2013年03月20日

「風紋」・「晩鐘」各上下巻(再読) 乃南アサ

「風紋」・「晩鐘」各上下巻(再読) 乃南アサ 双葉文庫

 読書は旅することに似ている。長編を読むのは長い旅です。標題の小説は合算すると2393ページあります。読んだことがあるので、中身は承知済みです。115ページまできた今、感想を書き始めます。
 暗い内容です。ラストに至るまで暗い。明るいきざしはありません。夫婦と姉・妹の4人家族がいます。夫高浜稔49才電気メーカー系列会社営業部長はいいかげんな男で若い部下と浮気をしています。妻則子主婦46才は夫と素行の悪い長女からのストレスが要因となって、元長女の高校担任と浮気をしています。長女千種20才はおそらくそのことに気づいています。彼女は大学受験ニ浪生で、主に母親や次女に家庭内暴力を振るっています。「積木くずし」の世界です。姉が卒業した同じ私立高校に通う妹高浜真裕子2年生は何も知りません。妻は浮気相手の高校教師松永秀之32才に刺殺されます。46才女子と32才男子の不倫カップルです。加害者である彼の家庭もまた崩壊に向かっていきます。彼の妻子が狂います。妻松永香織主婦、大輔4才、絵里0才の4人家族です。殺人事件は9月21日(土)に発生し、3日後に遺体が発見されます。高浜家では、妻(母)がいなくなっても、高校2年生の真裕子以外家に帰っていません。真裕子はひとりぼっちです。事件が発覚するまでの経過において、父親も姉も他者(妻・母親)のせいにします。見苦しい。人間がもつどろどろとした「悪」を描く小説でもあります。

(つづく)
(406ページ/542+469+684+698=2393ページ 「風紋」上巻第五章まで読み終わりました。)
 これから高校2年生松永真裕子の心の支えになる毎朝新聞記者建部智樹(新卒3年目25才)が登場します。真裕子は母親の遺体を見ても母親とは認めません。読者には母親に似た人形と表現します。現実を感知できない心の病気でしょう。<このあたりで、もしかしたら、犯人は夫であり、父親である高浜稔ではなかろうかという疑惑が生じてきます。>
 舞台は東京都国分寺市、吉祥寺、他の小説を読んでいると同地が舞台として出てくることがときどきあります。理由はわかりません。世間の人びととマスコミは、松永家と高浜家を攻撃しはじめます。親族は味方ではありません。敵です。この状況をつくりだしたのは、被害者の夫高浜稔であり、長女千種です。なのにふたりは自分の責任を認めません。犯人松永秀之に責任を転嫁します。松永は高浜則子を殺すつもりではなかった。でも、殺してしまった。則子が出かけるとき、自家用車の助手席に置き忘れてあった1本のドライバーは、「運命の1本」になりました。

(つづく)
(542ページ/2393ページ 「風紋」上巻を読み終わりました。)
 悲鳴や怒号、叱責や恫喝の時期が過ぎて、嵐のあとは静かです。だれもかれもが無口になります。被害者の娘真裕子17才は夢遊病者状態です。家の中では死んだはずの母親が生きているがごとくふるまいます。症状が進行するとやがて体は動かなくなりうつ病が完成してしまいます。芝居をする真裕子の心の傷は深い。「ワタシダケ、オイテケボリニサレタ」。姉千種は、世界一大ばかな両親をもったと嘆きます。週刊レディスが掲載した千種と真裕子の父親不倫記事が追い討ちをかけました。
 対して、加害者松永秀之の妻香織への世間の脅迫はすさまじい。両家とも世間体を気にする親族は味方ではありません。
 真裕子はまだ私立高校2年生です。エスカレーター式で入学できる私立短大への進学をあきらめるわけにはいきません。あたりまえのことをあたりまえにとこらえて、登校してみると世界が変わっています。周囲の同級生たちが幼く見えるのです。

(つづく)
(914/2393ページ 「風紋」下巻第二部第五章の途中です。)
 いちど殺人犯人と指定された高校教師松永秀之に冤罪疑惑が発生します。凶器とされるマイナスドライバーが見つからない。ある意味で有能な佐古弁護士の暗躍が始まります。殺人の証拠が出ないから裁判で無罪になったとしても松永が「殺した」という事実は曲げられない。松永の妻香織の心はゆがみ始めます。書中の表現を借りると「荒む(すさむ)」のです。被害者家族も学校もマスコミも翻弄(ほんろう、ふりまわされる)されます。タイトル「風紋」について考えました。上巻368ページで、「ほんの少し日常の生活から脱した行動を起こしたことによって、何人もの運命が変わってしまう。どこまで広がり、傷は深まっていくか」と表現されたのが「風紋」です。「連帯責任」、昨今はうすらいだものの日本人社会では一般的な決めごととなっています。その根っこは、江戸時代から続いてきた社会的教育です。地域住民も社員もみな家族という意識です。その世界の中にいるときは秩序ある平和な暮らしが保障されるけれど、その世界から出ると徹底的、再起不能になるまで叩きのめされ、さらし者にされるのです。
 人間不信になって卑屈になっていく真裕子17才は静かになります。感情を失っていくのです。人と距離をおきはじめます。拾った捨て犬「ぽあん」の死によって対人拒否は決定的になり、草や木に救いを求め始めます。真裕子いわく「(自分は)水槽の中の世界にいる」、彼女は植物に話しかけます。おかあさん、早く戻ってきて。やがて手首を切ります。自分が死んだおかあさんのところへいくのです。
 加害者の妻松永香織と長崎に住む兄嫁との憎み合いがはじまります。読み手は続編「晩鐘」で、松永の息子小学生大輔が兄嫁の息子中学生歩を死に導くことを知っています。再読に耐えうる名作です。
 人間はもっと強いと信じたい。小説のなかの登場人物たちが人間の標準ではない。

(つづく)
(1443/2393ページ)
 真裕子は、大学に合格し、成長を遂げていきます。子どもからおとなへの脱皮です。もう子どもには戻りません。おとなの会話ができるようになります。「しょうがないよ、お父さん」。譲り合って生きていく秘訣を体得します。
 松永の懲役12年後のことが語られます。松永の元妻香織は「風化する」と期待をこめて解釈します。続編では「風化」しません。
 「時刻」を重ねる記述手法です。真裕子、香織、建部の立場に立って物語を進行していきます。日頃から嘘をつく人間は運命を変える場面でも嘘をつきます。真裕子の姉千種は「やられ損だった」とため息をつきます。裁判は人を裁くのではなくて罪を裁く。裁判官も検察官も弁護士もしょせんはグル(仲間)そんなやりとりとは関係なく、真裕子は、「だれが犯人であっても、お母さんは還ってこない」と失意に沈み、母親のお墓に手を合わせるのです。

 続編「晩鐘」を読み始めます。文庫の帯「あれから7年 殺人犯の子供に光は射すのか?」。光は射しません。

 殺人犯松永秀之の息子笹塚大輔は小学校5年生に成長している。妹絵里は同2年生、長崎市の祖父母宅で暮らしている。母親香織は母親であることを捨てて、東京のどこかで男と暮らしている。
 大輔に対する性の誘惑がある。中学1年生多賀希実子の挑発によって再び殺人事件が発生するがその要因をつくったのは大輔です。大輔の正体は、松永の血が遺伝した「悪」です。大輔は不幸を見ると胸がワクワクする。
 他者攻撃と逆恨み、仕返しばかりの展開です。被害者高浜真裕子の家も壊れている。真裕子の心は卑屈になっている。真裕子いわく「平和な家族ごっこ」。かつて自殺を図った彼女は、今は、自己主張ができるようになりました。父親と姉に対するうらみは深くて消えない。彼女はストーカーであり、会社の既婚者と不倫をしている。母のようになりたくなかったはずなのに、母のようになっている。真裕子は殺された母親を今も愛している。母に依存している。父親の後妻のこども俊平5年生から「ひねくれもの」とののしられる。読み手は真裕子をかわいそうとは思うけれど、彼女の言動を支持することはできない。彼女はとにかく、人のせいにしたい。遅かれ早かれ人は死ぬ。自分もいつかはこの世から消えていく。死後7年経っても母親から離れられない。真裕子は、自分しか見えない。

(つづく)
(1695/2393ページ)
 いちど読んだことがある本なので内容は承知済みですが、再び文字を追っていて、すでに記憶から消えていた事柄もあることを確認しました。登場人物ひとりひとりの心情描写がきめこまやかです。天性のものがあります。
 いい人は出てこない物語です。なぜなのか。環境に要因があります。どんな環境なのか。犯罪にかかわった家族だからです。加害者のみでなく被害者も同様です。暗い家庭の雰囲気が続きます。
 新聞記者建部の登場により、真裕子の母親が殺されてからのふたりの7年間を埋める作業が始まりました。結婚して離婚して、建部自身の家庭も壊れています。
 死ななくてもよかった大輔のいとこ歩は殺人者の息子大輔の策略によって死地に赴(おもむ)かされた。
 しんみりくる記述として、「何十年ものろのろとロバのように生きていく。喜びは求めてはいけない。ささやかな楽しみをもつ。ひたすら生活のために働く。それが人生」
 「容(い)れ物でしかないこの肉体」
 「真裕子」として存在する。「真裕子として生きる」、「真裕子でなければならない理由」
 人生には「まさか」が次から次へとやってくるという事実表現
 大輔の怒りとあきれとして、母親だという人は、酒を飲んで、派手な格好をして、香水の匂いがきつくて、ネズミのような男と暮らし、裸でベッドにころがっている。
 世の中にはろくでもない人間ばかりがはびこっている。
 新聞記者はハイエナのような種類の人間
 お母さんは淋しかった。ひとりぼっちより浮気を選んだ。
 犯罪被害者の家族はばらばらに崩壊していく。
 「晩鐘」上巻を読み終えました。

(つづく)
( 2393/2393ページ)
 2か月を要して4冊の本を読み終えました。(途中、別のシリーズものを10冊ほど読んでいて間が開きました。)
 最後のページを読んでいたときラジカセから流れていたのは、長渕剛の「俺たちのキャスティングミス」でした。松永大輔ファミリーの配役は、神さまのミスキャスティングでした。作中では大輔の視点で「鏡の向こうの世界」が幾度となく登場します。大輔の妹絵里は大輔の手によってガラス窓の向こうの世界にいってしまいました。父親が殺人者。未来を悲観したふたりのちいさなこどもたちが選択した手段は過酷でした。最終ページ、涙が湧きだしそうで、でも、目からは乾いた空気しか出てきません。この本はいつかドラマになるかもしれない。
 こんな人ばかりではないと思いたい。こどもを捨てることができる女親がいる。殺伐とした世間にも数は少ないけれど善人はいる。楽しくない家庭はだめです。
作者の強みは、時間を重ねることです。重ねて厚みを増す。親子は親子でなくなる。被害者の娘真裕子は「恨み(うらみ)」を消し去ることはできない。終わったことにはできない。彼女は若い。若い人たちはまだ知らない。老いるにつれて「記憶が消えていくこと」を。人は老いる。新聞記者建部は「連鎖」にこだわる。否定はできない。肯定はしたくない。
 大輔の目から見た小学校男児同級生たちは「明日には敵になるかもしれない」存在だった。大輔からみて、高校教師だった父親は、教え子の母親と不倫したあげく、彼女を殺害した。父親が収監されたときに4歳だった大輔に父親の記憶はない。疑問をいだく大輔にだれもかれもがいいよどむ。だれもかれもが人のせいにしたがる。父親が仮出所したとき、父親の弟は首を吊った。彼は有能な銀行マンだった。彼の縁談は壊れた。最後に大輔は被害者女性の娘にわびた。「おとうさんのしたこと、ごめんなさい。」
 人殺しのこどもと言われながら生き続けなければならないことがかわいそうで、妹絵里をガラス窓の向こうの世界にやってしまった。妹絵里は最期に、おにいちゃん、先に行ってるねと笑顔だった。大輔は世界中で一番絵里を愛して可愛がっていた。

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