2012年09月17日

黄色い目の魚 佐藤多佳子

黄色い目の魚 佐藤多佳子 新潮文庫

8本の短編集です。
「りんごの顔」前回読んだ同作者の「サマータイム」を思い出させる筆さばきとなっています。繊細な面が好きです。アル中とタバコと絵を描くことが好きな男、生まれは九州、今はもう死んでしまった過去の記憶にあるそんな人たちを思い出しました。童話のようです。メルヘンです。りんご3個は父と母と小学校5年生悟(さとる)をあらわしています。そして、りんごに顔を書かなきゃいけないのです。両親が離婚しなかったら父親はもっと長生きできた。
「黄色い目の魚」みのりちゃんのかんしゃくもちは、読み手をほっとさせてくれます。黄色い目のみのりちゃんは女性版太宰治のようです。人のこころを説得させるものは言葉ではなくて行動です。みのりちゃんをとおして、作者の哀しみが伝わってきました。自分は今まで他人から怨(うら)まれるようなことをしてこなかっただろうか。してきたということを思い起こさせてくれた作品です。
「からっぽのバスタブ」登場人物は、思考にふける以外の趣味とか楽しみを有していないのだろうか。試験的作品なのかなあ。
「サブ・キーパー」表題はサッカーでのゴールキーパーの控え選手という意味です。文章が潤滑油をさした歯車の集合体のように円滑に回転していきます。すばらしい。
「彼のモチーフ」詩を読んでいるようでした。この本の項目は8つに分かれていますが、それぞれ関連があり、この本は1冊の物語です。話のすべては、悟君の亡くなった父親テッセイさんが起源となっています。
登場人物女性の心理描写が繊細なうえに説得力があり読み手は納得させられて、彼女たちが可哀想になります。
「ファザー・コンプレックス」思春期・反抗期のこどもたちについて、彼らの心理描写が続きます。だから
「黄色い目の魚」なのです。社会人になれば、もっと広い世界がいっきに広がっていくのに。自由な空間が狭い。自分で狭くしている。少し読み疲れてきました。
「オセロゲーム」お互いが「便利さ」だけでつながっているだけ。鎌倉の風景が目に浮かびます。何をやってもいいとなれば、人間の心は壊れます。閉塞感あり。村田がかわいそうになってくるけれどこちらの気分も悪くもなります。
「七里ヶ浜」作者は詐欺師ではなかろうかと思った。文章を使って読者をだましの世界に導きこんで迷わせてくれます。

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