2013年12月17日

そして父になる 是枝裕和 佐野晶

そして父になる 是枝裕和 佐野晶 宝島社文庫

 映画は観ていません。読書の経過をたどってみます。
 野々宮良太42才180cm70kg大手三嵜建設建築設計本部社員、その妻みどり29才ぱっとしない風貌、ふたりの息子慶多6才年長、成華学園初等部(私立小学校)受験生、病院にて7月28日9時37分生まれがいます。出産時の取り違えが物語の素材です。(実は取り違えではない。)
 もういっぽうに、斎木雄大46才つたや商店でんきのドクター、その妻ゆかり32才美人、元ヤンキーらしい、ふたりの間にこどもが3人、琉晴(りゅうせい。本当は野々宮夫婦の息子)、弟大和、妹美結がいます。
 野々宮良太側の考察から始まります。読みながら、自分だったらという思考が動き始めます。「養子」という単語が頭に浮かびます。6年間の経過と実績を重視して、相手の子どもを戸籍上は養子とし、現実には、実子のつもりで育てる。
 両親たちは苦悩します。ただし、文章上、斎木家については、表面と内面が異なる表現がなされます。病院からの賠償金を期待して<お金にこだわってなにが悪い。あんたほど(野々宮良太)、うちは裕福じゃないんだ>という論法は現実にあります。しかし、内面は、野々宮良太同様に傷ついています。
 読みながら、「親子関係」を決めるのはおとなでなくて、子どもだと悟ります。自分としては、それぞれ相手の子どもを自分の子どもとして育てる。時間をかけて、事情をのみこめて自己判断ができるおとなに育つまで待つ。しかし、良案のようですが実行することはむずかしい。
 斎木家には、八百万(やおよろず)の神が宿っています。いい雰囲気です。両家は交流を保ちながら、ふた家族で、ふたりの子どもを育ててゆくべきと気づきます。
 しかし、ふたつの家族はそうしません。弁護士の勧めで、子どもを交換したあとの暮らしは重苦しい。
 エリート社員野々宮良太は、ねたみで子を取り替えられ、仕事でも失脚します。
 最後のほうはみんな、ヤケクソです。こだわることに何か意味があるのだろうか。斎木雄大は偉大です。野々宮良太は謝罪しなければなりません。許容、そして流れにのる。親はつらい。
 印象に残った表現部分です。
 斎木ゆかりが、野々宮慶多に、にっこり笑ってウィンクしたシーン。
 「わざとやりました」
 「関係ある」、「俺のかあさんだ」
 「パパなんかパパじゃない」

 この本を読んで得た教訓として、女性は、出産することで母親になれるけれど、男性は、子どもが生まれたからといって、父親になれたわけではない。男性は、強い意志をもって、父親になるという努力をしないと父親にはなれない。

(後日)
  映画を観た人と話していて、小説にある野々宮良太の左遷話は、映画では割愛(かつあい。カット)されているようでした。

(その後の読書感想)
  ふりかえってみれば、映像化を意識した文章群でした。

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