2014年04月30日
路上のストライカー 2014課題図書
路上のストライカー マイケル・ウィリアムズ 岩波書店 2014課題図書
アフリカにおける「虐殺」、「難民」、「人種差別」を扱った作品です。
冒頭付近にある村人たちへの選挙投票協力拒否を理由とした殺りくシーンでは、黒澤映画「七人の侍」シーンを思い出しました。
アフリカは遠い地域です。たぶん、行くことはありません。作者は南アフリカケープタウン生まれで劇作家です。作者の体験・取材の成果がよくでていて力作です。登場人物の細かなしぐさはリアル(本物ぽい)です。
南アフリカについて知っていることです。まず、過去に白人による黒人に対する人種差別があった。ケープタウンにはテーブルマウンテンという臼型の美しくて大きな山がある。サッカーの2010年ワールドカップが開催された。それぐらいです。
この物語では、ホームレスになったこどもたちが、ストリートサッカーの国際大会に出場します。ただし、サッカーのプレーに関する記述はそれほど多くありません。ホームレスに転落するまでの不幸なこどもたちの生い立ちが紹介されます。
主人公はデオ15歳。彼の兄がイノセント25歳。イノセントは英語で純粋という意味で、彼の性格を表わしていると思います。彼は障害者なのでしょう。弟デオは、ジンバブエ国のふるさとの村で起きた虐殺から逃れるために兄イノセントと南アフリカ共和国との国境線を越えます。その過程で、弟デオは、兄イノセントをかばい続けます。ふたりの兄弟は、たくさんの親族や友人を選挙の投票結果に怒ったジーザス司令官が率いる軍隊の銃撃で失いました。ジンバブエ国マシンゴ州グツ村で犠牲者になったのは、ポットンじいちゃん、ふたりの兄弟のアマイ(お母さんを意味する言葉、村では教師をしていた)、サッカー仲間の少年少女たち、それは、皆殺しに近いものでした。強制的に集められて、武器をもたず無抵抗なのに、銃撃されています。むごい。人間は、そういうことができる恐ろしい生き物です。
この本以外の資料を調べてみると、ダイヤモンドや金、喜望峰に位置する航路の要(かなめ)となる港湾の管理権を手に入れるために、南アフリカ地域を植民地とすべく、ヨーロッパのオランダ国とイギリス国が地域の取り合いをするところから始まっています。外国同士が戦って原住民がいる土地を自国の領土とする。負けたオランダ人の血を引く現地にいた国民は、勝ったイギリス国民からさげすまれたり差別を受けたりした。差別を受ける敗戦国の国民の気持ちを治めるためにさらにその下の階級として黒人を置く。黒人を低賃金で働かせ、移動や居住地選択の自由を制限して奴隷とする。
この小説では、白人からの解放、差別政策への抵抗などが一部書かれていますが、勝利者となったジンバブエ国の黒人大統領グループが今度は独裁者となっています。人間社会はなかなかうまくいきません。人間は欲の固まりです。
「選挙」という民主主義の手続きが銃という暴力で否定されています。本来、対立する者同志が血を流さないようにするために「選挙制度」があります。選挙制度を否定するなら全員一致をめざすことになります。宮本常一さんという方が過去の日本社会を調べて書いた本に、昔の日本人男性たちは、村でのことがらを決めるために、毎日長時間の寄り合いを開いた。全員の意見が一致するまで延々と毎日話し合いが続けられたとありました。そういった社会をつくらねばなりません。昔の日本は、世界中で一番美しく平和な国だという当時日本を訪れた外国人のリポートを読んだこともあります。
日本語訳がしっかりしています。読みやすい。力作作品を支えてくれています。また、1話を10分程度で読めます。読みやすい小説です。
主人公デオは、兄のイノセントも失って、シンナー中毒となって、路上生活をせざるをえなくなります。そんな彼を救ってくれるのが「路上サッカー」です。選手はゴールキーパーを含めて5人。コートの周囲は板塀で囲まれています。板塀に当たって跳ね返ってくるボールは生きています。ゲームは続行です。
正式なワールドカップサッカーの試合と違って、国籍でチーム分けはしません。物語の中で、ジンバブエほかの国から逃げて来た難民・移民を地元南アフリカの人たちが追い出そうとします。南アフリカ人が外国人に仕事(収入)を奪われるからです。以前、テレビでそのことを扱った報道番組を見たことがあるのを思い出しました。ジンバブエ難民の主人公たちは、フライング・トマト農場で働き出しますが、地元南アフリカ住民に暴行等をくわえられて、農場を出て行きます。わずかなお金で奴隷のように働くしかない
主人公たちは、かないもしない将来への夢を描きます。それは、母国から親兄弟を招いて一緒に暮らすというものです。でも、彼らの家は、橋の下、彼らはホームレス(住居のない人)です。家がある。仕事があるということはとても幸せなことです。
労働の基本は農業なのでしょう。太陽をはじめとした自然とともに1年間、季節に応じて、一日を規則正しく働く。機械化が進んで、現代は、サービス業主体の社会に変わりました。子どもの頃、のこぎりカマを使って、稲刈りをしたことがありますが、肉体的にとても痛かったことを覚えています。
ホームレスの少年少女を救う活動をしているグループにデオは拾われ育てられます。サッカーが彼を救う。絶望の中にも光はある。デオを選んだサリー、トム・ギャロウェイは、マネージャー兼チームドクター兼理学療法士兼精神診断医です。捨てる者がいれば、拾う者がいる。人間という生きものは不思議な性格をもっています。
以下は印象に残った文節の要約です。
・イノセントがトラックのナンバーを記憶する部分。イノセントは数字を記憶して忘れることがない。洋画「レインマン」にも兄弟が登場します。兄は精神障害者で施設で暮らしていますが、数値を記憶する天才でした。弟がそれを利用してギャンブルで金儲けをしますが、弟はやがて改心します。
・主人公デオがサッカーに夢中になれる理由。この時ぼくは、心配事や恐怖から解放され、その瞬間、瞬間以外のことは考えていない。
・逃亡中のミニバスの呼び込み。お代は向こうで!(到着先で支払う)。空調付き、稲妻みたいに走るよ!
・サリーがデオをスカウトしてトムに、「この子は、特別なんだ。」
・サリーによるデオへの声かけ、「座って見てろ、学ぶんだ。」
・サリーの真剣な言葉、「この国の多くの人は、苦しんでいる人たちを見ないふりをしてきた。おれたちは、また、同じ過ちをおかそうとしているじゃないか! 苦しんでいる人たちを無視しょうとしているんだ。指をくわえて見ているわけにはいかないんだ。」
最後に補足です。
小説の原題は「Now is the Time for Running」です。直訳すると「今が、走ることのための時刻」、意味をとると「(困難や苦悩を克服してとにかく)今こそ、前向きになって進む瞬間だ」というふうに考えました。前進できるのは若者の特権です。年老いたら、現状維持がせいいっぱい。後退あるのみ。どのようにゆっくり後退していくかが人生のテーマになります。若い人たちはがんばってください。
昨日届いた日本語混じりの英字新聞に「マンデラ自由への長い道Mandela:Long Walk to Freedom」という映画が紹介されていました。南アフリカ共和国のアパルトヘイト(黒人と白人を隔離した政策)の撤廃運動に人生を捧げたアフリカ人で、1993年にノーベル平和賞を受賞しています。昨年12月5日に亡くなりました。新聞記事には、マンデラ氏は聖人君子ではなかった。映画では、清濁あわせ飲む人として描かれているそうです。その意味は「善でも悪でも受け入れる」ということです。27年間の獄中生活は長い。思いをかなえるためには時間がかかります。
アフリカにおける「虐殺」、「難民」、「人種差別」を扱った作品です。
冒頭付近にある村人たちへの選挙投票協力拒否を理由とした殺りくシーンでは、黒澤映画「七人の侍」シーンを思い出しました。
アフリカは遠い地域です。たぶん、行くことはありません。作者は南アフリカケープタウン生まれで劇作家です。作者の体験・取材の成果がよくでていて力作です。登場人物の細かなしぐさはリアル(本物ぽい)です。
南アフリカについて知っていることです。まず、過去に白人による黒人に対する人種差別があった。ケープタウンにはテーブルマウンテンという臼型の美しくて大きな山がある。サッカーの2010年ワールドカップが開催された。それぐらいです。
この物語では、ホームレスになったこどもたちが、ストリートサッカーの国際大会に出場します。ただし、サッカーのプレーに関する記述はそれほど多くありません。ホームレスに転落するまでの不幸なこどもたちの生い立ちが紹介されます。
主人公はデオ15歳。彼の兄がイノセント25歳。イノセントは英語で純粋という意味で、彼の性格を表わしていると思います。彼は障害者なのでしょう。弟デオは、ジンバブエ国のふるさとの村で起きた虐殺から逃れるために兄イノセントと南アフリカ共和国との国境線を越えます。その過程で、弟デオは、兄イノセントをかばい続けます。ふたりの兄弟は、たくさんの親族や友人を選挙の投票結果に怒ったジーザス司令官が率いる軍隊の銃撃で失いました。ジンバブエ国マシンゴ州グツ村で犠牲者になったのは、ポットンじいちゃん、ふたりの兄弟のアマイ(お母さんを意味する言葉、村では教師をしていた)、サッカー仲間の少年少女たち、それは、皆殺しに近いものでした。強制的に集められて、武器をもたず無抵抗なのに、銃撃されています。むごい。人間は、そういうことができる恐ろしい生き物です。
この本以外の資料を調べてみると、ダイヤモンドや金、喜望峰に位置する航路の要(かなめ)となる港湾の管理権を手に入れるために、南アフリカ地域を植民地とすべく、ヨーロッパのオランダ国とイギリス国が地域の取り合いをするところから始まっています。外国同士が戦って原住民がいる土地を自国の領土とする。負けたオランダ人の血を引く現地にいた国民は、勝ったイギリス国民からさげすまれたり差別を受けたりした。差別を受ける敗戦国の国民の気持ちを治めるためにさらにその下の階級として黒人を置く。黒人を低賃金で働かせ、移動や居住地選択の自由を制限して奴隷とする。
この小説では、白人からの解放、差別政策への抵抗などが一部書かれていますが、勝利者となったジンバブエ国の黒人大統領グループが今度は独裁者となっています。人間社会はなかなかうまくいきません。人間は欲の固まりです。
「選挙」という民主主義の手続きが銃という暴力で否定されています。本来、対立する者同志が血を流さないようにするために「選挙制度」があります。選挙制度を否定するなら全員一致をめざすことになります。宮本常一さんという方が過去の日本社会を調べて書いた本に、昔の日本人男性たちは、村でのことがらを決めるために、毎日長時間の寄り合いを開いた。全員の意見が一致するまで延々と毎日話し合いが続けられたとありました。そういった社会をつくらねばなりません。昔の日本は、世界中で一番美しく平和な国だという当時日本を訪れた外国人のリポートを読んだこともあります。
日本語訳がしっかりしています。読みやすい。力作作品を支えてくれています。また、1話を10分程度で読めます。読みやすい小説です。
主人公デオは、兄のイノセントも失って、シンナー中毒となって、路上生活をせざるをえなくなります。そんな彼を救ってくれるのが「路上サッカー」です。選手はゴールキーパーを含めて5人。コートの周囲は板塀で囲まれています。板塀に当たって跳ね返ってくるボールは生きています。ゲームは続行です。
正式なワールドカップサッカーの試合と違って、国籍でチーム分けはしません。物語の中で、ジンバブエほかの国から逃げて来た難民・移民を地元南アフリカの人たちが追い出そうとします。南アフリカ人が外国人に仕事(収入)を奪われるからです。以前、テレビでそのことを扱った報道番組を見たことがあるのを思い出しました。ジンバブエ難民の主人公たちは、フライング・トマト農場で働き出しますが、地元南アフリカ住民に暴行等をくわえられて、農場を出て行きます。わずかなお金で奴隷のように働くしかない
主人公たちは、かないもしない将来への夢を描きます。それは、母国から親兄弟を招いて一緒に暮らすというものです。でも、彼らの家は、橋の下、彼らはホームレス(住居のない人)です。家がある。仕事があるということはとても幸せなことです。
労働の基本は農業なのでしょう。太陽をはじめとした自然とともに1年間、季節に応じて、一日を規則正しく働く。機械化が進んで、現代は、サービス業主体の社会に変わりました。子どもの頃、のこぎりカマを使って、稲刈りをしたことがありますが、肉体的にとても痛かったことを覚えています。
ホームレスの少年少女を救う活動をしているグループにデオは拾われ育てられます。サッカーが彼を救う。絶望の中にも光はある。デオを選んだサリー、トム・ギャロウェイは、マネージャー兼チームドクター兼理学療法士兼精神診断医です。捨てる者がいれば、拾う者がいる。人間という生きものは不思議な性格をもっています。
以下は印象に残った文節の要約です。
・イノセントがトラックのナンバーを記憶する部分。イノセントは数字を記憶して忘れることがない。洋画「レインマン」にも兄弟が登場します。兄は精神障害者で施設で暮らしていますが、数値を記憶する天才でした。弟がそれを利用してギャンブルで金儲けをしますが、弟はやがて改心します。
・主人公デオがサッカーに夢中になれる理由。この時ぼくは、心配事や恐怖から解放され、その瞬間、瞬間以外のことは考えていない。
・逃亡中のミニバスの呼び込み。お代は向こうで!(到着先で支払う)。空調付き、稲妻みたいに走るよ!
・サリーがデオをスカウトしてトムに、「この子は、特別なんだ。」
・サリーによるデオへの声かけ、「座って見てろ、学ぶんだ。」
・サリーの真剣な言葉、「この国の多くの人は、苦しんでいる人たちを見ないふりをしてきた。おれたちは、また、同じ過ちをおかそうとしているじゃないか! 苦しんでいる人たちを無視しょうとしているんだ。指をくわえて見ているわけにはいかないんだ。」
最後に補足です。
小説の原題は「Now is the Time for Running」です。直訳すると「今が、走ることのための時刻」、意味をとると「(困難や苦悩を克服してとにかく)今こそ、前向きになって進む瞬間だ」というふうに考えました。前進できるのは若者の特権です。年老いたら、現状維持がせいいっぱい。後退あるのみ。どのようにゆっくり後退していくかが人生のテーマになります。若い人たちはがんばってください。
昨日届いた日本語混じりの英字新聞に「マンデラ自由への長い道Mandela:Long Walk to Freedom」という映画が紹介されていました。南アフリカ共和国のアパルトヘイト(黒人と白人を隔離した政策)の撤廃運動に人生を捧げたアフリカ人で、1993年にノーベル平和賞を受賞しています。昨年12月5日に亡くなりました。新聞記事には、マンデラ氏は聖人君子ではなかった。映画では、清濁あわせ飲む人として描かれているそうです。その意味は「善でも悪でも受け入れる」ということです。27年間の獄中生活は長い。思いをかなえるためには時間がかかります。
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