2014年04月08日

(再読)マルカの長い旅 

(再読)マルカの長い旅 ミリヤム・プレスラー 徳間書店

 初めのページに少し前に話題になったウクライナが載った地図があります。ロシアと欧米が対立する地域です。ウクライナの左隣が、物語の主人公マルカが住んでいたポーランドです。ロシアとEUそしてUSA、ウクライナ内部の対立をみていると、戦争ができる状況や条件が整うと、戦争になるということが予測できます。平和であるためには、戦争ができない環境を整えることです。銃をもたない世界をつくることです。
 以前、別の人が書いたこの本の感想を読みました。「差別を受ける民族=ユダヤ人としてこの世に生まれてきたことを悟る。悟ってどう生きるかをユダヤ人として考える」という趣旨だったと思います。島国日本人、日本民族にとっては、遠い位置にある感覚です。なかなかそこまでは気づけません。
 小説にある戦時中の様子を読むと、大半のユダヤ人は逃げなかった、あるいは逃げることができなかった。もっと考えると、逃げる場所がなかった。ユダヤ人の国家がなかった。されど、マルカの姉と母親のやりとり、先にパレスチナで住居を構えた父親の様子から、「イスラエル」という国家が浮かび上がってきます。イスラエルができたから、今度は、パレスチナ人が土地を追われた。そんなきっかけをつくったのは、ドイツですが、根強い差別意識は、古代からあった。過去を振り返ってもどうすることもできません。未来へ向かうにあたって、こういった差別をなくしていかなければならない。
 小説は、こまかなことを文章で表現する能力に秀でています。ていねいな訳が作品を支えていました。 
 
(前回の読書感想文 2012年6月18日)
マルカの長い旅 ミリヤム・プレスラー 徳間書店
 
20ページまで読みました。278ページの作品です。本を読む前に洋画「ライフ イズ ビューティフル」をDVDで見るつもりでしたが、まだ見ていません。ユダヤ人の父親がユダヤ人狩りで妻子とともに捕らわれたあと、幼い息子を守るために自分の命を失うという悲しいストーリーでした。
 「マルカの長い旅」この作品で着目すべきは、作者がドイツ人であることです。ユダヤ人を大量虐殺した民族です。いわば加害者側の人間です。ざんげの意味があるのか。当初作者は男性だと思い込んでいましたが、女性でした。タイトルにあるマルカは実在の女性で、今はイスラエルのテルアビブで暮らしているとあります。ユダヤ人が迫害される理由は知りません。日本の教育で学んだことはありません。ユダヤ人の大量虐殺は遠い出来事です。
 以前岐阜県にある杉原千畝(すぎはらちうね)記念館を見学したことがあります。そのときは、見たことはありませんが、「シンドラーのリスト」という映画の日本人版と受け取りました。ユダヤ人が差別される理由に宗教的背景があるようですが、具体的に何がいけないのか、日本人のわたしには理解できません。物語の展開としては、これからマルカが苦労をしていくことになるのでしょうが、現実に生きているマルカ本人は耐えがたき苦しみを忘れようとして、つらい出来事を忘れているとあり、作者は、何もないところに何を創りだしていくのか、その経過を見守りたい。

(数日後)
 164ページまできました。感想を継ぎ足してみます。
 ユダヤ人医師であるハンナ・マイ、その娘ミンナ16歳、そして同じく娘のマルカ7歳の3人によるドイツ軍人からの逃避行です。捕まれば強制収容所へ送られて最悪の場合、死を迎えることになります。ハンナの夫は5年前にパレスチナへ行っています。夫婦仲はよいとはいえない。3人の出発地はポーランドのラヴォツネで、ハンガリーとの国境に近い。逃走路はカルパチア山脈を山越えして、とりあえずの目的地はハンガリーが支配しているムンカチュです。その後同国のブダペストを経由して、最終目的地は、ハンナ・マイが夢見る希望地はアメリカ、16歳の娘ミンナの希望地は父親が住むパレスチナです。
 動物を始めとした生き物は、他者からの攻撃を受けたとき、最初はじっとしています。それでも攻撃が止(や)まないときは逃げます。それでも危害を加えられたら、生き物は相手に戦いを挑みます。3人はそのパターンにおいて、逃げ遅れました。母親ハンナは自分が医師であるから身柄確保は免れると自意識過剰でした。人を信じてはいけない。なりふりかまわない。それが自らの命を守る秘訣です。自分が善人であろうとすることを捨てる。悪になりきる。ハンナファミリーを最初のうち助けてくれた人たちも最後はファミリーに冷たく接するようになります。ユダヤ人の逃亡を助ける人も金次第です。ユダヤ人以外の民族にとって、関わりたくないことです。ドイツの支配下におかれたハンガリー人を責めることは酷です。この当時、ユダヤ人で助かった人と助からなかった人との違いは何か考えてみました。「運」です。運がよかったか悪かったかです。人は「恩」を貸し借りします。ハンナは医師であったことから患者たちに感謝される存在でした。地元を離れてまもなくまでは、患者たちに助けられました。ここまでの逃走経路は、ポーランドのラヴォツネ→カルネ村→山越えーハンガリー領に入って、ムンカチェです。ただし、母ハンナは、病気になった(風邪?)7歳の娘マルカを途中のピリピーツという町で他人である支援者宅に置き去りにしました。逃亡時の山越えでマルカが足手まといになる。支援者にお金で解決手法をもちかけて、後日、こどもを母親の逃亡先目的地ムンカチェへ鉄道で連れてきてもらう。こどもだから怪しまれない。いくつかの理由を考えて、母ハンナは自分を納得させます。子を置いて逃げるということはわたしにはできない。子と一緒に残ることを選択します。その結果ふたりとも死ぬこともあるでしょう。それはそれでしかたがありません。母親と同行した16歳のミンナは、母親のハンナを怨(うら)みます。5年前、父親とパレスチナに行くことを母親は拒否しています。母親ハンナは自分の仕事の継続を優先しました。7歳のハンナは支援者宅から追い出されたあと、悲惨な体験を味わうことになります。でも年齢が幼いせいか親を怨(うら)むという感情が芽生えません。ただ、泣きます。マルカはまるで、拾っては捨てられる野良犬同然です。警察署の地下室に収容されて、再びポーランドへ送り返されるルートにのせられます。マルカは移送の途中、情けのあるポーランド人警官の好意で同警官宅にかくまわれます。心ある公務員によって小さな命が救われます。それでもドイツ兵の暗い影はマルカに迫り、マルカは、警官ファミリーの家を離れて、ユダヤ人居住区へ行きます。そこでもユダヤ人狩りが発生します。マルカは、ユダヤ人居住区の地下室に潜み、空き家に入って食べ物を食べて、野生化してゆくのです。地下室はアンネ・フランクが潜んだ隠れ家を連想させます。まるで、ネズミです。アンデルセン作「マッチ売りの少女」も脳裏に浮かびました。
 母ハンナは苦悩します。後悔ばかりです。夫とパレスチナに行けばよかった。マルカをひとりで残さなければよかった。前半の100ページは娘マルカの話ではなく、母ハンナの物語です。
 いくつかの「自由」を問う作品です。居住の自由(住みたいところに住む権利)、職業選択の自由(就きたい職に就く権利)、移動の自由(行きたい所へ行く権利)。神さまに祈る。信仰の自由。母親も娘たちも祈ります。隠れキリシタンを思い出しました。文中にあった言葉で心に残ったのは「明日のことを考えられる環境をこどもたちに提供したい」という趣旨のものでした。いったいドイツはというか、ヒットラーは、何をしたかったのか。独裁者を生み出す社会をつくってはいけない。

(イタリア映画 LIFE IS BEAUTIFULをDVDで見ました。)
 2度目の鑑賞になります。ユダヤ系イタリア人が主人公です。アンネ・フランクはユダヤ系ドイツ人でした。ユダヤ系日本人もいるのでしょう。優秀な民族とか、優秀でない民族とか、優秀だから幸せとか、優秀でないから幸せではないとか、そういったことは言えないでしょう。
 映画は表面上はユーモラスです。父グイドは、ユダヤ人狩りと強制収容所暮らしを5歳の息子ジョズエにゲームと教えて息子をだまします。収容されたユダヤ人老若男女は無力です。「シャワーを浴びる」が毒ガスによる殺処分を意味します。これ以上は書く気持ちにならないので映画を見てください。
 最後はやはり相手に戦いを挑むしかありません。「マルカの長い旅」を読みながらこの映画を見ていると胸騒ぎがします。映画は脚本がいい。笑わせて泣かせるパターンです。

(読み終えました。)
 文字数の密度が濃い作品です。1000ページぐらいの分量があり、読んでいてもなかなか前へ進みません。人間不信、対人恐怖症。衰弱していくマルカの描写は詩的です。作者の筆が冴え渡ってくるのがわかる206ページ付近です。文中の表現を借ります。自分自身のなかにもぐりこんで自分の姿を消す。頭の中をからっぽにする。希望をもたない。最終的にマルカは言葉が出なくなります。出るのは涙です。
 マルカの空腹が続く。食べ物のかわりに自分の爪や指を噛む。神がマルカにのり移っていく。マルカはこれからどこへゆくのだろう。やせこけて病気になるそして死ぬのが予測です。やがてマルカは10歳男児の死体を見ることになる。マルカはその死体から襟(えり)巻きを盗みたい。読み手は、ドイツ人にマルカと同じ思いをさせてやりたい! 7歳にして、人間70年の体験をしている。文中230ページでは、ユダヤ人病院に収容されたマルカが年齢を問われて、「前は7歳でした。でも、もうずっと前のことです。」と答えています。(マルカは今も7歳です。)マルカは老齢化した。小説は、7歳のマルカの話、マルカを置き去りにした母親ハンナの話と交互に記述されていきます。母ハンナは、行方不明になったマルカのことで発狂寸前です。ふたりの話はやがて近づいていきます。母ハンナは2女マルカを助け出すために、逃走先のハンガリーから逃走前ポーランドへ戻る決心をします。
 マルカの心の支えは、リーゼルという名前を付けた小さな人形でした。黄色い毛糸の髪、長い靴下をはき、顔は布に書いてある。青い目のかわいい顔でした。マルカはリーゼルをいつもポケットの奥に忍ばせて、ときおり話しかけていました。マルカにとって唯一のともだちでした。でも、潜んでいたゲットー(ユダヤ人居住区)でユダヤ人狩りがあったときに、リーゼルもいなくなってしまいました。
 マルカは一時期世話になったポーランド人警察官ファミリーの祖母が病院に迎えにきたとき、祖母を受け入れません。逃走します。マルカはもうだれも信じません。再び祖母は病院を訪れます。祖母は、マルカにボールを見せます。それは、マルカがマルカと一緒に遊んだ男児アンティのためにつくったボールです。マルカはようやく祖母に連れられて母ハンナの待つ家へ向かいますが、途中再び逃走を図ります。
 「強く生きる」ことを学ぶ作品でした。読んでよかった1冊です。ラスト3月、そりに乗せられたマルカの雪景色シーンでは、母子再会の雰囲気が盛り上がります。しかし、マルカは母親を許しませんでした。母としての役割を果たさない女性は、もはや母親ではない。厳しい結末です。
 母親ハンナは若い頃、父親とけんかばかりしていました。ハンナは亡き父の言葉を思い出して悔やみます。いつも自分の考えを押し通そうとしてはいけない。頑固(がんこ)であることは、周囲にいる人を不幸にします。母ハンナは、自分が医師であることにプライドをもち快感を感じ、夫や子どものことよりも自分優先の選択をしてきました。
 戦争反対とか、民族虐待とかの背景がある作品ですが、女性の生き方を問う作品でもあります。頑固親父と言う言葉を聞きますが、頑固な女性も多い気がします。自分のやり方を変える気はありません。映画「普通の人々」では、母親が兄弟差別をします。兄をかわいがり、弟には冷たく当たります。兄が事故死したときに、弟に向かって、あんたのほうが死ねばよかったと言い放ちます。夫がいくら妻を注意しても妻の考えは変わりませんでした。夫婦は離婚し、夫が2男を引き取ります。「マルカの長い旅」は実話です。助けられたマルカはその後、母親とは暮らしていません。姉と一緒にパレスチナにいた父親と暮らしています。母親ハンナは、その後ひとりで暮らしたとあります。「許す」という言葉がないと「和」は生まれません。


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