2013年06月16日
何者 朝井リョウ 新潮社
何者 朝井リョウ 新潮社
硬い表紙をめくる。なんだろう。写真とひとコマコメントの画像が6個並んでいる。パソコン画面の項目か。携帯電話の画面らしい。その方面はうといので、すんなり理解できない。自己紹介として、劇団、音楽バンド、留学などの文字が並んでいました。
就職活動に関する若者たちの気持ちを綴った小説です。世代の差を感じました。「就活」は、就職活動ですが、自分の世代で考えると「求職活動」ではなかろうか。文章を読みながら感じたことは、悲壮感がありません。就活をしている一部の若者集団の描写です。のらりくらりとした狭いグループ内の様子が、電子情報を介して紹介してあります。どうやって食べているのだろう。(どこから生活費が出ているのだろう。仕送りか。)6人の彼らは、大学5年生です。途中、留学ほかで休学期間がある学生さんなどがいます。
物語の進行役が、二宮拓人で、神谷幸太郎とルームシェアをしています。大学は東京近郊です。ふたりの上階に住むのが、宮本隆良と小早川理香で同棲状態です。拓人と幸太郎のマドンナ的存在が、アメリカ留学帰りの瑞月ですが、彼女は両親の不仲、母親のメンタルで悩んでいます。
わからない言葉がいくつか登場します。ESは求職の申込書、エントリーシートでしょう。スカイプは電話。内定者ボランティア(内定者が就職活動中の学生に助言する。)、就職サイトオープン(昔はそのようなものはなかった)、キーマカレー(ドライカレーみたいです。)、就職試験の合否は携帯電話で確認。エリア職(転勤なし)。何でもインターネットの時代になりました。短縮語・省略語が多い。いいともわるいともいえませんが手抜きだと感じるわたしは古い世代です。脳の中身まで省略されている気がしてなりません。
登場人物たちの経歴は芸術部門です。音楽、演劇、留学。なかなか就職先が見つかりません。共通の立場にたつ6人組は、最初は愚痴のこぼしあい仲間で気があいますが、それも表面上のことであることが徐々にあばかれていきます。ことに語り手、二宮拓人が攻撃の対象にされます。
昔でいうところの女子の結婚に似ている。すべてのメンバーが未婚のうちは仲良しだけれど、ひとり、またひとりと結婚していくと、残されたほうはさすがにあせります。ただし、この小説では、なかなか、内定者が出ません。内定者が出たときお祝い会を開催しますが、二宮拓人の気持ちには羨望(せんぼう、うらやましい)と引け目の気持ちが発生します。狭い空間内での裏切りがあります。
不確かな電子情報に振り回される。匿名性の強い電子情報の世界で人間性を問われる。「何者」は「何様」に通じます。
前半、ゆったりだった話の展開は、後半でスピードアップします。男子は女子に徹底的に叩きのめされます。
就職先を有名とか、かっこいいで選択することは愚かしい。
自己を知る。身の丈に合った就職先を探す。
面接試験風景が出てきます。面接で、たとえば受験者が10人いるとすると、ずばぬけた能力と経験をもっている人が2人ぐらい、その反対が2人ぐらい、残りはどんぐりの背比べ。この比率は人数が増えてもそれほど変わりません。1人を選ぶ場合、合格はかなりむずかしい。
就職がむずかしいのは、大卒者の数が多すぎるからかもしれません。将来の幹部候補生の数は少ない。現場が数多く求めているのは、アリのように組織を維持するためにせっせと働く労働者です。ばかになってお金のために愚直に働く人間です。理屈ばかりこねる二宮くんに声はかかりません。同じく、宮本隆良さんには、そう思うのなら、組織に属せず自営業で食べていく道を選んで欲しい。それでも、孤立では仕事は成り立ちません。
以下、印象に残った文節です。
企業に入らず、何者かである個人として生きていく
直接会話をしていない。ツイッターでやりとりをした
ちゃんと就職しないとダメなんだ
就職はしない。(演劇の)舞台の上で生きる
本当に大切なことは、情報発信場所には書かない
本当に伝えたいことを伝えられなくなっていく
自分の線路を見てくれる人数が変わっていく
私たちはもう、たったひとり
人ごとのように言うメンバーに対する瑞月の抗議
ギンジと隆良は違う
自分でしていくしかない
観察者
ほんとうは、だれのことも応援していない
だれかを分析することで上位者になった気分でいる
自分は自分にしかなれない
悪あがきするしかない
自分の中から点数を出せ
いちど読んだだけなので、メッセージをきちんと受けとめきれていない部分もあります。再読するかどうかは迷っています。
硬い表紙をめくる。なんだろう。写真とひとコマコメントの画像が6個並んでいる。パソコン画面の項目か。携帯電話の画面らしい。その方面はうといので、すんなり理解できない。自己紹介として、劇団、音楽バンド、留学などの文字が並んでいました。
就職活動に関する若者たちの気持ちを綴った小説です。世代の差を感じました。「就活」は、就職活動ですが、自分の世代で考えると「求職活動」ではなかろうか。文章を読みながら感じたことは、悲壮感がありません。就活をしている一部の若者集団の描写です。のらりくらりとした狭いグループ内の様子が、電子情報を介して紹介してあります。どうやって食べているのだろう。(どこから生活費が出ているのだろう。仕送りか。)6人の彼らは、大学5年生です。途中、留学ほかで休学期間がある学生さんなどがいます。
物語の進行役が、二宮拓人で、神谷幸太郎とルームシェアをしています。大学は東京近郊です。ふたりの上階に住むのが、宮本隆良と小早川理香で同棲状態です。拓人と幸太郎のマドンナ的存在が、アメリカ留学帰りの瑞月ですが、彼女は両親の不仲、母親のメンタルで悩んでいます。
わからない言葉がいくつか登場します。ESは求職の申込書、エントリーシートでしょう。スカイプは電話。内定者ボランティア(内定者が就職活動中の学生に助言する。)、就職サイトオープン(昔はそのようなものはなかった)、キーマカレー(ドライカレーみたいです。)、就職試験の合否は携帯電話で確認。エリア職(転勤なし)。何でもインターネットの時代になりました。短縮語・省略語が多い。いいともわるいともいえませんが手抜きだと感じるわたしは古い世代です。脳の中身まで省略されている気がしてなりません。
登場人物たちの経歴は芸術部門です。音楽、演劇、留学。なかなか就職先が見つかりません。共通の立場にたつ6人組は、最初は愚痴のこぼしあい仲間で気があいますが、それも表面上のことであることが徐々にあばかれていきます。ことに語り手、二宮拓人が攻撃の対象にされます。
昔でいうところの女子の結婚に似ている。すべてのメンバーが未婚のうちは仲良しだけれど、ひとり、またひとりと結婚していくと、残されたほうはさすがにあせります。ただし、この小説では、なかなか、内定者が出ません。内定者が出たときお祝い会を開催しますが、二宮拓人の気持ちには羨望(せんぼう、うらやましい)と引け目の気持ちが発生します。狭い空間内での裏切りがあります。
不確かな電子情報に振り回される。匿名性の強い電子情報の世界で人間性を問われる。「何者」は「何様」に通じます。
前半、ゆったりだった話の展開は、後半でスピードアップします。男子は女子に徹底的に叩きのめされます。
就職先を有名とか、かっこいいで選択することは愚かしい。
自己を知る。身の丈に合った就職先を探す。
面接試験風景が出てきます。面接で、たとえば受験者が10人いるとすると、ずばぬけた能力と経験をもっている人が2人ぐらい、その反対が2人ぐらい、残りはどんぐりの背比べ。この比率は人数が増えてもそれほど変わりません。1人を選ぶ場合、合格はかなりむずかしい。
就職がむずかしいのは、大卒者の数が多すぎるからかもしれません。将来の幹部候補生の数は少ない。現場が数多く求めているのは、アリのように組織を維持するためにせっせと働く労働者です。ばかになってお金のために愚直に働く人間です。理屈ばかりこねる二宮くんに声はかかりません。同じく、宮本隆良さんには、そう思うのなら、組織に属せず自営業で食べていく道を選んで欲しい。それでも、孤立では仕事は成り立ちません。
以下、印象に残った文節です。
企業に入らず、何者かである個人として生きていく
直接会話をしていない。ツイッターでやりとりをした
ちゃんと就職しないとダメなんだ
就職はしない。(演劇の)舞台の上で生きる
本当に大切なことは、情報発信場所には書かない
本当に伝えたいことを伝えられなくなっていく
自分の線路を見てくれる人数が変わっていく
私たちはもう、たったひとり
人ごとのように言うメンバーに対する瑞月の抗議
ギンジと隆良は違う
自分でしていくしかない
観察者
ほんとうは、だれのことも応援していない
だれかを分析することで上位者になった気分でいる
自分は自分にしかなれない
悪あがきするしかない
自分の中から点数を出せ
いちど読んだだけなので、メッセージをきちんと受けとめきれていない部分もあります。再読するかどうかは迷っています。
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