2014年02月09日

とっぴんぱらりの風太郎 万城目学

とっぴんぱらりの風太郎(ぷうたろう) 万城目学(まきめまなぶ) 文藝春秋

 時代設定は、1600年関が原の合戦が終わって15年後ぐらい。大阪冬の陣、夏の陣です。天下は家康のものとなり、泰平(たいへい。戦(いくさ)のない平和な世界)に向かっている。風太郎はふうたろうではなく、ぷうたろうで、伊賀忍者です。各地の大名にとって、泰平の世の中にもう忍者はいらない。そして、豊臣家もいらない。消えていく者たちの哀愁が下地になっています。
 舞台は三重県伊賀上野城、京都吉田山、大阪堺、大阪城と、いずれも訪れたことがあるので、読んでいて情景想像がたやすく、物語を身近に感じることができました。
 親なし子たちがもらわれて訓練されて忍者になる。風太郎の18歳から20歳ぐらいの出来事内容です。ベースキャンプ方式の構成です。物語の中心に風太郎を置き、周囲に配置した他の忍者たちがときおり風太郎に近づき、小さな物語を展開していきます。
 746ページの長編ですが読みやすい。それほど日にちはかかりません。
 忍者というものは、影の存在であり、感情を押し殺して、命令どおりに動くロボットという先入観をもっていました。この物語で、作者は忍者たちに喜怒哀楽の感情をこめます。男女のLOVEも注入します。最後のシーンは物悲しい。
 ひょうたんの話にページが費やされています。中国の孫悟空のようなシーンもあります。前半は、ひょうたんのことばかりで、趣旨をとれませんでしたが、600ページ以降は幻想的で好みです。京都大学近くの吉田山をねぐらとする風太郎は、吉田山の狸ではなかろうかという空想も生まれました。この物語の内容は、「プリンセス・トヨトミ」同作者作品につながるものでした。
 戦闘シーンは、個々の戦いを中心に描かれています。相手方のボス「残菊」は手強い。敵にしても味方にしても、腕っぷしだけでは生きていけない世の中の転換期があります。作中にある「忍びの時代は終わった」という表現がこの物語のテーマでもあります。心に残ったセリフは、「ならば、風太郎もいつか誰かを救えばよい」でした。

 プリンセス・トヨトミの感想文をハードディスクで見つけたので付け足しておきます。2009年に書いた感想文です。

プリンセス・トヨトミ 万城目学(まきめまなぶ) 文藝春秋

 ゲームシナリオのようでした。現代日本人作家の筆致はこのような形式が主流になってきているのだろうか。ドラマ化、アニメ化が狙いなのでしょう。
 会計検査院の3名が大阪府庁を検査するわけですが、会計検査院の業務がきっかとなるだけで、それ以上に深い部分まで会計検査院の業務に踏み込むわけではありません。
 歴史解説は面白い。大阪城は豊臣秀吉がつくったものの上に徳川家が構築物をおおいかぶせてあるということは初めて知りました。
 舞台のひとつになる「空堀(からほり、からぼり)商店街」は実在するようです。内容の大半は、中学生向けの物語のようです。「OJO」の意味が、大阪人の大阪に対する愛着であることが判明します。
 大阪の活動停止は、ストライキを意味する。阪神・淡路大震災発生直後と似て、情報が他の地域に伝達されない。学校の閉校は、新型インフルエンザの国内感染患者発生後の対策のようです。
 斬新な発想によって産み出された作品でした。

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