乗せて、時速285kmで走るとあります。
新幹線運転士になった人のお話です。
東京都足立区の出身です。
小学三年生のとき、ひとりで新幹線に乗って、岡山の母方祖父母宅へ行った体験があります。新幹線の車掌が優しくしてくれた。始まりの動機はそこにあります。(そして遠い未来に、小学三年生だった彼は、新幹線の車掌になり、ひとり旅をしている小学三年生の少年に声をかけるのです。伝承(でんしょう。受け継いで伝えていく)というドラマがあります)
第一話も含めて、81ページまで読んできて、この本は、道徳の本のようでもあります。(道徳どうとく:善行を行い、悪いことをしない)
ご本人の正直な話として、勉強は嫌いなので、大学進学はしない。高校を出て就職する。
学力はあるけれど、大学へ行くよりも、働いてもらった給料で、自分の好きな服を買って、おいしいものを食べたいと思っていたという高卒で就職した同僚がいました。母子家庭で経済的に苦労された人でした。
こちらの本の主人公高校生男子は、進路指導の先生から鉄道会社JRを勧められて試験に挑戦しました。
JRの試験に合格して、名古屋の研修センターに泊まり込んで学ぶ。
鉄道法規、ダイヤの見方(ダイヤ:運行図表)、発券方法など、こまやかなところまで学びます。
学んだあと、配属先の発表があって、若者たちの集合記念写真の絵が93ページにあります。その絵を見ながら思ったことです。いい写真の絵です。若々しい。これからスタートする人生の未来があります。
歳をとってみるとわかるのですが、いつかは、働きたくても働けない立場になる時がきます。しみじみします。あのときは、よくがんばったと思えるのです。
接客商売はたいへんです。へんな相手もいます。とくに電車にはいろんな人が乗ってきます。
みんなでお金(乗車券等の代金)を出し合って、共同出資で乗車するというやり方の鉄道の継続を考えるなら、いわゆる社会的弱者の乗車を優先するという姿勢が大事になってくるでしょう。こどもや、お年寄り、障害者にとって利用しやすい鉄道は、健常者にとっては、より利用しやすい鉄道システムです。
そんなこともあって、この本に、小学三年生のひとり旅のエピソードが入れられているのかもしれないと考えました。
育てるとか、教育する、チームワークで仕事に取り組むというようなことが書いてあります。
人の乗降客数が多い『駅』というところは、ホテルのようなものだろうと思っています。
従事者が仮眠する部屋があって、食事をとる部屋があって、入浴とかシャワーができる施設もあるでしょう。会議室や研修室もあるでしょう。まあ、テレビが置いてある娯楽室もあるかもしれません。
従事者はみんなで共同生活です。
鉄道会社の労働についての特徴として、同じひとつのポスト(役割)を複数の人間で担当するという交代制勤務です。24時間交代制勤務が勤務の基本です。勤務に穴が開かないように、勤務予定表がつくられていて、調整がなされています。
不規則勤務ですから、自分で自分の心身の健康管理をする気持ちが大事です。鉄道ですから、時間厳守に厳しい職場でもあります。
鉄道会社はまた、制服職場です。制服職場というのは、上下関係がきついところでもあります。上司の命令に部下は従います。ただ、電車が好きだということだけでできる仕事ではありません。お互いに、協調性と思いやりが必要です。
そんなこんなを、本を読みながら思いました。
じょうずにまとめてある本です。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の流れです。努力があるので、願いが素直にかなっていきます。
終身雇用制の安定感がありました。年功序列もあるでしょう。そのような形態の職場は減ってきているとはいいますが、職種によっては、これからも維持継続されていく職場もあります。制服職場の特典でしょう。
仕事選択の世界には、大学に行かずに、高卒で大企業の技術畑に入って、終身雇用で定年退職まで生活していくということが安定した生活を送る手段のひとつになります。定年後の再就職とか年金受給でも安定しているでしょう。
『第3話 研究者』
異質な内容です。
単純な職業紹介物語ではありません。
中学生の時に登校拒否になった女子が、最終的には東京大学に入学して、研究者として働いておられます。事実の出来事です。
以前、テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で、東京大学の女子大生が、ある部分ではすごく学力が高いのに、それ以外のことは何もできない。彼女が暮らす部屋は汚部屋(おべや)というものがありました。
一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。
ご本人は、(自分が専攻している分野について)ほかの人にとっては難解な問題でも、自分にとっては、たやすい問題ですと答えられていました。
人間の頭脳は多種多様です。天才の脳みそをもつ人がごくまれにいます。そのかわり、言動が奇異だったりもします。フォロー(めんどうをみる)をする人がまわりに必要です。
さて、こちらの本の女性です。
大学院の研究室で、『人の意識』を研究する研究者です。
『匂い(におい)の記憶が運動の学習を助けている。これはリハビリなどに役立つかも!』(独特な研究です。凡人には、発想できません)
マンガは、女性のこども時代にさかのぼります。
『数字』に異常なほどの強い興味を示す女性です。
以前読んだ『正欲(せいよく) 朝井リョウ 新潮社』を思い出しました。
扱うのは『特殊性癖』です。世の中には、ほかの人から見れば、不思議なことに気持ちが集中する人たちがいます。この物語に出てくるその人たちは、水道から強い勢いで出てくる水を見ることが快感なのです。男性も女性も性的な快感があるそうです。でも、ただ見るだけです。そのような同じことを好む、人類としては希少(きしょう。まれな。数少ない)な人たちが集まります。かれらは、地球以外のところ、自分たちが正常と思われる生活ができる世界(星のようなもの)に行きたいという希望をもちながら、ここに(地球に)いてもしかたがない。死んでしまいたいというような気持ちをもっています。
こちらのマンガの内容に戻ります。この物語の協力者女性は、いわゆる勉強ができる子、勉強することが好きなこどもです。
学校で、だんだんひとりぼっちになっていきます。さみしいときは、図書館で、図鑑を見ながら植物のスケッチをします。
中学1年の終わりから、完全な不登校になって、ずっと家でテレビゲームをして過ごします。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。学校に行きたくない中学生少年の話でした。
母親が寛容です。中学校には行きたくなったら行けばいいとアドバイスします。
中学生だった女性は、父親が買ってくれた科学雑誌に強い興味を示します。(本の力があります)女性は、物理学に目覚めます。
中学校に行けない女性は、『フリースクール』に通い始めます。仲間がいます。10人くらいいます。
高校に行きたいと思い始めます。
不登校でも受験できる学校を探して、個別指導の塾に通って受験勉強を始めて、高校受験に合格します。
(親御さん(おやごさん)のご苦労が、自分も親としてわかります)
女性の宇宙に対する興味が強い。
高校の女教師から、宇宙のことを研究するために東京大学に行きなさいと勧められます。
成績が、学年で下から4番目だった女性は、予備校で猛勉強をしました。一浪して、みごと東京大学に合格されています。
東京大学入学後、女性の志向が変化します。宇宙から、『人工生命の研究』に心が傾きます。
人間の心の中にある感情を科学で解明する研究を行うそうです。
お金がいる話ですから、女性はかなりがんばります。
共感覚(きょうかんかく):数字に色や性格を感じる現象
28歳の春にイギリスへ留学する。
うつ病になる。(小説家夏目漱石みたいです)
帰国して、ひたすら寝る。
波がある人生を送っておられる方です。
重度障害児を支援する技術を開発する研究者として要請を受ける。
東京大学で研究員になる。
読んでいて思ったことは、仕事の選択とは、自分の居場所探しだということです。
3話全部を読んでみて、不思議な成り立ちの本だという感想をもちました。
ただの職業紹介本ではありません。続編が出ているので取り寄せて読んでみるつもりです。
評判がいい本です。こどもさん向けのマンガ形式の本です。このあともう1冊発行されています。
まず、ざーっと最後まで1ページずつめくり終えました。3人の方の職業体験記です。全体で200ページぐらいあります。『パン職人』『新幹線運転士』『研究者』です。
読み始める前にわたし自身の考えをいくつか記します。
・給料をもらって生活していくために働く。
・苦痛の代償が、給料というお金です。どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして仕事を選びます。
・どんな仕事でも世のため人のためになっています。
・仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいという気持ちだけでは、仕事は長続きしません。
・人に雇われるのではなく、人を雇ってする仕事もあります。儲け(もうけ)は大きくなりますが、リスク(金銭や気持ちが壊れる危険性)も大きくなります。
では、読み始めます。
『第1話 パン職人』
読み終えて、紆余曲折を経て(うよきょくせつをへて:いろいろな体験をされて)、念願のパン職人として自分のお店を千葉市内にもたれた女性のことがマンガで書いてありました。34歳のときに夢がかなっています。驚いたのは、お店の場所が自分の土地勘がある場所だったことです。熊太郎は用事があって、たまに千葉市内へ行きます。
ご本人が6歳のところから始まります。
おかあさんが、本人の誕生日に手づくりレーズンパンを焼いてくれました。それが、パン職人になりたい動機の始まりです。でもイルカの調教師にもなりたい。
高校を出て、ホテルマンになるための二年制の専門学校へ入学→19歳からイルカの水族館があるホテルで就労開始→客室係からキッチン係へ人事異動→入社三年目でホテルの規模縮小(早期退職)→北海道の牧場にあるレストランで修行→ブラジルの農場に2か月滞在して就労体験→フランスでパンづくりの修行→34歳で千葉市内に自分のパン屋を開店(なかなか波乱万丈(はらんばんじょう)です)
ここからは、マンガを読んでいる自分の考えです。
好きなことを仕事にすることは、幸せかそうでないかです。
基本的には、好きなことは、趣味でとっておいたほうがいいです。
これしかできないから(好きなこと以外のことはできないから)という理由で、好きなことを仕事にするということはあります。アーチストタイプ(芸術とか勝負事(しょうぶごと。スポーツ、将棋など))の人です。
一般的な会社に入って、事務や営業、経理や労務管理、建物管理、接客接遇、社用車の運転、技術職などの業務ができない人は、自分のずばぬけた得意分野で稼ぎます(かせぎます)。
あんがい、ひととおりのことを、平均点でできるという能力をもつ人は、組織にとっては貴重な人材です。
働くために目的をもって教育を受けたり、研修を受けたり、資格を取得することはあります。
ただなんとなく大学に行っても安定した仕事には結びつかないでしょう。大学を出ても仕事を短期間ですぐ辞めてしまう人もいます。
今よりもいいという「よその会社」は、なかなかありません。
ほんとかどうかわかりませんが、昔は、仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと言われたものです。
お金で苦労しないためには、無職の期間をできるだけ短くすることです。
関東地方から見て、北海道は遠いというような話が出てくるのですが、日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへ到着できます。
『…… 人生って、どうにでもなるなって。……』(そうです。悲観することはないのです)
ご本人はそうはいっても慎重です。これからいっしょに働く人の資質や性格を冷静に注視します。これから働くところで、いっしょに働く人が、だれでもいいということではありません。人には相性があります。就職すると、たいてい人間関係で悩みます。
人を知り、土地を知る。見聞(けんぶん。見たり聞いたり)を広めます。体験を積みます。
いろんな暮らし方があります。日本人はとかく金(かね)、金、金で、お金が最優先という意識で生活しています。損か得かが物事を決めるときの、ものさし(基準)です。それが基本ではありますが、それがすべてではないでしょう。
自分がやりたことをやるために必要な学力があります。
ご本人はとても努力されています。フランス語の習得です。かなり苦労されています。
この本のつくり方を推測します。
当事者ご本人にインタビューをする。(聞き取り)
話の種になる項目をつくる。
項目を並べていく。
『パン生地に、子守唄を歌って聞かせる』おいしくなーれ。
気持ちが大事(だいじ)です。
34歳で自分の店をもった。自分でつくるパンを売る。
34年間ですが、長い道のりでした。ベース(基本)は、努力と忍耐とまじめさです。
『第2話 新幹線運転士』
東京・大阪間、515kmを、2時間半で結ぶ新幹線。約1300人の乗客を乗せて、時速285kmで走るとあります。
新幹線運転士になった人のお話です。
東京都足立区の出身です。
小学三年生のとき、ひとりで新幹線に乗って、岡山の母方祖父母宅へ行った体験があります。新幹線の車掌が優しくしてくれた。始まりの動機はそこにあります。(そして遠い未来に、小学三年生だった彼は、新幹線の車掌になり、ひとり旅をしている小学三年生の少年に声をかけるのです。伝承(でんしょう。受け継いで伝えていく)というドラマがあります)
第一話も含めて、81ページまで読んできて、この本は、道徳の本のようでもあります。(道徳どうとく:善行を行い、悪いことをしない)
ご本人の正直な話として、勉強は嫌いなので、大学進学はしない。高校を出て就職する。
学力はあるけれど、大学へ行くよりも、働いてもらった給料で、自分の好きな服を買って、おいしいものを食べたいと思っていたという高卒で就職した同僚がいました。母子家庭で経済的に苦労された人でした。
こちらの本の主人公高校生男子は、進路指導の先生から鉄道会社JRを勧められて試験に挑戦しました。
JRの試験に合格して、名古屋の研修センターに泊まり込んで学ぶ。
鉄道法規、ダイヤの見方(ダイヤ:運行図表)、発券方法など、こまやかなところまで学びます。
学んだあと、配属先の発表があって、若者たちの集合記念写真の絵が93ページにあります。その絵を見ながら思ったことです。いい写真の絵です。若々しい。これからスタートする人生の未来があります。
歳をとってみるとわかるのですが、いつかは、働きたくても働けない立場になる時がきます。しみじみします。あのときは、よくがんばったと思えるのです。
接客商売はたいへんです。へんな相手もいます。とくに電車にはいろんな人が乗ってきます。
みんなでお金(乗車券等の代金)を出し合って、共同出資で乗車するというやり方の鉄道の継続を考えるなら、いわゆる社会的弱者の乗車を優先するという姿勢が大事になってくるでしょう。こどもや、お年寄り、障害者にとって利用しやすい鉄道は、健常者にとっては、より利用しやすい鉄道システムです。
そんなこともあって、この本に、小学三年生のひとり旅のエピソードが入れられているのかもしれないと考えました。
育てるとか、教育する、チームワークで仕事に取り組むというようなことが書いてあります。
人の乗降客数が多い『駅』というところは、ホテルのようなものだろうと思っています。
従事者が仮眠する部屋があって、食事をとる部屋があって、入浴とかシャワーができる施設もあるでしょう。会議室や研修室もあるでしょう。まあ、テレビが置いてある娯楽室もあるかもしれません。
従事者はみんなで共同生活です。
鉄道会社の労働についての特徴として、同じひとつのポスト(役割)を複数の人間で担当するという交代制勤務です。24時間交代制勤務が勤務の基本です。勤務に穴が開かないように、勤務予定表がつくられていて、調整がなされています。
不規則勤務ですから、自分で自分の心身の健康管理をする気持ちが大事です。鉄道ですから、時間厳守に厳しい職場でもあります。
鉄道会社はまた、制服職場です。制服職場というのは、上下関係がきついところでもあります。上司の命令に部下は従います。ただ、電車が好きだということだけでできる仕事ではありません。お互いに、協調性と思いやりが必要です。
そんなこんなを、本を読みながら思いました。
じょうずにまとめてある本です。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の流れです。努力があるので、願いが素直にかなっていきます。
終身雇用制の安定感がありました。年功序列もあるでしょう。そのような形態の職場は減ってきているとはいいますが、職種によっては、これからも維持継続されていく職場もあります。制服職場の特典でしょう。
仕事選択の世界には、大学に行かずに、高卒で大企業の技術畑に入って、終身雇用で定年退職まで生活していくということが安定した生活を送る手段のひとつになります。定年後の再就職とか年金受給でも安定しているでしょう。
『第3話 研究者』
異質な内容です。
単純な職業紹介物語ではありません。
中学生の時に登校拒否になった女子が、最終的には東京大学に入学して、研究者として働いておられます。事実の出来事です。
以前、テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で、東京大学の女子大生が、ある部分ではすごく学力が高いのに、それ以外のことは何もできない。彼女が暮らす部屋は汚部屋(おべや)というものがありました。
一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。
ご本人は、(自分が専攻している分野について)ほかの人にとっては難解な問題でも、自分にとっては、たやすい問題ですと答えられていました。
人間の頭脳は多種多様です。天才の脳みそをもつ人がごくまれにいます。そのかわり、言動が奇異だったりもします。フォロー(めんどうをみる)をする人がまわりに必要です。
さて、こちらの本の女性です。
大学院の研究室で、『人の意識』を研究する研究者です。
『匂い(におい)の記憶が運動の学習を助けている。これはリハビリなどに役立つかも!』(独特な研究です。凡人には、発想できません)
マンガは、女性のこども時代にさかのぼります。
『数字』に異常なほどの強い興味を示す女性です。
以前読んだ『正欲(せいよく) 朝井リョウ 新潮社』を思い出しました。
扱うのは『特殊性癖』です。世の中には、ほかの人から見れば、不思議なことに気持ちが集中する人たちがいます。この物語に出てくるその人たちは、水道から強い勢いで出てくる水を見ることが快感なのです。男性も女性も性的な快感があるそうです。でも、ただ見るだけです。そのような同じことを好む、人類としては希少(きしょう。まれな。数少ない)な人たちが集まります。かれらは、地球以外のところ、自分たちが正常と思われる生活ができる世界(星のようなもの)に行きたいという希望をもちながら、ここに(地球に)いてもしかたがない。死んでしまいたいというような気持ちをもっています。
こちらのマンガの内容に戻ります。この物語の協力者女性は、いわゆる勉強ができる子、勉強することが好きなこどもです。
学校で、だんだんひとりぼっちになっていきます。さみしいときは、図書館で、図鑑を見ながら植物のスケッチをします。
中学1年の終わりから、完全な不登校になって、ずっと家でテレビゲームをして過ごします。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。学校に行きたくない中学生少年の話でした。
母親が寛容です。中学校には行きたくなったら行けばいいとアドバイスします。
中学生だった女性は、父親が買ってくれた科学雑誌に強い興味を示します。(本の力があります)女性は、物理学に目覚めます。
中学校に行けない女性は、『フリースクール』に通い始めます。仲間がいます。10人くらいいます。
高校に行きたいと思い始めます。
不登校でも受験できる学校を探して、個別指導の塾に通って受験勉強を始めて、高校受験に合格します。
(親御さん(おやごさん)のご苦労が、自分も親としてわかります)
女性の宇宙に対する興味が強い。
高校の女教師から、宇宙のことを研究するために東京大学に行きなさいと勧められます。
成績が、学年で下から4番目だった女性は、予備校で猛勉強をしました。一浪して、みごと東京大学に合格されています。
東京大学入学後、女性の志向が変化します。宇宙から、『人工生命の研究』に心が傾きます。
人間の心の中にある感情を科学で解明する研究を行うそうです。
お金がいる話ですから、女性はかなりがんばります。
共感覚(きょうかんかく):数字に色や性格を感じる現象
28歳の春にイギリスへ留学する。
うつ病になる。(小説家夏目漱石みたいです)
帰国して、ひたすら寝る。
波がある人生を送っておられる方です。
重度障害児を支援する技術を開発する研究者として要請を受ける。
東京大学で研究員になる。
読んでいて思ったことは、仕事の選択とは、自分の居場所探しだということです。
3話全部を読んでみて、不思議な成り立ちの本だという感想をもちました。
ただの職業紹介本ではありません。続編が出ているので取り寄せて読んでみるつもりです。
2023年12月06日
おとうさんの ちず ユリ・シュルヴィッツ
おとうさんの ちず ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房
同作者の『よあけ』を以前読んだことがあります。気持ちがしみじみとする絵本でした。
作者は、1935年(日本だと昭和10年)ポーランド生まれで、第二次世界大戦を経て苦労をされています。ポーランドから、パリ、イスラエル、アメリカと転々と住居を変えておられます。
きれいな表紙の絵です。少年が空中を飛んでいて、眼下に街(まち)があります。
それは、空想の世界です。
事実に基づいているのでしょう。
お父さんの思い出です。
この絵本は初版が、2009年(平成21年)で、2022年(令和3年)で19刷の発行です。
ページをめくって、ウクライナとか、パレスチナガザ地区のような絵です。戦争があります。
現代日本人の大半は体験したことがない戦争のことです。
『ぼくの かぞくは なにもかも うしなって、いのちからがら にげだした』とあります。
逃げのびた先の国の絵は、中東、サウジアラビアのような風景です。ラクダのいる国です。砂漠です。(作者の実際の体験は、旧ソ連現在のカザフスタンらしい)
土でつくられた低層の家が並んでいます。北アフリカの光景のようでもある。
ぼくの家族は、戦争難民のようです。
あるひのこと、
おとうさんは、パンを買いに行ったけれど、パンを買ってこなかった。
パンの代わりに、大きな『世界地図』を買って来た。
地図を食べることはできない。家族はがっかりしたが、お父さんは大喜びだったそうな。
当時、『紙』がなかったことが、こどものころの作者の言葉で語られます。
紙がなかったから、同じ紙に書き続けた。紙は真っ黒になった。当時、白い紙は、てもと(手元)になかった。
お父さんの手で、家の壁にとても大きな地図がはられました。
不思議な絵本です。
地図に書いてある地名がJAPAN(ジャパン。日本)の地名なのです。日本人用に翻訳してあるのかもしれません。
『フクオカ タカオカ …… フクヤマ ナガヤマ …… オカザキ ミヤザキ ……』
オムスク:ロシア中南部の都市
トムスク:ロシアシベリアにある都市
ピンスク:ベラルーシ―にある都市
ミンスク:ベラルーシ―の首都
少年は、壁にはられた地図を見ながら空想にふけります。
地図の中に入って旅をします。
何もないところに何かをつくる。
少年は空想をしながらいろいろな国に行くのですが、とにかく絵がきれいです。
少年は幸せそうです。
ひもじさも、まずしさも忘れることができたとあります。
そういうことってあります。
実際にできないことは、想像することでできたという気持ちになれることはあります。
戦争を背景にして、人間のありようを表現した作品でした。
とにかく、もうこれ以上人が死ななくてもいいように、戦いをやめてほしい。
作者はあとがきに、ソ連で6年間暮らした体験があると書いておられます。現在のカザフスタンだそうです。現在は88歳で、アメリカ合衆国のニューヨークにお住まいです。
同作者の『よあけ』を以前読んだことがあります。気持ちがしみじみとする絵本でした。
作者は、1935年(日本だと昭和10年)ポーランド生まれで、第二次世界大戦を経て苦労をされています。ポーランドから、パリ、イスラエル、アメリカと転々と住居を変えておられます。
きれいな表紙の絵です。少年が空中を飛んでいて、眼下に街(まち)があります。
それは、空想の世界です。
事実に基づいているのでしょう。
お父さんの思い出です。
この絵本は初版が、2009年(平成21年)で、2022年(令和3年)で19刷の発行です。
ページをめくって、ウクライナとか、パレスチナガザ地区のような絵です。戦争があります。
現代日本人の大半は体験したことがない戦争のことです。
『ぼくの かぞくは なにもかも うしなって、いのちからがら にげだした』とあります。
逃げのびた先の国の絵は、中東、サウジアラビアのような風景です。ラクダのいる国です。砂漠です。(作者の実際の体験は、旧ソ連現在のカザフスタンらしい)
土でつくられた低層の家が並んでいます。北アフリカの光景のようでもある。
ぼくの家族は、戦争難民のようです。
あるひのこと、
おとうさんは、パンを買いに行ったけれど、パンを買ってこなかった。
パンの代わりに、大きな『世界地図』を買って来た。
地図を食べることはできない。家族はがっかりしたが、お父さんは大喜びだったそうな。
当時、『紙』がなかったことが、こどものころの作者の言葉で語られます。
紙がなかったから、同じ紙に書き続けた。紙は真っ黒になった。当時、白い紙は、てもと(手元)になかった。
お父さんの手で、家の壁にとても大きな地図がはられました。
不思議な絵本です。
地図に書いてある地名がJAPAN(ジャパン。日本)の地名なのです。日本人用に翻訳してあるのかもしれません。
『フクオカ タカオカ …… フクヤマ ナガヤマ …… オカザキ ミヤザキ ……』
オムスク:ロシア中南部の都市
トムスク:ロシアシベリアにある都市
ピンスク:ベラルーシ―にある都市
ミンスク:ベラルーシ―の首都
少年は、壁にはられた地図を見ながら空想にふけります。
地図の中に入って旅をします。
何もないところに何かをつくる。
少年は空想をしながらいろいろな国に行くのですが、とにかく絵がきれいです。
少年は幸せそうです。
ひもじさも、まずしさも忘れることができたとあります。
そういうことってあります。
実際にできないことは、想像することでできたという気持ちになれることはあります。
戦争を背景にして、人間のありようを表現した作品でした。
とにかく、もうこれ以上人が死ななくてもいいように、戦いをやめてほしい。
作者はあとがきに、ソ連で6年間暮らした体験があると書いておられます。現在のカザフスタンだそうです。現在は88歳で、アメリカ合衆国のニューヨークにお住まいです。
2023年12月05日
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
2023年12月04日
スモウマン ぶん・なかがわひろたか え・長谷川義史
スモウマン ぶん・なかがわひろたか え・長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
表紙の絵が力強い。『スモウマン』の土俵入りです。
ちょうど、この文章を書いている日が、九州場所十四日目で、優勝争い中の『霧島VS熱海富士』の対決が本日予定されています。楽しみです。(熱海富士は負けてしまいました。熱海富士くん、応援するからこれからもがんばってね。先場所(9月秋場所)千秋楽(せんしゅうらく。最終日)にテレビ映像で観ましたが、お母さんと妹さんが、さじき席に応援に来ておられたのが印象的でした)
熊太郎は、長らくすもうファンでしたが、途中、いやけがさして、すもう中継を見ることに距離を置いていた時期があります。すもうがとても好きだったときは、名古屋場所の稽古場を早朝、見に行ったこともあります。
すもう賭博(とばく)に八百長(やおちょう)、コロナ自粛中にキャバクラ遊びなどの不祥事が続きました。理事会を巡る内部紛争もありましたし、見苦しい取り組みの連続もありました。もうあきれはてました。
されど、まじめにコツコツやっているちゃんとした若手が伸びてきました。小柄な力士のすばやい動きも魅力的です。今後に期待している今日この頃です。
絵本では、表紙をめくったところ、それから裏表紙の裏に、すもうの決まり手(きまりて。技(わざ))がたくさん絵付きで紹介されています。
相撲は腕力だけではありません。相手のバランスをくずして勝つ格闘技です。狭い土俵の中を動き回りながら、相手を外に出したり、手を土俵に着かせたりして勝ちます。大きい体だから勝てるとは決まっていません。だから、おもしろい。技が(わざ)がだいじです。小さな力士が、大きな力士を倒すことはよくあることです。
熊太郎は、まだこどもだったころ、母方祖父の横におちゃんこをして(座って)、NHKの相撲中継を祖父といっしょに見ていました。当時、テレビはまだ白黒テレビでした。
この絵本に出てくる自称スモウマンの男の子は、小学二年生ぐらいに見えます。
熊太郎が小学二年生のころ、いじめのようにして、同じクラスの男の子ふたりと、女の子ひとりが、熊太郎のことを『汚い』と言ってばかにしていました。
ある日、小学校の運動場にすもうの土俵(どひょう)があって、その日の体育は、すもうでした。
熊太郎は、いつも自分をばかにしてくる男の子ふたりと女の子ひとりと対戦して、三人とも土俵の外に投げ飛ばしてやりました。なんだ、お~れは、けっこう強いじゃないかと自信がつきました。そんなことを思い出しながらの読書が始まりました。
大相撲の名古屋場所は、二度見に行ったことがあります。
すもうは、朝からやっていて、自分たち家族は、お昼ごろに行って、したっぱのおすもうさんたちも来ている愛知県体育館内の食堂で、若いおすもうさんたちと混じりながら、お昼ご飯を食べました。なかなかいい雰囲気でした。定食はふつうの値段です。高くはありません。
先日亡くなってしまいましたが、会場内の通路と階段がまじわるところで、朝潮太郎さんがぼーっと立っておられたのを見たことがあります。そのころはもう体重も落ちておられましたが、テレビで見るのと同じ雰囲気の方だと感じました。
絵本は、『ぼくは スモウマン せいぎの ために たたかうぞ』から始まります。(かっこいい!)
長谷川義史さん(はせがわ・よしふみさん)の絵は、いつものように素朴で気持ちがこもっています。
『ドスコーイ』
どういうわけか、スモウマンは東京都内の空中をスーパーマンのように飛んでいます。
女の子をいじめている覆面悪役プロレスラー(ふくめんあくやくプロレスラー)みたいな男を見つけてプロレスラーに大量の塩をぶちまけました。
『つっぱり、つっぱりーー』ふたりの闘いが始まりました。
内掛けだーー(うちがけだーー) 上手投げ(うわてなげ)だーー
覆面レスラー(ふくめんれすらー)は、「おぼえていろよ」の捨てゼリフを残して逃げて行きました。
スモウマンと女の子は、おなかがすいたので、ちゃんこなべを食べます。
なつかしい、昭和四十年代(1965年代)の木造家屋が続く街中の道の絵です。平屋建ての家が並びます。そういえば、そのころの道はまだアスファルト舗装(ほそう)がされていなかったところもありました。
ちゃんこなべを囲んでお食事です。
食堂の中には、いろんなへんな掲示物があります。『わたしをすもうにつれてって』『チャンコでマンボ』『モンゴルには歩いて帰れない』(昔は、ハワイとかトンガ出身の力士が多かった。モンゴルはその後出身力士が増えました)ふざけているみたいだけれど、楽しい。
最後はさわやかでした。
おなかいっぱいになったら、畳の上にひっくりかえってお昼寝です。体をもっと大きくするのです。
2002年(平成14年)初版の絵本です。2017年(平成29年)で8刷されています。
名古屋場所が開催される7月あたりになると、地下鉄の中とか、高速道路のサービスエリアで、したっぱのおすもうさんたちといっしょになることがあります。うちのおくさんは、おすもうさんのおなかにさわることが好きで、声をかけてさわらせてもらっています。そのうちのひとりは、出世して、今もテレビの中で、すもうをとっていますが、負けることもよくあります。それが、だれかはないしょです。
本のカバーの絵で、『おまけ』がおもしろい。
『おおいちょう(あたまのちょんまげのこと)』→『胃腸』→『あ ちょう(アチョー 香港映画のブルー・スリーです。高校生のころ、郷里の映画館で彼が出ている映画を観ました。満員でした。なつかしい)』
表紙の絵が力強い。『スモウマン』の土俵入りです。
ちょうど、この文章を書いている日が、九州場所十四日目で、優勝争い中の『霧島VS熱海富士』の対決が本日予定されています。楽しみです。(熱海富士は負けてしまいました。熱海富士くん、応援するからこれからもがんばってね。先場所(9月秋場所)千秋楽(せんしゅうらく。最終日)にテレビ映像で観ましたが、お母さんと妹さんが、さじき席に応援に来ておられたのが印象的でした)
熊太郎は、長らくすもうファンでしたが、途中、いやけがさして、すもう中継を見ることに距離を置いていた時期があります。すもうがとても好きだったときは、名古屋場所の稽古場を早朝、見に行ったこともあります。
すもう賭博(とばく)に八百長(やおちょう)、コロナ自粛中にキャバクラ遊びなどの不祥事が続きました。理事会を巡る内部紛争もありましたし、見苦しい取り組みの連続もありました。もうあきれはてました。
されど、まじめにコツコツやっているちゃんとした若手が伸びてきました。小柄な力士のすばやい動きも魅力的です。今後に期待している今日この頃です。
絵本では、表紙をめくったところ、それから裏表紙の裏に、すもうの決まり手(きまりて。技(わざ))がたくさん絵付きで紹介されています。
相撲は腕力だけではありません。相手のバランスをくずして勝つ格闘技です。狭い土俵の中を動き回りながら、相手を外に出したり、手を土俵に着かせたりして勝ちます。大きい体だから勝てるとは決まっていません。だから、おもしろい。技が(わざ)がだいじです。小さな力士が、大きな力士を倒すことはよくあることです。
熊太郎は、まだこどもだったころ、母方祖父の横におちゃんこをして(座って)、NHKの相撲中継を祖父といっしょに見ていました。当時、テレビはまだ白黒テレビでした。
この絵本に出てくる自称スモウマンの男の子は、小学二年生ぐらいに見えます。
熊太郎が小学二年生のころ、いじめのようにして、同じクラスの男の子ふたりと、女の子ひとりが、熊太郎のことを『汚い』と言ってばかにしていました。
ある日、小学校の運動場にすもうの土俵(どひょう)があって、その日の体育は、すもうでした。
熊太郎は、いつも自分をばかにしてくる男の子ふたりと女の子ひとりと対戦して、三人とも土俵の外に投げ飛ばしてやりました。なんだ、お~れは、けっこう強いじゃないかと自信がつきました。そんなことを思い出しながらの読書が始まりました。
大相撲の名古屋場所は、二度見に行ったことがあります。
すもうは、朝からやっていて、自分たち家族は、お昼ごろに行って、したっぱのおすもうさんたちも来ている愛知県体育館内の食堂で、若いおすもうさんたちと混じりながら、お昼ご飯を食べました。なかなかいい雰囲気でした。定食はふつうの値段です。高くはありません。
先日亡くなってしまいましたが、会場内の通路と階段がまじわるところで、朝潮太郎さんがぼーっと立っておられたのを見たことがあります。そのころはもう体重も落ちておられましたが、テレビで見るのと同じ雰囲気の方だと感じました。
絵本は、『ぼくは スモウマン せいぎの ために たたかうぞ』から始まります。(かっこいい!)
長谷川義史さん(はせがわ・よしふみさん)の絵は、いつものように素朴で気持ちがこもっています。
『ドスコーイ』
どういうわけか、スモウマンは東京都内の空中をスーパーマンのように飛んでいます。
女の子をいじめている覆面悪役プロレスラー(ふくめんあくやくプロレスラー)みたいな男を見つけてプロレスラーに大量の塩をぶちまけました。
『つっぱり、つっぱりーー』ふたりの闘いが始まりました。
内掛けだーー(うちがけだーー) 上手投げ(うわてなげ)だーー
覆面レスラー(ふくめんれすらー)は、「おぼえていろよ」の捨てゼリフを残して逃げて行きました。
スモウマンと女の子は、おなかがすいたので、ちゃんこなべを食べます。
なつかしい、昭和四十年代(1965年代)の木造家屋が続く街中の道の絵です。平屋建ての家が並びます。そういえば、そのころの道はまだアスファルト舗装(ほそう)がされていなかったところもありました。
ちゃんこなべを囲んでお食事です。
食堂の中には、いろんなへんな掲示物があります。『わたしをすもうにつれてって』『チャンコでマンボ』『モンゴルには歩いて帰れない』(昔は、ハワイとかトンガ出身の力士が多かった。モンゴルはその後出身力士が増えました)ふざけているみたいだけれど、楽しい。
最後はさわやかでした。
おなかいっぱいになったら、畳の上にひっくりかえってお昼寝です。体をもっと大きくするのです。
2002年(平成14年)初版の絵本です。2017年(平成29年)で8刷されています。
名古屋場所が開催される7月あたりになると、地下鉄の中とか、高速道路のサービスエリアで、したっぱのおすもうさんたちといっしょになることがあります。うちのおくさんは、おすもうさんのおなかにさわることが好きで、声をかけてさわらせてもらっています。そのうちのひとりは、出世して、今もテレビの中で、すもうをとっていますが、負けることもよくあります。それが、だれかはないしょです。
本のカバーの絵で、『おまけ』がおもしろい。
『おおいちょう(あたまのちょんまげのこと)』→『胃腸』→『あ ちょう(アチョー 香港映画のブルー・スリーです。高校生のころ、郷里の映画館で彼が出ている映画を観ました。満員でした。なつかしい)』
2023年11月30日
ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫
ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA
先日は同作者の絵本『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』を読みました。こんどはこちらの本を読んでみます。
(1回目の本読み 全部のページをゆっくり最後までめくってみました)
『はじめに』の部分に、『みなさんは「長谷川式簡易知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)という言葉をお聞きになったことがありますか?』と問いかけがあります。
わたしは体験したことがあります。絵本のところで書いた感想メモの一部を再掲します。
『 熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。
数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。
検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。
そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。
半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。』
『(もうひとつ、絵本の中の記述として)「ぼく」が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
「ここはどこ? あなたはだれ?」と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。』
こちらの本の感想メモに戻ります。
目次です。『第1章 認知症になったボク(医者も人間です。認知症にもなるし癌にもなります)』
112ページに、長谷川式で、『「93から7を引く」は間違い』とあります。100から7を順番に引いてください。から始まって、100から7を引いたあとの質問は、「そこからまた7を引いてください」と問うそうです。熊太郎が受けたときはどう聞かれたのか記憶が残っていませんが、かなり時間がかかって、医師に、絶対答えを出すから教えないでくださいと言った記憶はあります。かなり時間がかかりましたが、答えはたぶんあっていたと思います。86です。
150ページに『クルマの運転(高齢者が加害者になる死亡事故が絶えません。以前読んで参考になった本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版 2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』
まずは、自分自身が道を歩くときは、もしかしたらお年寄りの運転する車が自分に向かって突っ込んでくるかもしれないと警戒しながら歩いたほうが良さそうです。
長谷川さんのこちらの本では、長谷川さんが車の運転が好きなことが、まずは書いてあります。でも運転はやめたそうです。
153ページに絵本づくりのことが書いてあります。熊太郎は、絵は描けませんが、文章はかけるので、いくつかのこどもさん向けのお話はつくりました。
168ページにアリセプトというお薬の説明があります。レビー小体型認知症の効果があるそうです。続けて薬の副作用の説明があります。また、アルツハイマー型認知症の原因が、アミロイドβ(ベータ―)やタウというたんぱく質と書いてあります。
後半で、読書を趣味にするお話が書いてあります。
老いの準備(死を迎える準備)、宗教的なこと、死をじょうずに受け入れることなどが書いてあります。そして、老衰のためお亡くなりになっています。
最後は編集者の方の解説です。
(2回目の本読み)
『はじめに』
記述にある有吉佐和子小説作品『恍惚の人(こうこつのひと) 新潮社』は読んだことがあります。映画も見ました。たいへんなのです。ようやく亡くなったと思った当時で言えばボケ、あるいは、痴ほう老人が映画では、息を吹き返すラストなのです。
1974年(昭和49年)公表のお話です。まわりの人たちがぐったりして終わるのです。
小説の方は、最後は静かな時が訪れます。以下は小説を読んだときの自分の感想メモの一部です。
『夫の父のめんどうをみるお嫁さんの苦労と自分や夫も認知症になるのではないかという不安と怖れ。厳格でわがままだった夫の父が幼児へと回帰する。自分のこどもたちの顔と名前を忘れる。さらに話は進み近所の高齢者女性から恋愛攻勢を受け始めたところまできました。老いたというのに妖艶なしぐさの女性。さて、人はどのように老いていくべきなのかを考えるのです。 後半部分はまるで別のお話のようです。最後には静かな平和が訪れます。「老いる」ということについて考えさせられました。』
こちらの長谷川さんの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。
2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。(この部分の文章は、2020年(令和2年)になるころに書かれています。著者は、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています)
長谷川さんの予測では、2025年(令和7年)に認知症患者の割合は5人にひとりだそうです。高確率です。自分は当たらないという保証はありません。
ご自分の認知症を分析しておられます。
波がある。朝はしっかりはっきりしている。調子がいい。だんだん疲れてきて、夕方になると頭の中が混乱する。
『第1章 認知症になったボク』
2016年(平成28年)からおかしくなった。目的地にたどり着かない。今日が何月何日かわからない、今日の予定もわからない……
文章中に小さいゴシック体で書かれている部分はご本人の言葉ではないのでしょう。説明、解説文章が付記されています。
1963年(昭和38年)のとき100歳以上は日本で153人だった。2019年(令和元年)では、7万1274人(うち女性が6万2810人)とあります。とても増えました。
高齢になればだれでも認知症になる。100歳を過ぎるとほとんどの人がなるし、今元気でも歳を重ねれば必ず認知症になるそうです。
認知症になった人の言葉として、『なぜ自分なのか(自分はならないと思いこんでおられた)』(なったものはしかたがないと考える)というアドバイスがあります)
『ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。』(意外です)
ご本人の病気は、『アルツハイマー型認知症』ではなく、『しぎんかりゅうせいにんちしょう「嗜銀顆粒性認知症』という病名だそうです。
著者の言葉として、『少なくとも、認知症であることをさげすんだり、恥ずかしいと思わせてしまったりする社会であってほしくはありません。』とあります。ごもっともです。
『第2章 認知症とは何か』
この部分は、著者が認知症になる前に発表されたことも加えて書かれています。ゆえに、しっかりした学問の文章です。
この認知症の定義の部分を読んで、認知症の分析とか、考察は、けっこうむずかしいと感じました。『成年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』とあります。
脳の神経細胞が、外傷、感染症、血管障害などさまざまな原因で障害を受けたときに起きる。
脳の神経細胞同士のつながりがなくなり、働かなくなる。(機能しなくなる)
「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、出かける準備をして、後片付けをして、掃除や洗濯をして……」が、できなくなる。手順がわからなくなるのでしょう。
読んでいて、思うのは、家族がいない人が認知症になったら、どうなるのかということです。ちょっと恐ろしい。(おそろしい)
病気になった本人に自覚がありません。
アルツハイマー型認知症:アロイス・アルツハイマー(1864年-1915年)ドイツ精神科医が最初に症例を報告した。
脳を解剖した。萎縮、細胞の脱落、シミ状の斑点、繊維のもつれが見つかった。アミロイドβ(ベーター)というたんぱく質が沈着していた。
記憶障害:もの忘れ
見当識障害:時間や場所がわからなくなる。
重度になると、自力での食事、着替え、意思疎通ができなくなる。
座ることができなくなり、寝たきり、意識低下、昏睡状態、死という経過をたどっていく。
48ページに図と解説があります。
67.6%が、アルツハイマー型認知症です。19.5%が脳血管性認知症です。4.3%がレビー小体型認知症です。ほかに前頭側頭方認知症とかアルコール性などがあります。
幻視について書いてあります。熊太郎も脳の具合が悪くなった時に幻視をたくさん見ました。そのときに、これは記録に残しておいた方がいいと思って、見えたものを記録したメモが残っています。その記録からピックアップしてみると、次のようなものが見えました。
『 最初に、視界に入って来たのは、「1→2→3→4→〈ちなみに矢印→は見えない〉」と続く数字の世界だ。次に視界に入って来たのは、「A→B→C→D→」と順番に続くアルファベットの世界」だ。〈念のためアルファベットについても、矢印は見えていないと付記する〉
わたしはベッドで仰向けになって、天井や壁に映し出される数字とアルファベットという記号の世界を見ている。目を閉じてもその世界は目の前から消えてくれない。
わたしは長時間、そういう言葉のない世界をさまよう。深夜の暗い病室で、ベッドの上で、じっと目を閉じてまぶたの裏側で展開される数値とアルファベットの動きを見ている。
閉じたまぶたの裏側で数字とアルファベットが回転していく。ぐるぐるぐると、1・2・3・4、A・B・C・Dと変わってゆく。
次から次へと、単語が目の前の空間に浮かぶ。問題が提示されて解答が示されるパターンだ。
3Dというのだろうか、縦、横、奥行きのある立体図で問題や課題が流れ出てくる。矢印やその幅で、課題の解決困難さの分量や難易度が表示される。
図形は、分離されたり、合体されたりして、解答という立体図形に形を変えボールのように返ってくる。返ってきたら、課題の解決策提示は、そこで終わりだ。』
『 午前3時だ。薄暗い病室のベッドに寝ていると天井、そして、ベッドの左側の壁、右側の閉じたカーテンに、あるものが現れた。
それらは左方向から出てきた。もともと、天井と壁とカーテンには何も書かれていない。白い天井と壁である。ベージュ色をしたカーテンである。ベッドを回りこむ形式で設置された遮断の役割をもったカーテンだ。
念のために手を伸ばして壁にある電灯のスイッチを押して病室を明るくもしてみたが、天井にも壁にもカーテンにも何も書かれていない。白い壁、ベージュのカーテン、ただ一色のものだ。
左方向から視界に入って来たのは、「横書き漢字の群れ」である。それも、リズムにのって右へ出たかと思うと左へ引っ込んでしまう。出たり引っ込んだりしながら、漢字の群れがわたしのご機嫌を伺う。
漢字のひと文字は、大きかったり、小さかったりする。さらに、ひらべったかったり、角が丸まっていたり、角張っていたりする。文字の字体とか、大小は「ポイント」と呼ぶのだろう。
目の前に現れたのは、見たこともない漢字ばかりだ。自分の脳のデータにこのような情報が入っているのかと驚愕する。
遠慮がちに、出ようか、出まいかしていた漢字群が、いっきに激しく動き出した。左から右方向に向けて踊るように上下左右に動き、体を揺らしながら右方向へ川の流れのように流れ出した。力強く勇壮な流れだ。圧倒される。
長い時間、漢字群は目前から消えてくれなかった。ようやくシーンの転換時期は訪れた。次は、青白映画〈白黒映画ではなく青白映画〉映像は、ヨーロッパ映画の世界だ。』
異常な体験の時間帯が長引いている。これまでの漢字字体オンパレードに代わって登場したのは、無数のムービースクリーンだ。それらは美しい。キラキラと耀いている。同時に寒気に襲われる。どのような風景、光景が映し出されたとしても、氷の冷たさが体にしっかり伝わってくる。
〈わたしは、やっぱり、このまま死んでしまうのかもしれない。お迎えが近そうだ〉
横長スクリーンの量は半端な数ではない。大きいものから小さなものまで、なかには、巨大なスクリーンも出てきて、次々と現れては消えていく。まるで、打ち上げ花火のようだ。
映し出されるのは、実際には見た体験のないヨーロッパの北の海だ。実際に見たことはないが、昔観たドイツ映画のシーンと同じだ。青緑色をした力のこもった大波が砂浜でできた岸に向かって寄せては返していく。波にもまれているのは大木の樹木だ。砂浜に立って、左手を振り返ると、砂浜や海岸線を横切る防風樹林帯が見えた。
大空から地上を見下ろす空撮は、昔、国内開催二度目の万博会場にあったパビリオンで見た中欧の街並み風景に似ている。(愛知万博です)
映画のスクリーン群は、さきほど見えた漢字文字とは異なる動きをしている。漢字文字は、左から右へと小川のように、ときには大河のように流れ続けていた。対して青白ムービーは、浮かんでは消えていく。点滅するような動きで、無数の風景が転換し続ける。
特徴は、人物映像がひとりも出ないことだ。建物群の風景ばかりが続く。人間がいないということは、人類が絶滅したということだろう。まさか、人口(じんこう。人数)の全員が家を留守にしているわけではあるまい。主(ぬし)の居ない、からっぽの家ばかりが並んでいる。
*
次に姿を見せたのは、ニワトリのヒナであるところの「ひよこくん」だ。さきほどまで、視界に広がっていたスクリーン群が消えると、天井に黒いふたつの穴が見えた。
あとで知ったことだが、それは穴ではなく、突き出たスポットライト〈ごく小さな電球〉部分であった。しかし、わたしには、照明器具には見えなかった。ニワトリのヒナであるひよこくんに見えた。
まず、その丸い形がひよこの左片方の羽に見える。その羽に足が出て、首が伸びて、顔がついた。いわゆる幻視である。ひよこくんは動き出す。それも1羽ではない。スポットライトは2個並んでいたから2羽のひよこくんがふたごのように並んで、同一方向へ行ったり戻ったりする動きを始める。〈可愛い(かわいい)〉ファンタジーだ。心がほかほかになる。
天井には照明のほか、よくわからないが、なにかをひっかけるフック〈鉤かぎ〉とか、細かな水滴が出るスプリンクラーの吹き出し口とか、今はもう忘れてしまったけれど、なんやかんやの物体が設置されていた。
今やそれらすべてに羽が生え、足が出て、ひよこくんとなり、天井や壁をところ狭しと動き出した。
ダンスのパフォーマンスだ。バックにミュージックという幻聴まで聴こえだす。楽しい。とっても楽しい。たぶん人間が死ぬ瞬間に体験するであろうタイミングのちょびっと前の光景をわたしは今、観ている。
死ぬ気はないけれど、テーマパークのアトラクションのようなこの風景は、まだずっと、ながめていたい。
*
図形でものごとを考える。ひよこくんたちの世界が終わると、今度は図形の世界が訪れた。
矢印〈↑・↓・←・→)は、目標を指している。その太さと面積は〈⇒〉という形で、形状によって、「思い」の「量」を表している。視界にあるのは矢印、そして、矢印のうしろにくっついてつづく四角〈□〉い面だけだ。言葉や単語の類〈たぐい〉はない。頭の中で、理論展開をするときに文字はいらない。
展開するのは、ものごとの考え方だ。図は、大小さまざま、色は複数、事柄を図に変換して、イメージでとらえて結論を導き出す。
わたしの脳血管障害による脳内の出血状態は、頭蓋骨に穴を開けたあとの手術後、脳の中をめまぐるしく働かせていた。
その分、首から下は死んでいるも同然だ。体中の血液のほとんどが、脳みそに集中している。
今このときこの脳みそは充実の時を迎えた。天才の頭脳というのは、このようになっているのではないか。天才というのは、何でも一度見ただけで写真撮影したあとのように正確な記憶が脳の一部分に残される。そして、記憶は正しくスピーディに復活する。
物事を考える時に、余計なもの〈感情、気持ち〉を最初からどかして、考えることができる。
「美」の形成に向けて、音や、色や、形をつくることができる。歴史を飾ってきた偉人たち、天才たちの脳はきっとそのようにできあがっている。
その能力と引き換えに、奇異な行動や偏った言動が残る。あるいは現れる。
脳を科学する。そんなフレーズがある。今のわたしは、自らの脳を科学している。
*
時間は流れた。ついに、ここまでたどり着いてしまった。それは、「霊感」である。怖くはない。
感じる。夜の病室に、いや、昼間でも。病室にだれかがいる。しかし、そのだれかの姿は見えない。
感じる。この病室で、病気とケガで亡くなった人が、天国へ行けずに、思いをこの世に残したまま、まだこの部屋の中にいる。
あそこと、むこうと、すぐそこにいる気配がある。黒い影のような気配があるが、実際はなにも見えない。怖くはない。事実としてとらえる。無の中の在り〈あり〉だ。
姿は見えないが、音が聞こえる。ページをめくる音だ。週刊誌のページをめくっている。もうひとりは、新聞紙のページをめくっている。めくる音ははっきり聞こえる。しかし、その方向に人の姿はない。
これは、暗い夜だけではない。明るい昼間でも起こる現象だ。音が聞こえる。姿は見えない。試しに付き添いに来ていた家族に聞いてみた。
「聞こえるでしょ?」
「聞こえる」という家族の返事だ。聞こえる方向は、カーテンで仕切られただれもいないベッドだけの空間である。ページをめくっている人物の姿が見えるか見えないかは聞かない。怖がらせたくない。家族は、そこに患者がいると思っている。だけど、本当はだれもいない。
これが、今、わたしがいる世界だ。風が吹いている。風の吹く音が聞こえる。
死ぬときの状態として、三途の川(さんずのかわ)の二、三歩手前にいる。だけど、わたしは、手術後だから、命は助かっているはず。「死ぬ」という到着点はあり得ない。だから、安心していい。何度もそう自分に言い聞かせている。
術後でも、死ぬ患者がいるということに気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。
*ずいぶん長い記述です。もう何年も前のことですが、一時期自分はすごい世界にいたのだと改めて驚きました。
52ページ、こちらの長谷川さんの本では、わかりやすい文章が続きます。
54ページに、認知症の要因となる病名がたくさん書いてあります。熊太郎が、り患した病名もあります。り患:病気にかかること。
62ページに強調されたポイントがあります。『認知症の予防は、「一生ならない」ことよりも、いかに「なる時期を遅らせられるか」が重要になります。』(認知症になることを止めることはできないと理解しました)
『第3章 認知症になってわかったこと』
(認知症になった長谷川さんご自身について)意識が混乱する状態に波があると説明されています。
朝起きてから午後1時ぐらいまではだいじょうぶ。そのあと、頭がおかしくなるそうです。自分が今どこにいるのか、今何をしているのかがわからなくなるそうです。
認知症患者のご希望として、(自分を)あちら側の人として、おいてきぼりにしないでほしい。
認知症患者に、わからないだろうということで、平気でひどいことを言う人がいるが、ちゃんと聞こえているし、言われた言葉を理解もできている。
『こうしましょう』ではなく、『今日は何をなさりたいですか?』と話しかけられたい。あわせて、『きょうは、なにをなさりたくないですか?』ともたずねてほしい。
なにをするにしても時間がかかるから、『待つ』とか『聴く(きく)』という姿勢で対応してほしい。
認知症になっても、心の動きは変わらない。嫌なことを言われれば傷つくし、ほめてもらえば嬉しい(うれしい)。
『笑い』が大切。
パーソン・センタード・ケア:たとえば、倒れているこどもをかかえて起こすのではなくて、自分もいっしょに倒れた姿勢になって、こどもに、「起きようね」と声をかけて、ふたりで起き上がることとあります。
認知症の人を部屋に閉じ込めない。薬を飲ませておとなしくさせないことが原則という趣旨の記述があります。
著者は二泊三日の老人ホームのショートスティを利用されています。本当は、行きたくないけれど、介護をしてくれる奥さんを休ませたいから行くと、その理由を記述されています。家にいると生活臭があるのがいい。電話が鳴ったり、宅急便が来たり、近所の人の声が聞こえたり、そういったことで気持ちが安定するそうです。
認知症の人にウソを言わないでほしい。だまさないでほしいとあります。
普通に接してほしい。
『第4章 「長谷川式スケール」開発秘話』
『長谷川式簡易知能評価スケール』の誕生話です。
1974年(昭和49年)公表、1991年(平成3年)に改訂版発表です。
最初の公表時にあった質問として、『日本の総理大臣の名前』『大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦年』『1年間の日数』があったことは知りませんでした。
1 『記憶』を調べる。 2 『見当識(時間と場所)』を調べる。 3 『計算力と注意力』を調べる。 4 『記銘力(きめいりょく。記憶の第一段階。学習したことを覚えこむ)』 5 言葉がスラスラと出てくるかを調べる。
読んでいて視力検査と似ているなと感じました。見えているものは、見えているし、見えていないものは見えていない。あいまいさの排除です。
著者の恩師として、『新福尚武先生(しんふく・なおたけせんせい)』慈恵医大教授。精神病理学、老年精神医学の大家(たいか。その分野で特に優れた人)
著者は、1956年(昭和31年)にアメリカ合衆国ワシントンへ留学されていますが、船旅、鉄道旅です。ハワイ経由でアメリカ合衆国西海岸サンフランシスコまで2週間かかっています。そこから東海岸にあるワシントンまで鉄道です。1ドルが360円だったとあります。現在は147円ぐらいです。
言葉(英語)が通じないし、わからなくて、困ったとあります。なんとか克服されています。
『第5章 認知症の歴史』
たくさんの調査をしたことが書いてあります。
1973年春(昭和48年)からの調査で、認知症の人たちが、納屋に閉じ込められています。寝たきりの人の横には、おにぎりが置かれていたりもします。認知症の人は、「役立たず」「家の恥」扱いです。
認知症の人の意見を聴く耳はありません。閉じ込められたら、だれでも、出してくれーーと大声をあげてあばれるでしょう。
ようやく、「アルツハイマー」という言葉が世に出てきます。
2000年に介護保険制度がスタートします。
痴ほうは、「あほう」「ばか」という相手を見下しばかにする言葉です。痴ほうに変わる言葉として「認知症」が適切と検討会で報告が出た。
蓋然性(がいぜんせい):確実性の度合い。確からしさ。
『第6章 社会は、医療は何ができるか』
認知症になった人がしてはいけないこととして、『クルマの運転』が提示されています。当然です。被害者は、やられ損になってしまいます。被害者になって命まで奪われても、運転をしていた加害者である認知症の人は、お詫びの態度もないようすだったりもします。
高齢者ドライバーの運転はやめたほうがいいとか、安全に自動的に停止できる車を使用するなどのアドバイス本としてさきほど紹介した本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版』
『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)でした。単純にいうと「ゆとりある運転」のことです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されていました。加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をするのです。
長谷川さんの本にも、松浦さんの本にも、運転免許の返納について書いてあります。長谷川さんは車の運転が好きでしたが、80歳になったころ、小さな接触事故をするようになったことがきっかけになって運転免許証を返納されています。
認知症に関する絵本づくりのことが書いてあります。
先日読みました。『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』心優しい内容でした。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてありました。おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
認知症になられた長谷川さんご本人の認知症の状態のことが書いてあります。
自宅近くの幹線道路を渡っているときに道のまんなかあたりで転倒してしまった。通りかかった車の人に助けてもらった。近所の人にも世話になった。地面に顔を打ち付けて、血だらけになっていたとのことです。けっこうひどい状態だったそうです。近所付き合いがあったので、近所の人たちに助けてもらえたと感謝されています。
認知症の治療についての苦悩が書かれています。認知症を治せないのです。
完治する薬はないのです。医療の無力さで悩まれています。なにせ、ご自身の認知症も治せない自分自身が認知症担当の医師なのです。
薬のことが書いてあります。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症患者に使う『アリセプト』について、症状の進行を抑制するだけとあります。
熊太郎は株式投資をしているのでわかるのですが、今年話題になったアルツハイマー型認知症の薬でエーザイの『レカネマブ』も同様です。
脳みその中にできてしまう『アミロイドβ(ベーター)』とか『タウ』と呼ばれる特定のたんぱく質が神経細胞を殺しているそうです。
本を読んでいると、長谷川さんの熱意が伝わってきます。
後輩医師に対して、厳しい面もあるお人柄だったようですが、周りの医療従事者(看護師)の思い出話を読むと誠実なお人だったことがよくわかります。患者は権威ある医師の指示には弱いのです。看護師の指示には従わなくても主治医の言うことはきくという人間的な話が書いてあります。
担当する入院患者全員に朝のあいさつをされていたそうです。信頼関係を築くためでしょう。
『第7章 日本人に伝えたい遺言』
ご自身の認知症の状態を説明されています。
日にちがわからない。午前中はいいけれど、午後からは疲れてもやもや状態になる。
買い物をしてお金を払ったのに、払ったことを忘れてしまう。情けなくもどかしい。
朝食と床屋が好き。映画と読書が好き。ほかに、音楽がお好きだそうです。
宗教に頼ることが書いてあります。長谷川さんはキリスト教徒です。
意識不明になっているように見える人の意識のことが書いてあります。
意識はあるのです。
熊太郎が二十代のときに内臓の病気になって入院した時、全身がだるくて、背中に2トンぐらいの岩がのっかっているような気分になったことがあります。朝、意識はあるのですが、家でも病院でも寝床の中で身動きができません。寝返りも打てず、まぶたを開けることもできません。でも、意識はあるのです。まわりで話をしている人の声は聞こえます。でも、声を出すことができません。そんな状態から40分ぐらいたつとようやく体を動かせました。そんな体験をしたことがあります。ゆえに、病人が動けない状態のときでも、まわりでしゃべっている人の声は本人に聞こえているので、けして、本人の悪口などは言わないほうがいいです。
こちらの本にも似たようなことが書いてあります。
生かされている状態だけになったら延命治療はしないでほしいとあります。(同感です)
認知症だから本人はなんにもわからないというのは誤解ですとあります。わかっているけれど対応ができないのです。
健康のためとして、食事を三食きちんと食べること。あまり脂っこいものやコレステロールの高いものはとらないこととあります。
宗教が心の支えになるとあります。長谷川さんは、第二次世界大戦のときに東京大空襲を体験されて、さらに沼津大空襲を体験されて、心のよりどころがほしいと思って洗礼を受けられたそうです。
熊太郎が自分なりに考えると、『神さま』というものは、自分自身の胸の中(心の中)にあって、自分で自分を信じて考えて、次の進路を選択して、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあるしで、毎日を過ごしていけたらいいと思っています。自分自身が『神』だからだいじょうぶだと自信をもてばいいと思っています。それで、だめなときは、あきらめるだけです。すべてがうまくいく人生なんてないのです。
死ぬことは怖いことだから、認知症になることによって、死の恐怖心を和らげてくれている(やわらげている)という考えをお持ちだそうです。(なるほど)
今年読んで良かった一冊でした。
本は、『二〇一九年十月に記す』で終わっています。
先日は同作者の絵本『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』を読みました。こんどはこちらの本を読んでみます。
(1回目の本読み 全部のページをゆっくり最後までめくってみました)
『はじめに』の部分に、『みなさんは「長谷川式簡易知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)という言葉をお聞きになったことがありますか?』と問いかけがあります。
わたしは体験したことがあります。絵本のところで書いた感想メモの一部を再掲します。
『 熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。
数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。
検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。
そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。
半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。』
『(もうひとつ、絵本の中の記述として)「ぼく」が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
「ここはどこ? あなたはだれ?」と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。』
こちらの本の感想メモに戻ります。
目次です。『第1章 認知症になったボク(医者も人間です。認知症にもなるし癌にもなります)』
112ページに、長谷川式で、『「93から7を引く」は間違い』とあります。100から7を順番に引いてください。から始まって、100から7を引いたあとの質問は、「そこからまた7を引いてください」と問うそうです。熊太郎が受けたときはどう聞かれたのか記憶が残っていませんが、かなり時間がかかって、医師に、絶対答えを出すから教えないでくださいと言った記憶はあります。かなり時間がかかりましたが、答えはたぶんあっていたと思います。86です。
150ページに『クルマの運転(高齢者が加害者になる死亡事故が絶えません。以前読んで参考になった本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版 2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』
まずは、自分自身が道を歩くときは、もしかしたらお年寄りの運転する車が自分に向かって突っ込んでくるかもしれないと警戒しながら歩いたほうが良さそうです。
長谷川さんのこちらの本では、長谷川さんが車の運転が好きなことが、まずは書いてあります。でも運転はやめたそうです。
153ページに絵本づくりのことが書いてあります。熊太郎は、絵は描けませんが、文章はかけるので、いくつかのこどもさん向けのお話はつくりました。
168ページにアリセプトというお薬の説明があります。レビー小体型認知症の効果があるそうです。続けて薬の副作用の説明があります。また、アルツハイマー型認知症の原因が、アミロイドβ(ベータ―)やタウというたんぱく質と書いてあります。
後半で、読書を趣味にするお話が書いてあります。
老いの準備(死を迎える準備)、宗教的なこと、死をじょうずに受け入れることなどが書いてあります。そして、老衰のためお亡くなりになっています。
最後は編集者の方の解説です。
(2回目の本読み)
『はじめに』
記述にある有吉佐和子小説作品『恍惚の人(こうこつのひと) 新潮社』は読んだことがあります。映画も見ました。たいへんなのです。ようやく亡くなったと思った当時で言えばボケ、あるいは、痴ほう老人が映画では、息を吹き返すラストなのです。
1974年(昭和49年)公表のお話です。まわりの人たちがぐったりして終わるのです。
小説の方は、最後は静かな時が訪れます。以下は小説を読んだときの自分の感想メモの一部です。
『夫の父のめんどうをみるお嫁さんの苦労と自分や夫も認知症になるのではないかという不安と怖れ。厳格でわがままだった夫の父が幼児へと回帰する。自分のこどもたちの顔と名前を忘れる。さらに話は進み近所の高齢者女性から恋愛攻勢を受け始めたところまできました。老いたというのに妖艶なしぐさの女性。さて、人はどのように老いていくべきなのかを考えるのです。 後半部分はまるで別のお話のようです。最後には静かな平和が訪れます。「老いる」ということについて考えさせられました。』
こちらの長谷川さんの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。
2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。(この部分の文章は、2020年(令和2年)になるころに書かれています。著者は、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています)
長谷川さんの予測では、2025年(令和7年)に認知症患者の割合は5人にひとりだそうです。高確率です。自分は当たらないという保証はありません。
ご自分の認知症を分析しておられます。
波がある。朝はしっかりはっきりしている。調子がいい。だんだん疲れてきて、夕方になると頭の中が混乱する。
『第1章 認知症になったボク』
2016年(平成28年)からおかしくなった。目的地にたどり着かない。今日が何月何日かわからない、今日の予定もわからない……
文章中に小さいゴシック体で書かれている部分はご本人の言葉ではないのでしょう。説明、解説文章が付記されています。
1963年(昭和38年)のとき100歳以上は日本で153人だった。2019年(令和元年)では、7万1274人(うち女性が6万2810人)とあります。とても増えました。
高齢になればだれでも認知症になる。100歳を過ぎるとほとんどの人がなるし、今元気でも歳を重ねれば必ず認知症になるそうです。
認知症になった人の言葉として、『なぜ自分なのか(自分はならないと思いこんでおられた)』(なったものはしかたがないと考える)というアドバイスがあります)
『ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。』(意外です)
ご本人の病気は、『アルツハイマー型認知症』ではなく、『しぎんかりゅうせいにんちしょう「嗜銀顆粒性認知症』という病名だそうです。
著者の言葉として、『少なくとも、認知症であることをさげすんだり、恥ずかしいと思わせてしまったりする社会であってほしくはありません。』とあります。ごもっともです。
『第2章 認知症とは何か』
この部分は、著者が認知症になる前に発表されたことも加えて書かれています。ゆえに、しっかりした学問の文章です。
この認知症の定義の部分を読んで、認知症の分析とか、考察は、けっこうむずかしいと感じました。『成年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』とあります。
脳の神経細胞が、外傷、感染症、血管障害などさまざまな原因で障害を受けたときに起きる。
脳の神経細胞同士のつながりがなくなり、働かなくなる。(機能しなくなる)
「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、出かける準備をして、後片付けをして、掃除や洗濯をして……」が、できなくなる。手順がわからなくなるのでしょう。
読んでいて、思うのは、家族がいない人が認知症になったら、どうなるのかということです。ちょっと恐ろしい。(おそろしい)
病気になった本人に自覚がありません。
アルツハイマー型認知症:アロイス・アルツハイマー(1864年-1915年)ドイツ精神科医が最初に症例を報告した。
脳を解剖した。萎縮、細胞の脱落、シミ状の斑点、繊維のもつれが見つかった。アミロイドβ(ベーター)というたんぱく質が沈着していた。
記憶障害:もの忘れ
見当識障害:時間や場所がわからなくなる。
重度になると、自力での食事、着替え、意思疎通ができなくなる。
座ることができなくなり、寝たきり、意識低下、昏睡状態、死という経過をたどっていく。
48ページに図と解説があります。
67.6%が、アルツハイマー型認知症です。19.5%が脳血管性認知症です。4.3%がレビー小体型認知症です。ほかに前頭側頭方認知症とかアルコール性などがあります。
幻視について書いてあります。熊太郎も脳の具合が悪くなった時に幻視をたくさん見ました。そのときに、これは記録に残しておいた方がいいと思って、見えたものを記録したメモが残っています。その記録からピックアップしてみると、次のようなものが見えました。
『 最初に、視界に入って来たのは、「1→2→3→4→〈ちなみに矢印→は見えない〉」と続く数字の世界だ。次に視界に入って来たのは、「A→B→C→D→」と順番に続くアルファベットの世界」だ。〈念のためアルファベットについても、矢印は見えていないと付記する〉
わたしはベッドで仰向けになって、天井や壁に映し出される数字とアルファベットという記号の世界を見ている。目を閉じてもその世界は目の前から消えてくれない。
わたしは長時間、そういう言葉のない世界をさまよう。深夜の暗い病室で、ベッドの上で、じっと目を閉じてまぶたの裏側で展開される数値とアルファベットの動きを見ている。
閉じたまぶたの裏側で数字とアルファベットが回転していく。ぐるぐるぐると、1・2・3・4、A・B・C・Dと変わってゆく。
次から次へと、単語が目の前の空間に浮かぶ。問題が提示されて解答が示されるパターンだ。
3Dというのだろうか、縦、横、奥行きのある立体図で問題や課題が流れ出てくる。矢印やその幅で、課題の解決困難さの分量や難易度が表示される。
図形は、分離されたり、合体されたりして、解答という立体図形に形を変えボールのように返ってくる。返ってきたら、課題の解決策提示は、そこで終わりだ。』
『 午前3時だ。薄暗い病室のベッドに寝ていると天井、そして、ベッドの左側の壁、右側の閉じたカーテンに、あるものが現れた。
それらは左方向から出てきた。もともと、天井と壁とカーテンには何も書かれていない。白い天井と壁である。ベージュ色をしたカーテンである。ベッドを回りこむ形式で設置された遮断の役割をもったカーテンだ。
念のために手を伸ばして壁にある電灯のスイッチを押して病室を明るくもしてみたが、天井にも壁にもカーテンにも何も書かれていない。白い壁、ベージュのカーテン、ただ一色のものだ。
左方向から視界に入って来たのは、「横書き漢字の群れ」である。それも、リズムにのって右へ出たかと思うと左へ引っ込んでしまう。出たり引っ込んだりしながら、漢字の群れがわたしのご機嫌を伺う。
漢字のひと文字は、大きかったり、小さかったりする。さらに、ひらべったかったり、角が丸まっていたり、角張っていたりする。文字の字体とか、大小は「ポイント」と呼ぶのだろう。
目の前に現れたのは、見たこともない漢字ばかりだ。自分の脳のデータにこのような情報が入っているのかと驚愕する。
遠慮がちに、出ようか、出まいかしていた漢字群が、いっきに激しく動き出した。左から右方向に向けて踊るように上下左右に動き、体を揺らしながら右方向へ川の流れのように流れ出した。力強く勇壮な流れだ。圧倒される。
長い時間、漢字群は目前から消えてくれなかった。ようやくシーンの転換時期は訪れた。次は、青白映画〈白黒映画ではなく青白映画〉映像は、ヨーロッパ映画の世界だ。』
異常な体験の時間帯が長引いている。これまでの漢字字体オンパレードに代わって登場したのは、無数のムービースクリーンだ。それらは美しい。キラキラと耀いている。同時に寒気に襲われる。どのような風景、光景が映し出されたとしても、氷の冷たさが体にしっかり伝わってくる。
〈わたしは、やっぱり、このまま死んでしまうのかもしれない。お迎えが近そうだ〉
横長スクリーンの量は半端な数ではない。大きいものから小さなものまで、なかには、巨大なスクリーンも出てきて、次々と現れては消えていく。まるで、打ち上げ花火のようだ。
映し出されるのは、実際には見た体験のないヨーロッパの北の海だ。実際に見たことはないが、昔観たドイツ映画のシーンと同じだ。青緑色をした力のこもった大波が砂浜でできた岸に向かって寄せては返していく。波にもまれているのは大木の樹木だ。砂浜に立って、左手を振り返ると、砂浜や海岸線を横切る防風樹林帯が見えた。
大空から地上を見下ろす空撮は、昔、国内開催二度目の万博会場にあったパビリオンで見た中欧の街並み風景に似ている。(愛知万博です)
映画のスクリーン群は、さきほど見えた漢字文字とは異なる動きをしている。漢字文字は、左から右へと小川のように、ときには大河のように流れ続けていた。対して青白ムービーは、浮かんでは消えていく。点滅するような動きで、無数の風景が転換し続ける。
特徴は、人物映像がひとりも出ないことだ。建物群の風景ばかりが続く。人間がいないということは、人類が絶滅したということだろう。まさか、人口(じんこう。人数)の全員が家を留守にしているわけではあるまい。主(ぬし)の居ない、からっぽの家ばかりが並んでいる。
*
次に姿を見せたのは、ニワトリのヒナであるところの「ひよこくん」だ。さきほどまで、視界に広がっていたスクリーン群が消えると、天井に黒いふたつの穴が見えた。
あとで知ったことだが、それは穴ではなく、突き出たスポットライト〈ごく小さな電球〉部分であった。しかし、わたしには、照明器具には見えなかった。ニワトリのヒナであるひよこくんに見えた。
まず、その丸い形がひよこの左片方の羽に見える。その羽に足が出て、首が伸びて、顔がついた。いわゆる幻視である。ひよこくんは動き出す。それも1羽ではない。スポットライトは2個並んでいたから2羽のひよこくんがふたごのように並んで、同一方向へ行ったり戻ったりする動きを始める。〈可愛い(かわいい)〉ファンタジーだ。心がほかほかになる。
天井には照明のほか、よくわからないが、なにかをひっかけるフック〈鉤かぎ〉とか、細かな水滴が出るスプリンクラーの吹き出し口とか、今はもう忘れてしまったけれど、なんやかんやの物体が設置されていた。
今やそれらすべてに羽が生え、足が出て、ひよこくんとなり、天井や壁をところ狭しと動き出した。
ダンスのパフォーマンスだ。バックにミュージックという幻聴まで聴こえだす。楽しい。とっても楽しい。たぶん人間が死ぬ瞬間に体験するであろうタイミングのちょびっと前の光景をわたしは今、観ている。
死ぬ気はないけれど、テーマパークのアトラクションのようなこの風景は、まだずっと、ながめていたい。
*
図形でものごとを考える。ひよこくんたちの世界が終わると、今度は図形の世界が訪れた。
矢印〈↑・↓・←・→)は、目標を指している。その太さと面積は〈⇒〉という形で、形状によって、「思い」の「量」を表している。視界にあるのは矢印、そして、矢印のうしろにくっついてつづく四角〈□〉い面だけだ。言葉や単語の類〈たぐい〉はない。頭の中で、理論展開をするときに文字はいらない。
展開するのは、ものごとの考え方だ。図は、大小さまざま、色は複数、事柄を図に変換して、イメージでとらえて結論を導き出す。
わたしの脳血管障害による脳内の出血状態は、頭蓋骨に穴を開けたあとの手術後、脳の中をめまぐるしく働かせていた。
その分、首から下は死んでいるも同然だ。体中の血液のほとんどが、脳みそに集中している。
今このときこの脳みそは充実の時を迎えた。天才の頭脳というのは、このようになっているのではないか。天才というのは、何でも一度見ただけで写真撮影したあとのように正確な記憶が脳の一部分に残される。そして、記憶は正しくスピーディに復活する。
物事を考える時に、余計なもの〈感情、気持ち〉を最初からどかして、考えることができる。
「美」の形成に向けて、音や、色や、形をつくることができる。歴史を飾ってきた偉人たち、天才たちの脳はきっとそのようにできあがっている。
その能力と引き換えに、奇異な行動や偏った言動が残る。あるいは現れる。
脳を科学する。そんなフレーズがある。今のわたしは、自らの脳を科学している。
*
時間は流れた。ついに、ここまでたどり着いてしまった。それは、「霊感」である。怖くはない。
感じる。夜の病室に、いや、昼間でも。病室にだれかがいる。しかし、そのだれかの姿は見えない。
感じる。この病室で、病気とケガで亡くなった人が、天国へ行けずに、思いをこの世に残したまま、まだこの部屋の中にいる。
あそこと、むこうと、すぐそこにいる気配がある。黒い影のような気配があるが、実際はなにも見えない。怖くはない。事実としてとらえる。無の中の在り〈あり〉だ。
姿は見えないが、音が聞こえる。ページをめくる音だ。週刊誌のページをめくっている。もうひとりは、新聞紙のページをめくっている。めくる音ははっきり聞こえる。しかし、その方向に人の姿はない。
これは、暗い夜だけではない。明るい昼間でも起こる現象だ。音が聞こえる。姿は見えない。試しに付き添いに来ていた家族に聞いてみた。
「聞こえるでしょ?」
「聞こえる」という家族の返事だ。聞こえる方向は、カーテンで仕切られただれもいないベッドだけの空間である。ページをめくっている人物の姿が見えるか見えないかは聞かない。怖がらせたくない。家族は、そこに患者がいると思っている。だけど、本当はだれもいない。
これが、今、わたしがいる世界だ。風が吹いている。風の吹く音が聞こえる。
死ぬときの状態として、三途の川(さんずのかわ)の二、三歩手前にいる。だけど、わたしは、手術後だから、命は助かっているはず。「死ぬ」という到着点はあり得ない。だから、安心していい。何度もそう自分に言い聞かせている。
術後でも、死ぬ患者がいるということに気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。
*ずいぶん長い記述です。もう何年も前のことですが、一時期自分はすごい世界にいたのだと改めて驚きました。
52ページ、こちらの長谷川さんの本では、わかりやすい文章が続きます。
54ページに、認知症の要因となる病名がたくさん書いてあります。熊太郎が、り患した病名もあります。り患:病気にかかること。
62ページに強調されたポイントがあります。『認知症の予防は、「一生ならない」ことよりも、いかに「なる時期を遅らせられるか」が重要になります。』(認知症になることを止めることはできないと理解しました)
『第3章 認知症になってわかったこと』
(認知症になった長谷川さんご自身について)意識が混乱する状態に波があると説明されています。
朝起きてから午後1時ぐらいまではだいじょうぶ。そのあと、頭がおかしくなるそうです。自分が今どこにいるのか、今何をしているのかがわからなくなるそうです。
認知症患者のご希望として、(自分を)あちら側の人として、おいてきぼりにしないでほしい。
認知症患者に、わからないだろうということで、平気でひどいことを言う人がいるが、ちゃんと聞こえているし、言われた言葉を理解もできている。
『こうしましょう』ではなく、『今日は何をなさりたいですか?』と話しかけられたい。あわせて、『きょうは、なにをなさりたくないですか?』ともたずねてほしい。
なにをするにしても時間がかかるから、『待つ』とか『聴く(きく)』という姿勢で対応してほしい。
認知症になっても、心の動きは変わらない。嫌なことを言われれば傷つくし、ほめてもらえば嬉しい(うれしい)。
『笑い』が大切。
パーソン・センタード・ケア:たとえば、倒れているこどもをかかえて起こすのではなくて、自分もいっしょに倒れた姿勢になって、こどもに、「起きようね」と声をかけて、ふたりで起き上がることとあります。
認知症の人を部屋に閉じ込めない。薬を飲ませておとなしくさせないことが原則という趣旨の記述があります。
著者は二泊三日の老人ホームのショートスティを利用されています。本当は、行きたくないけれど、介護をしてくれる奥さんを休ませたいから行くと、その理由を記述されています。家にいると生活臭があるのがいい。電話が鳴ったり、宅急便が来たり、近所の人の声が聞こえたり、そういったことで気持ちが安定するそうです。
認知症の人にウソを言わないでほしい。だまさないでほしいとあります。
普通に接してほしい。
『第4章 「長谷川式スケール」開発秘話』
『長谷川式簡易知能評価スケール』の誕生話です。
1974年(昭和49年)公表、1991年(平成3年)に改訂版発表です。
最初の公表時にあった質問として、『日本の総理大臣の名前』『大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦年』『1年間の日数』があったことは知りませんでした。
1 『記憶』を調べる。 2 『見当識(時間と場所)』を調べる。 3 『計算力と注意力』を調べる。 4 『記銘力(きめいりょく。記憶の第一段階。学習したことを覚えこむ)』 5 言葉がスラスラと出てくるかを調べる。
読んでいて視力検査と似ているなと感じました。見えているものは、見えているし、見えていないものは見えていない。あいまいさの排除です。
著者の恩師として、『新福尚武先生(しんふく・なおたけせんせい)』慈恵医大教授。精神病理学、老年精神医学の大家(たいか。その分野で特に優れた人)
著者は、1956年(昭和31年)にアメリカ合衆国ワシントンへ留学されていますが、船旅、鉄道旅です。ハワイ経由でアメリカ合衆国西海岸サンフランシスコまで2週間かかっています。そこから東海岸にあるワシントンまで鉄道です。1ドルが360円だったとあります。現在は147円ぐらいです。
言葉(英語)が通じないし、わからなくて、困ったとあります。なんとか克服されています。
『第5章 認知症の歴史』
たくさんの調査をしたことが書いてあります。
1973年春(昭和48年)からの調査で、認知症の人たちが、納屋に閉じ込められています。寝たきりの人の横には、おにぎりが置かれていたりもします。認知症の人は、「役立たず」「家の恥」扱いです。
認知症の人の意見を聴く耳はありません。閉じ込められたら、だれでも、出してくれーーと大声をあげてあばれるでしょう。
ようやく、「アルツハイマー」という言葉が世に出てきます。
2000年に介護保険制度がスタートします。
痴ほうは、「あほう」「ばか」という相手を見下しばかにする言葉です。痴ほうに変わる言葉として「認知症」が適切と検討会で報告が出た。
蓋然性(がいぜんせい):確実性の度合い。確からしさ。
『第6章 社会は、医療は何ができるか』
認知症になった人がしてはいけないこととして、『クルマの運転』が提示されています。当然です。被害者は、やられ損になってしまいます。被害者になって命まで奪われても、運転をしていた加害者である認知症の人は、お詫びの態度もないようすだったりもします。
高齢者ドライバーの運転はやめたほうがいいとか、安全に自動的に停止できる車を使用するなどのアドバイス本としてさきほど紹介した本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版』
『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)でした。単純にいうと「ゆとりある運転」のことです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されていました。加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をするのです。
長谷川さんの本にも、松浦さんの本にも、運転免許の返納について書いてあります。長谷川さんは車の運転が好きでしたが、80歳になったころ、小さな接触事故をするようになったことがきっかけになって運転免許証を返納されています。
認知症に関する絵本づくりのことが書いてあります。
先日読みました。『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』心優しい内容でした。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてありました。おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
認知症になられた長谷川さんご本人の認知症の状態のことが書いてあります。
自宅近くの幹線道路を渡っているときに道のまんなかあたりで転倒してしまった。通りかかった車の人に助けてもらった。近所の人にも世話になった。地面に顔を打ち付けて、血だらけになっていたとのことです。けっこうひどい状態だったそうです。近所付き合いがあったので、近所の人たちに助けてもらえたと感謝されています。
認知症の治療についての苦悩が書かれています。認知症を治せないのです。
完治する薬はないのです。医療の無力さで悩まれています。なにせ、ご自身の認知症も治せない自分自身が認知症担当の医師なのです。
薬のことが書いてあります。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症患者に使う『アリセプト』について、症状の進行を抑制するだけとあります。
熊太郎は株式投資をしているのでわかるのですが、今年話題になったアルツハイマー型認知症の薬でエーザイの『レカネマブ』も同様です。
脳みその中にできてしまう『アミロイドβ(ベーター)』とか『タウ』と呼ばれる特定のたんぱく質が神経細胞を殺しているそうです。
本を読んでいると、長谷川さんの熱意が伝わってきます。
後輩医師に対して、厳しい面もあるお人柄だったようですが、周りの医療従事者(看護師)の思い出話を読むと誠実なお人だったことがよくわかります。患者は権威ある医師の指示には弱いのです。看護師の指示には従わなくても主治医の言うことはきくという人間的な話が書いてあります。
担当する入院患者全員に朝のあいさつをされていたそうです。信頼関係を築くためでしょう。
『第7章 日本人に伝えたい遺言』
ご自身の認知症の状態を説明されています。
日にちがわからない。午前中はいいけれど、午後からは疲れてもやもや状態になる。
買い物をしてお金を払ったのに、払ったことを忘れてしまう。情けなくもどかしい。
朝食と床屋が好き。映画と読書が好き。ほかに、音楽がお好きだそうです。
宗教に頼ることが書いてあります。長谷川さんはキリスト教徒です。
意識不明になっているように見える人の意識のことが書いてあります。
意識はあるのです。
熊太郎が二十代のときに内臓の病気になって入院した時、全身がだるくて、背中に2トンぐらいの岩がのっかっているような気分になったことがあります。朝、意識はあるのですが、家でも病院でも寝床の中で身動きができません。寝返りも打てず、まぶたを開けることもできません。でも、意識はあるのです。まわりで話をしている人の声は聞こえます。でも、声を出すことができません。そんな状態から40分ぐらいたつとようやく体を動かせました。そんな体験をしたことがあります。ゆえに、病人が動けない状態のときでも、まわりでしゃべっている人の声は本人に聞こえているので、けして、本人の悪口などは言わないほうがいいです。
こちらの本にも似たようなことが書いてあります。
生かされている状態だけになったら延命治療はしないでほしいとあります。(同感です)
認知症だから本人はなんにもわからないというのは誤解ですとあります。わかっているけれど対応ができないのです。
健康のためとして、食事を三食きちんと食べること。あまり脂っこいものやコレステロールの高いものはとらないこととあります。
宗教が心の支えになるとあります。長谷川さんは、第二次世界大戦のときに東京大空襲を体験されて、さらに沼津大空襲を体験されて、心のよりどころがほしいと思って洗礼を受けられたそうです。
熊太郎が自分なりに考えると、『神さま』というものは、自分自身の胸の中(心の中)にあって、自分で自分を信じて考えて、次の進路を選択して、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあるしで、毎日を過ごしていけたらいいと思っています。自分自身が『神』だからだいじょうぶだと自信をもてばいいと思っています。それで、だめなときは、あきらめるだけです。すべてがうまくいく人生なんてないのです。
死ぬことは怖いことだから、認知症になることによって、死の恐怖心を和らげてくれている(やわらげている)という考えをお持ちだそうです。(なるほど)
今年読んで良かった一冊でした。
本は、『二〇一九年十月に記す』で終わっています。
2023年11月29日
さみしい夜にはペンを持て 古賀史健
さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社
売れている本だそうです。読んでみます。
31ページまで読んでみました。
中学校の教室の中の世界です。海の生き物に擬人化してあります。
タコジロー:主人公男子。中学三年生。時期としては、卒業まであと半年ぐらい。タコジロー少年は気弱です。地味。帰宅部。 いじめっ子の策略による投票で、体育祭での宣誓役を押し付けられて悩んでいます。緊張すると顔が真っ赤になるからタコジローです。ゆでダコジローとからかわれる。
ヤドカリのおじさん:白い殻(から)のヤドカリです。タコジロー少年のアドバイザー(助言者)役でしょう。タコジローと師弟関係になりそうです。10日間の出来事でタコジロー少年は救われたとあります。『永遠みたいなひとりの夜をどうすごせばいいのか』をヤドカリおじさんが教えてくれた。『さみしい夜にはペンをもて』です。
以下、クラスメートとして
ウツボリとアナゴウ:タコジローと同じく帰宅部。冴えない(さえない)
トビオ:元気な少年
イカリ:サッカー部元キャプテン。イカリとタコジロー少年は、小学生のときは仲が良かったが、中学生になってからふたりに距離感ができた。(ふたりが卒業したあと、小学校は廃校になった)
カニエ先生:担任教師
フグイ:ソフトボール部。女子
アジキリ:駅伝部。学級委員
キンメダイのおばあさん
クラゲ
サヨリ先生:保健の先生
目次に目を通しました。
自分だけのダンジョン:ダンジョンは、『地下牢(ちかろう)』(あとでわかりましたが、ロールプレイングゲームRPGの世界のことを示しています。冒険の場所です)
出来事ではなく「考えたこと」を書く。
どんな文章にも、読者がいる。
手紙のようにメモを書く。
どうすれば日記から愚痴(ぐち)や悪口が消えるのか。
どうして日記は長続きしないんだろう?
タレントのさかなクンの本みたいです。
絵があります。「うみのなか中学校」「シロサンゴの森」「うみのなか市民公園」「病院」「イソギンチャクの草原」「アカサンゴの森」(これもまた、読み終えて理解しましたが、うみのなか中学校は、海の中にあるのです)
孤独な出だしです。
『うみのなか中学校に、タコはぼくひとりしかいない……』(ひとりぼっちなのか)
シーチューブ:ユーチューブのことか。
中学校には、弱い者いじめがありそうです。
海の中の世界ですが、路線バスに乗って中学校に行きます。(私立中学校なのだろうか。通常は徒歩圏内に中学校があります)
タコジロー少年は学校をずる休みです。登校拒否児になりそうです。
うみのなか市民公園で、タコジローは、ヤドカリのおじさんと出会って、ヤドカリのおじさんの世界へと導かれる。クラゲはヤドカリおじさんの仲間です。
シェルフォン:スマートフォンのことでしょう。
キーワードとして、『……タコジローくんの部屋だって、ほんとはこれくらい広いはずだよ(ヤドカリおじさんの部屋はとても広い)』
『1章 「思う」と「考える」はなにが違う?』
空想をめぐらせながら読む読書になりました。
ヤドカリおじさんの殻の(からの)中は、無限に広い空間が広がっているようです。
そこは、『頭の中』だそうです。なんとなくわかるような気がします。頭の中は無限です。それなのに人間は狭い領域で暮らそうとします。お金を稼いで生活しなければならないからでしょう。
ヤドカリおじさんから助言があります。『ことばにすることのよろこび』だそうです。それから、『自分に相談する』『ぼくたちは「消しゴム」を持っている(書いては消しを繰り返すことができる)』
コトバクラゲというのが出てきます。
コトバクラゲは、コトバミマン(言葉にならない思い)の泡を集めて『ことば』に変えて、出口へ運ぶそうな。出口は、人間でいうところの『口(くち)』です。
哲学書のようです。人はどうあるべきか。どう生きるかです。
『2章 自分だけのダンジョンを冒険するために』
中学生向けのメッセージ文章です。
『ダンジョン(地下牢)』の表現がピンときません。わかりにくい。(どうも、ゲームの設定のようです。調べたらRPGゲームソフトというものを見つけました。ロールプレイングゲームです。ダンジョンは、「冒険が行われる場所」とありました)
パターンとしては、昔読んだことがある『夢をかなえるゾウ』を思い出します。
『夢をかなえるゾウ 水野敬也(みずのけいや) 飛鳥新社』
登場人物は「僕(なまえはない)」と「ガネーシャ(象の姿かたちをしたインド出身の関西弁の神様」だけです。途中、富士急ハイランドで釈迦が登場しますが彼の出番は長時間ではありません。
ふたりの関係は、「ドラエもん」のドラエもんとのび太、「ヒカルの碁」のヒカルと佐為(さい)のようです。先生役であるガネーシャはいささかいいかげんです。たばこは吸うわ、くいしんぼうのメタボで、うそつきです。とても神様とは思えません。ときにふたりのやりとりは夫婦げんかのようでした。
こちらの本『さみしい夜にはペンを持て』では、ヤドカリおじさんが、ガネーシャのポジションを果たしそうです。
日記を毎日書く。
出来事ではなく「考えたこと」を書く。(熊太郎は中学生のころからの習慣で日記を書きますが、いまどきは、いつどこでなにがあったかの記録を箇条書きするだけです。考えたことを書くのは、青春期にありました。もう今は老齢期で、考えることは少なくなりました)
学生だった頃、提出する文章を書く時は、ウソを書いていた。(ありがちです)
ほめてもらうことが目的だった。
おとなの顔色をうかがって、おとなに好まれる文章を書いていた。
『へんなこと』は書いちゃいけないと思っていた。
その気持ちが、『考えること』を奪っていた。(真実を指摘してあります)
自分の気持ちと書いたことに距離感があった。(ウソを書いていた)
よくある書き方の手法として、『おもしろかった』が提示してあります。中身がない表現です。
例示として、太宰治作品『走れメロス』をもじって、『泳げメロス』という作品が出てきます。
話は進んで、『言葉の暴力』に関する説明があります。
言葉は、相手の気持ちを傷つけることができる。
『面倒くさい』から、口論をする。大声で怒鳴った者が勝ったりする。(コスパがいい。手間を省ける。効率的。費用対効果)
基本は、ていねいに論理的に説明する。
『さみしさ』について考える。
こどものさみしさとおとなのさみしさは違う。
こどものさみしさは、そばにだれもいないさみしさである。
おとなのさみしさは、そばにたくさん人がいても、自分はひとりだというさみしさだ。ときには、ひとりきりになりたいという欲望も生まれる。心が疲れているからひとりになりたい。自分のまわりに人がいると、自分が自分ではない自分のような者を演じていて疲れると読みとれます。
『書くことでひとりになる』
『ダンジョン(地下牢)=自分』
『最大の謎は「自分」』
たとえがダンジョンです。わかりやすそうで、わかりにくいダンジョンです。
自分で自分を好きになる。ありのままの自分を好きになる。「アナと雪の女王」みたいな気持ちだろうか。
『話せばスッキリする』続けて、『書けばスッキリする』という展開だろうか。
『3章 きみの日記にも読者がいる』
読者というのは、最低限のこととして、『自分自身』です。もっと説明を加えると、『未来の自分』です。納得します。なるほど。
登場人物の『ぼく』は、中学校でいじめられている。『タコ』と呼ばれている。学校に行きたくないと思っている。ひきこもりになりそうとあります。タコジロー少年です。
白い殻のヤドカリおじさんは、今度は、ピンクの殻で再登場します。
登校拒否気味のタコジロー少年を、『シロサンゴの森』に誘います。
日記を書く。
『文章ってね、書こうとすると書けなくなっちゃうんだよ』
文章の書き方の教えがあります。スケッチするように文章を書く。『あの時の気持ち』を書く。
(このあたりは、技術的な話で、最初はそうであっても、慣れてくると『いまの気持ち』を書けるようになると考えました)
思うに、文章というのは、スポーツ系の運動と同じで、だれしもが書けるわけではない。生まれもった能力、才能ということはあります。
書きながら自問自答する。
これはこうだと決めつけない。
いつだって、バックできる。
変更はいつだってできる。
どこのだれだかわからない人のアドバイスはあてにならない。
自分で考える習慣を身に着けるために、『書く習慣』を身に着ける。
『言い負かす=勝つこと』というやり方はしないほうがいい。
同じようなことが、先日読んだ本にも書いてありました。
『恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン 野津智子・訳 村瀬俊朗・解説 英治出版に 『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない(自分の間違いに気づける人間になる)』とありました。
『人と人とをつないでいるロープの姿は、「言葉」である』
タコジロー少年は、10日間、日記を書き続けることにしました。
次につながる出来事として、『だれかが、タコジロー少年とヤドカリおじさんの姿を盗撮しました』
タコジロー少年が3日ぶりに中学校に行く。(少年は、体育祭で、選手宣誓をやりたくない。いじめの結果、選手宣誓を押し付けられた。そんなことが中学校に行きたくない理由です)
イカリがけがをして入院した。タコジロー少年は病院へ見舞に行った。
イカリが、トビオが、たこ少年をからかう理由を話す。
トビオには、プレッシャーがある。自分はおもしろいことを言わなきゃいけない立場にあるというプレッシャー(圧力、緊張感、義務感)をもっている。
『4章 冒険の剣と、冒険の地図』
アカサンゴの森へ行く。(イソギンチャクがたくさんです)
『書くことが楽しくなる方法=キーワードは、「表現力」』
ボキャブラリー:たくさんの言葉を知って使いこなす。
『スローモーションの文章』と『早送りの文章』
夏目漱石作品『吾輩は猫である』にひっかけて、『吾輩はウニである』という文章があります。
『すり抜けていく感情をキャッチする網が、言葉』
『ノートの目的は、「写す」ことではなく、自分の考えを書くこと』
読みながら自分が思ったこととして、『過去のことについて、自分が覚えていることでも、ほかの人は覚えていないことがある。「関心」というものは、人によって異なる』
『スイムダンク』は、マンガ『スラムダンク』にひっかけてあるのでしょう。
ダンジョンを冒険する話です。
ひきこもりの状態にあるこどもを励ます本ですが、ダンジョンでの楽しみを知ると、さらに引きこもり状態が続いてしまうような感じもします。
『タコっち』イカリが、タコジロー少年をそう呼びました。なにか意味があります。(小学生時代のあだなだそうです)
クラスの進行方向は、リーダーが決めているのではなくて、ナンバー2の人物が決めているのではないかと分析がとあります。
『5章 ぼくたちが書く、ほんとうの理由』
知っていても言えないことがある。
世の中は、誤解と錯覚で成り立っている。そんなお話です。
先日観た邦画『勝手にふるえてろ 邦画 2018年(平成30年) 動画配信サービス』では、主人公の若い女性が10年間ぐらい片思いを続けている同級生だった男性に近づいていい感じになったのですが、その男性が主人公の女性をいつも『君(きみ)』と呼ぶのです。女性が、『イチは(彼氏の名前)、人をきみと呼ぶ人なんだね』と声をかけるとその男性が、『キミはなんていう名前なの?』と聞き返してきたのです。主人公の女性は、『キミはだれ?』とたたみかけるように質問されたのです。主人公女性の気持ちは大きく落ち込みます。彼女は相手の異性から、なんとも思われていない存在だったのです。
こちらが強く相手を愛しているからといって、相手もこちらを愛してくれているわけではないのです。きちんと言葉をかわして確認しないと、相手の脳みそのなかにある世界はわからないのです。
『タコでもいい部分もある』(なんというか、物事というものは、たいてい二面性があります。いいこともあれば、そうでないこともあります)
日記(小説)を書くことで、悩み事を克服するコツを教えてくれるアドバイス本です。
『読書感想文も作文も、嘘が書いてある。人目を気にするから嘘を書く』だから、本音(ほんね)を日記に書く。自分だけしか読まない日記を書く。そうすると、日記の中にもうひとりの自分が誕生するという流れです。(なるほど)『ダンジョンを進んだ先に待っているラスボス(コンピューターゲームで最後に登場する相手)は、ドラゴンじゃなくて自分なんだ』(やっぱりロールプレイングゲームにたとえてあるのか)
『6章 「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日』
日記には、今の気持ちを書かない。過去のこととして記述する。今の気持ちを書くと、感情的になって、心が乱れるから。
継続できる状態とは:自分が成長していることを実感できる状態があること。
語り手は、『わかってもららおう』という意欲を持つ。聴き手は、『わかろう』という意識をもつ。それがないと、メッセージはなかなか伝わらない。それがないと、『わかったふり』の状態になる。
『わからせてやろう』では、聴き手はそっぽを向く。(無視する)
感情をぶちまけるだけの日記について解説が書いてあります。ふと、以前読んだ本に、そのような日記を書いていたタレントさんがいたことを思い出しました。
『天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫』
(そのときの感想メモの一部です)山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
最後のほうになってようやく、海の中での出来事だったのかと理解できました。それまでは、地上の話を聴く意識で読んでいました。ゆえに、ちょっとわかりにくかった。
最後、タコジロー少年は、時が流れて、高校三年生になっています。
学校でなにがあったかは、社会人になると、なんの関係もありません。
本格的な人生が始まるのは、就職して働いて自分で稼ぐようになってからです。そこからが、はるかに長い。子育てなんかは、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねです。それでもたまに幸せだなあと思うときがあります。
学校は狭くて窮屈(きゅうくつ)な世界です。人間社会は無限の広がりをもっています。若い人たちには、箱の中のロールプレイングゲームではなく、現実の社会で躍動するように冒険して活躍してほしい。社会には、自分が好きなところに住んで、自分が好きなことができる『自由』があります。(おとといから読み始めた本『しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ ブロンズ新社』の第一話で、パン職人になった女性が、いろいろな体験を経て、34歳になって千葉市内にて、個人営業のパン屋を営むようになったことが書いてあります。北海道の牧場に行ったり、ブラジルやフランスに行ったりして、修行をして、資格をとってと努力をしながら人生を楽しんでおられます。
登校拒否やひきこもりで、家の中でじっとしていてもなにもかわりません。社会にはパワハラやセクハラなどのいじめをするようなイヤな人もいますが、心優しい、いい人もたくさんいます。ヤドカリのおじさんとか、同級生イカリくんのような善人もいます)
売れている本だそうです。読んでみます。
31ページまで読んでみました。
中学校の教室の中の世界です。海の生き物に擬人化してあります。
タコジロー:主人公男子。中学三年生。時期としては、卒業まであと半年ぐらい。タコジロー少年は気弱です。地味。帰宅部。 いじめっ子の策略による投票で、体育祭での宣誓役を押し付けられて悩んでいます。緊張すると顔が真っ赤になるからタコジローです。ゆでダコジローとからかわれる。
ヤドカリのおじさん:白い殻(から)のヤドカリです。タコジロー少年のアドバイザー(助言者)役でしょう。タコジローと師弟関係になりそうです。10日間の出来事でタコジロー少年は救われたとあります。『永遠みたいなひとりの夜をどうすごせばいいのか』をヤドカリおじさんが教えてくれた。『さみしい夜にはペンをもて』です。
以下、クラスメートとして
ウツボリとアナゴウ:タコジローと同じく帰宅部。冴えない(さえない)
トビオ:元気な少年
イカリ:サッカー部元キャプテン。イカリとタコジロー少年は、小学生のときは仲が良かったが、中学生になってからふたりに距離感ができた。(ふたりが卒業したあと、小学校は廃校になった)
カニエ先生:担任教師
フグイ:ソフトボール部。女子
アジキリ:駅伝部。学級委員
キンメダイのおばあさん
クラゲ
サヨリ先生:保健の先生
目次に目を通しました。
自分だけのダンジョン:ダンジョンは、『地下牢(ちかろう)』(あとでわかりましたが、ロールプレイングゲームRPGの世界のことを示しています。冒険の場所です)
出来事ではなく「考えたこと」を書く。
どんな文章にも、読者がいる。
手紙のようにメモを書く。
どうすれば日記から愚痴(ぐち)や悪口が消えるのか。
どうして日記は長続きしないんだろう?
タレントのさかなクンの本みたいです。
絵があります。「うみのなか中学校」「シロサンゴの森」「うみのなか市民公園」「病院」「イソギンチャクの草原」「アカサンゴの森」(これもまた、読み終えて理解しましたが、うみのなか中学校は、海の中にあるのです)
孤独な出だしです。
『うみのなか中学校に、タコはぼくひとりしかいない……』(ひとりぼっちなのか)
シーチューブ:ユーチューブのことか。
中学校には、弱い者いじめがありそうです。
海の中の世界ですが、路線バスに乗って中学校に行きます。(私立中学校なのだろうか。通常は徒歩圏内に中学校があります)
タコジロー少年は学校をずる休みです。登校拒否児になりそうです。
うみのなか市民公園で、タコジローは、ヤドカリのおじさんと出会って、ヤドカリのおじさんの世界へと導かれる。クラゲはヤドカリおじさんの仲間です。
シェルフォン:スマートフォンのことでしょう。
キーワードとして、『……タコジローくんの部屋だって、ほんとはこれくらい広いはずだよ(ヤドカリおじさんの部屋はとても広い)』
『1章 「思う」と「考える」はなにが違う?』
空想をめぐらせながら読む読書になりました。
ヤドカリおじさんの殻の(からの)中は、無限に広い空間が広がっているようです。
そこは、『頭の中』だそうです。なんとなくわかるような気がします。頭の中は無限です。それなのに人間は狭い領域で暮らそうとします。お金を稼いで生活しなければならないからでしょう。
ヤドカリおじさんから助言があります。『ことばにすることのよろこび』だそうです。それから、『自分に相談する』『ぼくたちは「消しゴム」を持っている(書いては消しを繰り返すことができる)』
コトバクラゲというのが出てきます。
コトバクラゲは、コトバミマン(言葉にならない思い)の泡を集めて『ことば』に変えて、出口へ運ぶそうな。出口は、人間でいうところの『口(くち)』です。
哲学書のようです。人はどうあるべきか。どう生きるかです。
『2章 自分だけのダンジョンを冒険するために』
中学生向けのメッセージ文章です。
『ダンジョン(地下牢)』の表現がピンときません。わかりにくい。(どうも、ゲームの設定のようです。調べたらRPGゲームソフトというものを見つけました。ロールプレイングゲームです。ダンジョンは、「冒険が行われる場所」とありました)
パターンとしては、昔読んだことがある『夢をかなえるゾウ』を思い出します。
『夢をかなえるゾウ 水野敬也(みずのけいや) 飛鳥新社』
登場人物は「僕(なまえはない)」と「ガネーシャ(象の姿かたちをしたインド出身の関西弁の神様」だけです。途中、富士急ハイランドで釈迦が登場しますが彼の出番は長時間ではありません。
ふたりの関係は、「ドラエもん」のドラエもんとのび太、「ヒカルの碁」のヒカルと佐為(さい)のようです。先生役であるガネーシャはいささかいいかげんです。たばこは吸うわ、くいしんぼうのメタボで、うそつきです。とても神様とは思えません。ときにふたりのやりとりは夫婦げんかのようでした。
こちらの本『さみしい夜にはペンを持て』では、ヤドカリおじさんが、ガネーシャのポジションを果たしそうです。
日記を毎日書く。
出来事ではなく「考えたこと」を書く。(熊太郎は中学生のころからの習慣で日記を書きますが、いまどきは、いつどこでなにがあったかの記録を箇条書きするだけです。考えたことを書くのは、青春期にありました。もう今は老齢期で、考えることは少なくなりました)
学生だった頃、提出する文章を書く時は、ウソを書いていた。(ありがちです)
ほめてもらうことが目的だった。
おとなの顔色をうかがって、おとなに好まれる文章を書いていた。
『へんなこと』は書いちゃいけないと思っていた。
その気持ちが、『考えること』を奪っていた。(真実を指摘してあります)
自分の気持ちと書いたことに距離感があった。(ウソを書いていた)
よくある書き方の手法として、『おもしろかった』が提示してあります。中身がない表現です。
例示として、太宰治作品『走れメロス』をもじって、『泳げメロス』という作品が出てきます。
話は進んで、『言葉の暴力』に関する説明があります。
言葉は、相手の気持ちを傷つけることができる。
『面倒くさい』から、口論をする。大声で怒鳴った者が勝ったりする。(コスパがいい。手間を省ける。効率的。費用対効果)
基本は、ていねいに論理的に説明する。
『さみしさ』について考える。
こどものさみしさとおとなのさみしさは違う。
こどものさみしさは、そばにだれもいないさみしさである。
おとなのさみしさは、そばにたくさん人がいても、自分はひとりだというさみしさだ。ときには、ひとりきりになりたいという欲望も生まれる。心が疲れているからひとりになりたい。自分のまわりに人がいると、自分が自分ではない自分のような者を演じていて疲れると読みとれます。
『書くことでひとりになる』
『ダンジョン(地下牢)=自分』
『最大の謎は「自分」』
たとえがダンジョンです。わかりやすそうで、わかりにくいダンジョンです。
自分で自分を好きになる。ありのままの自分を好きになる。「アナと雪の女王」みたいな気持ちだろうか。
『話せばスッキリする』続けて、『書けばスッキリする』という展開だろうか。
『3章 きみの日記にも読者がいる』
読者というのは、最低限のこととして、『自分自身』です。もっと説明を加えると、『未来の自分』です。納得します。なるほど。
登場人物の『ぼく』は、中学校でいじめられている。『タコ』と呼ばれている。学校に行きたくないと思っている。ひきこもりになりそうとあります。タコジロー少年です。
白い殻のヤドカリおじさんは、今度は、ピンクの殻で再登場します。
登校拒否気味のタコジロー少年を、『シロサンゴの森』に誘います。
日記を書く。
『文章ってね、書こうとすると書けなくなっちゃうんだよ』
文章の書き方の教えがあります。スケッチするように文章を書く。『あの時の気持ち』を書く。
(このあたりは、技術的な話で、最初はそうであっても、慣れてくると『いまの気持ち』を書けるようになると考えました)
思うに、文章というのは、スポーツ系の運動と同じで、だれしもが書けるわけではない。生まれもった能力、才能ということはあります。
書きながら自問自答する。
これはこうだと決めつけない。
いつだって、バックできる。
変更はいつだってできる。
どこのだれだかわからない人のアドバイスはあてにならない。
自分で考える習慣を身に着けるために、『書く習慣』を身に着ける。
『言い負かす=勝つこと』というやり方はしないほうがいい。
同じようなことが、先日読んだ本にも書いてありました。
『恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン 野津智子・訳 村瀬俊朗・解説 英治出版に 『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない(自分の間違いに気づける人間になる)』とありました。
『人と人とをつないでいるロープの姿は、「言葉」である』
タコジロー少年は、10日間、日記を書き続けることにしました。
次につながる出来事として、『だれかが、タコジロー少年とヤドカリおじさんの姿を盗撮しました』
タコジロー少年が3日ぶりに中学校に行く。(少年は、体育祭で、選手宣誓をやりたくない。いじめの結果、選手宣誓を押し付けられた。そんなことが中学校に行きたくない理由です)
イカリがけがをして入院した。タコジロー少年は病院へ見舞に行った。
イカリが、トビオが、たこ少年をからかう理由を話す。
トビオには、プレッシャーがある。自分はおもしろいことを言わなきゃいけない立場にあるというプレッシャー(圧力、緊張感、義務感)をもっている。
『4章 冒険の剣と、冒険の地図』
アカサンゴの森へ行く。(イソギンチャクがたくさんです)
『書くことが楽しくなる方法=キーワードは、「表現力」』
ボキャブラリー:たくさんの言葉を知って使いこなす。
『スローモーションの文章』と『早送りの文章』
夏目漱石作品『吾輩は猫である』にひっかけて、『吾輩はウニである』という文章があります。
『すり抜けていく感情をキャッチする網が、言葉』
『ノートの目的は、「写す」ことではなく、自分の考えを書くこと』
読みながら自分が思ったこととして、『過去のことについて、自分が覚えていることでも、ほかの人は覚えていないことがある。「関心」というものは、人によって異なる』
『スイムダンク』は、マンガ『スラムダンク』にひっかけてあるのでしょう。
ダンジョンを冒険する話です。
ひきこもりの状態にあるこどもを励ます本ですが、ダンジョンでの楽しみを知ると、さらに引きこもり状態が続いてしまうような感じもします。
『タコっち』イカリが、タコジロー少年をそう呼びました。なにか意味があります。(小学生時代のあだなだそうです)
クラスの進行方向は、リーダーが決めているのではなくて、ナンバー2の人物が決めているのではないかと分析がとあります。
『5章 ぼくたちが書く、ほんとうの理由』
知っていても言えないことがある。
世の中は、誤解と錯覚で成り立っている。そんなお話です。
先日観た邦画『勝手にふるえてろ 邦画 2018年(平成30年) 動画配信サービス』では、主人公の若い女性が10年間ぐらい片思いを続けている同級生だった男性に近づいていい感じになったのですが、その男性が主人公の女性をいつも『君(きみ)』と呼ぶのです。女性が、『イチは(彼氏の名前)、人をきみと呼ぶ人なんだね』と声をかけるとその男性が、『キミはなんていう名前なの?』と聞き返してきたのです。主人公の女性は、『キミはだれ?』とたたみかけるように質問されたのです。主人公女性の気持ちは大きく落ち込みます。彼女は相手の異性から、なんとも思われていない存在だったのです。
こちらが強く相手を愛しているからといって、相手もこちらを愛してくれているわけではないのです。きちんと言葉をかわして確認しないと、相手の脳みそのなかにある世界はわからないのです。
『タコでもいい部分もある』(なんというか、物事というものは、たいてい二面性があります。いいこともあれば、そうでないこともあります)
日記(小説)を書くことで、悩み事を克服するコツを教えてくれるアドバイス本です。
『読書感想文も作文も、嘘が書いてある。人目を気にするから嘘を書く』だから、本音(ほんね)を日記に書く。自分だけしか読まない日記を書く。そうすると、日記の中にもうひとりの自分が誕生するという流れです。(なるほど)『ダンジョンを進んだ先に待っているラスボス(コンピューターゲームで最後に登場する相手)は、ドラゴンじゃなくて自分なんだ』(やっぱりロールプレイングゲームにたとえてあるのか)
『6章 「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日』
日記には、今の気持ちを書かない。過去のこととして記述する。今の気持ちを書くと、感情的になって、心が乱れるから。
継続できる状態とは:自分が成長していることを実感できる状態があること。
語り手は、『わかってもららおう』という意欲を持つ。聴き手は、『わかろう』という意識をもつ。それがないと、メッセージはなかなか伝わらない。それがないと、『わかったふり』の状態になる。
『わからせてやろう』では、聴き手はそっぽを向く。(無視する)
感情をぶちまけるだけの日記について解説が書いてあります。ふと、以前読んだ本に、そのような日記を書いていたタレントさんがいたことを思い出しました。
『天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫』
(そのときの感想メモの一部です)山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
最後のほうになってようやく、海の中での出来事だったのかと理解できました。それまでは、地上の話を聴く意識で読んでいました。ゆえに、ちょっとわかりにくかった。
最後、タコジロー少年は、時が流れて、高校三年生になっています。
学校でなにがあったかは、社会人になると、なんの関係もありません。
本格的な人生が始まるのは、就職して働いて自分で稼ぐようになってからです。そこからが、はるかに長い。子育てなんかは、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねです。それでもたまに幸せだなあと思うときがあります。
学校は狭くて窮屈(きゅうくつ)な世界です。人間社会は無限の広がりをもっています。若い人たちには、箱の中のロールプレイングゲームではなく、現実の社会で躍動するように冒険して活躍してほしい。社会には、自分が好きなところに住んで、自分が好きなことができる『自由』があります。(おとといから読み始めた本『しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ ブロンズ新社』の第一話で、パン職人になった女性が、いろいろな体験を経て、34歳になって千葉市内にて、個人営業のパン屋を営むようになったことが書いてあります。北海道の牧場に行ったり、ブラジルやフランスに行ったりして、修行をして、資格をとってと努力をしながら人生を楽しんでおられます。
登校拒否やひきこもりで、家の中でじっとしていてもなにもかわりません。社会にはパワハラやセクハラなどのいじめをするようなイヤな人もいますが、心優しい、いい人もたくさんいます。ヤドカリのおじさんとか、同級生イカリくんのような善人もいます)