2012年10月02日

走れメロス 太宰治

走れメロス 太宰治 角川文庫

 ギリシア神話だかローマの古典だかがモデルになっている短編だと自分で勝手に勘ぐっています。昭和15年の作品です。世の中は軍国主義で戦時まっただかなかの生活と言論に統制がかかっているなかでの創作です。検閲から逃れるために何かを隠れ蓑(みの)にして自己主張を企図(きと)します。
 牧人(ぼくじん、家畜を育てて生活の糧(かて)にする。)メロスが王さまに説教をしようとして、ナイフをもって城に入って捕まって磔(はりつけ)の刑に処されるのを前に、16才妹の結婚式に出てから処刑されるために城に戻ってくる。その間、メロスの身代わりとして親友の石工(いしく、石材職人)セリヌンティウスを身代わりに立てるというお話です。勝手に身代わりに差し出されたセリヌンはたまったものじゃないのですが処刑前提の身代わりを引き受けます。人間同士が信じ合うというとてもいい話です。この世の法則として、信頼すべき人間を裏切った者には不幸が訪れるということもあります。
 この物語を読んで感動したあと、続く短編「東京八景(はっけい)」を読むとがっくりきます。走れメロスを書いた作者の私生活はいい加減で、嘘をついては金を借りてかつ返済しません。とんでもない野郎だと思いつつ、「走れメロス」は理想であり現実ではないとあたりまえの人間心理に気持ちは戻ります。
 続けてほかの短編の感想も記(しる)してみます。
「東京八景」32才、金なし小説家の昭和5年から同15年の転居経歴です。「哀感(物悲しさ)」に満ちています。「苦悩」もあります。メロスで信じあった友情はなく、小説家本人は実兄を裏切ります。お金持ちの家に生まれた自分はハンデを背負って生まれてしまった。自分という個性が生まれてはいけない家に生まれてしまったと自己否定をします。
小説家井伏鱒二氏が太宰氏のサポーター(支持者)です。井伏氏から受けた恩をなかなか返せない作者がいますが、井伏氏からみれば、後世に残る作品群を築いた作者は期待通りでした。
「富嶽百景(ふがくひゃっけい。富士山のたくさんの景観)」どこまでが事実で、どこが虚構なのかわからない。事実の部分が多い随筆です。結婚に夢あり。作者は女性にモテル男性です。
「懶惰の歌留多(らんだのかるた)」いろはかるたですが、い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ・る・を・わ・か・よ、までで終わっています。思い出やら身辺抄(しんぺんしょう。身の回りのことの抜粋)が書かれていますが内容について特段の感想は浮かんできません。
「八十八夜」長野県諏訪湖あたりのことについて書かれていますが、読んでいても何が書いてあるのかわかりません。ページにはびっしりと文字が並んでいます。文字は読めますが内容が頭に入ってきません。
「畜犬談(ちくけんだん)」飼い犬の観察です。犬が嫌いなのに犬に好かれてしまった。皮膚病にかかった犬を捨てきれず引越し先まで連れてゆくことになった。決定できぬ迷いについて書かれています。
「おしゃれ童子(どうし)」こどもの頃からおしゃれだった(金持ちだったから)。出だしは鋭い。お金がなくなってもおしゃれであることにかわりはない。だけど、お金がないおしゃれはちんちくりんなかっこうに
なってしまう。
「俗天使」作者の配偶者の心理なのでしょう。女性目線で書かれてあります。不可解な表現です。言論統制の戦時中だったからと思うしかありません。聖書の素材・筆記がこの他の作品にもみられます。
「駆け込み訴え」聖書にある「最後の晩餐」が素材です。イエスキリストを裏切ったユダの心理が描かれています。
「老ハイデルベルヒ(アルトハイデルベルヒと読む)」静岡県三島市の大昔(昭和初期)のことが書いてあります。ここまで短編を読んできて思うのは、作者は生活費を稼ぐために文章を書く以外の働くということをしません。基本は実家とかきょだいから借金をして生活費に当てます。こどもの頃から与えられる生活習慣が続くと人は働かなくなると思えばいいのか、作者ひとりの個性ととらえればよいのか判断がつきかねます。


この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t84153
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい