2013年01月19日
芭蕉を偲びて 丹生谷百合
芭蕉を偲びて(しのびて) 丹生谷百合(にうのやゆり) 作品社
作者は今もご存命なのだろうか。80歳ぐらいで、2年前ぐらいにこの本を出されているようです。50歳のときにこの本の構想が芽生えたというような記述がありました。自費出版に近い出版のような印象を受けました。
松尾芭蕉に惹かれて芭蕉がたどった各地を作者が旅します。文章は硬く、読み手のわたしは、作者の豊富な知識量についていけません。されど、人それぞれの巡礼の旅があります。
なにかしら自分の人生に別れを告げる記述に思えてきます。自分も歴史の中へ消えてゆくというメッセージが文字で明記はされていないのですが、ページをめくるごとに伝わってくるのです。
古い日本語表現を理解することが、それこそ英語よりも難しい。松尾芭蕉による「奥の細道」冒頭の記述「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は名文句であり、とても真似できません。芭蕉は天才作家でもあった。また歴史や地理に明るい勉強家で、魅力的な人物であったに違いありません。尾花沢というところで10泊もしているということは、ただ単に、たくさんの土地を制覇すればよいと思っていたのではありません。今から320年ぐらい前のことです。
作者は今もご存命なのだろうか。80歳ぐらいで、2年前ぐらいにこの本を出されているようです。50歳のときにこの本の構想が芽生えたというような記述がありました。自費出版に近い出版のような印象を受けました。
松尾芭蕉に惹かれて芭蕉がたどった各地を作者が旅します。文章は硬く、読み手のわたしは、作者の豊富な知識量についていけません。されど、人それぞれの巡礼の旅があります。
なにかしら自分の人生に別れを告げる記述に思えてきます。自分も歴史の中へ消えてゆくというメッセージが文字で明記はされていないのですが、ページをめくるごとに伝わってくるのです。
古い日本語表現を理解することが、それこそ英語よりも難しい。松尾芭蕉による「奥の細道」冒頭の記述「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は名文句であり、とても真似できません。芭蕉は天才作家でもあった。また歴史や地理に明るい勉強家で、魅力的な人物であったに違いありません。尾花沢というところで10泊もしているということは、ただ単に、たくさんの土地を制覇すればよいと思っていたのではありません。今から320年ぐらい前のことです。
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