(再読)速さのちがう時計 星野富弘 偕成社

 裏表紙からめくってみる。ふせんがはってある。ふせんには<2008年6月7日金曜日午後、富弘美術館群馬県で購入>とある。いまは、2014年4月です。ずいぶん永い時間が過ぎました。
 だんだん、関東地方北部への興味が薄れていきます。こども時代を送った当地は遠い過去になりました。
 最初のページに戻って読み直しです。カバーの裏部分に作者の言葉がありました。身体障害者になって、時間がゆっくりとすぎていくようになったと読みとれます。1か月に1枚の詩画を描いたものが新聞に掲載されて、11年間が経過したなかからピックアップした詩画ですとあります。障害者になっても仕事があるということは重要です。
 わたしは定年退職まであと4年半ぐらいまできました。大きな夢や希望があるわけでもありません。30代の頃のように心身ともに充実して、からだがびゅんびゅん動くわけでもありません。あちこちがたがきています。目はよく見えないし、息切れも多いし、あんなによかった記憶力も、いまではみるかげもありません。老いにむかって、少しずつゆっくりと着地していきます。人の体は遅かれ早かれ障害者の状態に変化していくことを悟りました。
 作者の11年間は、大学生活の記述からスタートします。その後、体育教師をしていて体操の実技中に事故でけがをして、手が動かなくなり、口にサインペンをくわえて絵を描くことを始められています。文字は文字というより「絵」です。
 絶望のふちから帰還されていますが、とても長い時間がかかっています。宗教が心の支えになっていきます。信仰心は大切です。
 気に入った絵です。「ねこやなぎ、しいたけ、プリムラ、クローバー、すずめのてっぽう(愛知県三河湾に浮かぶ佐久島で、巨大なすずめのてっぽうを見て、その異様な巨大さにおののいたことを思い出しました)」。
 絵を見ていたら、もういい、もう十分がんばったから、もうがんばらなくていい。休もうという気持ちになりました。
「ほおずき」詩には哀愁がただよっています。時間に追われながら忙しく生活を送っている者から見ると、また、喜怒哀楽の感情を抑えながら、ロボットのように従順に働いている者からみると、うらやましくもあるけれど、そんな自分の境遇に満足しているわけでもない。最終的に仕事から解放される時期がくることを心待ちにしている。
 今回、じっくり絵を見てみました。ものすごくうまいというわけではありません。絵画の教育を受けてプロの画家になられたわけではありません。心素直な詩が添えられて、悲しい事故後の不自由さがあって、それは、健常者でも心傷つくことがあって、共感が生まれて、いやされるのです。
「ひめじょおん、いぬたて」絵の途中にあるエッセイを読む。むかしむかしの映画会のことが書いてありました。むかしのこどもたちは、映画館で映画を見なかった。場所は、真夏の夜の広っぱに、仮設で張られた白いスクリーンだったり、公民館の広い部屋だったりした。文中には、映画の中のひとたちも映画を見ているぼくたちも似たような生活をしていたから共感が湧いたとあります。立派な映画館で見るよりも感動が生まれたともあります。その文章に関連して書くと、職人と呼ばれた人たちの仕事が機械やパソコンに奪われて、職をなくす世の中になってしまった今を嘆きます。
 最後のエッセイは、運転がにがてそうな奥さんの運転で、埼玉県まで、高速道路を走ったことがユーモアたっぷりに書かれています。今では、ETCカード利用で行けるので、記事にあるような杞憂(きゆう、ゆううつに感じること)はなくなりました。

(以下は前回の感想文です)
2012年11月7日記事
速さのちがう時計 星野富弘 偕成社

 以前、栃木県日光市からレンタカーでトンネルをくぐり、右へ左へと曲がる山道を45分ほど走って群馬県内にある富弘美術館に到着しました。
 1970年6月(昭和45年)中学校の体育教師をしていて運動中に頚椎損傷を損傷し手足が動かなくなる。口に筆をくわえて絵や文を書き始める。
 タイトルの本はペン画です。美術館で鑑賞をしていて、作者の本音がもっとも表れているのがペン画だと感じて購入しました。陰と陽、光と影、体が不自由になったことに対する暗い気持ちとがんばろうという明るい自分への励ましが、黒と白の色彩に描きこまれています。
 勉強もできてスポーツにも長(た)けている。事故は相当のショックだったでしょう。24歳からの9年間の寝たきり入院生活は絶望の淵にいたとお察しします。展示室冒頭の経歴紹介コーナーでは、ガッツあふれる人だと涙がにじみました。
 わたしも小学生の頃に、作者が住む村の近くで生活していました。作品「ねこやなぎ」では、渡良瀬川(わたらせ)のほとりで咲いていたやさしいふわふわの白い毛をまとったねこやなぎを思い出しました。
 「ひとりしずか」まっすぐな姿、形がいい。12ページにある「背負い台」は、わたしの実家がある九州では背負子(しょいこ)と言っていました。「とんぼ」の絵と言葉がいい。「ぶどう」を分かち合うのがいい。「ききょう」、「月見草」以下には、作者の苦しさが現れています。
 口に絵筆をくわえて描く。おそらく1枚を仕上げるのにひと月ぐらいかかるのではないか。緻密な観察で丁寧に描かれています。最初から上手だったのではなく、徐々に上達したのでしょう。自分の死後に自分がこの世に存在していた証を残したいと人は考えます。一枚一枚の絵は彼にとっては「こども」なのでしょう。
 あるがままを受け入れる。勇気が湧いてきます。

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