2012年09月23日

キッドナップ・ツアー 角田光代

キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫

 キッドナップ=誘拐。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。
 冒頭、小学生5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られない。
 父と娘の関係ではなくて、恋人同士のようです。誘拐の目的は不明という秘密をかかえながら「思い出」とか「親族関係」をかかえながら物語は進行していく。
 108ページの父親の言葉には同感です。近頃の若い者は、自分の世話はいつでもどこでもだれかがしてくれると勘違いしている。私はそこに「ただで」という単語を付け加えたい。勉強さえしていれば、ちやほや至れり尽くせりなど他人はしてくれない。私はこれを「長男さん、長女さん」現象と呼んでいる。この部分は、194ページの父親の言葉につながっていく。
 中盤にある父親の行動は模範だと思う。親はこどもに親のかっこ悪い姿を見せたほうが子の教育になる。
人間は「ひとり」だということを確認させてくれる作品です。
 175ページ、母親とかきょだいを選ぶことができたとして、どうやって選ぶのだろう。
 186ページ、終わりが近い。どうやってオチをつけるのだろう。
 
キッドナップ・ツアー(再読) 角田光代 新潮文庫
 実の父親と娘なのに「出会い」と「別れ」があります。夫婦仲がうまくいかなくて別居状態の父親が 路上で小学校5年生の娘ハルに声をかけ、借用中の車に彼女を乗せてユウカイするところからお 話は始まります。父親に女の影はありません。ただひたすら貧困です。
 本当の誘拐ではないので事件性はありません。父親と母親の生き方が違う。おそらく父親は北海道 か青森あたりの雪深い寒村で生まれ育った。親族間にいつもトラブルをかかえて育った。対して母親は仲良し 親族がいる。明るい。ふたりの間に生まれたハルが小学生の透明な視線で父親を観察していきます。
 児童文学に位置づけられているので、小学生高学年女子向けの本となっていますが、ハルの心の 機微(きび、こまかな心の動き)をとらえることができる女子は才能ある人物です。将来の作家候補です。
 読んでいてしんみりします。夏休みの初日にユウカイされて、その後数日間をふたりは放浪します。 山の上の宿坊(お寺)に泊まったり、海辺の安宿で過ごしたりします。足は、車だったり、電車だったり、 徒歩です。お金がないので野宿もします。はじめは父親を嫌っていたハルは最後に父親と別れがたく なります。今度は自分が父親をユウカイしようと考えます。
 父親は親であることの窮屈さに悩んでいます。父親はこうあらねばならない。だけど、そうできない。 父親は二度ほどハルに熱弁をふるいます。「(こうなったことを)人のせいにするな(つまり父親である 自分のせいにするな)」、いつだって責任は自分自身(ハル)にあると説くのです。ハルはこれまで孤独 でした。父親とも母親ともつながっていないと感じていました。今回のユウカイの件でハルは父親とつ ながることができました。作者の体験なのか。作者はハルになって、自分の気持ちをつづり続けます。 読んでいて、落ちつきます。


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