2013年10月10日

巨鯨の海 伊東潤

巨鯨の海 伊東潤 光文社

 捕鯨に対する風当たりが強い中、中心地である和歌山県太地町をもろに舞台にして、江戸後期の古代式捕鯨の姿が豪快に記述してあるのですが、読み手の気持ちは複雑です。
 ほとんどの人間にとって、捕鯨は遠い存在です。海で野生の鯨を見る機会は少ない。現代人にとって、鯨は食べるものではなく、観光でながめるものとなっています。ときには、「神」のようなもので、鯨を見ると人生観が変わるといわれています。以前読んだ本屋大賞候補作では、自殺志願者3人が、鹿児島まで鯨を見に行って救われています。
 6篇の短編です。
「旅刃刺の仁吉(たびはざしのにきち)」鯨に銛(もり)を打ち込む役が刃刺(はざし)です。旅がつくのは、よそ者をさします。鯨を仕留めるシーンは血の海です。目をそむけたくなるほどの記述です。何十本もの銛が鯨の体に突き刺さります。江戸時代後期の捕鯨の様子なので、実際を観た人はいません。その点で、本作品は小説です。妾腹に生まれた音松15歳がいます。本妻の息子石松19歳との間に身分差別があります。石松の掟破りが出てきますが、その設定内容は現実にはなかったと判断しました。また、一度限りの過ちでその者のすべてを奪うという日本人心理も江戸末期にはなかったと判断しました。この短編は力が入りすぎています。心に残ったフレーズは、「鯨漁なくして、太地の民は食べていけない」でした。
「恨み鯨(うらみくじら)」読み終えても心が晴れ晴れとしない作品群です。銛を何十本も打ち込まれた鯨の気持ちになるからです。捕鯨反対の声が脳で重なります。祥太夫と徳太夫、堅苦しい一方的な記述が続きます。力づくでもあります。心に残ったフレーズは、「そのせみ鯨は、産んだばかりの子鯨を伴っていた」。このあとの短編でも親子鯨が登場します。親子鯨の愛情は深い。深いけれど、漁師たちは親鯨を狙います。鯨には人間に対する復讐心があります。
「物言わぬ海」江戸落語を聴くようです。クジラの骨や歯に細工をほどこして売る。耳が聞こえない喜平次とぜんそくもちの与一が出てきます。短編集は、太地で鯨にすがって生きる人々の群像を描きます。
「比丘尼殺し(びくにころし)」この短編だけが異質です。江戸の岡っ引き事件帖風です。複数の尼さんを殺した太地の鯨捕りを追い詰めます。捜査役として、岡野庄左衛門が登場します。だれかがだれかをかばった。江戸時代のこととして、証拠は証拠にならない。
「訣別の時(けつべつのとき)」全編をとおして方言がわかりにくい。「わい」が、自分を指すのか、相手を指すのかわかりにくい。文章による描写は洋画「ジョーズ」を見ているようです。
「弥惣平の鐘(やそうへいのかね)」この作品は抜群に出来がいい。光り輝いています。明治11年(1878年)の記録です。今から155年前ですが、50年以上生きている自分にとっては、100年前ぐらいに感じます。人が鯨に負けます。


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