2013年08月03日
よだかの星 宮沢賢治
よだかの星 宮沢賢治 ミキハウスの絵本
(1回目の本読み感想)
きっと小学生のときに読んだことがあるのでしょう。孤独なよだかという鳥が、夜空の上空に向かって飛び続けて星になる物語という記憶が残っています。50年ぐらいの時を隔てて、再び読んでみました。
アンデルセンの「みにくいアヒルの子」に似ているけれど、よだかのほうは、ハッピーエンドではありません。いじめにあっている小学生が読む本に思えましたが、内容は、こどもにもおとなにも理解がむずかしい。
よだかという鳥を見たことがないのですが、絵をみる限り「ウズラ」に見えます。ウズラは羽が小さくて飛べないのですが、よだかは飛ぶことができます。同じ種類の鳥として、虹色に輝く羽をもったカワセミ、そして、ハチドリ(たしか、世界一ちいさな鳥)とあります。インターネットで調べてよだかの写真を見ました。物語にあるほど、みにくい姿ではありません。鷹に見えます。宮沢賢治さんは、なぜ、ちゃんとした鳥を卑下(ひげ、みくだした)したのか。
擬人化(ぎじんか)してあります。よだかも彼の周囲にいる動物たちも実は人間です。いなくなれ! あんたなんて、どっかいっちゃえ。説得であり恫喝(どうかつ、野蛮なおどし)です。あざけり(軽べつする)もあります。
鷹はよだかに「市蔵」に改名せよと指示します。「市蔵」は人間の名前であって、鳥の種類を示す固有名詞ではありません。よだかはよだかとして生きるし、ユダヤ人はユダヤ人としていきる。生まれの基本を変えることはできません。
「山焼け」の意味がわからず読み終えました。巻末の説明を見ると「山焼き」、たとえば、奈良市若草山で毎年1月に行われる山焼きです。害虫駆除と栄養分のある土をつくることが目的です。読んだときは、朝焼けとか夕焼けとか考えましたが、時刻が場面と合わないのです。
テーマはむずかしい。「自死」を讃えるとも受け取れます。宗教的な要素が含まれているのかもしれない。しかし、自殺を肯定する宗教があるとは思えない。よだかは、物語の中では、表面的には「星」になっている。しかし、実際は、羽ばたき疲れて、よだかは、空のかなり高い位置から墜落して、地面に叩きつけられた。すっきりしないあいまいな記述です。まっすぐに、<星になった>という表現にあえてしていない。なぜか。うらみ、つらみ(つらいこと)、憎しみがある。太陽についての神の存在。星へ向かって飛ぶ行為の意味。身分制度、差別社会、星になることの意味。わからないことが多い。
(2回目の本読み感想)
絵は文章に合ってはいない。日本国東北地方山奥を描いた絵ではない。ヨーロッパフランス地方を連想させる絵です。ただ、宮沢文学はヨーロッパ的です。文章はフランスに合う。
外見で差別する。たとえば肌の色であったりする。障害者であったりもする。中身は、普通の人間の性格なのに、人間は人間を差別したがる。人間は、だれかを仲間はずれにして、いじめて、ストレスの解消をしたがる。その点で、この物語は、人間の「悪」をあばく作品です。自分よりも下の人間がいることで自分を安心させる。
いじめにあう側は、たいてい無力だ。反撃ができない。ただし、よだかはこの世の一羽(いちわ)ではない。同じくよだかの仲間がいる。
色彩表現が秀逸です。山火事のような山焼けの炎の色、漆黒の夜、カワセミの輝く羽、短い夏の夜、緑色したしだの葉、白い霧、よだかは小さな白い光になりたい。
太陽の言葉、「おまえは昼鳥ではない」。意味は深い。
複数の星座からもお断りの返事をいただく。なんど努力しても星になりたい希望はかなえられない。
強い意思をもつ。下腹部に力をこめて、自分は自分として生きると固く誓う。相手に力負けしてもいいから向かっていく。
(ほかの方の感想を読みました。)
自力では物語の趣旨をつかめないためほかの方はどんな感想をもっていらっしゃるのか調べました。
ふーむ。これだという感想がみあたりません。
物語は決め付け過ぎているのだろう。横方向とか斜め方向への逃げ道がない。リラックスして、肩の力を抜いて、あははと笑って暮らせる余地と猶予がどこかにある。人間界は悪人ばかりではない。
(1回目の本読み感想)
きっと小学生のときに読んだことがあるのでしょう。孤独なよだかという鳥が、夜空の上空に向かって飛び続けて星になる物語という記憶が残っています。50年ぐらいの時を隔てて、再び読んでみました。
アンデルセンの「みにくいアヒルの子」に似ているけれど、よだかのほうは、ハッピーエンドではありません。いじめにあっている小学生が読む本に思えましたが、内容は、こどもにもおとなにも理解がむずかしい。
よだかという鳥を見たことがないのですが、絵をみる限り「ウズラ」に見えます。ウズラは羽が小さくて飛べないのですが、よだかは飛ぶことができます。同じ種類の鳥として、虹色に輝く羽をもったカワセミ、そして、ハチドリ(たしか、世界一ちいさな鳥)とあります。インターネットで調べてよだかの写真を見ました。物語にあるほど、みにくい姿ではありません。鷹に見えます。宮沢賢治さんは、なぜ、ちゃんとした鳥を卑下(ひげ、みくだした)したのか。
擬人化(ぎじんか)してあります。よだかも彼の周囲にいる動物たちも実は人間です。いなくなれ! あんたなんて、どっかいっちゃえ。説得であり恫喝(どうかつ、野蛮なおどし)です。あざけり(軽べつする)もあります。
鷹はよだかに「市蔵」に改名せよと指示します。「市蔵」は人間の名前であって、鳥の種類を示す固有名詞ではありません。よだかはよだかとして生きるし、ユダヤ人はユダヤ人としていきる。生まれの基本を変えることはできません。
「山焼け」の意味がわからず読み終えました。巻末の説明を見ると「山焼き」、たとえば、奈良市若草山で毎年1月に行われる山焼きです。害虫駆除と栄養分のある土をつくることが目的です。読んだときは、朝焼けとか夕焼けとか考えましたが、時刻が場面と合わないのです。
テーマはむずかしい。「自死」を讃えるとも受け取れます。宗教的な要素が含まれているのかもしれない。しかし、自殺を肯定する宗教があるとは思えない。よだかは、物語の中では、表面的には「星」になっている。しかし、実際は、羽ばたき疲れて、よだかは、空のかなり高い位置から墜落して、地面に叩きつけられた。すっきりしないあいまいな記述です。まっすぐに、<星になった>という表現にあえてしていない。なぜか。うらみ、つらみ(つらいこと)、憎しみがある。太陽についての神の存在。星へ向かって飛ぶ行為の意味。身分制度、差別社会、星になることの意味。わからないことが多い。
(2回目の本読み感想)
絵は文章に合ってはいない。日本国東北地方山奥を描いた絵ではない。ヨーロッパフランス地方を連想させる絵です。ただ、宮沢文学はヨーロッパ的です。文章はフランスに合う。
外見で差別する。たとえば肌の色であったりする。障害者であったりもする。中身は、普通の人間の性格なのに、人間は人間を差別したがる。人間は、だれかを仲間はずれにして、いじめて、ストレスの解消をしたがる。その点で、この物語は、人間の「悪」をあばく作品です。自分よりも下の人間がいることで自分を安心させる。
いじめにあう側は、たいてい無力だ。反撃ができない。ただし、よだかはこの世の一羽(いちわ)ではない。同じくよだかの仲間がいる。
色彩表現が秀逸です。山火事のような山焼けの炎の色、漆黒の夜、カワセミの輝く羽、短い夏の夜、緑色したしだの葉、白い霧、よだかは小さな白い光になりたい。
太陽の言葉、「おまえは昼鳥ではない」。意味は深い。
複数の星座からもお断りの返事をいただく。なんど努力しても星になりたい希望はかなえられない。
強い意思をもつ。下腹部に力をこめて、自分は自分として生きると固く誓う。相手に力負けしてもいいから向かっていく。
(ほかの方の感想を読みました。)
自力では物語の趣旨をつかめないためほかの方はどんな感想をもっていらっしゃるのか調べました。
ふーむ。これだという感想がみあたりません。
物語は決め付け過ぎているのだろう。横方向とか斜め方向への逃げ道がない。リラックスして、肩の力を抜いて、あははと笑って暮らせる余地と猶予がどこかにある。人間界は悪人ばかりではない。
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