2013年12月02日
みなさん、さようなら 映画 DVD
みなさん、さようなら 映画 DVD
フランス語の映画です。舞台はフランス国ではなく、カナダ国フランス語圏内です。
おそらく癌で余命間もなくという宣告を受けた初老の男性、大学歴史学の教授であるレミ、彼の妻、息子、娘、友人たちとの命最後の交流を映像化してあります。物語はフィクションです。
ひとつは、むずかしい。英語圏とフランス語圏の文化の相違があります。映画監督の思想に米国分析があります。やがてアメリカ帝国はローマ帝国同様に滅亡するという説です。
カトリックキリスト教の下地があります。労働組合のマイナス面がエピソードとして出てきます。お金をめぐる不正があります。薬物による安楽、人類虐殺に関する歴史認識、登場人物たちの言葉数は多い。
暗くて複雑な下地の上になりたっている映画ですが、笑いがあります。妻と夫の愛人だった女性たちとが、夫をあの世へ見送ります。映画全体をおおうのが、猥談(わいだん)です。生き方で対立していた父親と息子の和解があります。それもこれも、最期(さいご。命の最後)だからです。
安楽死という重いテーマがあります。本人の意識があることから、安楽死というよりも自殺です。医療行為において、もう助からないという病状におかれたとき、本人は、自らの死に方を選択し始めます。
鑑賞者は、自らの「死」ついて考え始めます。あわせて「生」についても考えます。自分はいつまで生きることができるのかという疑問を自らにぶつけることになります。主人公は、「死」を納得して受け入れることで葛藤(かっとう。もがき苦しむ)します。
対立する父と息子との関係において、加えて、死に目に会うことができない父と娘の関係において、親の立場からいえば、こどもに対して、あなたが元気ならそれでいい。親のことなど気にかけず、あなたはあなたの生きたいように生きなさいと導きます。
子どもが小さい頃は、親がこどもの面倒をみる。子どもが大きくなって、親が老いたら、子どもが親の面倒をみる。「繰り返し」というイメージが浮かびました。
大金持ちの息子と貧乏な親父の口論は爽快でした。
エンディング曲が美しかった。
フランス語の映画です。舞台はフランス国ではなく、カナダ国フランス語圏内です。
おそらく癌で余命間もなくという宣告を受けた初老の男性、大学歴史学の教授であるレミ、彼の妻、息子、娘、友人たちとの命最後の交流を映像化してあります。物語はフィクションです。
ひとつは、むずかしい。英語圏とフランス語圏の文化の相違があります。映画監督の思想に米国分析があります。やがてアメリカ帝国はローマ帝国同様に滅亡するという説です。
カトリックキリスト教の下地があります。労働組合のマイナス面がエピソードとして出てきます。お金をめぐる不正があります。薬物による安楽、人類虐殺に関する歴史認識、登場人物たちの言葉数は多い。
暗くて複雑な下地の上になりたっている映画ですが、笑いがあります。妻と夫の愛人だった女性たちとが、夫をあの世へ見送ります。映画全体をおおうのが、猥談(わいだん)です。生き方で対立していた父親と息子の和解があります。それもこれも、最期(さいご。命の最後)だからです。
安楽死という重いテーマがあります。本人の意識があることから、安楽死というよりも自殺です。医療行為において、もう助からないという病状におかれたとき、本人は、自らの死に方を選択し始めます。
鑑賞者は、自らの「死」ついて考え始めます。あわせて「生」についても考えます。自分はいつまで生きることができるのかという疑問を自らにぶつけることになります。主人公は、「死」を納得して受け入れることで葛藤(かっとう。もがき苦しむ)します。
対立する父と息子との関係において、加えて、死に目に会うことができない父と娘の関係において、親の立場からいえば、こどもに対して、あなたが元気ならそれでいい。親のことなど気にかけず、あなたはあなたの生きたいように生きなさいと導きます。
子どもが小さい頃は、親がこどもの面倒をみる。子どもが大きくなって、親が老いたら、子どもが親の面倒をみる。「繰り返し」というイメージが浮かびました。
大金持ちの息子と貧乏な親父の口論は爽快でした。
エンディング曲が美しかった。
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