2012年09月22日

告白 小説と映画 湊かなえ


告白 小説と映画 湊かなえ(みなとかなえ) ケーブルTV録画

小説はもう何年も前に読みました。
まず、小説の感想です。

告白 湊かなえ 双葉社

 購入する前に抵抗感がありました。いわゆるケータイ小説を予測しました。十代の少女が妊娠して、男に捨てられて、手首を切って、薬物中毒になってという展開はもう読みたくありません。いくつかの書評を読んだところそうではなく推理小説で教師のこどもが生徒に殺害された内容とあったので、読み始めてみました。読み終えて、後半の「信奉者」の章は必要がなかったのではないかと感じました。その章があるために全体がゲームだった雰囲気になってしまうのです。記述も14歳男子の心理描写ではなく、大人の作者の心が表れています。中学生男子の思考力はもっと浅い。ただし、最終章「伝道者」につながる部分であり、「伝道者」の最後では、そこまでやるかと感嘆とは正反対の意味でため息が出ました。
 この小説では「母親」が鍵を握る存在になっています。加害者渡辺修哉の母親である大学の先生、もうひとりの加害者下村直樹の母親主婦、そして被害者の母親である森口悠子先生です。いずれの母親も彼女たちを取り巻く人たちも勝手な人ばかりです。その正当性を認めることはできません。
 全体を通じて、ケータイ小説パターンの流れが根底にあります。読み始めの固まりの記述は奇異です。句点(、)がなく、びっしりとページ全体に文字が並んでいます。(句点については読み進むうちに改善されていきました。)
 舞台はM中学校の1年B組です。わたしはイジメの場面が嫌いです。冒頭付近で、もう読むのをやめようかと思いました。これは以前読んだ「ツ、イ、ラ、ク」姫野カオルコ著と同様の感想になりますが、その本は最後まで読んでよかったので、この本も読み続けることにしました。
 先生は語ってくれるけれど、先生の目の前に生徒たちはいない。呪い(のろい)という言葉が浮かぶ。知らなくてもいいことを知ってしまう苦痛がある。日記に嫌なことを書いて記憶の消去をするということはある。陰湿な場面は嫌いです。今の若い人たちはこういう場面を受け入れることができる精神状態があるのだろうか。直樹の母親には、子どもを失ったもうひとりの母親の気持ちがわからない。
 小説は殺人事件に関わった人たち個別の「告白」という手法で、順番に事実が語られていきます。事件の関係者の証言集です。「さらしもの」とか「だます」とか「人間をモノと思う」とかの文節が思い浮かびます。裁判員制度という言葉も思い浮かびました。
 自分の子どもを殺された復讐に加害者の家族を加害者の手によって殺すという報復企画が描かれています。
人が人を裁くことの是非を問う問題作でした。

(以上のようにわたしは小説作品を好評価していません。されど、世間では支持されています。なぜなのか、そこを知りたくなって映画を観ました。続いて映画の感想です。)

 母親を柱に置いて、息子を愛さなかった母親への復讐を目標にして、加害者と被害者の知恵比べが繰り広げられます。被害者は教師ですが、教師である必要はありません。自分のなかで教師像とは「二十四の瞳」に登場する大石先生以外のパターンはありません。だから、松たか子さんは教師ではありません。小説と映画は違います。小説のほうが厳しい。映画だけでなく小説も読んでほしい。
 松たか子さんの娘である芦田愛菜ちゃんがプールに投げ込まれて死んだとき、松たか子さんの心にあった「誠実」というろうそくの炎は消えた。殺意はそこから生まれる。
 映像はいっかんして暗い。空はたびたび描かれるけれど雲は常に乱れている。殺気や血のリアルさを映像で薄めるために単調なパターン法が用いられている。それでも劇場で多数の他人さまと一緒にこの映画を観たいという気持ちにはなれない。松たか子さんはあえて棒読みセリフを貫いてはいるけれど、逆にやりやすい演技だと感じる。とかく最近は一本調子の演技が受けるけれど本道ではない。人間は生身で生きている。
 教室はいじめの宝庫、メッカ(中心地)です。この時代に生まれてこなくてよかったと思う。携帯電話もメールもサイトも余計なものです。携帯電話を時限爆弾点火装置にした少年に元教師は携帯電話で立ち向かう。よくできているお話です。時限爆弾装置のアナログ時計は進行したり後退したりもする。劇中何度も「命」というメッセージが繰り返される。時限爆弾があろうがなかろうが、命には限度がある。HIV(エイズ)感染の話も登場する。簡単に感染するわけがない。するわけがないけれど少年少女たちは混乱する。
 ときに不気味なコメディ、後半体育館での生徒たちの集団行動には感心しました。
 こどもを「ちゃんと育てる」ことを問う映画でもあります。こどものままおとなになったおとなは、こどもを「ちゃんと育てる」ことなく、こどものまま自分の夢を追いかけている。そんな、こどものままの母親への警告なのか。あなたはこどもに殺されるときがくる。時限爆弾が仕掛けてあって、そのうち爆発する。それをあなたは止めることはできない。告白を超えて警告にまで至っています。

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