2013年02月06日

晴天の迷いクジラ 窪美澄

晴天の迷いクジラ 窪美澄 新潮社

 本屋大賞候補作5作品目の読書です。4本の短編が収められています。互いに関連があります。
 登場人物は、田宮由人(ゆうと、24歳、広告デザイン会社勤務、うつ病、実家は北関東の盆地にある農家、26歳のひきこもり兄と22歳のヤンキー妹がいる)、中島野乃花(48歳、社員8人田宮由人が勤める倒産寸前の会社経営者)、正子(16歳、母親と対立しているリストカット少女)です。3人は一緒に車に乗り合わせます。3人の目的は自殺です。3人は、瀕死の状態で湾に打ち上げられているクジラの死を見てから自死したい。

「ソラナックスルボックス」ソラナックスとルボックスは心療内科の薬です。実在する薬なのか架空の名称なのかは知りません。最初の10ページで、人間のもつ哀しみが十分にあふれ出てきました。人には人に見られたくない姿があります。築30年のアパートに住む田宮由人は、ミカと愛を育んできましたが、失恋しました。彼を慈(いつく)しんでくれた祖母も亡くなりました。心の支えがありません。悲惨な家族崩壊描写なのに文章を読みながら笑ってしまいます。どこにでもありそうな家族関係ですが、生命力に満ちています。今はもう認知症になってしまった祖母の言葉「大きな樹はゆっくり育つ」が心に響きました。鹿児島県屋久島の大杉は、岩盤の上に育つので、時間がかかるけれど大木になると以前本で読んだことがあります。

「表現型の可塑性(かそせい、変形後元に戻らない)」ずいぶんむずかしくて身近にないタイトルの言葉です。田宮由人のデザイン会社は備品ほかが消えてもぬけのからです。ここでは、社長の中島野乃花さんが主役です。彼女が小学校6年生で絵の表彰を受けるところから始まります。あなたは「魚臭い」の差別からスタートです。彼女の出生地は鹿児島県でしょう。貧しき親の世代。貧しい土地に生まれた女性の宿命が胸にぐっときます。可塑性とは、粘土を表わしている。生まれつき描画の才能をもった中島野乃花は、行けるはずもない美大受験コースの教室に通いだします。彼女の先生となる横川英則は、画家としても人間としても失格です。高校3年生野乃花の妊娠・出産話は、心理描写にしても情景描写にしてもあまりにもリアル(現実観がある)で身を引く思いでした。132ページ付近、かなり重たい。病的な記述です。パート1「ソラナックスルボックス」で登場する野乃花とは別人のようでした。児童虐待、家庭内暴力、満たされない気持ちで暗くなりました。短編タイトルとつながる部分として、県議の息子で画家横川英則の言葉表現「生きていくために自由に形を変えていく」という趣旨がありました。この短編のラストで、パート1に登場した田宮由人が野乃花に提案します。ふたりで海へクジラを観にいこう! クジラは湾に迷い込んで死にそうなのです。野乃花は練炭自殺を考えています。由人は精神薬の大量摂取をしたあとです。

「ソーダアイスの夏休み」篠田正子さんの5歳からとびとびの記憶です。姉が生後7か月のときに細菌性髄膜炎で病死しています。おそらく、そのことがきっかけになって、母親は精神を病んでいます。潔癖症です。母親は正子を支配しようとします。正子はいい子でいようとします。そして、破綻する時期が訪れました。正子は中学2年生です。読んでいると目のくぼんだ部分に涙がじわーっとたっぷりたまります。父親の「母親に心配させるな」という言葉で、娘正子の心は壊れました。死にたい三人は路上で出会い、死ぬ前にクジラを見ることにしました。この流れ、いいなー

「迷いクジラのいる風景」30年間の時を経て、野乃花は帰郷しました。16歳正子にとっての過去と現在をつなぐ伏線はソーダアイスの当たり棒です。女だからといって、寛容で優しい母親になれるわけではない。正子は児童虐待をする母親として乳児の女児を捨てた野乃花を責めますが、読者は野乃花を責めきれません。

 この作品の目標は「自殺阻止」です。ここまで読んだ本屋大賞候補作5本のなかではこの作品が一番の好みとなりました。ぜひ映画化してほしい。(ちなみに昨年の同大賞候補作のなかの一番の好みは「ジェノサイド」でした。)
 印象に残った部分のいくつかを記しておきます。
 由人のセリフで、死んだら何も話せなくなるから今のうちに話しておいたほうがいいと思ったという内容。
 クジラは海で生まれて海で死ぬ。人間は死にそうになっているクジラを人間の可哀相という感情で助けてはいけないという表現。生き物は死んで食べられて他の生き物の生命維持を助ける。
 クジラは海で生きていけないことを悟って死ぬのを待っている。それは自殺
 リストカットをする正子が、自分を傷つければ気持ちが落ち着く。
 正子がおばあさんに、「死ぬことが怖くないのですか」。先に天国に行ったひとたちに会えるのが楽しみという返事

 死にたい三人の悶絶する苦しみと悩みが、浅瀬に迷い込んでもんどりうつクジラの様子と重ね合わせてあります。後半部のおばあさんの言葉は、セリフで説明しすぎる感がありますが、十分泣けます。長い小説ですが、今の境遇に悩んでいる人たちにはぜひ読んでいただきたい1冊です。


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