2012年10月06日

金閣寺 三島由紀夫

金閣寺 三島由紀夫 新潮文庫

 年に数回奈良を訪問します。心のいやしが目的です。その帰りに京都に立ち寄ります。人が多いのが苦手で、どこか1か所だけを見て帰路に着きます。
 先日は三十三間堂で千手観音坐像の美しさに魅入りました。旅の友はこの本「金閣寺」でした。現地には2年前に訪れました。プラモデルの箱にあるのと一緒で金ぴかの建物でした。この本は水上勉著「五番町夕霧楼」と比較してみるため手に取りました。
 作者が主人公にのりうつったような文章です。作者自身の体験なのか、主人公の気持ちなのか区別がつきかねます。
 「有為子」の件は、さきざきどこで再現されるのだろうか。当時、昭和19年から昭和20年代初めの金閣寺は現在とは大違いのようです。観光客はいない。金箔ははがれ気味。静かな場所だった。62ページ目で、有為子が出てきました。憎しみあう親子の姿があります。
 わたしは金閣寺がお寺さんとは思えません。あくまでも書院なのです。
 水上勉著「五番町夕霧楼」とはかなり異なる内容と文の調子です。ここまでの感想は、「異常」そして美しい文章です。作者は金閣寺を何にたとえようとしているのだろうか。作者が切腹したニュースをテレビで見たのは私が小学校6年生のときだった。アーチストは人生のうちに一度は孤独な時期を過ごすという宿命を負わされている。作者はなぜにこれほどまで身体障害者を責める(けなす)のか。狂気、主人公はなぜそんなに思い込むのか。金閣寺=無力の解釈が理解できない。金閣寺管主に対する抗議とかそれとも大人社会に対する不正に対する復讐目的で金閣寺に放火するのか。金閣寺=有為子、まばゆいものを自ら破壊して自らの心にとどめることも放火の理由なのか。建物に火をつけるという気持ちは心のどこから出てくるものなのだろう。293ページあたりから作者が主人公から抜けていく。
 当時の作者の心情をさぐるのです。相手を殺して自分も死ぬ。対象を消滅させて自らも消える。生きることは地獄ということです。


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