2012年11月19日

東京島 小説と映画

東京島 小説と映画

まず、小説の感想です。

東京島 桐野夏生(なつお、女性) 新潮社

 感想をなんと表現してよいのか思い浮かばない。他の書評を参考にしてみようと読んでみたけれど本作品を支持する人が3割、残り7割は首をかしげている。そして、わたしは残り7割の人間です。
 「東京島」というタイトルからは、東京にある島、されど尋常な島ではなかろう。たとえばごみの島というような先入観をもって読み始めました。東京島は東京にはありませんでした。フィリピンの近くにあるようです。
 悪天候で遭難後に漂流した人々が漂着した無人島で、彼らがその島を「東京島」と名付けたのです。32人中1人が女性で、彼女は46歳の清子さんです。その後、夫は病死して、彼女は何人かの男たちと島内で結婚を繰り返します。遭難者のなかには、中国人男性たちもいます。どちらかといえばひ弱な男性が多い。人々は、自分の本名を捨てます。中国人たちは「ホンコン」と呼ばれ、島内には「トーカイムラ」とか、「シブヤ」など、彼らが付けた地名が生まれます。地名については、ブラジル移民が、ブラジルの地で、「太郎滝」というように自ら地名を付けたことを思い出しました。江戸時代の島流しという刑も思い出しました。
 中国人のヤン、日本人のアタマ(河原・元暴走族)、オラガ(やがてオカゲに改名、坂本泰臣25歳小説家志望)、ワタナベ、春日部(清子の夫が死んだあとの最初の夫、群馬出身)、酒井(22歳、大工見習い)、彼らのアイディンティティ(自己(自我)同一性、自分が自分であることの起源)というのでしょうか、それが時の経過とともに次第に失われていきます。幾人かの人々は崖から突き落とされて殺されたり、病死したりしていきます。
 救援はなかなか来ません。船をつくっての脱出は失敗に終わります。夢や希望がかなわないと確定したときに彼らは本能で生きようとします。食欲と性欲そして宗教です。法治国家ではなくなる。倫理観もなくなる。マンタ(黄桜俊夫26歳仙台市出身)には、彼が3歳のときに死んだ姉和子の霊魂が宿ります。圧倒的な筆力です。GMというイニシャルで呼ばれていた森軍司は、記憶喪失のふりをしていましたが、清子の島脱出作戦(失敗に終わる)により、記憶を取り戻したようにみせかけて、リーダーシップを取り戻そうとします。あきらめからみんながおかしくなっていく。現世とは別の世界が誕生します。名前が変わることで人格まで変わる。
 作者はどうしてこの長い物語を書いたのだろうか。人間は、極限状態におかれると変容するという状況描写が続きます。身の回りにあった便利なものがなくなると、人間は原始生活に戻る。フィリピン人たちが新たに漂着してからは、「走れメロス」太宰治著を思い浮かべました。脱出用の船に全員が乗船することはできない。ただし、わたしは考えたのです。最初に幾人かが脱出して、残った人々をあとから救出にきてもらえばいいだけのことです。それができない。自分だけが助かればいい。残った人々は島に永遠に残しておけばいい。
 最も後ろの部分を書くとネタばれになってしまうので書きません。ここまで、感想を書いてみて、本作品に対する自分の評価が変わってきました。冒頭に書いた3割、この作品を高く支持する部類に属することにしました。

東京島 映画 ケーブルTV録画
 最後のほうにある幸福感が好きです。どんな世界に自分の身をおくか。自分にとって快適な環境を自らの手で手に入れる。人生は居場所探しです。
 「なにもないけれどなんでもある。なんでもあるけれどなにもない。」最後付近で登場人物のひとりが歌っていた歌詞です。


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