2012年09月15日

プリンシプルのない日本 白洲次郎

プリンシプルのない日本 白洲次郎 新潮文庫

 「プリンシプル principle」 著者本人が記した言葉ですが、文中で本人はどう訳せばいいのかわからないと言明しています。「原則」だろうかという解釈になっています。
 40ページ、吉田茂首相を指して「昔の人」という表現が不思議です。これが書かれたのは1951年(昭和26年)です。現代人が「昔の人」という表現をすることには何の疑問もないのですが、この不思議さは何でしょうか。いつの時代も「今」を基準にすると高齢者は「昔の人」になるのでしょう。
 著者の文章からは「怒り」が伝わってきてその迫力に圧倒されます。読者としてうなずくこともあるし、うつむきたくなる彼の主張もあります。先日インターネットの番組で見た台湾人年配女性の言葉がよみがえってきました。「台湾は日本人から多大な恩恵をいただいた。いま、日本人は変わってしまった。元に戻ってほしい。昔の日本人は、まじめで勤勉、そして義理堅かった。」サッカー日本代表元監督オシム氏も同じことを言っていました。「日本人は日本人になってほしい」
 文章のほとんどは命令口調で威圧感がありますが、もう1冊の「風の男白洲次郎」青柳恵介著を読んだあとなので、著者はごく普通の人だと思います。あたりまえのことをあたりまえにやりましょうと呼びかけておられると思います。彼の考えの背景には、正直者が馬鹿をみる世の中にしてはいけませんという正義感があります。若者に対する教育に情熱がある人です。
 124ページ、母について語るは感動的です。おじいちゃんの説教を聞いている孫のような気持ちで読み続けています。
 アメリカがつくって押付けた日本の憲法は改正すべきである、自衛隊は必要である、防衛能力をもたない国家の存在はありえない、参議院は必要が無い、政党は協力して連立政権をひとつつくればよい、効率的な経済をめざす、そういった主張のひとつひとつが現代の社会状況にも通じます。
 230ページ、日本はイジメ社会。これは1969年に書かれています。人間社会からイジメを除去することはできないのではないか。そのたびごとに退避、あるいは抗戦するしかないのでしょう。人間の営みには無益なことです。
 240ページ、日本国憲法天皇は象徴。英文で書かれた憲法案を訳したときの状況が書かれています。訳し方がわからなかった。英文の意味がとれなかった。その結果「象徴」と訳した作業は軽易な行為でした。
 最後に3人の対談が掲載されています。著者と今日出海(こん・ひでみ)氏、河上徹太郎氏。いずれもすでに他界されています。それだけに対談は天国で行われているように感じながら読みました。

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