2014年04月06日
(再々読)フェリックスとゼルダ
(再々読)フェリックスとゼルダ モーリス・グライツマン あすなろ書房
子どもたちの孤独な気持ちを救う本です。
以前話題になったドラマ「明日、ママがいない」と通ずるものがあります。
9歳のちいさな男児に本にあるようなこまかなことを考える力があるとは思えない。その点から、この物語は、おとなに成長したフェリックスの回想記です。
生き続けるために、常に、自分にとって良い方向性を見い出そうとする姿勢があります。小説は、短編をつないでいく手法です。メガネをかけたフェリックスと実はユダヤ人ではないのに逃げ隠れしているゼルダは、両親が死んでしまっているだろうという共通点を互いに抱いて、ふたりで架空のストーリーをつくっていきます。ヨーロッパ児童文学の作者、アンデルセンとか、グリム兄弟、アメリカ人バーネット、マーク・トゥエン、日本では、宮沢賢治、新美南吉などが思い浮かびます。彼らもまた、孤独な子どもたちを救いたかったとおもんばかるのです。
「銃」が登場します。強制力をもつ「国家」を表わしています。戦争に行かされたとして、実際に引き金をひけた人は少ないと思う。感情を抑えて人を殺すことができたとしても、凡人は、その後心がさいなまれて、心の病気になったと思う。
フェリックスは、未来に期待します。西暦何年には、きっと、これは、こうなっているだろうとゼルダとお話をします。後半、生きるためには「運」がいるということと、生きていて良かったという思いがつづられています。
心に残った文節です。
「孤児は想像力がないとつらい」
「いくら親でも、世界中のなにより愛している子どもを守ってやれないことがある」
(その後)
戦争ができる状態をつくると、実際に戦争になると予測しました。
(初回の読書感想文 2013年6月18日)
フェリックスとゼルダ モーリス・グライツマン あすなろ書房 2013課題図書
哀しい物語です。ユダヤ人の虐殺が素材です。おととしの課題図書「マルカの長い旅」を思い出しました。過酷でした。なにゆえに第二次世界大戦中にヨーロッパで起きたユダヤ人迫害をテーマとした本が夏の課題図書に選ばれるのか理由はわかりませんが、「差別撤廃」が趣旨なのでしょう。そして、平和の希求です。
舞台はポーランドです。フェリックスはユダヤ人夫婦のこどもで6才のときにナチスから守るために両親の手で孤児院に入れられています。今は、3年8か月が経過して9才8か月に成長しています。
その後、おとなになっているであろう彼の手による当時のふりかえりです。孤児院を脱走して、途中で出会ったゼルダという6才ぐらいの少女とのナチスドイツからの逃避行について書いてあります。
フェリックスの両親は本屋でした。両親の教育と影響によって、フェリックスはストーリー・テラー(物語を創作して語る人)に成長しています。彼の語り口は歌を聴くようです。リズミカルです。特徴はハッピーエンドにもっていくことです。各章は、「昔、ぼくは、」から始まります。だから今、フェリックスはナチスに殺されることなく生き延びて、こうして過去を語っているのです。
「マルカの長い旅」と同じく、ゲットーという名称のユダヤ人を集めて管理する区域が登場します。主題の第一は、ユダヤ人として生まれてきたことの自覚です。差別される根源は宗教にあるようですが日本人のわたしには理解できません。キリスト教でいうところの裏切り者「ユダ」がからんでいるようです。主題の第二は、親子関係でしょうか。こどもからみて、親を頼ることはできません。親を頼ってもむだなのです。不幸があります。
本にこだわりをもつ作者です。作者自身はオーストラリア人ですが、祖先がヨーロッパでユダヤ人だったとあります。ユダヤ人の母国語で書かれた本が燃やされる。イディッシュ語とあります。思想の統制です。母国語を否定されることは国民としてつらい。物語の設定は、1942年頃です。終戦は1945年ですから、まだ終わりは遠い。強制収容所でホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)は続きます。
「にんじん」が伏線として用いられています。食べ物に飢えています。スープににんじん1本が入っていたらたいそう幸福なのです。
フェリックスは両親に助けを求めます。「早く来て、母さん、父さん」。物語の最後まで、ふたりは登場しません。
ナチスが嫌いなのは、ユダヤ人の本だけじゃないのかもしれない。きらいなのは、ユダヤ人かもしれないとあります。戦争にジャッジメント(判定)をくだすことはむずかしい。ドイツ人はユダヤ人を迫害しました。ユダヤ人はパレスチナ人を攻撃しました。日本人もアジアの国々に迷惑をかけました。戦争は犯罪ではありません。戦地で人を殺しても殺人罪には問われません。恐ろしいことです。戦争に負けたら母国が消滅することもあります。何年経ってもうらみは晴れません。
苦痛をやわらげるために「物語」を編みだす。地下室で隠れて暮らす7人の子どもたちをなぐさめるためにフェリックスは創作した物語を語り続けます。しあわせな結末にもっていかねばなりません。
ゼルダの立場は複雑です。本人は気づいていませんが、フェリックスは知っています。ゼルダの両親はナチス側の人間です。でも、ナチスの対抗勢力の手によって銃殺されています。ゼルダはユダヤ人ではなくポーランド人ですから助かることができる民族です。彼女は助かろうとせず、フェリックスたちと行動をともにしました。
「カーフュー」という単語が出てきました。夜間外出禁止令と説明が続きます。外出した者は射殺されます。わたしが子どもの頃、韓国ソウルにもときおり外出禁止令がしかれていました。それを思うと今は、平和になりました。
物語の雰囲気は洋画「ライフ・イズ・ビューティフル」の映像のようでした。ユダヤ人のパパが幼い息子を守るために、自らの命を犠牲にしたお話です。ここでもパパは、ストーリー・テラーとなって、息子につらい思いをさせないように気を配ります。
その映画の感想文と「マルカの長い旅」の感想文も併記しておきます。参考にしてください。
(2回目の感想文 2013年8月18日)
戦後68年が経過しました。1942年当時のヨーロッパの記述ですから、もし本の中のフェリックスが今生きていれば、81歳ぐらい、ゼルダは77歳ぐらいでしょう。なんとなく、もうふたりは、亡くなっているような気がします。
フェリックスの個性設定は、「めげない」、「前向き」、「楽天的」です。ユダヤ人狩りには、読者も登場人物も胸がはりさけそうになりますが、フェリックスは、苦悩を自分にとって都合のいい物語を創りながら克服していきます。彼は、明るい未来を考える少年でした。
「本が大事」です。「水」が大事です。いざというとき人間は「トイレ」で困ります。殺しあう人間って何なのだろう。欲望のために群集心理が働く。一部の指導者に先導されて、だれも疑問をもたずに大波となって迫害に手を染める。
これから先も、異なる民族間の戦争はなくならないし、同一民族間の内戦・内紛もなくならないのでしょう。だれもが平和を望んでいるのに平和にならない。答のでない疑問のひとつです。
いくつかの心に残った文節です。
希望をもたせておくこと。それがぼくの作戦(両親がナチスに殺されたことが確実視されるけれど、認めたくない。)
だから作り話をした。
ここでは(地下室の隠れ家)では、だれもが物語をつくる。
いくら親でも、こどもを救えないことがある。
もし、母さんと父さんに会ったら、ぼくが、ふたりを愛していると言っていたと伝えてください。ぼくのためにせいいっぱいのことをしてくれたことはわかっている。(孤児院に入れたこと)
子どもたちの孤独な気持ちを救う本です。
以前話題になったドラマ「明日、ママがいない」と通ずるものがあります。
9歳のちいさな男児に本にあるようなこまかなことを考える力があるとは思えない。その点から、この物語は、おとなに成長したフェリックスの回想記です。
生き続けるために、常に、自分にとって良い方向性を見い出そうとする姿勢があります。小説は、短編をつないでいく手法です。メガネをかけたフェリックスと実はユダヤ人ではないのに逃げ隠れしているゼルダは、両親が死んでしまっているだろうという共通点を互いに抱いて、ふたりで架空のストーリーをつくっていきます。ヨーロッパ児童文学の作者、アンデルセンとか、グリム兄弟、アメリカ人バーネット、マーク・トゥエン、日本では、宮沢賢治、新美南吉などが思い浮かびます。彼らもまた、孤独な子どもたちを救いたかったとおもんばかるのです。
「銃」が登場します。強制力をもつ「国家」を表わしています。戦争に行かされたとして、実際に引き金をひけた人は少ないと思う。感情を抑えて人を殺すことができたとしても、凡人は、その後心がさいなまれて、心の病気になったと思う。
フェリックスは、未来に期待します。西暦何年には、きっと、これは、こうなっているだろうとゼルダとお話をします。後半、生きるためには「運」がいるということと、生きていて良かったという思いがつづられています。
心に残った文節です。
「孤児は想像力がないとつらい」
「いくら親でも、世界中のなにより愛している子どもを守ってやれないことがある」
(その後)
戦争ができる状態をつくると、実際に戦争になると予測しました。
(初回の読書感想文 2013年6月18日)
フェリックスとゼルダ モーリス・グライツマン あすなろ書房 2013課題図書
哀しい物語です。ユダヤ人の虐殺が素材です。おととしの課題図書「マルカの長い旅」を思い出しました。過酷でした。なにゆえに第二次世界大戦中にヨーロッパで起きたユダヤ人迫害をテーマとした本が夏の課題図書に選ばれるのか理由はわかりませんが、「差別撤廃」が趣旨なのでしょう。そして、平和の希求です。
舞台はポーランドです。フェリックスはユダヤ人夫婦のこどもで6才のときにナチスから守るために両親の手で孤児院に入れられています。今は、3年8か月が経過して9才8か月に成長しています。
その後、おとなになっているであろう彼の手による当時のふりかえりです。孤児院を脱走して、途中で出会ったゼルダという6才ぐらいの少女とのナチスドイツからの逃避行について書いてあります。
フェリックスの両親は本屋でした。両親の教育と影響によって、フェリックスはストーリー・テラー(物語を創作して語る人)に成長しています。彼の語り口は歌を聴くようです。リズミカルです。特徴はハッピーエンドにもっていくことです。各章は、「昔、ぼくは、」から始まります。だから今、フェリックスはナチスに殺されることなく生き延びて、こうして過去を語っているのです。
「マルカの長い旅」と同じく、ゲットーという名称のユダヤ人を集めて管理する区域が登場します。主題の第一は、ユダヤ人として生まれてきたことの自覚です。差別される根源は宗教にあるようですが日本人のわたしには理解できません。キリスト教でいうところの裏切り者「ユダ」がからんでいるようです。主題の第二は、親子関係でしょうか。こどもからみて、親を頼ることはできません。親を頼ってもむだなのです。不幸があります。
本にこだわりをもつ作者です。作者自身はオーストラリア人ですが、祖先がヨーロッパでユダヤ人だったとあります。ユダヤ人の母国語で書かれた本が燃やされる。イディッシュ語とあります。思想の統制です。母国語を否定されることは国民としてつらい。物語の設定は、1942年頃です。終戦は1945年ですから、まだ終わりは遠い。強制収容所でホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)は続きます。
「にんじん」が伏線として用いられています。食べ物に飢えています。スープににんじん1本が入っていたらたいそう幸福なのです。
フェリックスは両親に助けを求めます。「早く来て、母さん、父さん」。物語の最後まで、ふたりは登場しません。
ナチスが嫌いなのは、ユダヤ人の本だけじゃないのかもしれない。きらいなのは、ユダヤ人かもしれないとあります。戦争にジャッジメント(判定)をくだすことはむずかしい。ドイツ人はユダヤ人を迫害しました。ユダヤ人はパレスチナ人を攻撃しました。日本人もアジアの国々に迷惑をかけました。戦争は犯罪ではありません。戦地で人を殺しても殺人罪には問われません。恐ろしいことです。戦争に負けたら母国が消滅することもあります。何年経ってもうらみは晴れません。
苦痛をやわらげるために「物語」を編みだす。地下室で隠れて暮らす7人の子どもたちをなぐさめるためにフェリックスは創作した物語を語り続けます。しあわせな結末にもっていかねばなりません。
ゼルダの立場は複雑です。本人は気づいていませんが、フェリックスは知っています。ゼルダの両親はナチス側の人間です。でも、ナチスの対抗勢力の手によって銃殺されています。ゼルダはユダヤ人ではなくポーランド人ですから助かることができる民族です。彼女は助かろうとせず、フェリックスたちと行動をともにしました。
「カーフュー」という単語が出てきました。夜間外出禁止令と説明が続きます。外出した者は射殺されます。わたしが子どもの頃、韓国ソウルにもときおり外出禁止令がしかれていました。それを思うと今は、平和になりました。
物語の雰囲気は洋画「ライフ・イズ・ビューティフル」の映像のようでした。ユダヤ人のパパが幼い息子を守るために、自らの命を犠牲にしたお話です。ここでもパパは、ストーリー・テラーとなって、息子につらい思いをさせないように気を配ります。
その映画の感想文と「マルカの長い旅」の感想文も併記しておきます。参考にしてください。
(2回目の感想文 2013年8月18日)
戦後68年が経過しました。1942年当時のヨーロッパの記述ですから、もし本の中のフェリックスが今生きていれば、81歳ぐらい、ゼルダは77歳ぐらいでしょう。なんとなく、もうふたりは、亡くなっているような気がします。
フェリックスの個性設定は、「めげない」、「前向き」、「楽天的」です。ユダヤ人狩りには、読者も登場人物も胸がはりさけそうになりますが、フェリックスは、苦悩を自分にとって都合のいい物語を創りながら克服していきます。彼は、明るい未来を考える少年でした。
「本が大事」です。「水」が大事です。いざというとき人間は「トイレ」で困ります。殺しあう人間って何なのだろう。欲望のために群集心理が働く。一部の指導者に先導されて、だれも疑問をもたずに大波となって迫害に手を染める。
これから先も、異なる民族間の戦争はなくならないし、同一民族間の内戦・内紛もなくならないのでしょう。だれもが平和を望んでいるのに平和にならない。答のでない疑問のひとつです。
いくつかの心に残った文節です。
希望をもたせておくこと。それがぼくの作戦(両親がナチスに殺されたことが確実視されるけれど、認めたくない。)
だから作り話をした。
ここでは(地下室の隠れ家)では、だれもが物語をつくる。
いくら親でも、こどもを救えないことがある。
もし、母さんと父さんに会ったら、ぼくが、ふたりを愛していると言っていたと伝えてください。ぼくのためにせいいっぱいのことをしてくれたことはわかっている。(孤児院に入れたこと)
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