2013年01月13日

利休にたずねよ 山本兼一

利休にたずねよ 山本兼一 PHP

 前半から後半近くまで、この本は、自分には合わないと感じながら読み続けました。美を極める。芸術作品の高度な位置での完成を目指す。
 数年前の5月に利休氏の生誕地堺へ行きました。そのときの地形とか風景を思い出しながらこの本を読みました。いろいろな人が出てきますが、登場人物は秀吉と利休のふたりに絞られます。まるで、男の子同士、こどものけんかです。利休さんの几帳面さは苦手ですし、秀吉さんのいいかげんさも好きになれません。500年ぐらい前のことであり、真実は誰にもわかりません。その点で、この本は創作です。
 京都から大阪への移動は船で川を下るということに目からうろこが落ちる思いでした。実際にその土地で暮らしたことがないわたしにとっては、初耳であり納得しました。文章にはリズム感がありますが、表記は古典的であり、茶道の専門用語とか道具の類(たぐい)の単語の意味が、わたしには、理解できません。その点でわたしは読み手としてふさわしくなかった。
 記述は少しずつ過去にさかのぼるという手法で、小編が続いています。わたしにとっては、もどかしい表現方法であり、その点においてもわたしの好みに合いませんでした。物語の到達点である目標には、秀吉の命令とはいえ、なにゆえ利休は自ら切腹を選択したのか、さらに、秀吉に嘆願すれば、切腹は避けられたのに頭を下げることができなかったのかを解く推理小説の意味合いがあります。
 堅苦しい、息が詰まる、めんどうくさい、そう感じた血液型0型のわたしでした。A型の型は共感できるでしょう。
 秀吉と利休の関係は今のサラリーマン社会でもあります。そして、相手を貶(おとし)めると何年か後には自分が同じお返しを受けることが世の中の法則となっています。そういうことを知っているから、だれも本当のことを口にしません。
 本だけを読むと19歳の利休さんは、女性の美貌だけに惹かれています。外見だけという理由では、説得力に欠けます。それとも美しいもの(人であっても)=道具ということで、気にいったと解釈すれば、彼の性格として、つじつまが合います。
最後に、海辺にある苫屋(とまや、漁師の休憩所)が狭い茶室の原点になったと解釈しました。


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