長崎ぶらぶら節 なかにし礼 新潮文庫

 読み始めて、もう25年ぐらい前にドライブした長崎県の海岸線を思い出しました。有明海の向こうに見える熊本県天草島(あまくさ)の島影が目に浮かぶ。「サンダカン八番娼館」山崎朋子著も思い出しました。
 下地になった実話があるようです。作者の記述は「職人技」です。「形式」を形態として、「こだわる」「意味を求める」「心を注ぐ」そういう書き方をしてあります。
作詞家である作者の歌に対する深い気持ちが、歌探しという行動の記述につながっています。歌って何だろう。161ページにある窮地に陥ったときに人は歌を歌うという定義がいい。
 金をばらまいて実家の店をつぶした学者さんと50歳前のカリスマ芸者がふたりで歌探しをします。隠れキリシタンだった島での取材は詩を読むようでした。
 録音機材が無かった時代の東京での録音風景は楽しい。夢のような話です。生活苦の記述が多いが、そうではない面もあったと思う。現代人よりも自然や食べ物、人間関係に恵まれて、夢のある心豊かな暮らしをおくっていた人たちも多かったに違いない。
 258ページにある記述のために、それまでの257ページがあった。芝居の脚本のようです。炭鉱の記述は胸につまります。
 読み終えてみれば、わたしのひいおじいさん、ひいおばあさんの世界でした。老いるということについて考えました。人は何のために生きていくのか。志(こころざし)を貫くためと考えました。

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