2013年06月15日

ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 2013課題図書

ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社 2013課題図書

 ジョン万次郎に関する物語を読むのは、3本目です。この本では、万次郎の14歳から22歳ぐらいまでを重点的に記述してあります。その後の半生のほうがはるかに永い。後半の人生では、当時の日本と外国とのかけはし役を果たした功績があります。
 漁師の子がサムライになるという立身出世伝があります。サムライになれたときに、武家社会が崩壊します。皮肉なものですが、士農工商という身分制度がとりはらわれ、職業選択の自由が保障された快挙でもあります。なにせ鎖国は200年以上続いたのです。
 捕鯨話があります。捕鯨は残酷だから禁止と主張する外国も150年ぐらい前は捕鯨の先進国だったのです。時代の変化とともに価値観も変化していく。その点が興味深い。結局、人間はどんな環境のなかでも形を変えながら適応し発展していく能力をもっています。
 米国人の人種差別の根は深い。黒人のみならず、黄色人種にもあたります。白しか認めない。人間の愚かな部分です。
 漂流して、米国東海岸に運ばれて、なかば米国人として育つ。帰郷の思いが果たせるのはさらに永い年月が経ってからです。米国人が計画的に大海原の船旅をしていたころ、日本人が外国へいくには、漂流というアクシデントだった。国家の技術力の差は大きい。
 万次郎は、動物のように、天を見上げて、あきらめて、うつむいて、再び顔をあげて、もの言わぬ動物のように、営みを再開するのです。人間の忍耐力はすばらしい。耐えたことがいいことにつながっています。
 この本は米国人の手による物語です。きっと、作者は日本人を尊敬しているからこの物語を英語で書いたのでしょう。さし絵はジョン万次郎自身の手によるものがたくさん入れられています。貴重な絵です。
 10代の万次郎は新世界への興味が強い。「聖書」、「油」、「クジラの解体」。学習意欲は旺盛です。この時期にしっかり勉強しておくと人生の後半で花を咲かせることができます。親兄弟に会えない淋しさをホイット・フィールド船長が補ってくれます。彼もまたひとりぼっちでした。お互いに父親を亡くしていたことが共通点でした。いい出会いが人生をいい方向へ導いてくれます。
 わたしが生まれる100年ぐらい前の話です。身近に感じます。読みやすい読み物でした。歴史に興味をもつ。人物に感心をもつ。感想文書きの参考に、すでに読んだ他の本のうちの1本の感想文が保存して会ったので以下に落としておきますが、その前に、印象に残った文節を記しておきます。その文節の一節からでも書き出せる可能性があることを紹介しておきます。

 漁師の息子に生まれたものは漁師になる。そういうものだ。これまでもずっとそうだったし、これからもずっとそうだ。
 「あしたもまたみられるさ」
 「オポチュニティがいっぱいです。」(チャンス、機会がいっぱいという意味)
 「学校はすべてがはじまるところだ」
 日本語の読み書きができなかった。英語の読み書きを習うことになった。
 アメリカ人社会にとけこめないことはわかっていた。
 どちらの国も相手の国を見くだしている。
 なじみのない、ときには冷淡な環境で生きていかなければならない。
 「地図は、招待状のようです。」 
 
ジョン万次郎物語 ウエルカム ジョン万の会 冨山房インターナショナル

 50年ちょっと生きてきましたが、知っているようで知らないことがまだまだたくさんあります。ジョン万次郎は単独で遭難しアメリカへ渡ったと思い込んでいました。この本を読んで違うことがわかりました。5人が乗船した漁船で嵐に遭い、とある島へ漂着後、アメリカの捕鯨船に助けられた。彼らはハワイへ移りそこで暮らした者、亡くなった者がいる。そして、ジョン万次郎だけがアメリカ本土へ渡った。彼は、アメリカで教育を受けて何年も経ってから船に乗りハワイ経由で帰国した。
 ジョン万次郎は、日米の協力関係を築くために努力したわけですが、それでも日米は戦火を交えました。残念なことです。民主主義を基本として、独裁者をつくらない世の中にしなければなりません。
 本の中では時間がゆったりと流れていきます。ジョン万次郎が大人になって帰国したときも、日本の穏やかで美しい自然に変化はありませんでした。きっと夜空には満点の星が広がっていたのでしょう。
 英文が併記されていたので、声を出しながら少しずつ読み進めてみました。9歳で父親を亡くす。助けてくれた米国人船長を父と慕いながら異国の地で生きたのでしょう。
 南無阿弥陀仏と唱えながら漂流、無人島で暮らしたことは災難です。されど、凶を吉と成したのです。人間の運命とはわからないものです。生まれながらにそのように育つのでしょう。5か月間無人島で暮らし、米国で教育を受けて、20歳で日本近海まで行くも日本人漁師相手に日本語を発することができず、その後3年と少しが経過してようやく帰国しています。他の漂流者たちは、ハワイで暮らし続けています。万次郎は意外にもアメリカ東海岸で暮らしています。日本から見ると西海岸のほうが近い。遥か彼方(かなた)です。帰国した万次郎は43歳になって再びアメリカ東海岸を訪れてお世話になった方々に感謝しています。彼にとっての地球とか世界は、わたしたちが思うよりも小さなものだったに違いない。そして、自分の運命を見つめながらときには死んでしまいたいと思ったこともあったでしょう。


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